2016年11月18日金曜日

トランプが勝利してからの8日間

スタジオにこもって、来年1月にリリース予定のライブアルバムのミックス作業をしている最中、アメリカの大統領選でトランプの勝利が確実になったとことを、スマホのヤフーニュースで知った。悪い予感が当たってしまったなあと思った。
そう言えば、今から約15年前の9月11日にニューヨークでテロが起きたことを知ったのも、スタジオでのミックス作業中だった。動揺は、あの時の方が大きかった。トランプの勝利も、9・11に匹敵する大きな出来事だと思うけれど、世界各地で起こり始めたナショナリズムの台頭、不寛容、経済格差の拡がり、移民排斥の動き、繰り返されるテロのニュースなどが、こういった事態を予感させ、ある程度の心の準備をすませていた気がする。

大統領選も大事だけれど、今一番大切なことは最終段階に入ったミックス作業に集中することだった。すぐに、気持ちを切り替えて、作業に没頭した。

レコーディングのミックス作業で、常に自分の課題となっていたのが、コンプレッサー(以下「コンプ」と略)との付き合い方だった。自分はライブでもレコーディングでもコンプありきのサウンド作りが好みではない。音圧や迫力が増す1方で、コンプを強くかけ過ぎると、音が圧縮されて平面化し、柔かさや立体感、メリハリに欠けたサウンドになってしまうのだ。
ただ、コンプそのものを否定しているわけではなく、このエフェクトとのもっとよい付き合い方ができないものかと、ずっともどかしい思いを抱き続けていた。それが、今回のミックス作業での試行錯誤で、その課題を劇的に乗り越えることができたのだ。
その成果はサウンドに如実に現れた。立体感をそこねることなく、ライブの迫力、臨場感を再現し、あの日のメモリアルなステージを1つの作品として再構築することができたのだ。

ベルリンの壁が崩壊した日である11月9日、トランプの大統領選勝利が明らかになり、共和党が上下両院で過半数を獲得し、カリフォルニアでは嗜好用大麻の合法化が可決された。そして自分は、エンジニアのモーキーとの2人3脚で、ライブCDのミックスを完成させた。不安と喜びが交錯する1日だった。

ミックス作業を終えた後は、2日間のリハーサルをはさんで、11月からスタートしていた中川敬君(ソウル・フラワー・ユニオン)とのツアーを再開し、京都へ向かった。かつて自分がアルバイトをしていたこともあるライブハウス・磔磔にて、ゲストに山口洋(HEATWAVE)と宮田和弥(ジュンスカイウォーカーズ)を迎えての2公演は、実に濃密で充実した2日間だった。
ヒロシとの久し振りの共演では、緊張と緩和の振り幅の中で自分の現在地を確認し、宮田君との初共演では、真摯な歩み寄りとオープンな姿勢がもたらす素晴しい化学反応をお客さんと共に満喫した。よく歌い、よく叫び、よく弾き、よく叩き、よく語り、よく飲んだ。
クタクタになって京都から藤沢に帰宅した後は、1日のオフを置いて、ライブCDのマスタリング作業に入った。スムーズに作業は進み、昨日レコーディングの全行程を終了した。そして、明日からまたツアーの再開。

この目まぐるしい日々の間も、アメリカの大統領選の結果のことが頭から離れなかった。
民族差別や宗教差別、女性蔑視を公言する人物がアメリカ大統領になる日が来るなんて、少し前までは想像もできなかった。そんな人物に希望を託さなきゃいけない程、今のアメリカは余裕のない状況なんだろうと思う。トランプの勝利は深刻な症状の表れだ。
こういった状況はアメリカに限ったことではない。日本でも同じような症状が進行し、トランプ的な思考や態度が、ネットやテレビを通じて、拡散され続けている。

自宅で、深夜に録画しておいたテレビ番組を見ていたら、あるコメンテーターが「政治家は道徳家ではない。だからトランプ氏の差別的発言もパフォーマンスとして許容される」といった内容を語っていた。「んなもん、パフォーマンスで許したらあかんやろ!」と、思わず心の中でつっこんでしまった。こういう発言がテレビでも堂々と流される時代の空気に怖さを感じる。
9月にアップしたブログにも同じようなことを書いたけれど、敢えて、もう一度言わせてもらう。自分が、一番恐れているのは、このような発言や思考、態度に、自分も含めて、人々が馴らされ、取り込まれてゆくことだ。このような状況に対しては、慣れることなく冷静に恐れ続けるべきだと思う。

いつからか、自分の回りの世界と、公の出来事、社会を取り巻く状況とのギャップに、戸惑いを感じるようになった。最近は、社会のネガティブな状況が少しずつ自分の回りを侵し始めているように感じることがある。
公の出来事や社会の空気に取り込まれ過ぎることなく、日常の暮らしを大切に、柔らかさを保ちながら日々を過ごしてゆきたいと思う。得てして、良くない出来事と良い出来事は、同時に起きている。良い兆しを見逃さないようにしたい。
ー2016年11月17日

2016年10月6日木曜日

「不安」についてー石田長生さんの言葉を思い出す

交流のある20歳程年下の後輩ミュージシャンと、最近飲んだときのこと。
彼がキャリアを重ねて実力をつけ、認知を上げつつある姿をみていたので、「もうバイトをやめて音楽だけでも食っていけるんじゃない?」と聞いてみた。単純に、地方ツアーの数を増やして音楽1本にしぼった方が、バイトを続けるより実入りもいいんじゃないかと思ったのだ。
そうしたら、少し戸惑ったような表情で、「音楽1本でやるのは不安だし、まだ不安定なんで、バイトをやめられないんです」との返事が返ってきた。彼の「不安」という言葉を聞いて、自分のことを振り返った。

ありがたいことに、CDデビューしてからの26年間、ずっと音楽で食わせてもらっているけれど、その間、不安から逃れられたことはない気がする。もう少し正確に説明すると、「どうにかなるさ」という楽観、「どうにかするぞ」という決意、「どうにでもなれ」という開き直り、「どうなるんやろう」という不安、それらの感情が日々立ち代わりながら同居し続けてきた感じだ。

その後輩ミュージシャンと話していて、自分が大学を卒業したばかりで、まだバイトしながら音楽をやり続けていた頃に、先輩のプロミュージシャンである石田長生さんと2人飲みさせてもらった時のことを思い出した。
一回り年の離れたオレに対して、石田さんは、えらそ振ることもなく実に素直に色んな話を聞かせてくれた。そのときに石田さんから聞いた忘れられない言葉がある。

「オレ、年取ったら野垂れ死にしそうな気がしてるねん」

そう話す石田さんは、特に深刻な風でもなく、乾いた哀愁を漂わせていた。
これから音楽で食っていきたいと考えていた当時の自分にとって、それは後にひく言葉だった。既にプロミュージシャンとしてのキャリアを重ね、これだけの評価と認知を得ている石田さんでも、そんなことを考えるのかと思った。
でも、今思えば、当時の日本では、50代以上のプロのロック、ブルース、フォーク系ミュージシャンは、まだ存在していなかったのだ。だから、自分の年代以上に、20年、30年と音楽で食い続けるイメージは湧きづらかったはずだ。それは前例のない未知の世界だったのだ。
考えてみると、あのときの石田さんって、まだ34、5歳くらいで、今の自分より、随分と年下だったのだ。当時の石田さんは、「不安」を抱えていても、肝は座っているように見えた。既に覚悟を決めていたのだと思う。「野垂れ死に」という言葉は、その覚悟の表れとして自分は受け止めた。

後輩ミュージシャンの彼がバイトをやめるべきかどうかはわからないけれど、「不安」に背を向けるよりも、そいつに向き合った方が、表現者としての説得力は増すのだろうと思う。多分、バイトを続けてもやめても、そいつが消え去ることはない気がする。
自分は、石田さんのように、「不安」に向き合い、「不安」と格闘し、「不安」を笑い飛ばし続ける音楽人生でありたいと思う。
ー2016年10月6日(木)

2016年9月29日木曜日

「生活を美しくする」ためにーあらためて吉田健一の言葉と解散したSEALDs(シールズ)について思う

「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」

英文学者で文筆家の吉田健一氏が、短い随筆の中に残したこの一節は、ピチカートファイヴの小西康陽氏がたびたび引用することで、広く知られるようになった。
「生活を美しくする」とは具体的にどういった行為なのか。「生活を美しくする」ために、どんな姿勢や態度が必要とされるのか。この言葉が自分の心に長居し続けるのは、それが一つの「問いかけ」になっているからだ。
歌を書き、一期一会のステージを繰り返しながら音楽生活を充実させる。方々うろつき回り、出会いと別れをくり返す中で、人との繋がりや自然のサイクルの中で生かされていることを実感する。そういった暮らしを積み重ねることは、自分なりの戦争に反対する一つのあり方だと思えた。この考えは今も変わらない。
けれど、3・11を一つの契機として、自分の中の「生活を美しくする」行為の定義に変化が表れた。もっと正確に言うと、その定義が広がった気がするのだ。

自分は、小西氏がこの言葉を引用したとき、そこには、それまでの日本における左派の社会運動やロックミュージシャンのあり方に対するアンチテーゼが含まれているように感じた(あくまでも自分がそう感じただけで、小西氏の本意は確かめていないけれど)。運動に身を投じて、声高に反対を叫んだり、明確なメッセージソングを歌うことばかりが、抵抗運動ではない。戦争を引き起こすようなメンタリティーに背を向け、音楽人、趣味人としてのセンスを磨き続ける。そういった姿勢にこだわり続けることこそが、小西氏なりの平和運動であり、抵抗運動なのだと自分は勝手に解釈している。

3・11以降の自分は、被災地を回ったり、SNSやブログを通じて社会的な発言をしたり、官邸前や国会前の集会デモに参加したり(そんな頻繁ではないけれど)、以前に比べて社会にコミットする姿勢が強まった。けれど、そういった発言や行動をする際は、大抵どこかアンビバレンスな思いがついて回った。
「反対」を表明し、行動することで敵対が深まり、互いが記号化され、それによって敵対する対象のメンタリティーに自身が近づいてゆくという矛盾や危険を感じることもあった。だからと言って、その時はデモに行くことをやめようとは思わなかった。むしろ、そういったアンビバレンスな思いを抱える人間が、デモ集会に参加することに意味があると思えた。

デモ集会に参加する日は、参加前に映画を観たり、集会後に美味しいものを食べに行ったり、いい音楽を聴いたり、美しい夕陽やお月さんを眺めたり、そうやって意識的に心のバランスをとるよう心掛けた。そうした中で、掲題した吉田健一の1文を度々思い出した。
そもそも吉田健一は、どんな思いであれらの言葉を綴ったのだろう。あの1文は吉田健一の元を離れ、一人歩きしているようにも思えた。

掲題の言葉が「吉田健一著作集ⅩⅢ」の中に収録されている「長崎」という短い随筆の中の1文だということは、ネットを通じて知った。ネットで検索すれば、その随筆の全文を読む事もできる。掲題の1文を含んだ文章を以下に引用させてもらう。

「戦争に反対する最も有効な方法が、過去の戦争のひどさを強調し、二度と再び、……と宣伝することであるとはどうしても思へない。戦災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。古傷は癒えなければならないのである。
 戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。過去にいつまでもこだはつて見た所で、誰も救はれるものではない。長崎の町は、さう語つている感じがするのである。」

この文脈の流れで、掲題の1文を読むと、それまでとはまた違った印象を受ける。吉田健一は、同書に収録されている文の中で、広島の原爆ドームが取り壊されることをよしとする考えも述べているそうで、そうした点においては、自分の考えとは異なる。特に今の時代においては、先の戦争にこだわり検証することの大切さを一層強く感じている。

吉田健一と自分がイメージし実践しようとする「美しい生活」には違いがあるのだと思う。時代も育ったバックボーンも個性も違うのだから、それは当然のことだ。けれど、それぞれが時代の中で、誰かが用意した単純な物語に身を委ねることなく、丁寧に物語を紡ぎ、自分なりの「美しい生活」を模索し続けようとする姿勢において、自分と吉田健一は共通しているのではないかと想像している。

3・11以降、アンビバレンズな思いを抱え続けていた自分にとって、昨年から今年にかけてのSEALDs(シールズ)の登場と活躍は、エポックメイキングな出来事だった。学生達が、民主主義に基づく政治を求めて街に出て声を上げはじめ、それらは安保法案に反対する動きとリンクして、一つのムーブメントとなって世間一般からも注目を集めるようになった。
自分が彼らの行動に共感できたのは、それらの活動や発想が日常の生活と地続きであると感じられたからだ。音楽を愛し、恋人との時間を大切に思い、そういった日常と自由の権利を肯定し、それらを守る為のアクションであることに、頑なイデオロギーを超えてゆく社会運動としての可能性を感じた。彼らがコラボする音楽やフライヤーのデザイン、動画などから伝わるポップで洗練された印象も新鮮だった。
SEALDsを代表する奥田愛基さんが、自分と違う立場や考えの人達との議論の場に積極的に出て行く姿勢、相手を安易に記号化しないよう心掛ける態度にも共感を覚えた。

ただ、そういった彼らの姿勢は、その知名度の割には、しっかりと一般には伝わりきれなかった気がする。イデオロギーと党派性から抜け出すことのない、これまでの左派による従来の社会運動の流れとして、見られがちだったことが残念だ。
その一因として、彼らをそういうイメージに押しとどめておきたい、そうでなければ困る人達の存在が影響したように思う。いい大人達が、むきになってSEALDsを否定し、揚げ足を取り、デマをまき散らす姿は、自分にはとてもみっともなく見えた。SEALDsは嫉妬を呼び起こす存在だったのだと思う。自意識とプライドの高い人間程、その感情に向き合うことができず、本能的にSEALDsの本質から目を背けた印象がある。
主にネットを通じて拡散される、そうしたSEALDsに関するデマや中傷を信じてしまう人達、信じたがる人達が実に多いことには、暗澹たる思いを抱いた。彼らを自分よりも特権的な存在と感じて、生理的に否定した人も多かったのかもしれない。

吉田健一氏や小西氏が危惧していたのは、社会運動や政治活動への傾倒が、日常の暮らしをないがしろにしてゆくことだったのではないかと想像する。自分にとってのSEALDsは、そういった危惧を乗り越えようとする存在だった。
SEALDsの活動を知り、彼らが企画する集会デモに参加して、違和感を抱くこともあったけれど、それ以上に勇気づけられ、希望を感じることの方が多かった。彼らの存在と活動を通して、日常の生活を手放すことのない、それらと地続きの社会運動の可能性を感じられたことは、自分にとって大きかった。

以前から明言していた通り、参院選後にSEALDsが解散したことにも、納得がいった。解散によって、彼らは多くの「問いかけ」を残した。それらは未来を切り開く種だと思う。その種を多くの1人1人が受け取ることを願う。
未来は特定の大きな存在に委ねられるものではなく、この国に暮らす1人1人に託されるべきだ。それが民主主義の大切なあり方の1つだと、あらためてSEALDsが教えてくれた気がする。自分にとってのSEALDsとは、「正義」である以上に「姿勢」や「態度」であり、民主主義に対する「問いかけ」であった気がする。
自分は、吉田健一とSEALDsが残した「問いかけ」を受け取る1人でありたい。安易な結論を出すことなく、「日常の暮らし」を守るため、「生活を美しくする」ために、自分ができることを模索し、実践してゆこうと思う。
ー2016年9月29日(木)

2016年9月17日土曜日

「経て」ゆくワタシー52歳になりました

52歳になりました。
20歳の頃の自分が、50を過ぎた自分をどんな風に想像していたのかは、もうよく覚えていないけれど、多分、今とはかなり違った姿を想像していたのだろうと思います。
「えらい年齢になってしもたなあ」という戸惑いに近い思いを抱く一方で、今も落ち着かず、変化のさなかにあるらしい自分自身を楽しんでます。

「四十にして惑わず」という諺がありますが、52歳にして、そういう境地にはまだ全然達していない気がします。孔子さんは「五十にして天命を知る」とおっしゃってますが、まだ自分の天命とか運命を決めつけたくないというか、簡単に受け入れたくないような自分が存在します。
時々「リクオさんは、ぶれないですね」なんて言われることがありますが、いやいやそんなことはありません。自分の軸がないとは思わないけれど、その軸棒は、時に地殻変動や強風にさらされ、左右前後上下に揺さぶられています。

「オレって歩みが遅いのかなあ」と前々から感じていたのですが、最近増々その思いを強くしています。だとしたら「七十にして惑わず」くらいでいいのかもしれない、いや、惑い続けた挙げ句、「我」も捨てきれずに、くだばってしまうのも自分らしいかもしれんなあ、などと思ったりしてます。
まあ、70までも生きれないかもしれないけれど、だとしても、今の自分にはまだ「惑う」プロセスが必要なんじゃないか、もっと色々と「経て」いかなきゃいけないんじゃないかという気がしてるんです。そして、「経て」ゆく順序やスピードは人それぞれでいいんではないかと思うんです。

今年に入ってからの自分は、悔しい思いをする機会が多くなりました。なんだか「悔しさ」と「ときめき」の量が比例しているような感じです。これは、自分の気持ちにより正直になってトライした結果なんじゃないかと思ってます。
自分のキャパとシティ相談しながら、このトライを続けてみようと思っています。まだまだ夢を見続けるつもりです。

ロックン・ロールが苦悩から解放してくれるわけじゃない。悩んだまま踊らせるんだ。ー ピート・タウンゼント

自分が思う「ロックン・ロール」に対する答の1つがこの言葉にあります。
ちょっと大袈裟な言い方ですが、夢を見続ける作業は絶望や孤独を伴います。けれど、それらが言葉になり、メロディーとリズムに乗り、形となったとき、共感と救いが生まれ、世界が変わってゆくことを、出会った多くの人達や先人が教えてくれました。それが間違いじゃないことは、積み重ねた体験の中で確信しています。
でも、まだ道半ばって感じです。まだまだ証明したいこと、確かめたいことがあります。そんな自分の「欲」に向き合ってゆこうと思ってます。まだまだ余裕こき過ぎずに、楽しみながらあがいてゆくつもりです。

1人で見る夢はだだの夢。誰かと見る夢は現実。ー オノ・ヨーコ

とても好きな言葉です。
これからも夢に付き合ってくれたら嬉しいです。
そして、今まで夢を現実にしてくれてありがとう。
まだまだやれそうな気がしてます。「経て」ゆく様を見てもらえたら、光栄です。
ー2016年9月17日(土)

2016年8月19日金曜日

テレビが好きだ

テレビを観るのが好きだ。
と言うのが、憚れるような空気を感じたりするけれど、やっぱり好きだ。時間が許せば、もっとテレビを観ていたい。

特にお笑い番組が好きだ。「アメトーク」(テレビ朝日)と「ゴットタン」(テレビ東京)は毎週録画している(全部はみれないけれど)。「アメトーク」企画の中では特に「中学のときイケてない芸人」の回が印象深い。自分のイケてない過去をネタにすることでトラウマをこえてゆく芸人の姿に、笑いを超えた感動を覚えた。
「ゴットタン」の名物企画「芸人マジ歌選手権」「マジ歌ライブ」も毎回楽しみに観ている。芸人達が披露するオリジナルのお笑いソングとパフォーマンスのクオリティーの高さに、いつも驚かされる。番組を観ながら、いつのまにか同業者視点になって、自分はここまでお客さんを楽しませられるだろうかと自問している。

「ワールドプロレス」(テレビ朝日)は幼少の頃におばあちゃんと一緒に観始めてから、今もずっと見続けている。長い長い大河ドラマを観ているよう。今年の4月両国で行われたオカダカズチカ VS 内藤哲也のIWGPタイトル戦での内藤の突き抜けたパフォーマンスには唸った。殻を突き破った内藤の姿を見ていると、自分もまだまだチャレンジするぞという気にさせられる。
ジャンルは違えど、同じパフォーマーとして、お笑い芸人とプロレスラーから学ぶことは多い。

NHKのドキュメンタリーも時々観る。Eテレ「新・映像の世紀」は毎回見応えがあり、考えさせられる。
ニュースやワイドショーも観る。日曜の朝、TBSの「サンデージャポン」を観た後に、ネットで「日刊サイゾー」をチェックしたりして、俗人である自分を自覚する。

テレビドラマも時々観る。少し前まではNHKドラマ「トットてれび」を毎回楽しみに観ていた。役者、舞台セット、音楽、脚本がいい出会いを果たしていて、現場のワクワク感が画面を通して伝わってきた。今はNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の録画が2週分程録りためられていて、早くまとめてみなきゃと思ってる。
最近、暮しの手帖編集部による「戦争中の暮しの記録」という単行本をAmazonで注文した。ドラマを通して、当時の人々の暮らしを通して戦争の姿を知ることの大切さを感じたのだ。

音楽番組も時々観る。アーティスト同士のセッションが売りのフジテレビ「FNS歌謡祭」はテレビだからこその予算と愛情のかけられた優れたエンターテインメント番組だと思う。番組を観ていると自分も出演したくなる。

それ程興味のないつもりでいたオリンピックも、テレビで試合を観戦すると、心動かされて涙腺がゆるんだりしている。卓球の愛ちゃんの涙にはぐっときたなあ。

今、自分が一番ハマってる番組は、フリースタイル(即興)のラップバトルを見せる「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日)だ。最も印象に残っているのは、ラスボスキャラの般若とチャレンジャー焚巻がバトルした回。暴力的なdisり合いからリスペクトとドラマが生まれる様はプロレスや格闘技にも通じる。
この番組を毎週録画して観るようになってから、YouTubeでもフリースタイル・バトルや日本のヒップホップをよくチェックするようになった。

同業者にはテレビ好きが少ない。若い人もめっきりテレビを観なくなったようだ。自分の回りにも部屋にテレビがないことを公言する人が増えた。とにかく、さまざまをスマートフォンとパソコンですませてしまえる時代だ。

「最近のテレビはくだらない」と言う声をよく聞くけれど、テレビ好きとしては必ずしもそうではないと言いたくなる。
「テレビは真実を伝えない」と言う人もいる。そう言う人の多くが「ネットで真実を知った」と言う。最近は、「テレビの嘘」よりも「ネットの嘘」に踊らされる人の方が増えている気がする。
テレビの中にもネットの中にも虚実は混在していて、それらを選り分けるのは自分自身だ。同じ事実も、見る側面によって見え方、捉え方は変化する。さまざまな視点を受け入れ、楽しむ余裕を持っていたい。

権力に対して腰が引けていたり、コンプライアンスを気にするあまり自粛が行き過ぎていたり、説明過多で、視聴者の想像力にゆだねるような番組が少なかったり、今のテレビを批判することはいくらでもできるだろう。それでもテレビの肩を持ちたくなるのは、年を追うごとにテレビの影響力が減ってゆくことに、不安に近い感情を覚えているからだ。
テレビの力が衰えるに従って、増々「公共の場」が減ってゆくような、人々の断絶が深まってゆくような気がしている。この感覚は、自分がテレビ全盛の時代に育ったことも関係しているのだろう。学校でも家庭でも、テレビはいつだって皆の共通の話題だったのだ。

かつては、主義主張を超えて、テレビを通じて日本中で共有できた情報や時代感覚が、今はかなり希薄になってしまった気がする。ネット社会に移行してから、情報量は爆発的に増えたけれど、個人が幅広い多面的な情報を得る機会はむしろ減っている気がする。
特にSNS上では、自分と主義主張、価値観の近い者同士ばかりがつながりやすく、共有する情報も一面的で偏ったものになりがちだ。しかも、情報を受け取る側は、そういう偏りや受け身であることに対する自覚がなく、ある種の万能感に陥りやすい。そういった認識や感覚が、立場や考えの違う人間同士の断絶をより深めているように思う。

できれば、テレビとネットは、これからも手を取り合って両立し続けてほしいと思う。映画も、CDも、レコードも、ライブ文化も残っていてほしい。
テレビを観て、ネットをやって、音楽を聴いて、本を読んで、曲書いて、外に出て、海を見て、ぼーっとして、風を感じ、季節を感じ、街に出て、映画を観て、ライブを観て、人と出会って、語り合って、ケンカして、仲直りして、飲んで騒いで、二日酔いになって、また部屋にこもってテレビを観て、音楽聴いて、曲書いて、ツアーに出て、ピアノ弾いて、歌って、また部屋にこもって、またツアーに出る。自分は、そんな暮らしをこれからも続けたい。

ー 2016年8月19日(金) 

2016年8月2日火曜日

冷静に恐れる ー ショッキングだった2つのニュースについて

この1週間で特にショッキングだったニュースが2つある。
1つは、今回の都知事選で、特定の民族に対するヘイトデモとヘイトスピーチを繰り返してきた団体の元代表者が10万を超える票を集めたことだ。団体の主張の背後にこれだけの数の市民が列をなしていると想像すると、何ともやりきれず、恐ろしさを感じる。多分、この流れは日本だけでなく世界的なもので、残念ながら、こういった排外主義はこれからもまだ広がり続けてゆくのだろう。
自分は今まで、ブログやSNS上で、不安を煽るような物言いを避けるよう心掛けてきたつもりだけれど、都知事選でこのような排外主義者が一定の支持を得たことや、トランプ氏がアメリカの大統領になりかねない状況に対しては、慣れることなく冷静に恐れるべきではないかと思う。自分の感覚では、もう1線を越えてしまっている。これは思想やイデオロギー以前の問題だ。

今年に入って、日本のメディアにもしょっちゅう登場するようになったトランプ氏を見続けていると、自分が次第に”トランプ慣れ”していることに気づく。彼に対する恐れが以前よりも薄まっているように感じるのだ。
特にテレビメディアは、意図的で有る無しに関わらず、彼のチャーミングさを表出してゆく。これまでの独裁者達がそうであったように、彼にも人を惹き付ける力があることは否定できない。だから怖い。
ああいう暴言やレイシズム、排外主義的物言いに、こちらが慣れてしまっちゃいけない。冷静に恐れるべきだと思う。
そして、今の日本を見渡せば、トランプ氏と同じように、暴言を吐きながら、レイシズム、セクシズム、排外主義、デマをまき散らす煽動家が幾人も存在する。彼らの勇ましく感情的な暴言に溜飲を下げているのは、自分と同じ一般民だ。ああいった言動が”本音”として受け入れられ、それが”普通”になってしまうことが本当に怖い。

もう1つのショッキングだったニュースは、相模原で起こった障がい者大量殺害事件だ。事件そのものに対する衝撃はもちろんのこと、犯人の考えに対して、ネット上で共感を寄せる者が多数存在することにもショックを受けた。
言葉にするのもおぞましいけれど、“障がい者抹殺思想”への同調を受け入れるような空気が、ごく1部にしても存在するという状況には、暗澹たる気分だ。
ホント当たり前のことなんだけれど、障がい者の1人1人が個別の個性を持った人間であり、彼ら1人1人を必要とし愛する家族があり、人間はそういった多様性の中で支え合って生きてゆく存在なのだという実感が、人々の中から失われて始めているのかもしれない。そのような弱い立場への不寛容な空気が犯行の背中を後押ししたのではないかとも想像してしまう。

こうした”弱者排除”と”排外主義”の傾向は、共通した背景を持っているように思える。追い込まれ疎外された者が、さらに弱い立場に攻撃を向けるという構図にも、やりきれなさを感じる。経済合理性やら自己責任やら優生思想やらを鵜呑みして、一時の万能感にひたることで、結果的に自分達の首を絞めている。
こんなふうに余裕を失いはじめた社会の中で、綺麗事ともとられてしまう自分の言葉がどこまで通じるのだろうかと考えさせられる。

「迷惑かけてありがとう」たこ八郎

「パラダイス」という曲をライブで歌うときに、エンディングの語りの部分で必ず引用する言葉だ。
色んな個性があって、それぞれに足りないところがあって、補い合って、迷惑かけたり、かけられたりしながら、互いに「ありがとう」って思える世の中の方がいいに決まっている。
ー 2016年8月2日(火)

2016年7月27日水曜日

だんだんよくする

今月10日(日)に、アルバム「Hello!」発売記念スペシャルライブの最終公演、東京下北沢GARDEN公演を終え、同日に行われた参議院選投票の結果を受け止め、少し身体を休めて、またソロツアーに出て、今週月曜にツアーから戻って、久し振りに曲作りにも取りかかったりしていたら、もう月末。週末には都知事選挙かあ。でも、やっと一息つけた感じなので、近頃を振り返っておこうとブログをアップすることにした。

10日のGARDEN公演については、ブッキングが決まった時点から、この日をひとまずの総決算にしようとの思いがあった。アルバム制作から始まった流れを、これからも続けていくのかどうか、10日のライブの内容だけでなく、そこに至るまでの現実的な結果を受けて、判断を下さなくちゃいけないとも考えていた。

取りあえず、発売記念スペシャルライブと銘打ったバンドスタイルでの名古屋、大阪、東京3公演を終えてホッとした。特に最終公演の下北沢GARDEN公演では、多く人達との関わりの中で、今までにない場を作り、一歩踏み出したパフォーマンスを展開することができたという手応えがあった。現時点で自分が見せることの出来るベストなステージだったと思う。
集まってくれたお客さん、関係者の皆さんからのダイレクトなリアクションには多いに救われた。確実に何かが変わり始めているし、自分自身が一歩踏み出せたことを実感できた。


Photo by 小山雅嗣

ガーデン公演のステージを終えた後に、何人もの知人が楽屋を尋ねてくれたのだけれど、その中の1人に業界の大先輩である伊藤銀次さんがいた。
銀次さんからは、まずこのようなありがたい言葉をいただいた。
「ついにやったね。『Hello!』の完成を経て今日エンターテイナーとしてのリクオが確立したと思う」
その後にはこんな言葉が続いた。
「今回のアルバムだけでは期待する結果は出ないかもしれなけれど、あと2枚、がんばってこの方向で作品をつくり続ければ、結果がついてくると思う。ウルフルズだって結構時間がかかったんだよ(銀次さんはブレイク前からプロデューサーとして長くウルフルズに関わり続けていたのだ)」
銀次さんの言葉を受けて、「あと2枚、この感じでアルバムつくるのは大変だなあ」と思いつつも、嬉しくて感激して、少しウルッとしそうになったくらいだ。銀次さんはこの日のライブレポートとアルバム「Hello!」の紹介を自身のFacebookとブログにもアップしてくれていて、その文章にもとても勇気づけられた。
https://www.facebook.com/ginji.ito/posts/959343164185283
http://ameblo.jp/ginji-ito/entry-12171119125.html


                                                Photo by 小山雅嗣

GAERDEN公演と参院選挙を終えて、劇的な状況の変化は起きなかった。けれど今、そのことを悲観してはいない。
参院選挙の結果と戦後4番目の投票率に低さには、やはりがっかりしたけれど、絶望はしなかった。もう少し正確に言うと、表立った結果は絶望的にも思えたけれど、選挙期間前からのさまざまな動きには希望を見いだすことができたし、それらの動きはある一定の成果をもたらした気がしている。そういった動きが各地で繋がり、一気にではなく次第にひろがってゆけばいいのではと思う。
自分は元々、極端な変化や革命を求めない保守的な一面を持った人間で、特に社会情勢において、劇的な状況の変化は、危険を伴うという意識が強いのだ。

少し一息ついてみて、アルバムをリリースしてからの自分は、結果を早急に求めて焦り過ぎていたのかなと思う。
7月10日のガーデン公演の後に、色々と判断を下そうと考えていたのだけれど、ライブを終え、これまでの状況を受けての自分の気持ちは、想像していたものとは違っていた。

少しずつ何かが変わり始めていることを実感して、今の気持ちは前向きだ。まだ始まったばかり。これからもこの歩みを懲りずに続けて、だんだんよくしていこうと思う。そう言えばオレ、「僕らのパレード」(共作:丸谷マナブ)で、そんなことを歌ってたんやよな。





今回のアルバム「Hello!」は、曲作りの段階から、聴いてくれた人達が歌に自身を重ね合わせてくれることを意識していたのだけれど、完成してみたら、パーソナルな要素も強く含んだ作品になっていた。アルバムを貫く「再生」というテーマは、自分自身のテーマでもあった。ポップで開かれた作品を作ろうと目指していたら、今の自分を投影した正直な内容になった気がする。

こういう作品をつくる事ができて、今自分がこういう形で活動を続けていられるのは、関わってくれるミュージシャンとスタッフ、応援してくれるお客さん、地方を含めた関係者の皆さんの存在があってこそだ。
自分は人と関わることが好きなんだなと思う。元々好きと言うよりは、音楽活動を積み重ねることで、孤独な作業を経て、人と関わり合い、互いを生かし合い、何かを生み出すプロセスにやりがいを感じるようになったのだ。

50歳を過ぎてからでも、面倒を引き受けて、色んな人達とのかかわり合いを続けながら、ともにときめき、いい夢を共有したいと思う。
だんだんよくしていこう。自分自身も、自分を取り巻く世界も。すべては繋がっている。
みなさん、これからもよろしくです。 
ー2012年7月27日(水)


Photo by  小山琢也