2000年12月25日月曜日

2000年12月25日(月)

昼食の後、なにげにNHKのBSにチヤンネルを合わせたら1969年のNHK紅白歌合戦を放映してた。
白黒映像がうつし出す往年のスター達を懐かしく観ていたら、なんといき なりマキさんが登場、「時には母にない子にように」を歌いだした。
強力な存在感は、既にこの頃から身についていて、マキさんが歌い出だした瞬間、場の 空気がガラっと変わった。
抑えた歌唱が醸し出す寂寞感はとても魅力的で、静けさのなかに凛とした思いの強さが感じられた。
昔も今もマキさんは特別なシンガーだ。19日のライブで僕はマキさんのサポートに一 区切りをつけたのだけれど、4年間、希有なシンガーと付き合えたのは僕の財産だ。

2000年12月16日土曜日

2000年12月16日(土)

現在、我が仕事部屋におけるCDや本、資料類等の浸食と散乱ぶりはすざましく、抜本的な改革を要する危機的事態に陥っている。
そこで、気持ちを切り替える意味もあり、2日前から、仕事部屋の大掃除とリフォームに取りかかっている。とにかく不必要なものはどんどん捨ててゆくことにした。
既に45リットルのゴミ袋10個以上に相当するゴミをだしているにもかかわら ず、作業はなかなか終わりが見えてこない。
掃除の途中で、懐かしい品々が目に入り、作業が中断してしまうことがよくあり、これが進行を遅らせる大きな原因になっている。
自分の書き込みを本のページのなかに見つけて、笑ってしまったり、古いノートに 書き溜められた詞の断片を見て、恥ずかしくなったり、ついついそんなことに時間を 費やしてしまうのだ。
思い出を失うようなつらさを感じて、捨てることになかなか踏ん切りのつかない物 も多い。「さよならばかりが人生だ」とつぶやきながら、さっき、学生時代に買い集 めてから長い間、押入に眠っていた「じゃりん子チエ」を古本屋へ回すことにした。
ショックだったのは、何度も繰り返し読んだ書物を手にとり、それらに少し目を通 してみたら、ほとんど内容を覚えていなかったことだ。僕は既に思い出をなくしてい たのだ。
などと、感傷にひたっている場合ではない。作業を続けよう。

2000年12月3日日曜日

2000年12月3日(日)

先日、CS放送で原一男監督の映画「全身小説家」を観た。小説家井上光晴の癌に 冒された晩年を追ったドキュメンタリー映画である。
学生時代に「ゆきゆきて神軍」という映画を観て以来、この監督の存在はずっと 気になっていた。
165 分、観終わったらどっと疲れたけれど、長い余韻が残った。

井上が自分の人生さえもフィクションで仕立て上げようとしていたことを、映画 は、彼自身の発言や行動、様々な証言から明らかにしてゆく。嘘つき少年だった井 上にとって小説家は天職だったようだ。井上は自分の過去をねつぞうすることによ って、過去からも自由になった。
映像が井上の真実に迫ろうとすれば、するほどに僕のなかで彼に対する幻想がふ くらんでゆくような気がした。作品のなかでフィクションとノンフィクションがせめぎ合い、強いリアリティーを生み出す様は、僕が理想とするプロレスの形をみて いるようで面白かった。
井上の、自由とは人に期待しないことだ、という言葉が頭から離れない。
映画の余韻がさめきらない2日後に、監督の原一男が今度はNHKの番組に登場し た。多発する10代の犯罪を受けて、原一男、ジャーナリストの江川招子、作家の 重松?がスタジオで現役高校生達と討論する4時間番組で、本質に迫れないもどか しさを感じながらも、最後までみてしまった。
大人の側は今の10代の若者を自分達とは別の生き物のように語ることがあるけれ ど、本当にそうなのだろうか。10代を理解し難いというのは、実は自分自身を理解 していないということではないだろうか。番組を観ながら、そんなことを考えた。
皆の心に潜む「暴力性」を議題に乗せたのは原一男だった。
僕はすべての人間の中に暴力性が存在すると思う。例えばセックスという行為には 常に暴力性が含まれているんじゃないだろうか。けれど、相手との深いつながりによ って、それが癒しに昇華されたりするのだと思う。大切なのは自分の持っている暴力 性と、どう向き合い、付き合ってゆくかだと思う。
討論に参加した多くの若者が殺したい、死にたいという感情を抱くことがあると語 っていた。今の多くの10代は、そういう感情を無意識下におさめることが出来ない 状況に置かれているのだと思う。
多くの人達が自分の中の暴力性を持て余している。けれど、その存在を否定すべき ではない。
話を奇麗事におさめず、自分の内面をさらして、10代とのコミュニケーションを はかろうとしていた原一男に、僕は好感を持った。

2000年11月29日水曜日

2000年11月29日(水)

BBSをのぞいてみたら、僕のデビュー10年を祝ってくれる書き込みが多数。 この場をかりて、ありがとうございます。
一人じゃ、やってこれなかった。これから もよろしく。  明日も、書き込む予定。

2000年11月7日火曜日

2000年11月7日(火)

ツアー日誌の続きです。

10/20(金)ピアノマン.ナイトatチキンジョージ  (出演)リクオ、キョン、西本明、ツンタ よく寝たので体調がかなり戻る。 今日もツンタと移動。彼はピアノマン.ナイト初参加。 このイヴェントのツアーは、もう3回目になるのでマンネリと馴れ合いを警戒してリハ ーサルから緊張感を持ってのぞむように心掛ける。初日ということもあり少しナーバス になった。 生憎の雨。客足も今一つ伸びなかった。 比較的、おとなしい、上品な客層だった。 ど田舎でのライブだと、お客さんがハングリーな状態で、とにかく楽しんでやろうとい う意気込みが強い。開演前に出来上がっていることも多くて、ライブが盛り上がる確率 が高い。 都会のお客さんは回りの反応をうかがいながら、観ている感じ。 人のライブを観に行っても、時々、自分だけ乗っていて、浮いていたりする。 逆に盛り上がりについて行けないライブもあるけれど、そういう時は、あらかじめ、 客の間で、コンセンサスがとれていて、皆、安心して盛り上がってる場合が多い。 この日のステージは、少し、パフォーマンスに気をとられ過ぎた気がする。

10/21(土)ピアノマン.ナイトat京都 磔磔 京都まで一人で移動。 チェックアウトしてから時間があったので神戸をぶらついた。本屋で立ち読みしたり、 茶店でぼんやりしたりして過ごす。 この日は、席がぎっしりとつまって、立ち見がでた。ありがたい。 キョンさんのお母さんが観に来ていた。気さくで、明るい方だった。 母親の前で演奏なんて、自分なら動揺してしまうけれど、この日のキョンさんはリラッ クスしていて調子が良さそうだった。 自分も昨日より調子が良かった。MCはツンタ.ネタで引っぱる。 後でツンタから「ステージで自分のことをチンピラだと言いすぎる」と、抗議される。 地元ということで、旧友が何人も遊びに来てくれた。嬉しいものだ。

10/22(日)ピアノマン.ナイトat名古屋 得三 リハーサル前に西本さん、ツンタとお茶する。 そんなつもりはなかったのに、話の流れで、ツアー中に考えていたことなどを、えらく熱 く語ってしまう。でも、それで3人の気持ちが少し盛り上がったかもしれない。 この日のライブは、出だしのキョンさん、西本さんとのセッションで、客をつかめたので、 ツンタにうまくつなげられた。彼もこのツアーで一番納得のいく演奏ができたようだ。 このイヴェントを仕切っているトミーが、ライブ中に楽屋に入ってきて「ツンタが弾けた」 と、嬉しそうに言っていたのが印象に残った。 この日は意識的にパフォーマンスを押さえて、歌に集中するよう心掛けた。声が良く出た。 イヴェントとして、この日のライブが3日間で一番良かったと思う。 ライブが終わって、ほっとした。

10/23(月)岐阜県関市 高橋商店リクオ.ソロ 思いっきり、疲れが出た。移動の時から体がだるくて仕方がない。 ちゃんとライブができるのか、不安になる。 リハーサルが終わったら、開演40分前まで、寝る。体はまだ重いけれど、気合いを入れ て本番にのぞむ。畳に 用意された40席ほどが埋って、いい雰囲気が出来上がっていた。 高橋商店はリクオ.ファンの高橋夫妻が一年前にオープンさせた居酒屋で、開店まえから 頼まれていて、やっと実現したライブだった。 この日は夫妻のあらかじめのリクエストにこたえて「僕は知っている」を歌う。10年 ぐらい前に作った曲で、何年振りか思い出せないくらい、久し振りに歌った。 懐かしさと、新鮮さと、照れの混じった、妙な気分になった。 こういうラヴ.ソングはもう、書けないかもしれない。 2回のアンコールにこたえて、なんとかライブを終える。 そうそう、この日演った「マウンテン.バイク」の、「ヒュー」というかけ声のところで 調子の良い一部のお客さんが自発的に腰をあげてバンザイしたら、皆、真似し始めて全員 でバンザイしていたのが笑えた。

2000年11月4日土曜日

2000年11月4日(土)

では、10月のツアー日誌です。
10/18(水)リクオソロat広島 OTIS 2週間程前に同じピアノ弾き語りをやるツンタから連絡があり、18、19はツアー のオフ日で近くに来ているから飛び入りで歌わせてくれとのこと。店の了承をとって OKする。 オープニングで4、5曲歌ってもらって、バトンタッチ。 ここでのライヴは毎回、マスターの期待感をひしひしと感じる。とてもありがたい けれど、同時に、ヘタなライヴをやればもう呼んでもらえないような緊張感も感じ る。 この日は新曲を数曲試してみたけれど、もう少し煮つめる必要を感じた。 ライヴ初日、色々と課題が残った。 演奏がレッドゾーンを超える瞬間がもっと、あってもいい。 九州からツアーを始めて前日は岡山でライブをやっていたというツンタは慣れない旅 に悪戦苦闘してきたようだ。少し消耗している様子。
夜はかなり冷えたのに、ホテルの暖房が効かず、寒かった。
10/19(木)倉敷 音楽舘 時間があるので在来線で移動。 広島駅前の信号が故障して、プラットホームで、40分程、待たされる。 これで体が冷えた上に、乗った電車の冷たい隙間風にも悩まされる。倉敷についたあたりで調子が悪くなり、鼻風邪状態。 楽屋でツンタとお互いの服装をチェック。どっちもチンピラ風。チンピラ度では自分 の方が上だとツンタが主張。そうかもしれない。 ツンタの演奏は今日の方が緊張がほぐれていて良かった。 自分のステージの流れは昨日よりはよかったけれど、ライブの後半から鼻がつまりだ し、アンコールのラスト曲、ケサラのエンディングでついに水鼻が唇のあたりまで 垂れてしまう。前方のお客には絶対にばれたな。この日は一滴もお酒を飲まずにおとなしくホテルへ戻って、とっとと寝た。
続きは次回だ!

2000年11月2日木曜日

2000年11月2日(木)

久し振りの登場。
ここ数日、部屋にひきこもってる。 テレビ観て、楽器いじって、パソコンやって、朝の10時に寝て、夕方4時に起きて、 なかなか楽しい毎日。
では10月の暮らし振りを振り返ります。

10/7(土)夕方からヘルツのマネージャーの哲ちゃんと、近所のフアミレスで打 ち合わせ。彼は話がうまい。ちと、その気にさせられました。 その後、下高井戸にあるN氏の自宅スタジオを訪問。哲ちゃんがヘルツの楽曲、"LIFE" のリミックス作業をそこで行っているのだ。いい感じで作業は進んでいる。かなり踊れ る。完成が楽しみ。
10/8(日)下北沢ラ.カーニヤへヴァイオリン奏者、HONZIのライブを観にいく。 サポートに学君(もちろんヘルツのドラマー)、トモフスキーこと大木君(主にパーカ ッション)、たまの知久君(主にギター)、パスカルズの斎藤君(キーボード)という とても興味深いメンバーが揃う。皆、歌心があってセンスもよく、音の楽しみ方を心得 ている。それぞれの奏でるサウンドが、目に見えるかのように、空間の中で、交差しあ ったり、溶け合ったりしながら響いていた。大正解の人選だったと思う。 HONZIも独自の世界観をのびのびと表現していた。 ラ.カーニヤを出た後、すぐ近くのライブ.スポット、CLUB QUEで催されていたUKプロジ ェクト(リクオとヘルツのCDはここから出てます)社長、淳さんの50才を祝うパーテ ィーに遅れて参加。有山さん、石田さん、裕さん、逸郎さんといった濃い先輩方が勢揃 い。多いに盛り上がっていた。 適当なところでパーティーを抜け出して、HONZIチームと合流。なぜかハシケンもやって くる。知久君と飲むのは本当に久し振り。話がはずんで気持ちの良いお酒が飲めた。 彼から口琴をゆずってもらう約束をする。 下北の夜を満喫。
10/9(月)夕方まで死人。新宿で行われていた鈴木祥子ちゃんのインストアライブ をすっぽかしてしまった。 夕方からテレビで、名高のボクシング世界タイトルマッチを観て、その後7時からは K-1グランプリを、夜中にはワールドプロレスリングで川田VS健介の試合を観戦。 川田VS健介は好勝負ではあったけれど、対抗戦ならではのまさつ熱や、新しい価値観 が生まれる可能性は、感じられなかった。  夜中からパソコンで執筆を始めて、調子に乗り、昼過ぎまで続ける。
10/10(火)夜に7時頃起きる。食事の後、ジムに入ってスカッシュと水泳。 また親知らずが暴れ出した。
10/11(水)天気が良いので、善福寺川沿いを散歩。 この川沿いは野良猫がたくさん生息している。散歩する人達からもらう餌が豊富なのだ ろう。やたらと人間慣れしていて、毛並み、体格もよく、皆のんびりとしている。 曲が出来た。
10/12(木)新宿の某ファミレスにヘルツのメンバーとマネージャーが集合。 今後の活動についての打ち合わせ。復活に向けて、年内にはリハーサルに入る予定。 HMVでラテンものと2ステップもののコンピを買って帰る。
10/13(金)部屋で毎日、音楽を聴いていて、楽しい。 最近の一番の当たりはダン・ヒックスの新譜。粋やね。 ピアノマンナイトのためにインスト曲を書き下ろす。
10/14(土)トイストーリー2のビデオとDVDの発売告知のCMナレーションをやる。 おもっきりテンションをあげてしゃべるように監督さんから支持される。 結構、乗れてやれて楽しかった。
10/15(日)夕方から某氏とスタジオ入り。
10/16(月)昼過ぎから歯医者。歯石を削り取ってもらう。歯茎の奥を削られて 痛かった。 夕方から某氏とスタジオ入りして、曲作り。
10/17(火)ピアノマンナイトツアーに向けて、キョンさん西本さんとリハー サル。インストも含めた新曲を3曲持っていく。 次回はツアー日記。

2000年10月6日金曜日

2000年10月6日(金)

前回の続きです。

9/30(土)前日のハシケン.ライブの帰りの電車の中で曲作りを始める。最近、外出 中によく曲が思い浮かぶ。部屋へ戻って早朝までかけて一曲完成させる。あるシンガー に提供する予定。 この日は渋谷エッグマンでカルメン.マキさんのライブをサポート。 日中は雨。また雨男だと皆から言われる。 けれど本番前にはちゃんと雨は上がりました。 ゲストがやなちゃん(柳原陽一郎)。ライブの後、下北沢に移動。やなちゃんと久し振 りに飲む。そのお店でソロとヘルツのライブでお世話になってるエンジニアの佐藤恭一 っつぁんにばったり。同じテーブルで楽しい酒。

10/1(日)昼間に衛生でロベルト・ペニーニ主演、監督の"Life is bieutiful"とい うイタリア映画を観る。夜は手塚監督、浅野忠信主演の「白痴」を観る。 午前0時を過ぎてから近くの練習スタジオへ。

10/2(月)一日中雨。 久し振りに仕事部屋の本格的な掃除に取りかかる。 一日では片付けられない。

10/3(火)西荻窪ターニングでのライブイヴェントに弾き語りで参加。 共演はバンバンバザール、ブラック.ボトム.ブラス.バンド、800ランプ。 皆、顔見知りで、3組とも好きなバンド。 スタンディングでお客もよく入り、いい感じで盛り上がっていた。 自分のステージには少し不満が残った。中音が悪くて音程が取りずらく、集中しきれな い部分があった。 「ミラクルマン」と「パラダイス」の2曲でバンバンバザールに参加してもらう。 バンバンはアマチュア臭さが減少して演奏に風格が出てきた。 ターニングのブッキング.マネージャーの太田さやちゃんは、前に僕が所属していた 事務所で働いていたことがあり、このイヴェントを機会に約8年振りに再会。 右も左もわからずおどおどしていた20の女の子が現場を仕切るようになっていた。

久し振りに西荻窪に来たので開演前に街をぶらついた。 相変わらず強い磁場を感じさせる町だ。中央線上の他の町にも共通 するけれど、下町 の風情が残っていて自分を飾る必要が少なく、それでいてサブカルチャーの匂いがす る。自分がいつくと、きっと心地よいところだと思う。 けれど一方で僕のなかには脱中央線志向もあって、この磁場との距離の取り方は微妙 だ。
例えば下北沢に対しても似たような感情が自分の中にある。2日続けて下北で飲んだ りすると、次の日からしばらくは下北からは遠ざかろう、と考えたりする。 街の空気に自分が甘えてしまいそうな気がするのだ。 西荻窪もきっと僕を甘えさせてくれる町なのだろう。

2000年10月4日水曜日

2000年10月4日(水)

このコーナー、ちとサボり癖がついてしまいました。
久し振りの登場なので、ここ最近の私の生活を簡単に紹介しましょう。

9/23(月)ホームページにも告知してなかったけれど、南青山のオージャスという ラウンジ風クラブでギタリストの窪田晴男さんが主催する東京フォルクローレという深 夜イヴェントに弾き語りで参加。他には金子マリさん、ガーデンの2人が出演。 このお店はヘルツのマネージャー、テツちゃんとの出会いの場所でもある(彼がこのお 店のブッキングを手伝っていたときに同じくこのお店で働いていたクラムボムのネモ君 から紹介されたのだ)。六本木通り沿いにあるスタンディングキャパが100人程の小さなスポットで、小洒落 た大人の遊び場という雰囲気。このイヴェントにはよく誘われるのだが(大抵本番2週間程前にお声がかかる)、飲み食いただがギャラ代わりということもあっ て半分、夜遊びに行く気分で参加している。飲みながらプレイするのはこのイヴェントぐらい。案外いいライブになることが多いのは僕も客もリラックスしてい るからだろう。この日は「ハードボイルド」という新曲を歌ってみた。70年代歌謡ロックサウンド(「傷だらけの天使」のテーマ曲とかジュリーの「危険な 関係」を彷彿とさせるアレンジ)をバックに男樹ある歌詞をパフィーが歌うというイメ ージで、気楽につくった曲。この曲で金子マリさんのサポートをしているギタリストの森園さんに急遽ぶっつけでギ ターを弾いてもらった。これがバッチリ。お客さんにはコーラスで参加してもらう。 友達の部屋でセッションしてるみたい楽しかった。 この曲、果たして再演の機会はあるか? ハシケン、バードシロップのヨーコちゃん、コーザノストラの鈴木桃子ちゃん、同じくコーザの桜井さん、サエキケンゾーさん、といった人達が遊びに来てい た。桃子ちゃん が飛び入りして、いっしょに3曲程セッションした。 酔いと疲れでフラフラになりながら愛車ハーレーダビッドソン(ちゃりんこ)で40分 かけて朝方帰宅。 次回はタクシーで帰ろう。
9/26(火)夕方5時までカルメンマキさんのリハーサル。 夜は下北沢のQUEにライブイヴェントを観にいく。出演は朝日美穂さん、トモフスキー、ニーノトリカ、篠原りかさん。一番目の篠原さんのステージは遅刻して観れなかったけれど、他の3組のステージ はどれも面白かった。 ドラム入りのバンドをバックに歌う朝日さんを始めて観た。空間を生かした音作りは刺激になった。この人のライブは観る度に良くなっていきそうな予感がする。ライブ初体験のトモフスキーはかなりの衝撃。 携帯できそうなポータブルキーボードでの独り弾き語り。 視点がユニークでユーモラスな詞も、変に劇的なアレンジも、メロディーも、声も、どれも印象に残った。パーソナリティーが全面 に出る音楽性は最近の男性ヴォーカリストの中では減少しつつ あるタイプだと思う。ユーモアやウィットが効いているので押し付けがましさはなくポ ップ。 表現にはどこか無防備な部分が残っていて、弱さやもろさも時々かいま見える。でも それがチャーミングに感じられる。 ライブを観ていて、こういう人のことをフォークシンガーと呼んだらいいんじゃない かと思ったけれど本人は嫌かも。とにかく良かった。 この日のトリをつとめたニーノトリカも初体験。 オカマ風キャラクターで歌うヴォーカリストを、どこかで観たなあと思っていたら 途中で元ハミングスのツゴモリ君であることに気付いた。8年振りの再会。濃い化粧 とあまりにも変化したステージでのキャラクターのために最初は気付かなかったけれ どメランコリックで美しい歌世界は健在だった。 バンドのキャバレーミュージック的ないかがわしさと哀愁を含んだサウンドは彼の歌 世界とうまくマッチしていた。淀川長治の影響を感じさせるしゃべりも爆笑物だった。 VOのツゴモリ君、キィーボードの上田君(彼も元ハミングス)、ヴァイオリンのHONZI の3人は大阪のアマチュア時代からの同世代の知り合い。ステージで弾けている彼等 の姿に感じるものがあった。 帰りは下北の行き着けの飲み屋に寄って帰る。

9/27(水)午後0時からスカッシュで汗を流す。いや~スカッシュって面白い。 帰りにCDショップでCDシングルを買い漁る。 松田聖子の「悲しみのボート」、パフィーの「マザー」をそれぞれ50円でゲット。 得した気分。200円で買ったサニーデイサービスの「夜のメロディー」も良かった。
夕方6時に横浜桜木町で横浜に住む友部正人夫妻と待ち合わせ。 待ち合わせの間に詞とメロディーを思いついたので携帯に録音しておいた。 友部さんとは以前、暇になったら横浜に遊びに行く約束をしていて、やっと実現。まずは寿司を食いに連れて行ってもらう。安くて旨かった。その後、港未来界 隈を散歩して、今度は反町にある友部さん行き着けの飲み屋に連れ て行ってもらう。話もはずみ楽しい一時だった。
9/28(木)昼過ぎに起きて昼食をとったらすぐに昨日携帯に録音しておいた詞と メロディーを聴いて曲作りをはじめる。 夕方には取り合えず完成。 ここ最近、あまり凝らずに楽しみながらぽんぽんと曲をつくっている。
9/29(金)午後3時に表参道で出版会社ブロンズ者のOさんと打ち合わせ。 ピアニストの谷川賢作さんの責任編集で来年、12人のピアニストたちによる20世紀 のピアノ作品の名盤を紹介する本を出版する企画があって、その12人の一人として僕も執筆に参加するのだ。その初打ち合わせ。 Oさんは気さくで感じの良い女性だった。 執筆には僕以外には山下洋輔さん、矢野顕子さん、高橋悠治さんといった錚々たる方々 が参加予定。 出来上がりが楽しみ。 夜は吉祥寺のスターパインズカフェにハシケンのワンマンライブを観にいく。 ハシケンの歌をじっくり堪能。ゲストのソウルフラワーユニオンの川村君が参加。2年振りに再会。彼の歌を始めて聴いた。とても素直な歌だった。 この続きはまた明日以降。

2000年9月28日木曜日

2000年9月18日(月)

東北ツアーから帰宅。
これでツアーは一段落。今年の夏が終わった感じ。 年内はこれ以上ライブを増やす予定もなく、しばらくはスケジュールに余裕を持たせる つもり。 なんだか少し前のことが随分と前のことのように思えて、大切な記憶も失ってしまいそ うな気がする。 振り返ったり、立ち止まったり、ぼんやりする時間が少し必要かもしれない。
先月末から9日まで続いたソロツアーの間に体調を崩した。 まず移動日の5日に発熱して大阪の友人宅で一日寝込んだ。翌日にはなんとか熱が下が り京都たくたくにおける友部正人さんのライブのゲストを無事努めた。 ところが今度は9日の早朝、甲府でライブを主催してくれた坂田さんの客人用別 宅に泊 めてもらっている時に左側の背中から腹部にかけて激痛が走りはじめた。これが痛いの なんのって。 それまでも違和感を持ち続けていた場所が痛み出したので、ついにぎっくり腰になって しまったとその瞬間は思った。救急車を呼ぶことも考えたのだけれど迷惑がかかるのでしばらくは脂汗をかき唸りなが ら耐え続けた。こんな余裕のない状態で思いは色々と巡った。後でその切羽詰まった時の思いを振り返ってみると結構興味深く思えた。激痛の最中に今度は我慢 できない程の尿意を催し、這うようにしてトイレに行き、その 後に激しく吐いた。それからまた激痛のなか、しゃがみこんでベットに寄り掛かり、布団に顔をうずめなが ら「痛ない、痛ない」と念仏のように唱え続けた。すると数10分後、本当に痛みがす~っと退いてしまった。さっきまでの激痛が嘘のようだった。奇跡的だと 思った。ありがたかった。一瞬でも敬虔な気分になっていたかもしれない。けれどその直後に生じた感情は疑念と不安だった。ぎっくり腰の痛みがこんなにすぐ に退いてしまうなんておかしい。これは内臓に原因 があり、もしかしたらこの激痛はプロローグに過ぎないのではないか?と考えたのだ。そういうわけで痛みが退いた後も不安を抱えながらツアーを続けることに なったのだが 痛みは再発せず、スケジュールを飛ばすことなくどうにかツアーを終えることができ た。
東京に戻ってからも数日は忙しくて病院に行く暇がなかった。 自分がオーガナイズするイヴェントである東京ミュージックサロン2DAYSを終えた14日にやっと病院で診察してもらうことが出来た。僕の予想は一部、当 たっていた。激痛の原因はやはり内臓にあった。病名は腎臓結石。しかしもうあまり心配することはないとのこと。激痛の最中、トイレに行った際に、僕を苦し めていたカルシウムの石は尿道を通 って トイレに流されたそうだ。 どうやら一見落着。 栄養のバランスのとれた食事を心掛け、カルシウムのとり過ぎに注意するよう言われた。 自分はカルシウム不足だと思い込んでいたので、よく煮干しを買って食べたりしていた のだが逆効果だったようだ。 少し体に無理をさせたようなので、これを機にしばらくゆっくりさせてやろうと思う。
たくさんの誕生日のメッセージをありがとう。 昨日の山形フランクロイドライトでのライブではアンコールのステージで共演者のマリ さん、奥沢さん、飛び入りゲストの桑名晴子姉さん、スタッフのトミー、ミキちゃん お店の方々、そしてお客さんが僕の誕生日を祝ってくれました。 ゆうほさん&のりこさん、バースデイケーキありがとう。フルーツふんだん、適度な甘さでおいしゅうございました。日本酒も美味でした。 感謝。

2000年8月30日水曜日

2000年8月30日(水)

久し振りの書き込み。

今日はゆずのレコーディングでアコーディオンを弾く。 曲を2度、聴かせてもらってコード譜を見ながら構成をチェックしたらすぐに 録音に入る。 曲は3拍子。まっすぐで感傷的なメッセージソング。 2テイクでOKがでる。 スタジオ入りして1時間も経っていない。 すぐに帰るのも素っ気なく思い少しプロデューサーの寺岡呼人氏と会話を試みるも、まだ作業が色々と残っている様子なので少しコミニュケートしてそそくさと 帰る。ゆずの2人はラジオに生出演していて会えなかった。
3日前にはヘルツの3人で「みなお」という福岡在住の男女デュオグループの レコーディングに2曲参加。2人ともまだ20を過ぎたばかりの若さ。 こっちの方は捻りを利かせた偏執狂的アコースティックナンバー。 ギターのみつお君はフランクザッパのファンだそう。 どちらかと言えば直情的なゆずの表現とは対照的。
最近よく聴くCD。
ジム・オルーク/ユリイカ(シカゴ音響派の重要人物)
エッソ・トリニダード.スティール・バンド/エッソ・トリニダード・スティール・バンド(ヴァン・ダイク・パークスがプロデュース) LENINE&SUZANO/OLHO DE PEIXE (現代ブラジルを代表する先鋭ミュージシャン 2人のコラポレート)
ヴアン・ダイク・パークス/ソング・サイクル
アストロ・エイジ・スティール.オーケストラ(ヤン富田)/ HAPPY LIVING タンバ・トリオ
マシュ・ケ・ナーダ(ジャズ・ボサピアノ・トリオ)

2000年8月9日水曜日

2000年8月9日(水)

カルメンマキさんのツアーからの帰り、中央線の車中。 先日からなんとなく思い 浮かんでいた詞の断片に対して気付いたらメロディーをつけて口ずさんでいた。その後、頭の中で何度もそのフレーズを繰り返していたのだけれど、ふとまた別 のこと に気をとられていた一分ほどの間にそのメロディーは消えてしまった。 きっとまた思い出すだろうと思って部屋に戻ったのだが、だめだった。
そういえば高校生の頃、よく授業中にいろんなメロディーを心の中で口づさんでいた ことを思い出した。かすかにつぶやいているのがばれないように、机に顔を伏せて寝 た振りをしたりしていた。それが自分にとってはその場から抜け出す最良の方法だった。 そのときには思い浮かんだメロディーを残すなんてことは考えていなかった。 その詞の断片には別のメロディーをつけて、曲作りの最中。 例年、夏はあまり曲ができないのだが最近なぜか曲づくりモード。 新生ヘルツ用の曲のアイデアも既にいくつかあるので早く3人で試してみたい。
ヨガ教室に行ってきた。 気持ちがよい。 ヨガは健康にも音楽にもいろんな方面 で役に立つ。最近は寝る前と起き掛けにヨガの体操をやっている。大切なのは緊張と弛緩のリズムとバランス。

2000年8月3日木曜日

2000年8月3日(木)

先日、かってお世話になっていた業界関係者某氏と久し振りに再会、色々と話をする。
某氏の雄弁さは相変わらずで、時には閉口しながら彼の話を聞いていた過去を思い出し た。けれどこの日の某氏の話にはかってない新鮮味が感じられた。 僕に対する意見やアドバイスの中にはすぐには受け入れられないようなものもあった けれど、一方でそれらはとても大胆で、自分では思いつかない発想だった。強気の某氏が話の中で自らの挫折を口にする場面 があった。その挫折が彼に変化をもたらしたのだろう。 世間と闘う前に、自分自身と闘う。この数年間で某氏ははそういう日々を重ねてきたよ うに思えた。
最近、このような再会の機会が増えつつある。そういう年代に入ったのだろう。嬉しい再会もあれば、寂しい再会もある。この日の再会は嬉しい部類に入る。

2000年7月27日木曜日

2000年7月17日(月)

昨夜の南青山CAYでのライブで東名京阪リクオソロ、リリースツアー無事終了。
得る物の多いツアーだった。 松永さんと学君にはまたソロツアーに参加してもらいたい。 ゲストの真城さんともまたぜひ、共演したい。昨夜は知り合いも結構遊びに来てくれて嬉しかった。朝日美穂さんはお母さんといっしよに観に来てくれた。朝日 さんのお母さんにはCDまで 買っていただいたのでサインをさせてもらった。鈴木祥子さんも観に来てくれたのでライブの後、朝日さんを紹介すると「知って います、ファンなんですよ。」と言って、その場で朝日さんの曲を口ずさみだした。とてもオープンな祥子さんと、恥ずかしそうな朝日さんの2ショット、面 白かった。 かってはフィッシュマンズで活躍、UAやチャラなど、さまざまなセッションをこなす ヴァィオリン奏者のHONZIも久し振りに顔を見せてくれた。彼女とはお互いが学生の 頃からの付き合いで、デビュー前から随分と長くサポートをやってもらった。現在、日本で最も注目を集めるエンジニアの一人、ZAKのプロデュースでソロア ルバム を1枚出していて、近々2枚目のアルバムも出るそう。とてもユニークな感性の持ち主。大阪弁丸だしのしゃべりは相変わらず。久し振りに話していて、時々出 てしまう僕の標準語に対して彼女から厳しいチェックを入れられた。
東京に住居を移して4年。気付か ない内に言葉遣いも変わってきてるんやな。この日の打ち上げは、遅くまでよく飲んだ。
で、今日は疲れと軽い二日酔い、そして暑さのせいもあり一日何も出来ずグッタリ。でも今から明日のヘルツのリハーサルの準備にとりかかるつもり。最近のリハではドラムの学君がキーボードを弾いて歌っていたり、ベースの寺さんが ドラムを叩いたりしている。明日はエンジニアの佐藤恭一っさんもリハに参加予定。 次のライブ、どうなるのか自分達にもまだよくわからないけれどリハーサルは楽しい。

2000年7月25日火曜日

2000年7月24日(月)

東名京阪ソロツアーで雨男疑惑を晴らしたはずが北海道ツアーでまたもや疑惑が浮上。道内ツアーの4日間は小雨もぱらつく生憎の曇り空が続いた。戻り日にはついに本格的 な雨がふりだした。多分、僕が道内にいなければもっとひどい雨降りが続いたことだろう。
今日は予想外に曲が一つ出来上がって日中は上機嫌。官能的は曲だと 自分では思っているのだが。夕方に嫌なことに気付いて、少し落ち込む。気分を変えるために近くの古本屋へ行ってマンガを買う。晩飯の後、しばらくテレビを 観ながら画面 に向かって突っ込みを入れる。そろそろ明日の準備をせねばと鍵盤にむかうも、いろんなことが思い浮 かんで集中できず、気分転換の為、パソコンに向かう。ハシケンがこのサイトに書き込みをしてる。何度かジョイントさせてもらったけれど、いつ聴いても彼の 演奏は良い。その場を越えて天にまで響渡りわたりそうな力強く伸びやかな声は一聴 の価値あり。彼が宣伝している大阪のライブもきっといいライブになるよ。
さあ気分はヘルツモード。

2000年7月21日金曜日

2000年7月31日(月)

ヘルツ東名阪ツアーから帰宅。
ミニマル、トランスの要素の強まった今回のライブは、演奏している自分が時間の流れを忘れるぐらいにはまってしまう瞬間が多々あった。 気持ちが良すぎて、いつまでも歌入りやエンディングの合図を出さずに僕がトランスし ているのでメンバーが少し戸惑うようなところもあったようだ。 音楽的には相当の成果 を今回のツアーで上げることが出来たと思う。 お客さんの反応も思いのほか良くて一安心。
今日は東京への移動前の午前中に、色々とお世話になっている大阪の友人K氏宅へ学君、寺さん、そしてマネージャーの哲ちゃんといっしよにお邪魔して、バリ島の伝統音楽、 ジュゴグとガムランの現地での生演奏のヴィデオを観せてもらう。これがまさにミニマルミュージック。みんな食い入るように観ていた。
K氏宅のリヴィングにはジュゴグの演奏で使われる木管楽器が2種類置かれていて、さっ そくK氏と学君のセッションが始まった。これが結構いい感じ。バリのジュゴグではピッチとサイズの違う何種類もの木管が数10人によって一斉に打 ち鳴らされるのだ。そんなものを野外の自然の中で体験できたら最高に気持ちがいいだ ろう。
帰りの高速の車中ではブラジルのパーカッション集団、バトゥカーダのCDを聴いて盛り 上がる。意味ばかり求めてこんがらがるのがばかばかしく思えた。

2000年7月20日木曜日

2000年7月10日(月)

大阪から大渋滞に巻き込まれ、早朝、4時過ぎに帰宅。 さすがに疲れた。 帰りの車中で聴いていたCDは、スノウボーイの新譜、ソニックユースの新譜、2ステッ プ物のコンピ、クレイジーケンバンドの新譜といったところ。
長時間の移動でこれだけの枚数だと何度も同じCDを聴くことになり、飽きてしまった。基本的にオンエアー権は運転手にある。運転中の学君がソニックユースのアルバムをフ ルで2回続けてオンエアーした時は正直、きつかった。嫌いなわけではないのだが、あ のダークでヘヴィーな音世界が逃げ場なく2時間以上続くと、つらい。寺さんとテッち ゃんは大丈夫だったのだろうか。
今回の名京阪ソロツアー、それぞれとても新鮮な気持ちで演奏することが出来た。特に大阪バナナホールでのライブが印象深い。演奏への集中力がいつも以上に高まり、 インスピレーションが多いに湧いた。 ベースの松永さんは平然とした表情を崩すことなくアグレッシブに2人のプレイに 反応してくる。 学君は今回、アコーステック編成ということもあり、スティックにブラシを多用。 ヘルツとはまた違ったフリーキーなプレイを聴かせてせくれた。2人の演奏が自分の歌と演奏に予想以上の刺激を与えてくれた。16日の青山CAYでのライブも楽しみ。
今回のツアーで一つ証明出来たことがある。それは自分が雨男ではないということ。梅雨空け前で台風が接近中という最悪の条件のなかで、見事に雨を蹴散らしたのだか ら文句はないでしょう。俺が思うに雨男は寺さんではなかろうか。

2000年7月3日月曜日

2000年7月3日(月)

忙がしい。 いろんな体験の余韻を味わう余裕がない。一週間前の出来事が随分前のことのように思える。考えも気持ちもどんどん変わって行く。こんなときに大切なことを見過ごしたり、忘れてしまったりするんだろうな。
とか言いながらぼんやりテレビを観ていたりもする。
テレビが好きだ。 ワイドショーをよく観る。司会やコメンテイターの発言にいちいち腹を立てたりしている。歌番組も時々観る。この前のヒッキー、声の調子悪そうやったな。ダ ウンタウンもよく観る。松ちゃん主役のドラマ「伝説の教師」、何回か観た。「人間には生まれてきた意味なんかない。」「人間は笑うために生きてんにゃ。」 松ちゃん、なんやかっこええこと言うてた。でも「笑いの時間」ではちと「テレビジョッキー」のたけし化しているような。「やっぱりさんま大先生」はときど き録画してる。最近、よしきのつっこみがさえてきた。 「思いっきりテレビ」結構役に立つことやってる。アメリカンプロレス「ロウ・イズ・ウォー」、凝りに凝ったシナリオ、キャラクター になりきる選手、ここまで開き直ってエンターテイメントに徹したら凄い。
俺にテレビタレント批評やらせたら結構面白いかも。でもナンシー関には負けるな。

2000年6月30日金曜日

2000年6月30日(金)

ツアーから戻ったその日から2日間、ヘルツのリハーサルをやってQUEでのライブにのぞ む。
限られた時間内でヘルツが次の段階へむかうきっかけをつかむことができるのかどうかという不安、緊張、期待のため、リハーサルはいつもよりも張り詰めた空 気の中で始まっ た。学君が持ってきた変拍子の新曲が面白い。学君はドラムを離れて、なんとギターにトラ イ。それではと寺さんはベースを離れてドラムにチャレンジ。本番ではどうなったかと言うと、寺さんはやっぱりベースを弾いてました。学君は生涯初、ステー ジでギターを披露。僕はシンセのフィルターをいじくりまくって効果 音、ノイズにトライ。
ライブは全体に、よりループ感、ミニマル感が増して、やってる側もいつも以上に トランス状態。エンジニアの佐藤氏のダブ効果もより必然性を増した。
このまま曲を終わらせずにずっと続けていたい気分になった。
ヘルツは音の快楽に向かってさらに加速度がついてきた。どうなってしまうのだろう。
明日からリクオ東名京阪ツアー用のリハーサル。 新曲にもトライする予定。

2000年6月18日日曜日

2000年6月18日(日)

昨日、北海道ツアーから戻る。
6月の北海道はよい。プライベートでゆっくりと来たくなった。温泉につかって、水族館に行って、海をながめて、美味しいものを食べて、よく 飲んで、よく歌った。 北海道のお客さんは来る度に気さくになってくる感じ。もう少しクールにやるつもりだったのに、随分調子に乗せられてしまった。
ただ、栗山のお客は少し手がかかった。 酒歌楽というスナックを借りてのライブで、いつもより平均年齢が高めの客層。それは多分、あまり興味もなく頼まれてチケットを買ったお店の常連さんによる ところが大きい。そのおじさん、おばさん達がちとやっかいだった。アップテンポの曲では手拍子などして喜んで乗ってくれるのだが、聴かせる曲に なると途端に集中力を欠き私語に走りがちなのだ。この人達を黙らせるのがこの日のライブの一つのテーマになった。熱くなり過ぎてはだめ。いらついてはだ め。あまり意識しすぎずにチャンスを待った。その時が来た。 僕は目の前のマイクをはずし肉声で歌いはじめた。ピアノは歌うのに最小限必要な音だけを弾く。あまり叫ぶ必要はない。むしろささやけばよい。空気が張り詰 め、皆が耳をそばだてはじめたのがわかった。両手はピアノを離れ、僕は手拍子をとりながらアカペラで歌い始めていた。ひろがる手拍子の中で歌は祈りになっ た。この日の「パラダイス」の演奏のことはきっと忘れないだろう。

2000年6月9日金曜日

2000年6月9日(金)

最近、酒の席で相当に激しい口論をやらかした。口論の最中、お相手から「リクオって 相当に嫌な奴だね。」との言葉を頂く。はっきり言って快感だった。これでひるむどころか、ますます調子に乗ってバトルしてしまった。皮肉ではなく、自分の 気持ちをここまで開放させてくれたお相手には感謝しな ければいけない。言葉で相手を傷つけておいていい気なものだが、その時は気持ちがよかった。
明日からツアー。こんな暮らしがいつまで続くのだろうと、ふと考える。こうやってパソコンの前にいると毎晩ステージで盛り上がる自分が不思議に思え る。最近は自動スイッチが入るようにライブ直前にぱっと気持ちが切り替わることが 多い。6月の北海道ははじめて。楽しみだ。

2000年6月5日月曜日

2000年6月5日(月)

昨日は千葉県鴨川の浜辺でのライブイヴェントにヘルツで出演。天候にも恵まれ気持ち良く演奏させてもらった。ステージ前方、上半身ビギニ姿で踊る女性と何度も目で会話。 野外のお客は開放的でよい。

リハーサルが午前中で終わったので本番まで随分と時間が空いていてしまい、メンバーそれぞれ勝手に時間をやり過ごす。僕は近くの防波堤の先で心地よい風に吹かれながら読書&昼寝。読んでいたのは岡本太郎「今日の芸術」。
先日のトウキョーミュージックサロンの打ち上げの席で、学君と鈴木祥子ちゃんが 岡本太郎の話で盛り上がっていたのが気になって購入した。 明晰な論理と強い意志を併せ持つ内容で、読んでいてかなり煽られる。
モダニズムからアバンギャルドヘ。ー時代のセンスをなぞってゆくのではなく。乗り越えて行くー
このテーマは今後のヘルツにとって、より重要になって行きそう。 まあ、あまり固く考え過ぎず、直感を頼りに手探りを続けよう。

2000年6月3日土曜日

2000年6月3日(土)

2000年6月3日(土)
船木選手に対する自分の言葉を読み返す。こんなファンがいたら大変だね。最後ぐらいやさしく「お疲れさま」と言ってあげ ればいいのに。

幸福と快楽の話の続き。そのときある女性は僕に「私の幸福はいつも一瞬よ」と言って渋沢龍彦の説を一蹴。彼女の幸福のつかまえ方にとても興味を持った。また別 の女性の言葉。 「リクオは観念的過ぎるのよ」 こういう話は前菜みたいなもんです。
ここから先はお相手を選びます。真夜中、器材搬出のためマネージャーテツが来る。搬出の後、夜風に吹かれながら気付いたら長話。これからのヘルツのことなど話す。同じようなことを考えていたことがわかって嬉しかった。
 

2000年5月30日火曜日

2000年5月30日(火)

この6日間、打ち合わせ、リハーサルと曲づくりの日々。不規則な生活。
部屋がちらかってる。資料がみつからない。やるべきことが多々。時々、整理が着かずこんがらがる。 嫌なニュースが多い。 自分の17歳も、もんもんとしてた。幼い万能感の反動。世界のすみっこの米粒。 安達哲の「さくらの唄」をおもいだす。自分にとって90年代最高のマンガの一つ。
先日、笹塚でツンタと2人で飲む。 同じピアノマン。彼としてはブルースマンという言葉の方が自分に馴染むそう。彼に貧乏臭くなるのはやめようと言ったらやたらと納得してた。
今月はいろんな人に会ってよく飲んだ。今度いつ会えるのだろう、これっきりになるのかもしれないなんて思うようになった。 いろんな人が死んで行く。 ジャンボ鶴田も亡くなった。死のイメージを感じさせない人だった。今のプロレス界でジャンボに近い要素を感じさせるのが先日、グレイシー柔実のホイ ラーグレイシーに完勝した桜庭和志。レスラーとしての自分のルーツを大切にしなが らも柔軟な思考で真剣勝負の中に遊び心を取り入れていれたニュータイプのレスラー。 決まった型を持たずに臨機応変にアドリブを利かした戦いで常に対戦相手と観客の 想像力を軽々と超えて行く。観客論と勝負論を両立させるその戦い振りはまさに格闘 芸術。学ぶところ多々。桜庭が勝った瞬間の東京ドームの熱狂は凄かった。会場からすぐ映像作家の村本さん にケイタイで電話。ドームの熱狂を完全生中継。村本さんとは最近、CMの仕事で知り合った。昔に何度か事務所を通 じて仕事に誘って もらっていたそうなのだが、当時かたくなだった僕はCM関係の仕事を何度も断わって いた。最近は大好き。お金になるから。そんなわけで村本さんと知り合う機会が遅れてしまったけれど、良い時期に出会えた のかも知れない。出会ったその日にプロレス&音楽話で意気投合。ヘルツのプロモー ションヴィデオも撮ってもらうことになった。 先日、撮影スタッフ全員と打ち合わせ。村本さんが信頼する10人近いスタッフが集 合。低予算の為ほとんどボランティアに近いギャラで引き受けてもらった。感謝。出演してくれる役者さんは最近たまたまテレビでその演技を観る機会があり印象に残 っていた人なので楽しみ。
何もできなかった日々を思い出せば、なんとも贅沢な日々に思える。屋上の給水塔。昼下がりの御所。低空飛行のコウモリ。ながめるのは今も好きだ。そればかりじゃ嫌だけれど。

2000年5月20日土曜日

2000年5月20日(土)

トウキョーミュージックサロンスペシャル2DAYS、無事終了。
心配していた初日も 席がうまり、内容的にもとても充実した2日間だった。 特に初共演の朝日美穂さん、鈴木祥子さんとのセッション、昨日のアンコールでの三宅伸治さんとのセッションが印象に残っている。このイヴェントで恒例と なっているセッションは当日のリハーサルではじめて出演者同士が音を交わし合うケースが多く(セッションの曲自体が当日に決まることも 多い)、この日の僕と祥子さんのセッションもそのパターンだった。祥子さんは付き添いのスタッフを一人も連れずに会場入り。初対面 の共演者やスタッフに対してとても気さくでオープンマインドな感じ。リハーサルと本番を通 じて感じたことだけれど、あまり細かいことに気を囚われ ず、その場の乗りを大切にしながら音楽を楽しむことのできる人だ。相手の様子をうかがう前に自分の気持ちを開放させてみせる様はとても頼もしく 感じられた。音楽の持つ快楽に対して相当に貪欲な人なのだろう。最後の出演者全員によるセッションでは祥子さんにドラムを叩いてもらったのだが、これがま た素晴しかった。開放的。自由奔放。初期衝動。ときめき。こんな言葉が 思い浮かぶようなプレイだった。
三宅伸治さんとの共演は多分、9年振りぐらいかな。近いところにいるようでいて共演する機会がなかったのはたまたまのようにも思え るが、やはりそれなりの理由があったのかもしれない。
スタッフはもうステージのかたしに入っていた。それでもなりやまぬアンコール。僕は楽屋で困惑していた。自分が出ていってもう1曲歌うのは違う気がして三 宅さんに相談を持ちかけた。少しちゅうちょしていた三宅さんも一向に鳴りやまない拍手を聞いていっしょにも う一度、ステージに上がることに同意してくれた。コード進行と構成はステージ上で三宅さんから教えてもらった。ぶっつけでも不安はなかった。この曲が好き だからきっとうまくできる気がしていた。アンコールナンバーは友部正人さんの「はじめ僕はひとりだった」。 点と点が線につながり再会は新しい出会いになった。 失いたくない記憶とはこんな瞬間だ。

2000年5月16日火曜日

2000年5月16日(火)

13時から下北沢のスタジオで辺見マリさんとリハーサル。辺見さんのために書き下ろした曲を僕の伴奏で実際に歌ってもらう。思った通 りいい感じ。出来上がりを心配していた哲ちゃんと辺見さんのマネージャーの阿部さんにも好評。辺見さんからさらに曲を書き下ろしてほしいとのこと。
リハーサルの後、曲のイメージなどについて4人で話し合う。 辺見さんと別れてから同じ下北にあるレコード会社UKプロジェクトの事務所で打ち合わ せ。CD発売まであと一月ちょっと。
ジャンボ鶴田が帰らぬ人となる。全日ファンの哲ちゃんは僕以上にショックを受けた様子。 紀伊国屋で福田和也「ろくでなしの歌ー知られざる巨匠作家たちの素顔」という本を買う。この著者にはあまりいいイメージがなかったけれど立ち読みしたら面 白そうだったので 買ってしまう。

2000年5月15日月曜日

2000年5月15日(月)

午前11:00から赤坂にあるスタジオでCMナレーション録り。
15:00から池ノ上のスタジオで18日のライブに備えて朝日美穂さん、ベースの 鹿島さんとリハーサル。 この日が初セッションということもあり、とても新鮮な気持ちで楽しめた。 朝日さんの音楽はさりげなく個性的だ。 18日のステージでまた彼女の新たな魅力を発見できそうな予感。

2000年5月14日日曜日

2000年5月14日(日)

朝まで飲んで、寝ずに新幹線に乗る。ツアーから12日振りに帰宅。 今日はさすがに疲れが出て魂の抜け殻状態。
このコーナー、随分さぼってしまったけれどこれからまたちょくちょく更新します。
今回のツアーではいろんな人達と笑顔で再会する機会に恵まれたのが嬉しかった。先輩ミュージシャンの有山さん、長く僕をサポートしてくれていた藤原かおるち ゃん、元ソウルフラワーの太郎くん、学生時代からの音楽仲間カップジュビーの 外村伸二、etcみなそれぞれいろいろあるのだろうけれどとにかく元気そうな姿を 確認することができた。なんだかやさしい気持ちになれた。
ここ数週間、尊敬するシンガーソングライターの友部正人さんと奥さんの由美さんとごいっしよさせてもらう機会が多く、とても楽しい時間を過ごさせてもらった。春一番の間はライブの後に2日続けて僕が二人を馴染みのお店に案内して、喜んで もらった。
来週はいよいよトウキョーミュージックサロン2DAYS。 明日は18日のライブに向けて朝日美穂さんとリハーサル。 ところがこの日の前売りがさっぱり伸びない。 田辺マモル君、朝日美穂さん、すすもりという組み合わせは自分では本当に楽しみでワクワクしているのだけれどあまり伝わっていないようで寂しい。皆さん、18日のミュージックサロンも内容は保証付です。 こんな新鮮な組み合わせはめったにないよ。 友達さそってぜひ遊びに来てください。

2000年4月22日土曜日

2000年4月22日(土)

ライブ前日に福岡入り。この日偶然、福岡のイムズホールで高野寛君が弾き語りのコンサートをやっていると いうので学君、松永さんといっしょに観に行く。僕らが会場に着いた頃にはライブはもう後半、弾き語りというスタイルにかかわらずお客さんは総立ち。高野 君、本当に楽しそうにプレイしていた。 強いビートでお客をぐいぐい引っぱって行く場面も印象に残っているけれど、それ以 上にボサノバ風のギターアレンジとささやきに近い唱法で演奏された数曲が印象に残 った。押し付けがましさのない緊張感が心地よかった。
イムズホールを後にして、バンドマン御用達のお店、山ちゃんで軽く飲み食いした後、親不幸通 りにある行き着けの飲み屋、「なべや」へ。このお店は定期的にライブもやっていて週末にはマスターでベーシストのなべさん率 いるトリオバンドによる往年のロックの名曲の演奏を楽しむことができる。
実は前日、お店に電話して、なべさん達の出番の前に演奏させてもらえるようよう頼 んでおいたのだ。
無理を聞いて、気持ちよく演奏させてくれたなべさんとお店のスタッフに感謝。僕達のライブの後に誘っておいた高野君とそのスタッフの皆さんも到着。もう少 し早く来ればセッションできたのだけれど。いっしょに楽しく飲む。しばらくしてなべさんらの演奏が始まる。バンドのグルーヴと集中力が素晴しく、皆いたく 感動。 博多の夜は多いに盛り上がる。

2000年4月21日金曜日

2000年4月21日(金)

先日、朝日新聞に興味深い記事が載っていた。フランスの哲学者サルトルが最近フランス国内で再注目を集めているというのだ。サルトルに詳しいわけでも特別 に思い入れがあるわけでもないのだが、興味を持った のはその注目のされ方だ。
サルトルは元々、人権擁護、社会主義運動などを通してヒューマニストとの評価が一 般であった。ところが最近彼の反ヒューマニスト的な側面にスポットが当たっている というのだ。 反ヒューマニストとして捉える根拠については詳しく書かれていなかったのでよくわ からないけれど、ひとつ上げられていたのがボーボウァール以外に彼女が何人もいた という点。おいおい、そんなことでおおげさに反ヒューマニストなんて言われるんかい?などど 心の中でつっこみを入れつつ、実は結構大切な根拠かも、などと次第に思いを巡らす。
人道主義ーすべての人間に平等の人格を認め、人類全体の幸福を理想とする主義。これって正しい考えだなあと思う一方で、自分の多面 性を肯定していくとこの理想か らはずれる部分が出てくる気がする。ヒューマニスティックなにおいのぷんぷんするミュージシャンっているけれど、最近 そういう人やそういう表現に接すると少しつらく感じる。自分にも同じ要素があるこ とを自覚しているから余計に過敏になるのかも。そういうところからは以前より距離 を置きたいと思っているのだけれど、これって時代の空気に流されてるのかも。
自分の内面は案外複雑に入り組んでいて、どろどろしていたりする。引き裂かれ矛盾 している部分も多々有る。そこに足を踏み入れてみると自分がそんなにいい奴ではな いことも分かる。 そういえば浜崎あゆみが「いい人って、どうでもいい人みたいね~」って歌っていて どきっとしたことがあったなあ。 いい人がやってるロックなんて苦味のないコーヒーみたいなもんやな。
最近、自分がやってることはロックですというのも気がひけるというか、どうでもいい けど、ロックって何? というふうに思いは巡って行くわけです。
自己矛盾を無理に否定もせず肯定もせず、それを自覚しながら暮してゆけるだけのセ ンスとユーモアを持てたらと思う。 まじめやな。

2000年4月17日月曜日

2000年4月17日(月)

午後1時頃起床。 昼食の後、送られてきた辺見マリさんのライブビデオを観ながらもう一度、辺見さんの キィーを確認。少し曲の手直しをする。
メールのチェックをして4時過ぎに外出。 まずは笹塚の紀伊国屋で立ち読み。 そのあと近くの茶店で歌詞づくり。 9時頃に一度帰宅。 すぐに近所の居酒屋へ。軽く飲んで食う。11時半頃帰宅。 風呂入って、しばらくだらだら。 これからがまだ長いんだよね。

2000年4月16日日曜日

2000年4月16日(日)

水戸でのマキさんのライヴから帰宅。 昨夜のライブはメンバー間ではかなり点数の高い内容。
さっき上野常磐線のプラットホームでジミースコットをみかけた。
ジミーは今日、僕らと入れ替えで水戸でライブがあるのだ。「ヘ~イ、ジミー!」って声をかけたかったな。

2000年4月11日火曜日

2000年4月11日(火)

いやあ~ヒックスビルとのジョイントライブは実に楽しかった。あんなに気持ちの良いセッションはなかなかないよ。いい形で彼等と再会できたことがとても嬉しかった。
それからこの日のDJ八木さんの選曲、愛情と思い入れをたっぷりと感じた。八木さんにはさまざまな顔がある。あるときはカメラマン。あるときはライター(今月 号のクイックジャパンで20ページにわたるどんと特集を八木さんが担当してるそう。 近日発売。)。で本職はデザイナー。とにかく鼻の効く人で、面白そうな場所にいつも 顔をだしている印象がある。いつまでもとんがり続けるヒップで懲りない不良オヤジだ。 打ち上げの途中でソロCDのジャケットの打ち合わせをする。 いい感じに仕上がってきた。 お楽しみに。

2000年4月5日水曜日

2000年4月5日(水)~6日(木)

ヒックスビルとのリハーサル、とても楽しかった。 彼等と音を交すのは実に8年振り。 音も弾んだけれど、話も弾んで休憩時間のやたら長いリハーサルになった。
昼過ぎにバンバンバザールの武田君から電話。ジロキチでライブがあるので遊びに来て 何曲かピアノを弾かないかとのこと。残念ながら夜に仕事が入っていた。
夜7時半から赤坂にあるスタジオでポッカコーヒーのCMのナレーション録り。録音開始15分程であっけなくOKテイクが出る。オンエアーは4月半ばから始まるそう。 このCMの監督さんが話してみるとかなりのプロレス者であることが判明。 音楽の趣味も合い初対面 にもかかわらず意気投合。 スケジュールの調整ができれば南佳孝さんのライブをいっしよに観にいく約束 をする。 10時に下北沢で柳ちゃん(柳原陽一郎)と待ち合わせ。 彼とじっくり飲むのは久し振り。 最近、注目している日本の女性シンガーの話をしていたら、イノトモ、つじあやの、 玲葉奈など二人とも共通していて面白かった。柳ちゃんは5月にイノトモさんと共演するそうなので紹介してもらう約束をする。 僕は先日偶然、玲葉奈と知り合ったので彼女をいつか柳ちゃんに紹介しょう。
同じ店にたまたまKYONさんが飲みに来ていたので途中から合流。どんとの追悼ライブに関する打ち合わせをしていたそう。8月に日比谷野音で開催される予定とのこと。 どんとのこと、某女性シンガーの話、いろ恋話などで盛りあがる。 閉店まで飲んで酔う。

2000年4月4日火曜日

2000年4月4日(火)

2日、吉祥寺スターパインズカフェでのピアノマンナイトは大盛況。僕自身とても楽しめたし、良い刺激をもらった。ただ気になった点が一つ。立ち見のお客さんのなかでステージがほとんどみえなかったという人が結構おられた ようなのだ。この点は次回、解決されるだろう。今回見えなかった人、ごめんなさい。トミー他スタッフのみんな、お疲れです。またよろしく。

3日にマキさんのスタジオライブのテレビ収録があった。スペースシャワーは音楽専門の衛生だけあって、他の局よりは音にこだわっているよう で、録音にマルチテープを回していた。とてもクリアーな音で皆の演奏が聴こえて新鮮だった。 ヘッドホンから聴こえるマキさんの声は、いつもより細かいニュアンスが伝わってきて色気を感じた。

今日は午後から9日のライヴに向けてヘルツとヒックスビルの合同リハーサル。 楽しみ。

2000年3月31日金曜日

2000年3月31日(金)

ヘルツのレコーディングが終了。 朝の4時半帰宅。 風呂に入ってから少し曲作り。6時45分就寝。 12時15分起床。
六本木にあるワーナーマスタリングスタジオで14時からソロマキシー用のマスタリン グ。 はじめて仕事させてもらったエンジニアの菊池さんが素晴しかった。瞬時に曲を理解してこちらの希望以上の音に仕上げてくれた。作業の進行もスムーズで理に かなっている。プロの仕事。場所を縁インターナショナルの事務所に移し18時頃からマネージャーの哲ちゃん、縁 で仕事しているデザイナーの中野さんとふみお君とでソロCD用のジャケットに関する 打ち合わせ。その後哲ちゃんと二人で辺見マリさんの曲作りに関する打ち合わせ。21時過ぎに帰宅。テレビでスピードのラストライブを観る。
有珠山噴火の様子をニュースで観る。 さっき帰りに買ってきた雑誌「紙のプロレス」を読む。手帳をみてたら一月前の出来事がかなり昔に思えた。

2000年3月30日木曜日

2000年3月30日(木)

ツアー先の高山から高山本線、新幹線経由で無事、帰宅。
高山本線は列車の左右の揺れがきつくて乗り心地はもう一つなのだけれど、車窓から みえる渓流の景色がすばらしく、お気に入りの在来線の一つ。

ピアノマンナイトツアーは前回より動員も伸びて、内容も好評だったようでなにより。 この企画の元々の発案者は僕なのだけれど、今はこのサイトの管理人でもあるトミー が中心になって企画と制作をやってくれている。 手作りのいいイヴェントだと思う。 感謝。

2000年3月24日金曜日

2000年3月24日(金)

ヘルツのレコーディングから帰宅。 もう朝の4時半。 で、9時半に渋谷集合。
また名古屋。ピアノマンナイトツアー初日。 なにやろうかな。 メンバーとは一切、打ち合わせなし。 当日のお楽しみ。

2000年3月20日月曜日

2000年3月20日(月)

浜松のライブを終えてマキさんのツアーから帰宅。 最近、ずっと体調が良かったのに数日前から花粉にやられてしまった。鼻がつまって息苦しく、集中力がとぎれ声が出にくい。
18日の名古屋が特に厳しかったので、気合いをいれてステージにのぞんだらライブ 後半でプッツン。ピアノを離れて激しくタップを踏みだしたら、引っ込みがつかなくなっ てしまい半ばヤケ気味にダンシングを披露。 疲れた。
この日のライブの後、得三店長の鬼頭君から、先月12日のヘルツ得三ライブが終わった夜中にスタッフのS君が交通 事故で亡くなっていたことを知らされる。 彼はヘルツのことをとても気に入ってくれていて、いつも気持ち良く僕達を迎かえ入れて くれていたのだ。 その日のヘルツのライブも彼は本当に楽しんでくれていたそうだ。
酒の席に戻ってバカ話を再開しながら時々、胸がしめつけられた。

2000年3月17日金曜日

2000年3月17日(金)

ただいま帰宅。 レコーディング順調! で、またツアー。 最近、ほんと名古屋へ行く機会が多いなあ。

2000年3月13日月曜日

2000年3月13日(月)

無事、レコーディング終了。
で、もう明日からヘルツのレコーディング。手帳をながめると呆れるくらいハードなスケジュール。不思議とあまり疲れを感じない。今年は花粉症にも悩まされ ない。ツアーで毎晩、飲んでも二日酔いにならない。ツアーは楽しい。嫌なことはすぐ忘れる。せつないことはおぼえてる。
もう寝よう。

2000年2月29日火曜日

2000年2月29日(火)

27日QUEのヘルツ、ワンマンは相当な盛り上がりだった。
シークレットオープニングアクトで登場したラフィータフィー忌野 清志郎にはお客さんも驚いた様子。最近のファンの人は知らないか もしれないけれど僕は初期の忌野清志郎&23’Sのメンバーとして 一時期、清志郎さんと活動を伴にしていたことがあるのだ。この日は久し振りに対面 する人が多くて、方々で変わったね と言われた。清志郎さんからは会うなり垢抜けたなあと言われる。久々に観た清志郎さんのステージは昔と変わらず素敵だった。スタイルやサウンドに新鮮な驚 きはないけれど、存在自体が頼もし く、とても自由な感じ。この人に限って歌うに事欠くってことはことは死ぬまでなさそうだ。 70過ぎても歌ってる清志郎さんの姿が想像できた。ベースのゆうさん、鍵盤のジョニーさん(元ブームタウン・ラッツ) 、ドラムのゆかりさんもいいグルーブを出していた。サックスが武田真治さんだったのには意表をつかれた。すこしおど おどした様子でプレイしてたけどあれもキャラクターかな。
清志郎さんとの再開がいい刺激になって、この日のステージではよく弾けた。
憧れからかなり離れたところまで来たことをライブ中に、実感した。フロアの盛り上がりは今までのQUEのライブの中では最高だった。
来てくれた皆さん、本当にありがとう。 次こそはQUEを完全ソールドアウト!!

2000年1月29日土曜日

28日の夕方、リハーサル中にとても悲しい知らせを受けた。
どんとが家族旅行先のハワイで倒れ、28日早朝、帰らぬ人となってしまったとのこと。 詳しいことはまだわからないけれど、事故ではなく病死だそう。 昨年に会った時も体調はあまりよくなさそうだったけれど、亡くなってしまうなんて。 いろんな思いが駆け巡っているけれど、まだ言葉にできない。
心よりご冥福をお祈りします。

2000年1月28日金曜日

渋谷で映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を観る。 アメリカのギタリスト、ライ・クーダーが地元でも忘れ去られていたキューバの 老ミュージシャン達とコラポレートし、ついには彼等をニューヨークに招いてカーネギーホールでのセッションを実現させるまでを追いかけたドキュメンタ リー。 監督はヴィム・ベンダース。
最高に良かった。何度も鳥肌が立って、ぐっときた。 キューバの老ミュージシャン達の色気には本当にまいってしまった。 90才で現役バリバリのコンパイ・セグンド。歯巻吸いながら陽気に、もう一人子供をつくってやるとのたまうイナセな親父である。なんか有山さん(僕が大変 お世話になった日本における最高のナチュラルミュージシャン)を思い出した。 日本で30年後に再発見されそうなミュージシャンといえば有山じゅんじだなと思った。 案外、高田渡さんもまだ生きていて再発見されるかも。ぼけたふりして若い女の子 のお尻なんか触ってそう。それで森繁みたいにミュージシャンの葬式にはいつも渡さんが参列していて、それが風物詩になったりして。

話しがそれたけど、彼等の歌やたたづまいにそれだけ色気があるのは、そこに彼等の人生、生き方が凝縮されているからだろう。 僕は今の匿名性の高い音楽を必ずしも否定するつもりはないけれど(むしろそういう 要素を含みやすいテクノやハウスと言われる音楽からの刺激も多いに受けている)、 送り手に対して思い入れがしずらいという点でそれらの音楽に多少寂しさを感じていた のも事実だ。 僕はヘルツをやりながら曲によっては、切ない気分で踊れるダンスミュージックを やれたらなと考えている。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を観ながら、僕は演奏の場面では込み上げてくる 気持ちをかみしめつつ体を揺らしていた。 素敵な音楽、素敵な人間に出会える素敵な映画だ。
上映が終わって席をたったらなんと学君にバッタリ出あう。 お茶をしていっしょに余韻にひたった。

2000年1月28日(金)

渋谷で映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を観る。 アメリカのギタリスト、ライ・クーダーが地元でも忘れ去られていたキューバの 老ミュージシャン達とコラポレートし、ついには彼等をニューヨークに招いてカーネギーホールでのセッションを実現させるまでを追いかけたドキュメンタ リー。 監督はヴィム・ベンダース。
最高に良かった。何度も鳥肌が立って、ぐっときた。 キューバの老ミュージシャン達の色気には本当にまいってしまった。 90才で現役バリバリのコンパイ・セグンド。歯巻吸いながら陽気に、もう一人子供をつくってやるとのたまうイナセな親父である。なんか有山さん(僕が大変 お世話になった日本における最高のナチュラルミュージシャン)を思い出した。 日本で30年後に再発見されそうなミュージシャンといえば有山じゅんじだなと思った。 案外、高田渡さんもまだ生きていて再発見されるかも。ぼけたふりして若い女の子 のお尻なんか触ってそう。それで森繁みたいにミュージシャンの葬式にはいつも渡さんが参列していて、それが風物詩になったりして。

話しがそれたけど、彼等の歌やたたづまいにそれだけ色気があるのは、そこに彼等の人生、生き方が凝縮されているからだろう。 僕は今の匿名性の高い音楽を必ずしも否定するつもりはないけれど(むしろそういう 要素を含みやすいテクノやハウスと言われる音楽からの刺激も多いに受けている)、 送り手に対して思い入れがしずらいという点でそれらの音楽に多少寂しさを感じていた のも事実だ。 僕はヘルツをやりながら曲によっては、切ない気分で踊れるダンスミュージックを やれたらなと考えている。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を観ながら、僕は演奏の場面では込み上げてくる 気持ちをかみしめつつ体を揺らしていた。 素敵な音楽、素敵な人間に出会える素敵な映画だ。
上映が終わって席をたったらなんと学君にバッタリ出あう。 お茶をしていっしょに余韻にひたった。

2000年1月26日水曜日

毎週、歯医者に通っている。親知らずを抜いてもらったときに虫歯が多数あることが判明したのだ。もう既に三本の歯をけずられてしまった。そして今日もまた三本......。奥歯が銀色になっちまった。別 に痛みがあるわけでもないのだが。 されるがままである。
UKプロジェクトの北島さんとレコーディングに向けて電話で打ち合わせ。 収録ナンバーを絞り込む。今回は弾き語りはなくなりそう。

2000年1月26日(水)

毎週、歯医者に通っている。親知らずを抜いてもらったときに虫歯が多数あることが判明したのだ。もう既に三本の歯をけずられてしまった。そして今日もまた三本......。奥歯が銀色になっちまった。別 に痛みがあるわけでもないのだが。 されるがままである。
UKプロジェクトの北島さんとレコーディングに向けて電話で打ち合わせ。 収録ナンバーを絞り込む。今回は弾き語りはなくなりそう。

2000年1月25日火曜日

南青山六本木通り沿いにあるラウンジ風クラブ、オージャスで月一行われている イヴェント、東京フォルクロアに急遽出演。30分程、弾き語りをやる。 オーガナイザーの窪田晴夫氏から出演依頼の電話があったのが先週の火曜。まあいつもこんな感じだ。このイヴェントは半分以上、夜遊びに行く感覚。 ギャラはほとんどでないけれど酒は飲み放題。リクオの酔っ払い演奏が聴けるのはここだけ。日によっては面 白い出会いもあり 異様に盛り上がるイヴェントなのだがこの日は客も少なく盛り上がりはもう一つ。僕も深酔いするまえに帰ってしまった。
この日お皿を回してい知り合いのDJタナヤ氏から「ムーンライトサンバ」が今も クラブでかかりまくっているとの話を聞く。ダンスミュージックレコードの藤原さん からはジャパニーズヒップホップ界のカリスマ的存在らしいDJムロ氏が某音楽誌で 昨年のベスト5レコードの一枚として「ムーンライトサンバ」を上げていたという 話も聴いた。いい話だ。

2000年1月25日(火)

南青山六本木通り沿いにあるラウンジ風クラブ、オージャスで月一行われている イヴェント、東京フォルクロアに急遽出演。30分程、弾き語りをやる。 オーガナイザーの窪田晴夫氏から出演依頼の電話があったのが先週の火曜。まあいつもこんな感じだ。このイヴェントは半分以上、夜遊びに行く感覚。 ギャラはほとんどでないけれど酒は飲み放題。リクオの酔っ払い演奏が聴けるのはここだけ。日によっては面 白い出会いもあり 異様に盛り上がるイヴェントなのだがこの日は客も少なく盛り上がりはもう一つ。僕も深酔いするまえに帰ってしまった。
この日お皿を回してい知り合いのDJタナヤ氏から「ムーンライトサンバ」が今も クラブでかかりまくっているとの話を聞く。ダンスミュージックレコードの藤原さん からはジャパニーズヒップホップ界のカリスマ的存在らしいDJムロ氏が某音楽誌で 昨年のベスト5レコードの一枚として「ムーンライトサンバ」を上げていたという 話も聴いた。いい話だ。

2000年1月23日日曜日

ヘルツ今年最初のリハーサルがあった。
リハ前、器材運搬のため僕の自宅にマイカーで寄ってくれた学君と車中、最近聴いてる音楽の話などする。年が明けてからお互い、ブラジルものをよく聴いていたことが判明。 約一月振りに寺さんに合う。特に変わりなし。
リハでは学君がもってきた新曲を合わせてみる。印象に残るメロディー、コード進行。 一度聴いて、すぐに自分のなかでイメージがひろがってゆくのがわかった。いい曲だ。 アレンジも順調に進む。29日のブラジルナイトには間に合いそう。

2000年1月23日(日)

ヘルツ今年最初のリハーサルがあった。
リハ前、器材運搬のため僕の自宅にマイカーで寄ってくれた学君と車中、最近聴いてる音楽の話などする。年が明けてからお互い、ブラジルものをよく聴いていたことが判明。 約一月振りに寺さんに合う。特に変わりなし。
リハでは学君がもってきた新曲を合わせてみる。印象に残るメロディー、コード進行。 一度聴いて、すぐに自分のなかでイメージがひろがってゆくのがわかった。いい曲だ。 アレンジも順調に進む。29日のブラジルナイトには間に合いそう。