2000年5月30日火曜日

2000年5月30日(火)

この6日間、打ち合わせ、リハーサルと曲づくりの日々。不規則な生活。
部屋がちらかってる。資料がみつからない。やるべきことが多々。時々、整理が着かずこんがらがる。 嫌なニュースが多い。 自分の17歳も、もんもんとしてた。幼い万能感の反動。世界のすみっこの米粒。 安達哲の「さくらの唄」をおもいだす。自分にとって90年代最高のマンガの一つ。
先日、笹塚でツンタと2人で飲む。 同じピアノマン。彼としてはブルースマンという言葉の方が自分に馴染むそう。彼に貧乏臭くなるのはやめようと言ったらやたらと納得してた。
今月はいろんな人に会ってよく飲んだ。今度いつ会えるのだろう、これっきりになるのかもしれないなんて思うようになった。 いろんな人が死んで行く。 ジャンボ鶴田も亡くなった。死のイメージを感じさせない人だった。今のプロレス界でジャンボに近い要素を感じさせるのが先日、グレイシー柔実のホイ ラーグレイシーに完勝した桜庭和志。レスラーとしての自分のルーツを大切にしなが らも柔軟な思考で真剣勝負の中に遊び心を取り入れていれたニュータイプのレスラー。 決まった型を持たずに臨機応変にアドリブを利かした戦いで常に対戦相手と観客の 想像力を軽々と超えて行く。観客論と勝負論を両立させるその戦い振りはまさに格闘 芸術。学ぶところ多々。桜庭が勝った瞬間の東京ドームの熱狂は凄かった。会場からすぐ映像作家の村本さん にケイタイで電話。ドームの熱狂を完全生中継。村本さんとは最近、CMの仕事で知り合った。昔に何度か事務所を通 じて仕事に誘って もらっていたそうなのだが、当時かたくなだった僕はCM関係の仕事を何度も断わって いた。最近は大好き。お金になるから。そんなわけで村本さんと知り合う機会が遅れてしまったけれど、良い時期に出会えた のかも知れない。出会ったその日にプロレス&音楽話で意気投合。ヘルツのプロモー ションヴィデオも撮ってもらうことになった。 先日、撮影スタッフ全員と打ち合わせ。村本さんが信頼する10人近いスタッフが集 合。低予算の為ほとんどボランティアに近いギャラで引き受けてもらった。感謝。出演してくれる役者さんは最近たまたまテレビでその演技を観る機会があり印象に残 っていた人なので楽しみ。
何もできなかった日々を思い出せば、なんとも贅沢な日々に思える。屋上の給水塔。昼下がりの御所。低空飛行のコウモリ。ながめるのは今も好きだ。そればかりじゃ嫌だけれど。

2000年5月20日土曜日

2000年5月20日(土)

トウキョーミュージックサロンスペシャル2DAYS、無事終了。
心配していた初日も 席がうまり、内容的にもとても充実した2日間だった。 特に初共演の朝日美穂さん、鈴木祥子さんとのセッション、昨日のアンコールでの三宅伸治さんとのセッションが印象に残っている。このイヴェントで恒例と なっているセッションは当日のリハーサルではじめて出演者同士が音を交わし合うケースが多く(セッションの曲自体が当日に決まることも 多い)、この日の僕と祥子さんのセッションもそのパターンだった。祥子さんは付き添いのスタッフを一人も連れずに会場入り。初対面 の共演者やスタッフに対してとても気さくでオープンマインドな感じ。リハーサルと本番を通 じて感じたことだけれど、あまり細かいことに気を囚われ ず、その場の乗りを大切にしながら音楽を楽しむことのできる人だ。相手の様子をうかがう前に自分の気持ちを開放させてみせる様はとても頼もしく 感じられた。音楽の持つ快楽に対して相当に貪欲な人なのだろう。最後の出演者全員によるセッションでは祥子さんにドラムを叩いてもらったのだが、これがま た素晴しかった。開放的。自由奔放。初期衝動。ときめき。こんな言葉が 思い浮かぶようなプレイだった。
三宅伸治さんとの共演は多分、9年振りぐらいかな。近いところにいるようでいて共演する機会がなかったのはたまたまのようにも思え るが、やはりそれなりの理由があったのかもしれない。
スタッフはもうステージのかたしに入っていた。それでもなりやまぬアンコール。僕は楽屋で困惑していた。自分が出ていってもう1曲歌うのは違う気がして三 宅さんに相談を持ちかけた。少しちゅうちょしていた三宅さんも一向に鳴りやまない拍手を聞いていっしょにも う一度、ステージに上がることに同意してくれた。コード進行と構成はステージ上で三宅さんから教えてもらった。ぶっつけでも不安はなかった。この曲が好き だからきっとうまくできる気がしていた。アンコールナンバーは友部正人さんの「はじめ僕はひとりだった」。 点と点が線につながり再会は新しい出会いになった。 失いたくない記憶とはこんな瞬間だ。

2000年5月16日火曜日

2000年5月16日(火)

13時から下北沢のスタジオで辺見マリさんとリハーサル。辺見さんのために書き下ろした曲を僕の伴奏で実際に歌ってもらう。思った通 りいい感じ。出来上がりを心配していた哲ちゃんと辺見さんのマネージャーの阿部さんにも好評。辺見さんからさらに曲を書き下ろしてほしいとのこと。
リハーサルの後、曲のイメージなどについて4人で話し合う。 辺見さんと別れてから同じ下北にあるレコード会社UKプロジェクトの事務所で打ち合わ せ。CD発売まであと一月ちょっと。
ジャンボ鶴田が帰らぬ人となる。全日ファンの哲ちゃんは僕以上にショックを受けた様子。 紀伊国屋で福田和也「ろくでなしの歌ー知られざる巨匠作家たちの素顔」という本を買う。この著者にはあまりいいイメージがなかったけれど立ち読みしたら面 白そうだったので 買ってしまう。

2000年5月15日月曜日

2000年5月15日(月)

午前11:00から赤坂にあるスタジオでCMナレーション録り。
15:00から池ノ上のスタジオで18日のライブに備えて朝日美穂さん、ベースの 鹿島さんとリハーサル。 この日が初セッションということもあり、とても新鮮な気持ちで楽しめた。 朝日さんの音楽はさりげなく個性的だ。 18日のステージでまた彼女の新たな魅力を発見できそうな予感。

2000年5月14日日曜日

2000年5月14日(日)

朝まで飲んで、寝ずに新幹線に乗る。ツアーから12日振りに帰宅。 今日はさすがに疲れが出て魂の抜け殻状態。
このコーナー、随分さぼってしまったけれどこれからまたちょくちょく更新します。
今回のツアーではいろんな人達と笑顔で再会する機会に恵まれたのが嬉しかった。先輩ミュージシャンの有山さん、長く僕をサポートしてくれていた藤原かおるち ゃん、元ソウルフラワーの太郎くん、学生時代からの音楽仲間カップジュビーの 外村伸二、etcみなそれぞれいろいろあるのだろうけれどとにかく元気そうな姿を 確認することができた。なんだかやさしい気持ちになれた。
ここ数週間、尊敬するシンガーソングライターの友部正人さんと奥さんの由美さんとごいっしよさせてもらう機会が多く、とても楽しい時間を過ごさせてもらった。春一番の間はライブの後に2日続けて僕が二人を馴染みのお店に案内して、喜んで もらった。
来週はいよいよトウキョーミュージックサロン2DAYS。 明日は18日のライブに向けて朝日美穂さんとリハーサル。 ところがこの日の前売りがさっぱり伸びない。 田辺マモル君、朝日美穂さん、すすもりという組み合わせは自分では本当に楽しみでワクワクしているのだけれどあまり伝わっていないようで寂しい。皆さん、18日のミュージックサロンも内容は保証付です。 こんな新鮮な組み合わせはめったにないよ。 友達さそってぜひ遊びに来てください。