2001年3月26日月曜日

2001年3月26日(月)

3/13(火)前日に続きヘルツのレコーディング。当初の予定通 り5曲のリズム録り を終える。やばい。今までにない手応え。 レコーディングの後、下北沢でデザイナーの某氏と打ち合わせ。 もう3度めの打ち合わせだというのに、今だにぴんとくるアイデアが相手の方から出て こない。困ってしまう。 仕方なく、このコラポレートは中止させてもらうことにした。

3/14(水)新潟のジャンクボックスというライブハウスが主催するブルース系イ ヴェントにゲストで呼んでもらい、弾き語りで50分程のステージをやる。 自分以外の出演バンドは地元のコテコテのブルースバンドばかり。彼等の演奏からは 黒人ブルースへの憧れが無防備なほどストレートに伝わってきた。自分が音楽をやりは じめた80年代半ば頃の京都や大阪には全盛ではないにしても、こんなブルースバン ドがたくさん存在していて、ブルース系のイヴェントもよく行われていた。楽屋で演 奏を聴いていて少し懐かしさを覚えた。
こういうイヴェントにはよく、客席にしょうもないつっこみやヤジを飛ばすオヤジが いたけれど、この日のイヴェントには、そんな懐かしいオヤジまで登場した。僕のス テージでもやたらと客席から存在をアピールするので迷惑がってるお客さんもいたよ うだけれど、ステージと客席で久し振りに、そういうオヤジとのやりとりを楽しんだ。 元憂歌団の木村さのようにはいかないけれど、昔よりは図太くなって、客あしらいも うまくなった。

3/15(木)新潟から帰宅して、すぐにBSジャパンラジオの番組収録の為、渋谷へ。 トークを交えながらリクオとヘルツの曲を3曲オンエアーしてもらう。 その後、続いて渋谷で打ち合わせ。
3/16(金)下北CLUB QUEでロッキンタイムのライブをみる 。ロックステディ.スタ イルのレゲエ.サウンドに飾りのない素直で力強い歌を聴かせてくれるバンドだ。最近、 知った日本のバンドの中でも特に気に入っている。この日は彼等のライブ初体験。 歌心とグルーヴが心地よく絡み合った、いいライブだった。

3/18(日)吉祥寺でコーザノストラの鈴木桃子さんとリハーサルしたあと、下北 のラ.カーニャでツンタのピアノ弾き語りライブを2部から観る。まだ少し表現に遠慮 がある気がしたけれど、ツンタの魅力を再認識できた。 ライブの後、観に来ていたカルメン.マキさんやツンタ達と飲む。かなりの深酒。

3/19(月)あれもこれもしなければと気はあせるが、作業は進まず。

3/20(火)気の重い話しあい。 「お節介をやくほど、どこかで相手を追い詰める。自分にできることと、出来ないこと を見極めるのは難しい。」こんな言葉を思いだしたりしながら自問自答。

3/21(水)日中、気分転換に地図を見ながら砧公園までチャリで散歩。道すがら たくさんの花が目に入ってくる。芳しい季節になった。 砧公園の梅の花はもう散ってしまっていて、桜もまだ固いつぼみのままだったけれど、 もくれんの白い花がきれいだった。

3/22(木)花を生けて、部屋のいろんな場所に置く。 鈴木桃子さんとリハーサル。 新曲を2曲同時に作りはじめる。いい感じでインスピレーションがわいたのに、集中 力が続かず、完成まで持っていけず。

2001年3月12日月曜日

2001年3月12日(月)

ヘルツのレコーディングがスタート。 今回はエンジニア兼プロデューサーに、新しい仲間、山崎哲也氏を迎え入れ、録音も彼 のホームスタジオで行っている。
今日は予定していた2曲のリズムトラック録りを無事終える。 予想以上に良い音で、ごきげんなトラックが録れた。 現場はとてもいい雰囲気だ。皆、ほどよくリラックスしていて、遊び心と偶然を大切に する空気が流れている。
今回のレコーディングは生音を生かしながらも、曲によってはハードディスクレコーデ ィングによる編集作業を大胆に行っていく予定。インストゥルメンタルの要素の強い、 かなり実験的な作品になりそう。新しい試みにいろいろとトライ出来そうで、わくわく している。
新しい仲間、山崎君は口の減らない20代関西人。出会った頃の彼はまだ10代で、 上京して来たばかりのドラマーだった。それが、3年前に会った時には若手バンドの プロデューサーになっていた。去年、再会した時には自宅にスタジオを構え、エンジニ アまでこなすようになっていて、態度のほうもますますでかくなっていた。そのとき、 久し振りに一緒に仕事をしてみて、ぴんとくるものがあったので、その後接触を試み、 こちらの企みに参加してもらうことにした。
彼は関西人気質のぼけとつっこみ、東京人らしい突き放し、べたとクールといった 両面を使い分けるところが頼もしい。有山じゅんじから友部正人を経て、ミッチェル. フレーム、トータスの話まで通じる貴重な存在だ。
これからは才能のある人材を集めて、どんどんコンラポレートしてゆくつもり。それ ぞれに独立した人間同士がゆるやかにつながるチームができればよいと思う。 才能を発掘し、引きだし、集めることによって、ひとりでは出来ない作品が生みだせ たらと思う。

2001年3月1日木曜日

2001年3月1日(木)

弾き語りソロアルバムのレコーディング終了。
昨日はレコーディングの最終行程であるマスタリングを、六本木のスタジオで行う。 予想以上に良い音に仕上がった。信頼するマスタリング.エンジニアの菊池さんが、 作品を色々と褒めながら作業を進めてくれるので、気分がよかった。
今回のレコーディングは、いわゆるレコーディング.スタジオを使わずに、キーボー ディストである小川文明さん宅の6畳程のピアノ室に器材を持ち込んで録音した音を、 ミュージシャンでありエンジニアでもある錦織さんの自宅スタジオに持ち込んでトラ ック.ダウンまで済ましてしまった。つまり宅録作品である。
この録音方法が良い効果をもたらし、味わいのある音に仕上がった。
発売は5月になりそう。
今年はヘルツも含め、かってない程のリリース.ラッシュ。
ここ数週間、大阪のFM802では3/5梅田バナナホールのイヴェントの前宣伝で ほぼ毎日(月~木)、昼間の時間帯に「雨上がり」がオンエアーされているそうだ。 結構、反響があるそうで、僕のところへも大阪の知り合いからオンエアーを聴いた との連絡がいくつか入っている。
最近嬉しかったことの一つが、営業回りで失敗して茶店で落ち込んでいたら、ラジオ から「雨上がり」が流れて来て元気がでたところだ、という知り合いからのメールだ。