2001年4月29日日曜日

2001年4月29日(日)

6月末に関西限定発売が予定されているマキシシングルのトラックダウンが終 了。
なんやかんやで夜中の4時頃までかかる。
自宅に戻って一睡もせず、和歌山紀州へ向かう。温泉につかったり、海を眺めた り。神社参りをしたりして、 しばらく骨休めする予定。

2001年4月28日土曜日

2001年4月28日(土)

約3年振りに携帯電話の機種変更をして、始めてiモードを使うことになった。 この日、さっそくメールが届く。お~「夏美さん」からだ。んっ?誰や、それ。 始めて届いたメールは出会い系サイトの案内メールで、以後毎日この手のメール が届いてうんざりしている。

2001年4月27日金曜日

2001年4月27日(金)

横浜石川町にあるクリッグというクラブで大阪出身のブラスバンド、ブラックボ トムブラスバンド(以後BBBB)の主催イヴェントに呼ばれ40分程ピアノで弾きがる。
スタンディングのクラブイヴェントということで弾き語りながらリズムの効いたナンバーを中心に選曲。
踊りながら楽しげに聴いてくれるお客さんに刺激されて、この日の演奏は、アレ ンジがどんどん変化してゆき、自然にアドリブが増えていった。歌の合間や曲間 ではしきりに歓声が飛び、益々その気にさせられた。随分とお客さんに乗せられ たライブだった。
BBBBというバンドの徳がこういう良い客層を集めているのだろう。 PAを使わずほとんど生演奏を通 したこの夜のBBBBの演奏は、今まで何度も観た中 で最もグルーヴィーで熱の 伝わってくる開放的なライブだった。

2001年4月25日水曜日

2001年4月25日(水)

秋葉原グッドマッンで谷口崇君、田辺マモル君とジョイントライブ。プロデュー サー、ドラマー、あるいはエンジニアとしてこの3人それぞれに関わりを持つ山 崎哲也君も急遽、パーカッションで参加。
谷口君との共演は今回がはじめて。予想以上にアグレッシブで心地良いグルーブを出してくれるので、セッションしていて、思わずニヤリとさせられた。 田辺君は独自の世界観をより強固なものにしつつあるようだ。情けなさが前面に 出ていた歌に凄みが加わってきた。
谷口君も田辺君もルックスはやわそうだが、演奏は力強く奥行きがある。僕も含め3人ともに文化系肉体派シンガーソングライターって感じがした。
山崎君とライブで共演するのは実に約10年振り。当時の僕はCDデビューしたばかりの20代で、山崎君は和歌山から上京してきたばかりの10代だった。この日、互いの10年間を確認しあえたような気がして嬉しかった。
点と点が線でつながり、僕にとっても、恐らく他の3人にとっても意義深い夜に なったと思う。
いいイヴェントのあとの打ち上げは楽しい。 夜更けまで飲んで久し振りに記憶が途切れた。

2001年4月18日水曜日

2001年4月18日(水)

しばらく微熱と立ちくらみが続いていたので、2日前に病院に行ったら、風邪との診断。
薬を飲んだせいか、昨日あたりから調子が戻ってきて、今日は元気。
日中は自宅で21日ヘルツのライブの準備。この日の対バンは東野純直君率いる AZ YOU LIKE。ヘルツと同じピアノトリオ編成のバンドだ。当日、お互いの楽曲 を1曲づつカヴァーしあうことになっているので、そのアレンジを考えるが、ヘ ルツらしい切り口がなかなか見つからず、相当に煮つまる。
発想を変えて、カヴァーというよりはリミックスのアプローチでトライしてみる。元曲がレゲエ調のポップス・ナンバーに仕上がっているのを、テンポをあげて 2ステップのリズムに変え、歌メロはインストにしてしまった。歌の代わりに途中でラップをフィーチャーすることにする。うまくいくかどうかちょっと不安。

夜は近くのプロレス居酒屋「ボンバイエ」で酒をつまみにCSのプロレス生中継を観戦。ZERO-ONEの興行で小川直也と三沢光晴が歴史的な初遭遇。お店 の中はプロレスファンでぎっしり、熱気にあふれていた。いや~盛り上がった。テレビ観戦で拍手や歓声を送ったのは久し振りだ。
ZERO-ONEの興行には刺激とストレスがある。
エンターテイメントの中に意識的にストレスを盛り込むのは難しい。けれど、人は満足しきってしまうと、想像力が 薄れ、対象への興味をなくしていく。お客を裏切って適度のストレスを与えるこ とが、次回への興味を持たせて、また興行に足を運ばせるのだ。
これは音楽をはじめ他の表現にも通じる話だと思う。

僕はほぼ毎晩、夢をみるのだが、最近、夢の中でやたらと人が死ぬ。先日とうと う身内を夢の中で殺してまった。重くてしんどい夢のせいで、その日は一日疲れが とれず、嫌な気分だった。
この話を知人にしたら、それはあなたが殻をやぶって変わっていこうとしている 意思をあらわしているのだと 説明される。
少し気持ちが楽になった。

2001年4月6日金曜日

2001年4月6日(金)

もう4月。東京の桜は散り始めている。

夕方に知り合いを誘って近くの公園でフリスビーをして遊んだ。
最初はうまく相手のいる場所へ届けることができなかったけれど、次第に感じがつかめてきた。慣れてくるにつれて、力が抜けて心は凪の状態に近づいていっ た。相手の方も同じ感覚だったように思う。僕らはとても心地良い波動を交換しあった。いつもこんな風に思いを伝え合えたらなと思う。

帰り道、桜並木の奇麗な川沿いの遊歩道を自転車で走る。緩やかな風で桜の花びらがひらひらと舞っていた。その情景を観て、ふと2年前のことを思い出した。

疲れのせいか少し無気力な日々が続いていた。たいしたわけもないのに、何もかもが、どうでもよく思えた。その夜も心にかかったもやがとれなくて、投げやりな気分から抜け出すことが出来なかった。そんな時に僕はなにげなく夜の散歩に出かけた。
そして今日の帰り道と同じ川沿いの遊歩道を歩いたのだ。
満開の夜桜は不感症気味の心を少し揺らしてくれた。しばらくすると、今日と同じような緩やかな風が吹いて、桜の花びらがひらひらと舞いだした。
僕は川の流れに目をやった。
川面に花びらが落ちて、静寂の中、それらがゆっくりと流れてゆく、そんな光景を月の光が映し出してくれた。
静かな時間の流れに身をゆだねながらいつからか僕はこんな言葉を心の中でリフレインしていた。「せっくだからー。」「せっくだからー。」何度も何度もそう 繰り返していた。生きて感じるということが、愛しく感じられた瞬間だった。この夜の散歩を境に僕は再びコンディションを取り戻していった。

僕がこの出来事を覚えているのは多分、歌に残すことが出来たからだ(そのままその時のことを歌っているわけではないけれど)。
僕らはあまりにも多くの記憶を無くしてしまう。もしも、泣きながら生まれてきた時のことや、目も見えず、話も出来ずに世界に向き合っていたことや、一人で は決して生きてこれなかったことや、無心に遊び続けた子供の頃の記憶を、無くさずに持ち続けていられたら、これほどにこんがらがったり、虚無に陥ることも こともないんじゃなかろうか。
僕は大切な記憶を失わないために、歌い続けているのかもしれない。