2001年12月29日土曜日

2001年12月29日(月)

大阪で地元の友達と忘年会。家族で来る友達が多く総勢40人の参加になった。
同年代の友達をみていると、以前よりも仕事にやりがいを感じている者が増えい るようだ。働き盛りの時期に入ったんだなあと思った。まあこの年になってもフ リーター、あるいは引きこもり、大学への再入学を目指している、という同年代 の友達もいたりして、人生いろいろだ。

2001年12月28日金曜日

2001年12月28日(日)

ヘルツに関する打ち合わせの後、ヘルツのプロデューサーの山崎君、学君、マ ネージャー哲と三宿で飲む。
お疲れさま、来年もよろしくという感じ。ヘルツのアルバムはもうとっくに完成 しているので、あとは早くリリース日が決まればよいのだが。
知らない内に相当に飲んで酔った。深夜の帰り道、素晴しくご機嫌な状態で知り 合いのミューシシャンに電話して長話。酔ってるときの方が普段より面白くて良 いと言われる。

2001年12月25日火曜日

2001年12月25日(火)

18日に続いてブラジルから来日しているパンディエロ奏者マルコス.スザーノ とドラマー沼澤尚さんを中心としたセッションを南青山マンダラまで観にいく。 この夜の演奏もとても刺激になった。
最初にゲストで登場したのが若手女性デュオ、アナム&マキ。2人のことはデ ビュー前から知っていて当時から才能を感じていたけれど、久し振りにステージ を観てその成長振りに驚かされた。強者をバックに全く臆するところなく弾けて いる2人はとても頼もしかった。
二人目のゲストは公表されていなかったのだけれどシンガーソングライターの Y.M君が登場。なんか風格が出てきたなあ。ギターがますますうまくなっていて、素晴しいグルーブを出していた。
ライブを観ていたらこのステージに自分がいないことが悔しく思えてきた。
ライブの後、楽屋をたづねてメンバーに挨拶。 マルコスとも話する。
「マイ.ネーム.イズ.リクオ」
「オー!リクオ!」
知り合いのライターである下岡さんがソロとヘルツの音源を前もってマルコスに 渡してくれていたので、彼は僕の名前を覚えてくれていた。その後もあらかじめ 辞書を引いて考えてきた内容を話す。俺のつたない英語がなんとか通じた!CDも 誉めてくれて、次回来日したときはいっしょやろうなどと言ってくれた。人当た りのやわらかいとても良い人だった。
帰り道、いいライブでよかった~という単純に素直な気持ちにはなれなかった。

2001年12月22日土曜日

2001年12月22日(土)

最近、結構新曲を書きためている。
今日つくっている曲には「美しい暮らし」というタイトルをつけるつもり。
これは吉田健一という作家の一文に影響を受けて、つけたタイトル。
その文章はこう。

戦争に反対する唯一の手段は各自の生活を美しくして、それに執着することであ る。

僕は吉田健一という作家のことをこの一文以外に何も知らない。ある雑誌にこの 一文のみが掲載されているのを見つけて以来時々ふと、この言葉を思い出すよう になった。
9/11のテロ以降、世界は変わったと思う。僕の楽曲もその影響を受けてい る。
僕はテロにもアメリカの空爆にも反対である。今、アメリカは間違った選択をし ていると思う。
9/11のテロ、そしてアフガン空爆以降、複数の知り合いから戦争やテロのある状況の前で音楽は無力ではないかということを言われた。僕はずっとその意見 に納得できずにいる。そういう状況にこそ必要とされるのが音楽ではないのか?そんな問いを今も繰り返している。

2001年12月21日金曜日

2001年12月21日(金) 新潟・ジョイア・ミーア

今年、締めのライブ。
昨夜からちょっとした出来事で落ちこんでいて、新潟に到着しても、なかなか立 ち直れずにいたところ、携帯が鳴ってマネージャーテツからメールが届く。「今年最後のライブ、モチベーションを上げて下さい。」との内容。自分は、こうい うちょっとしたことでころっと気分が変わってしまうところがある。しばらくし たら「よっしゃー!」という気分になって、いい感じでこの日のライブを乗り切 る。

今年も90本程のライブをやって、全国いろんな場所で歌わせてもらうことが出 来た。
前の事務所を離れて、こういうツアー暮しを始めたころは正直、毎日歌うことや、旅することが辛く感じる時もあったけれど、最近は以前に比べれば、その時々の状況を受け入れてリラックスして楽しる術をつかんできた。

2001年12月18日火曜日

2001年12月18日(火)

南青山マンダラでブラジルのパンディエロ奏者マルコス・スザーノと各方面 で大 活躍のドラマー、沼澤尚さんを中心としたセッションを観にいった。 いゃ~良かった。サウンドは’90年代以降のダンスミュージックを経過した フュージョン、あるいはクロスオーバーミュージックといった感じ。ピアノの塩 谷哲さんとオルガン&ローズの森俊之さんも素晴しかった。
この日のライブを観て自分の立ち位置のようなものを考えさせられた。いい刺激 になった。

2001年12月16日日曜日

2001年12月16日 秩父・ホンキートンク

やあ、この日はいいライブができた。楽しみ方を心得ているお客さんで本当にや りやすかった。ホンキートンク常連のお客さんも多かったようで、多分、オー ナーの鈴木さんが時間をかけてお客さんを育てていかれたのだろう。 秩父には今度はプライベートも兼ねて来てみたい。

2001年12月15日土曜日

2001年12月15日(土)「社会福祉法人みずき会10周年記念式典記念コンサート」

みずき会は重度の知的障害者を受け入れる施設で、そこの代表である樋口さんが 僕のファンだった縁で、この式典に招いていただいた。
800人を収容するホールには施設で暮らす障害者の人達、その親族の皆さん、 スタッフの皆さん、町の有力者の方々と、またいつもとは違うさまざまな客層の人達が集まっていた。この日のライブは、なかなかうまくその場の空気をつかめ なかった。まだまだ修行不足だな。
打ち上げではみずき会のスタッフの皆さんから施設を立ち上げることにしたきっ かけ、立ち上げるまで、立ち上げてからの苦労話などを色々ととうかがう。はた から聞いていると大変な話を、あっけからんと明るく話すみずき会の皆さんの表情と雰囲気がとてもよくて、帰りの車中マネージャーテツと「今日は来てよかっ たなあ」としみじみ話す。

2001年12月12日水曜日

2001年12月12日(水) 浜松・ポルカドット・スリム

 ツアー最終日。前日も相当に深酒したのだが、体調はグッド。
今回のツアーは、ライブの内容も動員も、この日までずっといい感じ。
けれど最終日でこけた。 開演前、店内を覗くと、空席だらけでなんとも寂しい入り。しかも僕をブッキン グしたお店のオーナーが本番前になっても顔をださない。「呼んでおいてそれは ないやろう。」などとわだかまった気持ちで本番を迎える。
まあ、ステージに上がってしまえばそういう気持ちも大抵、切り替わる。 めずらしくライブ中にアルコールを補給しながら、いつも以上に腰を据えてじっくり歌う。まったりとした夜になった。 こういう夜は自分の歌ばかり聴かせるのではなく、集まってくれたお客さんの話 なんぞも聞いてみたくなる。名前も知らず、このまま別れてしまうのが少し残念 なような、そんな気分だった。 長いステージになった。
ライブ中は心地良かったのにステージが終われば寂しい気分。浜松には泊まらず 夜行で東京に帰る。

2001年12月11日火曜日

2001年12月11日(火) 豊橋・ハウス・オブ・クレイジー

 今回の豊橋でのライブにはFM豊橋さんが後援について宣伝に協力してくれた。こ のFMには小石さんという、熱心にサポートしてくれる女性がいるのだ。ここ数 年、各地で目先の損得を超えて僕をサポートしてくれる人達が増えてきていて、本当にありがたい。
この日のお客さんの入りは、今までここのお店でやらせてもらったなかでは一番 だった。しかも食いつきが素早く、とても乗せ上手のお客さんで、ライブは非常 に盛り上がった。 今回のツアーはかなりいい調子。

2001年12月10日月曜日

2001年12月10日(月)

また大阪でツアー中のオフを過ごす。
地元の友達一家と本町で食事。その後、旧友と二人、阿波座で飲む。心地よい時 間。沖縄出身のマスターとの会話が弾み、思わぬ深酒になってしまった。マスターがかけてくれた大工哲弘さんの「生活の柄」がとても良かった。

2001年12月9日日曜日

2001年12月9日(日) 広島・オーティス

 体調、良好。 今日もいいライブが出来た。昨日つかんだ歌の感触は今日も残っていた。来る度 にお客さんの数が増えている。嬉しい。

2001年12月8日土曜日

2001年12月8日(土) 和歌山・オールドタイム

 オールドタイムはJR和歌山駅から歩いて10分程のネオン街の中にあるので、 夕方以降、オールドタイムに向かう多くの人はポン引きの誘いを受けるこにな る。僕がこのお店に年に1度程の割合で通うようになってもう10年くらい経つ と思うのだけれど、その間ずっと僕に声を掛け続けているチョビ髭の親父がい る。きっと向こうは僕の存在など全く意識していないだろうけれど、僕はその親 父に声を掛けられることをちょっとした楽しみにしている。この日も僕は無事、ちょび髭親父と再会を果 たすことができた。元気そうでなにより。この日は入り時間に遅れてしまったので、リハーサルをさっさとすまして、ライブ直前まで近くの喫茶店で過ごす。リ ハーサルの後は大抵、茶店でぼんやりくつろぎながらその日のステージの流れをなんとなく頭に想い描いたりするのだけれど、この日はツアーの疲れが出て、頭 が働かなかった。まあ、一人のステージだから本番で決めればよいと開き直って、本番直前まで窓際の席でぼんやりと外の風景をながめながらだらだらと過ご す。
店に戻った頃にはもうNUIT LOVEさんのピアノ弾き語りステージが始まってい た。横須賀からツアーで和歌山にやってきた彼女は、この日の僕のライブを観るために、わざわざ滞在期間をのばしてくれたそうで、マスターの松本さんの提案 もあって急遽、オープニングアクトをつとめてもらうことになったのだ。ラグタ イムやジャズの影響を受けたピアノも良かったけれど、何よりも歌がよかった。 抑え気味の唱法なのだけれど、その中にとても濃密な想いが込められているのが 伝わってきた。
この日はステージに上がった瞬間からお客さんの期待感を含んだいいオーラが伝 わってきて、自分の中でスッとスィッチが切り替わった。疲れなんてどこかえ消 えてしまった。それからエンディングまで、ずっと流れに身をまかすイメージを保ちながら演奏することができた気がする。お客さんも自分の掌にうまく乗って くれた。
歌唱、演奏、パフォーマンス、どれをとっても最近のライブのなかではベストのステージができた。特に歌唱に関してはこの日に何か一つのきっかけをつかんだ ような気がする。その感じをうまく言葉に現わせないのだけれど、歌いながら 「これだ」という実感があったのだ。とにかく、この日のステージで歌い手とし ての欲が深まった。 打ち上げの小料理屋で食べたお惣菜がとても美味しかった。ツアー中にこういう 食事ができるとほっとする。この店のママのミキちゃんが分けてくれたちいさな ミカンもとても甘くて美味しかった。

2001年12月7日金曜日

2001年12月7日(金)

 ツアー中のオフを大阪で過ごす。
 夜はサンケイホールで行われた川村結花さんのコンサートを観る。このツアー にドラムで学君が参加しているので招待してもらった。
 ステージに登場するやいなや川村さんがレオン・ラッセルを想わせるようなアタッキーでファンキーなピアノを披露したのは意外で、新鮮だった。途中、ゲス トで小田和正さんが登場。二人で「夜空ノムコウ」をデュエット。この名曲が語 られるとき、作詞者のスガシカオ氏に比べると、作曲者である川村さんのことが 取り上げられる機会が少ない気がする。詞に負けない、とてもいいメロディー で、両者は本当に幸せな出会いをしていると思う。

2001年12月6日木曜日

「リクオのハプニングデイズ」at 大阪バナナホール

なかなか寝付けず睡眠不足。  午後2時にバナナホールに入る。リハーサル前にメンバー&マネージャー4人 で楽屋に集合して今日のライブに向けて、打ち合わせ。事前に決めていたライブ メニューをこの日、少し変更することにする。ライブ前にこういうミーティング をするのはヘルツとしてはちょっと異例。
 リハーサルはトラブルなくスムーズに進んでいった。3組で行うセッションは 当日打ち合わせ。ロッキンタイムの今野君は事前に決めていた曲を変更してボ・ ディドリーの「クラッキン・アップ」をセッション曲に持ってきた。ゆったりと した南国のハッピーなムードを感じさせる、いかにも彼らしい選曲。僕はオルガ ンを弾くことにする。
 ロックステディーのレゲエスタイルを得意とするロッキンタイムの演奏を聴い ていると わずらわしいことを忘れて幸せになれる。この日はやる事が多くて、ちとテンパ リ気味だったのだが、リハーサルで彼等の演奏を聴いて、気持ちがほぐれた。
 7時半に開演。僕の紹介でロッキンタイムが登場。彼等の30分ステージの 後、僕が登場してロッキンタイムのオリジナル「どこかに消えた」にピアニカで 参加。彼等のいいヴァイブレーションに触れてすっと気持ちが自由になる。いい パフォーマンスが出来た。出足は上々。
 ロッキンタイムがはけた後にヘルツのメンバーを紹介。3人での大阪ライブは 本当に久し振り。前半は熱くなりすぎず、少し抑え気味の演奏。1曲、1曲を聴 かせるというよりも30分のライブを一つの流れで聴かせることをいつも以上に 意識した。この日の演奏は力まず、けれど淡泊にならず、いい流れに乗ることが できた。ライブ後半でうまくピークがつくれて、自分の気持ちもそれに自然につ いてゆけた。自分の中で発見の多いライブだった。まだまだ高みに行けそう。メ ンバー3人にとっても来年につながる、一つのきっかけになるステージだったと 思う。
 ヘルツタイム最後のナンバー「ムーンライトサンバ」で玲葉奈をステージに紹 介、サビの部分をコーラスしてもらう。いい盛り上がりだ。その後いったん、寺 さんと学君にはけてもらって玲葉奈と二人でセッション。二人の会話を客席に聴 かせている感じ。玲葉奈は音に対する反応が早くて鋭い。打てばどんどん響く感 じ。とても楽しく、ちょっと色っぽいコミュニケーションができた。
 3曲を二人でセッションした後、寺さんと学君を呼び戻してヘルツ&玲葉奈の セッションタイム。ヘルツサウンドを全身に浴びて玲葉奈はどんどん自由に弾け てゆく。音楽とたわむれる喜びを歌で目一杯表現する彼女の姿に、僕だけじゃな く寺さんも学君も多いに刺激を受けたと思う。
 アンコールの3組そろってのセッションもハッピーな空気に満ちていた。いい イヴェントができた。
 打ち上げは近くの鉄板お好み焼き屋で。僕は明け方までコース。ロッキンタイムの今野君が最後まで付き合ってくれる。語った、語った。最後は酔って足腰の立たな くなったX氏(名前は伏せておきましょう)に肩を貸して宿泊先に戻る。

2001年12月5日水曜日

「リクオのハプニングデイズ」at 大阪バナナホール

 20周年を迎えたバナナホールと僕の付き合いは長い。始めてここのステージ に立ったのが大学1回生だった16年前。まだ本格的に歌い始める前で僕はバン ドのキーボーディストだった。CDデビューを記念したライブをバナナで行ったの が11年前。そのときのチケット代は当日2千円。11月にリリースされた初の ライブアルバムの音源のほとんどもここで収録されている。こうやってステージ から20周年を祝うことができるのは嬉しい。
 初共演のはじめにきよしはギターのはじめ君とピアニカのきよし君の二人から なるアコースティックデュオ。ゴンチチを少し素朴にしたような、どこかとぼけ ていて、懐かしく、暖かいサウンドが魅力。二人のキャラもいい。曲間の両者の 掛け合いと間の取り方が絶妙。またいい出会いができた。   バンバンバザールは南君と安藤君が抜けて、ベースに泥水の黒川君が参加した 後、初の大阪ライブ。サウンドはアコースティックからエレキ色が強くなり、骨 太になり重みが出てきた。フィッシュのようなインストとギターソロをフィー チャーしたナンバーもあったり、以前にはなかったサウンドアプローチが感じら れ、バンドは大きな転換期にある様子。
 バンバンとのセッションコーナーでは彼等のアレンジで僕と友部正人さんとの 共作「カルヴァドスのりんご」を共演、とても印象深いセッションになった。僕 が弾き語りで演るときの、ジャズ的なテンションの入ったコードワークで、クー ルに同じフレーズ、リズムを繰り返すミニマルなサウンドアプローチとは異な り、この日のバンバンのアレンジはニール.ヤング&クレイジーホースを想わせ るフォークロック調のハードでストレートなものだった。前者のイメージが青白 い炎なら後者のイメージは真っ赤な炎。なんだか昔の血が蘇ってくるような感じ で燃えた。
 バンバンは来年、一台の器材車にスタッフとメンバーが乗り込んで200本を 超すツアーに出る予定だそう。ツアー中に季節が変わるので、旅の途中で服装の 衣替えをするのだとドラムの武田君が楽しそうに語ってくれた。彼等の旅の話は 尽きない。そんな話を披露する時のメンバー達は本当に生き生きとしている。同 じ楽屋になって一番楽しいバンドである。200本のツアーを終えた後、彼らは また成長した姿を僕らに魅せてくれるだろう。現在、これほどにバンドらしいバ ンドを僕は他に知らない。長く続いてほしい。
 バナナホールでの打ち上げを終えた後、マネージャーテツとエンジニアスタッ フの恭一さんと3人で飲みに行く。軽く飲んで帰るつもりが、明日のステージに 向けて熱く語り合う長いミーティングになってしまった。

2001年12月4日火曜日

2001年12月4日(火)

 9日間、6ヵ所ツアーの始まり。
この日はマネージャーテツと2人、器材がたっぷり積み込まれた彼の自家用車で 東京を午前中に出発、大阪に向かう。快晴でほとんど渋滞もなく、車中での会話 も弾み、なかなか快適な気分で夕方には大阪に到着、明日のライブ会場であるバ ナナホールへ向かう。
 バナナホールでは20周年を記念したライブイヴェントがシリーズで行われて いる最中で、明日、明後日は「リクオのハプニングデイズ」という企画で僕が 20周年に花を添えさせてもらうのだ。
 この日の出演はビギン、木村充揮、桑名晴子、玲葉奈。世代を超えて歌心を大 切にするアーティストが集まった。笑いあり、泣かせありのアットホームでベタ な会場の雰囲気は大阪ならでは。愛とレスペクトにあふれたいいイヴェントだっ た。特に印象に残ったのは木村さんの芸人としての懐の深さと、晴子ちゃんの歌 い手としての圧倒的な存在感。積み重ねられたキャリアの凄味を感じた。そして 二人の素晴しさは確実にビギンと玲葉奈にも受け継がれてゆく、そう確信させて くれるイヴェントだった。