2002年6月25日火曜日

2002年6月25日(火) 沖縄・モッズ

歌の日コンサートの反響もあって客席は満員。
9時半開演予定が30分遅れて10時開演。最初に地元のバンドピース・オブ・ムーンさんが40分程演奏。俺がステージに登場したのが11時。終電は大丈夫 なんか?いやいや沖縄に電車は走ってません。終電なんか関係あらしません。 しっかり沖縄時間の洗礼を受けて、ライブがスタート。
客席の熱気が素晴しい。いやあ~煽られました。皆さん、楽しみ方を知ってはり ますね。

沖縄在住知り合いミュージシャンの比屋定篤子さんと元ゼルダのさちほさんが遊 びにきてくれて、打ち上げで色々話した。比屋定さんは地元沖縄に戻って結婚、 出産を経て最近音楽活動を再開。彼女の声はほんまええよ。この日はミュージ シャンである彼女の夫、那須さんも紹介してもらった。 さちほさんは現在アマナというインド民族音楽の影響の強いバンドを女性3人で 結成して沖縄からいろんな街へツアーへ出ている。さちほさんからはいっしょに 遊びに来てくれた元ネーネーズのよっちゃんこと小山良子さんを紹介される。 この4人のうち沖縄生まれは比屋定さんだけ。3人は成人してから自分の意思で 沖縄に移住してきた人達。さちほさんとよっちゃんに沖縄での暮らしを聞いてみ た。
なにごともシンプルなのがよいというのが二人の共通した意見。けれど溶け込むには時間を要したとのこと。特に男は女以上に大変だというのがさちほさんの意 見。 そこで俺は2年前に急逝したさちほさんの夫、どんとの沖縄での暮らし振りを聞 いてみた。俺はどんとがボ・ガンボスを辞めて沖縄に移住すると聞いたとき少し 複雑な気持ちになった。さちほさんの話ではどんとが沖縄の暮らしになじんでゆくには苦労もあったようだ。

タクシーの運転手さんと話してたときに俺が東京から来たって言ったら、その人 に沖縄に来てくれてありがとうってお礼を言われた。地元のいろんな人から沖縄 はいいところですよ~って言われた。沖縄の人達は自分の街、風土、文化を愛し てるんやなって思った。

また風来坊を気取って沖縄に戻ってこれたらいいなと思う。

2002年6月23日日曜日

2002年6月23日(日) 第2回歌の日コンサート(沖縄市民会館大ホール)

出演:リクオ、BIGIN、忌野清志郎、大工哲弘、森山良子、花*花 他

記念すべき沖縄初上陸。 気候も暑いがお客さんも熱い。なんとも素晴しいダイレクトなリアクション。構 えたところがない。よく聴き、よく踊り、よくかみしめる。ここは音楽のメッ カ?
慰霊の日を歌の日にしようとビギンが企画したこのコンサート、彼等の音楽に対 するスタンスと人柄がよく現われていて、ほんまにええ感じやった。

疎遠になっていた清志郎さんと一月に2度もいっしょになるなんて不思議。俺も やってまっせってとこはみせられたかな。

八重山出身の歌しゃー大工哲弘さんとお会いできたのも嬉しかったな。俺は大工 さんのファンなのだ。
実は数年前に大工さんがツアーで東京に来られた際、酔った勢いで大工さんの打 ち上げに乱入したことがある。大工さんも泡盛で結構酔っておられる様子で、誰 とも知らぬ乱入者を機嫌良く迎かえ入れてくれた。 調子に乗った俺は大工さんに歌をせがみはじめた。そうしたら大工さんはなんの 躊躇もなく傍らのケースにしまっていた三しんを取り出して「月のかいしゃ」を 歌ってくれた。 感動した。
それでやめとけばいいのに俺の勢いは止まらず今度は「生活の柄」をリクエス ト。そしたらまたすぐ歌ってくれんのよ。もう最高。いっしょに歌ってました。 楽しかったなあ。
でも、このときのこと大工さんは全く覚えていませんでした。

2002年6月19日水曜日

2002年6月19日(水) 初台・ドアーズ

出演:リクオ、佐藤奈々子&ポエティック・ フィジィカルドメン、山田晃司、ソイル&ヘイルセッション
ステージに上がってもまだスイッチがオンにならなかった感じ。出足でつまづい た。 修行不足やな。
佐藤奈々子さんのバンド良かった。初めてお会いする奈々子さんは世間離れした 不思議なオーラを発していた。みずみずしくて素敵な人だった。

2002年6月13日木曜日

2002年6月13日(木) 新宿・トーキングモンキーズ

この日はライターでありミュージシャンでもある和久井光司氏のライブにゲスト 出演。
ツアーの疲れが出て体が重い。アルコールを補充してステージへ向かう。あらら 不思議、元気倍増、上機嫌。最初から完全な俺ペースのライブ。

2002年6月11日火曜日

2002年6月11日(火) 豊橋・ハウス・オブ・クレイジー

この日はパーカッション奏者の山本恭久さんに東京から参加してもらった。レ コーディングには参加してもらっているのだがライブでの共演は初めて。2部構 成でつなぎに地元のDJ阿部ちゃんと河合ちゃんにお皿を回してもらった。二人の 選曲がいかがわしくてアダルトなところをついていてGOOD! !山本さんも煽って くれるし、いゃあ~俺の気分は盛り上がって楽しかったのだが、客入りはもう一 つでした。
帰りは山本さんの車にのっけてもらって真夜中に東京に向かったのだが、豪雨と 霧と大渋滞で大変な思いをした。運転していた山本さんが一番大変やったんやけ ど。東京に着いたのは朝の7時半頃。約2週間振りの帰宅。

2002年6月10日月曜日

2002年6月10日(月) 伊勢・カップジュビー VS 外村伸二

この日共演する外村はこのお店のマスターで学生時代からの音楽仲間。 学生時代に彼といっしょにはじめたロック.バンドが俺の音楽キャリアの一つの 出発点になった。当時は彼が歌とギターで、俺はキーボードのみを担当してい た。出会ったその日に彼が貸してくれたドクター・ジョンのアルバム「ガンボ」 がその後の俺のピアノスタイルに多大な影響を与えた。それから彼の6畳間の 下宿に通 いつめ、いい音楽をたくさん教えてもらった。 卒業後、外村は俺より先に上京して音楽キャリアを重ねた。そしてヴィヴィッド からソロアルバムをリリース。そこではデビュー前のつたない俺のプレイも聴 くことが出来る。
紆余曲折あって、結婚し、子供も生まれて2年前に彼は故郷の伊勢に店を構え た。
カップジュビーには街の音楽好きやくせのあるちょっとした変わり物が集まって くるようだ。外村は10代の若いバンドボーイ達からも慕われている様子。彼等 はコーヒー一杯で旅人気分を味わうためにカップジュビーに集まってくるのかも しれない。俺が外村の下宿に通ったように。 この日は他にも思わぬ再会が。
大学時代に俺と外村が所属していた軽音楽部の先輩、現在大阪在住のM さんが ひょっこりお店に顔を出したのだ。俺の方は昨年Mさんと10数年振りの再会を 果たしていたのだが、外村の方はMさんが卒業して以来の再会。 Mさんがこの日現われた理由はよく知らないけれど、何かを確かめに来たんやろ な。
久し振りに外村の歌を聴いた。ブルースに憧れていた少年がブルーにこんがった りしながら時を経て、憧れじゃないブルースをこの街からマイペースで歌ってい た。 色々あるんやろうけれど奴も嫁さんも子供も元気そうだった。 またの再会を約束して次の街へ。

2002年6月9日日曜日

2002年6月9日(日) 広島・OTIS

この日もワールドカップ日本対ロシアの影響はあまり関係なかったみたい。
ライブ後の酒の席で、ある人から俺がレパートリーにしているある歌に関して、 人を傷つけかねないその歌を演奏する理由は何かと尋ねられた。悪意を持った質 問ではなかった。 誰も傷つけずに上辺ではない表現を続けてゆくことなんて可能なんやろか?

2002年6月8日土曜日

2002年6月8日(土) 姫路・E-CLAT

EーCLAT は2年数ヵ月前までバレルハウスという名前だった。当時のマスター、 清水さんは物腰が柔らかく優しいまなざしが印象的で、心より音楽を愛する人 だった。2年前の4月に清水さんは急逝された。主人のいなくなったお店は一旦 閉められることになった。 俺は4年程前、長く所属していた事務所を辞めた。マネージャーがいなくなっ た。これからは自分で仕事をとらなければいけない。途方に暮れる暇もない状況 で、俺は方々に連絡したり会いに行ったりして自分でツアーのブッキングなどを やり始めた。冷たく対応されることも多かった。無下に断わられて何度もがっく りきた。 そんな頃、バレルハウスへ電話をした。清水さんの声は優しかった。受け入れて もらえると思った。それ以来俺は年に2回程の割合でバレルハウスへ通うように なった。清水さんはあまり多くを語らない人だが、いつもカウンターの奥から見 守ってくれているような気がした。 小坂忠の「機関車」をはじめて聴いたのはバレルハウスだった。いつかのライブ の後にアルバム「HORO」が流れ始めたのだ。何曲めかではじまった「機関車」の 印象は強力だった。祈りの歌だと思った。 「機関車」は清水さんの大好きな歌だった。2年前の3月、バレルハウスで始め て清水さんが歌うのを聴いた。俺のステージのオープニングを清水さんのバンド がつとめてくれたのだ。そのときに清水さんは「機関車」を歌った。しみた。 月があけて、清水さんは亡くなられた。深夜まで気持ち良く飲んで寝床につき、 そのまま逝ってしまったのだ。 しばらくして清水さんのよき音楽仲間でありバレルハウスのPAエンジニアも担当 していた井上さんから連絡があった。お店はなくなってしまうけれど清水さんの 意志を継いでこれからも姫路で音楽を盛り上げて、体制がととのったらリクオの ライブを企画します、とのことだった。 そして約2年ぶりに井上さんから電話をもらった。清水さんの甥っ子のみつぐ君 がバレルハウスをひきついでお店をオープンさせているので歌いに来てくれとの こと。そら行かな。 この日は小さなお店に入りきれない程のお客さんがつめかけた。清水さんの音楽 仲間も結構来られていたようだ。アンコールで「機関車」を歌った。しょっちゅ う歌わせてもらっている曲なのに、この日はちゃんと歌えるか、少し心配だっ た。うん、でも自分なりに歌えたと思う。 「機関車」を歌いながらこれからも時々、清水さんのことを思いだすんやろな。 音楽は大切な記憶を心に刻みこんでくれる。

2002年6月6日木曜日

2002年6月6日(木) 和歌山県東牟婁郡古座川町・南紀月の瀬温泉ぼたん荘いろり館

チケットはソールドアウトとのこと。会場についた時からスタッフの方々の熱意 がびんびん伝わってくる。
客席は最初から出来上がった状態。小学生からお年寄りまで老若男女で盛り上 がった。
ここまで幅広い年代の客層と、ためがはじけたような乗りは都市部ではなかなか 有りえない。
このあたりはプライベートでもまた遊びに来たいなあ。山あり海あり、神社あ り。奥深くて神聖な場所が色々ありそう。
次の日は地元の方に観光案内をしてもらった。

2002年6月5日水曜日

2002年6月5日(水) 田辺市・カフェモーク

この日のライブにはヘルツのアルバムプロデュースをやってくれた山崎哲也君 がゲスト参加。
実は田辺は彼の故郷で、このお店のママである谷口さんには10代の頃、色々と お世話になっていたんだそう。それで俺が田辺でライブをすると聞いて急遽、 パーカッションをかついで東京から里帰りしてくれたのだ。
ライブには彼の家族もやってきて、ちょっとした凱旋ライブの様相。
山崎君とライブで本格共演するのは今回が初めて。実に思いっきりのよい、やん ちゃで弾けたプレイだった。がらの悪さがええ感じ。楽しい会話がステージでで きた。

2002年6月4日火曜日

2002年6月4日(火) 和歌山・OLD TIME

この日はワールドカップ日本対ベルギーが18時からということで動員が心配 だった。
でも結構席がうまって、あんまり関係なかったみたい。
最近、オールドタイムで演奏するといつも自分の歌がうまくなったような気がす る。音がええねんな。
今夜もええ感じ。よっしゃマスター打ち上がろ!飲みに行こ!

2002年6月3日月曜日

2002年6月3日(月) 和歌山県有田郡湯浅町・レストランかえん

和歌山ツアー初日。
和歌山ツアーを組んでくれた地元の音楽制作会社、フアーストテイクの松本さん が同行してくれる。浜村淳をもう少しアッパーにしたようなしゃべりで、いつも ハイテンションの人だ。松本さんとは毎回、夢のある話ができて楽しい。
主催者の尾根さんとは約10年振りの再会。 おっ、なんか尾根さん、渋みが出てかっこようなってるんちゃう? 俺もええとこみせたいね。
お店の回りは田んぼとみかん畑ばっかり。演奏中、水田の方からカエルの鳴き声 がよく聞こえてきた。先日の大阪城ホールとのギャップが笑える。 用意された60席程がええ感じでうまって、俺もお客さんも上機嫌のライブ。い やあ~ステージで飲む生ビールはうまい。

2002年6月1日土曜日

2002年6月1日(土) JAPANESOUL at 大阪城ホール

出演:リクオ、山崎まさよし、宮沢和史(THE BOOM)、元ちとせ、松たか子、コ ブクロ、玲葉奈、渡辺美里、アナム&マキ、忌野清志郎
 
出番を待つ間も、アンコールのセッションの時も、打ち上げの時も松たか子さんと隣どうし。色々と話もしたぞ。でもなかなか目を合わせてくれへんねん。かわ し方をわかってらっしゃる様子。笑顔が洗練されていて、気さくでチヤーミング な人でした。
俺のステージの評判はよかったよ。1万2千人のコール&レスポンスは気持ち良 かった。 打ち上げでYさんから「大阪城をライブハウスにしてたな。」と言われたのが嬉しかった。狙い通 りや!
この日に弾かせてもらったグランドピアノはホールの備え付けのものではなく、 スタッフの方々がリクオに最高のピアノを弾かせたいという思いで、大阪で一番 状態が良いと思われるピアノを選んで50万円の費用をかけて持ち込んでくれた そう。その熱意にレスペクト。そして心より感謝。