2002年9月16日月曜日

2002年9月16日(月)

早朝の新幹線で東京に戻り、幼馴染みの結婚式&披露宴に出席。深酒と睡眠不足 のわりには元気。
式場で仲の良かった小、中、高校生時代の同級生4人と再会。10数年振りに 会った奴もいて、懐かしい。
新郎&新婦は幸せの絶頂という感じで、多いにみせつけられた。いい結婚式だった。
スリープウォーカーというクラブジャズバンドをやってるサックス奏者のまさやんが、たまたま新郎の京都時代の知り合いだったことから披露宴に出席していて、久し振りに再会。
2次会は彼の知り合いがやってるという原宿通りにある店 で飲む。同級生、知り合いミュージシャン、新郎の会社の同僚、新郎が元いた 会社の同僚で俺の自宅のご近所さんという不思議なメンバーの集まりで盛りあが る。 久し振りに集まった幼馴染みとの会話は非常に楽しく、心が洗われた。
閉店の時 間になってもまだ、盛り上がり足りない気がして、皆で渋谷のクラブ、ルームに 行く。店に入ったらキャロル・キングの「I FEEL THE ERTH MOOVE」が聴こえてきた。この日のDJは元コーザノストラの佐々木潤さん。 30代後半の同級生達といっしょに渋谷のクラブで盛り上がってるなんて笑え る。
同級生の一人はジョン・トラボルタのような動きをみせてフロアで異彩を放っていた。 少々音量のでかすぎるサウンドに身をゆだねながら、12時をとっくにまわって 自分が誕生日を迎えていたことに気付いた。 まだまだこんな感じで行きたいね。 乾杯!

2002年9月15日日曜日

2002年9月15日(日) 長野・ネオンホール

起きてすぐに木下さん宅の向かいにある温泉宿の湯につかりに行く。
その後、木 下さんに美味しい蕎麦を食べに連れて行ってもらう。途中で立石公園に立ちより 諏訪湖を一望する。数日振りに晴れ間がのぞく。絶景。蕎麦屋では天おろしそばと地ビールを頼む。美味。木下さんに駅まで送ってもらい、いざ長野へ。
ネオンホールに来たのは初めて。戦前に立てられたという古い木造の建物を改造 して作られた店内は、妙にアングラな匂いがする。自分が育った京都のライブハ ウス磔磔や拾得の雰囲気に似ているせいもあり、親しみと懐かしさを覚えた。 建物は古いがスタッフと集まってくるお客の年齢層は結構若かった。若さのせい なのか皆、非常に元気がよい。ライブの盛り上がりも凄かった。
今回のツアーは どこもよく盛り上がったが、ここの盛り上がり方は天井知らずな感じ。2度めの アンコールが終わっても、最後の曲のコーラスをお客さんがしばらく歌い続けていて、なかなか会場の余韻がさめなかった。
で、俺の余韻も冷めやらず、ライブ途中から飲み始めたアルコールはライブ後も 益々進み、深夜からはリクオのDJタイムが始まる。残ったスタッフとお客さんと いっしょに飲んで踊って騒いでアホになる。ミュージックライフ!ツアー最終美にふさわしい一夜。

2002年9月14日土曜日

2002年9月14日(土) 岡谷・セロニアス

目覚めたら手首の痛みが消えていた。ラッキー! 涼しいというよりは肌寒い気候。ツアーの間に夏の匂いがすっかり消えてしまっ た。
昼食にまた蕎麦を食べる。が、今日の店ははずれ。
その後、湖畔のベンチにすわって、明後日に出席する幼馴染みの結婚式のスピーチを考えたりする。
夕方、今日のライブの主催者、木下さんと待ち合わせて、ライブ会場セロニアス がある隣町の岡谷へ向かう。 セロニアスに置いてある年期の入ったピアノは約20年前に木下さんはじめ街の音楽仲間がお金を出し合って購入したものだそう。こういう話を聞くとぐっと気 持ちが入る。
今日も新鮮な気持ちで演奏できた。お客さんの反応も素晴しい。 現在諏訪在住、元古井戸のシンガーソングライター、加奈崎さんが観に来てくれ た。とても元気そうだった。不良親父健在。

2002年9月13日金曜日

2002年9月13日(金) オフ

飯田線で上諏訪へ。諏訪湖から歩いて1分ほどの温泉付ホテルに泊まる。
駅前の観光案内所で教えてもらった河内屋という蕎麦屋で遅い昼食をとる。 せいろ(大)を頼む。細めんで固め。かめば少し甘味がある。美味。
気温が急に下がり出したせいもあり、右手首が痛みだす。何度も湯につかり腕か ら手首、掌、指にかけて丁寧に左手でマッサージする。
夜は諏訪湖沿いにあるファミレスに居座って読書などして時間をつぶす。

2002年9月12日木曜日

2002年9月12日(木) 飯田・ふぉの

高山からJRで名古屋へ。そこからバスで飯田へ。移動に約6時間かかる。
それで もこのところ体調がよいので、あまり疲れを感じない?
ツアー中に、知り合いミュージシャンであるシンガーソング・パンク・ロッカー、 遠藤みちろうさんが倒れたらしいという話しを人づてに聞き、気になっていたの で、リハーサルの後、本人に電話してみる。 胃潰瘍で2週間入院して3日前に退院したばかりとのこと。やっと元気が出てきたら、何か怒りがふつふつと湧いてきたそうだ。 ミチロウさんは50を過ぎても年間200本を超えるライブを続ける超人だが、さすがに無理がたたったのだろう。取り合えず回復に向かっているようなのでよ かった。
数年前、郡山でミチロウさんと共演させてもらった翌日の昼間、温泉にいっしよ させてもらったことがある。露天風呂もついて、なかなか気持ちの良いお湯だっ た。 そのとき露天風呂の湯船からあがったミチロウさんが、その場で仁王立ちになっ て深呼吸をしていた姿が忘れられない。とにかく筋肉質のその体はとても50近 い親父のそれとは思えないはりと力強さを持っていて、アメリカのパンク親父イ ギー・ポップの肉体にも、まさるとも劣らない感じ。脱いでもすごいっす、ミチロウさん。 そばにいた自分は軽い敗北感。
ライブは今日も満席。嬉しいね。開始30秒で、今日のライブはもらったって気 になった。ええ感じ。調子に乗ってるわ。

2002年9月11日水曜日

2002年9月11日(水) 高山・ビッキン

渓流沿いを走る高山本線に乗るのはいつも楽しみ。車窓からの景色が飽きない。 ライブ前になかなかうまい蕎麦を食う。
今夜はマスターの同級生でサックス奏者の中谷さんと5曲セッションする。いい 会話をさせてもらった。またいつかお手合わせを。
今日の打ち上げではおとなしい酒を飲んでくつろぐ。

2002年9月10日火曜日

2002年9月10日(火) オフ

富山で連泊。 昼食は徳光夫妻が地元の料亭に招待してくれる。白えびづくし。美味。ごっつぁ んです。
夕方、市内に戻って駅近くで自転車をレンタルして街を散歩。 本屋で文庫本を3冊買う。

2002年9月9日月曜日

2002年9月9日(月) 富山市岩瀬浜・アナザホリデー

大阪時代からの知り合い徳光典子さんが夫のタカジーと、カフェをオープンして 1年。オープン前からさそわれていたライブをやっと実現できた。
アナザホリデーは古い民家を改造してつくられた、しゃれていて懐かしいスペー ス。オープンな雰囲気があって若い子ばかりじゃなく近所のおばあちゃんもお店の常連だったりするところがとても良い。
リハの後、近くの富山港界隈を散歩。大きなロシア船が寄港していた。ロシア人とおぼしき男性がボロボロのチヤリンコに乗って、町をうろついていた。 このあたり、夜中にはやばい取り引きが行われていそうな雰囲気。
今日も集中力の高い演奏ができた。力が抜けて気持ちがすっと入って行く感じ。 お客さんの反応も素晴しい。絶好調。
カメラマンでもある典子さんが写真をたく さんとってくれた。あがりが楽しみ。
打ち上げではアルコールもすすみ、上機嫌で語りまくった。

2002年9月8日日曜日

2002年9月8日(日) 金沢・もっきりや

もっきりやのピアノの前に座った時に、昨夜この同じ場所の同じセッティングで エリック・カズが演奏したことを思って、少し不思議な、感慨深い思いにかられ る。
32年の歴史を持つこの場所には音楽を通してたくさんの想いが凝縮されてい る。
今日はそんな想いを感じ、受け取りながら演奏できた気がする。とても集中 力の高い演奏だった。
今夜のライブを今のところの生涯ベストライブの一つに加 えてもいいかもしれない。 何か見えた感じ。まだまだ高みに行けそうな。
ライブの後、マスターの平賀さんから「ブレイク直前の気がする。」と言われる。よっしゃ。

2002年9月7日土曜日

2002年9月7日(土)

今日からまた一人旅。金沢に前乗り。
明日の自分のライブ会場でもあるもっきりやでエリックカズのライブをみる。
この人の主な演奏スタイルもピアノ弾き語り。エリック自身は知る人ぞ知るとい う存在だが、ボニーレイット、リンダ・ロンシュタット、シェリルクロウといっ た錚々たるシンガーが、彼の曲を取り上げて歌っている。
夜7時半頃、エリックのライブを観るためにホテルを出ようとしたら、ロビーの ソファに腰をおろしているエリックを発見。どうやら同じホテルに宿泊している ようだ。ちょっとくたびれた感じの親父だった。
もっきりやは100人入れば超満員の小さなライブスポットだが、通好みの渋い 来日アーティストや日本のトップジャズメンが演奏する機会も多く、30年を超 える歴史を持つ。マリア・マルダー、エリオット・マフィーなんて人もこのお店の ステージに立っている。
エリックは柔らかい笑顔をふりまきながら客席を通ってステージへ登場。動きは ゆっくりとしている。 おもむろに弾き始めたピアノのタッチはとても優しく、最初は少し頼りない感じ がした。声はレコードよりも枯れていた。無駄な音が一つもないような演奏だっ た。なんの気負いもたくらみも感じられない。演出めいたものも一切ない。ただ 美しい歌がそこにあった。
しみた。 この人に比べると自分はまだまだいろんな欲があって、ぎらついている。 俺はまだそれでいく。

2002年9月6日金曜日

2002年9月6日(金)

京都 磔磔 この日はワンボックスカーを借りて東京からサポートミュージシャンの山崎哲也 (パーカッジョン)、玉城亜弥(ヴァイリン)、スタッフの哲ちゃん、えびちゃんといっしょに車移動。
車内は終始賑やか。亜弥ちゃんと山崎君の二人が揃うと相乗効果があるようで、 どっちもほんまようしゃべるわ。友達と遊びで旅行に出かけてるみたい。こんな 感じ嫌じゃない。
このメンバーでのライブは先日の下北沢440に続いて2度め。前回よりもずっ と、メンバー間の呼吸が読み取れて、演奏にメリハリが出た。 440での2日間でも感じたことだが、新しいメンバーとの演奏は新鮮で実に楽 しい。ヘルツと違うところはステージでもオフステージでもメンバー間でベタに 盛り上がりやすいところ。
俺がぼけると誰かがつっこんでくれるところがありが たい。

2002年9月5日木曜日

2002年9月5日(木)

夜に下北で待ち合わせて学君、寺さんと久し振りに飲む。 またいつか3人で同じステージにたてればいいねと話しする。まあいつになる か、わからんけど。

2002年7月20日土曜日

2002年7月20日(土)

もう一月近く旅に出ていない。これって最近ではめずらしいことなのだ。
くそ暑い東京でわりと静かに過ごしている。 やるべきことがないわけではないが、そんなに焦ってやらなくても困ったり、 怒ったりする人もいないので、ゆっくりしている。
夕暮れ時に散歩にでかけ茶店で読書などするのが、最近の日課。 昔に読んだ本を何冊か読み返しているのだが、内容をほとんど忘れていてあきれ る。
この期間に曲が出来るかなと思ったけれど、あまりひらめかない。 焦らず待とうホトトギズ。
そう言えば音楽業界には「忙しい、忙しい、たまりませんわ。」とぼやくふりを して自分の忙しさを自慢する人が多い気がする。 気持ちはわからんでもないが、それって、ちょっとかっこ悪くないか? 特に創作に携わる人間が忙しすぎたり、自ら進んでスケジュールを埋めまくると いうのはどうなん? 忙しさを自慢するよりは、暇つぶしのうまさと遊び上手を自慢したいね。
と言いつつ空白のスケジュール帳をみて焦ってしまったりする俺。 旅は好きやけど寅さんにはなられへんね。

2002年6月25日火曜日

2002年6月25日(火) 沖縄・モッズ

歌の日コンサートの反響もあって客席は満員。
9時半開演予定が30分遅れて10時開演。最初に地元のバンドピース・オブ・ムーンさんが40分程演奏。俺がステージに登場したのが11時。終電は大丈夫 なんか?いやいや沖縄に電車は走ってません。終電なんか関係あらしません。 しっかり沖縄時間の洗礼を受けて、ライブがスタート。
客席の熱気が素晴しい。いやあ~煽られました。皆さん、楽しみ方を知ってはり ますね。

沖縄在住知り合いミュージシャンの比屋定篤子さんと元ゼルダのさちほさんが遊 びにきてくれて、打ち上げで色々話した。比屋定さんは地元沖縄に戻って結婚、 出産を経て最近音楽活動を再開。彼女の声はほんまええよ。この日はミュージ シャンである彼女の夫、那須さんも紹介してもらった。 さちほさんは現在アマナというインド民族音楽の影響の強いバンドを女性3人で 結成して沖縄からいろんな街へツアーへ出ている。さちほさんからはいっしょに 遊びに来てくれた元ネーネーズのよっちゃんこと小山良子さんを紹介される。 この4人のうち沖縄生まれは比屋定さんだけ。3人は成人してから自分の意思で 沖縄に移住してきた人達。さちほさんとよっちゃんに沖縄での暮らしを聞いてみ た。
なにごともシンプルなのがよいというのが二人の共通した意見。けれど溶け込むには時間を要したとのこと。特に男は女以上に大変だというのがさちほさんの意 見。 そこで俺は2年前に急逝したさちほさんの夫、どんとの沖縄での暮らし振りを聞 いてみた。俺はどんとがボ・ガンボスを辞めて沖縄に移住すると聞いたとき少し 複雑な気持ちになった。さちほさんの話ではどんとが沖縄の暮らしになじんでゆくには苦労もあったようだ。

タクシーの運転手さんと話してたときに俺が東京から来たって言ったら、その人 に沖縄に来てくれてありがとうってお礼を言われた。地元のいろんな人から沖縄 はいいところですよ~って言われた。沖縄の人達は自分の街、風土、文化を愛し てるんやなって思った。

また風来坊を気取って沖縄に戻ってこれたらいいなと思う。

2002年6月23日日曜日

2002年6月23日(日) 第2回歌の日コンサート(沖縄市民会館大ホール)

出演:リクオ、BIGIN、忌野清志郎、大工哲弘、森山良子、花*花 他

記念すべき沖縄初上陸。 気候も暑いがお客さんも熱い。なんとも素晴しいダイレクトなリアクション。構 えたところがない。よく聴き、よく踊り、よくかみしめる。ここは音楽のメッ カ?
慰霊の日を歌の日にしようとビギンが企画したこのコンサート、彼等の音楽に対 するスタンスと人柄がよく現われていて、ほんまにええ感じやった。

疎遠になっていた清志郎さんと一月に2度もいっしょになるなんて不思議。俺も やってまっせってとこはみせられたかな。

八重山出身の歌しゃー大工哲弘さんとお会いできたのも嬉しかったな。俺は大工 さんのファンなのだ。
実は数年前に大工さんがツアーで東京に来られた際、酔った勢いで大工さんの打 ち上げに乱入したことがある。大工さんも泡盛で結構酔っておられる様子で、誰 とも知らぬ乱入者を機嫌良く迎かえ入れてくれた。 調子に乗った俺は大工さんに歌をせがみはじめた。そうしたら大工さんはなんの 躊躇もなく傍らのケースにしまっていた三しんを取り出して「月のかいしゃ」を 歌ってくれた。 感動した。
それでやめとけばいいのに俺の勢いは止まらず今度は「生活の柄」をリクエス ト。そしたらまたすぐ歌ってくれんのよ。もう最高。いっしょに歌ってました。 楽しかったなあ。
でも、このときのこと大工さんは全く覚えていませんでした。

2002年6月19日水曜日

2002年6月19日(水) 初台・ドアーズ

出演:リクオ、佐藤奈々子&ポエティック・ フィジィカルドメン、山田晃司、ソイル&ヘイルセッション
ステージに上がってもまだスイッチがオンにならなかった感じ。出足でつまづい た。 修行不足やな。
佐藤奈々子さんのバンド良かった。初めてお会いする奈々子さんは世間離れした 不思議なオーラを発していた。みずみずしくて素敵な人だった。

2002年6月13日木曜日

2002年6月13日(木) 新宿・トーキングモンキーズ

この日はライターでありミュージシャンでもある和久井光司氏のライブにゲスト 出演。
ツアーの疲れが出て体が重い。アルコールを補充してステージへ向かう。あらら 不思議、元気倍増、上機嫌。最初から完全な俺ペースのライブ。

2002年6月11日火曜日

2002年6月11日(火) 豊橋・ハウス・オブ・クレイジー

この日はパーカッション奏者の山本恭久さんに東京から参加してもらった。レ コーディングには参加してもらっているのだがライブでの共演は初めて。2部構 成でつなぎに地元のDJ阿部ちゃんと河合ちゃんにお皿を回してもらった。二人の 選曲がいかがわしくてアダルトなところをついていてGOOD! !山本さんも煽って くれるし、いゃあ~俺の気分は盛り上がって楽しかったのだが、客入りはもう一 つでした。
帰りは山本さんの車にのっけてもらって真夜中に東京に向かったのだが、豪雨と 霧と大渋滞で大変な思いをした。運転していた山本さんが一番大変やったんやけ ど。東京に着いたのは朝の7時半頃。約2週間振りの帰宅。

2002年6月10日月曜日

2002年6月10日(月) 伊勢・カップジュビー VS 外村伸二

この日共演する外村はこのお店のマスターで学生時代からの音楽仲間。 学生時代に彼といっしょにはじめたロック.バンドが俺の音楽キャリアの一つの 出発点になった。当時は彼が歌とギターで、俺はキーボードのみを担当してい た。出会ったその日に彼が貸してくれたドクター・ジョンのアルバム「ガンボ」 がその後の俺のピアノスタイルに多大な影響を与えた。それから彼の6畳間の 下宿に通 いつめ、いい音楽をたくさん教えてもらった。 卒業後、外村は俺より先に上京して音楽キャリアを重ねた。そしてヴィヴィッド からソロアルバムをリリース。そこではデビュー前のつたない俺のプレイも聴 くことが出来る。
紆余曲折あって、結婚し、子供も生まれて2年前に彼は故郷の伊勢に店を構え た。
カップジュビーには街の音楽好きやくせのあるちょっとした変わり物が集まって くるようだ。外村は10代の若いバンドボーイ達からも慕われている様子。彼等 はコーヒー一杯で旅人気分を味わうためにカップジュビーに集まってくるのかも しれない。俺が外村の下宿に通ったように。 この日は他にも思わぬ再会が。
大学時代に俺と外村が所属していた軽音楽部の先輩、現在大阪在住のM さんが ひょっこりお店に顔を出したのだ。俺の方は昨年Mさんと10数年振りの再会を 果たしていたのだが、外村の方はMさんが卒業して以来の再会。 Mさんがこの日現われた理由はよく知らないけれど、何かを確かめに来たんやろ な。
久し振りに外村の歌を聴いた。ブルースに憧れていた少年がブルーにこんがった りしながら時を経て、憧れじゃないブルースをこの街からマイペースで歌ってい た。 色々あるんやろうけれど奴も嫁さんも子供も元気そうだった。 またの再会を約束して次の街へ。

2002年6月9日日曜日

2002年6月9日(日) 広島・OTIS

この日もワールドカップ日本対ロシアの影響はあまり関係なかったみたい。
ライブ後の酒の席で、ある人から俺がレパートリーにしているある歌に関して、 人を傷つけかねないその歌を演奏する理由は何かと尋ねられた。悪意を持った質 問ではなかった。 誰も傷つけずに上辺ではない表現を続けてゆくことなんて可能なんやろか?

2002年6月8日土曜日

2002年6月8日(土) 姫路・E-CLAT

EーCLAT は2年数ヵ月前までバレルハウスという名前だった。当時のマスター、 清水さんは物腰が柔らかく優しいまなざしが印象的で、心より音楽を愛する人 だった。2年前の4月に清水さんは急逝された。主人のいなくなったお店は一旦 閉められることになった。 俺は4年程前、長く所属していた事務所を辞めた。マネージャーがいなくなっ た。これからは自分で仕事をとらなければいけない。途方に暮れる暇もない状況 で、俺は方々に連絡したり会いに行ったりして自分でツアーのブッキングなどを やり始めた。冷たく対応されることも多かった。無下に断わられて何度もがっく りきた。 そんな頃、バレルハウスへ電話をした。清水さんの声は優しかった。受け入れて もらえると思った。それ以来俺は年に2回程の割合でバレルハウスへ通うように なった。清水さんはあまり多くを語らない人だが、いつもカウンターの奥から見 守ってくれているような気がした。 小坂忠の「機関車」をはじめて聴いたのはバレルハウスだった。いつかのライブ の後にアルバム「HORO」が流れ始めたのだ。何曲めかではじまった「機関車」の 印象は強力だった。祈りの歌だと思った。 「機関車」は清水さんの大好きな歌だった。2年前の3月、バレルハウスで始め て清水さんが歌うのを聴いた。俺のステージのオープニングを清水さんのバンド がつとめてくれたのだ。そのときに清水さんは「機関車」を歌った。しみた。 月があけて、清水さんは亡くなられた。深夜まで気持ち良く飲んで寝床につき、 そのまま逝ってしまったのだ。 しばらくして清水さんのよき音楽仲間でありバレルハウスのPAエンジニアも担当 していた井上さんから連絡があった。お店はなくなってしまうけれど清水さんの 意志を継いでこれからも姫路で音楽を盛り上げて、体制がととのったらリクオの ライブを企画します、とのことだった。 そして約2年ぶりに井上さんから電話をもらった。清水さんの甥っ子のみつぐ君 がバレルハウスをひきついでお店をオープンさせているので歌いに来てくれとの こと。そら行かな。 この日は小さなお店に入りきれない程のお客さんがつめかけた。清水さんの音楽 仲間も結構来られていたようだ。アンコールで「機関車」を歌った。しょっちゅ う歌わせてもらっている曲なのに、この日はちゃんと歌えるか、少し心配だっ た。うん、でも自分なりに歌えたと思う。 「機関車」を歌いながらこれからも時々、清水さんのことを思いだすんやろな。 音楽は大切な記憶を心に刻みこんでくれる。

2002年6月6日木曜日

2002年6月6日(木) 和歌山県東牟婁郡古座川町・南紀月の瀬温泉ぼたん荘いろり館

チケットはソールドアウトとのこと。会場についた時からスタッフの方々の熱意 がびんびん伝わってくる。
客席は最初から出来上がった状態。小学生からお年寄りまで老若男女で盛り上 がった。
ここまで幅広い年代の客層と、ためがはじけたような乗りは都市部ではなかなか 有りえない。
このあたりはプライベートでもまた遊びに来たいなあ。山あり海あり、神社あ り。奥深くて神聖な場所が色々ありそう。
次の日は地元の方に観光案内をしてもらった。

2002年6月5日水曜日

2002年6月5日(水) 田辺市・カフェモーク

この日のライブにはヘルツのアルバムプロデュースをやってくれた山崎哲也君 がゲスト参加。
実は田辺は彼の故郷で、このお店のママである谷口さんには10代の頃、色々と お世話になっていたんだそう。それで俺が田辺でライブをすると聞いて急遽、 パーカッションをかついで東京から里帰りしてくれたのだ。
ライブには彼の家族もやってきて、ちょっとした凱旋ライブの様相。
山崎君とライブで本格共演するのは今回が初めて。実に思いっきりのよい、やん ちゃで弾けたプレイだった。がらの悪さがええ感じ。楽しい会話がステージでで きた。

2002年6月4日火曜日

2002年6月4日(火) 和歌山・OLD TIME

この日はワールドカップ日本対ベルギーが18時からということで動員が心配 だった。
でも結構席がうまって、あんまり関係なかったみたい。
最近、オールドタイムで演奏するといつも自分の歌がうまくなったような気がす る。音がええねんな。
今夜もええ感じ。よっしゃマスター打ち上がろ!飲みに行こ!

2002年6月3日月曜日

2002年6月3日(月) 和歌山県有田郡湯浅町・レストランかえん

和歌山ツアー初日。
和歌山ツアーを組んでくれた地元の音楽制作会社、フアーストテイクの松本さん が同行してくれる。浜村淳をもう少しアッパーにしたようなしゃべりで、いつも ハイテンションの人だ。松本さんとは毎回、夢のある話ができて楽しい。
主催者の尾根さんとは約10年振りの再会。 おっ、なんか尾根さん、渋みが出てかっこようなってるんちゃう? 俺もええとこみせたいね。
お店の回りは田んぼとみかん畑ばっかり。演奏中、水田の方からカエルの鳴き声 がよく聞こえてきた。先日の大阪城ホールとのギャップが笑える。 用意された60席程がええ感じでうまって、俺もお客さんも上機嫌のライブ。い やあ~ステージで飲む生ビールはうまい。

2002年6月1日土曜日

2002年6月1日(土) JAPANESOUL at 大阪城ホール

出演:リクオ、山崎まさよし、宮沢和史(THE BOOM)、元ちとせ、松たか子、コ ブクロ、玲葉奈、渡辺美里、アナム&マキ、忌野清志郎
 
出番を待つ間も、アンコールのセッションの時も、打ち上げの時も松たか子さんと隣どうし。色々と話もしたぞ。でもなかなか目を合わせてくれへんねん。かわ し方をわかってらっしゃる様子。笑顔が洗練されていて、気さくでチヤーミング な人でした。
俺のステージの評判はよかったよ。1万2千人のコール&レスポンスは気持ち良 かった。 打ち上げでYさんから「大阪城をライブハウスにしてたな。」と言われたのが嬉しかった。狙い通 りや!
この日に弾かせてもらったグランドピアノはホールの備え付けのものではなく、 スタッフの方々がリクオに最高のピアノを弾かせたいという思いで、大阪で一番 状態が良いと思われるピアノを選んで50万円の費用をかけて持ち込んでくれた そう。その熱意にレスペクト。そして心より感謝。

2002年5月26日日曜日

2002年5月26日(日)

ヘルツのラストツアーが終わった。
昨日のラストライブはステージもフロアも今までにない盛り上がり。 思いが凝縮されてた。
やっぱり、ヘルツはおもろい。そのことが確認できてよかった。
湿っけはなかった。そういう演出をするつもりもなかったし、そういう気にもならなかった。達成感というのもあんまりない。いつも、これぐらいの空間をつくれたらと思う。もっといけるんちゃうか、って 感じ。
この期に及んで、当日リハーサル中に曲ができてしまった(その曲には 「2002524」というタイトルがつけられ、ライブの1曲目で披露された)。
本番では曲のサイズやアレンジがかなりいつもと変わっていった。活動停止するバンドとは思えん姿勢やね。寺さんは客席に飛び込むし、学君はドラム.セット を破壊するし、俺はステージでシャドーボクシングするし(それを客席でみていた知り合いから「弱そうやった。」と言われた)、いつもよりアホな感じがよ かった。
後期のヘルツに欠けてたんはこのアホパワーやったんやと思う。それはワイルドネスとという言葉に置き換えてもいい。俺らはこだわりを持って生真面 目に音楽性を追及していく内に、ワイルドネスをなくしていった気がする。俺らがクールになろうとしたのは、熱を逃さないためやった。それがいつからかスタ イリッシュを演出するばかりのクールに変質していった。ヘルツの楽曲「ミュージッ ク・ライフ」の気持ち、それを忘れかけてたんやな。
多分、最近、俺らはそのことに気付いたんやと思う。ラストということでメン バーそれぞれが持ってたこだわりが薄れたこと、どの場所でもお客の熱気が高かったことなども幸いして、ラストツアーでヘルツのワイルドネスは高まって いった。
ツアーが終わって思う。俺らは、もっとアホになれる、もっとワイルドになれる、もっと弾けられる。そんな可能性を俺はこのツアーで感じた。だから終わった感じがあまりしない。
いや、でもやっぱり終わりやね。そんで、もう始まってる。 これからも始まりと終わりを何度も繰り返してゆくつもり。

今までヘルツを応援してくれた人達、支えてくれた人達に感謝します。本当に、ありがとう。
SEE YOU!

2002年5月1日水曜日

2002年5月1日(水)

石巻市、相馬市、いわき市の東北3ヵ所をソロ.ツアーして東京へ戻ってきたと ころ。
なんか最近、地方でのソロライブがやたらと盛り上がる。
昨日のいわき市ソニックでのライブも弾き語りにかかわらず踊り出すお客がいた り、女子がキャーと叫びよるから、さらにアドレナリンがでたね。そう、ダ ニー・ハザウェイのライブみたいな感じ。客席も一緒に歌ったりしてね、教会で ゴスペル歌って盛り上がってるような感じにも近かった。
この3日間、なんかが降りてきてた。はまった。で、ちょ?やばいとも思っ た。
俺なりにすかしたり、かわしたりしようとはしてたけれど、笑えない部分でお客 と波長が合いすぎる瞬間があって、後でちょっと怖いなと思った。 泣きたい人は笑わせたい。笑いたい人は泣かせたい。

最近、納得がいかず、腹立ってることが多いんやけど、この3日間はその感情を うまいこと昇華できた。いろんな人に会って、皆それぞれ素敵な感性を持ってい ることを実感できた。 期待していないことが、伝わっていたりして嬉しかった。

「芸術とは怨念である。」と言った小説家がいるらしいけど、自分は今まで、そ ういう感情とは、あまりちゃんと向き合ってこなかったかもしれない。 俺が創作活動を続ける限り、この「怨念」とやらが消えることはないだろう。 だって、すぐに理解されても困るしね。理解されない限り「怨念」は残ってゆく わけで。
こういうことを言うのははじめてやけど、俺はヘルツがあまり多くに伝わらず、 理解されないまま活動停止することが、今だに割り切れず、腹立たしい。 多分、ラスト.ツアーは皆の想いが凝縮されてハッピーに終わるとは思うけど、 割り切れない気持ちはどっかに残るやろな。
ヘルツの活動が停止しても俺はこれから、残された作品で、ヘルツの評価を上げ てやろうと思う。だから、その前に自分にたいする評価を上げんとね。
今後、もし俺が素敵にかっこよく軽い感じで歌っていたら、きっとそれは「怨 念」という燃料が燃えているからやよ。あれは、よう燃えるで。「憎しみ」も 「愛」も「憂鬱」も「怨念」もすべて、美しく燃やしてやる。 さあ、もうすぐヘルツのラストツアー。

2002年4月15日月曜日

2002年4月15日(月)

昼の2時からJ-WAVEでヘルツのスタジオライブ録り。
その後、ソロに関する打ち合わせを少し。そこで気持ちが疲れた。
気をつかってる自分がやな感じ。なんで俺が調停役やねん? バランスばっかりとってたらあかんわ。

本来、わがままなはずの俺がそうなられへんのは、なんでやねん? これを打算って言うの?俺が切れたら終わってまうやん。
一番大事なんは何? そればっかり優先してたらワイルドが消えてゆくよ。 おまえはそないに器用か?
そんな思いで六本木通りの歩道にたたずんでおったまさにその時、「リクオさ~ ん、リクオさ~ん。」と恥ずかしくなる程に馬鹿でかい男の声が車道から聞こえ てきた。 振り向けば走る車の窓から身を乗り出しておもいっきり手を振る奴がいる。シン ガーソングライターの東野純直君だった。まるで音信普通の兄貴に偶然30年振 りに再会したかのような興奮振り。無我夢中。 「アホや、あいつ。」 俺は思わずそうつぶやきながら、彼が消えてゆくまで手を振り続けた。 ほんの数秒の出来事だった。 東野、最高。

先日の札幌コロニーでのライブは弾き語りにもかかわらず、フロアはスタンディ ング形式。これ、大正解。俺の弾き語りは踊れるもん。 狙い通りお客さん、気持ちよさげに揺れてました。
俺の最近のステージでの口癖がリック.フレアーばりの「フゥ~!」という奇 声。この日のお客さんはわかってらして、俺が「フゥ~!」と叫べばすぐに 「フゥ~!」で返し、一曲がいい感じで終わる度に「フゥ~!」でこたえてくれ た。軽い感じでいいね!
札幌以外の皆さんも「フゥ~!」よろしく。

2002年3月27日水曜日

2002年3月27日(水)

寒が戻ったままです。 今日はライターでミュージシャンもやってる和久井さんのレコーディングに参加。
サニーデイサービスの「Baby Blue」を2人でデュエットしました。ちなみに和久井さんは巨漢の男性。

2002年3月26日火曜日

2002年3月26日(火)

今日もソロ作品のレコーディング。 主にピアノ録り。
やっかいな楽器やね、ピアノは。出来ることが多すぎんねん。持て余すわ。 一曲、結構てこずった。しばらく試行錯誤してたら、インスピレーションが湧い てきた。音数減りまくり。俺はジョビンか? いやこれは俺や。
夜中に部屋に戻ったら辻元議員の辞職記者会見をテレビでやってた。 政治家にしては面 の皮が薄い人やなあという印象。

2002年3月25日月曜日

2002年3月25日(月)

寒の戻りです。 「三寒四温ちゅうてな」と亡くなったおじぃちゃんが俺によく言ってたなあ。
この日のレコーディングはアルコールが残っていてつらかったっす。 でも順調。

2002年3月24日日曜日

2002年3月24日(日) the Herz at 下北沢・Club Que

メンバーもお客も弾けたね。ヘルツのライブでジャンプしてるお客を久し振りに観たなあ。やっぱ、あの曲は盛りあがんね。
この日は本番前のステージのセッティングでモニターの位置などを工夫して寺さ んの動けるスペースを広くするようこころがけた。寺さん、俺の意図を理解して 本番では所狭しと暴れモード。イエ~イ!!

打ち上げでは語りモード。ヘルツのメンバー&スタッフが帰った後も、対バン だったオグラ君と、この日のライブを観に来てくれた「たま」の知久君らと夜更 けまで飲む。
どういう流れだったのか、話題がハイロウズの「千年メダル」という歌のことに なった。3人ともいい歌だと思っているのだが、オグラ君が「あんなに純粋な歌 はないよ。」などと素直に語るので、俺と知久君は「あんなに女たらしな歌はな いよ。」という意見で対抗。でも、これは褒め言葉やね。

2002年3月23日土曜日

2002年3月23日(土)

「ホ~ホケキョ!」というウグイスのさえずりで目が覚めました。
春やね。 夕方からヘルツのリハーサル。 通しリハをやったら汗かいた。燃えた。声も枯れた。

2002年2月22日金曜日

2002年2月22日(金)

いゃあ、俺の日記は続かんね。
最近も色々あったんやけどね。 どう感じたとか、どう思ったとか、何があったとか、いちいち書くのめんどくさ いし、書きたくないことの方が多かったりして。結構、秘密主義のとこもある し。主義って言うほどでもないけど。
先月、始めて奄美大島に行ってきました。楽しかった~。ライブは一日だけなの に、4泊5日島に滞在しました。島歌をたくさん聴いたよ。島のユタ神さんのと ころにへも行って来た。「あなたは神高い生まれだ。」と言われました。まじ? ハブとマングースの戦いもみたよ。マングースの激勝。そのときのおっちゃんの 口上が素敵でした。このおっちゃんは6回か7回か、ハブに噛まれたそうです。 なるほど、色気がありました。
島の皆さんの、ライブの乗りはダイレクトで素晴らしかったです。
今月からミニアルバムのレコーディングに入ってます。 先日はイノトモがコーラスで参加してくれたよ。
花粉症がやっとおさまってきて、体調が上向きです。
最近、リクオが時々アルコールを注入しながらライブをやってるという噂があり ますが、あれは全部演技です。だまされたな。 では。

2002年1月23日水曜日

2002年1月23日(水)

日中は秋田に残って、テレビ収録を一本やった後、少し時間があったので駅前のタワーレコードに挨拶に行く。
残念ながら僕のCDは置いてなかった。お店のスタッフをつかまえて音資料と紙資 料を手渡しプロモーションする。そうしたら僕に応対していた若い女性スタッフ が「じゃあ、今から聴いてみます。」と言って僕の前で「ROLLIN'」をCDデッキ にセットしてヘッドホンで聴き出した。色々とお店回りをやったけれどいきなりこういう応対をしてきた人は始めて。彼女はしばらくCDを聴いた後、ヘッド ホーンをはずして、まず一言。
「あたし、これかなり好きです。」
その後、感想を具体的にいくつか述べてくれて、最後に一言、
「今まで知らなくてすみません。」 なんて素直でいい娘なんだ。感動した。

帰りの新幹線の車窓からの雪景色がとても美しかった。

2002年1月22日火曜日

2002年1月22日(火) 秋田・銀河館

昼間は弘前で昨日知り合った人達とおいしい蕎麦を食べて、車で少し街を案内し てもらった後、おいしい紅茶を飲んで、駅まで見送ってもらい秋田にむかう。
この日のライブは元々ポランというお店で演奏する予定だったのが、年末にそこが店を閉めてしまったので急遽、銀河館に場所が変更。
自分の部屋に友達を呼んで歌を聴かせているいるような雰囲気のライブになっ た。
僕はライブ中のリクエストにはあまりこたえない方だが、この日はとてもい いタイミングで客席からリクエストの声がかかったので、それにこたえさせても らった。

2002年1月21日月曜日

2002年1月21日(月) 弘前・萬燈籠

弘前に来たのは初めて。ホテルをチェックインした後、街をぶらつく。
今回の東北ツアーは真冬の時期だから厳しい寒さを覚悟していたのだけれど、今年は東北も暖冬のようで、歩いていても心地よく身が引き締まるぐらいの寒さ。 とはいえ歩道のすみに掻き分けられた雪をみると北の方に来たのだなという気が してなんか嬉しい。
気がついたら日中のネオン街を歩いていた。最初に足を止めたのが「テアトル弘前深夜劇場」というポルノ映画館の前。看板のポルノ女優がちょっとくたびれた 表情で味があって立ち止まってしまった。日中で開いていないお店が多いせいも あり、少し寂れた感じ。町並に昭和のにおいが残っていて、懐かしい感じがし た。
次に足を止めたのが「トラヤ」という古道具屋の前。でも看板にはなぜかクダモノと書いてある。楽しい散策だった。
萬燈籠というお店は僕がアマチュアの頃からお世話になっていた京都の拾得というライブハウスに近い雰囲気があって、『アングラ』のにおいがした。ママさん の池田すみさんは もう27年もこの店を続けているそう。気骨とかわいらしさを合わせ持つ愛すべ き女性だった。 始めての街で始めてのお店なのにライブの最初からお客さんの乗りがよくって びっくり。弾き語りにもかかわらず、席の後ろの方では踊り出す人達も。 声の調子も劇的に戻って(でも本調子ではなかった)、とにかく楽しいライブが できた。 調子に乗って控えていたアルコールを解禁。気付いたら朝の5時。やばい!でも 楽しかった。知り合いが何人もできた。

2002年1月20日日曜日

2002年1月20日(日) 青森・シューだびよん

今日のライブはだめだった。
お客さんが少ない。声が出ない。来てくれたお客さんに申し訳ない。情けない。 とっとと寝た。

2002年1月19日土曜日

2002年1月19日(土) 盛岡・紅茶の店しゅん

一晩しっかり睡眠をとれば、のどの調子も戻るだろうとたかを括っていたのだ が、事態はもっと深刻だった。ライブの最初から声は枯れ気味。最後はもう高音 が出なくなった。ライブは盛り上がったけれど、やばい。酒を控え、薬を飲んで 濡れマスクをして早くに寝る。

2002年1月18日金曜日

2002年1月18日(金) 仙台・ヘブン

最近、東京で事務的な作業に追われていたのでツアーに出て少し、ほっとした。
この日はアンコールで声が枯れた。
年明けに風邪をひいて以来、のどの調子が今一つ。
けれどライブの方は大好評。この日「パラダイス」を演奏するときに何か特別 な インスピレーションが湧いて来て、今までためしたことのないようなアレンジで 歌うことができた。その時のこちらのときめきが多分お客さんにも伝わって、と てもいい感じだった。

最近いろんな街をツアーして、その街をぶらついたり、街の人達の話を聞いたり していると、日本は本当に不況なんだなあと実感することが益々増えた。
街の繁華街でやたらとシャッターの降りた店が目に入ったり、お世話になってい たお店がつぶれたり、経営が悪化したりということがよくある。
この日のライブに遊びに来てくれた知り合いのCDショップ経営者Mさんのお店も 話をきくと、この不況で相当に苦戦している様子。けれど、会話していて、暗さを感じない。悲しかったこと、嬉しかったこと、さまざまな感動をとても情感豊 かに明るく話してくれる人で、厳しい状況でも感性がにぶっていない。不安と向 き合いながら、いつも楽しいこと、感動することを探しているのが伝わってきて、こちらも勇気づけられる。
「心のもちようさ」ー江戸アケミもそう歌ってた。

2002年1月17日木曜日

2002年1月17日(木)

夜の8時から渋谷でウェブマガジンの取材を受ける。その後、打ち合わせ。 アーティストモードからまた気持ちを切り替えなければいけない。

2002年1月15日火曜日

2003年1月15日(水) 仙台キャンペーン

今日はキョードー東北のKさんAさんといっしょに仙台で電波媒体回りとCDショップ回りをやる。
東北放送では関係者を集めて新譜の試聴会をやる。曲を聴いてもらいながら自らアルバムの解説をやり、自分を売り込む。
この日のキャンペーンを終えた後、茶店でKさんAさんと今後の展開について、音楽のあり方についてなど熱く語り合う。
地方ではこうゆうプロモーション&キャンペーンが可能になってきたのだが、東京が一番難しい。「好きだから、いっしょに面白いことをやりましょう。」とい う感じにはなかなかならない。お金の力が強すぎること、情報量が多すぎること、皆が忙しすぎることなどがネックになっている。

2002年1月14日月曜日

2003年1月14日(火) 盛岡・紅茶のお店しゅん

しゅんで始めて歌わせてもらったのが、もう6年以上前。
その時からずっと盛岡でのオレのライブを主催してくれている瀬川さんの、今夜のライブの感想は、「リクオは大人になった。」だった。
今日はパフォーマンスを少し控えて、演奏に集中した。それがよかった。客足はもう一つだったけれど、気負うことなく実に気持ち良く歌わせてもらった。

2002年1月14日(月)

ここ数日、事務的なことばかりに時間を費やしていてストレスがたまっている。

2002年1月10日木曜日

2002年1月10日(木) Tokyo Music Salon at 吉祥寺スターパインズカフェ

本番が終わったばかりの舞台裏で出演者と握手を交しながら我ながらいいイヴェ ントやなあと感心。
アンコールでは小林君のピアノをバックに谷口君と二人、ハンドマイクで歌って しまった。
曲は僕のオリジナルで「すべてを忘れない」。
実は年が明けてから電話で谷口 君、小林君それぞれと打ち合わせをしたところ、偶然にも二人からこの曲をカ ヴァーしてみたいという話が持ち上がったのだ。で、当日までにそれぞれがこの 曲を練習してきてくれたので、本番前のリハーサルでじゃあ3人いっしょにこの 曲をセッションしようという話になったのだ。アレンジは小林君がピアノを使っ た丁寧で斬新なものを考えてきてくれたので、それを採用。で、僕と谷口君は手 ぶらで歌うことに。非常に手持ち無沙汰な感じだったけれど、いろんな意味で新 鮮だった。
谷口君とHONZIは山口百恵の「いい日旅立ち」をセッション。これが独特の味わ いで、とても良かった。
次回のミュージックサロンは4月の予定。

2002年1月9日水曜日

2002年1月9日(水)

明日、谷口崇君とセッションする予定の彼のオリジナル曲「ヨランダ」を練習す る。
この曲は去年に彼と初共演したときに一度セッションしていて、その時の音源は 去年発売された彼のCDシングル「夏ぞら」のカップリング曲として収録されてい る。
久し振りにその音源を聴き直す。自分の演奏に感心した。
なんで、こんな風に弾けたんやろ?って感じ。もうこんな演奏できひんのと違う か?と不安になる。

2002年1月8日火曜日

2002年1月8日(火)

薬など使わず直してやろうと思っていたのだが、どうにも熱が下がらず、ライブ も近いので、観念して昼過ぎに這うような感じで近くの病院へ行く。処方しても らった薬を飲んだら、夕方には熱が下がって急に気分が楽になった。西洋医学の 力を思い知らされた。
日が暮れてから10日のライブの準備を始める。

2002年1月7日月曜日

2002年1月7日(月)

10日に初共演する小林建樹君がみかんと干し柿と音資料を持って尋ねて来てく れる。心遣いが大変ありがたかった。あまりに体調が悪いので、部屋へ通すことなく帰ってもった。申し訳ない。
夜中からまた高熱が出で朝までうなされる。

2002年1月6日日曜日

2002年1月6日(日)

先月から、起き掛けにジョギングを始めた。部屋の近所を適当にコースを変えな がら走っている。これをやると一日の調子が良くなるし、その時の体調もわか る。
今日はすぐに息が切れてしまった。おかしいなと思っていたら、時間が経つにつ れてどんどん体調が悪化。午後からプリプロをしていたのだがつらくて早めに切 り上げさせてもらう。帰宅したころにはもうふらふら。
熱がどんどん上がってゆく。夜中には39度を超える。 ここ数年、正月明けに風邪をひくのが半ば恒例化してしまっているのだが、こん なにきついのは久し振り。