2003年5月31日土曜日

2003年5月31日(土)

午後4時頃、大阪城ホール入り。明日のイベントのリハーサルをする。
リハーサル前に1万2千人を収容する会場の客席を歩く。やっぱ、広いわ。
ステージ中央には東京でのリハーサルのときと同じ様に、2台のグラウンドピアノが向かい合わせにセッティングされている。大阪城ホールに常設されているピ アノを使わずに、わざわざ外から2台のスタインウェイを持ち込んだそう。確かに2台ともええ音してるわ。
長積君とのリハーサルはスムーズに進む。1万2千人収容の広い会場にアコースティック.サウンドが気持ちよく響いてゆく。1年前にこの舞台に立った時の、 音の響き、雰囲気を思い出す。永積くんとのリハーサルの後は小谷美紗子ちゃん、ザ.ブームの宮沢和史さんとのリハーサルをやる。曲は「からたち野道」。
初音合わせなのでステージ.リハの前に、会場内に用意されたリハーサル.ルームで音合わせする。3人とも初共演。
美紗子ちゃんとの共演はなかなか感慨深いものがある。オレは彼女がデビュー前の高校生の頃から知っているのだ。前はかわいらしい感じだったのが、最近、と みに大人っぽく綺麗になった。シンガーとしても増々磨きがかかって、その声は鳥肌が立つ程素晴らしい。宮沢さんは常に落ち着いていて寡黙、少し近寄りがた いオーラを発している。「スター」の雰囲気やね。つっこみを入れるには勇気がいる。でも、つっこんでみたい衝動にもかられる。いや、別にそんな必要もない ねんけど。
彼は多分オレより一つくらい年下のはずなのだが、去年の初体面の時から、どうもオレのことを完全に後輩だと認識している様子。
リハーサルが始まったら、曲のキーもコード進行も、もらっていた音源とは違うことが判明。急いで譜面を書き直す。美紗子ちゃんも譜面の直しに入る。
その間、宮沢さんは腕と足を組んだ状態をキープして、じっと待っている。スタッフはただ立ちつくすのみ。緊張感を含んだ沈黙が続く。
「自習室で勉強してるみたいやね。」というオレの一言で、場が少しほぐれた。
曲は頭に入っていたから、キーが変わっても割とすぐに対応出来た。
いい感じである。
続けてステージ.リハーサル。最終的には自分のアコーディオンの音を少し返してもらう以外は、モニターの返しを一切、消してもらうことにする。この方が繊細な音の響きを感じやすくて良い。
すべてのリハーサルを終えた後、トッチー、梶屋さんと京橋まで行って、食事&軽く飲んでホテルに戻る。
本日の宿泊先はちょい高級ホテル。用意してもらった部屋はダブルでかなりひろい。
テーブルには果物セットやら野菜ジュースやら和菓子やらが用意されている。もちろん加湿器もセッティングされている。
色々とケアが行き届いていて、なかなかのVIP待遇。
くつろいでよく寝れた。

2003年5月30日金曜日

2003年5月30日(金)秋葉原CLUB GOODMAN

秋葉原CLUB GOODMAN
7周年記念イベント「GROOVE DROP special」
出演:Rikuo/朝日美穂/FRISCO/cop salvo
サポートメンバー:ヤマサキテツヤ(dr.)/河合代介(organ)


午後3時頃、会場入り。
朝日美穂さんがリハーサル中だった。久しぶりに再会。
この日の彼女のライブスタイルは打ち込みとノードリードを使った、ユニークな弾き語りスタイル。 最近はサポートを加えず、こういうソロ.スタイルでライブをやる機会が多いそう。
彼女に合うスタイルだと思った。再会したミュージシャンがこんな風に試行錯誤しながら前に進んでいる姿をみると刺激になる。
今日のライブは実にで新鮮でスリリング、ワクワクし通しだった。
初共演ならではのさぐり合いと緊張感を経て、予定調和では生まれえない高揚感、開放感へ至るプロセスはたまらないものがあった。こういうグルーヴ重視、ジャム色の強い演奏はヘルツ以来。
初共演のオルガン奏者、河合さんのことをライブ前までは「サン」づけしていたのだが、ライブの途中からMCで「だいちゃん」と呼ぶことにした。これから彼とは色々と関わってゆくことになるだろう。
とにかくこの日のステージは自分がまた新しいスタイルに踏み出す、第一歩になるような内容になった。立ち会えた人はラッキーだ。
これからは弾き語り、アコースティック.セットと平行して、下北沢の440を拠点にグルーヴィーなバンド.スタイルでのライブを定期的に続けて行くつも り。基本メンバーはドラムにヤマサキテツヤ、ベースに寺岡伸芳、ヴァイオリンに玉城あや、そしてオルガンに河合代介でいこうと思う。
エンターテイメント性を維持しながらも、毎回、実験的な試みをライブでトライしていけたらと思う。
ワクワクする。

2003年5月29日木曜日

2003年5月29日(木)

明日のグッドマンでのライブの為のリハーサルを吉祥寺でやる。サポート.メンバーはドラムにヤマサキテツヤ、オルガンに初共演の河合代介。河合さんとは今日が初体面。
ファンキーでパーカッシヴ、素晴らしいオルガン.プレイだった。ベースを担当する足鍵盤のプレイも魅力。足鍵盤をできる人って、すごく貴重。
この3人によるグルーヴはヘルツ以来の感じ。明日がはんまに楽しみ。

2003年5月28日水曜日

2003年5月28日(水)

6/1に大阪城ホールで行われるイヴェント「ジャイヴ.ザ.キィーズ」のリハーサルを共演者であるハナレグミの永積タカシくんと行うため、世田谷のスタジオまでチヤリンコで走る。久しぶりの快晴で、気持ちが良い。
長積君とは約半年振りの再会。
彼との出会いは五年程前にさかのぼる。
当時、オレは恵比須、六本木界隈のクラブやカフェのDJ&ライブ.イベントに出演する機会が度々あったのだが、永積君はそれらのお店のスタッフやイベン ト.スタッフと知り合いだったようで、何度か客で彼を見かけることがあった。当時、永積くんがヴォーカルをつとめるバンド、スーパーバタードッグはデ ビュー.アルバムを出したばかり。オレはそのアルバムを柳原陽一郎君の部屋で聴いて、興味を持ち、ライブを観に行ったりしていたので、彼の存在は知ってい た。
どちらが話し掛けたのか、誰かが紹介してくれたのか、覚えていないけれど、六本木のクラブでイベントの後に、明け方まで、音楽談義を交わしたのが彼と話した最初の記憶だ。
今回のイベントで、長積くんがオレを共演者として指名してくれたことは、とても光栄に思う。ジョイントするにあたって、ピアニストとしてだけではなく、シンガーとしてのオレを尊重してくれているところも嬉しい。
彼は最近、立川に引っ越したそうで、ぜひ遊びに来て下さいと言ってくれる。
オレ、ほんまに行くで。
広いスタジオの中にはヤマハのグラウンドピアノが2台、向かい合わせに用意されていた。今日のリハーサルのためにわざわざ持ち込まれたそう。
スタジオに入って、まず、オレが考えてきたピアノ.アレンジを永積くんに聴いてもらう。気に入ってくれた様子。
リハーサルはいい感じで進む。
彼と演奏すると、いい「間」を共有できる。だから音数がへる。相手と呼吸を合わせたり、操ったりするのがうまいのだ。声だけじゃなく、リズム感も素晴らしい。
音が空気に触れて響いてゆく、その感触を、彼がじっくりと味わっているのが、いっしょに演奏していて、よく伝わってきた。
6/1が楽しみ。

2003年5月27日火曜日

2003年5月27日(火)

自宅の近所を散歩してたら、通り道沿いの小学校で父兄参加の運動会をやっていた。
なんだか懐かしくなって、父兄にまぎれて、門をくぐってみた。
まったく怪しまれることなく校庭へ。
そのうち父兄参加ありの柔軟体操が始まって、オレも先生から誘われて芝生のグラウンドの中に足を踏み入れ、いっしょに体操した。オレ何やってんの?。
それにしても、ここの小学生はテンション低いね。
運動会といえば、オレなんか前日は眠れんほど興奮して、テンション上がりまくりやったけどね。
なんか目の前の子供達は、あまり盛り上がってないのだ。体操も適当にやってる奴が多い。先生も別に注意しない。空気がゆるいなあ。
おまえら運動会やで、もうちょっと盛り上がれよ。
で、なんでオレがここにいんの?

2003年5月26日月曜日

2003年5月26日(月)

ヤマサキ.スタジオでプリプロ。今日はエンジニアの上條君も参加。

2003年5月25日日曜日

2003年5月25日(日)仙台 キリンフェスティバル2003

入り時間が朝のあ8時15分。連日の早起き。眠いよ。
今日は、キリンビール仙台工場が年に1度、工場敷地内の野外で行っている地域還元イベントに出演。
入場は無料。しかも、来場者には無料で一杯のビールがふるまわれ、その後のおかわりも生絞りが200円、淡麗は100円という安さ。屋台も色々と充実していて、仙台で有名な牛タン屋が出店していたりする。
午前中から大変な人出。このイベントは毎年、万単位の集客があるそう。
トラックの荷台部分に設置された野外ステージで午前11時45分から本番スタート。
正午前にもかかわらず、既にアルコールが入り宴会状態のお客が多数。
年齢層は赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまで。こういう時こそ芸人魂が燃える。酔った客をいじりまくり、いつも以上にリラックスして楽しみながらやる。
「うちはおじいちゃんの代からキリンビールを飲んでま~す。」なんて調子のいいMCをはさみながら、ライブは快調に進む。
声帯もよくひらいて、声が気持ちよく響いてゆく。やっぱり野外は開放感があっていい。
最前列で大騒ぎしていた60代と思われるおっちゃんがライブの後、即売のCDを買ってくれたそう。嬉しいね。

2003年5月24日土曜日

2003年5月24日(土)タイトル:仙台百歌

午前7時56分の新幹線に乗って、仙台へ。
そこから車で30分かけてキリンビール仙台工場へ。
明日、ここで開催される野外イベント、キリンフェスティバルに出演させてもらうのだが、今日はその告知も兼ねて、TBCラジオの公開生放送で2曲歌うのだ。
リハーサルのあと楽屋に戻ったら、工場でとれたてのキリンラガーと生搾りの差し入れが。これが普段口にしているものより確実に美味しい。
ついつい、ぐいぐいといってしまう。
ラジオ収録を終えて、2時15分頃、ビーブベースメントシアター入り。今日は「仙台百歌」というイヴェントに初参加させてもらう。橘いずみちゃんとは互い が学生時代からの知り合いなのだが、彼女がデビューしてからは一度も会う機会がなかった。多分,10年振りぐらいの再会。デビュー前の彼女は大阪十三にあ るライヴハウスで働いていて、ライブ中はいつもカウンターの辺りで、お客以上に飲んで騒いでいたのを覚えている。
オフ.ステージの雰囲気は昔と変わらなかったけれど、ステージ上の彼女は、毅然としていて、歌い続けてきた自身と貫禄を感じた。声の説得力が素晴らしかった。
開演前の楽屋では建樹くんと色々、話をする。彼は所属していた事務所から独立して新たなスタートを切ったばかり。似たような経験を自分もしてきているので、微力ながら役に立てることがあればと思う。
彼は現在、アルバム製作中。かなりの自信作の様子。
今日のイヴェントは自分のためにお膳立てされたような感じだった。出番は最後。
30分の短いステージだったが、リクオの王道と言える選曲でのぞむ。
開演から出番まではなるべく、客席後方から他の出演者のパフォーマンスや客席の様子をうかがうようにしていたのだが、割と淡白にステージは進行していっ た。お客さんは好意的に楽しもうとしているにもかかわらず、盛り上がりきれない様子。これはオレが持って行ってしまうなと思った。
予想通り、自分のステージが始まったら、ためていたパワーが弾けたみたいに客席は盛り上がった。3人の出演者がMCで、今日は東京に日帰りすると発言して いたので、これはおいしいと思い、自分のステージでは「今日は仙台にとどまって、飲みます!」と宣言したら、案の定、大受けであった。
今日のライブにかける意気込み、覚悟、モチベーションの高さが、他の出演者とオレでは明らかに違った。お客さんは、敏感にそのことを察知したと思う。
後で、このイベントでアンコールがあったのは初めてだと、スタッフの人から教えてもらう。
イベントの途中で帰るお客さんは一人もいなかったそうだ。これはイベントにお客さんがついているからだ。
このイベントに関わっているスタッフの人達は、とにかく熱い。イベントに対する思い入れが皆、とても深い。打ち上げは毎回、朝までスタッフ同志の討論になるそう。
そういう現場に自分がいられることは嬉しい。そんなスタッフの心意気と期待が、自分のモチベーションをあげてくれるのだ。

2003年5月22日木曜日

2003年5月22日(木)

先月に買ったばかりのデジタル.カメラが早くも故障。
今日はハシケンのライブを観に行くつもりでいたのに忘れてしまった。
ショック。残念。

2003年5月20日火曜日

2003年5月20日(火)下北沢440

440の1周年記念イベントに出演。
440はとても可能性のあるお店だと思う。
まず、ほぼ毎日、ライブ.ブッキングがありながらも、基本的にはカフェスタイルの飲食店として経営を成り立たせようとしているところが、非常に良い。
営業はランチタイムからバー営業の深夜にまで及ぶ。ライブが終わってからも、お客さんは居座って飲み続けることが可能だし、出演者もそのまま440で打ち上がることができる。
地下ではなく、通りに面した1階にあって、客席後方にあたる通り沿いが、ガラスばりになっているから、通りから中の様子をうかがうことも可能。とてもオープンな雰囲気がある。
ライブ前、ライブ後に知り合いがぶらりと店に顔をだすことも多い。社交場としても成り立つ要素がある。
スタッフの顔がよく見えるのもよい。
お店が主催するイベントでは、アマチュア、セミプロにも場を提供していて、敷き居を上げ過ぎないようにしているのもよい。そうかと思えば、デカ箱クラスの動員力を持つ人達が、さりげなくブッキングに名を連ねていたりする。
ブッキング・スケジュールが早くからつまり過ぎないのもよい。
飲食営業で成り立たせようとしているから、出演者へのギャランティーが非常に良心的に設定されているのが、ありがたい。チャージも安いので、お客さんが足を運びやすい。
この営業方針だと、金にはなるが、あまり気の進まないブッキングは避けやすい。
こうやって上げてゆくと、440は自分が理想とするライブ.ハウスのスタイルに近いことに気付く。
8月5日から、ここ440で2月に1回、定期的にライブをやってゆくことになった。ヘルツ以来の、グルーヴィーなバンド.スタイルを中心に、毎回、趣向をこらした内容にするつもり。新曲もどんどん発表してゆくつもり。
パーティーに遊びに来るような感覚でお客さんが足を運んでくれたらと思う。
今夜のイベントで、小林創君という、いいピアニストに出会った。ファッツ&ファッツという名前の通りの太っちょ2人組バンドで、サッチモなどの古いジャズ.ナンバーを主なレパートリーにしている。
彼に刺激されて、今夜のステージのピアノはいつもより気合いが入った。
ライブの後、そのまま440で打ち上がっている時、携帯に出るため表に出たところで、一人の20代と思われる若い男と、目が会う。どうやらファンのようで、オレから目を離さない。
携帯を切ったら、そいつがすぐに話し掛けてきた。通りを歩いていたら、たまたまオレを見かけたのだそう。ぜひ、色々と話をさせてほしいと言う。オレは店で 飲んでいるから話をしたければ店に来いよ、と言ったら、そいつはちっとも気兼ねせず店に入ってきた。
キクチと名乗るその男は、大阪から東京に出て来たばかりの26歳。現在、都庁の近くでホームレス暮らしをしているとのこと。
バンドをやったり、詩を書いたりしていそうだ。
そいつが大事に持ち歩いている小さなノートを見せてもらう。そこには、意味不明の記号やら絵やら文章が、ページ一杯にぎっしりつまっていた。
やはり、変な奴。
けれど、その文やら記号が意味不明なりに、ユーモラスで興味深く思えたので、そいつに内容の解説を頼んだら、これが爆笑。
そのノートにはキクチなりの世界観が記されていることが判明。もしかして、こいつ天才?いや、オレが酔っていただけかも。ようわからんけど、面白いので、そばにおいておくことにした。
440を出た後、ラーメン食って、知り合いの飲み屋へ。キクチは一文無しのくせに、ついて来る。
デルタで飲み出したら、さっきまで爆笑だったキクチの言動は、空気を読めずに、はずしてばかり。ちっとも面白くなくなってしまった。
喧嘩で殴られたというキクチの左頬は腫れていて、切り傷があった。空回りしだしたキクチの言動は、回りの客やマスターの反感をも買うようになり、汝、左頬 をしばかれたら、右頬もしばかれそうな雰囲気に。ああ、さっきまで、あんなに面白かったのに。容赦ない罵声がキクチに浴びせられるようになり、もはや言葉 のサンドバック状態。
それでもめげない、キクチ。こいつに自己翻訳能力があればな。
夜も更けて、アルコール.エンジンが相当にかかり出したオレは、回りの客も巻き込んで、飲んで、歌って、踊って、騒ぎまくる。
Nさんが回らないミラーボールを手で回しながら踊っている。
トッチーの動きは盆踊りみたい。
Mちゃんの腰の動き、最高。
キクチが置いてあったスネアを叩いている。音が大きすぎて、また皆から罵倒される。
夜もすっかり明けて、気付けば朝の7時。閉店時間の3時は、とっくに過ぎていた。サンキュー、マスター。
夜通し、遊び切ったという充実感、達成感あり。マスターと堅い握手を交わして、店を出る。
キクチは結局、ボロカスに言われながら最後まで店にいた。部屋までついて来そうだったが、下北沢でほって帰った。

2003年5月18日日曜日

2003年5月18日(日)

正午にチェックアウトした後、ホテルから車で20分程走った山中にある馬曲温泉に
連れて行ってもらう。ここの露天が絶景。いゃあ、いいお湯でした。

★ 馬曲温泉の露天風呂で撮影。
★飯山はアスパラの産地。こんな風に生えてます。 

温泉の後は蕎麦を食って、菜の花公園へ。
唱歌で有名な「朧月夜」は、作者がこの場所の風景をみて作ったそう。


★菜の花公園。後方に見えるは千曲川。 

長野市 ネオンホール
午後4時に会場入り。
ネオンホールは去年の10月に続いて3度め。
既に、お店にもスタッフにもなじんでいるので、リラックス。
とても居心地のよい空間。
ここのスタッフは、自分の感性、価値観を大切にしながら、あくせくせず、あくまでもマイペースで楽しんでいる感じがよい。
仲間が集まって、好きなことをやっていたら仕事になった、というふう。
お金がそんなになくても、自分達が何を好んでいて、どうすれば心地よくなれるのかを知っているから余裕がある。
もしかしたら、土地代も高く、生存競争の激しい東京よりも、地方の方が、こういう敷き居の低い社交場、遊び場が生まれやすいのかもしれない。
ネオンホールに集まってくるお客さんは、反応が素早く、感度がよい。集中力がある。
何かを探している感じが伝わってくる。感性が瑞々しい。
お陰で、いいライブができた。

 

2003年5月17日土曜日

2003年5月17日(土)飯山 ZION(ザイオン)

東京から新幹線で長野まで。そこから飯山線に乗って一時間足らず。午後2時半頃、
飯山初上陸。会場入りまで時間があったので、観光案内所に行ってみたり、駅の回りをぶらついたりして時間をすごす。
ガイドマップには「雪と寺の町」と書かれてあった。
冬は相当に雪が深いようで、すぐ近くにスキー場がいくつもある。山が近い。
回りには温泉もたくさんあるらしい。
駅から歩いて10分程で千曲川へ行ける。蕎麦屋も多い。
七福神のお寺巡りが観光の一つになっているよう。
とにかく本当に寺と神社の多い町。
観光名所になっている「寺めぐり遊歩道」と隣接する「仏壇通り」には
その名の通り、仏壇屋がずらりと軒を並べていた。
東京を出る時は良くなかった天候が、飯山に着く頃には陽がさすようになる。
風が心地よい。
飯山初ライブは宴会状態。
お客さんは飲んで盛り上がる体勢。のぞむところ。
町の音楽好きが集まった感じ。とても反応がよい。
始めての町では、毎回演奏している曲も、いつもより新鮮に感じる。
集まった地元の人達が皆、このお店、ザイオンを好きなのがよく伝わってきた。
だから、こんなにリラックスして楽しめるのだ。
打ち上げでは地元のバンドマン達とセッションする。
明日は地元の人に温泉に連れて行ってもらう約束をする。

2003年5月15日木曜日

2003年5月15日(木)

昼過ぎから夜まで集中して宅録デモ作りに費やす。
深夜11時、下北沢でヤマサキくんと打ち合わせ。また飲んでしまう。
最近、下北に来過ぎ。

2003年5月13日火曜日

2003年5月13日(火)

夜7時からまた事務所で打ち合わせ。
そのときにつくったばかりの宅録デモをスタッフに聴いてもらう。
なかなか反応がよかった。

2003年5月12日月曜日

2003年5月12日(月)

3時前に事務所で打ち合わせ。
今年、下半期から来年にかけての都内のライブのプランを立てる。
部屋にもどったら、またレコーダーと格闘。
操作法も次第に理解できようになり、アレンジが形になってくる。
夜中には結構いい感じでデモ.トラックが出来上がる。

2003年5月11日日曜日

2003年5月11日(日)

宅録デモ.トラック作りのため、レコーダーと一日、格闘。
簡単操作って書いてあったのに、難しいやん。

2003年5月10日土曜日

2003年5月10日(土)

午後から西麻布に事務所までチャリンコを走らせる。そこで6時半頃まで打ち合わせ
をした後、渋谷のクアトロへ。
アサチャン&巡礼VSボッサピアニキータのライブを観る。
ボッサピアニキータには、去年までいっしょにバンドをやっていた坂田学君がドラマーで参加している。リーダーのピアニカ前田さんとも過去に何度か共演経験がある。
アサチャンも面白かったけれど、今日はボッサピアニキータがとにかく素晴らしかった。こんなにオリジナリティーのあるバンドに成長しているとは、びっくり。学っち、やるなあ。彼のドラマーとしての素晴らしさ、アーティストとしての才能を再認識。
ライブの後、物販コーナーで前田さんのピアノカ教則本を買って、楽屋でサインしてもらう。
クアトロを出て下北沢ヘ。行きつけの居酒屋で友達と飲む。こいつも人生色々だ。最近は虚無な日々を過ごしているそう。彼の身の上話をあてに飲む。

2003年5月9日金曜日

2003年5月9日(金)

下北の楽器屋で安くてコンパクトなハードディスクレコーダーを買う。
ノートパソコン、デジカメときて、ハードディスクレコーダー。デジタル.ライフ化が進むオレ。
その後、CDショップへ。
色々と物色している内に、情報量に圧倒されて疲れてしまい、結局何も買わずじまい。

2003年5月7日水曜日

2003年5月7日(水)岐阜県関市 ラリーポップ

電車に揺られて5時間半、岩瀬から関市への道のりは長かった。
★ 高山本線は車窓の景色が良いのでオススメ。渓流に沿って電車が走る。

今日のライブは、地元で高橋商店という居酒屋を営むコーちゃん&ヒロちゃん夫妻とラリーポップの共同企画。
コーちゃん&ヒロちゃんとの出会いは4年くらい前やったかな。
飛騨の高山でライブをやったときに、お客で観に来ていた二人が、ライブの後にオレに話し掛けてきたのがきっかけ。
その時に二人が、もうすぐ地元の関市に帰って居酒屋をやるつもりなので、店がオープンしたら関市でオレのライブを企画したいという話を持ちかけてくれたのだ。
それから高橋商店は無事にオープンし、二人の間には可愛い女の子が生まれ、コーちゃんはなぜかモヒカン刈りになり、オレが関市で演奏させてもらうのも今回で3度めになる。
ライブ前、1年以上振りに再会したコーちゃんから色々と身の上話を聞く。
いろんな場所で出会う人達それぞれが紡いでいる人生のストーリーに触れたり、参加させてもらうことで、自分は心が軽くなったり、力をもらっている気がする。
ライブ中も、打ち上げの時も、多くの人から熱い想いを受け取った。
今夜はその想いをしみじみとかみしめた。


★ アンコールのときに、ステージから撮影。 

2003年5月6日火曜日

2003年5月6日(火)富山岩瀬 アナザホリデー

今日も快晴。昨日より少し涼しくて過ごしやすい。
富山駅から単線一車両のローカル線、富山港線に乗って終着駅の岩瀬浜へ。

★ 富山港線車内。 
★ 岩瀬浜駅プラットホームで撮影。
★ 岩瀬浜駅はこんなにちっちゃい。 

アナザホリデーは典子&タカG夫妻が一昨年にオープンさせたカフェ。空家だった古い民家を改造して使っていて、とてもいい雰囲気。カメラマンでもある典子さんとは彼女が大阪在住の頃からの知り合い。
去年に引き続き2度目のライブ。
リハーサル前にティータイム。タカGがつくったオレンジケーキをいただく。
すごく美味しかった。



★ アナザホリデー外観。
★厨房に立つタカG。

リハの後、富山港、岩瀬浜海岸あたりを散歩。
この季節、港には大量のホタルイカがやってくるので、地元の人達は早朝に網ですくいにゆくのだそう。
このあたりは白エビの産地でも有名。


★ 富山港にて。ロシア船の前でサッカーをして遊ぶロシア人。


★岩瀬浜の砂浜で撮影。

ライブは実に良い感じで盛り上がった。
岩瀬を堪能した一日であった。
 



2003年5月5日月曜日

2003年5月5日(月)岐阜県加子母村野外音楽堂

今日も快晴。
中津川から車で約1時間。辿り着いた場所は山間のどえれ~田舎。
昨日の渋谷とは別世界。
のんびり~。
イベントの仕切りもゆる~。タイムテーブルもなく、オレの出番はいつなん?
まあ、ええか。
気分を切り替えてオレものんびり。あ~、いい天気。ええ景色。おいしい空気。

★ のどかなリハーサル風景。

出演の後、高山本線に乗るため、地元スタッフの若者に下呂まで車で送ってもらう。
下呂に着いたら次の電車が来るまで、1時間40分程あることが判明。
どないしょ。
そうや、下呂と言えば温泉やん。
ということで駅近くにある水明館という旅館の温泉につかる。
いいお湯でした。

★水明館入り口。

まだ少し時間があったので駅前の蕎麦屋でざる蕎麦を食べてから高山本線に乗車。
富山へ向かう。
結構、気楽な一人旅である。

 

2003年5月4日日曜日

2003年5月4日(日)渋谷タワーレコード タワーリング・カヴァフェルノ VOL.3 "男と女"

午後12時20分、時間通り新宿タワレコに行ったら、誰もおらんやん。
マネージャー二郎さんの携帯を鳴らしたら、会場は渋谷のタワレコだとのこと。しもた!
まあ、なんとかリハーサルには間に合う。
今日は川村結花さんと3曲の共演予定。
最近は共演機会が多いので、楽屋でも打ち解けて、すっかりリラックス.モード。
アホアホ話で盛り上がる。
本番まで時間があるので川村さんとスタッフの人達と近くのカフェで一服。
ここでもアホ話。
一日だけ他人になれるとしたら誰がよいかという話になったので、オレは迷わず「明
石家さんまになりたい!」と答える。
叶恭子かベッカムになりたいという川村さんのマネージャー、トクトメ女史はちょっと呆れた顔でオレをみていた。
え、さんまって、いや?
ちなみに川村さんは紀宮様。なんでやねん?
玲葉奈と山本君(ロッキン.タイム)の出番の後、司会のスマイリー原島さんとちわきまゆみさんの紹介でステージへ。
お客さんぎっしり。いい雰囲気やん。
エレキピアノを2台並べてのライブ。
最初から飛ばしたね。
川村さんも熱い!2曲目の「氷の世界」はピアノ.バトルの様相。
短いステージやったけど充実感。

★ 本番中
★ シアターブルックのタイジ君と
★司会のちわきまゆみさん、スマイリー原島さんと。

イベント終了後、渋谷で打ち合わせをして、東京駅から岐阜の中津川へ。
夜中の12時前に到着。駅前にはほとんど人通りがなく、開いている店も皆無。
ひっそりとしていて寂しい。



2003年5月3日土曜日

2003年5月3日(土)緑地公園野外音楽堂 「春一番コンサート」

快晴。
恒例の春一番。
入り時間は午前9時。眠い。
今回は出演時間が早く、正午前にステージに立つ。
ぐんぐん気温が上昇して、出番の頃には初夏を思わせる暑さ。

1曲めは「ミラクルマン」でいきなり盛り上げて、2曲目は新曲「美しい暮らし」。
3曲目の新曲「光」では、大阪から出てきた注目の若手バンド、
ラリーパパ.カーネギーママに参加してもらう。
ラストの「メロディー」では後藤ゆうぞうさんがパーカッションで、
30数人の春一番スタッフがコーラスで参加してくれる。
こういうことがすんなり出来てしまうのが「春一番」の良さの一つ。

ステージを終えてからは楽屋でたくさんの人達と旧交を暖めたり、
客席でステージを観たりして「春一番」を堪能する。
イヴェント終了後、新幹線の終電で東京へ戻る。

★ 客席の様子。客席後ろの芝生からお客さんが埋まってゆくのが、
いかにもこのイベントらしい。

★ ラリーパパ、カーネギママのメンバーと。
★ 遠藤ミチロウさんと。
★ 小谷美紗子ちゃんと。
★ 有山じゅんじさん。


★ 楽屋で子供が話しかけてくる。誰かスタッフの子供か?
「僕の名前もリクオやねん。」
お父さんがオレのファンだったそう。父親には会えず。






2003年5月2日金曜日

2003年5月2日(金)大阪メジャーカップ

レコ発ツアーが終わっても旅回りは続くのであった。
前日から大阪入り。
快晴。
今日は日中、地元の友達から自転車を借りた。
午後からそのママチャリに乗って谷町5丁目にあるスタジオへ。
明日、共演するラリー
パパ.カーネギママと40分程リハーサル。
その後、再び大阪の街をしばらく走る。
阿波座で友達がオープンさせたカフェ「マーサ」で一服。

夕方5時半頃、メジャーカップ入り。
メジャーカップはオレが大阪に来た時に、よく通っている行きつけのバー。
随分前から、大阪に来る際に一度、お店でも歌ってくれと、
マスターから言われていたのだ。
10数席のカウンターと5、6席のテラスだけのほんとうに小さなスペース。
そこに立ち見のお客さんも入れて、かなりプライベートな雰囲気で演奏する。
今日のライブは短い休憩をはさむ。
1部からお客さんと共に、飲みながらのステージ。
2部に入ってからはアルコールの回りもあって時間を忘れてしまった。
夜の8時過ぎから始まった演奏が終了したのが深夜の11時半近く。
終演の頃には何人かのお客は酔いつぶれていた。
ライブの後も店で、残ったお客さんや近所に住んでいて
遊びに来てくれた友達らと飲み続ける。
ライブ中からずっとカウンターの一番前に座っていた白人の青年が、
ライブ後に、とても流暢な日本語で話し掛けて来たので、色々と話しする。
オーストラリアから4年半前に日本に来て、
今は配送の仕事でトラックを運転しているそう。
運転中にFMから流れて来たオレの曲を聴いて、
ファンになったとのこと。
こんな小さなスペースでライブをやるなんて驚いたと言われる。
彼は今日のライブはお客が殺到してえらいことになるのではと思っていたよう。
話を聴いていると?は意外にも歌詞に一番、共感してくれているようだった。
オレの日本語はシンプルでわかりやすく、
それでいて深いところに響いてくると言ってくれる。
マスターのたなさんからは、君は売れる要素と才能があるのだから、
一度は売れないかん、と言われる。
明日は早いのに、結構遅くまで飲んでしまう。

★ メジャーカップにて。奥がマスターたなさん。