2003年6月30日月曜日

2003年6月30日(月)

最近、部屋で一番よく聴いている音楽がディスコ。今 日も起きがけから‘70年代、’80年代の懐かしいディスコ.ナンバーを聴きまくる。今日のオレのヒット.チャート1位はMの「ポップ.ミュージック」。 テクノ系やね。盛り上がった勢いで、そのまま曲作り。夕方から玉城あやちゃんがヴァイオリンで参加しているミュージカル「天翔ける風に」を観るために池袋 の芸術劇場へ出かける。池袋に到着したらまず、サンシャイン.ビル内にある水族館へ行く。心地よい時間。


 ★ 水族館でうつぼを撮影。 



7時からミュージカルが開演。
演技、台本、音楽、照明それぞれに適当なところが少しもなく、緻密で、よく練られ ている。舞台にかける時間と労力は大変なものだろうと思った。
この舞台に比べると、今の自分のステージはお気楽である。小さなライブ.スポット で演奏するスタイルは好きなので、これからも続けてゆきたいのだが、今日の舞台の ように、多くのスタッフといっしょにアイデアを寄せあい、時間とお金をかけて、大 きなホールで、演出、舞台、照明、音響にも凝った、エンターテインメント.ショー を展開するツアーもやってみたいと思う。
舞台を観ていて、色々と気付いたり、感心させられることもあったけれど、ミュ-ジ カルというもの事体に慣れていないせいもあって、前半はその乗りに少し戸惑った。
「なんでそこで急に歌い出すねん?しかも言葉の乗せ方、むちゃ強引やん」、「なん で、そんないっつも大声を張り上げとんねん?」などと心の中でつっこんでしまう自 分がいたり、他の人が笑うところで笑えなくて、誰も笑わないところで笑えてしまっ たりということが多かった。
それでも2部からは随分観慣れてきて、ストーリーに入り込めるようになった。そう すると野田秀樹の脚本の面白さが次第に伝わってきた。歌詞のヒントになるようなフ レーズも、もらった。
終わってみれば、色々と楽しめる舞台だった。あやちゃんのヴァイオリンもかなりフ ィーチャーされて大活躍していた。
舞台がはけた後、あやちゃんと近くの居酒屋で乾杯。
彼女もミュージカルでの演奏は始めてで、色々と勉強になっているとのこと。ただ、 もう数週間、舞台が続いていて、ずっと決められたフレーズばかり弾いているから、 アドリブを弾きたい欲求がたまっているそうだ。
そうそう、あやちゃん率いる、「たまきあや.すとりんぐ.かるてっと」のデビュー. アルバム”What’s Luck?”がミディ.クリエイティヴからついに発売されました!華 麗でグルーヴィー、ほんま楽しいアルバムです。ぜひ皆さん聴いてみて下さい。

 

2003年6月29日日曜日

2003年6月29日(日)

またもや渋谷。
今日は渋谷クアトロでテキサスからやってきたアサイラム.ストリート.スパンカーズというバンドのライブを観る。スイング.ジャズ、カントリー、ブルース といったルーツ音楽を奏でるアコースティック.ジャグ.バンドで、日本だとバンバンバザールが、このバンドの音楽性や雰囲気に近い。
この日のライブは、各々の歌と楽器には一切、マイク、アンプ類が使用されず、ステージの中央にマイクが2本立てられているだけの、限り無く生音に近い演奏 だった。これが実にいい音。大音量よりもかえって演奏の細かいニュアンスが伝わってくるように感じた。演奏と歌の素晴らしさに加えて、サ-ビス精神も満 点。とにかくメンバ-全員が芸達
者、芸人揃い。
楽曲も面白い。サビで、客席もいっしょに「ビール、ビール、ビールetc.」と連呼する歌が最高だった。コカイン、ヘロイン他いろんなドラッグを試してみ たけど、やっぱりオレはビールが最高だ、というような内容の歌詞らしい。実際にその曲のヴォーカルを担当したメンバーはステージで、「何本飲んだら気いす むねん?」ちゅうくらいずっとビールを飲みっぱなしだった。なるほど、あのお腹はビ-ル腹やったんやな。
客席で3時間立ちっぱなしでも、ずっとステージに釘付け、まったく飽きることのない素晴らしいライブだった。 ステージと客席の一体感も最高で、ラブ&ピースに満ち満ちた空間は非常に居心地が良かった。
多いに触発され、帰り道ではもう頭の中で曲作りを始める。部屋に戻ったら、すぐに鍵盤に向かう。
前からフランク.シナトラの「マイ.ウェイ」、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、そしてラスベガスのエルビス、エディット.ピアフの「愛の讃歌」なんかに 通じるイメジの曲を、楽しみながら、真剣に作りたいなあと思っていたのだが、ライブの帰り道で、そのイメージで歌詞とメロディーが同時に浮かんできたの だ。
数年前にクレイジーケン.バンドのライブを観た時に、ライブのハイライトで横山剣さんが「マイ.ウェイ」を熱唱して、感銘を受けたことがあった。パフォー マンスであり、真剣でもある、お笑いであり、大マジであるという、裏腹な感じと、やるからには徹底的に、なりきってやる覚悟と潔さが、カッコよかった。今 回の曲作りにあたっては、そのときの剣さんの姿を思い出したりもしている。
K-1 JAPANN参戦の新日本所属レスラー、中西学は惨敗。あまりにも芸のない負け方だった。本当に不器用で、即時対応のできない人なんだなと思った。けれど、これだけ恥をかいてバカになれるのは、すごいことかも。

2003年6月28日土曜日

2003年6月28日(土)

◎場所:渋谷ON AIR WEST 東京百歌 Vol.34
◎出演:Rikuo/篠原美也子/奥井亜紀/橘いずみ/
    松ヶ下宏之【opening act】/kaoru
楽器のトランポがあったので、マネ-ジャ-二郎さんが、昼過ぎに部屋まで車で迎えに来てくれる。寝不足と、軽い二日酔いで、しゃきっとせず。今にも雨が降り出しそうな曇り空。湿度が高く、嫌な気候。梅雨である。
今日も渋谷。人多過ぎ。
先月、仙台百歌に参加させてもらったときにも感じたことだが、このイヴェントのお客さんは、うぶで素直な感じ。新鮮な反応が帰ってくるので、やっていて面白い。いい盛り上がりだった。
早々に出番が終わったので、客席や楽屋のモニターから他の出演者のステージをのんびり観させてもらう。
奥居さんからはひたむきさを、いずみちゃんからは力強さを、篠原さんからは場を支配する力と貫禄を感じた。

2003年6月27日金曜日

2003年6月27日(金)

有楽町の不二屋でキョンさんと打ち合わせ。オレはマロンケーキを、キョンさんはティラミスを食べる。二人で面白いことを企てているので、お楽しみに。打ち合わせの後、有楽町の朝日ホールで川村結花さんのコンサートを観る。
いい ライブだった。彼女のつくるメロディー.ラインはほんまに、ぐっとくる。今日の川村さんのライブを観ても感じたことだが、ピアノ奏者は、他の楽器奏者に比 べると、感傷的な表現を得意とする人が多いと思う。もともとそういう人種がこの楽器を選ぶのだろう。自分も感傷的な人間であるから、表現する際には、そい つとの距離感を意識するようにしている。
コンサートの後、渋谷で行われた打ち上げにも参加。
夜中の3時過ぎに帰宅。部屋に戻るなり、上機嫌で鍵盤を弾き出したら、体の横揺れが止まらず、指はもつれ、思うように弾けない。あれ?オレって今日、そんなに飲んだっけ?

2003年6月24日火曜日

2003年6月24日(火)

米沢から東京戻り。
夕方から深沢にあるスタジオで、秋に発売予定のシングル.ナンバー2曲のトラック.ダウン。
予定より時間がかかる。
こちらを優先すれば、そちらが損なわれてしまうというジレンマ。
共同作業だから、自分の直感に、異を唱える者もいる。前向きなせめぎ合い。見方を変えれば、感じ方も変わってくる。言われてみれば、なるほどと感じることもある。かたくなにはならず、相手を信頼する。けれど、自分の直感はやはり大切。
自分が今、何を一番伝えたいのか、ということを問いつめられる作業。
感性が磨かれますわ。
新しい一歩を踏み出しはじめた実感。


★トラック.ダウン作業に没頭する上条氏。

2003年6月23日月曜日

2003年6月23日(月)米沢 アニバーサリー

今日も晴れ。
米沢に行く前に、昨夜のトーベンさんのライブで知り合った地元の若手バンド.マンであるユウスケ24歳、キャッツ21歳と野郎3人で蔵王の温泉に行く。
蔵王と言えば、「愛と誠」の大賀誠と早乙女愛が出会った場所やね。
なかなか、いい湯でした。


★内湯から撮影。

その後、ユウスケの知り合いがやってるピザ屋へ。これが、ほんとうに美味しかった。
食後、今回のライブのブッキングをしてくれているサンセットスタジオの早川さんの元に寄ってから、皆で米沢へ。米沢でのライブは始めて。
8時15分頃、開演。予想よりお客さんが入って嬉しい。
一部構成でやるつもりが、ライブ途中の成り行きで急遽、休憩をはさむことにする。
今日は新曲とバラードをたくさんやった。そういう気分だったのだ。いつもより気持ちが歌に集中した。
長いライブになった。

2003年6月22日日曜日

2003年6月22日(日) 山形Vigo FM 特別番組公開生放送

午前11:00~12:30
ゲスト:リクオ
場 所:霞城セントラル(JR山形駅西口)1Fアトリウム
入場無料


晴れ。日中は気温が30度に達する。
午前11時20分から番組公開ライブがスタート。
体がまだ起きていない感じ。音の跳ね返りが強くて、音響が悪い。
お客さんも少ない。ライブをやるには厳しい状況。
そこをなんとかするのがオレ、と言いたいところなのだが、今日のライブは胸をはれる内容じゃなかった。ステージの最後まで場の空気をつかめず、集中力も今 一つ。納得のゆく演奏ができなかった。番組のパーソナリティーの女性との会話も噛み合わないまま、ステージを降りる。まだまだ修行不足。
夜は、知り合いで、元子供バンドのベーシストだった湯川トーベンさんが山形市内でアコ-スティック.ギターの弾き語りライブをやるというので、観に行く。
場所はストリートシャッフルという山形大学正門前にある30席程の小さな喫茶店。
実はオレもデビューして間もなくの頃、この店に歌いに来たことがあるのだが、訪れるのはそのとき以来、約11年振り。
店の雰囲気は以前と少しも変わっていないように思えた。でも久しぶりに再会したマスター、アリスさんは、青年っぽさが消えて、前にはない貫禄を感じた。
トーベンさんのライブはPAなし、完全生音での演奏。
ステージと客席の仕切りもなく、客との距離感ゼロ。


★ 弾き語るトーベンさんを客席から撮影

開演から少し遅れて入場したのだが、席につくなり演奏中のトーベンさんから「や~、リクオ~」と声をかえられてしまう。
これはもしかしたらと思っていたら、やっぱりライブの途中でトーベンさん紹介されて、何かいっしょにやろうと言われる。もちろん打ち合わせなし。
で、用意された楽器がピアニカ。そのピアニカ.ケースには「6年3組武田ゆき」とマジックで書かれてあった。
まずトーベンさんがやろうと言い出した曲が、オレのレパートリーでもある、小坂忠さんの「機関車」。
トーベンさんにキィーを伝えて、オレのカウントで曲がスタート。
トーベンさんが弾くギターのコードは相当にデタラメで、ほとんどブル-ス進行の曲のようになっていた。まあこれもありか。マイクなしで歌うのもええね。
ピアニカで吹き語りというのは無理なので間奏でピアニカ.ソロ。気持ちはトランペッターのマイルス.デイビスのつもりで吹く。結構、決まった。
こうなると調子に乗るオレ。そのままステージに居残ってやった。
なにか叩き物はないかと探していたら丁度、カフォンぐらいの大きさの割り箸を収納している木箱がそばにあったので、そいつにまたがりパーカッションにして叩く、これが非常に楽しくて、はまる。
途中で地元の若い子達がやっているジャグ.バンドがトーベンさんの紹介で演奏に参加する。もちろんオレは居座り続けてセッションに加わる。
木箱以外にも割り箸、柱、タバコの吸い殻入れなどいろんな物を使って、演奏した。
いゃ~、楽しかった。サンキュー、トーベンさん。
ライブの後、10年振りにオレを観たというお客さんから「昔よりも若返った感じですね。」と言われ、増々いい気分になる。
違うお客さんからは「君、早くデビューしたほうがいいよ。」と言われる。がんばろ。
打ち上げにも参加。「安愚楽」という年期の入った居酒屋へ連れていってもらう。70をゆうに超えるおばあさんが一人で切り盛りしている小さなお店で、異常に安く、しかも美味しかった。

 

2003年6月15日日曜日

2003年6月15日(日)西宮 RJ&BME’S

しもた、二日酔い。やっぱりワインはあかん。調子に乗って飲み過ぎ。
リハ-サル中もまだしんどい。今日のライブは大丈夫か。
開演までにはなんとか体調が戻ってくる。
今日は50人も入れば満席の小さなブルースバーでのライブ。ここでのライブは3回目になるのだが、毎回、ライブを記念したスペシャル.カクテルがドリン ク.メニューの売り物になる。前回のカクテル名が「ピアノマンワールド」、今回は「メローブルー」でメロン味のカクテル。
オレもステージで「メローブルー」を注文して、お客さんと乾杯。
今日はお客さんだけじゃなく、お店のスタッフ陣の乗りも素晴らしい。演奏中に、カウンター内で振りを合わせて踊るスタッフ陣が目に入る。あまりに素敵だったので、思わず「RJダンサーズ!」と紹介する。
今日の客席の乗りはダニーハザウェイ.ライブにも負けてないなあ。
西宮在住の学生時代からの音楽仲間、N氏が観に来てくれたのも嬉しかった。
夜中の12時を過ぎて、来月共演するアサ.フェストゥーンさんと、その共演場所である神戸カフェ.フィッシュの北村さんが他の関係者といっしょにRJまで会いに来てくれる。アサさんは今夜カフェ.フィッシュでライブを終えて来てくれたのだ。
今年の2月にオレがカフェ.フィッシュでライブさせてもらったときに、北村さんからライブ後にアサさんのCDを聴かせてもらった。とても魅力的な声と歌だ と思った。アサさんもオレのことを知ってくれていたそうで、共演の話はトントン拍子で進んでいった。
アサさんは昨日の川村さんのコンサートにも遊びに来てくれて、その時が初体面。まだ2度目の対面にもかかわらず、打ち解けて、楽しい酒の席になった。
アサさんが去年、発表したファーストアルバムはキユーバ録音で、サポート.ミュージシャンも現地の人達。
このキュ-バ録音に至る経緯を聞かせてもらったのだけれど、映画にしたくなるような素敵な話だった。
アサさんはヘルツのライブを何度も観てくれていたそうだ。そう言えば昨日の打ち上げで川村さんから、その日のステージで共演させてもらった「朝焼け」とい う曲は、ヘルツの「孤独とダンス」という曲に刺激を受けて作ったのだと教えてもらった。これが川村さんテイスト一杯、胸一杯のぐっとくる曲なのだ。
ヘルツに関しては納得しきれない思いを残したまま活動休止したのだけれど、こういう話をきくと、素直に嬉しいし、少しは報われた気持ちになる。
アサさんは、構えたところがなく、真直ぐで、素敵な人だった。
来月の共演が楽しみ。

2003年6月14日土曜日

2003年6月14日(土)大阪 IMPホール 

川村結花さんのコンサートにゲスト出演。3曲共演する。
最近、大阪にしょっちゅう戻って来るなあ。
オレの出番は後半。メンバーをステージに見送って、楽屋で一人ぽつんと待つ。
で、こんな写真を撮ってみました。


★ 出番前、楽屋にて


 ★出番直前。舞台袖からステージを撮影。

川村さんのナンバー、「プレイヤ-」の前奏が始まったところで、川村さんがオレを
紹介してくれる。今夜はショーマン.プロレスラー、リック.フレアーを意識したウォーキングでステージ.インした。アメリカのレスラー達は、花道を通って リング.インし、試合が始まるまでのパフォーマンスにたっぷりと時間をかける。一流のレスラー達はゴングが鳴るまでに自分のキャラクターを客席に伝え、お 客さんを掌の上に乗せてしまう。プロレス.ファンのオレは、彼らのパフォーマンスを自分のステージングの参考にしている。
今、アメリカのプロレスはWWEという団体の独占状態にあるのだが、とにかくこの団
体は選手のキャラ付けが徹底している。興業の世界は客とお金を集めてなんぼの世界
であり、そこで最も重要視されるのはプレイヤーの演奏力や歌唱力が高いことや、選
手が強いことではなくて、お客が面白いと思うかどうか、気持ちよく感じるかどうか、また観に来たいと思うかどうか、ということなのだ。WWEという団体はシビアにその原則を守っている。
その結果、エンターテインメントとしての完成度とスケールは、少し前までは世界一と言われた日本のプロレスが、もはや遠く及ばないレベルにまで達している。
WWEを観ていると、全く規模が違うとはいえ、同じショービジネスの世界に関わる人間として考えさせられることが多い。自分はどれくらい興業の世界で生き ているという自覚をしているのだろうか、自分がイメージするプロフェッショナルとはどういうものなのか?と自問自答させられる。
最近、オレがプロフェッショナルについて考える時に、参考にしている言葉がある。
「プロとは技術を背景にしたキャラである」
「リアルな感情がエンターテインメントに化ける瞬間を演出するのがプロの真骨頂」
ちゅうわけで、今夜のステージの課題の一つはステージ.インしてピアノを弾き始めるまでに、なるべく長い時間をかけて、その間にお客さんを魅きつけることだった。
上手から登場して、フレアー.ウォークでじっくり時間をかけて、やっとエレピの前に立った時に、演奏が突然ブレイクした。ハイ、そこでオレが決めのポー ズ。これ、事前に打ち合わせ無し。川村さんをはじめステージの演奏者達がオレのパフォーマンスに反応してくれたのだ。こういうことがあると乗るね。
川村さんは頼もしいメンバ-に恵まれているなと思?。ステ-ジ上の人間、すべての笑顔が素敵だった。
打ち上げも弾けた。


★ステージがはねた直後。楽屋でメンバーと乾杯! 

2003年6月10日火曜日

2003年6月10日(火)

日中、世田谷文学館館へ「寺山修司の青春時代展」を観に行く。
寺山が10代後半から20代にかけて、恩師や友達に向けて書いた手紙がたくさん展示されていて、興味深かった。
手紙の中の寺山は、素直で人懐っこい印象。
寺山修司という人は亡くなるまで青春時代を送り続けた人だと思う。
「ぼくは不完全な死体として生まれ何十年かかって完全な死体となるのである」
 ―寺山修司


★6/10 

夜中から高円寺で小林建樹君と飲む。
小林君は髪の毛を思いっきり短くカットしていた。
なんだか大正時代の青年文士のよう。
先日、表参道のFABのイベントで一緒だった早川義夫さんが「足りないのではなく余計なものが多すぎるのだ」と歌っていたのを聴いて、短くしようと思ったそう。
夜中の3時に頃店を出た後、小林君の誘いで彼が音楽製作の仕事用に借りている部屋にお邪魔して飲み直す。
語り明かして、自分の部屋に戻ったのが朝の7時過ぎ。
こんなんばっかりやな。

2003年6月8日日曜日

2003年6月8日(日)千葉 ANGA

朝までレコーディングをやっていたので、さすがに体がきつい。
しかも千葉は予想以上に遠かった。30分程、遅刻する。
今日は地元でがんばっている2組のアマチュアミュージシャン、高橋ちかさん、田中としみつ君がオープニングで演奏してくれた。どちらも弾き語りのシンプルなスタイルながら、幅広い音楽性を感じさせる演奏で、歌心もあり、好感をもった。
少し前まで、年上のミュージシャンばかりの現場にいた気がするのだが、最近は自分よりずっと年下といっしょになる機会の方が多い。そういう人達と接していると、引き出しが多く、音楽センスの良い人が増えたなあと実感する。
けれど、あくの強い、やんちゃな奴は減っているように思う。
今日のライブはMCとアップ.テンポの曲をいつもより減らして、じっくり歌を聴いてもらうつもりでいたのだが、ステージにあがったらそんなことは忘れてし まった。あ~あ、ようしゃべってるわ。すっかり、成り行きまかせのステージ。まあ、いつものことではあるが。
「君をゆるして僕をゆるして」という新曲を始めて、ライブで歌ってみた。
いけるかも。


★ライブ後の店内。

2003年6月7日土曜日

2003年6月7日(土)

今日もヤマサキ.スタジオでレコーディング。
夜にはあやちゃんが来てストリングス.パートを入れてくれる。
歌入れを始めたのが夜中の2時を過ぎた頃。
約、1時間半で一気に続けて2曲とる。
まだ客観的に聴けないけれど、いけたかも。
今回のCD製作は色々と新しいことにトライしていて、手探りの作業が多く、生みの苦しみを味わっている。けれど、やっとそれを乗り越えつつあるように思う。
今までの自分にはなかった作品になることは間違いない。
帰宅したのは朝の7時頃。

2003年6月6日金曜日

2003年6月6日(金)

ヤマサキ.スタジオでシングルCD用のレコーディング。
先日知り合ったばかりのオルガン奏者の代ちゃんが、今日はシンセベースで参加してくれる。フアンキー!明日はオルガンを弾いてもらう予定。

2003年6月5日木曜日

2003年6月5日(木)

表参道 FAB 「鍵盤弾きの歌」
出演:Rikuo/染谷 俊/小林建樹/早川義夫
今日はチャリンコで会場まで行く。
表参道沿いの同潤会アパートが取り壊しに入っていた。
馴染みの景色がまた一つ消えて行く。
今日は4人の鍵盤奏者がそれぞれ全く個性の違う弾き語りを聴かせた。
出演者の一人、早川義夫さんとは久しぶりの再会。
学生時代に早川さんの「かっこいいことはなんてかっこわるいんだろう」というアルバムを聴いた。すごいインパクトだった。歌を通じて、ここまで生々しく自分自身と向き合うことができるのかと驚いた。
そのアルバムが発売された30数年前と、今の早川さんの歌う姿勢は何も変わっていないように思う。
この日のステージも強力であった。前の出番でオレがさんざん盛り上げた客席を、早川さんは一瞬にして黙らせ、金縛り状態にしてしまった。否応無しに歌と言葉が心と体に突き刺さってくる。それは暴力的ですらある。
早川さんの音楽は歌詞にもある通り、どろどろの醜いものがキラキラした美しいものに変わって行く瞬間の体験である。
とにかく早川さんはとても元気であった。
久しぶりの再会を喜んでくれた。舞台袖からオレのライブを随分楽しんでくれたよう
で、嬉しかった。
次の日がレコーディングだったので今日の打ち上げは控えようかと考えていたのだが、早川さんが誘ってくれたのがうれしくて、いっしょに打ち上がらせてもらう。
酒は控えたけど。

★楽屋で小林建樹くん、早川義夫さんと。

2003年6月1日日曜日

2003年6月1日(日)

INGNI presents FUNKY802 14th Anniversary Special「Jive the Keys」
■場 所:大阪城ホール
■出 演:RIKUO
小田和正/小谷美紗子/鬼束ちひろ/orange pekoe/森山直太朗
ハナレグミ(永積タカシ)/宮沢和史/矢野顕子/矢野真紀/斎藤雄太 
塩谷哲/ 羽毛田丈史/小倉博和(G)/萩原”メッケン”基文(B)
三沢またろう(Per)/ ・・・and more


11時頃起床。天気晴れ。
時間があるので近くのカフェでゆっくりする。
4時頃、会場入り。
楽屋は男性出演者用、女性出演者用、スタッフ用の、大きく3つに分けられているのだが、それぞれが隣接していて、互いにしょっちゅう行き来があり、とても オープンな雰囲気。楽屋にはステージを写し出すモニターテレビが設置されていて、本番が始まると多くの出演者、スタッフがその画面に注目していた。
出演者が演奏を終えて楽屋に戻ってくると、常に皆が拍手で迎えるなど、いい雰囲気。
そんな中、出番直前の永積くんは楽屋で相当に緊張している様子。
意味もなく両手でリンゴをせわしなくさすっている内に、丸かじりを始め、「なんでオレこんなことしているんだろう?」と自分につっこんだり、たまりかねたように「あ~、ぶっ壊したい!」と叫び出したり、その様子は笑えるが、大丈夫か?
対照的に斜め向かいに座っている宮沢さんは静かに出番を待っている。落ち着いたものである。
ほどなく永積くんとオレにスタッフからお呼びが掛かる。もうすぐ出番なので舞台袖に待機してくれとのこと。
ステージでは鬼束ちひろさんが圧倒的な存在感をみせつけていた。舞台袖で、なぜか片手にバナナを握りしめ、出番を待つ永積くん。
歌い終えた鬼束さんが、永積くんを紹介する。オレは「行ってらっしゃい。」と彼の背中を押す。1万2千人の待つステージ中央に向かう永積くん。バナナは握りしめたままである。
で、客席に向かって第1声が「バナナ!」。
なんでやねん。
しかし演奏が始まればハナレグミ.ワールドであった。心地よいサウンドが大会場にフア~っと広がってゆく。
1曲めの「音タイム」が終わり、さあオレの出番。
永積くんの紹介を受けて下手舞台袖のカーテンをスタッフが開けてくれる。
オレは軽快にスキップを踏みながらステージ上手のピアノヘ向かう。
出番前、楽屋のモニターテレビで、鬼束さんが何かが乗り移ったような鬼気迫る佇まいでステージ.インするのを観ていたので、ならばオレは軽くスキップで行こうと決めていたのだ。
まずは「さよならcolor」を二人で。永積くんが作った名曲である。オレは2番を歌わせてもらう。永積くんはバナナを握りしめながら歌う。
続いてフィッシュマンズのカヴァーで「いかれたbaby」。
音の会話が楽しい。
なるべく音を抜き、二人で「間」を十分に楽しんだ。
これぞコラボレーション。
二人の最後の曲の前にMCをはさむ。
今日も2台のピアノに名前をつけてやった。上手のピアノはよく響くので「響子」。
下手のピアノは、オレが小学生のときに転校してきた女の子、頭が良くて、美人で、いいとこの娘だった同級生から名前をとって「みゆき」にした。
最後はオレのオリジナル「ミラクルマン」を二人でファンキーに決めた。
曲のエンディングは、二人で、一回転エビぞり指パッチン.ジャンプを決めるべく、楽屋で練習していたのだが、残念ながら本番では二人のタイミングがずれてしまった。
まあ、心残りはこれくらいで、とても楽しく、気持ちの良いステージだった。
手ごたえ有りで。
出番前にイベント関係者から、MCをしっかり入れてほしい、客席を暖めてほしいという要望を受けていたのだが、その期待にも応えられたと思う。
目論見通り大阪城ホールをライブ.ハウスにできた。
楽屋に戻って永積くん、スタッフらと堅い握手。
次は宮沢さん美紗子ちゃんとのセッションだ。
次の出番を待つ間にトイレに入ったら宮沢さんがいて、二人で連れションになる。
そのときに宮沢さんから「君のアコーディオンはいいよ。」と誉められる。大先輩の貫禄である。多分、オレより年下やけどね。
宮沢さん、美紗子ちゃんとのセッションも素敵だった。確かにオレのアコーディオンは良かった。
収穫の多い、いいイベントだった。刺激をたくさんもらった。
みんな歌がうまいね。
色々と、新しい出会いがあったのも嬉しい。ピアノの塩谷哲さんとは初体面で意気投合。ぜひ何かいっしょにやろうという話になる。彼のピアノは素晴らしい。
初体面したオレンジペコーの二人が、ヘルツのオリジナル曲「ムーンライトサンバ」を知っていて、オレの前でサビの部分を口ずさんでくれたのも嬉しかった。
打ち上げは大半の出演者、スタッフが2次会まで参加。この日は大阪で佐野元春さんのライブもあって、キョンさんや佐橋さんら、佐野チームも合流して大盛況の打ち上げになった。
同じテーブルにキョンさん塩谷さん、斉藤雄太さん、川村結花ちゃん、オレと五人のピアノ弾きがそろった。こういう場から面白い何かが生まれたりするのだ。
ホテルに戻ったのは当然、朝である。
ホテルのエレベーターの扉が開いて部屋に戻ろうとしたら、廊下のガラス戸越しに、美しい朝日が目に入った。共に飲み明かしたつわもの達といっしょに、しばらく朝日をながめていた。
いいエンデイングだった。


★キョンさんと打ち上げ2次会で。