2003年7月30日水曜日

2003年7月30日(水)

今日も吉祥寺でリハ。
いい感じである。
8/5には、とにかく今までにないリクオをみせられそう。
今日はつらいことがあった。
この日記を読んでいる人はオレが毎日、いい感じの楽しい日々を送っていると思っている人が多いだろう。そんなことばっかり書いてるからね。
それは事実である。大体は。
けれどたまには、がっくりくることもあるさあ。
虚しくなることもあるさあ。
自分の無力さをあらためて知った。
もう少しましではないかと思っていたのだ。
やはり多くを期待し過ぎていたということか。
自分が憎しみを抱かなかったことが救いではあった。
感傷は甘さにつながるのだろう。気持ちを切り替えることはできるのだ。
ただ、感傷は人間に与えられた特権であるとも思うのだ。

2003年7月29日火曜日

2003年7月29日(火)

吉祥寺で8/5、440に向けたリハーサルをバンド.メンバ-全員でやる。
オルガンの代ちゃんが気合いを入れてリハにもかかわらず、レズリー.スピーカーを持ってくる。でかい。凄い存在感。むっちゃ、ええ音。

2003年7月27日日曜日

2003年7月27日(日)

神戸 カフェ.フィッシュ イヴェント名「黄金の日没」
★出演:Asa festoon/Rikuo/Cassette Con-Los/greentea/山村誠一
   DJ:グルーブあんちゃん/Live Painting:小澄源太
晴れた~。汗ばむ。夏や!
カフェ.フィッシュは海沿いのメリケンパークにある大きなカフェ。
今日はカフェ.フィッシュと交流のある関西の数件のカフェが共同で催したイヴェントに呼んでもらったのだ。
お店の外には露天が出て、お客さんは出入り自由。お祭りらしく開放的な雰囲気。
客席はスタンディング。スタンディングでの弾き語りは面白い。オレの弾き語りは踊れるからね。ステージも客席もファンキーになりやすい。
オレのライブがスタートしたときは、はっきり言ってお客の期待度は今一つだった。
けれどステージが進む内に、お客もどんどん弾け出した。
ライブの後半では、この日の他のライブでの出演者である山村誠一さんにコンガで、ト-イ森松さんにカホンで参加してもらう。ダブル.パーカッションでセッ ションする機会はなかなかない。これが、はまった。素晴らしいグルーブでお客さんもおおいに揺れた。
実は二人とは、久し振りの再会であった。山村さんはオレが大阪に住んでいたときの御近所さんで、共演はおそらく10年ぶりぐらい。森松さんとは彼がB シャープというバンドをやっていた頃に、KBS京都のラジオ番組のパーソナリティーを、いっしょにやっていたことがあって、多分10年振りぐらいの再会。 共演は今日が始めてだった。随分とルックスがいかがわしくなっていて、失礼だけれど最初は誰だかわからなかった。まあ、人のことは言えんけど。こういう気 持ちのよい再会は、何かをやり続けてきた者に与えられる特権かもしれない。

★最後のセッションの時にステージから撮影。

カセットコンロスには、かってバンバンバザールでサックスをやっていた安藤君がい
る。とても楽しそうに演奏しているのをみて、居心地の良い場所をみつけたなあと思った。アサさんの歌を生で聴いたのは始めて。彼女にしか出せない色合いが ある。CDもよかったけれど、ライブにはCDではそんなに感じなかった明るい解放感があった。小澄源太さんのライブ.ペインティングも良かった。すぐに彼 の作品だとわかる強い個性を感じた。


 
 ★ライブ.ペインティング中の小澄さん。

今日はボサノバ男女ユニット、ノマドの二人が遊びに来てくれた。オレは発売されたばかりの彼らの新譜に一曲、ピアノで参加しているのだ。
物販は神戸在住のユカちゃんが、やってくれた。カフェ.フィッシュとオレをつないでくれたのは彼女である。感謝。
すべてのライブが終わった後、DJのあんちゃんがヘルツの「ムーンライトサンバ」をかけてくれた。DJブースに向かって指でOKマークを送る。そうそう、 カフェ.フィッシュのブッキング.マネージャーの北村さんからライブの後に、北村さんの友達夫婦を紹介される。奥さんが抱いている生後10ヶ月の子供に 「陸央(りくお)」という名前をつけたとのこと。各地でリクオが誕生しているなあ。がんばろ。
大阪、姫路、神戸と充実した3日間であった。 

2003年7月26日土曜日

2003年7月26日(土)

姫路 ザ.バレル
昨日、今年始めて蝉の泣き声を聴いた。今日も聴いた。晴れ間がのぞいて、やっと夏らしい天気。
今日は知り合いの画家、小谷真くんの個展を心斎橋で観てから、姫路に向かう。
昨夜のアルコールがまだ少し残っている。
ザ.バレルも地元の多くの人達の思いがこもったお店である。
もともと3年前までは、バレル.ハウスという名前で清水さんという方がマスターであた。清水さんは、オレが‘98年に前の事務所を辞めて、一人でツア-暮らしを始めた頃に、とても暖かくオレを迎え入れてくれた人だ。
このお店ではじめて、小坂忠さんの「機関車」を聴かせてもらった。ライブが終わった後の店内で流れていたのだ。清水さんは小坂忠さんのファンだった。3年程前にバレル.ハウスに来たとき、清水さんのバンドがオープニング.アクトをつとめてくれた。
そのときに清水さんが歌う「機関車」を聴いた。とても優しいまなざしで歌われていたのが印象に残っている。
その直後、清水さんは急逝された。
けれど清水さんの意志を継ぐ、地元の人達の思いで店は続けられている。
清水さんが亡くなってから、オレはステージで「機関車」を歌うようになっていた。
ここバレルで「機関車」を歌うときは、やはり特別な思いにかられる。
ライブの後、古い知り合いのSさんに会う。なんと最近、会社を辞めて、今は学校に通い、料理人を目指しているとのこと。
Sさんから打ち上げの席で、オレの歌を聴きながら、ずっと自分のことを考えていたよと打ち明けられる。
オレもいろんな人達の歌を聴きながら、自分のことを考え続けてきたのだ。 


2003年7月25日金曜日

2003年7月25日(金)

大阪 martha(dinning cafe+goods)
今日は学生時代からの親友であるK夫婦が、今年オープンさせたばかりのカフェ、マーサで演奏した。マーサとしては初企画のライブ。
K夫婦には普段から色々とお世話になっているので、せめてもの恩返しにと、自分が自宅で使っていたエレキピアノを寄贈する。今日はそのエレピで演奏した。
Kとは学生時代の4年間を、いっしょにバンドをやって過ごした。彼の担当はドラムである。その時の音楽体験は自分の重要な原点の一つになった。Kをはじめ、そのときのバンド仲間から受けた影響は大きい。彼らの多くとは、今も付き合いが続いてい
る。
そのうちの一人、Tは地元の伊勢でカップジュビーという店をやっていて、年に一度は歌いに行かせてもらっている。
KともTとも、ずっと仲がよかったというわけではない。最初は親兄弟よりも親密な関係だったのが、次第にすれ違い、傷つけあったりもした。まあ、よくある話である。
Kは結構口が悪く、意地悪なところもあって、半ば確信犯的に随分ひどいことを言うことがあった。
大学を卒業してすぐの頃、Kと二人きりで串かつ屋で飲んでいた時のことだ。お互い、随分とアルコールが入っていた記憶がある。確か、いっしょにやっていた バンドを解散させるという話をしていたのだと思う。彼の方でたまっていた思いがあったのだろう、とにかくこれでもかというくらいボロカスに罵倒雑言を浴び せられた。まさに、サンドバッグ状態。
大学を卒業してKは家業を継ぎ、オレは就職せずライブハウスでバイトしながら音楽で食って行く道を模索していた。モラトリアムの時期が終わり、お互いに 別々の道を歩みだそうとしていたときだ。二人とも不安だし、余裕がなかったし、自分達が置かれている現実に苛立ってもいた。
とにかくオレはひどいショックを受けて、部屋に戻るなり、Kからあびせられた言葉の一語一句を忘れまいと、それらを思い出しノートに書き止めた。今となっ ては笑える自分の行動だが、その時はもう胃がねじれるような思いだった。必死にKの言葉と、そして自分自身と向き合おうとしていたのだと思う。
それから数カ月してKと会う機会があったのだが、あれだけのことを言っておきながら奴はケロっとしているのだ。言いたいことを言ってしまって、すっきりし たのだろうか?オレがちゃんと受け身を取るだろうと考えていたのか?拍子抜けするぐらい奴は普通に悪びれることなくオレに接してくるのだ。
それで、なんだか自分も、まあいいかという気持ちになった。もちろん言われた言葉は忘れていなかったけれど。
随分なことを言われたけれど、そのときのKの言葉が自分の気持ちを吹っ切らせて、ソロ.アーティストとしてプロでやって行くんだという思いを強くしてくれた気がする。はなむけの言葉にしては、強烈過ぎたが。
まあオレの方も、結構、無自覚に相手を傷つけたり、苛立たせたりしていたようなのだ。そういう意味では自分の方がたちが悪かったのかもしれない。
Kとの付き合いは結局、今までほとんど途切れることなく続いている。奥さんとの付き合いも大学時代からだ。
数年前にまたKと二人で飲んでいたときに、さっきの串かつ屋での話を彼にしたら、全く覚えていないというので、がっくりした。ほんまに、覚えてへんのかな。まあ、ええけど。
Kも、伊勢のTも、オレも、次第に自分の立ち位置、生活スタイルを見つけ、前よりも余裕ができ、少しは優しくなった。違う生き方をしている人間として、次第に認めあえるようになってきた気がする。
いい時期に昔からの仲間が店を始めて、そこで歌わせてもらえるのは、とても嬉しい。
今日のライブのチケットは早くに売り切れていて、会場の雰囲気は開演の時点で、いい感じで出来上がっていた。すみずみまでこだわりを感じさせる店の雰囲気 とおいしい料理、そしてスタッフの気づかいが既にお客さんの気持ちを盛り上げていたのだろう。そして最高のライブである。自分で言うか。お店との理想に近 いコラボレートができたと思う。
学生時代からの音楽仲間も何人か駆け付けてくれた。
もちろん彼らとはライブの後、いっしょに打ち上がった。皆、元気そう。
オレはほろ酔い気分で、自分達のことを誇らしく思った。


★マーサにて、アンコールの時にステージから撮影。

2003年7月23日水曜日

2003年7月23日(水)

肌寒い天気が続く。夜には雨が本格的に降ってくる。
夏はいつになったら訪れるのだろう。
今日も昼飯は蕎麦。
最近、ほぼ毎日、蕎麦を食べている。
一日部屋にいてライブの準備。
夕方には「Talkin’ Blue」や「Rollin’」の録音でお世話になった錦織さんが自宅に来てくれる。部屋に案内して宅録音源や、10月発売予定のシングル曲を聴いても らったり、DTMの使い方を教えてもらったりする。シングル曲を聴いたニキさんから「一皮むけましたね」と言われる。
夜からは8/5下北440で始めて演奏する予定のカヴァ-曲を練習してみる。
原曲のこぶしの効いた歌いまわしを、どう自分なりの歌唱に変えるか。
まだ、手探り。
結構、真似しやすい歌い方なのだ。
こういう歌唱法は幼い頃に聴き慣れていたので、
自然と身に着いているのかもしれない。

2003年7月22日火曜日

2003年7月22日(火)

今日も日中は440の準備に追われる。
夜にヤマサキ君が自宅に来てくれて、ビールを飲みながらデジパフォの不具合を直し
て、ミディ.インターフェースがつながるように設定してくれる。
素晴らしい手際であった。
その後、宅録した新曲3曲を聴いてもらう。
いすれも440でやりたいと思っている曲。
一番反応が心配だった曲の評価が最も高かったのが意外で、嬉しかった。
和田アキコも顔負けのダイナマイトでエンタ-テインメント色の強い曲である。
ヤマサキ君からは、これくらい振り切れた表現に、
これからは向かっていくべきだと言われる。
その後440の選曲を考えたり、CDを聴いたりしながら二人でワインを一本空ける。
少し酔う。

2003年7月21日月曜日

2003年7月21日(月)

一時半頃、起床。
昼飯を食べる前に、チャリンコで近くのツタヤまでCDRを買いに行く。
運転中にメロディーと歌詞が同時に思い浮かぶ。
忘れない様にとにかく何度も頭のなかで歌詞とメロディーを繰り返す。そのうちに、どんどん新しいフレーズが浮かんでくる。
帰り道で、出だしのメロディーを忘れる。ショック!!けれど数分後に思い出す。
帰ってすぐ曲作り。晩飯前には完成。
出来たばかりの曲をさっそく宅録。

2003年7月20日日曜日

2003年7月20日(日)

今日も日中はデモテ-プ作り。
夕方から佐野元春さんのコンサートを観るため渋谷へ出かける。
10代の頃は佐野さんのレコードをよく聴いていた。特に「VISITORS」というアルバムが印象に残っている。ニューヨークにしばらく在住していた佐野さんが、当時のニューヨークの新鮮な空気を思いっきり吸い込んで完成させた意欲作だった。
奇遇なことにこの日のコンサートのメニューは、このアルバムのナンバーを中心に構成されていた。それだけ本人にとっても重要なアルバムだったのだろう。佐 野元春という人は自分にとって、さまざまな音楽にふれてゆく上で、一つの窓口になってくれた人だと思う。
コンサートは2時間半という長さを感じさせない、エモーショナルで完成されたロックンロール.ショーであった。キョンさんを始めサポート.ミュージシャンのプレイは磐石、佐野さんの魅力的なパーソナリティーもよく伝わってきた。
アンコールでの佐野さんの「僕も君達を応援するから、君達も僕を応援してくれ」というMC、気持ちがよく伝わってきた。オレもそんな気分。
部屋に戻って、またデモ作り。

2003年7月19日土曜日

2003年7月18日金曜日

2003年7月18日(金)

夜は下北沢440で小林建樹くんのワンマン.ライブを観る。
声がよく出ていて、調子がよさそう。新しいスタートをきって、これからやってゆくぞという意気込みを感じた。ぜひ、これからもどんどんライブをやっていってほしい。

2003年7月17日木曜日

2003年7月17日(木)

文化放送の「フォークトレイン」という番組の収録をする。
よどみなく言葉が出てきて、会話がスィングする。

2003年7月16日水曜日

2003年7月16日(水)

横浜 サムズアップ「ばかっ晴れ祭り2003 ~第1夜~」
◎出演:リクオ、持田ヒロツグ、東京ナンガデフ、アロマティックB
今日はふるい知り合いであるシンガーの高田エ-ジ君が企画したイヴェントにお呼ば
れする。
サムズアップはアメリカやイギリスにありそうなパブ風のライブ.スポット。ブルース.ブラザーズがステージに登場してきそうな雰囲気。
出演者の一人である持田くんは、オレが学生時代に京都でよく対バンになっていたバンドのヴォーカリストだった。照明の阿部ちゃんの紹介で去年、10数年振 りに再会したのだ。彼のステージを観るのは、学生時代以来だった。ハートにしみるいい歌と演奏だった。
この日はイヴェントのタイトル通り出演者がアホなだけでなく、客の方もアホばっかり。飲んで、食って、聴いて、歌って、騒いで、無礼講という感じ。好きやね、こういう雰囲気。
出番まで随分時間があるので、客席後方のカウンターで、他の出演者のステージをみていたら、ついついアルコールが進んでしまう。出番が10時半になった時点で終電は諦める。
本番はワイン飲みながらやる。客とのやり取りが楽しい。客も含めて、そこにいる全員でライブをつくっていく感じが良い。こういうライブが一番楽しい。ライ ブ後も余韻は消えず、ファンキ-.モ-ド全開。始めて会った出演者の人達とも一気に打ち解けて、盃を交わし、盛り上がり続け、最終的にはまた皆でステージ にあがり、パ-カッション叩いて、叫んだり、歌ったりのアホ.セッション。

2003年7月15日火曜日

2003年7月15日(火)

空港に向かう前に尾根さんが車で、金屋町の山間にある「明恵峡温泉」に連れて行ってくれる。

空港に向かう前に尾根さんが車で、金屋町の山間にある「明恵峡温泉」に連れて行ってくれる。

★明恵峡温泉の露天風呂。

この温泉の名前はこの地の出身地である鎌倉時代の高層、
明恵上人からとられている。
実は、少し前に、白洲正子と河合隼雄が対談した「縁は異なもの」という本を読で、明恵上人のことを知り、興味を持っていたのだが、 今日の金屋町訪問はたまたまである。奇遇だなと思う。
明恵上人の話を少し。
明恵は厳しい修行によって、体が宙に浮くようになる。
けれど人がそのことを言いたてると、明恵は、これしきの事は「いみじき事」 でも「神変がましき」ことでもない、修行をすればだれでもできるのだから口にするな、といったそうだ。
多くの宗教はその人が起こした奇跡が証拠みたいになって、 教団ができてゆくけれど、明恵は、そういう形での宗教の成り立ちは、 本来の宗教から外れていることをよく知っていたので、教団をつくらず、 あまり弟子もとらず、一人きりでいたそうだ。
「我は後世たすからんと云う者にあらず。
ただ現世に先ずあるべきやうにあらんと云う者なり」という明恵の言葉が好きだ。
「あるべきやうは何か」と問い続ける過程を自分も楽しめたらなと思う。
明恵峡温泉はロケーションも泉質も素晴らしく、お薦め。
自然を見て、いい湯につかり、とてもすっきりして、体調がよくなった気がした。
帰りは尾根さんがわざわざ関西空港まで送ってくれる。

2003年7月14日月曜日

2003年7月14日(月)

有田 キッチンクラブ ゾロ
夕方4時半頃、JR藤並駅に到着。主催者の尾根さんが車で迎えに来てくれる。
一年ぶりに再会した尾根さんは、髪の毛が肩まで伸びて、しかも金髪。
ライオンみたい。
お店につくまでの車窓の景色はみかん畑とみかん山ばかり。有田市の人口よりみかんの数の方が圧倒的に多いに違いない。
今日のライブ会場であるゾロは、そんな風景の中にぽつりとある。会場内はテーブルをどけても、40席程で満席という狭さ。


★ゾロの前で尾根さんと。

すぐ目の前、しかも同じ目線の高さにお客さんがいるので、本番中、少し目線に困った。 今日はステージの最初から飛ばした。昨日とは、かなり違うメニュー。
地方に行けば行く程、お客さんの年齢層の幅は広がって行く。音楽好きやファン以外の一般のお客さんの割合もぐっと増える。そういう状況の中では、自分の中のオスや野性の露出度が高い自作のレアなラブ.ソングは少し歌いにくい。
でも今日は歌った。かわいい子もいたしね。いつもより少しどきどきした。

2003年7月13日日曜日

2003年7月13日(日)

和歌山市 オールドタイム
朝風呂にゆっくりつかってから、JRで和歌山市に向かう。
市内に着いたら雨が降ってきた。気温もぐっとさがる。
オールドタイムに向かう道すがら、いつものようにピンサロのちょびヒゲおやじに声をかけられる。元気そうでなにより。
今日はマスターのボビーこと松本さんがオープニング.アクトをつとめてくれた。
いい声である。
8時半からオレの出番。
ライブの途中で、ふと、お客に質問したくなる。始めてオレのライブを観に来た人に挙手をお願いしたら、数人程で、後はリピーターばかりだった。
一番前に座っていた女性二人組が手を上げていたので、どうして来る気になったのかと聞くと、川村結花さんのライブのゲストにオレがたまたま出ていたのを観 て、興味を持ったとのこと。二人とも恥ずかしそうにしているので、余計にいじりたくなり質問を続ける。
今日はバラード中心の選曲。いつも以上に気ままに、好きに歌った。まず、自分が気持ちよくなることである。

2003年7月12日土曜日

2003年7月12日(土)串本 潮岬病院

曇り時々晴れ。
午前11時、串本駅に到着。
串本は本州最南端に位置する海沿いの町である。台風が本州に上陸するときに、よく串本の沿岸からテレビ中継が入るので、名前だけは知っているという人が多いかもしれない。
このあたりはテ-ブル珊瑚の群棲地で、海は透明度が高くて、美しい。ダイビング、フィッシング、ホエールウォチングができ、橋杭岩、潮岬灯台などの景勝も多い。少し足をのばせば、熊野那智大社や那智の滝があり、温泉街でもある。
非常に見どころ、楽しみ所の多い場所なのだ。
今日は潮岬にある精神病院で知的障害を持つ患者さん達の前で、音楽療法の一環として演奏する。
今日のライブをブッキングしてくれた岡野さんは、開演前まで、患者さんを前にして、オレがうまく対応できるのか心配している様子。オレは前にもこういった患者さん達の前で演奏する機会があったので、そんなに不安はなかった。
今日は、手拍子やコール&レスポンスなどで、なるべく患者さんに参加してもらえるよう、ビートのある曲を中心に選曲する。
途中から患者さん達にタンバリンとカスタネットをくばってもらって、演奏中、好きに叩いてもらう。みんな、ほんまに嬉しそうに参加してくれた。
特に「ミラクルマン」の大合奏が面白かった。みんなそれぞれが好きに叩いていて、リズムはばらばらだったりするのに、ちゃんと一体感とグルーヴがある。グルーヴとは「高揚感」、「ときめき」なんだと実感。

★ ライブ風景。

3時前にはライブが終わったので、その後ホテルにチェックインして、夜の会食までゆっくりする。
宿泊先のロイヤルホテルは丘の上にあって、部屋のベランダからは紺碧の大海原を見下ろすことができる。左手には橋杭岩、右手には大島がみえる絶好のロケーション。
さっそく1階にある温泉につかる。
露天風呂から大平洋をながめながら、ゆっくりと湯につかる。

★ホテルの部屋から撮影。

夜は院長先生、岡野さん他、病院の職員の皆さんと会食。
潮岬病院では年に3回はこういうライブを企画しているそうだ。
音楽療法は患者さんにとても効果があるとのこと。
ある職員の方から、いつもは無口な患者さんが今日のライブの後に、とてもよかったと弾けた表情で嬉しそうに話していたと教えてもらい、嬉しくなる。岡野さ んからは今までの病院のライブの中で一番、盛り上がったと言われる。夜中に部屋に戻って、また湯につかる。


 ★ 鯨の刺身をいただきました。美味しかったあ。

2003年7月11日金曜日

2003年7月11日(金)田辺 カフェモーク

曇り、時々晴れ。
朝食の後、今日も屋内プールで泳いでから、温泉にゆっくりつかり、部屋に戻って昼寝。午後からマウンテンバイクを借りて、海沿いをしばらく走る。人気のない場所にマウンテンバイクを置いて、おもいっきり海に向かって歌う。気持ちよかった。




★ここから海に向かって歌った。

5時頃、店入り。
モークは海を見下ろせる丘の上にある洒落たギャラリー&カフェ。
晴れた日の夕暮れ時には、美しい夕陽が水平線に沈んで行くのを店内からながめることができる。去年は実に美しい夕陽を拝んだのだが、今年は残念ながら曇り 空のため観れなかった。今日のオレのライブはカフェのスペースで行われた。ギャラリーの方では大阪在住の若手陶芸家、藤岡貢さんの陶器の個展が開催中だっ た。見学させてもらった中で、特に印象に残った陶器を一つ購入させてもらう。ラインの美しい、洗練されたデザイン。このお店のママ、谷口かずみさんと初対 面したのが、もう10数年前。それから長いブランクがあって、去年の6月のモークでのライブが久し振りの再会であった。そのときにはヤマサキくんが急遽、 パーカッションで参加してくれた。彼は田辺の隣町の白浜出身で、かずみさんには10代の頃によくお世話になっていたという縁があったのだ。ちなみにオレは 御盆の時期には毎年、ヤマサキくんの故郷である白浜でゆっくり骨休めすることにしている。
和歌山県内は白浜以外にも今までプライベートで串本、古座、勝浦、新宮、那智、熊野、川の湯といろんな場所を訪問している。和歌山は自分にとって色々と縁の深い場所なのだ。
大体、和歌山県内を4ケ所もツアーする人っていないと思う。実は和歌山でゆっくりしたいがために組んだツアーでもあるのだ。
今日はかずみさんの紹介で柳沢がく君というパ-カッション奏者と初対面、本番で2曲セッションする。がく君はジャンべを叩く。いい感じだった。
彼はオレと同じ京都出身で、紀州の風土が気に入って数年前にこちらに移り済んできたそう。
客席も満員で嬉しい。和歌山ツアー初日のライブ、いいスタートがきれた。

2003年7月10日木曜日

2003年7月10日(木)

今日から和歌山県内4ケ所、5拍6日のツアー。
今回のツアーの裏タイトルは「リクオ温泉三昧ツアー」である。
関西空港からJRに乗り、和歌山駅で乗り換え、紀伊田辺で下車。
曇り空から時々、晴れ間がのぞく。かなり蒸し暑い。
駅前から送迎バスで宿泊先である海沿いのリゾート.ホテル「東急ハーベストクラブ」
へ。今日から連泊でツインの広い部屋をとってもらった。




★ 夕方、ホテルのベランダから撮影。いい景色。

午後5時前にチェック.イン。
すぐにホテル内のジムに行って汗を流し、プールで泳ぐ。その後は温泉。
ライブは明日なので、夜はゆっくり、だらだらと過ごす

2003年7月7日月曜日

2003年7月7日(月)

水戸から東京の部屋に戻って、息をつく間もなく再び外出。渋谷の楽器屋で、オーディオ.インターフェース、ミディ.インターフェースとスピーカーを購入。その楽器屋で
偶然、ヤマサキくんに出会ったので、ルノアールで少しお茶。
その後、小林建樹くんの仕事部屋にお邪魔して、デジタル.パフォ-マンスとオーディ
オ.インターフェースをオレのI-bookにインストールしてもらい、デジタル.パフォー
マーの使い方を教えてもらう。頭がパンクしそう。小林くんには夜中までつきあってもらう。感謝。しかし、オレはちゃんと使いこなせるんやろか。

2003年7月6日日曜日

2003年7月6日(日)

水戸ガールトーク
水戸に行く前に「あぶらすまし」の三ヵ田くん、松崎くんの案内で小名浜の海沿いにある水族館「アクアマリンふくしま」へ行く。いや~、ここの水族館はお薦め。


★鰯の群れ。アクアマリンで撮影。7/6ふくしまアクアマリン1  その後、すぐ近くの、海を展望できる温泉で、ゆっくり湯につかる。
最近のパターンやね。

★湯上がり直後、くつろぐオレ。松崎君撮影。

7/6いわき温泉 ゆっくり湯につかった後は海鮮料理をいただく。
★リクオの昼食。ウナギ、ホタテ、タコ、ウニ、鯛、ヒラメ、マグロ、甘エビ、カニ入り味噌汁と、なかなか豪勢な海鮮料理でした。

いわきでゆっくりし過ぎて水戸のガールトークについたのが、夜の6時前。
7時50分頃、開演。
昨日、ソニックでもらった機材を本番でさっそく使用するも、うまく作動せず、がっかり。

 

2003年7月5日土曜日

2003年7月5日(土)福島県いわき市 ソニック

上野駅から常磐線に乗って約3時間かけて、いわきに到着。
電車からホームに降り立った瞬間、乾いた風が肌に触れて心地よい。東京の蒸し暑さ
とは別世界。その一瞬で、やはり旅はいいなと思った。東京を出る時は色々と考え事が多くて、ライブをやる気分じゃなかったのだが、この気候に触れただけで 少しリフレッシュされた。今日はリハーサルでトラブルが発生。用意されていたお店のエレキピアノが故障。急遽、近くの楽器屋から別のエレピをレンタルして もらってリハーサルを開始したら、今度はダンパー.ペダルが効かない。う~ん、困った。
取りあえず開場時間も近付いているので、ペダルを使わなくてもできそうな曲、ペダルを使わなくても聴かせられそうなアレンジをアレコレ考えながら、リハー サルを進める。そうしたら6時40分頃に新しいエレピが到着。急いでセッティング。今度は大丈夫。リクオ史上初のペダルなしライブを覚悟してリハーサルを しいたので、ほっとした反面、少し残念な気持ちも。だから本番では1曲、ペダル必需のバラード.ナンバーで、わざとペダルなしの演奏を試みる。すごく集 中。新鮮だった。
お客さんやスタッフの笑顔に救われた一日だった。
今日のライブでオ-プニングをつとめてくれた地元のアコースティックバンド「あぶらすまし」の3人は、近くの水族館で働いているということなので、明日、水戸へ行く前に、その水族館へ案内してもらうことにする。
打ち上げのときにソニックのスタッフから、ある機材を譲り受けて感激する。
8/5下北440で使用する予定。

2003年7月3日木曜日

2003年7月3日(木)

最近、ある企画のために、ピアノ録音用のスタジオを探している。今日はキーボード.マガジンの編集長である西本さんの紹介で、渋谷にあるスタジオを見に行く。
スタジオの中には2台のスタインウェイが置いてあった。その内の1台はニューヨークのカーネギーホールにあった年代物(1880年代に生産されたのもだそう)のピアノをわざわざ日本に持ち込んだそう。
さっそく、2台とも試奏させてもらう。
どちらもすごく弾きやすい。微妙なタッチにもしっかり反応する。音色は深く、味わいがある。楽器がよいだけではなく、管理と調整も行き届いている。愛情が 注がれているから余計に鳴りがよくなる。今まで弾いてきた、どのスタジオのピアノよりも良い音。いい楽器との出会いに胸が高鳴った。
スタジオ見学の後、渋谷で打ち合わせ。最近、打ち合わせばかりしている。
部屋に戻ってから久し振りに、仕事部屋の掃除&衣替えに取りかかる。今月中にある程度の宅録環境を揃えてしまうつもりなので、その準備のための掃除でもある。

2003年7月1日火曜日

2003年7月1日(火)

市ヶ谷にあるスタジオでレコーディングの最終作業であるマスタリングをやる。
いい仕上がりである。苦労した甲斐があった。
その後、夕方から恵比須で打ち合わせ。
最近、「人にゆだねることの大切さと難しさ」を実感している。