2003年12月28日日曜日

12/28(日)大阪 マーサ

今年最後のライブ。マーサはオレの大学時代からのバンド仲間が今年オープンさせたカフェで、7月には自分がオ-プニング.ライブを努めさせてもらった。その時のライブが好評だったので、この日はリピーターのお客さんがたくさん足を運んでくれた。
 お客さんと演奏者の距離が近く、お客さんに対する気遣いができていて、店の雰囲気も良く、料理も美味しくて、飲み食いしながら、ゆっくりライブを楽しめるので、リピーターが多いのもうなずける。
 オレ自身も急遽決まったこの日のライブを楽しみにしていたので、初公開する新曲を数曲用意し、前日には朝までかけて当日に流すBGMの選曲をした。
 選曲は‘70年代~’80年代前半の歌謡曲を中心にした。10月に行った札幌ライブの打ち上げの席で、三角山放送局の杉澤くん、その友達の平山君とオレ の3人でURC(アングラ.リクオ.クラブ)という音楽サークルを結成して面白い音源を交換しようという話で盛り上がっていたところ、先日平山くんが歌謡 曲を中心とした選曲でCDRを5枚も事務所の方に送ってきてくれたので、その中に入っていた曲
(左とん平の「ヘイユーブルース」とか和田アキコの「見えない世界」等)を色々と使わせてもらった。
 BGMの選曲中に、明日のライブのタイトルは「男の世界―MEN’S WORLD」で行こうと思い付く。
 入場のSEは尾崎紀世彦が歌う「男の世界」にする。この曲は‘70年代初頭にチャールズ.ブロンソンが登場する男性化粧品マンダムのCMソングとしてお 茶の間に流れ(CMで歌っていたのはジェリーウォーレス)、当時小学生低学年だった自分に、強いインパクトを与えた。
 CM中に流れる「う~ん、マンダム」という決めフレーズ、チャールズ.ブロンソン
のかもし出す大人の男の色気とその毛深さ、そして男のロマンと哀愁を感じさせる楽曲は、幼心に「男の世界」のイメージを刻みつけた。その時に受けたインパクトとイメージが、なぜか今また自分の心の中で蘇りつつある。
 自分が幼い頃に歌謡曲から感じ取っていた魅力の一つは、「大人の男女のやばい色気」であったように思う。自分は当時からワイルドネスを持った大人に憧れていたのだろう。
 そんなことを考えていたら最近「マンダム.フォーエバー」という曲ができてしまっ た。ちなみに「マンダム」とは「MAN」と「FREEDOM」を合わせた造語だそうだ。作詞中に「君のもみあげはどこまで伸びているのか~」というフレー ズが出てきた時点で、もらったと思った。
 この日は「男の世界」のタイトルに相応しい選曲を並べたのだが、その極め付けが初公開の新曲「マンダム.フォーエバー」であった。
非常に受けたので嬉しかった。今年最後のライブ、とても気持ちよく締めくくらせてもらった。

2003年12月23日火曜日

12/23(火)

今日も東京に帰らず石垣で一泊する。
 昨日に続き晴れ。
 日中の気温は25度を超える。
 昼から地元の人達と竹富島へ遊びに行く。ホテルの前からフェリーに乗って15分程で到着。人口数百人、歩いても一日で一周してしまえそうな小さな島である。
 島で乗った牛車の遅いこと、遅いこと。歩く速度より遅い乗り物なんて初めて
乗った。牛車のスピードがこの島の時間の流れを象徴しているのだろう。身をゆだねれば非常に心地がよい。
牛車の後は昨日に続いてレンタル自転車で島を走り回る。
実に気持ちよく、楽しかった。

夜はひゃくちゃんの旦那さんも参加して彼が店長を努める居酒屋で食って飲む。その後、すけあくろで再び飲む。しばらくするとお客さんが三味線で島唄を歌い始める。その後にオレも何曲か演奏して、皆で盛り上がる。こうして石垣2日目の夜も気持ちよく更けていった。
 飲んでいるときに内地から石垣に越して来た男性と少しだけまじめな話をした。そのときに聞いた言葉が印象に残っている。「石垣に来て暮らしてみて楽園は どこにもないとわかった」彼はそう言った。やはり住んでみなければわからない苦労があるのだろう。沖縄本島でも感じたことだけれど、内地から越して来た人 は、どちらかというと男性よりも女性の方が早くに島に馴染んでいるようだ。
 結局、楽園はそこにあるのではなく、自分達でつくりだすもの、ということなのだろう。
 「石垣で最も盛んな産業は土建で、自然はどんどん破壊されている」
 「島で育った人がこの土地の自然の素晴らしさ、大切さを理解せず、
  環境を破壊している」といった考えさせられる話も聞いた。
 石垣初上陸は自分に深い印象を残した。また来年も行くぞ。

2003年12月22日月曜日

12/22(月)石垣島 すけあくろ

 石垣初上陸。快晴。昨日に増して暖かい。初夏の陽気。
 空港にすけあくろのオーナーである今村さんとスタッフのひゃくちゃんが迎えに来てくれる。初対面の今村さんは巨体であった。物腰柔らかく、ちょっと宮崎アニメに登場するトトロのような可愛らしさがある。車中色々と話が弾む。
初めての土地に来たのと、素晴らしい陽気のせいで、気分は弾んでいる。
 今村さんの話によると、石垣の人口は4万人程ということになっているけれど、近年、住民票を移さないまま、内地から多くの若者が移住してきていて、実際の人口は5万人を超えていると言われているそう。
 宿泊先のホテルは海沿いにあり、目の前には離島行きのフェリ-乗り場がある。いいロケーション。明日はフェリーで竹富島に行ってみればよいと今村さんから
言われる。
 ホテルに荷物を預けて、すぐに散歩に出かける。近くで自転車をレンタルして、その店のスタッフから石垣そばの美味しい店と、自転車で行くのにお薦めの
スポットを教えてもらう。

 石垣そばを食べた後、地図を見ながら、主に海沿いを約30分程走る。実に開放的な気分。唐人墓のあたりで自転車を置き、海辺の灯台に昇り、景色を見渡す。絶景。近くの岸辺は珊瑚の屍骸が堆積していて、メルヘンチック。

 今回、石垣に来ることができたのはビギンのキーボード奏者である上地等くんのお陰である。彼が今夜のライブ会場である「すけあくろ」を紹介してくれたのだ。このお店のオーナーである今村さんは等君の親戚なのだそう。
 お店で働くひゃくちゃんはオレと同じ京都出身。5年前に京都から石垣に今の旦那さんと一緒に越して来たそう。その他すけあくろで働くスタッフは皆、石垣に魅せられて内地から来た人達ばかり。
 今村さんや等君が力を入れて宣伝してくれたお陰でライブは盛況。 
はじめての街で、すごく気持ちよく演奏させてもらった。
 ライブで弾かせてもらったヤマハのエレピP250は今日のライブに合わせて今村さんが購入してくれたそう。こういうお膳立てをされると、増々やる気にな る。この機種は初めて弾いたのだが、かなり良い。特にエレピの音、その中でもウイリッツア-音源は、今まで弾いたどのデジタルピアノよりも良い音でびっく り。本番でもこの音色を何曲かで使う。
 打ち上げも大いに盛り上がる。相当酔う。歌い過ぎじゃなく、しゃべり過ぎて声が枯れた。実に楽しい一日であった。
 オーナーの今村さんは非常に眼差しの優しい素敵な人だった。

2003年12月21日日曜日

12/21(日)那覇 D-SET

 現地の人から沖縄は今結構寒いから気をつけるよう言われていたのだが、着いてみればやはり別天地で暖かい。20度ぐらいはあるんじゃないか。8ヶ月振りの沖縄。実際の期間よりも久し振りの感じ。
 いつものようにピーエムエージェンシーの糸数さんが空港まで迎えに来てくれる沖縄そばを食べてからライブ会場のD-SETへ。 気持ちよくスタッフが迎え入れてくれる。
 リハーサルの後、ホテルにチェックイン。近くを散歩したりして時間を過ごしてから、開演20分前に楽屋入り。ワーナーMMG時代にお世話になった元MMGの天本さんが楽屋を訪ねて来てくれる。
10年ぶりの再会。天本さんは会社を辞めて1年前に沖縄に越して来たそう。以前は痩せて色白でインドアなイメージだったのに、目の前の天本さんは陽に良く焼け溌溂としていて、随分とイメージチェンジした印象。
 前回に続き楽屋のテーブルには泡盛と水割りのセットがでんと置かれていた。
泡盛で景気づけてステージ。
 沖縄のお客さんはライブ中もよく飲む。飲んで盛り上がるパターンは望むところである。オレもステージドリンクに泡盛を用意してもらい、本番中にお客さんと何度も乾杯する。
 ライブ途中で、前から痛めていた右手薬指と親指の付け根に痛みが走るも、大事に至らず、乗り切る。
 最近、中低域の声が響くようになってきた。空気を漏らさず、楽に、フラットに響かせるよう心掛けてきた成果か。
 来年も通うぞ、沖縄。

2003年12月17日水曜日

12/17(水)新潟 ジョイアミーア

正午過ぎ新潟に到着。東京の朝はかなり冷えたけれど、こちらは意外に暖かくて拍子抜け。開演前にFOBの古田さんに付き添ってもらって2本のラジオ生番組 に出演。番組でパーソナリティーの方から「今年一年を振り返って、自分に点数をつけて下さい」と言われたので「100点」と応える。オレの場合、生きてる だけで100点なのだ。

ジョイアミーアは普段はイタリアンレストランなのだが、定期的にライブやクラブ
イヴェントも行っている。美人店長の石山さんはじめ、店のスタッフは皆、感じが良い。いろんな場所でさまざまな人に出会うようになり、余計に思うように なったことだが、挨拶というのは大切だ。今日は店に入るなり、お店のスタッフの人達から気持ちの良い挨拶をされてモチベーションが上がった。
リハーサルの時にピアノのセッティングを変えてもらう。客席にピアノを置いて、お客さんがピアノを取り囲むようにセッティングする。せっかく一度セッティ ングしてもらったものを変えてしまうのは申し訳なかったのだが、スタッフは皆嫌な顔をせず協力してくれたので、さらにやる気がでる。
今までのジョイアミーアのライブの中で最も会場の雰囲気が良かった。ピアノのセッティングを変えるアイデアは成功したと思う。ジョイアミーアのピアノは美人店長の石山さんが今年、自腹を切って購入したものだ。
新品のピアノなので音が若い。鳴りはまだまだこれからといったところ。
本番で、そのピアノに「オレのことを忘れられなくしてやる」などと言い放ちながら「ミーア.グレース」という名前をつけてやった。ステージが進むに連れてミーアの感度が高まって、音が良くなって行くように感じた。
打ち上げはひたすら日本酒で乾杯。銘柄は「八海山」「日本海」。

2003年12月13日土曜日

12/13(土)下北沢440 GROOVIN’ TIME VOL.3

今年最後の東京ライブは盛況だった。新規のお客さんがかなり増えたようだ。
ステージの流れ、演奏、会場の雰囲気、どれをとってもこの企画の中で今日が一番良かった。エレピの上に設置したマイ・ミラーボールもいい感じで回った。とにかく自分がリラックスして楽しめた。
オレがステージでいい感じで遊んでいればお客も楽しそう。「気楽にラフにクール」って歌ってたのはハシケン。その通りやね。
寺さん、代ちゃん、ヤマサキくん、あやちゃん、恭一さん、阿部ちゃん、スタッフのみんな、お疲れ。

2003年12月12日金曜日

12/12(金)

今日も日中は吉祥寺でリハーサル。
限られた時間の中でリハーサルはスムーズに進む。明日が楽しみ。

2003年12月11日木曜日

12/11(木)

日中は13日の440のライブに向けて吉祥寺でリハーサル。
マディーウォーターズの「I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU」を原曲よりずっとアップテンポのファンク乗りでやってみる。自分が英語で歌うことは非常に稀。
いけそう。

夜は渋谷で行われた知り合いミュージシャンの結婚パーティーに参加。BBBB、バンバンバザール、ビギン、カセットコンロスのメンバー、キョンさん、ロッ キンタイムの今野君、元BBBBのミッチ他多くの音楽仲間に会う。多くの参加ミュージシャンが演奏を披露。オレも1曲歌う。来週はビギンの等君の紹介で、 彼らの故郷である石垣島ではじめてライブをやらせてもらう。等くんは紹介だけでなく、地元の新聞にオレのライブの推薦文を寄せてくれたり、今回のライブを 色々とサポートしてくれて、ほんとうにありがたい。

2003年12月9日火曜日

12/9(火)名古屋 得三 昇る夕陽

出演:リクオ、ハシケン、サンタラ
今日も共演者のステージをなるべく観るようにした。オープニングをつとめてくれたのは、年明けにメジャーデビューが決まっている男女アコースティックデュ オ、サンタラ。始めてライブを観させてもらったのだけれど、演奏、歌、曲どれも良かった。特に歌。ブルージィーでいて、おしつけがましくなく、透明感のあ る声の響きと表現が印象に残った。彼らは今も地元山梨に住みながら活動していて、デビュ-後も自分達のペースを維持するために、当面は山梨から離れるつも りはないそう。彼らの音楽センスは素晴らしいと思う反面、音楽と自分自身との冷めた距離感に少し違和感を覚えた。彼らが元にしているサウンドの多くが、個 人的なことを歌った生々しい音楽だったから、余計にそう感じたのかもしれない。表現者には「恥じらい」が必要だと思う。彼らはそれを自覚している。そこに センスの良さも感じる。けれど恥をも覚悟で表現する気概が人の心を揺さぶると思うのだ。打ち上げで話をしてみると彼らもそこにジレンマを感じている様子 だった。向かっている方向はきっと同じなのだ。とにかく今後がとても楽しみな二人だ。ハシケンのサポートもやっているパーカッションの朝倉君が、たまたま 今日サンタラのサポートで来ていたので、急遽ハシケンと朝倉くんが数曲セッションする。二人ともええ感じ。とても刺激になった。今日の調子は自分では最高 だった。どんどん高みに昇ってゆく感じ。まだまだ先に行けると実感。諸々のストレスもステージに上がれば昇華される感じ。最近の自分は本当、ライブに救わ れている。ということは来てくれるお客さん、関わってくれる関係者の人達にも救われているということでもある。
パーカッションの朝倉君には自分のステージでもラストの「パラダイス」で急遽カフォンを叩いてもらう。これがすごく良かった。心地よいグルーブを維持しながら、互いに触発しあい、素晴らしい高揚感を共有できた。ぜひまたやらせてほしい。
ハシケンとの「ソウル」は今夜も最高だった。

2003年12月8日月曜日

12/8(月)大阪 バナナホ-ル 昇る夕陽

出演:リクオ、ハシケン、アサ.フェストゥーン
今回は舞台袖や客席後方からなるべくハシケン、アサちゃんのソロステージを観るようにした。二人から受け取った刺激を自分のステージに生かしてやろうと 思った。アサちゃんには彼女しかかもし出せない特別な匂い、雰囲気がある。彼女の音楽は今後もマイペースで熟成されてゆくのだろう。ハシケンの歌はとにか く心に沁み入る。弾き語りだと彼の作るメロディーラインの良さがより浮き彫りになる。「間」で聴かせることのできる貴重なシンガーであることも再確認。 「凛」よかったなあ。二人からの刺激を受け取ってステージに。今日はジョンレノンの命日。1曲目に「ジェラスガイ」を歌う。ジョンが亡くなったのはオレが 高一の時。自分でも意外なくらい悲しかったのを覚えている。自由に、わがままに、でもひとりよがりにならず、音を埋め過ぎず行間で伝える。とてもエモー ショナルに演れた。アサちゃんと二人でやったユーミンの「卒業写真」は新鮮だった。自分がこの曲を演奏することになるとは。でも自分なりの解釈で、いいピ アノが弾けた。ハシケンと二人で歌ったソウルは最高だった。彼と一緒にやらせてもらうことによって曲の良さを再発見できたことも収穫だった。打ち上げには マーサの片平夫妻も参加。28日に急遽マーサで今年最後のライブをやることが決定した。楽しみ。片平から「演奏もしゃべりも間の使い方がよかった、そろそ ろ吉本から声がかかるんちゃうか」と言われる。

2003年12月7日日曜日

12/7(日)松山 モンク

リハ-サル前にこの日のライブの主催者である梶虎君、スタッフのヒトシ君と一緒に日本最古の温泉と言われる道後温泉に入る。
この温泉には松山に赴任してきた夏目漱石や正岡子規も通っていたそう。

梶虎君は元々、詩人でありシンガーでもある三代目魚武濱田成夫さんのファンで、5年前に濱田さんとオレが共演するライブを京都で観て以来、頻繁にオレのラ イブに通ってくれるようになった。とにかくよく目立つ客で、ヘルツのライブのときだったか、興奮してステージに上がってきてしまったこともあった。彼自身 も詩の朗読をやっていて、とにかくいつも体中からパワーを充満させていた。
梶虎君は数年前に大学を卒業して地元愛媛で就職したのだけれど、そのパワーは衰えることがなく、2年前には彼の生まれ育った愛媛県保内町で、オレのライブ を企画して、人口よりも蜜柑の数の方がはるかに多い町で、世代を超えてたくさんのお客さんを集め、ライブを大成功させてみせた。そして今度は彼が現在暮ら している松山で、ライブを企画してくれたのだ。彼には人を巻き込んでゆく力がある。感動やときめきは分かち合うことによって大きくなるということを、彼は よく知っている。だから彼の回りには、いい仲間が集まっている。チケットは既に前売りでソールドアウト。舞台は十分に整えてもらったので、後は自分がそれ に応えればよかった。多くの力を受け取りながら演奏に集中することができた。最高の夜になった。とても幸せな空間だった。みんな、ありがとう。

2003年12月6日土曜日

12/6(土)

正午過ぎ、友部さんらと待ち合わせして、地元の方の案内でうどんを食べに行く。さすが高松、うまかった。

夕方に松山着。主催者の梶虎くん、スタッフの三好さんが駅まで迎えに来てくれて宿泊先のある道後温泉まで連れていってくれる。
夜はキーボードマガジンで連載しているコラムを仕上げる。

2003年12月5日金曜日

12/5(金)高松 黒船屋

高松駅から車で5分、北浜町の波止場に、元々農協の倉庫だった建物がいくつか並んでいて、そこに雑貨屋、ブティック、カフェなどのお店が集まり、北浜アレ イと呼ばれるお洒落なスポットを形成している。今日のライブ会場である黒船屋は、その建物の2階にある洒落たカフェ&バー。2階は吹き抜けになっていて、 1階の美容院を見下ろすことができる。窓の景色は一面海で、港からフェリーが行き来するのを眺めることができる。とてもいいロケーション。

高松でソロライブをやるのは始めてである。今日も客が来てくれるのか心配だったけれど、なんとか格好がつくうらいには集まる。とにかく、とても熱いお客さ んであった。今日のライブを本当に楽しみにしてくれていたのが伝わってきて、こちらも乗る。待ってくれている人達がいたんだと思うと嬉しくなる。オープン グアクトをつとめてくれたミレカンさんはピアノと歌の女性デュオ。ブルースフレイバーあふれる演奏でいい感じだった。ピアノのミレイさんはオレのCDを随 分と聴いてくれていたそう。ミレカンでリクオ.ヴァージョンの「ケサラ」をレパートリーにして演奏しているということだったので、アンコールでミレカンの カンさんと「ケサラ」をデュエットさせてもらう。アンコールを終えたらお客さんが皆スタンディングオベーションで拍手してくれた。あんたらええ奴っちや。 打ち上げの席で、たまたま友部正人さんも今夜、高松でライブだったことを知らされたので、早速友部さんと連絡をとって、明日の昼間に讃岐うどんをいっしょ に食べる約束をする。朝の5時前まで飲む。マスターのけいぞうさんはかなりの酒好きであった。

2003年12月4日木曜日

12/4(木)高知 BB CAFE

高知に来るのは、何年振りなのか覚えていないくらいに、久し振り。前に来た時から10年以上経過しているのは確か。空港からバスで市内に入り、市の中心部 にある国際ホテルにチエックイン。目の前がはりまや橋。はりまや橋って、こんなにしょぼかったっけ?会場入りまで時間があるので、帯屋町界隈を散歩。高知 城へも行ってみる。快晴で、気候も温暖。歩いていて気持ちが良い。


梵(ぼん)というカフェで一服。そこで食べたシフォンケーキがとても美味しかった。ホテル近くの公園で腰をおろし、ぼんやりしていたら二十歳前後と思われ る青年が話し掛けてきたので、色々と話しする。彼は東京に憧れていて、一度は上京したいと思っているとのこと。「高知には自然しかないけれど、東京に行け ば色々なものが見れるんでしょうね」と彼が言うので、「高知の自然をみるのにお金はかからないけれど、東京では、見たいものも、手に入れたいものも、お金 を要求されるところだよ。」とこたえる。高知でソロライブをやるのは今回が始めて。自分にとっては未開地。心配はしていたのだが、予想以上に厳しい客入 り。それでも盛り上がってくれたお客さん、あんたらはえらい。
ありがとう。 また、ここからが始まりやね。