2003年12月28日日曜日

12/28(日)大阪 マーサ

今年最後のライブ。マーサはオレの大学時代からのバンド仲間が今年オープンさせたカフェで、7月には自分がオ-プニング.ライブを努めさせてもらった。その時のライブが好評だったので、この日はリピーターのお客さんがたくさん足を運んでくれた。
 お客さんと演奏者の距離が近く、お客さんに対する気遣いができていて、店の雰囲気も良く、料理も美味しくて、飲み食いしながら、ゆっくりライブを楽しめるので、リピーターが多いのもうなずける。
 オレ自身も急遽決まったこの日のライブを楽しみにしていたので、初公開する新曲を数曲用意し、前日には朝までかけて当日に流すBGMの選曲をした。
 選曲は‘70年代~’80年代前半の歌謡曲を中心にした。10月に行った札幌ライブの打ち上げの席で、三角山放送局の杉澤くん、その友達の平山君とオレ の3人でURC(アングラ.リクオ.クラブ)という音楽サークルを結成して面白い音源を交換しようという話で盛り上がっていたところ、先日平山くんが歌謡 曲を中心とした選曲でCDRを5枚も事務所の方に送ってきてくれたので、その中に入っていた曲
(左とん平の「ヘイユーブルース」とか和田アキコの「見えない世界」等)を色々と使わせてもらった。
 BGMの選曲中に、明日のライブのタイトルは「男の世界―MEN’S WORLD」で行こうと思い付く。
 入場のSEは尾崎紀世彦が歌う「男の世界」にする。この曲は‘70年代初頭にチャールズ.ブロンソンが登場する男性化粧品マンダムのCMソングとしてお 茶の間に流れ(CMで歌っていたのはジェリーウォーレス)、当時小学生低学年だった自分に、強いインパクトを与えた。
 CM中に流れる「う~ん、マンダム」という決めフレーズ、チャールズ.ブロンソン
のかもし出す大人の男の色気とその毛深さ、そして男のロマンと哀愁を感じさせる楽曲は、幼心に「男の世界」のイメージを刻みつけた。その時に受けたインパクトとイメージが、なぜか今また自分の心の中で蘇りつつある。
 自分が幼い頃に歌謡曲から感じ取っていた魅力の一つは、「大人の男女のやばい色気」であったように思う。自分は当時からワイルドネスを持った大人に憧れていたのだろう。
 そんなことを考えていたら最近「マンダム.フォーエバー」という曲ができてしまっ た。ちなみに「マンダム」とは「MAN」と「FREEDOM」を合わせた造語だそうだ。作詞中に「君のもみあげはどこまで伸びているのか~」というフレー ズが出てきた時点で、もらったと思った。
 この日は「男の世界」のタイトルに相応しい選曲を並べたのだが、その極め付けが初公開の新曲「マンダム.フォーエバー」であった。
非常に受けたので嬉しかった。今年最後のライブ、とても気持ちよく締めくくらせてもらった。

2003年12月23日火曜日

12/23(火)

今日も東京に帰らず石垣で一泊する。
 昨日に続き晴れ。
 日中の気温は25度を超える。
 昼から地元の人達と竹富島へ遊びに行く。ホテルの前からフェリーに乗って15分程で到着。人口数百人、歩いても一日で一周してしまえそうな小さな島である。
 島で乗った牛車の遅いこと、遅いこと。歩く速度より遅い乗り物なんて初めて
乗った。牛車のスピードがこの島の時間の流れを象徴しているのだろう。身をゆだねれば非常に心地がよい。
牛車の後は昨日に続いてレンタル自転車で島を走り回る。
実に気持ちよく、楽しかった。

夜はひゃくちゃんの旦那さんも参加して彼が店長を努める居酒屋で食って飲む。その後、すけあくろで再び飲む。しばらくするとお客さんが三味線で島唄を歌い始める。その後にオレも何曲か演奏して、皆で盛り上がる。こうして石垣2日目の夜も気持ちよく更けていった。
 飲んでいるときに内地から石垣に越して来た男性と少しだけまじめな話をした。そのときに聞いた言葉が印象に残っている。「石垣に来て暮らしてみて楽園は どこにもないとわかった」彼はそう言った。やはり住んでみなければわからない苦労があるのだろう。沖縄本島でも感じたことだけれど、内地から越して来た人 は、どちらかというと男性よりも女性の方が早くに島に馴染んでいるようだ。
 結局、楽園はそこにあるのではなく、自分達でつくりだすもの、ということなのだろう。
 「石垣で最も盛んな産業は土建で、自然はどんどん破壊されている」
 「島で育った人がこの土地の自然の素晴らしさ、大切さを理解せず、
  環境を破壊している」といった考えさせられる話も聞いた。
 石垣初上陸は自分に深い印象を残した。また来年も行くぞ。

2003年12月22日月曜日

12/22(月)石垣島 すけあくろ

 石垣初上陸。快晴。昨日に増して暖かい。初夏の陽気。
 空港にすけあくろのオーナーである今村さんとスタッフのひゃくちゃんが迎えに来てくれる。初対面の今村さんは巨体であった。物腰柔らかく、ちょっと宮崎アニメに登場するトトロのような可愛らしさがある。車中色々と話が弾む。
初めての土地に来たのと、素晴らしい陽気のせいで、気分は弾んでいる。
 今村さんの話によると、石垣の人口は4万人程ということになっているけれど、近年、住民票を移さないまま、内地から多くの若者が移住してきていて、実際の人口は5万人を超えていると言われているそう。
 宿泊先のホテルは海沿いにあり、目の前には離島行きのフェリ-乗り場がある。いいロケーション。明日はフェリーで竹富島に行ってみればよいと今村さんから
言われる。
 ホテルに荷物を預けて、すぐに散歩に出かける。近くで自転車をレンタルして、その店のスタッフから石垣そばの美味しい店と、自転車で行くのにお薦めの
スポットを教えてもらう。

 石垣そばを食べた後、地図を見ながら、主に海沿いを約30分程走る。実に開放的な気分。唐人墓のあたりで自転車を置き、海辺の灯台に昇り、景色を見渡す。絶景。近くの岸辺は珊瑚の屍骸が堆積していて、メルヘンチック。

 今回、石垣に来ることができたのはビギンのキーボード奏者である上地等くんのお陰である。彼が今夜のライブ会場である「すけあくろ」を紹介してくれたのだ。このお店のオーナーである今村さんは等君の親戚なのだそう。
 お店で働くひゃくちゃんはオレと同じ京都出身。5年前に京都から石垣に今の旦那さんと一緒に越して来たそう。その他すけあくろで働くスタッフは皆、石垣に魅せられて内地から来た人達ばかり。
 今村さんや等君が力を入れて宣伝してくれたお陰でライブは盛況。 
はじめての街で、すごく気持ちよく演奏させてもらった。
 ライブで弾かせてもらったヤマハのエレピP250は今日のライブに合わせて今村さんが購入してくれたそう。こういうお膳立てをされると、増々やる気にな る。この機種は初めて弾いたのだが、かなり良い。特にエレピの音、その中でもウイリッツア-音源は、今まで弾いたどのデジタルピアノよりも良い音でびっく り。本番でもこの音色を何曲かで使う。
 打ち上げも大いに盛り上がる。相当酔う。歌い過ぎじゃなく、しゃべり過ぎて声が枯れた。実に楽しい一日であった。
 オーナーの今村さんは非常に眼差しの優しい素敵な人だった。

2003年12月21日日曜日

12/21(日)那覇 D-SET

 現地の人から沖縄は今結構寒いから気をつけるよう言われていたのだが、着いてみればやはり別天地で暖かい。20度ぐらいはあるんじゃないか。8ヶ月振りの沖縄。実際の期間よりも久し振りの感じ。
 いつものようにピーエムエージェンシーの糸数さんが空港まで迎えに来てくれる沖縄そばを食べてからライブ会場のD-SETへ。 気持ちよくスタッフが迎え入れてくれる。
 リハーサルの後、ホテルにチェックイン。近くを散歩したりして時間を過ごしてから、開演20分前に楽屋入り。ワーナーMMG時代にお世話になった元MMGの天本さんが楽屋を訪ねて来てくれる。
10年ぶりの再会。天本さんは会社を辞めて1年前に沖縄に越して来たそう。以前は痩せて色白でインドアなイメージだったのに、目の前の天本さんは陽に良く焼け溌溂としていて、随分とイメージチェンジした印象。
 前回に続き楽屋のテーブルには泡盛と水割りのセットがでんと置かれていた。
泡盛で景気づけてステージ。
 沖縄のお客さんはライブ中もよく飲む。飲んで盛り上がるパターンは望むところである。オレもステージドリンクに泡盛を用意してもらい、本番中にお客さんと何度も乾杯する。
 ライブ途中で、前から痛めていた右手薬指と親指の付け根に痛みが走るも、大事に至らず、乗り切る。
 最近、中低域の声が響くようになってきた。空気を漏らさず、楽に、フラットに響かせるよう心掛けてきた成果か。
 来年も通うぞ、沖縄。

2003年12月17日水曜日

12/17(水)新潟 ジョイアミーア

正午過ぎ新潟に到着。東京の朝はかなり冷えたけれど、こちらは意外に暖かくて拍子抜け。開演前にFOBの古田さんに付き添ってもらって2本のラジオ生番組 に出演。番組でパーソナリティーの方から「今年一年を振り返って、自分に点数をつけて下さい」と言われたので「100点」と応える。オレの場合、生きてる だけで100点なのだ。

ジョイアミーアは普段はイタリアンレストランなのだが、定期的にライブやクラブ
イヴェントも行っている。美人店長の石山さんはじめ、店のスタッフは皆、感じが良い。いろんな場所でさまざまな人に出会うようになり、余計に思うように なったことだが、挨拶というのは大切だ。今日は店に入るなり、お店のスタッフの人達から気持ちの良い挨拶をされてモチベーションが上がった。
リハーサルの時にピアノのセッティングを変えてもらう。客席にピアノを置いて、お客さんがピアノを取り囲むようにセッティングする。せっかく一度セッティ ングしてもらったものを変えてしまうのは申し訳なかったのだが、スタッフは皆嫌な顔をせず協力してくれたので、さらにやる気がでる。
今までのジョイアミーアのライブの中で最も会場の雰囲気が良かった。ピアノのセッティングを変えるアイデアは成功したと思う。ジョイアミーアのピアノは美人店長の石山さんが今年、自腹を切って購入したものだ。
新品のピアノなので音が若い。鳴りはまだまだこれからといったところ。
本番で、そのピアノに「オレのことを忘れられなくしてやる」などと言い放ちながら「ミーア.グレース」という名前をつけてやった。ステージが進むに連れてミーアの感度が高まって、音が良くなって行くように感じた。
打ち上げはひたすら日本酒で乾杯。銘柄は「八海山」「日本海」。

2003年12月13日土曜日

12/13(土)下北沢440 GROOVIN’ TIME VOL.3

今年最後の東京ライブは盛況だった。新規のお客さんがかなり増えたようだ。
ステージの流れ、演奏、会場の雰囲気、どれをとってもこの企画の中で今日が一番良かった。エレピの上に設置したマイ・ミラーボールもいい感じで回った。とにかく自分がリラックスして楽しめた。
オレがステージでいい感じで遊んでいればお客も楽しそう。「気楽にラフにクール」って歌ってたのはハシケン。その通りやね。
寺さん、代ちゃん、ヤマサキくん、あやちゃん、恭一さん、阿部ちゃん、スタッフのみんな、お疲れ。

2003年12月12日金曜日

12/12(金)

今日も日中は吉祥寺でリハーサル。
限られた時間の中でリハーサルはスムーズに進む。明日が楽しみ。

2003年12月11日木曜日

12/11(木)

日中は13日の440のライブに向けて吉祥寺でリハーサル。
マディーウォーターズの「I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU」を原曲よりずっとアップテンポのファンク乗りでやってみる。自分が英語で歌うことは非常に稀。
いけそう。

夜は渋谷で行われた知り合いミュージシャンの結婚パーティーに参加。BBBB、バンバンバザール、ビギン、カセットコンロスのメンバー、キョンさん、ロッ キンタイムの今野君、元BBBBのミッチ他多くの音楽仲間に会う。多くの参加ミュージシャンが演奏を披露。オレも1曲歌う。来週はビギンの等君の紹介で、 彼らの故郷である石垣島ではじめてライブをやらせてもらう。等くんは紹介だけでなく、地元の新聞にオレのライブの推薦文を寄せてくれたり、今回のライブを 色々とサポートしてくれて、ほんとうにありがたい。

2003年12月9日火曜日

12/9(火)名古屋 得三 昇る夕陽

出演:リクオ、ハシケン、サンタラ
今日も共演者のステージをなるべく観るようにした。オープニングをつとめてくれたのは、年明けにメジャーデビューが決まっている男女アコースティックデュ オ、サンタラ。始めてライブを観させてもらったのだけれど、演奏、歌、曲どれも良かった。特に歌。ブルージィーでいて、おしつけがましくなく、透明感のあ る声の響きと表現が印象に残った。彼らは今も地元山梨に住みながら活動していて、デビュ-後も自分達のペースを維持するために、当面は山梨から離れるつも りはないそう。彼らの音楽センスは素晴らしいと思う反面、音楽と自分自身との冷めた距離感に少し違和感を覚えた。彼らが元にしているサウンドの多くが、個 人的なことを歌った生々しい音楽だったから、余計にそう感じたのかもしれない。表現者には「恥じらい」が必要だと思う。彼らはそれを自覚している。そこに センスの良さも感じる。けれど恥をも覚悟で表現する気概が人の心を揺さぶると思うのだ。打ち上げで話をしてみると彼らもそこにジレンマを感じている様子 だった。向かっている方向はきっと同じなのだ。とにかく今後がとても楽しみな二人だ。ハシケンのサポートもやっているパーカッションの朝倉君が、たまたま 今日サンタラのサポートで来ていたので、急遽ハシケンと朝倉くんが数曲セッションする。二人ともええ感じ。とても刺激になった。今日の調子は自分では最高 だった。どんどん高みに昇ってゆく感じ。まだまだ先に行けると実感。諸々のストレスもステージに上がれば昇華される感じ。最近の自分は本当、ライブに救わ れている。ということは来てくれるお客さん、関わってくれる関係者の人達にも救われているということでもある。
パーカッションの朝倉君には自分のステージでもラストの「パラダイス」で急遽カフォンを叩いてもらう。これがすごく良かった。心地よいグルーブを維持しながら、互いに触発しあい、素晴らしい高揚感を共有できた。ぜひまたやらせてほしい。
ハシケンとの「ソウル」は今夜も最高だった。

2003年12月8日月曜日

12/8(月)大阪 バナナホ-ル 昇る夕陽

出演:リクオ、ハシケン、アサ.フェストゥーン
今回は舞台袖や客席後方からなるべくハシケン、アサちゃんのソロステージを観るようにした。二人から受け取った刺激を自分のステージに生かしてやろうと 思った。アサちゃんには彼女しかかもし出せない特別な匂い、雰囲気がある。彼女の音楽は今後もマイペースで熟成されてゆくのだろう。ハシケンの歌はとにか く心に沁み入る。弾き語りだと彼の作るメロディーラインの良さがより浮き彫りになる。「間」で聴かせることのできる貴重なシンガーであることも再確認。 「凛」よかったなあ。二人からの刺激を受け取ってステージに。今日はジョンレノンの命日。1曲目に「ジェラスガイ」を歌う。ジョンが亡くなったのはオレが 高一の時。自分でも意外なくらい悲しかったのを覚えている。自由に、わがままに、でもひとりよがりにならず、音を埋め過ぎず行間で伝える。とてもエモー ショナルに演れた。アサちゃんと二人でやったユーミンの「卒業写真」は新鮮だった。自分がこの曲を演奏することになるとは。でも自分なりの解釈で、いいピ アノが弾けた。ハシケンと二人で歌ったソウルは最高だった。彼と一緒にやらせてもらうことによって曲の良さを再発見できたことも収穫だった。打ち上げには マーサの片平夫妻も参加。28日に急遽マーサで今年最後のライブをやることが決定した。楽しみ。片平から「演奏もしゃべりも間の使い方がよかった、そろそ ろ吉本から声がかかるんちゃうか」と言われる。

2003年12月7日日曜日

12/7(日)松山 モンク

リハ-サル前にこの日のライブの主催者である梶虎君、スタッフのヒトシ君と一緒に日本最古の温泉と言われる道後温泉に入る。
この温泉には松山に赴任してきた夏目漱石や正岡子規も通っていたそう。

梶虎君は元々、詩人でありシンガーでもある三代目魚武濱田成夫さんのファンで、5年前に濱田さんとオレが共演するライブを京都で観て以来、頻繁にオレのラ イブに通ってくれるようになった。とにかくよく目立つ客で、ヘルツのライブのときだったか、興奮してステージに上がってきてしまったこともあった。彼自身 も詩の朗読をやっていて、とにかくいつも体中からパワーを充満させていた。
梶虎君は数年前に大学を卒業して地元愛媛で就職したのだけれど、そのパワーは衰えることがなく、2年前には彼の生まれ育った愛媛県保内町で、オレのライブ を企画して、人口よりも蜜柑の数の方がはるかに多い町で、世代を超えてたくさんのお客さんを集め、ライブを大成功させてみせた。そして今度は彼が現在暮ら している松山で、ライブを企画してくれたのだ。彼には人を巻き込んでゆく力がある。感動やときめきは分かち合うことによって大きくなるということを、彼は よく知っている。だから彼の回りには、いい仲間が集まっている。チケットは既に前売りでソールドアウト。舞台は十分に整えてもらったので、後は自分がそれ に応えればよかった。多くの力を受け取りながら演奏に集中することができた。最高の夜になった。とても幸せな空間だった。みんな、ありがとう。

2003年12月6日土曜日

12/6(土)

正午過ぎ、友部さんらと待ち合わせして、地元の方の案内でうどんを食べに行く。さすが高松、うまかった。

夕方に松山着。主催者の梶虎くん、スタッフの三好さんが駅まで迎えに来てくれて宿泊先のある道後温泉まで連れていってくれる。
夜はキーボードマガジンで連載しているコラムを仕上げる。

2003年12月5日金曜日

12/5(金)高松 黒船屋

高松駅から車で5分、北浜町の波止場に、元々農協の倉庫だった建物がいくつか並んでいて、そこに雑貨屋、ブティック、カフェなどのお店が集まり、北浜アレ イと呼ばれるお洒落なスポットを形成している。今日のライブ会場である黒船屋は、その建物の2階にある洒落たカフェ&バー。2階は吹き抜けになっていて、 1階の美容院を見下ろすことができる。窓の景色は一面海で、港からフェリーが行き来するのを眺めることができる。とてもいいロケーション。

高松でソロライブをやるのは始めてである。今日も客が来てくれるのか心配だったけれど、なんとか格好がつくうらいには集まる。とにかく、とても熱いお客さ んであった。今日のライブを本当に楽しみにしてくれていたのが伝わってきて、こちらも乗る。待ってくれている人達がいたんだと思うと嬉しくなる。オープン グアクトをつとめてくれたミレカンさんはピアノと歌の女性デュオ。ブルースフレイバーあふれる演奏でいい感じだった。ピアノのミレイさんはオレのCDを随 分と聴いてくれていたそう。ミレカンでリクオ.ヴァージョンの「ケサラ」をレパートリーにして演奏しているということだったので、アンコールでミレカンの カンさんと「ケサラ」をデュエットさせてもらう。アンコールを終えたらお客さんが皆スタンディングオベーションで拍手してくれた。あんたらええ奴っちや。 打ち上げの席で、たまたま友部正人さんも今夜、高松でライブだったことを知らされたので、早速友部さんと連絡をとって、明日の昼間に讃岐うどんをいっしょ に食べる約束をする。朝の5時前まで飲む。マスターのけいぞうさんはかなりの酒好きであった。

2003年12月4日木曜日

12/4(木)高知 BB CAFE

高知に来るのは、何年振りなのか覚えていないくらいに、久し振り。前に来た時から10年以上経過しているのは確か。空港からバスで市内に入り、市の中心部 にある国際ホテルにチエックイン。目の前がはりまや橋。はりまや橋って、こんなにしょぼかったっけ?会場入りまで時間があるので、帯屋町界隈を散歩。高知 城へも行ってみる。快晴で、気候も温暖。歩いていて気持ちが良い。


梵(ぼん)というカフェで一服。そこで食べたシフォンケーキがとても美味しかった。ホテル近くの公園で腰をおろし、ぼんやりしていたら二十歳前後と思われ る青年が話し掛けてきたので、色々と話しする。彼は東京に憧れていて、一度は上京したいと思っているとのこと。「高知には自然しかないけれど、東京に行け ば色々なものが見れるんでしょうね」と彼が言うので、「高知の自然をみるのにお金はかからないけれど、東京では、見たいものも、手に入れたいものも、お金 を要求されるところだよ。」とこたえる。高知でソロライブをやるのは今回が始めて。自分にとっては未開地。心配はしていたのだが、予想以上に厳しい客入 り。それでも盛り上がってくれたお客さん、あんたらはえらい。
ありがとう。 また、ここからが始まりやね。

2003年11月22日土曜日

11/22(土)盛岡 紅茶のお店しゅん

盛岡に初雪が降った。先日とは打って変わって、すごく寒い!日中は瀬川さんが盛岡の街を案内してくれる。まずは盛岡名物じゃじや麺を御馳走になる。想像と はかなり違って、結構素朴な味。その後、美術館でしばらく時間を過ごし、日本で一番古いと言われる自然食品店に寄り、骨董屋の集まる通り沿いにあるクラム ボンという喫茶店で美味しいコーヒーを飲む。このお店は友部正人さんや下田逸郎さんのライブを定期的に企画しているそう。カウンター横の窓際でマスターが コ-ヒ-豆を煎っていて、いい香り。少し目にしみた。オレのライブによく来てくれる絵書きさんの個展が、数日後に、この店で開かれるそう。盛岡の街には文 化の香りがした。
夕方4時に会場入り。今日のライブ会場である「紅茶のお店しゅん」の紅茶はとても美味しい。オレは紅茶党なので東京にいる時も、しゅんから紅茶を取り寄せ ている。お店の中は1、2階が吹き抜けになっていて、多くのお客さんが2階席と階段に座ってライブを見下ろす。
今夜のライブは中盤で凄く集中力が高まった。あ~オレって、こんな力があったんやと思う。この感じがずっと続けばいいのに。亜弥ちゃんとのコンビネーションは今日が一番良かった。彼女に自分の良さを引き出してもらった気がする。
デュオにはデュオの良さがあるなあと再認識。二人で呼吸を感じて、合わしてゆく作業は色っぽい。

2003年11月21日金曜日

11/21(金)

ユウスケが仙台まで送ってくれる。今日は異様に暖かい。仙台で二郎さんと合流してキャンペーン。ラジオを生と収録を3本やって、盛岡へ。ここでもラジオを生と収録で4本やった後、地元の情報誌の取材。午後8時頃、キャンペ-ン終了。
二郎さんは東京へ日帰り。オレは明日のライブの主催者である瀬川さんの旅館に泊めてもらう。旅館についたらすぐ近くの居酒屋へ瀬川さんと二人で飲みに行く。さすがに今日は深酒せず。疲れたあ。

2003年11月19日水曜日

11/19(水)山形 ストリートシャッフル

今日からヴァイオリンの玉城亜弥ちゃんと東北を3箇所回る。正午過ぎ、二人で東京から新幹線で山形に直行。山形は快晴。雲一つない山形ってはじめてかも。 空気はやはり冷たい。山形と言えば蕎麦。まあオレはどこでも蕎麦食ってるけど。迎えに来てくれたユウスケに早速、蕎麦屋に連れて行ってもらうことにする。 曜日と時間帯のせいで、閉まっている店が多く、4軒目でやっと開いてる店をみつける。にしん蕎麦を食べた。ストリートシャッフルは山形大学の正門前にある 喫茶店。昔はこういうサブカルのにおいのする茶店が大学の近くに、よくあった。こういうお店が情報の発信地にもなっていたのだ。最近は喫茶店そのものが少 なくなっている。
ここで演奏させてもらうのはなんと11年振り。今年の6月にマスターのアリスさん
と久し振りに再会したのが、きっかけで久々のライブが実現。しかし最近ほんまに再会が多いなあ。亜弥ちゃんと二人きりで1ステージをこなすのは、実は今夜 が始めて。呼吸の探りあいが新鮮。今日は予め、曲順を決めて亜弥ちゃんにも伝えておいたのだが、ほとんど無意味だった。大体曲順表をステージに持ってくる のも忘れてたし。しかし、亜弥ちゃんはよくついてきてくれる。次の曲名を言わなくても、彼女はイントロを聴くか、オレが押さえる鍵盤の位置を確認すること によって、曲やコードを把握してくれるのだ。「奇跡の瞬間」という新曲を始めて演ってみる。この曲がよかったというお客がいて嬉しかった。今日はテリーと いうやたらとテンションの高い奴と知り合う。とにかくライブから打ち上げが終わるまで、飲み続けて?り上がりっ放しで、しまいには回りのひんしゅくを買っ ていたが、こういうアホな奴が、各地にいてくれると面白い。彼は地元のコミュニティーFMでDJをやっていて、リクオの特集も組んでくれているそう。いい 奴だ。

2003年11月15日土曜日

11/15(土)

西麻布のLというお店で毎月行われている窪田晴夫さん企画のオールナイトライブパーティーに呼んでもらい、40分程弾き語りをする。他に出演は原マスミさん、コーヒーカラ-etc。ギャラはないが出演者は飲み放題、食い放題。そのギャ ラ代わりの料理がとにかく本格的。開演前から、高級ワインが何本もあけられ、お店のシェフが気合いを入れまくった渾身の品々が、次々と楽屋代わりになって いる奥のソファ席のテーブルに登場。う、うまい!
会場の照明は暗め。パーティーらしく、おしゃれに着飾った女性多し。色気もあって、リラックス出来て、心地よい「大人の遊び場」という感じ。
時刻が真夜中零時を回った頃にステージへ。出番前にかなり飲んでいたので、適度に酔いが回った状態。自分にとっても、多分観ている人にとっても、こういう 時のわがままで、ファンキーで、弾けまくっているオレのライブが一番楽しいんじゃないか。これが本来の自分だと思う。場内も大盛り上がり。みんながハッ ピー。気持ちよくて切なくて、もう死んでもいいか、という気分になる。死なんけどね。
朝まで飲んで歌つて踊って、チャリンコで帰る。みんな、チャリンコの飲酒運転はやめときや。危険。

2003年11月13日木曜日

11/13(木)

晴れ。
最近はしばらく外で仕事がないので、午前5時~6時の間に寝て、午後1時頃に起きるというパターン。
よく寝ている。「睡眠力」って大事やと思う。そういう言葉はないかもしれんが。
しっかりと睡眠がとれる内は、自分は大丈夫だと思う。眠っている間にリフレッシュして、生まれ変わることができるからだ。回りの状況が変化していなくても、目覚めた後は自分自身が変化しているのだ。
夕方まで練習してから、日が暮れる前に、チャリンコに乗って近所の茶店へ。背中に背負ったリュックサックの中身は本、ノートパソコン、大学ノート等で満杯。
これだけの準備があれば茶店で何時間でも過ごすことができる。最近、通っている茶店は店内に、控えめの音量でクラッシックが流れている。これが心地よい。他のお客さんも申し合わせたように静かに時を過ごしている。
しばし時間を忘れ、リラックスして読書や物思いにふける。
白州正子が自分の骨董の師匠である青山二郎のことを「百万人に一人の暇人」と表している。自分もそのような心持ちに近づきたいと、最近よく思う。
怠けたいのではない。自由に感じたいのだ。隙間に魂を入れたいのだ。
忙しさをステイタスと考える音楽関係者は多い。それも仕方がないかとも思う。自分も予定の書き込まれていない手帳を見て不安に苛まれたりする。
けれど時間をうめて、心の隙間をうめて、無意識を無視していては、歌を生み出すことも、感じとることもできない。
夜中に細野晴臣の曲をコピーしてみる。 細野氏のリズム感のよさを、再認識。
最近は練習時間があるから、新しいピアノ.スタイルを模索している。
来週の東北ツアーで成果をだせればよいのだが。

2003年11月12日水曜日

11/12(水)

久し振りに晴れた。隣家のざくろの実が紅く染まり熟れ頃。
日中はチャリンコで笹塚の紀伊国屋に行く。紀伊国屋を出て近くのドトールコーヒーで読書。夜中から曲作り。

2003年11月11日火曜日

2003年11月10日月曜日

11/10(月)

一日雨。
外出せず、曲作りに没頭。朝まで作業を続ける。
歌を作ることによって、さまざまな思いが昇華されて、心が楽になってゆく感じ。

2003年11月9日日曜日

11/9(日)

夕方まで曲作り。
夕方5時頃からツンタらとプロレス居酒屋ボンバイエで格闘技イヴェント「プライド」をペーパービューで観戦。
ミルコVSノゲイラ、吉田VSシウバ、桜庭VSランデルマン等注目カードが目白押し。興奮の連続。プライド史上最高といってよい内容の興業だった。
特にノゲイラがミルコを腕ひしぎ逆十字で下した瞬間の店内の興奮は凄かった。満員のお客さんが総立ちになり、大歓声と拍手が沸き起こった。
試合後になかなかリングから立ち去ろうとしない敗者ミルコの、なんともいえない悲哀のこもった表情が、とても印象に残った。
今までのクールで自信に満ちた表情とは対照的。リングにすべてを賭けたものでなければ、つくることのできない表情。
この日最も印象に残った選手は、ともにプライドで初の敗北を喫したミルコと吉田だった。

2003年11月8日土曜日

11/8(土)

夕方6時から新宿ヴァージンでインストア.ライブ。
ライブの後、店長の大川さんと店内にある茶店でお茶する。新宿ヴァージンは来年
の1月で店を閉めてしまうので、大川さんも身の振り方を色々と考えているようだ。
「‘30代は成り上がることを考えて仕事に熱中し、ある程度目標には達したので’40代になった今は『AER YOU HAPPY?』と自分に問いかけて、本当に好きなことだけをやってゆきたい」大川さんはそう語った。
自分は何かを達成したという感覚はあまりない。けれど最近、人生には節目が必要だと感じる。
夜中の10時に下北で知り合いと待ち合わせ。一番伝えなければいけないことは、感謝の気持ち。
不安を持て余している人によく遭遇する。本人はそのことに気づいていなかったり、そこにふたをしようと、もがいていたりする。自分もそんなときがある。この仕事を続けるということは、自分と向き合い、不安と戦い続けるということだ。
力の入り過ぎは、ようない。

2003年11月3日月曜日

11/3(月)

午前11時半頃、新大阪到着。大阪は雨。
駅からタクシーで心斎橋タワーレコードに向かう。これが失敗だった。この時間帯は阪神優勝を記念した御堂筋パレードが行われている真っ最中で、御堂筋が通行止めのため、南に通じる道はどこも渋滞。
タクシーのカーラジオからはパレードの実況生中継が流れていた。雨の中、35万人が御堂筋に集まったそう。ラジオを通しても、歓声と熱気が十分伝わってきた。
いつもの何倍もの時間をかけてやっと心斎橋に到着。
午後1時からインストアライブが始まる。大学の同級生で、フリーのディスクジョッ
キーをやってるかみ君が観に来てくれる。
ライブとサイン会の後に楽屋でタワレコの今村さん、かみ君としばらく雑談してから、FM802の中継ライブ.イヴェントの収録場所である、靫公園内にあるカフェへ向かう。
この日のライブ会場はシークレットにされていたのだが、天気がよければ、公園を散歩している人達が、このカフェ.テラスでの演奏を聴いて、自然に集まってくる予定だったのだろう。しかし生憎の雨で公園内に人通りはまったく見られない。
会場では司会の浜崎貴司くんと加藤美樹さん、玲葉奈、ロッキングタイムの山本君、パッカッションのラティール、キーボーディストの小川文明さんetc.多 くの人達と再会の挨拶を交わす。上田現さんとは初対面。弾き語りをはじめて聴く。とても美しい曲をかく人。いつか共演の機会があればと思う。
オレは「夜霧よ今夜もありがとう」と「ジェラスガイ」の2曲を、雨音を聴きながら演奏する。この雨音もオンエアーされていればよいのだが。
トリをつとめた浜崎君のライブは、とてもよかった。文明さんのピアノは浜崎ワールドと、よくマッチしていた。浜崎君の表現のベースには、悲しみとせつなさがある。感性が自分と近い気がする。
聖と俗を行き来している感じも似ている。打ち上げが梅田東通りはずれの居酒屋であったので参加する。かなり泥酔。

2003年11月2日日曜日

11/2(日)秋葉原グッドマンVS東京60WATTS

今日はお店が企画したイヴェントで、メジャ-デビュ-直前の若手バンド東京6
0WATTSと共演。VOの大川君は何度もオレのライブに足を運んでくれているそう。
ピアノの杉浦君は最近バンバンバザールのサポートもやっている。品があって歌心を理解する、いいプレイヤーだった。
彼らの演奏を聴いていると世代の差をあまり感じなかった。大阪に住んでいたアマチュア時代、自分の回りにはこんな匂いを持った奴らが何人もいた気がする。始めて会ったようには思えない、懐かしい匂いさえするナイーブな連中。
そのナイーブさは今後、彼らの武器にも欠点にもなるだろう。
こういうバンドがデビューできるのはいいことだと思った。
アンコールでは東京60WATTSとボブ.マリーの「ONE LOVE」とボブ.ディランの「I
SHALL BE RELEASED」をセッションする。なかなかはまった。

2003年11月1日土曜日

11/1(土)

日中は駅前の古い茶店で過ごす。
そこにおいてあった週刊ポストを読んでいたら「マンガ流大人の作法/斉藤孝」という面白い連載を見つけた。毎回マンガの名作を取り上げて、そこから大人として現代を生きてゆく術を見つけだそうという試みのようだ。
この号で取り上げられているマンガは‘70年代の名作、永井豪の「デビルマン」。小学生の頃に、はじめて読んで、それから何度も読み返している思い入れのある作品だ。『デビルマン』は、悪魔の男ではなく、「悪魔+人間」。
主人公の不動明は、眠りからさめて地球を再び支配しようとするデーモンと戦うための唯一の方法として、他の生物との合体能力を持つデーモンと合体する。
つまり毒を持って毒を制しようとするのだ。 デーモンの超能力を持ちながら、人間的な理性や優しさも失わない、それがデビルマンなのだ。矛盾を体内に取り込んで、不適合を起こしながらも、その中で免 疫をつくり、強い段階にする。人間はそうやって矛盾を「止揚」することでしか、前に進むことはできないのだろう。
その中で矛盾に取り込まれ、ミイラ取りがミイラになってしまう場合も多い。けれど、それを恐れていては何も変わらないのかもしれない。

2003年10月29日水曜日

2003年10月29日(水)

快晴。今日は高尾山に行く。
山のふもとからケーブルカーに乗ってオープンしたばかりのサル山へ行って、しばらくサル達を眺める。
いい景色、おいしい空気、そしていい香り。

★ 高尾山さるえんの猿。
★高尾山駅近くの蕎麦屋で撮影。


2003年10月28日火曜日

2003年10月28日(火)

旧知のカメラマンが参加している写真展を観に銀座まで出かける。
生憎の雨。
銀座は渋谷なんかに比べると、落ち着きがあって、街並に歴史と味わいが感じられる。歩いていても楽しめる。
写真展を観た後、池波正太郎著「東京のうまいもの」に乗っていた煉瓦亭と千疋屋というお店を探すも煉瓦亭は夕方4時40分まで休業、千疋屋はお店事体がなくなっていた。残念。
喫茶店で休憩してから山野楽器でCDをたくさん買う。

2003年10月26日日曜日

2003年10月26日(日)北見 夕焼け祭り

北見 夕焼け祭り
今日も快晴。
宿泊先のホテル「緑館」のチェック.アウトを午後2時までのばしてもらい、その間、ホテルの温泉にゆっくりつかり、自転車をレンタルして近くの漁港を散歩したりする。

★ 緑館の露天風呂。サロマ湖を眺めながら湯につかる。
★ 緑館の近くの漁港で撮影。
今日もこまさんが北見まで車で送ってくれる。北見に向かう途中の峠の景色が素晴らしいので、車を止めてもらい、しばらく眺める。
夕方5時頃に、北見到着。冷える。東京の真冬くらいの寒さ。
夜8時からオープニングアクトの藤田貴光くんのステージが始まる。
出番前に客席をのぞく。空席だらけ。
 正直、がっかり。
気を取り直せ、と自分に言い聞かせて、ステージへ。
少ないながらも、集まってくれたお客さんが熱くオレを迎え入れてくれた。
この気持ちに応えられなければ、自分は終わりだ。
少し、おおげさかもしれないが、そんな気持ちになった。それぐらい、やる気にもなったし、追い込まれた。
心と身体が一つになってゆく。体中に響き渡る実感。
痛くなるんじゃないかというくらいに皆がよく手を叩いてくれた。マスターの池本さんはブースで終始体を揺らしながらPAと照明をやってくれた。藤田君との セッションも最高だった。そこにいた皆が熱かった。ここじゃないどこかではなく、今この場所にパラダイスがあると感じた。
今夜のライブは興業としては失敗だ。数字を無視することはできない。
けれど、数字に縛られたりはしない。
今回の北海道ツアー、本当にさまざまなことを感じさせてもらった。
心身が充電されたように思う。やはり旅はいい。

2003年10月25日土曜日

2003年10月25日(土)佐呂間 日本キリスト教会佐呂間伝道所

旭川からJRに乗り、遠軽で下車。今日のライブを企画してくれたこまさんが車で駅
まで迎えに来てくれる。
旭川は曇り空だったけれど、こっちは快晴。
佐呂間に到着するまでの1時間弱、目に写る自然に心がなごむ。
何度もデジカメのシャッターを切る。


★ 佐呂間に向かう移動の車の中から撮影。
★ライブ会場である教会近くの牧場で。
ライブ会場である教会に着いてすぐに目に入ったのがエレキピアノの横に用意されたミラーボール。オレのミラ-ボ-ル好きを知って、こまさんがわざわざ北見まで行ってレンタルしてきてくれたそう。
リハ-サル中にミラーボールの置き場所や照明の当て方などスタッフの人達といっしょに色々と工夫する。 ミラーボールを作動させるスイッチはステ-ジ上の自分の手許に置く。
★ミラーボールと共に記念撮影。 
今日のライブに至るまでのこまさん始め地元のスタッフの人達の熱い思いをひしひしと感じながら本番を迎える。
子供からおじさん、おばさんまで、客層はさまざま。客層の幅広さは地方ライブの特色の一つ。
教会にミラーボール。素晴らしい組み合わせ。いつも以上に聖と俗を行き来するようなライブ。
普段は牧師さんがいるべき場所に自分がたったせいか、説教臭いしゃべりが増えた気がする。何かを語りたくなるのだ。
ステージ後半、石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」でミラーボールのスイッチを入れる。光の泡が場内を駆け巡る。とても美しい光景だった。
ミラーボールを回したまま、続けて「雨に濡れたい」を演奏。少し背徳的な気分。
今日も五島良子さんの「名もないピアス」をやってみる。歌は祈り。はまった。
ライブは自分一人では決して成り立ない。そこがいい。集まったさまざまな想いを皆で結晶化させてゆく作業は素晴らしい。今夜もそう実感させてもらった。
感謝。
 

2003年10月24日金曜日

2003年10月24日(金)旭川 モケラ.モケラ

今日のライブは始めての場所。去年、ライブでお世話になったお店「らいる」の松下さんの紹介である。
モケラ.モケラは普段はカフェ&ギャラリー。画家でもある板谷さんと奥さんが1年数カ月前にオープンしたスペース。旭川駅から車で30分ほどの町外れにある。
店内にはカワイのグランド.ピアノが置いてあって、店の雰囲気によく調和していた。壁には画家でもある御主人のサトシさんの絵が飾られている。
カフェの2階はアトリエになっていて、これがまたとてもよいおもむき。
カフェの奥にはゆったりとくつろげるキッチンとリヴィングがある。建物の設計が素晴らしい。
品があって、洒落ていて、かた苦しくなく、くつろげるスペース。こんな所に住みたいなと思った。

★ 本番前の会場。
★壁に飾られた板谷さんの作品 
板谷夫妻はとても感じのよい、穏やかな御夫婦だった。娘のありさちゃん、犬1匹、猫三匹と一緒に余裕をもって、自分達の好きな暮らしを続けておられるのが自然に伝わってきた。
今の自分の暮らしに足りない豊かさがここにあるように思えた。
今回のライブでは、らいるの松下夫妻、千景ちゃんに色々と裏方でサポートしてもらった。本当にありがたい。
ライブは大成功だった。カワイのグランド.ピアノの音も素晴らしかった。皆とても喜んでくれた。
打ち上げの時に、大学時代の軽音楽部の同級生、曽我部がひょっこりと顔を出したので驚いた。なんと彼はモケラ.モケラのすぐ近所に住んでいるとのこと。多 分、14、5年振りの再会。オレの今の活動をとても喜んでくれている様子。北海道で知り合った今の奥さんも、たまたまオレのファンなのだそうだ。今日は仕 事でどうしても本番に間に合わなかったとのこと。せっかく会いに来てくれたのだから、彼のためにも打ち上げで3曲演奏する。

2003年10月23日木曜日

2003年10月23日(木)札幌 三角山カフェ

時間があるので、札幌入りする前に、小樽で温泉に行く。
フェリ-乗り場になっているターミナル.ビルの5Fにある温泉。ほとんど客がおらず、貸しきり状態。日本海を見下ろしながら、ゆっくりと湯につかり、サウナでたっぷり汗をながす。だいぶ酒が抜ける。
ツアーに出てから五感がよく働く。移動とライブの繰り返しの中で、身体全体を使いながら、毎日違った風景に巡り会うからだと思う。旅に出て、心に隙間ができたことも大きい。その隙間からソウルが入り込んでくるのだ。
ツアー前には、余裕をなくし、頭の一部分ばかりを働かせて、一つのことに執着し過ぎていたようだ。
中には単調なツアーというのもあるけれど、それは何も見ていない、触れていない、 感じていないからであって、本来の意味での旅ではない。
今日のライブを主催してくれた三角山放送局は世界で最もリクオの曲をオンエアーしてくれるFM局である。スタッフ全員の顔がよく見えて、毎回本当に気持ちよくライブをやらせてくれる。感謝。
客席最前列の女の子の笑顔がとても印象に残った。身体全体からエネルギーがあふれ出ている。力をもらった。

2003年10月22日水曜日

2003年10月22日(水)小樽 すかんぽ

豪雨の中、苫小牧を後にする。
小樽に向かう汽車の中で、また物思い。
なぜか自分の書いた詞が色々と思い浮かんでくる。「なんだ、そういうことか」と自分の言葉に教えられる。気付いていたはずのことを、忘れてしまっている。 自分の歌を噛みしめ直そうと思った。小樽についたら晴れ間がのぞきはじめる。自分の心を映すような不安定な空模様。8ヶ月振りの「すかんぽ」は外装が変 わって、明るいブルーを基調としたペインテイィングが新たにほどこされていた。
お店に入って、マスターのきんさん、奥さんのゆみこさん、PAのほっちょさん、えりちゃんと再会。皆、元気そう。

★ リハーサル前に撮影。
リハーサルの後、いったんホテルに戻って、開演直前にお店に戻ったら、客席はぎっしり。嬉しいな。 いいライブが出来た。今日のアンコールで歌った「名もないピアス」が今までで一 番うまく歌えた。歌い続ければうまくなるものだなと実感。
2月のライブに続いて、打ち上げの盛り上がりも凄かった。泥酔した。
打ち上げに参加した人達と話をしてみると、旅で小樽にやって来て、この街が好きになり、居着いたり、通ったりしている人が何人もいた。
マスターもその内の一人だ。打ち上げの途中で五島さんの「名もないピアス」がBGMで流れる。実はマスターは五島さんのファンで、この曲が大好きだったそう。知らなかった。歌ってよかった。
嬉しかったので、すぐ五島さんの携帯にメッセージを入れておく。

2003年10月21日火曜日

2003年10月21日((火)苫小牧 アミダ様

北海道6箇所ツアー初日。
色々あって、不安定な心持ちのまま北海道入り。今回も一人旅である。
千歳空港からバスに乗り、北海道の自然を眺めながら苫小牧へ。
このあたりは紅葉真っ盛り。目に写る景色何もかもが物悲しく感じられた。
いにしえの旅芸人や各地を巡礼する僧侶と自分を重ね合わせてみたりしながら、しばし物思いに耽る。
苫小牧に着く頃には雲が晴れて快晴になる。ホテルにチェックインしたらすぐに街を散歩する。
シャッターの降りた店、少ない人通り。取り残されたような町。けれどそれが心地
良くもある。澄んだ青空をながめながらも、心は空(くう)になりきれない。浮雲のように定まらない心。散歩の途中で今日のライブ会場であるアミダ様の前に来たら、2階にあるお店の窓からマスターのつるさんが顔をのぞかせた。
「つるさん!」と声をかけたら、無表情に手を振ってこたえてくれた。約束していた入り時間まで、まだ時間がたっぷりあったけれど、店に入って、つるさんと 二人で雑談する。アイヌのことについて、各地の食文化について、大道芸人ギリヤーク尼崎さんのことについて、俵万智の妊娠問題について等、とりとめなく色 んな話をする。つるさんが少しだけ身の上を話してくれる。旭川生まれであること、バツイチであることなど始めて知る。
「この街には誰もいないから楽だよ」
そう語るつるさんの孤独が今日の自分には心地よい。

★ カウンター の中のツルさん。
ライブが終わったら、つるさんから「君の歌は孤独と鬱の歌ばっかりなんだね」と言われる。打ち上げで街のCDショップで働くSさんから「リクオのような旅暮しは男の憧れだ」と言われる。いつも以上に自分と見つめあう旅になりそうだ
 

2003年10月12日日曜日

2003年10月12日(日)豊橋 ハウス.オブ.クレイジー VS有山じゅんじ

昨日のイヴェントの主催者である岡田くんが四日市駅まで車で送ってくれる。別れ際に「リクオさんの歌にはいつも助けられているので、これからも応援します」と言われる。心のこもった言葉だった。
★ 駅のプラットホームで撮影。オレの旅行鞄と岡田君がくれた帽子。
今日は前から楽し みにしていた有山さんとの久し振りの共演である。多分、7年振りぐらいか。有山さんは自分にとって、師匠のような存在。デビュ-前から大変お世話になっ た。CDデビュ-前後に、有山さんによく連れていってもらった地方ツアーは、自分が音楽活動をしてゆく上で、重要な原体験の一つになっていると思う。
リハーサルで久し振りに有山さんの曲をセッションしてみたら、同じ曲でもキーやアレンジが変わっていて、7年の歳月を感じた。
今日は立ち見が出る盛況。オレと有山さんが久し振りに共演するということで、遠方から観にきてくれたお客さんもいたようだ。
まずオレがソロで50分のステージ。客席の期待と熱気に煽られて、いいパフォーマンスができた。
有山さんのステージは客席から缶ビ-ル片手に観る。
PAの音量は極力押さえられ、柔らかく、奥行きのある心地よいサウンド。ギターのリズムと音色が素晴らしい。
有山さんがそこにいるだけで、音を出さずとも音が聴こえる。存在そのものが音楽になっている。そして、奏でられる音は、有山さんそのものだ。
聴いていて、観ていて、楽になる。こんな人がいてくれてよかった。その場にいた多くの人がそう感じていたのではないだろうか。
有山さんのステージの後半で演奏に参加。5、6曲セッションする。懐かしさ以上に新鮮な音合わせであった。
久し振りに有山さんを実感できて本当によかった。そこにいた人達皆が二人の共演を喜んでくれたような気がした。  
★ ライブ後、有山さんと。
 

2003年10月11日土曜日

2003年10月11日(土)四日市 CKAOS

四日市のブティック「HIOC」の6周年記念イヴェントに呼んでもらう。HIOCを主催する岡田くんとは3年程前からの知り合い。
DJタイムあり、スカコア.バンドあり、ペインテイングありとバラエティーに富んだ内容。 出番は午後10時前。HIOCのオリジナル.デザインのTシャツを着てステージへ。予想より反応が鈍く、結構苦戦する。
イヴェントは夜中2時まで続く。自分の出番の後は四日市の知り合い何人かで別の店で飲む。四日市はデビュ-前からライブで来ていて、馴染みが深く、知り合いも多いのだ。

2003年10月10日金曜日

2003年10月10日(金)

今日は外村家宅に泊めてもらい、伊勢で一日ゆっくりする。
日中は自転車を借りて町を走る。伊勢神宮にも参拝する。
夜は外村一家と豆腐料理の店へ。安くて美味しかった。

★ 伊勢神宮にて撮影。
★昼食は伊勢名物ぶっかけうどん。太くて弾力のある麺でした。

2003年10月8日水曜日

2003年10月8日(水)

芝浦にある東芝のスタジオで広沢タダシ君のレコーデイングに参加。
ヴァイオリンで亜弥ちゃんも参加。
友達ミュージシャンを集めて、既発曲をアンプラグドスタイルで再録するという企
画だそう。オレは「手のなる方へ」「喜びの歌」の2曲でピアノを弾く。
プリプロはなく、その日にアレンジから練ってゆく録音だったので、予想以上に時間
がかかったけれど、やりがいのある楽しい仕事だった。
広沢くんがこの企画に自分を誘ってくれたのが嬉しい。


★スタジオで広沢くんと。
★スタジオであやちゃんと。

2003年10月8日(木)伊勢 カップジュビ-

1年4ヶ月振り伊勢。
カップジュビーのマスター外村とは学生時代からの音楽仲間で、いっしょにバンドをやっていた。彼がギターとヴォーカルで、オレはキーボードを担当していた。外村から受けた音楽的影響は大きい。
出会ったその日に彼の下宿に遊びに行き、貸してもらったLPレコードが、ニューオリンズ.ピアノの巨匠、ドクタージョンの「ガンボ」だった。このアルバムは自分のピアノ.スタイルに多大な影響を与えた。
学生時代は、多くの音楽仲間が彼の下宿に集まって、酒をあてに、たくさんのレコードを聴いた。彼からは素晴らしい音楽を色々と教えてもらった。
濃密な時間をいっしょに過ごした仲間が、地元に戻って、お店をオープンし、そこに自分が歌いにやって来るというのは、やはり感慨がある。
ライブはまず外村が45分程歌う。彼は今もシンガーソングライターとして地元や京都を中心にマイペースな活動を続けているのだ。
カウンターの奥から彼のステージを観る。ブルースに憧れ続けて来た少年がブルースマンになって歌っていた。
自分のステージは外村ワールドに影響されて、いつもより感傷的になった。
ライブには大学時代の先輩であるMさんが大阪から遊びに来て、打ち上げにも参加し
てくれた。
皆でよく語り合い、旧交を暖めた。

2003年9月29日月曜日

9/29(月)

福岡でBEAの森さんと打ち合わせ。
森さんと別れて博多駅で偶然、バンバンバザールの福嶋君とばったり。しばらく立ち話をしていたらバンバンのベースの黒川君とギターの富永君もやってくる。
今から3人で鍋を食ってから東京へ戻るとのこと。
長いツアーがやっと一段落したそう。とてもリラックスした様子の3人であった。
3人とは駅で別れたのだが、福岡空港で再び遭遇。同じ便で東京へ帰る。

★福嶋君と2ショット。博多駅で撮影。


2003年9月28日日曜日

9/28(日)熊本 バトル.ステージ

西鹿児島駅から鹿児島本線に乗って熊本へ。今日も快晴。途中から列車が海岸線を走り出し、東シナ海が視界に入ってくる。いい景色。
★列車から東シナ海を撮影。

今日は地元のバンドを含め5組の出演者によるアコースティック.イヴェント。
オレは4番目に登場。
ピアノがいい具合に調律されていて、いつもよりずっと弾きやすく、気分が乗る。
★客席後方PA卓から撮影。

トリは小山卓治さん。始めてお会いして、ステージをみた。
その場にいる人ではなく、見えない誰かに向かって語りかけているようなステージだった。ライブの後、観に来ていた地元のラジオ局の方から、急遽番組用のインタビューを申し込まれる。今日のライブを観て、気に入ってくれたそう。
ライブの後は、ブッキング.マネージャーの林田さんと地元の出演者の皆さんとで打
ち上がる。素直な人達。裏表のない会話。ほっとする。

2003年9月27日土曜日

9/27(土)

快晴。
リハ-サル前に今日のライブを主催してくれた三浦さんが勤めるCDショップ十字屋に顔を出して富田ラボと平山みきのCDを買う。
その後、タワレコに行ってエリカ.バドゥの新譜とオ-ガニック.ソウル系のコンピを
買って、邦楽担当の方に自分のCDサンプルを渡して営業しておく。

★T-BONE 入り口。
ライブは夜7時半から。オープニングで佐々木了くんが30分程、弾き語りしてくれる。気迫のこもった歌であった。
オレはステージに上がる前にいもの水割りを一杯。
ライブ直前にマスターの本山さんから「『名前もしらないけれど』頼むよ」と念押しされる。お~忘れてた。リハで練習しとけばよかった。まあ、なんとかなるでしょう。リラックスした状態でステージに。ステージ.ドリンクもいも焼酎。
席が埋まり、立ち見の人もいて、いい感じ。まず「風の声」を静かに歌い始める。最初から調子がよい。お客さんも楽しみ方を心得ている。南国の乗りというのが確かにあるなあ。
いつものように、場の空気に左右されながら、曲順を決めずにステージを進めていたら、ライブ終盤で本山さんのリクエストにまだ応えていなかったことに気付く。いかん。
本編最後でリクエストに応えて「名前も知らないけれど」を歌う。この歌を歌うのは何年振りだろう思い出せないくらい久し振り。気持ちがこもる。熱いな、オレ。歌ってよかった。
ライブのはじめから、客席最前列左に目立って乗りの良い男性客がいた。ひざの上にオレのCDを何枚も置いて、盛り上がってくれている。
アンコールでその男性が手許のCDから歌詞カードを取り出して、オレに手渡した。この曲を歌ってくれというのだ。強引な奴。
リクエスト曲は忌野清志郎さんと共作した「胸が痛いよ」。11年前に発表した古いナンバーで、これも今ではまずステージで歌うことのない曲だ。
一瞬どうしようかと迷うが、まあいいかと思って、ショート.ヴァージョンで歌う。
今日は2度もリクエストに応えた。
打ち上げもT-BONEで盛り上がる。
本山さんの奥さんが色々と料理を用意して下さった。
どれもうまい。鳥刺、最高。
ドリンクは全員がひたすらいも焼酎。そう、ここは鹿児島。

2003年9月26日金曜日

9/26(金)

午後1時前にFM広島入り。 ディレクターのKさんは初対面。
ラジオ局へ一人でやって 来たオレをみて、少々驚いた様子。さっそく、2つの番組のコメント録り。ものの15分程で収録は終わってしまう。
収録後、しばらくKさんと話しをしてみて、この人は音楽とミュージシャンへの愛を
持っている人だと思った。
FM広島を出て、広島駅から新幹線で福岡へ。そこから鹿児島本線で夜8時前に西鹿児島駅下車。長い移動。下車してプラットホームに立つと、空気が暖かい。南国に来たことを実感。
夜中11時頃から明日のライブをブッキングしてくれているCDショップ十字屋の三浦さんの誘いで飲みに行く。
お店に入って「いも焼酎の水割りください。」と注文したら「うちはいもしかありませんよ。」と言われる。そう、ここは鹿児島である。
その店でひとしきり飲んだ後、明日のライブ会場でもあるT-BONEへ。
店名の由来は、もちろんブルースマンT-BONE WALKERである。
マスター本山さんとは約1年振りの再会。本山さんから、明日は「名前も知らないけ
れど」を歌ってほしいとリクエストされる。9年程前につくって、今ではめったにステージで歌うことがなくなった曲だ。

2003年9月25日木曜日

9/25(木)岡山 モグラ

午前10時40分頃、岡山駅着。
地元のイヴェンター夢番地のBちゃんがプラットホームまで迎えに来てくれる。
FM岡山の生番組に出て、その後2本のコメント録音。
お昼はBちゃんとカフェへ行く。結構、時間があったので色んな話をする。
彼女はオレよりも7つ程年下のはずだが、妙に同世代感がある。
ランチタイムの後、RSKラジオでKさんが担当する番組の録画。
今夜のライブも好調。金沢の感覚が残っていた。
いつもよりピアノのタッチに気を使った。
オーナーのFさんも、とてもよかったと言って喜んでくれた。
★開演前。ステージの照明がセットされる。岡山

2003年9月24日水曜日

9/24(水)

午後2時半頃、大阪駅到着。
キョードーのAくんがプラットホームまで迎えに来てくれる。
取材と挨拶回り。日が暮れるまでには終了。
地元の友達と晩飯を食べに行く。
しゃれた創作日本料理の店。
エゴラッピンのギターの人のお兄さんがやっている店だそう。
そのあと市内のホテル内にある温泉で湯につかる。
オレはここの会員になっていて、
今日はバースデーサービス期間で無料。
湯につかったあと友達夫妻と飲む。

2003年9月23日火曜日

9/23(火)金沢 もっきりや

約半年振りにマスターの平賀さんと再会。最近のもっきりやはライブ続き。
お店が楽しみながらライブをやっているのがよい。
前日の打ち上げで飲んだわりには、いい体調のつもりでいたのだが、リハーサルでは声がでなかった。息も続かない。
リハで五島さんの「悲しいピアス」を歌ってみるも、
ちっともイメ-ジ通りに歌えない。
リハが終わってから竪町でガラもんの長袖シャッを買う。
7時40分から本番、スタート。
さっき買ったばかりのシャツを着て、ステージへ。
もっきりやには音楽の神様が住んでいるんじゃやないか。
自分にこんな表現力があったのかと思うぐらいにインスピレーションがわき、
演奏に集中。本番では声も出た。
もっきりやが積み重ねて来た歴史と、お店と音楽を愛する人達の想いが、
自分に力を与えてくれるのだろう。この感覚と感動を忘れずにいたい。
まだ先へいける。そう思わせられたライブだった。
本番で、はじめて五島良子さんの「名もないピアス」を歌ってみた。
曲のよさが伝わってくれればいいのだが。
★もっきりや製作ポスター。もっきりや

2003年9月22日月曜日

9/22(月)高岡 もみの木ハウス

快晴。
高山駅から富山駅間の指定席が満席だったのでグリーン車に乗る。これが快適。
席は広くて、ゆったりしているし、窓が大きいのもよい。景色もよし。高山本線はグリ-ン車に乗るべし。
★高山本線グリ-ン車から撮影。 高山線
 時間に余裕があったので、富山駅で途中下車。タクシーに乗って、岩瀬浜まで行ってライブでもお世話になっているカフェ、アナザホリデーに行ってみる。突然訪ねてT夫妻を驚かせてやろうと思ったのに店は休業。
では砂浜でくつろごうと岩瀬浜海岸までいったら、強風で砂がひどく舞っていて、これが顔に当たって痛い。とてもじゃないがくつろげず、退散。高岡に向かう。
リハーサルの後、駅前の繁華街を散歩する。人通りが少なく活気がない。喫茶店が少ない街。高岡も郊外に大きなショッピングモルができて、そちらの方に人の流れが向いてしまっているようだ。
やっと見つけた喫茶店でサンドイッチを注文したら、とても美味しかった。
店内の壁には中川イサトさんのライブを告知するフライヤーが貼ってあった。
今日のライブは「ゆたんぽ」という地元のアコースティック.バンドがオープニング
をつとめてくれる。明るさのなかに哀感が漂う歌と演奏で、心地良かった。
ライブはのっけから、びっくりするぐらいに盛り上がる。
大学軽音楽部の先輩で富山在住のEさん一家と、アナザホリデーのTさんが観に来てくれる。Tさんに、「今日、岩瀬浜に行ったよ」と言ったら、とても驚いていた。
先輩のEさんは打ち上げにも参加してくれる。なんと今、もみの木の店長であるタカ
ヤさんといっしょにバンドをやっているそう。
こんな風に人がつながってゆくのは嬉しい。

2003年9月21日日曜日

9/21(日)高山 ピッキン

高山本線は車窓からの景色が素晴らしいのだが、今日は移動の間寝てばかり。
飲み過ぎた。4時過ぎに高山到着。
マスターの高原さんが駅まで迎えに来てくれる。高山は雨。
秋を一気に飛び越えてしまったような肌寒さ。
リハ-サル前に高原さんと蕎麦を食いに行く。
高山にはおいしい蕎麦屋が何軒もある。
今日は大黒屋というお店で貝柱の天婦羅蕎麦を食べる。
うまい!安い!大満足。
★ これが貝柱天婦羅蕎麦。
 
高山午後7時40分、ライブがスタート。席はうまっているのだが、昨日とはうって変わって大人しいお客さんであった。どうも始めての人が多い様子。
1曲めの「風の声」で2番の歌詞が飛ぶ。あ~あ。
ライブの直前にホテルの温泉につかったのがよくなかったか。
去年、ピッキンでセッションした地元のサックス.プレイヤー中谷さんが今日もサッ
クスを持ってやって来たので、本番直前に楽屋で打ち合わせして、リハーサルなしで「機関車」「BRING IT ON HOME」「時の過ぎ行くままに」の3曲をセッションする。いい会話ができた。今日もアンコールで、先週つくったばかりの曲をやってみる。高原さんは、そ の曲が今日のライブで印象に残ったと言ってくれた。いけるかも。ライブの後、お客さんで来ていたT君くんという27歳の若者が話し掛けてくる。高野大学を 出て一旦お坊さんになったのだけれど、今は地元高山に戻ってHITS FMというコミュニュティーFMで働いているそう。最近、四国八十八箇所を巡礼してみたのだけれど、悟りはひらけなかったとのこと。
面白い奴だったので、打ち上げに誘う。
★ピッキンのマスター。高山マスター

 

2003年9月20日土曜日

9/20(土)三重県松阪 MAXA

マクサでのライブは約3年振り。
お店のスタッフの中村くんが駅まで迎えに来てくれる。久し振りの再会。以前より精悍なたたずまい。もうすぐ結婚するそう。
お店のオーナーの剛さんとオレは同学年。貫禄がついておっさんのたたずまい。
最近、同世代の他人を見て自分の年齢を知ることが多い。3年という歳月は人を変えるには十分だ。
この日はブレッド&ジャムという兄妹の兄弟ユニットがオープニング.アクトをつと
めてくれる。お兄さんは学生時代に京都でオレのライブを観ていたそう。
★ステージには阪神優勝を祝する看板が。

オーナーの剛さんは熱狂的 タイガース.フアン。松阪今日はお客さんの乗りに助けられた。まるで超満員の会場のような盛り上がり。アホな奴ばっかりで嬉しい。
サンキュー、松坂。また。

2003年9月14日日曜日

9/14(日)吉祥寺 スター.パインズ.カフェ

今日の楽屋は女性ばかり。
さすがにいつもと勝手が違う。本番直前、ステ-ジ裏で隠れる様に着替えていたら、お店のスタッフに遭遇。向こうが見ては行けないものを見たような反応で、謝りながら、そそくさとその場を退場していくので、こっちも恥ずかしい気分。
★美女軍団「たまきあや.すとりんぐ.かるてっと」と共にステージがスタート!

高宮さんは大阪のときに増して、のびのびと歌ってくれた。
5オクターブの声量は、圧倒的。どこまでいくねんって感じ。体全部を使って声が出している感じ。全身シンガー!
小谷さんはサウンドに身をゆだねるように、嬉しそうに、ヤバイ歌を歌っていた。音を感じ、すぐに反応することのできる人だ。五島良子さんとは初共演。なん だかずっと前から通じ合っていた人のように思えた。歌を愛してるだけでなく、歌に愛されている人。いろんな歌が彼女に歌われたがっている感じ。自分も彼女 のように歌いたいと思った。「たまきあや.すとりんぐ.かつてっと」ともぜひ、また共演したい。彼女達はオレの楽曲に新しい息吹を与えてくれた。
大阪、吉祥寺の2日間で声の力、歌の素晴らしさをあらためて実感した。いい刺激になった。2日間、本当に貴重なステージであった。共演者の皆さん、スタッフ、お客さん、そしてオレたちをつないでくれる音楽に感謝。
★アンコールでゲストの皆さん、勢揃い。
左から五島良子さん、小谷美紗子さん、高宮マキさん。


2003年9月13日土曜日

9/13(土)

午後0時から吉祥寺でリハ。
五島良子さんが3時からリハーサルに参加。
まずは彼女のオリジナル「名もないピアス」を初音合わせ。
やはり名曲である。そして素晴らしい歌声。短いリハーサルでその才能を十分に感じた。
あやちゃんから、二人はとても合っていると言われる。自分でもそう思った。
構えたところがなく気さくな人なので、こちらもリラックスでき、すぐに打ち解けた。カルテットとの音合わせも順調。明日が楽しみ。

2003年9月11日木曜日

9/11(木)

午後12時半頃起床。
昼飯は蕎麦。
夕方から近所のカフェのテラスで読書&パソコン。
今夜は月が強い光を放っていた。火星も輝きも最近よく目に入ってくる。
夜中から14日のライブに備え、五島さんの曲をおぼえる。
いっしょにやらせてもらう「名もないピアス」という五島さんのオリジナル曲が素晴らしい。繰り返し聴いて、いっしょに口ずさむ。
心が晴れてゆく感じ。とてもいい瞬間。ああ、そういうことなのかと思う。
つまり「幸運」とは感じ取るものなのだ。
五島さんの歌を聴くことによって、そのことに気付いた。
考えてみれば、自分は最近も、素晴らしい瞬間を何度も体験している。心に余裕がないと、そんな瞬間を積み重ね、反芻して、心にとどめておくことを忘れがちになる。ラッキーな出来事は既に起こっていたのだ。今月の星占いは当たっているかもしれない。

2003年9月10日水曜日

9/10(水)

朝10時半起床。
もう夏は終わったと思っていたら、今日はやたらと蒸し暑い。今頃、蝉が鳴いていたりして変な感じ。
12時から吉祥寺で14日のスタパに向けリハーサル。
身体が重い。疲れがたまっている。
あやちゃんに加え、カルテット.チームのミキコちゃん、祐子ちゃん、歩ちゃん、
そして美紗子ちゃん、マキちゃんがリハーサルに参加。女性ばかりのリハーサルである。チェロの歩ちゃんは、今日が初対面。オレのライブを何度か観てくれて いるとのこと。物おじせず、活き活きしたプレイ。音に対する反応が早い。カルテットのある程度決められたアレンジの中でも、アドリブを織りまぜる積極性も よい。
リハーサルは順調に進む。カルテットの皆さんは技術が高く、
とにかく仕事が早い。
感心した。
8時前にリハ-サル終了。
疲れた。

2003年9月9日火曜日

9/9(火)

午後0時に高木クラヴィア入り。
今日はキョンさんが参加。一日、キョンさんのパートを録りまくる。かなり無理をしてもらった。最初に昨日録音したインストを キョンさんに聴いてもらってから、向かい合わせにならべられた2台のピアノを二人で弾きながら打ち合わせ。
結局、この曲は二人の同時録音で録り直すことにする。
キョンさんが色々とアイデアをだしてくれたお陰で、よりいい感じになる。その後はオレが昨日録音した歌ありのオリジナル曲にキョンさんのピアノをかぶせる。
これは少し時間がかかる。
次にオレのオリジナル.ナンバーをキョンさんと二人で2台のスタインウェイで同時録音。燃えた。
★こんな感じでアイ.コンタクトをとりながら同時録音。
 
9/9高木昨日に続いてY氏も夕方から参加。
多くの人に支えられながら、今日のノルマを無事、終えることができた。
いい調子で進んでいる。
キョンさんは愚痴をこぼさない人である。超多忙の中、この企画に加わっているから、疲れもあるだろうに、そういうことは一切、口にせず、常に他人へのさりげない気づかいを忘れない。見習うところが多い。
今回自分はプレイヤーだけではなく、プロデューサーとしての立場もあるので、いつも以上に現場を仕切らなければいけない。スタジオにいる間中、気が抜けない。

2003年9月8日月曜日

9/8(月)

昼の12時半に渋谷高木クラヴィア入り。
いよいよ今日からピアノ.コンピ.アルバムの録音が始まる。
機材の搬入、セッティングに予想以上に手間取る。まあ機材が何もないところに、こちらから持ち込んで、スタジオをつくるんやから、そら大変やわな。
約3時間かけてセッティングが完了。フリーのエンジニアである関くんが急遽、アシスタントを担当してくれて多いに助かる。
まずはオレが1曲目に収録予定のアップ.テンポのインストを録音する。
用意されたピアノはハンブルグ.スタインウェイとニューヨーク.スタインウェイの2
台。どちらも極上。同じスタインウェイでもヨ-ロッパ製とアメリカ製では個性がはっきりと別れる。
ニューヨーク.スタインウェイの方は、音色が明るく、とにかくよく鳴る。より音量
を上げるために反響板にはつや消しがほどこされている。
ハンブルグ.スタインウェイはニューヨークの方に比べると、タッチがやわらかく、
落ち着いた気品のある音色。
オレはニューヨークの方を選んで録音。
1テイクを録り終えて、すぐに聴いてみる。
エンジニアの上條君と顔を見合わせてニヤリ。ええ音。
午後3時にはY氏がやってくる。
まずはしばらく、2台のスタインウェイをそれぞれ試し弾きしてもらう。
Y氏もその音の良さに感激していた。
夕方からY氏のオリジナルを2曲、収録。1曲はラグタイム調のインスト。
もう1曲は哀愁のただようスローナンバー。
そのあとオレのナンバーをクリックなしヴァージョンとクリックありヴァージョンで録る。歌は同時録音。
いいスタートがきれた。
★2台ののスタインウェイ。

2003年9月6日土曜日

9/6(土)大阪 バナナホール 「リクオのハプニングデイズ」

ゲスト:小谷美紗子・高宮マキ・KiMURA AKiKO(敬称略・順不同)
・出演:Rikuo・ヤマサキテツヤ(Percussion)・玉城あや(Violin)

女性ばかりをゲストに呼ぶというのは、自分の発案であった。個人的な嗜好と欲望を反影した企画である。皆それぞれに素敵なシンガーであり、女性であった。
メジャーデビューを控えたKiMURA AKiKOさんは、今日が大阪初ライブ。初共演である。ステージの彼女は20そこそこにして既に孤高のたたずまい。
立っているだけで、存在感がある。今夜のセッションで彼女が「気合い」と「覚悟」を持った素晴らしいシンガーだということがよくわかった。
「機関車」では色気のあるコミュニケーションができた。 高宮マキさんとも今夜が初共演。暖かい女性である。
自分の音楽や人生観は「悲しみ」や「せつなさ」がベースになっていると思うのだが、彼女はそこに共鳴してくれているような気がする。
別に根拠はないのだが。
彼女とセッションしたビリージョエルの「NEWYORK STATE OF MIND」は高校生の頃
に聴いて、当時ピアノでコピーしょうと思ったのだが、イントロの段階で諦めてしまった曲である。
20年の歳月を経て、今回再トライの機会を与えてもらったのだが、またイントロでコードを忘れて止まってしまい、なんとやり直しさせてもらう。
すんません。
2度目はセッションならではのインタープレイと呼吸のさぐり合いで、一期一会のプレイができた。
緊張と解放の共有。言葉を重ねるよりも、深く通じ合える瞬間。
美紗子ちゃんのことは、彼女が中学生の頃から知っている。すっかり成長したなあと親戚の親父のような気分にもなってしまう。
彼女の歌は鳥肌がたつという表現がふさわしい。実は反社会的で、やばい歌を歌う女性だ。ヴァイオリンのあやちやんがその歌を聴いて、年下の美紗子ちゃんを「師匠」と呼んでいた。
美紗子ちゃんはこの日の選曲の中にオレのデビュー.ミニ.アルバムのタイトル.ナン
バーである「本当のこと」を選んでくれた。学生時代に作った思い入れの深い曲なのだが、自分のライブではもう随分長い間、演奏することがなかった。この曲 を彼女は見事に蘇らせてくれた。演奏していて最後の一音まで心が震えた。この曲を久し振りに演奏することで、自分に向き合う一つの機会を与えてもらった気 がする。
美紗子ちゃんの出番の直後に歌った「ソウル」は彼女からの刺激がなければ、ありえない演奏だった。
真剣勝負の繰り返しで、ライブが終わったらいつもよりぐったり。そして、ほっとした。
たくさんの刺激をもらい充実したライブであった。
感謝。
打ち上げでは良く飲み、語り、最後は横揺れ。
たまたま同じ日にポラリスのライブで大阪に来ていた学くんが打ち上げ途中から顔を出してくれる。いっしょに飲むのは久し振りで嬉しかった。彼は2次会にも参加して、明け方までつきあってくれる。
★アンコールで全員集合。全員3

2003年9月5日金曜日

9/5(金)

今日も吉祥寺でリハーサル。
6日のゲストの美紗子ちゃん、高宮マキさんと初音合わせ。
オレは急遽、リハーサルの後、最終の新幹線で大阪に前乗り。

2003年9月4日木曜日

9/4(木)

12時から8時まで吉祥寺で6日のライブ用のリハ。
6日のゲストのキムラアキコさんと初対面、初音合わせ。

2003年9月1日月曜日

9/1(月)

自分はあまり占いとか血液型に興味がないのだが、
最近たまたま目にした雑誌に載っていた星座占いによると、
今月のオレは幸運が波のように押し寄せてくるとのこと。
そう言われると期待してしまう。
午後6時から高木クラヴィアでキョンさん、上条くん、マネ-ジャ-二郎さんと
スタジオの下見を兼ねた打ち合わせ。
2台のスタインウェイを使ってキョンさんと少しセッションしてみる。
音が抜群にいいので、とにかく乗る。録音が本当に楽しみ。

2003年8月30日土曜日

2003年8月30日(土)

NHKFMのライブビートという番組でバンバンンバザールといっしょに出演。
スタジオにお客さんを入れて、7時15分頃から2組で45分間の生演奏。
この番組には自分とつながりのあるミュージシャンが多数出演していて、自分自身も3度めの出演。メジャー、インディーズ、世代など関係なくいい音楽を生で届けようという姿勢が素晴らしい番組だ。
まずバンバンが3曲を披露。最初は少し固めだったお客さんもリラックスした演奏としゃべりでいい感じにほぐれてくる。
バンバンの紹介でオレが登場。今日はミディアム、スローナンバー中心の構成。
最後にバンバンとスパイダースの「ノーノーボーイ」をセッション。
オレは歌とピアニカを担当。いいコミュニケーションができた。
今日はステージからスタジオに集まってくれたお客さんの顔がよく見えた。
最後の曲を終えた後の、お客さん達の表情が良くって嬉しくなった。
この日のバンバンは大阪からやってきて、収録が終われば、またすぐに大阪にトンボ帰り。相変わらず、忙しく全国をツアーして回っているようだけれど、無駄な力が抜けて、ストレスなく活動している雰囲気が伝わってきた。
NHKの現場スタッフの人達が今日のライブをとても喜んでくれた。気持ちのよい現場
だった。

★バンバンとのセッションを公録中。

2003年8月28日木曜日

2003年8月28日(木)

日中はまた打ち合わせ。最近、打ち合わせばっかり。
堅い話。現実を笑い飛ばす、タフさとしなやかさを忘れずに。
夜は下高井戸にある知り合いが始めたカフェを訪ねる。
そこで夕食を食べる。サラダが美味しかった。
隅々に心遣いが行き届いていて、とても雰囲気のよい、
長居したくなるお店だった。
食事の後、カフェの2階にある中古CD屋と、近くのCD屋で
アルバムを10枚程買う。
浜美智子、ローランド.カーク、マヘリア.ジャクソン、ちあきなおみ、
ヒップ.ホップのコンピ、ビヨンセ、カサンドラ.ウィルソン等。

2003年8月27日水曜日

2003年8月27日(水)

夕方4時から西麻布で打ち合わせ。
夜は吉祥寺のスターパパインズ.カフェでハシケン、B.B.B.B、ロッキンタイムの今野
君らが出演するイヴェントに顔を出す。
今夜はスタンディングのイヴェントなので身体を揺らしやすい。ビールをがんがん飲みまくってライブを楽しむ。
今野君はウクレレで弾き語り。いい声、いい選曲。心地よい時間。
ブラック.ボトムのライブは相変わらず、底抜けに明るい。ストリートの臭いがぷん
ぷん。理屈抜きで楽しめるライブ。フロアの雰囲気も最高。自然に身体が動く。
ライブ後半、「ジーザス.オン.ザ.メインライン」のイントロが始まったところで、
トロンボーンのヤッシーがオレをステージに手招く。ペットのコーチャンがマイクでオレを紹介する。聞いてへんで。でも、既に彼らのパフォーマンスで気持ちが盛り上がっているので、よっしゃ!って感じ。
客席からステージに上がるや、スタンドからマイクを抜き取り、ハンド.マイクでモ
ニターに片足を置き、エルヴィスを気取って歌う。いや~、気持ちよかった。
トリはハシケン。ハシケンは今日が新しいアルバムの発売日。プロデュースはオレと同じくヤマサキくん。で、今日はヤマサキくんがパーカッションで参加。
我を忘れて踊りまくった。それぐらい、ごっつう、ええグルーヴ。それぐらい酔っぱらい。
飲んで、踊って、歌って、騒いで、満喫。

2003年8月24日日曜日

2003年8月24日(日)

夜は440で関西在住の男女ボサノヴァ.ユニット「のまど」の
ライブを招待してもらってみる。
共演したLPチップ3というインスト.ストリングス.バンドが掘り出し物。
会場でHレコーズのHさんに久し振りに会う。

2003年8月23日土曜日

2003年8月23日(土)

部屋に新しいエレキ.ピアノが2台やってくる。
1台はヤマハのP-60S。これは軽量で持ち運びに便利なので外弾き用として使ってゆくつもり。もう1台はパナソニックのNP-10というやつで、部屋弾き用に買う。これ、かなりよい。タッチも音色も優秀。
部屋置き用に色々と工夫がされているのが嬉しい。各種のインプット、アウトプットがついているのもいい。楽器本体についているスピーカーもかなりいい音。
マイクを楽器本体に繋いでならすこともできるので、弾き語りの練習にも便利。
楽器の上に色々と物を置けるのもよい。
‘98年から使い続けたRD-600はついに下取りに出して手放す。ほんまに色々と世話になったなあ。
楽器を買うと、やっぱり嬉しい。部屋に設置してから、寝るまで弾き続ける。

2003年8月22日金曜日

2003年8月22日(金)

仙台 サテンドール
今日の仙台は気持ちよく晴れた。
地元の人に聞くと、本当に久し振りの晴天なのだそう。
夏の高校野球全国大会で東北高校が東北勢としては始めての決勝進出を果たしたので、仙台では新聞の号外が出ていた。
夕方、5時頃に会場入りしてリハーサルを始める。
低音域の鍵盤の状態がよくない。リハーサルの後に調律師さんが来て、直してくれるとのこと。
夜8時から開演。いつもの軽い乗りでステージに登場。
頭からビートの効いたアップ.テンポの曲を続ける。
ここでいきなりピアノにトラブル発生。低音域の鍵盤のいくつかが、故障。鍵盤から指を離しても音が切れない、ダンパーが効いた状態になってしまう。
残響音が残って、気持ち悪い。おいおい、調律師さん、どないなっとんねん?
直ってへんやん。
一旦、ステージを中断して、もういちど直してもらおうかと思ったら、その調律師さん1曲目の途中で帰ってやんの。逃げたな。困った。故障した鍵盤を避けながら弾こうと試みるも、アップテンポの曲では難しい。
そこで急遽、今夜のライブはバラード特集でゆくことにする。
サテンドールのピアノが「優しく弾いて」とだだをこねるのだから仕方がない。
途中で休憩を入れて、2部構成にする。
2部では最近の旅の必需品、マックのパソコン、ibookをステージに持ち込む。それ
を使ってリズム.トラックを鳴らしたりというわけではなく、旅の間にデジカメで
撮った写真をお客さんにみせたり、I-tuneで最近、お気に入りの曲を聴かせたりする。ステージでは、楽しんでもらえれば、別に何をしてもいいのだ。
客席からの質問も受け付けてみる。でも誰も手をあげないから、オレが最前列の若者を指名して質問させる。
「ピアノを弾き始めたきっかけは何ですか」という月並みな質問であった。
15分以上を費やしてその問いに答える。途中から、質問の内様も忘れて自分の話に熱中してしまった。
トラブルのお陰で、記憶に残るライブになった。
でも、次回はこういうことのないようお願いしたい。

2003年8月16日土曜日

2003年8月16日(土)

13日からマーサのK一家らと南紀白浜に来ている。
海水浴、シュノーケリング、温泉、卓球、海の幸etc.とにかく満喫。

2003年7月30日水曜日

2003年7月30日(水)

今日も吉祥寺でリハ。
いい感じである。
8/5には、とにかく今までにないリクオをみせられそう。
今日はつらいことがあった。
この日記を読んでいる人はオレが毎日、いい感じの楽しい日々を送っていると思っている人が多いだろう。そんなことばっかり書いてるからね。
それは事実である。大体は。
けれどたまには、がっくりくることもあるさあ。
虚しくなることもあるさあ。
自分の無力さをあらためて知った。
もう少しましではないかと思っていたのだ。
やはり多くを期待し過ぎていたということか。
自分が憎しみを抱かなかったことが救いではあった。
感傷は甘さにつながるのだろう。気持ちを切り替えることはできるのだ。
ただ、感傷は人間に与えられた特権であるとも思うのだ。

2003年7月29日火曜日

2003年7月29日(火)

吉祥寺で8/5、440に向けたリハーサルをバンド.メンバ-全員でやる。
オルガンの代ちゃんが気合いを入れてリハにもかかわらず、レズリー.スピーカーを持ってくる。でかい。凄い存在感。むっちゃ、ええ音。

2003年7月27日日曜日

2003年7月27日(日)

神戸 カフェ.フィッシュ イヴェント名「黄金の日没」
★出演:Asa festoon/Rikuo/Cassette Con-Los/greentea/山村誠一
   DJ:グルーブあんちゃん/Live Painting:小澄源太
晴れた~。汗ばむ。夏や!
カフェ.フィッシュは海沿いのメリケンパークにある大きなカフェ。
今日はカフェ.フィッシュと交流のある関西の数件のカフェが共同で催したイヴェントに呼んでもらったのだ。
お店の外には露天が出て、お客さんは出入り自由。お祭りらしく開放的な雰囲気。
客席はスタンディング。スタンディングでの弾き語りは面白い。オレの弾き語りは踊れるからね。ステージも客席もファンキーになりやすい。
オレのライブがスタートしたときは、はっきり言ってお客の期待度は今一つだった。
けれどステージが進む内に、お客もどんどん弾け出した。
ライブの後半では、この日の他のライブでの出演者である山村誠一さんにコンガで、ト-イ森松さんにカホンで参加してもらう。ダブル.パーカッションでセッ ションする機会はなかなかない。これが、はまった。素晴らしいグルーブでお客さんもおおいに揺れた。
実は二人とは、久し振りの再会であった。山村さんはオレが大阪に住んでいたときの御近所さんで、共演はおそらく10年ぶりぐらい。森松さんとは彼がB シャープというバンドをやっていた頃に、KBS京都のラジオ番組のパーソナリティーを、いっしょにやっていたことがあって、多分10年振りぐらいの再会。 共演は今日が始めてだった。随分とルックスがいかがわしくなっていて、失礼だけれど最初は誰だかわからなかった。まあ、人のことは言えんけど。こういう気 持ちのよい再会は、何かをやり続けてきた者に与えられる特権かもしれない。

★最後のセッションの時にステージから撮影。

カセットコンロスには、かってバンバンバザールでサックスをやっていた安藤君がい
る。とても楽しそうに演奏しているのをみて、居心地の良い場所をみつけたなあと思った。アサさんの歌を生で聴いたのは始めて。彼女にしか出せない色合いが ある。CDもよかったけれど、ライブにはCDではそんなに感じなかった明るい解放感があった。小澄源太さんのライブ.ペインティングも良かった。すぐに彼 の作品だとわかる強い個性を感じた。


 
 ★ライブ.ペインティング中の小澄さん。

今日はボサノバ男女ユニット、ノマドの二人が遊びに来てくれた。オレは発売されたばかりの彼らの新譜に一曲、ピアノで参加しているのだ。
物販は神戸在住のユカちゃんが、やってくれた。カフェ.フィッシュとオレをつないでくれたのは彼女である。感謝。
すべてのライブが終わった後、DJのあんちゃんがヘルツの「ムーンライトサンバ」をかけてくれた。DJブースに向かって指でOKマークを送る。そうそう、 カフェ.フィッシュのブッキング.マネージャーの北村さんからライブの後に、北村さんの友達夫婦を紹介される。奥さんが抱いている生後10ヶ月の子供に 「陸央(りくお)」という名前をつけたとのこと。各地でリクオが誕生しているなあ。がんばろ。
大阪、姫路、神戸と充実した3日間であった。 

2003年7月26日土曜日

2003年7月26日(土)

姫路 ザ.バレル
昨日、今年始めて蝉の泣き声を聴いた。今日も聴いた。晴れ間がのぞいて、やっと夏らしい天気。
今日は知り合いの画家、小谷真くんの個展を心斎橋で観てから、姫路に向かう。
昨夜のアルコールがまだ少し残っている。
ザ.バレルも地元の多くの人達の思いがこもったお店である。
もともと3年前までは、バレル.ハウスという名前で清水さんという方がマスターであた。清水さんは、オレが‘98年に前の事務所を辞めて、一人でツア-暮らしを始めた頃に、とても暖かくオレを迎え入れてくれた人だ。
このお店ではじめて、小坂忠さんの「機関車」を聴かせてもらった。ライブが終わった後の店内で流れていたのだ。清水さんは小坂忠さんのファンだった。3年程前にバレル.ハウスに来たとき、清水さんのバンドがオープニング.アクトをつとめてくれた。
そのときに清水さんが歌う「機関車」を聴いた。とても優しいまなざしで歌われていたのが印象に残っている。
その直後、清水さんは急逝された。
けれど清水さんの意志を継ぐ、地元の人達の思いで店は続けられている。
清水さんが亡くなってから、オレはステージで「機関車」を歌うようになっていた。
ここバレルで「機関車」を歌うときは、やはり特別な思いにかられる。
ライブの後、古い知り合いのSさんに会う。なんと最近、会社を辞めて、今は学校に通い、料理人を目指しているとのこと。
Sさんから打ち上げの席で、オレの歌を聴きながら、ずっと自分のことを考えていたよと打ち明けられる。
オレもいろんな人達の歌を聴きながら、自分のことを考え続けてきたのだ。 


2003年7月25日金曜日

2003年7月25日(金)

大阪 martha(dinning cafe+goods)
今日は学生時代からの親友であるK夫婦が、今年オープンさせたばかりのカフェ、マーサで演奏した。マーサとしては初企画のライブ。
K夫婦には普段から色々とお世話になっているので、せめてもの恩返しにと、自分が自宅で使っていたエレキピアノを寄贈する。今日はそのエレピで演奏した。
Kとは学生時代の4年間を、いっしょにバンドをやって過ごした。彼の担当はドラムである。その時の音楽体験は自分の重要な原点の一つになった。Kをはじめ、そのときのバンド仲間から受けた影響は大きい。彼らの多くとは、今も付き合いが続いてい
る。
そのうちの一人、Tは地元の伊勢でカップジュビーという店をやっていて、年に一度は歌いに行かせてもらっている。
KともTとも、ずっと仲がよかったというわけではない。最初は親兄弟よりも親密な関係だったのが、次第にすれ違い、傷つけあったりもした。まあ、よくある話である。
Kは結構口が悪く、意地悪なところもあって、半ば確信犯的に随分ひどいことを言うことがあった。
大学を卒業してすぐの頃、Kと二人きりで串かつ屋で飲んでいた時のことだ。お互い、随分とアルコールが入っていた記憶がある。確か、いっしょにやっていた バンドを解散させるという話をしていたのだと思う。彼の方でたまっていた思いがあったのだろう、とにかくこれでもかというくらいボロカスに罵倒雑言を浴び せられた。まさに、サンドバッグ状態。
大学を卒業してKは家業を継ぎ、オレは就職せずライブハウスでバイトしながら音楽で食って行く道を模索していた。モラトリアムの時期が終わり、お互いに 別々の道を歩みだそうとしていたときだ。二人とも不安だし、余裕がなかったし、自分達が置かれている現実に苛立ってもいた。
とにかくオレはひどいショックを受けて、部屋に戻るなり、Kからあびせられた言葉の一語一句を忘れまいと、それらを思い出しノートに書き止めた。今となっ ては笑える自分の行動だが、その時はもう胃がねじれるような思いだった。必死にKの言葉と、そして自分自身と向き合おうとしていたのだと思う。
それから数カ月してKと会う機会があったのだが、あれだけのことを言っておきながら奴はケロっとしているのだ。言いたいことを言ってしまって、すっきりし たのだろうか?オレがちゃんと受け身を取るだろうと考えていたのか?拍子抜けするぐらい奴は普通に悪びれることなくオレに接してくるのだ。
それで、なんだか自分も、まあいいかという気持ちになった。もちろん言われた言葉は忘れていなかったけれど。
随分なことを言われたけれど、そのときのKの言葉が自分の気持ちを吹っ切らせて、ソロ.アーティストとしてプロでやって行くんだという思いを強くしてくれた気がする。はなむけの言葉にしては、強烈過ぎたが。
まあオレの方も、結構、無自覚に相手を傷つけたり、苛立たせたりしていたようなのだ。そういう意味では自分の方がたちが悪かったのかもしれない。
Kとの付き合いは結局、今までほとんど途切れることなく続いている。奥さんとの付き合いも大学時代からだ。
数年前にまたKと二人で飲んでいたときに、さっきの串かつ屋での話を彼にしたら、全く覚えていないというので、がっくりした。ほんまに、覚えてへんのかな。まあ、ええけど。
Kも、伊勢のTも、オレも、次第に自分の立ち位置、生活スタイルを見つけ、前よりも余裕ができ、少しは優しくなった。違う生き方をしている人間として、次第に認めあえるようになってきた気がする。
いい時期に昔からの仲間が店を始めて、そこで歌わせてもらえるのは、とても嬉しい。
今日のライブのチケットは早くに売り切れていて、会場の雰囲気は開演の時点で、いい感じで出来上がっていた。すみずみまでこだわりを感じさせる店の雰囲気 とおいしい料理、そしてスタッフの気づかいが既にお客さんの気持ちを盛り上げていたのだろう。そして最高のライブである。自分で言うか。お店との理想に近 いコラボレートができたと思う。
学生時代からの音楽仲間も何人か駆け付けてくれた。
もちろん彼らとはライブの後、いっしょに打ち上がった。皆、元気そう。
オレはほろ酔い気分で、自分達のことを誇らしく思った。


★マーサにて、アンコールの時にステージから撮影。

2003年7月23日水曜日

2003年7月23日(水)

肌寒い天気が続く。夜には雨が本格的に降ってくる。
夏はいつになったら訪れるのだろう。
今日も昼飯は蕎麦。
最近、ほぼ毎日、蕎麦を食べている。
一日部屋にいてライブの準備。
夕方には「Talkin’ Blue」や「Rollin’」の録音でお世話になった錦織さんが自宅に来てくれる。部屋に案内して宅録音源や、10月発売予定のシングル曲を聴いても らったり、DTMの使い方を教えてもらったりする。シングル曲を聴いたニキさんから「一皮むけましたね」と言われる。
夜からは8/5下北440で始めて演奏する予定のカヴァ-曲を練習してみる。
原曲のこぶしの効いた歌いまわしを、どう自分なりの歌唱に変えるか。
まだ、手探り。
結構、真似しやすい歌い方なのだ。
こういう歌唱法は幼い頃に聴き慣れていたので、
自然と身に着いているのかもしれない。

2003年7月22日火曜日

2003年7月22日(火)

今日も日中は440の準備に追われる。
夜にヤマサキ君が自宅に来てくれて、ビールを飲みながらデジパフォの不具合を直し
て、ミディ.インターフェースがつながるように設定してくれる。
素晴らしい手際であった。
その後、宅録した新曲3曲を聴いてもらう。
いすれも440でやりたいと思っている曲。
一番反応が心配だった曲の評価が最も高かったのが意外で、嬉しかった。
和田アキコも顔負けのダイナマイトでエンタ-テインメント色の強い曲である。
ヤマサキ君からは、これくらい振り切れた表現に、
これからは向かっていくべきだと言われる。
その後440の選曲を考えたり、CDを聴いたりしながら二人でワインを一本空ける。
少し酔う。

2003年7月21日月曜日

2003年7月21日(月)

一時半頃、起床。
昼飯を食べる前に、チャリンコで近くのツタヤまでCDRを買いに行く。
運転中にメロディーと歌詞が同時に思い浮かぶ。
忘れない様にとにかく何度も頭のなかで歌詞とメロディーを繰り返す。そのうちに、どんどん新しいフレーズが浮かんでくる。
帰り道で、出だしのメロディーを忘れる。ショック!!けれど数分後に思い出す。
帰ってすぐ曲作り。晩飯前には完成。
出来たばかりの曲をさっそく宅録。

2003年7月20日日曜日

2003年7月20日(日)

今日も日中はデモテ-プ作り。
夕方から佐野元春さんのコンサートを観るため渋谷へ出かける。
10代の頃は佐野さんのレコードをよく聴いていた。特に「VISITORS」というアルバムが印象に残っている。ニューヨークにしばらく在住していた佐野さんが、当時のニューヨークの新鮮な空気を思いっきり吸い込んで完成させた意欲作だった。
奇遇なことにこの日のコンサートのメニューは、このアルバムのナンバーを中心に構成されていた。それだけ本人にとっても重要なアルバムだったのだろう。佐 野元春という人は自分にとって、さまざまな音楽にふれてゆく上で、一つの窓口になってくれた人だと思う。
コンサートは2時間半という長さを感じさせない、エモーショナルで完成されたロックンロール.ショーであった。キョンさんを始めサポート.ミュージシャンのプレイは磐石、佐野さんの魅力的なパーソナリティーもよく伝わってきた。
アンコールでの佐野さんの「僕も君達を応援するから、君達も僕を応援してくれ」というMC、気持ちがよく伝わってきた。オレもそんな気分。
部屋に戻って、またデモ作り。

2003年7月19日土曜日

2003年7月18日金曜日

2003年7月18日(金)

夜は下北沢440で小林建樹くんのワンマン.ライブを観る。
声がよく出ていて、調子がよさそう。新しいスタートをきって、これからやってゆくぞという意気込みを感じた。ぜひ、これからもどんどんライブをやっていってほしい。

2003年7月17日木曜日

2003年7月17日(木)

文化放送の「フォークトレイン」という番組の収録をする。
よどみなく言葉が出てきて、会話がスィングする。

2003年7月16日水曜日

2003年7月16日(水)

横浜 サムズアップ「ばかっ晴れ祭り2003 ~第1夜~」
◎出演:リクオ、持田ヒロツグ、東京ナンガデフ、アロマティックB
今日はふるい知り合いであるシンガーの高田エ-ジ君が企画したイヴェントにお呼ば
れする。
サムズアップはアメリカやイギリスにありそうなパブ風のライブ.スポット。ブルース.ブラザーズがステージに登場してきそうな雰囲気。
出演者の一人である持田くんは、オレが学生時代に京都でよく対バンになっていたバンドのヴォーカリストだった。照明の阿部ちゃんの紹介で去年、10数年振 りに再会したのだ。彼のステージを観るのは、学生時代以来だった。ハートにしみるいい歌と演奏だった。
この日はイヴェントのタイトル通り出演者がアホなだけでなく、客の方もアホばっかり。飲んで、食って、聴いて、歌って、騒いで、無礼講という感じ。好きやね、こういう雰囲気。
出番まで随分時間があるので、客席後方のカウンターで、他の出演者のステージをみていたら、ついついアルコールが進んでしまう。出番が10時半になった時点で終電は諦める。
本番はワイン飲みながらやる。客とのやり取りが楽しい。客も含めて、そこにいる全員でライブをつくっていく感じが良い。こういうライブが一番楽しい。ライ ブ後も余韻は消えず、ファンキ-.モ-ド全開。始めて会った出演者の人達とも一気に打ち解けて、盃を交わし、盛り上がり続け、最終的にはまた皆でステージ にあがり、パ-カッション叩いて、叫んだり、歌ったりのアホ.セッション。

2003年7月15日火曜日

2003年7月15日(火)

空港に向かう前に尾根さんが車で、金屋町の山間にある「明恵峡温泉」に連れて行ってくれる。

空港に向かう前に尾根さんが車で、金屋町の山間にある「明恵峡温泉」に連れて行ってくれる。

★明恵峡温泉の露天風呂。

この温泉の名前はこの地の出身地である鎌倉時代の高層、
明恵上人からとられている。
実は、少し前に、白洲正子と河合隼雄が対談した「縁は異なもの」という本を読で、明恵上人のことを知り、興味を持っていたのだが、 今日の金屋町訪問はたまたまである。奇遇だなと思う。
明恵上人の話を少し。
明恵は厳しい修行によって、体が宙に浮くようになる。
けれど人がそのことを言いたてると、明恵は、これしきの事は「いみじき事」 でも「神変がましき」ことでもない、修行をすればだれでもできるのだから口にするな、といったそうだ。
多くの宗教はその人が起こした奇跡が証拠みたいになって、 教団ができてゆくけれど、明恵は、そういう形での宗教の成り立ちは、 本来の宗教から外れていることをよく知っていたので、教団をつくらず、 あまり弟子もとらず、一人きりでいたそうだ。
「我は後世たすからんと云う者にあらず。
ただ現世に先ずあるべきやうにあらんと云う者なり」という明恵の言葉が好きだ。
「あるべきやうは何か」と問い続ける過程を自分も楽しめたらなと思う。
明恵峡温泉はロケーションも泉質も素晴らしく、お薦め。
自然を見て、いい湯につかり、とてもすっきりして、体調がよくなった気がした。
帰りは尾根さんがわざわざ関西空港まで送ってくれる。

2003年7月14日月曜日

2003年7月14日(月)

有田 キッチンクラブ ゾロ
夕方4時半頃、JR藤並駅に到着。主催者の尾根さんが車で迎えに来てくれる。
一年ぶりに再会した尾根さんは、髪の毛が肩まで伸びて、しかも金髪。
ライオンみたい。
お店につくまでの車窓の景色はみかん畑とみかん山ばかり。有田市の人口よりみかんの数の方が圧倒的に多いに違いない。
今日のライブ会場であるゾロは、そんな風景の中にぽつりとある。会場内はテーブルをどけても、40席程で満席という狭さ。


★ゾロの前で尾根さんと。

すぐ目の前、しかも同じ目線の高さにお客さんがいるので、本番中、少し目線に困った。 今日はステージの最初から飛ばした。昨日とは、かなり違うメニュー。
地方に行けば行く程、お客さんの年齢層の幅は広がって行く。音楽好きやファン以外の一般のお客さんの割合もぐっと増える。そういう状況の中では、自分の中のオスや野性の露出度が高い自作のレアなラブ.ソングは少し歌いにくい。
でも今日は歌った。かわいい子もいたしね。いつもより少しどきどきした。

2003年7月13日日曜日

2003年7月13日(日)

和歌山市 オールドタイム
朝風呂にゆっくりつかってから、JRで和歌山市に向かう。
市内に着いたら雨が降ってきた。気温もぐっとさがる。
オールドタイムに向かう道すがら、いつものようにピンサロのちょびヒゲおやじに声をかけられる。元気そうでなにより。
今日はマスターのボビーこと松本さんがオープニング.アクトをつとめてくれた。
いい声である。
8時半からオレの出番。
ライブの途中で、ふと、お客に質問したくなる。始めてオレのライブを観に来た人に挙手をお願いしたら、数人程で、後はリピーターばかりだった。
一番前に座っていた女性二人組が手を上げていたので、どうして来る気になったのかと聞くと、川村結花さんのライブのゲストにオレがたまたま出ていたのを観 て、興味を持ったとのこと。二人とも恥ずかしそうにしているので、余計にいじりたくなり質問を続ける。
今日はバラード中心の選曲。いつも以上に気ままに、好きに歌った。まず、自分が気持ちよくなることである。

2003年7月12日土曜日

2003年7月12日(土)串本 潮岬病院

曇り時々晴れ。
午前11時、串本駅に到着。
串本は本州最南端に位置する海沿いの町である。台風が本州に上陸するときに、よく串本の沿岸からテレビ中継が入るので、名前だけは知っているという人が多いかもしれない。
このあたりはテ-ブル珊瑚の群棲地で、海は透明度が高くて、美しい。ダイビング、フィッシング、ホエールウォチングができ、橋杭岩、潮岬灯台などの景勝も多い。少し足をのばせば、熊野那智大社や那智の滝があり、温泉街でもある。
非常に見どころ、楽しみ所の多い場所なのだ。
今日は潮岬にある精神病院で知的障害を持つ患者さん達の前で、音楽療法の一環として演奏する。
今日のライブをブッキングしてくれた岡野さんは、開演前まで、患者さんを前にして、オレがうまく対応できるのか心配している様子。オレは前にもこういった患者さん達の前で演奏する機会があったので、そんなに不安はなかった。
今日は、手拍子やコール&レスポンスなどで、なるべく患者さんに参加してもらえるよう、ビートのある曲を中心に選曲する。
途中から患者さん達にタンバリンとカスタネットをくばってもらって、演奏中、好きに叩いてもらう。みんな、ほんまに嬉しそうに参加してくれた。
特に「ミラクルマン」の大合奏が面白かった。みんなそれぞれが好きに叩いていて、リズムはばらばらだったりするのに、ちゃんと一体感とグルーヴがある。グルーヴとは「高揚感」、「ときめき」なんだと実感。

★ ライブ風景。

3時前にはライブが終わったので、その後ホテルにチェックインして、夜の会食までゆっくりする。
宿泊先のロイヤルホテルは丘の上にあって、部屋のベランダからは紺碧の大海原を見下ろすことができる。左手には橋杭岩、右手には大島がみえる絶好のロケーション。
さっそく1階にある温泉につかる。
露天風呂から大平洋をながめながら、ゆっくりと湯につかる。

★ホテルの部屋から撮影。

夜は院長先生、岡野さん他、病院の職員の皆さんと会食。
潮岬病院では年に3回はこういうライブを企画しているそうだ。
音楽療法は患者さんにとても効果があるとのこと。
ある職員の方から、いつもは無口な患者さんが今日のライブの後に、とてもよかったと弾けた表情で嬉しそうに話していたと教えてもらい、嬉しくなる。岡野さ んからは今までの病院のライブの中で一番、盛り上がったと言われる。夜中に部屋に戻って、また湯につかる。


 ★ 鯨の刺身をいただきました。美味しかったあ。

2003年7月11日金曜日

2003年7月11日(金)田辺 カフェモーク

曇り、時々晴れ。
朝食の後、今日も屋内プールで泳いでから、温泉にゆっくりつかり、部屋に戻って昼寝。午後からマウンテンバイクを借りて、海沿いをしばらく走る。人気のない場所にマウンテンバイクを置いて、おもいっきり海に向かって歌う。気持ちよかった。




★ここから海に向かって歌った。

5時頃、店入り。
モークは海を見下ろせる丘の上にある洒落たギャラリー&カフェ。
晴れた日の夕暮れ時には、美しい夕陽が水平線に沈んで行くのを店内からながめることができる。去年は実に美しい夕陽を拝んだのだが、今年は残念ながら曇り 空のため観れなかった。今日のオレのライブはカフェのスペースで行われた。ギャラリーの方では大阪在住の若手陶芸家、藤岡貢さんの陶器の個展が開催中だっ た。見学させてもらった中で、特に印象に残った陶器を一つ購入させてもらう。ラインの美しい、洗練されたデザイン。このお店のママ、谷口かずみさんと初対 面したのが、もう10数年前。それから長いブランクがあって、去年の6月のモークでのライブが久し振りの再会であった。そのときにはヤマサキくんが急遽、 パーカッションで参加してくれた。彼は田辺の隣町の白浜出身で、かずみさんには10代の頃によくお世話になっていたという縁があったのだ。ちなみにオレは 御盆の時期には毎年、ヤマサキくんの故郷である白浜でゆっくり骨休めすることにしている。
和歌山県内は白浜以外にも今までプライベートで串本、古座、勝浦、新宮、那智、熊野、川の湯といろんな場所を訪問している。和歌山は自分にとって色々と縁の深い場所なのだ。
大体、和歌山県内を4ケ所もツアーする人っていないと思う。実は和歌山でゆっくりしたいがために組んだツアーでもあるのだ。
今日はかずみさんの紹介で柳沢がく君というパ-カッション奏者と初対面、本番で2曲セッションする。がく君はジャンべを叩く。いい感じだった。
彼はオレと同じ京都出身で、紀州の風土が気に入って数年前にこちらに移り済んできたそう。
客席も満員で嬉しい。和歌山ツアー初日のライブ、いいスタートがきれた。

2003年7月10日木曜日

2003年7月10日(木)

今日から和歌山県内4ケ所、5拍6日のツアー。
今回のツアーの裏タイトルは「リクオ温泉三昧ツアー」である。
関西空港からJRに乗り、和歌山駅で乗り換え、紀伊田辺で下車。
曇り空から時々、晴れ間がのぞく。かなり蒸し暑い。
駅前から送迎バスで宿泊先である海沿いのリゾート.ホテル「東急ハーベストクラブ」
へ。今日から連泊でツインの広い部屋をとってもらった。




★ 夕方、ホテルのベランダから撮影。いい景色。

午後5時前にチェック.イン。
すぐにホテル内のジムに行って汗を流し、プールで泳ぐ。その後は温泉。
ライブは明日なので、夜はゆっくり、だらだらと過ごす

2003年7月7日月曜日

2003年7月7日(月)

水戸から東京の部屋に戻って、息をつく間もなく再び外出。渋谷の楽器屋で、オーディオ.インターフェース、ミディ.インターフェースとスピーカーを購入。その楽器屋で
偶然、ヤマサキくんに出会ったので、ルノアールで少しお茶。
その後、小林建樹くんの仕事部屋にお邪魔して、デジタル.パフォ-マンスとオーディ
オ.インターフェースをオレのI-bookにインストールしてもらい、デジタル.パフォー
マーの使い方を教えてもらう。頭がパンクしそう。小林くんには夜中までつきあってもらう。感謝。しかし、オレはちゃんと使いこなせるんやろか。

2003年7月6日日曜日

2003年7月6日(日)

水戸ガールトーク
水戸に行く前に「あぶらすまし」の三ヵ田くん、松崎くんの案内で小名浜の海沿いにある水族館「アクアマリンふくしま」へ行く。いや~、ここの水族館はお薦め。


★鰯の群れ。アクアマリンで撮影。7/6ふくしまアクアマリン1  その後、すぐ近くの、海を展望できる温泉で、ゆっくり湯につかる。
最近のパターンやね。

★湯上がり直後、くつろぐオレ。松崎君撮影。

7/6いわき温泉 ゆっくり湯につかった後は海鮮料理をいただく。
★リクオの昼食。ウナギ、ホタテ、タコ、ウニ、鯛、ヒラメ、マグロ、甘エビ、カニ入り味噌汁と、なかなか豪勢な海鮮料理でした。

いわきでゆっくりし過ぎて水戸のガールトークについたのが、夜の6時前。
7時50分頃、開演。
昨日、ソニックでもらった機材を本番でさっそく使用するも、うまく作動せず、がっかり。

 

2003年7月5日土曜日

2003年7月5日(土)福島県いわき市 ソニック

上野駅から常磐線に乗って約3時間かけて、いわきに到着。
電車からホームに降り立った瞬間、乾いた風が肌に触れて心地よい。東京の蒸し暑さ
とは別世界。その一瞬で、やはり旅はいいなと思った。東京を出る時は色々と考え事が多くて、ライブをやる気分じゃなかったのだが、この気候に触れただけで 少しリフレッシュされた。今日はリハーサルでトラブルが発生。用意されていたお店のエレキピアノが故障。急遽、近くの楽器屋から別のエレピをレンタルして もらってリハーサルを開始したら、今度はダンパー.ペダルが効かない。う~ん、困った。
取りあえず開場時間も近付いているので、ペダルを使わなくてもできそうな曲、ペダルを使わなくても聴かせられそうなアレンジをアレコレ考えながら、リハー サルを進める。そうしたら6時40分頃に新しいエレピが到着。急いでセッティング。今度は大丈夫。リクオ史上初のペダルなしライブを覚悟してリハーサルを しいたので、ほっとした反面、少し残念な気持ちも。だから本番では1曲、ペダル必需のバラード.ナンバーで、わざとペダルなしの演奏を試みる。すごく集 中。新鮮だった。
お客さんやスタッフの笑顔に救われた一日だった。
今日のライブでオ-プニングをつとめてくれた地元のアコースティックバンド「あぶらすまし」の3人は、近くの水族館で働いているということなので、明日、水戸へ行く前に、その水族館へ案内してもらうことにする。
打ち上げのときにソニックのスタッフから、ある機材を譲り受けて感激する。
8/5下北440で使用する予定。

2003年7月3日木曜日

2003年7月3日(木)

最近、ある企画のために、ピアノ録音用のスタジオを探している。今日はキーボード.マガジンの編集長である西本さんの紹介で、渋谷にあるスタジオを見に行く。
スタジオの中には2台のスタインウェイが置いてあった。その内の1台はニューヨークのカーネギーホールにあった年代物(1880年代に生産されたのもだそう)のピアノをわざわざ日本に持ち込んだそう。
さっそく、2台とも試奏させてもらう。
どちらもすごく弾きやすい。微妙なタッチにもしっかり反応する。音色は深く、味わいがある。楽器がよいだけではなく、管理と調整も行き届いている。愛情が 注がれているから余計に鳴りがよくなる。今まで弾いてきた、どのスタジオのピアノよりも良い音。いい楽器との出会いに胸が高鳴った。
スタジオ見学の後、渋谷で打ち合わせ。最近、打ち合わせばかりしている。
部屋に戻ってから久し振りに、仕事部屋の掃除&衣替えに取りかかる。今月中にある程度の宅録環境を揃えてしまうつもりなので、その準備のための掃除でもある。

2003年7月1日火曜日

2003年7月1日(火)

市ヶ谷にあるスタジオでレコーディングの最終作業であるマスタリングをやる。
いい仕上がりである。苦労した甲斐があった。
その後、夕方から恵比須で打ち合わせ。
最近、「人にゆだねることの大切さと難しさ」を実感している。

2003年6月30日月曜日

2003年6月30日(月)

最近、部屋で一番よく聴いている音楽がディスコ。今 日も起きがけから‘70年代、’80年代の懐かしいディスコ.ナンバーを聴きまくる。今日のオレのヒット.チャート1位はMの「ポップ.ミュージック」。 テクノ系やね。盛り上がった勢いで、そのまま曲作り。夕方から玉城あやちゃんがヴァイオリンで参加しているミュージカル「天翔ける風に」を観るために池袋 の芸術劇場へ出かける。池袋に到着したらまず、サンシャイン.ビル内にある水族館へ行く。心地よい時間。


 ★ 水族館でうつぼを撮影。 



7時からミュージカルが開演。
演技、台本、音楽、照明それぞれに適当なところが少しもなく、緻密で、よく練られ ている。舞台にかける時間と労力は大変なものだろうと思った。
この舞台に比べると、今の自分のステージはお気楽である。小さなライブ.スポット で演奏するスタイルは好きなので、これからも続けてゆきたいのだが、今日の舞台の ように、多くのスタッフといっしょにアイデアを寄せあい、時間とお金をかけて、大 きなホールで、演出、舞台、照明、音響にも凝った、エンターテインメント.ショー を展開するツアーもやってみたいと思う。
舞台を観ていて、色々と気付いたり、感心させられることもあったけれど、ミュ-ジ カルというもの事体に慣れていないせいもあって、前半はその乗りに少し戸惑った。
「なんでそこで急に歌い出すねん?しかも言葉の乗せ方、むちゃ強引やん」、「なん で、そんないっつも大声を張り上げとんねん?」などと心の中でつっこんでしまう自 分がいたり、他の人が笑うところで笑えなくて、誰も笑わないところで笑えてしまっ たりということが多かった。
それでも2部からは随分観慣れてきて、ストーリーに入り込めるようになった。そう すると野田秀樹の脚本の面白さが次第に伝わってきた。歌詞のヒントになるようなフ レーズも、もらった。
終わってみれば、色々と楽しめる舞台だった。あやちゃんのヴァイオリンもかなりフ ィーチャーされて大活躍していた。
舞台がはけた後、あやちゃんと近くの居酒屋で乾杯。
彼女もミュージカルでの演奏は始めてで、色々と勉強になっているとのこと。ただ、 もう数週間、舞台が続いていて、ずっと決められたフレーズばかり弾いているから、 アドリブを弾きたい欲求がたまっているそうだ。
そうそう、あやちゃん率いる、「たまきあや.すとりんぐ.かるてっと」のデビュー. アルバム”What’s Luck?”がミディ.クリエイティヴからついに発売されました!華 麗でグルーヴィー、ほんま楽しいアルバムです。ぜひ皆さん聴いてみて下さい。

 

2003年6月29日日曜日

2003年6月29日(日)

またもや渋谷。
今日は渋谷クアトロでテキサスからやってきたアサイラム.ストリート.スパンカーズというバンドのライブを観る。スイング.ジャズ、カントリー、ブルース といったルーツ音楽を奏でるアコースティック.ジャグ.バンドで、日本だとバンバンバザールが、このバンドの音楽性や雰囲気に近い。
この日のライブは、各々の歌と楽器には一切、マイク、アンプ類が使用されず、ステージの中央にマイクが2本立てられているだけの、限り無く生音に近い演奏 だった。これが実にいい音。大音量よりもかえって演奏の細かいニュアンスが伝わってくるように感じた。演奏と歌の素晴らしさに加えて、サ-ビス精神も満 点。とにかくメンバ-全員が芸達
者、芸人揃い。
楽曲も面白い。サビで、客席もいっしょに「ビール、ビール、ビールetc.」と連呼する歌が最高だった。コカイン、ヘロイン他いろんなドラッグを試してみ たけど、やっぱりオレはビールが最高だ、というような内容の歌詞らしい。実際にその曲のヴォーカルを担当したメンバーはステージで、「何本飲んだら気いす むねん?」ちゅうくらいずっとビールを飲みっぱなしだった。なるほど、あのお腹はビ-ル腹やったんやな。
客席で3時間立ちっぱなしでも、ずっとステージに釘付け、まったく飽きることのない素晴らしいライブだった。 ステージと客席の一体感も最高で、ラブ&ピースに満ち満ちた空間は非常に居心地が良かった。
多いに触発され、帰り道ではもう頭の中で曲作りを始める。部屋に戻ったら、すぐに鍵盤に向かう。
前からフランク.シナトラの「マイ.ウェイ」、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、そしてラスベガスのエルビス、エディット.ピアフの「愛の讃歌」なんかに 通じるイメジの曲を、楽しみながら、真剣に作りたいなあと思っていたのだが、ライブの帰り道で、そのイメージで歌詞とメロディーが同時に浮かんできたの だ。
数年前にクレイジーケン.バンドのライブを観た時に、ライブのハイライトで横山剣さんが「マイ.ウェイ」を熱唱して、感銘を受けたことがあった。パフォー マンスであり、真剣でもある、お笑いであり、大マジであるという、裏腹な感じと、やるからには徹底的に、なりきってやる覚悟と潔さが、カッコよかった。今 回の曲作りにあたっては、そのときの剣さんの姿を思い出したりもしている。
K-1 JAPANN参戦の新日本所属レスラー、中西学は惨敗。あまりにも芸のない負け方だった。本当に不器用で、即時対応のできない人なんだなと思った。けれど、これだけ恥をかいてバカになれるのは、すごいことかも。

2003年6月28日土曜日

2003年6月28日(土)

◎場所:渋谷ON AIR WEST 東京百歌 Vol.34
◎出演:Rikuo/篠原美也子/奥井亜紀/橘いずみ/
    松ヶ下宏之【opening act】/kaoru
楽器のトランポがあったので、マネ-ジャ-二郎さんが、昼過ぎに部屋まで車で迎えに来てくれる。寝不足と、軽い二日酔いで、しゃきっとせず。今にも雨が降り出しそうな曇り空。湿度が高く、嫌な気候。梅雨である。
今日も渋谷。人多過ぎ。
先月、仙台百歌に参加させてもらったときにも感じたことだが、このイヴェントのお客さんは、うぶで素直な感じ。新鮮な反応が帰ってくるので、やっていて面白い。いい盛り上がりだった。
早々に出番が終わったので、客席や楽屋のモニターから他の出演者のステージをのんびり観させてもらう。
奥居さんからはひたむきさを、いずみちゃんからは力強さを、篠原さんからは場を支配する力と貫禄を感じた。

2003年6月27日金曜日

2003年6月27日(金)

有楽町の不二屋でキョンさんと打ち合わせ。オレはマロンケーキを、キョンさんはティラミスを食べる。二人で面白いことを企てているので、お楽しみに。打ち合わせの後、有楽町の朝日ホールで川村結花さんのコンサートを観る。
いい ライブだった。彼女のつくるメロディー.ラインはほんまに、ぐっとくる。今日の川村さんのライブを観ても感じたことだが、ピアノ奏者は、他の楽器奏者に比 べると、感傷的な表現を得意とする人が多いと思う。もともとそういう人種がこの楽器を選ぶのだろう。自分も感傷的な人間であるから、表現する際には、そい つとの距離感を意識するようにしている。
コンサートの後、渋谷で行われた打ち上げにも参加。
夜中の3時過ぎに帰宅。部屋に戻るなり、上機嫌で鍵盤を弾き出したら、体の横揺れが止まらず、指はもつれ、思うように弾けない。あれ?オレって今日、そんなに飲んだっけ?

2003年6月24日火曜日

2003年6月24日(火)

米沢から東京戻り。
夕方から深沢にあるスタジオで、秋に発売予定のシングル.ナンバー2曲のトラック.ダウン。
予定より時間がかかる。
こちらを優先すれば、そちらが損なわれてしまうというジレンマ。
共同作業だから、自分の直感に、異を唱える者もいる。前向きなせめぎ合い。見方を変えれば、感じ方も変わってくる。言われてみれば、なるほどと感じることもある。かたくなにはならず、相手を信頼する。けれど、自分の直感はやはり大切。
自分が今、何を一番伝えたいのか、ということを問いつめられる作業。
感性が磨かれますわ。
新しい一歩を踏み出しはじめた実感。


★トラック.ダウン作業に没頭する上条氏。