2004年4月15日木曜日

4/15(木)京都 磔磔

 朝10時頃起床。酒と疲れが思いっきり残っている。チェックアウトする前に風呂に入ったのだが、これがよくなかったらしく、余計に気分が悪くなる。
 今日は快晴。
 オレは移動中もぐったり。磔磔に付いても楽屋のソファでしばらく横になる。失敗したあ。
 磔磔はオレとキョンさんにとっては縁の深い場所で、二人が出会った場所でもある。
 自分はかって磔磔の従業員だった。大学を卒業して、就職せずにプロのミュージシャンを目指していたオレを、磔磔のボス、水島さんが拾ってくれたのだ。
 キョンさんは学生時代を京都で過ごし、京都を拠点にした音楽活動を長く続けていた。住まいを東京に移してからもキョンさんは京都によくライブで遠征して きた。キョンさんが参加していたボ.ガンボスやティア.ドロップスのライブを観る為に、オレは学生時代、何度も磔磔に通った。
 当時、キョンさんを観る自分の思いは、憧れと羨望とライバル意識が入り交じり、複雑だった。ステージで観る度に輝いてゆくキョンさんを客席から見つめながら、なぜ自分がキョンさんのいる場所にいないのだろう、という思いにかられたこともある。
 オレがデビューして間もなく、おそらく‘91年頃、自分が出演者として磔磔のステージに立っていたとき、客席を眺めて、はっとした。キョンさんが観に来ていたのだ。まだお互い面識がなかった頃。キョンさんの視界に自分が入ってきたことに興奮した。
 アンコールの時、思いきって、何の打ち合わせもなくステージからいきなりキョンさんを紹介した。さして驚いた様子もなく、キョンさんはステージに駆け上がってきた。ディランの”I SHALL BE RELEASED”をセカンドラインのリズムでセッションした。キョンさんはピアノを、オレはアコーディオンを弾いて歌った。
 これがオレとキョンさんの出会い。

 磔磔には独特の磁場がある。お客さんもプレイヤーもその磁場に大いに影響されて、独特の空間が生まれる。
 磔磔の客席の壁には来日したミュージシャンを歓迎するためにお店のスタッフが製作した立て看板がたくさん張り付けられてる。ステージ上手の壁にはニュー オリンズ.ピアノの巨匠、ドクター.ジョンの立て看板が張り付けられていて、笑顔のドクター.ジョンが5人のピアノマンのプレイを眺め続けていた。 

 今夜もたくさんのお客さんが集まってくれて、最高に弾けた。5人で「ミラクルマン」を演奏したときはサビを合唱するお客さんの声がよく聴こえた。最高の盛り上がり。しかし、個人的は反省点も有り。やは疲れが演奏に出た。密かに明日のリベンジを誓う。

 ライブの後、磔磔にそのまま残って、打ち上げ。水島さんは大病を患って、しばらく断酒していたのだが、今日は結構飲んでいた。元気になって本当によかったけれど、酒はほどほどに(あんまり人のことは言えんが)。
 オレは明日、朝から大阪でラジオ出演があるので、打ち上げの後、トッチーの運転する車で大阪移動。

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