2004年5月30日日曜日

5/30(日)

目が覚めたら、午後2時。だいぶ疲れていたみたいだ。
 近くをしばらく散歩。真夏のように暑い。急激に成長を続ける若葉が青空に映えていた。
 夕方から録画していた映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観る。日本でも去年上映され、かなり話題になっていたが、見逃していた。
 アメリカの銃社会に問題提起する内容で、色々と考えさせられた。もう少し、クールに笑わせてくれるのかと思っていたら、結構直球。面白い作品だったけれど、正義感や使命感にかられるあまり、対象への礼節を欠いたムーア監督の態度には違和感を持った。
 政治やメディアが「恐怖」を煽ることでアメリカ人を支配しているという指摘には説得力を感じた。
 ムーア監督がマリリン.マンソンにインタビューしたときの、マンソンの態度と言葉がとても印象に残った。
 ‘99年にコロンバインの高校で二人の生徒が校内で銃を乱射し、多数の死者が出るという痛ましい事件が起こる。元々過激な音楽活動で批難の対象になりが ちだったマンソンだが、犯人の高校生がマンソンのファンだったということで、一部の世論から集中放火をあびることになる。彼はスケープゴードの対象にされ てしまったわけだ。騒ぎのまっただ中に行われたインタビューでも、マンソンは冷静にみえた。
 監督がマンソンにこう質問する。
「コロンバインの生徒や、あの町の人達に話すとしたら何と言う?」
 彼はこう答える。
「何もだ。だまって彼らの話を聞く。それが大事だ。」
とても知的で誠実な返答だと思った。

2004年5月29日土曜日

5/29(土)

 今日もニキさんのところでTD。体調は今一つ。
午後3時頃、トッチーと氏家さんが顔を出す。作業の合間に、少し、打ち合わせ。
 今日でなんとか全曲分、手をつける。後は6/1、2のTDでキョンさんに参加してもらって、音の微調整と編集作業を行って終了予定。

2004年5月28日金曜日

5/28(金)

 TD作業は一日お休み。
 起きてすぐに昨日TDした音のチェック。
 今日は鼻づまりで体調が今一つ。オレは小さい頃から、慢性鼻炎なのだが、今年に入ってからは、ずっと調子が良かった。そう言えば去年奄美に行ったときに、ユタさんから、鼻炎は自然治癒すると言われた。

 イラクで日本人ジャーナリスト二人が襲撃されたとのニュース。身元の確認ははっきりされていないけれど、二人とも死亡したようだとの情報。
 ニュース番組で、ある自民党の代議士が、また自己責任という言葉をふりかざして、死者にムチ打つようなコメントを述べていた。

2004年5月27日木曜日

5/27(木)

 朝10時頃には目がさめる。少し咽が痛い。布団の中で昨日TDした音源をまた聴き直して、チェックポイントを忘れにないようノートの書いておく。気力充実。
 起きてからも仕事部屋のステレオで音チェック。
 午後からチャリンコに乗ってニキさん宅へ出かけ、TD作業。今日はかなりつめてやる。
 夜中12時半頃帰宅。部屋に戻ったらくしゃみと鼻水が止まらなくなる。

2004年5月26日水曜日

5/26(水)

 今日から錦織さんの自宅スタジオ、アイカランバ・スタジオでクレイジーフィンガーズのライブ盤のトラック.ダウンが始まる。
 ニキさんとの仕事はストレスがなくてよい。ひとえにニキさんの人徳である。
 作業は順調。
 夜中に帰宅して、寝床に入ってからも布団の中で、でさっきTDした音をウォークマン聴き続ける。演奏の臨場感がよく伝わり、興奮する。なかなか寝れない。子守唄には不適切。

2004年5月23日日曜日

5/23(日)下北沢 440(フォーフォーティー『440(four forty)2nd Anniversary~Music From Little Brown~文句なしの夜』

出演:バンバンバザール、Saigenji、リクオ、バランサ
DJ:今野英明(from ROCKING TIME)
 今日のイヴェントは前から楽しみにしていた。最高の組みあわせ。このメンバーで盛り上がらなかったら嘘である。
会場入りするとき、入り口のところで三ヶ田君と松崎君に会う。二人はいわき市在住。地元で「あぶらすまし」というバンドをやっていて、オレがいわきでライ ブをやらせてもうときは、いつもオープニングをつとめてくれる。今日はわざわざ下北沢までライブをみにやってきたのだ。それにしても来るのが早くないか い?せっかくなのでリハ-サル中の会場内に入れてあげる。
         二人はライブを観る以外に、バンバンバザールのメンバーにいわき市でライブをやってくれるよう直談判する使命を地元の音楽仲間達から託されてきたというので、リハーサルの合間にバンバンの福嶋君を紹介する。
 リハの時に皆の写真を撮ろうと思って、デジカメを鞄から取り出し、電源を入れたら、すぐにオフになってしまう。また故障。
 オレの出番はトップ。今日も橋本歩ちゃんに3曲チェロを弾いてもらう。前回よりもさらに呼吸が合う。「幸せと快楽」は、息づかいが伝わる感じで、やばかった。
 今日はさらに隠し玉が。3日前にヤンシーに電話したら昼間の仕事を終えたら間に合いそうだというので、7月の440でのクレイジーフィンガーズ 2DAYSの煽りの意味もあって、急遽飛び入りしてもらう。二人だけでのセッションは初めて。ニューオリンズのスタンダード「BIG CHIEF」を弾きながらヤンシーを紹介。続けて「MICK'S BLESSING」と「ミラクルマン」をツイン・ピアノで演る。やるなあ、ヤンシー。会場は盛り上がりまくる。
 ラストの「パラダイス」ではサイゲンジさんのところでパーカッションを叩いている福和さんにジャンベで参加してもらう。心地よいグルーヴに身をゆだねて最高の気分。
 いい汗かいた後は客席で飲みながら後のライブを楽しむ。
はじめて観たバランサは、サンバやショーロのアレンジでオリジナルをやる実にハッピーなバンドだった。身体揺れまくり。
 サイゲンジのステージ・パフォーマンスはより凄みを増した感じ。圧倒されて、時々、身体を揺らすのも忘れた。
 トリをつとめたバンバンバザールは、それまでの盛り上がりに惑わされることなく、終始腰の落ち着いた味わいのある演奏を聴かせてくれた。力の抜き具合が心地よい。3人になってからのバンバンは成熟の度合いを増している。
 打ち上げはバランサのメンバーが中心になって、歌声喫茶状態。
 今日のライブには事務所を辞めたばかりの二郎さんも観に来てくれて、打ち上げにも参加。打ち上げの途中でトッチー、二郎さん、オレの3人でクレフィンの今後について等、熱く語り合う。
 こんな話をしていたから、打ち上げでは乗り損なってあんまりバカになって弾けられなかった。

2004年5月22日土曜日

5/22(土)

 ウィルパワーの事務所で、クレイジーフィンガーズに関する打ち合わせ。
まず、7月末発売予定のライブ盤の選曲。
 それから次のスタジオ盤について、意見を出し合う。
 二郎さんのいない打ち合わせは初めて。二郎さんは今月、半ばにウィルパワーを退職した。それは、オレや他のスタッフにとっても、多分二郎さん自身にとっても、残念なことだ。オレのマネージメントはトッチー戸塚が引き継いでいる。

2004年5月20日木曜日

5/20(土)長崎 JB TRICK

 午前10時にホテルをチェックアウト。眠い。熊本から鳥栖駅で長崎行きに乗り換えなのだが、車中、寝ていて、ふと気付いたら停車していたので、慌てて下 車したら、1駅前の久留米駅だった。気付いた時には、もう電車は動き始めていて、ショック。その後、すぐに普通列車が来てくれたので、鳥栖駅での乗り継ぎ に間に合う。
 今日でライブ5連チャン。遅くまで歌って、飲んで、騒ぐ毎日の割には元気。昨日、汗をたくさんかいたのが、よかった気がする。なんか気分がすっきりしている。
 長崎は生憎の雨。今日は修学旅行のシーズンで市内のホテルがどこも満室だったので、カプセルホテルに泊まる。ここのサウナ風呂がなかなかよかった。リハを早くに終わらせて、本番前にゆっくり湯につかり、その後30分程仮眠。体調OK。
 JB TRICKで今年の1月に初めて演奏させてもらったときの動員は悲惨だった。マスターのアオジ君が、なるべく早くにリベンジしたいとのことで、実現した今回ライブは席がほどよく埋まって、よく盛り上がった。サンキュー、アオジくん。
 ライブの後、JBで打ち上がり、一通り盛り上がってから、アオジ君にお願いしてパニック.パラダイスというお店に飲みに連れて行ってもらう。そこは、自 分が‘96、7年にオリジナルラブのツアーに参加して長崎に来た時、何度か飲みに行って、とても印象に残っていた店なのだ。とにかく、マスターの酔いどれ ぶりと、音楽へのこだわりと愛情が強烈だったのだ。
 地下の店へと続く階段を降りて行くと、ドアの向こうから、とてもいい感じのラグタイム・ギターが聴こえてきた。曲は”AIN'T NOBODY BUSINESS”。一瞬、有山さんのCDかと、思ったけれど違うようだ。ドアをあけると、すぐ側にDJブースがあって、そこには、すっかり白髪が目立つ ようになったマスターが、座っていた。嬉しくて、いきなり「この演奏、いいですね。」と声をかける。マスターはオレのことを覚えていなかったようだけれ ど、にっこりと笑顔を返してくれる。前とは印象の違う穏やかな表情。
 曲は続いて「ディディ・ワッ・ディディ」。前曲と同じ人の演奏のよう。これ、誰?気になってマスターに聞きに行く。そこのカウンターに座っている男がこ のお店で演奏したライブ・テープを流しているのだと教えてくれる。さっそくその男性に話し掛ける。30前ぐらいと思われるその男性は総一郎と名乗る。自分 も自己紹介したら、彼は驚いた様子。
 実は、彼が東京に住んでバンド活動をしていたときに、オレが彼のバンドのレコーディングに1曲参加していたそうだ。話を聞いている内に自分もその録音を思い出す。録音の時は被せ録りで、バンドのメンバーが立ち会っていなかったので、彼とは今日が初対面。
 総一郎君はその時にオレが録音に参加したことをずっと光栄に思っていてくれたそう。こんなところで会えるなんて感激だと喜んでくれた。オレも嬉しくな る。総一郎君から、お店に置きっ放しになっているハモンド・オルガンがあるので、何かセッションしませんかと言われる。せっかくなので数曲やる。曲は 「ジョージア・バウンド」「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥー・ミー」他。
 セッションの後、マスターも交じって一緒に飲む。マスターの名前が土山さんだということを初めて知る。土山さんは、前日に世界的なジャズ・ドラマーのエルビン・ジョーンズが亡くなったので、喪に服している最中なのだそう。だから今日は酔っぱらっていないのか?
 エルビィンは長崎出身の日本人の奥さんと結婚して、晩年は奥さんと8年間長崎に住み続け、土山さんと深い交流があったそう。土山さんにとってエルビィンはお父さんのような存在だったそうだ。
 土山さんには自分のライブ盤「ROLLIN’」とクレイジーフィンガーズの「ピアノフォルテ」をプレゼントする。さっそく「ピアノフォルテ」をお店でかけてくれる。
 前回に飲みに来た時も感じたのだけれど、このお店のPAシステムは素晴らしい。部屋鳴りもよくて、音に臨場感が出る。
 おお、クレフィンかっええやん!
 次にエルビィンのアルバムを聴く。 ‘70年代のヤン.ハマーが参加してるやつ。すごい迫力。
 次に土山さんがオレのライブ.アルバム「ROLLIN’」を大音量でかけてくれる。このアルバムを今まで聴いた中で、最高の音だった。
 オレはレコーディングの時に聴きまくった後は、熱心に自分の作品を聴き返すことが少ない。たまに聴き返すと、反省点ばかりが気になったりする。こんなに じっくり自分の過去の作品を聴くのはめずらしいことだ。特にライブの後、打ち上げの時にお店の人が気を聞かせてオレのアルバムをかけたりすると、落ち着か なくて、やめてほしいなと思うことが多い。それが、今日はちっとも嫌じゃなかった。3人で聴き入ってしまった。すごく気持ちよかった。自分はいい作品を 作ったんだと実感できた。
 すっかり夜も更けて、土山さんが最後にオレにリクエストを求めたので、アリシア・キーズを注文。「YOU DON'T MY NAME」ときて「IF I AIN'T GOT YOU」。最高。
 総一郎くん、土山さんと抱擁して店を出る。BGMはロバータ・フラック。
 いい夜だった。

★開演前に街をぶらついて、路地裏で撮影。

2004年5月19日水曜日

5/19(金)熊本 バトル.ステージ

 ほとんど一睡もできず、早朝のJRに乗って熊本へ向かう。
 午後11半時頃到着。熊本は小雨ぱらつく生憎の天気。
 時間が早くてホテルにはまだチェックインできないので荷物だけ預けて、通町筋にあるカフェでランチを食べて一服。大学ノートを広げて日記をつけたりする。
 今回のツアーはノートパソコンを持って来ることができなかった。ツアー直前に故障して、現在修理中。しばらく使えないことがわかったときは、かなりショックだったけれど、いざ使わなくなると案外平気。
 熊本は繁華街が集中していて、街に中心があるのがよい。通りに小さな古着屋や、中古レコード屋、カフェが並んでいたりすると嬉しくなる。地方にゆくと、 郊外に大きなショッピングモールが出来たりして、街が空洞化してゆく傾向が多くみられる。その街の文化を作って行く上で、あまりよいこととは思えない。
 ホテルにチェックインしたら1時間ほど横になって、4時頃バトル.ステージに入る。PAの吉田さんが家業を継ぐために辞められて、前まで照明を担当して いた寺崎くんがPA担当になっていた。彼は最近、27歳の若さで代表の林田さんから店長をまかされたそう。今日の照明は林田さんが担当。 
 バトル.ステージはスタンディングで650人収容の、いわゆるデカ箱のライブハウス。これぐらいのキャパになるとお店のスタッフの顔が見えにくくなるのだが、ここのスタッフは距離が近い。愛情を感じる。
 オープニングアクトは、辻川さん率いるピアノ・トリオ・バンド、ウォール・フラワーズと、ピアノ弾き語りの草野弘美ちゃんの2組。皆ピアノつながり。
 弘美ちゃんは、オレがキーボードマガジンの付録CDで弾いているブギウギ・ピアノをコピーして、ステージで弾いていた。辻川さんは彼女のオリジナル曲の中にオレと同じ「雨上がり」というタイトルの曲がある。
 林田さんがはりきって照明をやってくれたせいもあるのだろう、今日のステージ上はとにかく暑くて汗が大量に噴出。のどが乾く。ライブの途中で、ビールを注文。客席に一緒に乾杯しようと呼び掛けると、反応よく立ち上がりだす人がいたので、全員起立して乾杯。
 今日もしっかり打ち上がる。結構体力あるなあ、オレ。

2004年5月18日火曜日

5/18(火)大分県佐伯市 あぶり屋

 3年ぶりの佐伯。
   今日のライブの主催者である神田さんに、初めて会ったのが約8年前。場所は高円寺のライブハウス、ジロキチだった。
 ライブを終えたばかりの楽屋に、いきなり入ってきて、自分の町に歌いに来てほしいと直談判してきたのが神田さんだった。佐伯でのライブが実現したのが、その2年後。自分が長くお世話になった事務所を離れて間もなく、今のようなツア-暮らしをはじめたばかりの頃だった。
 それから神田さんも自分も、それなりに色々あって、神田さんは10年以上続けていたブティックを閉めて、その後何度が仕事を変えられた。浮き沈みのある数年間を送ってこられたようだけれど、再会した神田さんはとても元気そうだった。
 あぶり屋は地鶏を食べさせる、いわゆる居酒屋である。40席もないスペースにステージをつくり、楽器とPA機材を持ち込んでのライブ。色んな場所で演奏するけれど、居酒屋ライブというのは、めずらしい。
 ライブは大宴会状態になった。自分もビールをジョッキで飲みながら演る。客席が盛り上がり過ぎて、アンコールで3曲歌った後も終わらせてくれない。2度目のアンコールにこたえて、リクエストにも2曲応じて終演。
 ライブの後、酔った女性客から「リクオ、エロい!」と言われる。正解。
★地元の人が作成してくれた、ポスター。

2004年5月17日月曜日

5/17(月)宮崎 ウェザーキング

★鹿児島から宮崎へ移動の車窓から桜島を撮影。
 約4年ぶりの宮崎。
 街の様子は特に変わりがないようだ。相変わらず道往く人達の歩くスピードが遅い。街全体がのんびりとしている。
 移転してからのウェザーキングでライブをやるのは初めて。前のバー・スタイルのお店から、本格的な音響と照明を備え、スタンディングで4、500は収容 できそうなライブ・ハウスに様変わりしていた。けれど、会場の奥に前の店から持ってきたと言うカウンターが設置されているのが嬉しかった。
 代表の玉井さんは、以前よりのびのびしていて、若返った感じ。スタッフが皆、感じよい。
 今日のオープニングアクトは「トリニティー」というキーボード、べース、パーカッションからなるインスト・トリオ・バンド。そこにゲストで女性ボーカルが加わるというスタイル。ジャズやボサノヴァを基調としたスタイルで、各人かなりのテクニシャン。
 疲れはかなり残っていたけれど、開演までにはスイッチが入る。
 色んな街をツアーしていると、自分がその場所によって別の人間になれるような気がする。それが楽しい。自分の心の奥にあるものが解放される感じ。今夜のステージは「いかがわしいモード」で行く。
 久し振りの宮崎だったけれど、反応はすこぶる良い。代表の玉井さんからのリクエストで「機関車」をやる。
アンコールではトリニティーの皆さんと一緒に「メロディー」をセッション。
 ライブの後、会場でCDにサインをしていたら、数人のお客さんから「4年間待ってました」と声をかけられた。素直に嬉しかった。

2004年5月16日日曜日

5/16(日)鹿児島 T-BONE

鹿児島空港に付いたら激しい雨。けれど、市内に入ると雨が止み晴れ間がのぞきはじめる、今日も予報がはずれた。
 前日、思いのほか飲み過ぎて疲れが残っていたので、入り時間までホテルの部屋で仮眠をとったりして、ゆっくりする。
 ホテルでテレビをつけて適当にチャンネルを回していたら、NHKでUAが鶏みたいな格好で童謡を歌う番組をやっていて、とてもよかった。自分に子供がいたら、ぜひ見せたい番組。
 今回のツア-中は文庫が2冊、鞄の中に入っている。一冊は矢沢永吉の自伝「ARE YOU HAPPY?」。すごく面白い。「成り上がった」永ちゃんが、その後も、さまざまな困難にぶつかりながら、それを乗り越えて、今度は「HAPPY」をつか み取るまでのストーリー。この人の言語感覚は最高。オリジナリィティーにあふれていてポップ。言葉が実に肉体的で実感が伴っているから説得力がある。
 ちなみにもう1冊の文庫は、町田康の小説。永ちゃんとは対照的。
 夕方5時頃T-BONE入り。マスターの本山さん、主催者で地元のCDショップ勤務の三浦さん、いつも物販などを手伝ってくれるYさんらと再会。Yさん は元々、細身なのだがさらにやせて元気がなさそうに見えたので、どうしたのかと思っていたら、本人の口から先日離婚したことを聞かされる。とても仲の良い 夫婦に見えたので驚く。
 ライブのオープニングはいつものように三浦さんが30分のステージ。とてもよく声が出ていた。新曲が印象に残る。

★オープニングで歌う三浦さん。

自分のライブは今日もよく盛り上がる。最近作った曲も何曲かやってみる。
 ライブ中に一瞬、今から歌う曲が聴いているYさんを傷つけるんじゃないかと気になる。次の瞬間には、ためらいを殺し、集中して歌う。

2004年5月15日土曜日

5/15(土)奄美

今日は奄美でオフ。
 天気予報は曇りで雨もぱらつくとのことだったが、晴れる。ラッキー。
 昼食後、タクシーに乗って大浜公園まで行く。話好きの運転手さんで、乗車中奄美の観光スポットを色々と教えてくれる。
 奄美で最もよく見かける花が紅いハイビスカス。奄美では年中咲いているから地元の人達の間では「バカ花」と呼ばれているそう。
 公園近くの海水浴場は、この暑さのせいで、早くも海水浴を楽しむ家族連れで賑わっていた。自分はそこから少し離れた浜辺に腰を降ろして、ゆっくりする。
 優しい風に吹かれ、波の音と鳥のさえずりをBGMにしている内に、横になって眠ってしまう。

★大浜海岸。
 
 夕方には市街に戻って、チャリンコでアーケード街を散歩したり、教えてもらったら喫茶店でケーキを食べたりする。 夕暮れ時には海岸通りをチャリンコで疾走。
 夜は麓さんと、昨日も一緒に飲んで、カラオケを歌ったMさんらと食事。
 Mさんのお母さんとおばさんはユタ神さんなのだそう。ユタとは口寄せをする巫のことを言う。
 ユタになる人は必ず、気がふれた状態を経て覚醒するそう。その気のふれた状態を地元の人達は「上がる」と言うそうだ。中には上がりっぱなしの人もいるそう。
 この島にはまだ神話が息づいている。

2004年5月14日金曜日

5/14(金)奄美 ASIVI

 羽田から奄美に向かう飛行機に搭乗する前に、天候不良のため鹿児島に緊急着陸の可能性有りとのアナウンス。焦る。
 飛行機は予定より20分程遅れたものの無事奄美到着。アシビの麓さんが空港まで迎えに来てくれる。
 奄美は3日前から梅雨入りしたそう。予報では雨だったけれど、空には晴れ間が覗きはじめる。とても蒸し暑い。Tシャツ一枚でも汗ばむ。
 ホテルにチェックインして麓さんと昼食。奄美名物の鶏飯(けいはん)を食べる。鶏ガラでとった出し汁がうまい。食事の後、麓さんから借りたチャリンコで街を散歩。
 5時頃アシビ入り。セントラル楽器の生さん、ヘイイチさんらと再会。
 アシビでのライブは3回目だけれど、毎回ライブの度にグラウンドピアノをレンタルしてステージに搬入してくれる。かなり経費がかかるはずなのに、その心意気が嬉しい。
 前回はリハーサルの時にそのピアノの弦を2本も切ってしまった。その後、このピアノは板橋文夫さんが奄美に来られた時に使用され、今度は3本の弦を切ら れて、とどめをさされたそう。そのため、今回は別のグラウンドピアノが用意された。リハーサルで弾いてみて、最初はタッチが重く感じたけれど、その内に慣 れてきて、指に吸い付くような感触を楽しめるようになる。特に低域がよくなるピアノだった。

奄美のお客さんは、その瞬間を楽しむことにどん欲だ。ためらいがない。ライブを「観る」のではなく、最初から「参加する」という心構え。 ライブの後、しばらくASIVIで飲んだ後、麓さんの同級生の女性Mさんとその女友達2人に誘われて別の店で飲む。久し振りにカラオケを歌ってしまった。 オレが選曲したのは和田アキコの「あの鐘を鳴らすのはあなた」。自分で言うのもなんだが、歌手にしてはヘタクソだった。キーが高過ぎてん!

2004年5月11日火曜日

5/11(水)東京 下北沢 440(フォーフォーティー)

とーべん祭り ~440 2nd Anniversary~
出演:440スペシャルバンド(三宅伸治vo,g/ウルフルケイスケvo,g/湯川トーベンvo,b/新井田耕造dr)/リクオ/ザ・ウェンディ&ザ・リサ(かわいしのぶ&GRACE)/THREE PIECE OF COMMUNICATION(from山形)
 今日は湯川とーべんさん主催のイヴェントに出演。とーべんさん他、出演者のウルフルケイスケ君、三宅さん、新井田さんらは、古くからの知り合いなので、久し振りの再会が嬉しかった。

★手前からトーベンさん、三宅さん、ケイスケ君。
★リハーサルの合間にカズーの練習をするウルフルケイスケ君。
 
 出演者もお客さんもの笑顔の絶えない、とてもいいイヴェントだった。
 告知はしていなかったけれど、自分のステージでチェロ奏者の橋本歩ちゃんに参加してもらう。歩ちゃんとは去年の9月、ストリングス.カルテットの一員としてライブに参加してもらってからの付き合い。デュオでの共演は初。
 チェロとのデュオは、最近、ずっと試してみたいと思っていた。ベース楽器とメロディー楽器のどちらでも成り立つ特性と、この楽器の持っている音域と音色は、ピアノとの相性がよい。
 歩ちゃんは品性と野性を兼ね備えたプレイヤー。オープン・マインドで音楽を楽しむ姿勢が、とてもいい。主張するだけでなく、感じ取り、受け入れる才能に すぐれている。これは音楽に限らず、大切な力だと思う。自分の中にあるリミッターをはずしてゆくことによって、彼女はさらに才能を開花させてゆく気がす る。
 今日は440の2周年を記念したイヴェントでもあった。440は自分がライブ・ハウスに思い描く理想の多くを実現している。スタッフの皆には、いつもよくしてもらって、ほんま感謝。おめでとう。これからもよろしく。
 

2004年5月8日土曜日

5/8(金)西ノ宮 RJ&BME’S

RJでのライブは4度目。40席程の小さなブルース・バー。お客さんがとにかく近い。ライブ中も客席の照明を落とさないので、全員の顔がはっきりと見える。
 最初はどこを向いて歌うべきか、少し戸惑う。でも、すぐ慣れる。
 RJはライブの度に、その日の為だけの特製カクテルを用意してくれる。
 今回のカクテルの名前は「RIKUO FOUR」。ちょっと、ひねりが足らんな。
 今日はお客さんのドリンク・オーダーがたくさん出ていた。飲みながら観てもらうスタイルは大好き。もちろんオレもライブ中に「RIKUO FOUR」を注文。ライブが終わるまでに2度おかわり。
 今日はお客さんをかなりいじる。客席からもつっこみが入って、さすが関西乗り。いい対話ができた。
 よく喋り、よく飲み、よく弾き、よく歌う。
★開演前、カウンターから客席を撮影。

2004年5月7日金曜日

5/7(金)広島 オーティス

 ホテルをチェックアウトした後、広島入りするまで時間があるので、尾道の街をぶらつく。
 まず、昨日、多田の演奏をベースでサポートしていたヨシガキ君がやっている雑貨屋「はらいそ」に顔を出す。
 尾道は路地の多い街で、それが街の味わいの一つになっている。彼のお店はそんな路地裏の民家に挟まれた場所にあった。
 ヨシガキ君が出してくれたお茶をいただきながら、店内でのんびりとした時間を過ごさせてもらう。BGMは高橋ユキヒロさんのライブ。キーボードはキョンさん。ユキヒロさんが歌う「機関車」を初めて聴いた。
 「ハライソ」というお店の名前はこのアルバムの最後に収録されている曲名からもらったそう。「ハライソ」は楽園とか天国という意味。
 ★右手前方が「ハライソ」。

ハライソを出た後、ロープウェイに乗って、展望台から尾道を一望する。千光寺にも行く。
★ロープウェイから撮影。
 昼食は「やまねこカフェ」でランチを食べる。たまたま多田夫人のジュンちゃんがお店を出るところだったので、挨拶。店内のBGMは畠山美由紀。いい声。心地よい。
 夕方4時頃、広島オーティス着。
 マスターの佐伯さんは、自身もギター&パーカッション奏者で、実にさまざまな民族音楽を使いこなす。ライブも精力的に行っていて、先月はなんとノルウェーに招かれて、演奏してきたそう。
 自分が初めてオーティスに来たのが、大学を卒業したばかりの15年前。そのときは有山じゅんじさんに付いてのツアーだった。
 オーティスでは印象に残っているライブや、シーンがいくつもある。ここに来ると、そのときの感覚を思い出して、いい演奏ができる気がする。
 今日は力を抜いて、響きを大切に歌うことが出来た。この感覚を忘れずにいたい。
 ★マスターの佐伯さんと。

2004年5月6日木曜日

5/6(木)尾道 妙宣寺

 今日も快晴。岡山から在来線に揺られて、尾道駅下車。約2年ぶりの尾道。
 チエックインした後、しばらく街をぶらつく。今日も快晴で気持ちが良い。
 アーケード街を歩くと、シャッターの降りた店ばかり。後で知ったのだが、この街は木曜に定休する店が多いそう。しかも連休明けで休業する店も多かったよう。
 宿泊しているホテル近くのカフェで休憩していたら、尾道在住の知り合いTさんから電話。カフェまで会いに来てくれる。色々と話しする。Tさんは向島に 本格的なレコーディング・スタジオを建設中とのこと。
 このカフェは150年前に建てられた木造の米蔵を改装して使っているそう。天井が高く、とても立派な柱が使われていて、味わいがある。このあたりは 元々蔵通りだったらしい。尾道という街は懐かしくて、文化の香りがする。
 大学時代の軽音の後輩である多田夫妻が2年前に引き続いて今日のライブを企画してくれた。多田は尾道の市役所で働きながら、いまも地元を拠点に音楽活動を続けるシンガーソングライター。
 前回に続いて今回も彼がオープニングアクトをつとめてくれた。彼の書く曲は透明感があってよい。彼の歌を聴いていると、尾道での暮らしを大切にしている ことが伝わってくる。尾道に閉じこもるのではなくて、尾道から世界を眺め、色んな場所につながって行こうとしている感じ。
 ライブはお寺の本堂で行われた。鬼子母神に見守られながらのライブなんて、なかなか体験できない。場の空気に大いに影響を受けて、聖と俗を行ったり来たり。
 前回をかなり上回るお客さんが集まってくれて嬉しかった。

★ここで演奏しました。リハーサル前に撮影。
 打ち上げも妙宣寺の境内で行われる。料理はなぜかタイ料理。辛かったけれど、うまかった。
 多田は大阪から尾道に帰ってきて、地元でネットワークをどんどん拡げているようだ。
 打ち上げの後、まっすぐ部屋に戻るのが少しもったいない気がして、ホテルの目の前の船着き場に腰掛け、海と夜空を眺め、ぼんやり余韻を楽しむ。尾道の夜空に浮かぶ月は美しかった。

2004年5月5日水曜日

5/5(水)岡山 ぱすぽぅと

 昼前に起床。二日酔い。
 今日は午後から客として春一番を観に行く。主に客席後方の芝生席からのんびり観る。しかし日が沈んだら急に気温が下がり、こごえながら観ることに。それでも最後まで観続けて、大阪ローカルの面白さ、素晴らしさを再認識。

 快晴。岡山駅から山陽本線で一駅、庭瀬駅で下車。改札口にマスターのナラムラさんが迎えに来てくれる。駅から車で約5分、ぱすぽぅと着。
 回りは畑と民家ばかり。
 リハーサル中に近所の子供達が音につられて、お店に入って来る。興味津々で聴き入っている様子。1曲演奏し終えたら、その子達が拍手してくれた。
 リハーサル後は、楽屋がないのでテラスでのんびり待機。
 岡山のフリーペーパー、ブルーレコーズを主催する米田くんが観に来てくれて、以前に彼がライブ中に撮影してくれた写真を額に入れてプレゼントしてくれる。
いい写真だった。
 ライブには老若男女、さまざまな世代のお客さんが集まる。自転車で観に来る人もいたりで、御近所さんが多かったようだ。
 今日は子供達にたくさんサインした。 
 マスターのナラムラさんは、もともと放浪癖のある人らしく、36歳まで各地を渡り歩いていたらしい。放浪先のカナダで今の奥さんと出会い、帰国して結婚。3年前に地元近くのこの場所にお店をオープンさせたそう。  ナラムラさんは、この店が普段はライブに触れることのない人達も集うことのできる地元の公民館のような役割を果たせればと考えているそう。  ライブの後にいただいたカレーはフルーティーで美味しかった。

★開演前。テラスで近所の子供達と撮影。

2004年5月2日日曜日

5/2(日)

 昼前に起床。二日酔い。
 今日は午後から客として春一番を観に行く。主に客席後方の芝生席からのんびり観る。しかし日が沈んだら急に気温が下がり、こごえながら観ることに。それでも最後まで観続けて、大阪ローカルの面白さ、素晴らしさを再認識。

 アズミさんーオレにとってのリアル・ブルースマン。ブルーズは渾沌の発露。また最後に泣かされた。
 木村充輝さんー名人芸。木村さんヴァージョンの「ケサラ」を初めて聴く。優しさと包容力に満ちていた。
 中川五郎さんー55才の懲りない子供。
 テリー.ザ.トゥルースーいつまでも消えないときめき。
 LOST IN TIME―また歌心のあるバンドが出現。これはいきそう。
 パンツパンツパンツーこんな奴等が出てくる大阪はやっぱりオモロイ。大注目!
 はじめにきよしー絶妙の間合い。芸人やね。またぜひ共演を。
 サボイ・トラッフルー脇目ふらず、我が道を行く。貫禄のハードロック。
 小谷美紗子ちゃんーアズミさんの「ホワイトソング」をカヴァー。凛として過激。
 山中一平さん―河内音頭でトランス。


 イヴェントの後、片平夫妻、藤原カオルちゃん、ピカリちゃん、ピアノ&トロンボーンの中島さんらと江坂でちゃんこを食べる。あったまった。お酒はチューハイ一杯だけ。
 その後、市内にある温泉にゆっくりつかる。

★山中一平さんのステージに合わせてお客さんが踊り始める。

2004年5月1日土曜日

5/1(土)大阪 春一番2004服部緑地野外音楽堂

★野音の後部芝生席。 
春一番初日。快晴。絶好の野外イヴェント日和。今年は例年より1日増えて、4日間の開催。
 楽屋も客席も知り合いだらけ。春一の若いスタッフ達は皆、とても気持ちよく迎え入れてくれる。会場全体をレイドバックした柔らかい空気が包んでいて、心地よい空間。贅沢な身内のお祭りだと思えば、気持ちも楽になる。空席だらけの客席も、まあいいかと思える。
 でもステージでは、お客さんを巻き込んで会場の空気を変える。毒気のある自分を出す。それが春一番での自分の立ち位置。
 ガラもんのシャツにタイトなスーツ、いかがわしいネックレス、釣り上がったグラサンで装備して、ステージに立つ。
 出番前に客席で思いがけず、古くからの仲間、ヴァイオリン奏者のホンジに再会。明日が出番の彼女は前乗りして遊びに来ていたのだ。せっかくなので1曲 「グレイハウンドバス」でヴァイオリンを弾いてもらう。久し振りの共演だが、彼女が曲を覚えていてくれた。いいセッションだった。
 野外の開放感を味わいながら、いいパフォーマンスができた。共振し始めたら、うまく力が抜けて、お客さんが気持ちよく掌に乗った。
 「ゲレイハウンドバス」「ブギウギ・インスト」「ミラクルマン」「パラダイス」ときて「ケサラ」でしめる。後半は自分の王道コース。「ケサラ」は春一 番のスタッフがラジオ番組に出演して‘90年代の名曲に選んでくれたという話を聞いていたので、感謝の気持ちも込めて選曲。
 ライブの後、この日久し振りに再会した伊藤銀次さんが楽屋に会いに来てくれて、興奮した面持ちで手を差し出し、握手しながら「抜けたね。こうなるのを待っていたよ。」と言ってくれる。嬉しかった。
 ライターのキンタさんもやってきて、ミュージカルをやってみないかと言われる。自分が役者をやるなんて、あんまり考えたことがなかった。
 ギタリストの石田雄一さんも奥さんを連れて、楽屋に会いに来てくれる。
 イヴェントが終わった後は石田夫妻、中川五郎さん、ヒデマロさんらと江坂の居酒屋で打ち上がる。2次回はミナミにくり出す。連れて行かれたお店には、大西ユカリちゃんと彼女のバンド、新世界のキーボード奏者(名前忘れた)の人も飲んでいて、一緒に盛り上がる。
 そのうちオカマの兄ちゃんも参加して、さらに盛り上がる。股間を何回もタッチされまくる。 帰りはまっすぐ歩けんかった。
★春一番の代表、福岡フータさん。本番中、疲れきってスタッフルームで横になっているところを撮影。