2004年8月31日火曜日

8/31(火)

 今日は「ホロビッツが恋に落ちたスタインウェイ」に会うために渋谷の高木クラヴィアに行く。やはり素晴らしい。
 タッチは軽めで、とても深い。ピアニッシモからフォルティッシモまで実に、レンジが広く、繊細な表現が可能。優しいタッチで弾けば、くすんだ柔らかい音 がするし、強いタッチで弾けば、やんちゃでパーカッシヴな抜けのよい音が出る。品性と野性の両方を兼ね備えたピアノである。しかし、それらの魅力を引き出 すにはピアニストの腕と集中力が必要。すぐには、なびいてくれない。とにかく弾き甲斐のある素晴らしいピアノ。
 高木クラヴィアを出た後は、渋谷のカフェで明日のクレフィンのリハに備えて譜面書きをする。

2004年8月30日月曜日

8/30(月)

 夜中にビデオに録画していたクリント・イーストウッド監督の映画「ピアノブルース」を観る。実に貴重な作品。クレフィンのツアーに向けて、気持ちがより盛り上がる。

2004年8月29日日曜日

8/29(日)渋谷7th Floor

 イヴェンターのディスクガレージが主催する「全力投球!!‘04夏」というイヴェントに出演。40分程演奏。
 久し振りに弾いた7th Floorのピアノは、意外に弾きやすかった。でも、乱暴に扱ってしまった。もっと優しくしてやればよかった。

2004年8月28日土曜日

8/28(土)長野県茅野市 くるみ

 新宿から中央線あずさ17号に乗って2時間15分。午後2時過ぎ、茅野駅着。今日のライブを企画してくれたエヴリバディ・ロッキンの木下さんが、駅まで迎えに来てくれる。約2年ぶりの再会。
 今日は東京も悪天候で気温がかなり下がったけれど、こちらはさらに気温が低く、肌寒い感じ。茅野市は標高780メートル。夏は湿気が少なく、涼しくて過ごしやすいけれど、冬は気温が氷点下にまで下がり、積雪もあって、かなり厳しい気候なのだそう。
 今日のライブ会場「くるみ」は、駅から車で約10分、まだ田んぼが方々に残る新興住宅街にあった。山小屋かログハウスを思わせるつくり。店内の雰囲気も とてもよい。開店して18年、普段は喫茶店営業をしながら、定期的にライブをやっているそう。店内には馴染みのミュージシャン達のポスターやチラシが、貼 られたり、置かれたりしていた。友部さんや三宅さんら、知り合いのミュージシャンも何人かツアーで訪れているようだ。
★「くるみ」の外観。
 小池さん夫婦と息子であるケンタロウ君とコウタロウ君の家族4人でお店をやっていて、家族全員が音楽好き。次男のコウタロウ君とは今年の5月に大阪のラ イブ.イヴェント春一番で、既に対面済み。彼は学生時代に大阪に住んでいて、今も春一番にはスタッフとして毎年参加しているのだ。
 リハ-サル前に奥さんの優子さんが話し相手になってくれる。小池さん夫婦は学生時代に、オレの故郷である京都に住んでいたそう。優子さんは京都への思い入れが深いようで、いつか京都に住むのが夢なのだそう。話もはずみ、はじめて来た店なのに随分とくつろぐ。
 お店にはかなり年期の入ったアプライト・ピアノが置いてあった。店の雰囲気にそのアプライトがとてもマッチしていた。例えば、この場所にスタインウェイのフルコンがあっても似合わない。
★「くるみ」店内。
 リハーサルの後、現在諏訪市在住、元古井戸の加奈崎さんが、中学生になる娘のしのちゃんを連れて、お店に遊びに来てくれる。とても元気そう。事務所を離 れてフリーになり、諏訪に引っ越した加奈崎さんは、ひとりでツアーを回るために、40代の終わりに車の免許を取得。買ったのは赤のムスタング。ここ数年、 ツア-先の方々で、「加奈崎さんが赤のムスタングを自ら運転してやって来た」という話を何度も耳にしていた。オレもそろそろ免許取ろうかな。
 木下さんが企画してくれるライブはいつも間違いない。毎回、お客さんをしっかり集めてくれて、とても気持ちの良い環境で演奏させてくれる。大風呂敷を広げ過ぎず、できることをしっかりとやってくれるから、信頼できる。
 今日も気持ちよくリラックスして演らせてもらった。ライブの後、木下さんと固い握手&抱擁。
 今日はもう1人、久し振りの再会があった。元遠藤ミチロウさんのマネージャーである北原さんである。多分、8年ぶりくらいの再会。こっちが田舎で、東京から数年前に帰ってきたんだそう。
 ライブを観た北原さんから「前はもっと堅いイメージだったのに、別人みたいだった。リクオも色々とあったんだね」と言われる。彼女も体調をくずしたり、再婚したり、色々とあったよう。とにかく元気に再会できたのが嬉しい。
 

2004年8月27日金曜日

8/27(金)

 12時起床。さっそく、秩父の鈴木さんに電話。「スタインウェイ戦争」を読んだことを伝える。鈴木さんは、この本の存在をまだ知らなかった。秋には高木さんによる保守点検があるというので、スケジュールが合えば、自分も立ち会わせてほしいとお願いする。
 高木クラヴィアにも電話して、マネージャーの加納さんに本を読んだ旨伝える。久し振りに「ホロビッツが恋に落ちたスタインウェイ」を弾いてみたいので、 個人練習の値段を聞いてみたら、普通のスタジオの値段に比べて、相当に割高だった。それもで、あのピアノが弾けるのなら納得できる。

2004年8月26日木曜日

8/26(木)

 日中は茶店で時間を過ごす。
 なかなか寝つけず、布団にはいりながら、「スタインウェイ戦争」という新書を読み始める。クレイジーフィンガーズのレコーディングでお世話になった高木クラヴィアの代表、ピアノ・チューナーの高木裕さんの半生を描いた内容で、相当に面白くて、結局朝までかけて読み切る。
 自分が秩父でライブをやるときに、お世話になっている鈴木さんが努めているミューズパークという会館に、ニューヨーク・スタインウェイを入れて、ずっと保守点検をやっているのが高木さんであることを、この本を通じて初めて知る。こういうつながりがあると嬉しくなる。
 自分が高木クラヴィアを最初に訪ねた時に、1台のスタインウェイ・ピアノを試奏させてもらった。その音色とタッチは自分がそれまで出会ったどのピアノに も感じたことのない特別なものだった。自分が今まで出会った中で最高のピアノだった。本書にはそのスタインウェイについて書かれた下りがあった。
 そのピアノは100年以上前にニューヨークで作られ、カーネギーホールで使用されていたものが、日本に持ち込まれ、あるホテルが所有した後は行方がわからなくなっていたそうだ。
 クラッシックピアノの巨匠ホロビッツが1986年に来日した際、そのスタインウェイを所有していたホテル側が、ホロビッツとスタインウェイの対面をセッティングする。ホロビッツはたちまちそのピアノに惚れ込んだそうだ。
 古いニューヨーク・スタインウェイの音に惚れ込んでいた高木さんは、その「ホロビッツが恋に落ちたピアノ」を長年探し続けていた。そして、ついに2年 前、アンティークを扱う輸入業者から、そのピアノを購入する。話はそこで終わらず、その後高木さんは、そのピアノをニューヨークのカーネギーホールに持ち 込んでのレコーディングを実現させてしまう。すごい情熱。
 自分が弾いたピアノがそういう背景を持っていたとは知らなかった。やはり、あれはすごいピアノだったのだ。本を読み切った後も、なかなか余韻がさめず、「ホロビッツが恋に落ちたスタインウェイ」にもう一度会いに行きたくなる。

※「スタインウェイ戦争」は洋泉社から新書で出てるので、ぜひ皆さんも読んでみて下さい。

2004年8月25日水曜日

8/25(水)

 今日もキョンさんとプリプロ。途中、ヤンシーもやってきて、新曲のアイデアをいくつかくれる。
 後半はキョンさんが作ってきた新曲のアレンジを考える。

2004年8月24日火曜日

8/24(火)

 午後1時から下北沢のスタジオでキョンさんとクレイジーフィンガーズの次のアルバムに向けたプリプロ。
 オレが持っていった新曲をやってみる。

2004年8月23日月曜日

8/23(月)

プリプロ。今日もピアノのマイキングを色々と試してみる。ピアノの下にマイクを立てたら、中低域が良く出て、柔らかくて、しかもアタックの強い音が録れた。  しかしプリプロは、なかなか進まない。やっと作りたい作品の方向性が見えて来たので、これからピッチを上げたいところ。

 部屋に戻ってからビデオに録っておいた総合格闘技プライドのビデオを観る。ヘビー級トーナメントの準決勝で小川直也がヒョードルと対戦して完敗。
 敗戦の後に、小川がリングでマイクをつかみ、「ハッスルをやらして下さい」と訴えて、客を立ち上がらせ、一緒に「ハッスル、ハッスル」をやってしまった のは笑えた。負けてもハッスルするというのがいい。素直な小川に親しみを感じたが、あんなにいい人になって大丈夫?という気も。
 オレはスポーツや格闘技を観ていて、勝つばかりじゃなく、負けて色気を出せる人、負けを魅せる人に興味がゆく。今回のオリンピックでも、決勝に残れな かったアマレスの浜口京子や、柔道の井上康世が気になった。人は負けを認めることによって、自分と向き合うことができる。そこからまたストーリーが始ま る。

2004年8月21日土曜日

8/21(土)静岡 ガジャ

 前日ガジャに電話したら、お店にあるアプライト・ピアノが、使える状態にないとのこと。しかもデジタル.ピアノをレンタルするあてがないらしい。マジですか?急遽、マネージャーのトッチーに休日を返上してもらい、車に楽器を積んで、静岡まで来てもらう。
 店を仕切っている飯田さんは電話で受けた印象よりずっと若い女性。けっこう美人。陽によく焼けて、アウトドアなルックス。けれど、話すと意外にテンショ ンが低いとゆうかクール、マイペースな感じ。今日のライブに向けた意気込みは特に感じない。ライブを告知するフライヤーやポスターのような物も店内に見か けない。場所も市内のはずれ。大体自分は静岡とは縁が少なく、市内でのライブは今日が始めて。リハーサルの段階で、これは客が来そうにないなと思っていた ら、やっぱり少なかった。
★店内。
本番は飲みながら演る。
 演奏していて自分がロードムービーのワンシーンの中に入るような気分になる。オレは世界の片隅で歌っているなと思う。卑屈な気分ではない。この片隅から 何かが生まれるのだ。そして、ここは宇宙の真ん中でもある。自分は、どんな状況になっても、売れようが、売れまいが、世界の片隅、宇宙の真ん中で、語り、 歌い、踊り、騒ぐことを止めないだろう。
客が少なくても、皆聴いてくれる姿勢があったから、気持ちよく自由に演らせてもらった。
 しかし、やはり空席があるのはよくない。

2004年8月19日木曜日

8/19(木)大阪北浜デタイユ VSサイゲンジ

 デタイユは立ち見で80人程の小さなカフェ。最近は、こういうカフェ・スタイルのお店でライブをやらせてもらう機会が増えている。いわゆるライブ・ハウ スとは違い、基本的に飲食で営業を成り立たせながら、ライブをブッキングするというスタイルが、目立つようになってきたのは、いいことだと思う。
 今日のデタイユや一昨日のイヴェントを主催した黒船屋にも言えることだけれど、地元のお店同士に横の繋がりがあって、情報を交換しあい、互いに協力できる関係が、ある程度築けているのがよい。  今日はリハーサルの途中でサイゲンジのアコギのピックアップが故障。サイゲンジは急遽マネージャーの田中さんと一緒に、心斎橋までギターを買いに行くはめに。
 デタイユは音作りが難しくリハーサルは手間取る。
 ソウルフラワーユニオンの川村君、カフェ・マーサのこゆきちゃん、DJのグルーブあんちゃん、一昨日に続いてカフェ・フィシュの北村君らがライブに遊び に来てくれる。アンコールではアサちゃんが飛び入り。打ち上げには、今日バナナホールでワインマンをやっていたノマドの中井君とケイちゃんが合流。

2004年8月17日火曜日

8/17(火)高松 北浜alley レンガ広場 瀬戸内音楽界

出演/リクオ、saigenji、Asa Festoon
オープニング/ミレカン

 神戸元町でアサちゃん、カフェ・フィッシュ(神戸で頻繁にライブ・イヴェントを企画するカフェ)の北村君と待ち合せして、北村君の運転する車で高松に向 かう。数週間前に北村君から、今日のイヴェントをぜひ観に行きたいとの連絡があり、では一緒に高松まで行こうということになったのだ。
 前日まで、白浜で思いっきり羽を伸ばしていたので、気持ちの切り替えがまだできていない感じ。
 I-モードで調べたら、高松の降水確立は80%。しかも台風15号が近づいているとのこと。神戸の空も厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそう。今日の野外イヴェントは雨天結構だが、果たして大丈夫か?
 明石海峡大橋を越えた辺りで、案の定ぽつりぽつりと降り出して、淡路島に入ってからは物凄い集中豪雨に見舞われる。視界がさえぎられ、運転するには危険 な状況。鳴門海峡大橋を越えても、豪雨は続く。天気がよければ、景色を楽しみながらの移動になったはずだが、そんな場合ではない。高松に入った頃にようや く雨足が弱まるが、とても止みそうにない。
 2時頃に北浜アレイに到着。北浜アレイはフェリ-乗り場の向かいにある海沿いの元倉庫街に、雑貨屋、カフェ、美容院が集まって形成されているお洒落スポット。今回のイヴェントはこの一角で黒船屋というカフェをやっている溝上ケイゾウさんが中心になって企画された。
 リハーサルが始まるまで、しばらく黒船屋で休憩。黒船屋は2階にあって、窓から港をながめることが出来る。とてもいいロケーション。フェリーが頻繁に行き来する光景は、日が暮れると、さらに美しく映える。
 サイゲンジ.チームが少し遅れて到着。サイゲンジは昨日レコーディングが無事終了。その後かなり飲んだらしく、まだアルコールが抜けていない様子。ふらつきながら、「今日は迎え酒で行くしかない」などと言っている。
 雨は一向に止む気配がなく、リハ-サル中には豪雨になる。強い雨音で演奏がよく聴こえない。急遽客席の一部にテントが用意される。こんな状況で開催できるのか?
 ところが、開演前に雨はピタリと止む。イヴェントは無事、時間通りに開催される。奇跡的。
★無事開演。
 オープニングアクトのミレカンのステージが終わって、オレの出番。ステージも客席もお祭り気分。飲んで、歌って、踊って、騒いで、ええ感じ。客席前方 に、気持ちよさそうに体を揺らしているサイゲンジを発見。次は彼の出番なのに、かなりアルコールが入って出来上がっている様子。
 イヴェントの最後に行われたアサちゃんとサイゲンジとのセッションも、開放的な気分でインスピレーションが湧いた。パーカッションの福和君も良かった。
 高松に向かう前のけだるさは、すっかり消え去っていた。音楽最高。
 打ち上げは黒船屋で。関係者もかなり帰って、宴もたけなわを過ぎたところで、ケイゾウさんがブルースをかけはじめる。ビッグ・メイシオのピアノを聴きながら、色々と語り合う。同世代の友達ができた感じ。
★打ち上げで、酔いどれサイゲンジと。
 

2004年8月14日土曜日

8/14(土)~16(月)白浜

 貴重な骨休め期間。白浜滞在中、とにかくよく寝る。心も体もリラックス。体調も上向きに。





★白が浜の砂浜に灯籠が並べられる。
★シュノーケリングをやりながら、釣り糸をたらして魚を2匹釣る。2匹とも後で、海に逃がしてやる。ちゃんと蘇生。
 

2004年8月13日金曜日

8/13(金)田辺 カフェモーク

 白浜旅行中に隣町の田辺でライブ。
 高台にあって、海を見下ろすことのできるモークのロケーションは最高。
この日、お店の窓から眺めた夕陽は最高だった。沈む直前、夕陽は燃えるように、一層赤く染まってから、海に沈んで行った。筆舌にしがたい美しさ。
★お店から沈む夕陽を撮影。実際は、もっともっと美しかったです。
 リハ-サル前にママのかずみさんから、前日に行われるはずだった田辺の花火大会が、高波の為に今日に延期され、客足にかなり影響がありそうだと聞かされる。花火大会は丁度ライブ本番の時間帯に被っているそう。
 お店からも花火が見えるという話を聞いたので、急遽、花火をバックに演奏できる位置に、ステージを移動してもらう。我ながら気の利いたアイデア、演出。花火大会を蹴って、ライブに来てくれたお客さんに、いいプレゼントができた。
 今日は物販のCDがすごく売れた。

2004年8月12日木曜日

2004年8月9日月曜日

8/9(月)初台ドアーズ

出演/リクオ、小林建樹、渡辺シュンスケwith堂島孝平、染谷俊
 ピアノの弾き語りばかりを集めたイヴェントに出演。会場はスタンディングで超満員。お店も気合いを入れて、このイヴェントの為に、わざわざスタインウェイのセミコン・ピアノをレンタル。
 自分の出番はトリ。これだけお膳立てしてもらえると、モチベーションが上がる。今日のお客さんは、すれた所がなく、とても反応がよい。打てば響く。当然、ライブは盛り上がった。
 川村結花ちゃんがライブに遊びに来てくれる。今年に入って、休みが一日もないぐらい働き続けて、ようやく最近休みがとれたそう。一緒に曲を作ろうという話をする。
 渡辺シュンスケ君に出会えたことは、この日の収穫の一つ。始めて観た彼の弾き語りは、ポップでやんちゃ、技術も確かで、新しい才能の登場を感じた。聞けば、オレも知り合いの石崎光君とcafelonというバンドをやっているそう。
 夜中11時過ぎにドアーズを出て、トッチーの運転する車で浦和にあるFM局NACK5に向かう。NACK5でヤンシー、キョンさんと合流。深夜の生番組に出演。3人で生演奏。
★左からオレ、キョンさん、パーソナリティーの落合 隼亮さん、ヤンシー。御覧のように、狭いスタジオにエレピを3台持ち込む。演奏中にヘッドホンのジャックがはずれて、焦った。

2004年8月8日日曜日

8/8(日)しらたか的音楽映画塾 しらたか的コンサート

出演/リクオ、近藤房之助、ハシケン、高田渡、小室等
★リハーサル中にステージから撮影。

 猛暑。ライブ会場は、地面がアスファルトで、照り返しが強く、より猛烈な暑さ。ライブ中に倒れるお客さんもいた。
 そんな中、地元スタッフの皆さんは、精力的に動き回り、その顔は皆、生き生きとしていた。
 イヴェントのトリは房之助さん。房之助さんは、昔、ブレイクダウンというブルース・バンドに在籍、京都を拠点に活動していた。学生時代に体験したブレイクダウンのライブは、自分に大きな刺激を与えた。房之助さんは憧れの対象だった。
 アンコールで突然、房之助さんがステージからオレとハシケンを呼ぶ。キィーはDで、スローブルースをセッション。

 会場を後にするときに、地元のスタッフの皆さんが全員で見送ってくれた。
★地元のスタッフに肩を揉んでもらう渡さん。50半ばにして「おじいちゃん」のたたずまい。

2004年8月7日土曜日

8/7(土)山形 白鷹

 白鷹に前乗り。現地では、前日から「しらたか的音楽映画塾」というイヴェントが開催されていて、オレは、最終日にあたる明日の野外コンサートに出演。
 先ずは宿泊先の温泉宿にチェック・インして、温泉にゆっくりつかった後、送迎バスに乗ってイヴェント会場へ。会場になっている白鷹町中央公民館ホールの 前で、イヴェント参加者である、大林監督、高田渡さん、渡さんの映画を撮ったタナダ監督、近藤房之助さん、小室等さん、地元のスタッフの皆さん等と記念撮 影。その後、出演者、地元の皆さん等と近くの日本料理屋で食事会。郷土料理をふんだんにふるまってもらう。
 向かいの席になったので、主にオレが渡さんの話相手を努めることに。渡さんは、食事には一切手をつけず、飲みながら話し続ける。聞けば、朝から飲んでい るとのこと。渡さんの背中は曲がり、足取りはおぼつかなく、話していてもシラフなのか、酔っているのか、よくわからない。ただ、渡さんは、いつ何時でも、 エンターテイナー。嘘だか、本当だかわからない話も完成度が高く面白い。どんなに酔って、ふらついていても、どこか粋でスタイリッシュ。自分を見失わない 人。
 会場で上映される映画「タカダワタル的」と、その後に行われる渡さんのライブを観るために、小一時間したら、食事会を中座させてもらう。
 映画は、余計な演出を避けて、高田渡という素材を十分に生かしていた。初対面した監督のタナダユキさんは二十代後半、柔らかさの奥に芯の強さを感じさせるチャーミングな女性だった。「よくぞ撮ってくれました、残してくれてありがとうという気持ちです」本人にそう伝える。
 映画上映の後に、司会の女性が渡さんを紹介。しかし、なかなか登場しない。司会の女性が、困って、場をつなげるために話し始めたその瞬間に、渡さんが足 元をふらつかせながらステージに登場。絶妙のタイミングに場内が湧く。すべてが計算された演技のようにも見える。奔放でありながら、完成されていて、名人 芸のステージ。長生きしてください。
 ハシケンに会ったのは、去年の12月以来。痩せて、すっきりした顔をしていた。
★オレの左隣が近藤房之助さん、右隣が大林監督。その横がタナダさん、その横が渡さん。

2004年8月6日金曜日

8/6(金)

元ジュディ&マリーのユキちゃんがパーソナリティーをやっているJ-WAVEの番組にキョンさんとゲスト出演。「ピアノライダー」をキョンさんと二人で、 ボ・ガンボスの「最後にひとつ」をユキちゃんに入ってもらって、3人でセッション。相当に盛り上がる。ユキちゃんもとても喜んでくれた。
 彼女の夫であるYO-KINGこと倉持君とは、デビュー当時からの付き合いで、10年程前までは、真心ブラザーズのレコーディングやツアーにも、よく参加していた。魂解放機構というユニット名をつけて倉持君と二人でツアーしたこともあった。
 そのツア-の前半で倉持君が、尿道結石の発作に襲われ、病院にかつぎこまれたころがあった。幸い、その日の内に無事石が出て、倉持君は本番前に晴れ晴れ とした表情で、病院から戻ってきた。この体験を受けて、倉持君がすぐに「オレのチンポから石が出た」という新曲を作ってきたのには笑った。その曲はツアー 後半の重要なレパートリーになった(「オレのチンポから石が出た」は後に「STONE」と改名され、真心ブラザーズのアルバムに収録される。オレもピアノ で参加。)。オレが出会ったソングライターの中でも、特に倉持君と清志郎さんは自分自身や身の回りで起きた出来事を、すぐに歌にする才能に長けている。
 倉持君への伝言をレポート用紙に書いて、ユキちゃんに手渡す。また気軽に共演できることがあればいいな。
★左からオレ、ユキちゃん、キョンさん。ユキちゃん、かわいかったっす。

2004年8月5日木曜日

8/5(木)

 某FM&テレビ番組の収録の為、都内のスタジオにミキオ君以外のクレイジーフィンガーズのメンバーが集合。40分のスタジオ・ライブとパーソナリティーのハービー山口さんによるメンバー4人へのインタビューを収録。
演奏のテンションはライブ本番並み。終わったら汗びっしょり。クレフィンのメンバーは皆、笑顔が良い。ほんま、楽しそうに演奏する。
 ハービーさんはオレのことを知らなかったらしく、インタビューのときに、「クリオさん」と言われてしまった。
★左からYANCY、Dr.kyOn、ハ-ビ-山口さん、斎藤有太、オレ。

2004年8月4日水曜日

8/4(水)

 ヴィム・ベンダース監督の「ソウル・オブ・マン」という映画の試写会を、東京FMホールで観る。
 去年はブルース生誕100年ということで、アメリカでは、スコセッシ監督が旗ふりになって、7本のブルース映画が制作された。「ソウル・オブ・マン」はその内の1本。
 JBルノアとスキップ・ジェームスが動いているところを初めてみた。割り切れない想いの発露。聖と俗とのせめぎ合い。とてもインスパイアされた。自分の音楽の根っこにもブルースがある。

2004年8月3日火曜日

8/3(火)

午後2時から、アサちゃん、サイゲンジとオレの3人で高松のイヴェントに備えて、初台のスタジオでリハーサル。
 サイゲンジは忘れ物と落とし物が激しい。
 リハの休憩中に、ふとスタジオの床をみたらサイゲンジの保険証が落ちていた。拾って、渡す。リハを終えて3人でスタジオを出た直後、サイゲンジが携帯を忘れたと言って、スタジオに引き返して行った。オレよりひどい。

2004年8月2日月曜日

8/2(月)

 カシオの仕事で、午後4時に代々木公園に集合。
★カシオのエレピを2台ならべて、ミキオ君と合奏しているところを、カメラマンが撮影。ベストショットがカシオのパンフレットに載るそうです。この後、近くの茶店で、ミキオ君とエレピ談義。この対談もパンフに掲載されます。

2004年8月1日日曜日

8/1(日)

 昼間は駒沢のスタジオでクレフィンのリハーサル。元マネージャーの二郎さんが子供を連れてスタジオに遊びに来る。
 夜は、大学の軽音時代の友達等と下北沢の居酒屋で飲む。久しぶりに旧友達とリラックスして語り合う。今でも彼らと音楽の話ができるのが嬉しい。