2004年2月29日日曜日

2/29(日)

 正午0時半に起床。柔軟体操をしてから鍵盤の前に。
 3時過ぎに蕎麦を食う。またしばらくピアノを弾いてから、4時半頃に外出。チャリンコで近所の茶店に。
 一様手袋とマフラーをリュックに入れておいたのだが必要無かった。通りで見かける梅はどれも満開。今年は特に春の訪れが早い。この調子だと4月を待た
ずに、東京の桜は咲き始めるだろう。
 花粉症がここ数日で治まったので、調子が良い。
 キーボードマガジンの最新号が発売になり、自宅に送られてきたので、あらためて自分のコラムに目を通してみた。先月号の方が面白かったかな。
 インターネットのサイト、イビジュカフェで毎日更新されているターザン山本の日記とコラムが面白くて、最近、読むのが日課になっている。この人は恋愛
至上主義者であり詩人である。あそこまで具体的にさらけだして書くことは自分にはできない。身体を張ったエンターテインメントだと思う。
 晩飯を食べた後はよく眠くなる。テレビを観ながら、うとうとして夜中からまた動き出すというパターン。丑三つ時が自分にとって最も孤独でクリエイティ
ヴな時間帯。よからぬことも考えてしまう。胸も締め付けられる。自分から孤独な時間を取ったら、表現者としては成り立たない。

2004年2月27日金曜日

2/27(金)

 キーボードマガジンの仕事で午後12時から市ヶ谷にあるスタジオに入る。スタジオに並べられた各メーカーのデジタルピアノの新製品を試奏して録音し、 それぞれの機種に対してコメントする。
 その後、クレイジーフィンガーズのことも含めたインタビューを20分ほど受ける。
 一番安くて軽量でコンパクトなカシオのデジピが一番弾いていてワクワクした。ヤマハのP-250は老舗の貫禄。特にウイリッツアー、ローズ系の音が抜群良い。
 色々と試奏してみて、楽器の音色やタッチだけでなく、ルックスによっても、弾くときの心持ちが変わってくることに気付いた。デジピに関してはどうやら、つまみが少なくてシンプルなデザイン、軽量でコンパクトな物の方が自分は乗っ て弾けるみたいだ。思ったより楽しい仕事だった。
 仕事が早く終わったので、また渋谷のタワレコに行ってCDを買いまくる。アンプ・フィドラー、ゼロ7、パフ・ダディー、韻シスト、リッキー・リー・ ジョーンズ、ノラ・ジョーンズ、ジュールルズ・ホランド、ジェームス・ブッカー、リチャード・グルーヴ・ホルムズ、ファッツ・オーラ、リロイ・カー等購 入。
 その後、門前仲町までコテツ&ヤンシーのライブを観に行く。30席もないぐらいの小さなお店で、馴染みが多いと思われるお客さんは皆リラックスしてい
ていい雰囲。オレはカウンターでビールを飲みながら聴かせてもらう。
 アルコールの注文がひっきりなしにくる。皆よく飲み、よく乗る。ヤンシーは古いブルースの曲を演奏していても、ジャズ・テイストのコ-ド使いやヴォイシ ングがしやれていて、泥臭さがない。いいピアニストだ。「クレイジー・フィンガーズ・レビュー」のツアーが楽しみ。
 始めてみるコテツさんは歌もハープもリズムの歯切れがよい。二人の息はバッチリ。
 2部のステージでヤンシーに紹介されて、飛び入りする。インストでブギウギをやって、途中からヤンシーと連弾。盛り上がったなあ。
 今日はコロナビールを3本でとどめて、電車があるうちに帰る。
 部屋へ戻って夜更けまでピアノを弾いていた。

2004年2月25日水曜日

2/25(水)

 日中、古い知り合いであるカメラマンの高橋さんの個展を観に行ったのだが、着いたのが4時過ぎで、個展は3時で終わってしまっていた。最終日だから日を改めて観ることもできない。悪いことをしたなあ。
 その後、渋谷のタワレコでCDを漁る。夜の7時を過ぎてオンエアーに行き、サルサ・バンド、オルケスタ・デラルスのライブを観る。客席にスタイルの良い 女性多し。1階フロアの後方では何組もの男女がカップルでサルサ.ダンスを踊っていた。みんなうまい。理屈抜きに楽しめるライブだった。
 渋谷を出て午後10時頃、下北沢の行きつけの居酒屋でフリーのプロデューサーをやってるUさんと待ち合わせ。この人とは気が合う。柔軟で品が良く、擦れたところがない。花粉症で体調が今一なのに、鼻水たらしながら飲んで、酔う。
 Uさんから「バランスを取ることなど気にせず、ただ音楽に没頭して、いってしまっているときのリクオをもっとみせるべき」と言われる。

2004年2月24日火曜日

2/24(火)

 春何番目かの強風が吹いて、どうやら派手に花粉をまき散らしているらしく、昨
日から、くしゃみと鼻水、涙目に悩まされている。
それでも、あんまり天気が良いので、京王線に乗って百草園の梅を観に行く。
 駅から百草園に至るまで、しばらく急な坂道を歩き続けなければいけない。春を思わせる陽気で、歩いている内に、少し汗ばむ。
 梅はまだ満開ではなかったけれど、美しかった。

2004年2月21日土曜日

2/21(土)

正午前に通販で注文していたクローゼットが部屋に届く。業者の人に組み立ててもらった後、夜まで部屋の掃除、整理、配置変え。
 最近、部屋の掃除と資料の整理をこつこつと続けているので、前よりは部屋がすっきりして生活しやすくなった。それでもまだ、物が多すぎる。
 放っておくとどんどん増えてゆくので、これからは必要以上に物を増やさず、不必要な物は思いきって捨ててゆくつもり。
 あれもこれもと手をだし、無造作に傍に置いて積み重ねて行くことで、かえって大切なもの、本当に必要なものが見えなくなってしまうことがある。もう少し心の風通しをよくしようと思う。
 夜にNHK教育で沖縄出身の詩人、山之口獏のドキュメンタリー番組を興味深く観る。
 大先輩のシンガーソングライター、高田渡さんも番組に出て、オレの大好きな「生活の柄」を歌った。この歌は山之口獏の詩に渡さんが曲をつけたもの。「歩 き疲れて草の上で寝てしまった」という歌の情景は、湿り気がなく、懐かしい自由にあふれている。演奏は力強く、ポップだった。番組では病院から退院したば かりだと話していたけれど(渡さんは酒が主な原因で、近年入退院を繰り返している)、去年、大阪でお会いした時より、かなり元気そうに見えた。
 渡さんは実年齢よりずっと老けて見え、見た目はおじいさんだが、実は体力はかなりある方だと思う。渡さんと握手すると、いつも力強さが伝わってくる。
握力は相当強いんじゃないか。体力があるからあんなむちゃな飲み方ができるのだと思う。
 オレは随分前にツア-先で、泥酔した渡さんをホテルまでおぶって帰ったことがある。次の日の朝に渡さんからオレの部屋に電話があり、部屋に呼ばれてお邪 魔したら、テーブルにサントリーウイスキーの角瓶が置いてあって、既に、ちびちびとやっておられたのを覚えている。その時に渡さんが聞かせてくれた話はと ても面白かった。

2004年2月20日金曜日

2/20(金)

 日中は部屋で大声出して歌う。気持ちいい。あともう一度苦情が来たら出て行くように大家さんからは言われているのだが、昼間やから大丈夫やろう。
 少し前に知り合いから聞いたのだが、オレと同じマンションに、知り合いの知り合いの知り合いが住んでいるそうで、「どうもリクオらしき人が時々大声で
歌っているのが聴こえて来る」とその人が話していたそうだ。ちと恥ずかしいが、まあええわ。
 夕方からは高井戸にある錦織さんの自宅スタジオで久し振りに仕事させてもらった。
電話では話していたけれど、にきさんと実際に合うのは久しぶり。元気
そう。
 今日はキーボードマガジン用のトラックとFM802&RADIO-I用のジングル製作をやらせてもらう。途中でトッチーもやってくる。作業はストレス
なくスムーズに進んで9時前に終了。

作業の後、3人で近くの沖縄料理屋へ行く。飲んで食って、気付けば夜中の2時。

2004年2月15日日曜日

2/15(日)秋田 草花木果

 昨日に比べると、ぐっと気温が下がり、雪が降り始める。風も出て来た。
午前、10時過ぎ弘前発のJRに乗って秋田へ。疲れがたまっていて、すこしきつい。

 秋田駅にスタッフのいっこうさんが車で迎えに来てくれる。車は街を通り抜けて、当たり一面が白銀の世界になる。雪が降り積もった畑の上を数羽の白鳥が
飛び交っていた。
 駅から約30分でライブ会場であるダイニング.カフェ「草花木果」に到着。 マスター、奥さん、娘のさおりちゃんと1年振りの再会。3人とも元気そう。京都の大学に通うさおりちゃんは今日のライブのためにわざわざ帰郷してくれた。
引っ越して約1年、まだ京都の文化に慣れないところがあるそう。
 お店をやっている廣瀬夫妻は、去年まで能代でチャップマンという喫茶店をやっていた。今まで、廣瀬さんには能代で何度もライブを企画してもらっていた
のだが、去年、能代の店をたたんで、こちらに引っ越し、年末から草花木果をオープンさせたのだ。
 店の目の前には、湖というには小さ過ぎ、池というには少し大きすぎる池がひろがっている。水面には氷が張り、雪が横殴りに激しく吹雪いている。自然がつ くりだす景色に、しばしみとれる。実際、この場所に来てみてはじめて、草花木果という店名がなぜつけられたのか、分かったような気がした。四季の折々を じっくり味わうことのできる贅沢な場所だ。近くに温泉も色々とあるし、プライベートでも遊びに来たいなあ。
 お店の雰囲気もとてもよい。建物の多くの部分は業者に頼まず自分達の手作りだそう。マスターが自分で塗ったという塗壁がいい味をだしていた。2階は二
人の住まいになっていて、リビングにも案内してもらう。こちらは奥さんが設計したそう。窓がひろく、ゆったりとしたつくり。木の質感が落ち着く。部屋から見える景色も素晴らしい。都会暮しでは実現できない生活。

 ライブにはさまざまな世代のお客さんが集まった。普段はライブに足を運ぶことのなさそうな御近所さんらしい年輩の方も結構おられた。最初はオレのパ フォーマンスに戸惑っている様子だった客席も、ライブが進む内に次第に慣れて、ほぐれはじめる。リクオ初体験と思われるおばさん達の反応が一番素直で、随 分と場を盛り上げてもらった。この人達の笑顔、とてもよかった。
 市内からホームページの情報を頼りに観に来てくれた二人の20代の女性がいて、ライブの後に色々と話しする。市内でヒートウェーブの山口洋のライブを企 画したこともあるそうで、音楽好き、酒好きの面白い2人だった。今日を機会に草花木果に通うそう。これからこのお店にはさまざまな人達が集まって来るんや ろな。

2004年2月14日土曜日

2/14(土)弘前 萬燈籠

珍しく昼間から腹がすいたので仙台駅で駅弁を買い、移動の電車の中で食べる。

 新幹線の車窓から見える景色は次第に雪化粧を帯びでゆく。しかし程なくして睡魔が。気付けば終点の八戸。そこから東北本線津軽9号に乗り換えて弘前へ。
 午後2時半にはホテルにチェック.インしてしばらく仮眠をとる。それから雪道に足を取られないよう気をつけながら恐る恐る歩道を歩いて、今日のライブ
会場である萬燈籠に向かう。
 一年ぶりに萬燈籠のドアを明け、ママのすみさん、桜庭さん、PAのとしさん等と再会。すぐに店内の変化に気付く。改装され、随分ときれいになった?
れど今までの味わいはちゃんと残っている。店内を見渡していると、ママのすみさんが、「元々はこれぐらい綺麗だったのよ」とオレに言った。萬燈籠は29
年も続くライブ.スポットなのだ。
 リハの後、一旦ホテルに戻ってから開演前に今度はタクシーで店に向かう。そのタクシーの運転手のおじさんが気さくな人で会話がはずむ。色々と話した
後、降り際に運転手さんから一言「日本語、お上手ですね」と思いっきり津軽訛りで言われる。一瞬、えっ、と思ったが、面白いので、わざとたどたどしく
「ありがとうございます」と返事して別れる。
グラサンのせいだろうか? 

 3度目の弘前は、今までで一番の動員。お客さんがかなり曲をおぼえてくれていて「マウンテンバイク」では一斉に「フゥー!!」の合唱。乗りが良い。この乗りで一気にいってもよかったが、中盤ではじっくりとバラードを聴いてもらう。
しかし、打ち上げではすみさんから中盤は少し間延びしたとダメだし。
 アンコールでは客席の方々からリクエストの声がかかる。そんなにぎょうさんできひんて。機嫌がよかったので、何曲がリクエストにこたえる

  ここの打ち上げは長い。しかも皆よく飲む。すみさんは毎回酔っぱらう。オレも毎回酔っぱらう。明日は早いのに、また深酒。

2004年2月13日金曜日

2/13(金)仙台 サテンドール

 いい天気。
ホテルをチェックアウトした後、時間があるので石巻の町を散歩する。
人通りが少ない。

 サテンドールのオーナーである岡崎さんの息子、直人君が仙台駅まで迎えに来てくれる。直人くんはこの前まで店を手伝っていたのだが、今はゼップ仙台で働いている。忙しくて大変だけれど、勉強になるとのこと。
親子そろって本当に音楽好き。
 4時半頃、店入りしたら丁度、ピアノの調律の最中。前回のサテンドールでのライブではライブ前半でピアノのハンマーが故障するアクシデントがあったので、今回はしっかりと調整してもらう。
 そのかいがあって、今回はリハーサルからピアノの状態が良く、本番も非常に気持ちよく演奏させてもらう。調子が良いので新曲を色々とやってみた。指は今日も痛まなかった。

 かなり納得のゆくライブ。お客さんだけじゃなく、お店のスタッフも含めてその場にいる人達の想いがとてもよく響いてきた。

2004年2月12日木曜日

2/12(木)石巻 ラ.ストラーダ

 体調が今一つ。鼻の通りが悪く、身体が冷えて、気力が湧かない。
石巻に着いたら寒さが身にしみた。迎えに来てくれた相澤さんによると、今日は過ごしやすい方だとのこと。
 石巻はかっては港町として多いに賑わっていたらしいが、今は人通りが少なく街に寂しさが漂っている。
 この町はとにかく企画されるライブの数が多い。話を聞いていると、ひっきりなしに色んなコンサートが催されている。自分も石巻に来るのは3回目だが、
毎回ライブを企画してくれる人が違う。どうも、この町には、やたらと不良中年が多いようで、こういう人達が楽しみを自分達でつくるためにオレを呼んでく
れたりするのだ。しかし若者を町であまりみかけんかったなあ。
 ストラーダは去年の12月にオープンしたばかりのライブハウス。
キャパは座りでも余裕で100席はいけそう。思っていたより広い。
用意してもらったエレピは始めてみるイタリア製のものだった。何でも代表の相澤さんがキースエマーソンのファンで、これはキースが愛用していたエレピな
んだそう。しかし音の方は?であった。
 リハーサルを終えてホテルに戻ったら風呂のお湯をためて、湯につかったり出たりを繰り返して、身体を暖め、汗を出す。

 体調はよくなかったが、ライブになるとスイッチが入った。スタッフもお客さんも喜んでくれて、CDがよく売れた。
 痛めている指の状態が心配だったけれど、持ちこたえた。
 約5年前の石巻ライブでお世話になった樋口さんと久し振りに再会。寺の坊さんである。聖職者らしからぬ、くだけた人で、ライブ中も酒をがんがん飲みま
くって、ステージ後半では客席前方まで出て来て、多いに騒ぎ、場を盛り上げてくれた。オレか思うに坊さんには音楽好きが多い。
 どういうわけか樋口さんはオレが大変な女好きであると思い込んでいて、打ち上げに知り合いの若い女性を呼ぶのを警戒していた。5年前の石巻で何かあっ
たのか?樋口さんによると、オレが打ち上げでえらく酔っていたらしいが、全く覚えていない。どこでもジェントルマンで通っているのに(嘘)。そう言う樋
口さんの方こそ、見習いたいぐらいに女好きのエロ坊主ではないか。
 打ち上げではライブ前の体調の悪さを、すっかり忘れていた。

2004年2月9日月曜日

2/9(月)

 「永遠のモータウン」という映画の試写会を観に渋谷へ行く。試写会に集まった人達は、やはり音楽関係者が多いようで、オレの前の席には細野晴臣さんが座っていた。ベーシストのかわいしのぶさんや、湯川トーベンさんにも会う。トーベンさんからはライブのお誘いを受ける。
 映画はモータウンを支えたバックバンド「ファンク.ブラザーズ」にスポットを当てた内容。この映画を観るまでは、自分もメンバーの中ではベースのジェシ-・ジェマーソンぐらいしか名前をしらなかった。
 映画では彼らの演奏場面も多く、それを聴いている内に、モータウンサウンドの秘密の一端が明かされて行くように思えた。メンバーの我を抑えた邪念のない プレイが、心地よく最高のグルーブを生み出していた。この映画は自身の自我や、金や名誉よりも、音楽そのもののためにすべてを捧げた人達の美しい物語であ る。
泣けた。

2004年2月8日日曜日

2/8(日曜)

 昼過ぎに水戸から東京に戻る。いい天気なので近所を自転車で散歩。

2004年2月7日土曜日

2/7(土曜)水戸 ガールトーク

 水戸に行く前に温泉街の湯本で下車。昨日、地元の人から教えてもらった「さはこの湯」という温泉に行ってみる。
 風呂の扉をあけるなり、強い硫黄の匂い。湯につかっていると「ふぅ~」だとか
「あ~」だとか方々からうめき声が聞こえてくる。かなり熱めのいい湯でした。

 今夜のライブ会場であるガールトークのマスターは地元のホールや野外で、コンサート&イヴェントを企画する興行師でもある。去年は野外イヴェントで大赤 字を出してしまったとぼやいていた。この人、前もそんなことを言っていたけど、懲りないのである。オレ達ミュージシャンはこういう人達に支えられている。
 ガールトークはグラウンドピアノがあって、落ち着いた大人の雰囲気。洒落たピアノ.バーって感じ。お店の雰囲気に合わせて、ライブ中にお薦めのカクテルを注文したらギムレットが出て来た。
 今夜はライブの後、水戸に泊まらないで東京に戻ろうかと考えていたのだが、気付けば終電を逃していた。

2004年2月6日金曜日

2/6(金)いわき ソニック

 午後4時前、店の前まで行ったら、看板もなく店が閉まっていてびっくり。
ああ、そう言えば近くに引っ越したって言ってたな。
 店長の星さんに近くまで迎えに来てもらい、移転したソニックに連れていってもらって、またびっくり。移転前は60席程のパブ要素の強いお店だったのが、 渋谷のオンエアーを少し小ぶりにした感じの、えらいりっぱで本格的なライブハウスに変身。元々映画館だった建物を改装したそう。

 この街の規模で、ライブハウスがあること事態がめずらしいのに、しかもこんなに大きなキャパで、大丈夫なのかと少し心配になる。しかし、お店の人達と話 をしていると、地元の音楽関係者、若いバンドマン、音楽好きの人達の念願だった本格的なライブハウスをようやくオープンさせることができた喜びが伝わって きたので、ああよかったなと思う。

 いわきは風が強い街で、日が暮れると寒さが身にしみた。本番前、駅前のドトールコーヒーで一服。店内の女子高生の会話が耳に入ってくる。思いっきり訛っているのがよい。なんだか、ほっとする。

 オープニングは前回もお願いした「あぶらすまし」と店長である星さんのギターデュオが努めてくれる。広めの会場で集客が心配だったけれど、席も良く埋まり立ち見がでた。一所懸命チケットを売ってくれたのだろう。
 本番ではもちろんミラーボールが大活躍。体調が今一つだったけれど、いい感じで乗り切る。お客も盛り上がってくれた。
 打ち上げは中華料理屋で。これが旨かった。
 次回、いわきでライブをやらせてもらうときは前後に一日オフをとって皆でレジャーランド、ハワイアンに行こうということになる。ぜひ。 

2004年2月3日火曜日

2004年2月2日月曜日

2/2(月)

 渋谷にあるM’Sディスクというスタジオでキョンさんと共同プロデュースしたピアノ.アルバムのマスタリングをやる。今回、お願いするエンジニアの滝瀬さんはキョンさんの推薦。いい仕事をしてもらった。マスタリングが終わってやっと、作品が完成したと思った。
 マスタリングの後、インフィニティレコードの氏家さん、録音とトラックダウンをやってくれた上條くん、キョンさんと近くにある宮崎料理の専門店で乾杯する。宮崎の郷土料理を東京風にアレンジして洗練させた感じ。美味しかった。
よく飲み、よく食べ、よく語り合う。
 帰りは氏家さんと井の頭線に乗る。下北沢の手前で氏家さんから、「もう一軒行きませんか」と提案があったので、下北沢で下車。オレの馴染みのお店に行 く。オレはそこでかなり泥酔していたのだが、さらに氏家さんから「今度はオレの行きつけのお店に行きましょう」と誘われる。こうなったらとことん付き合い やしょう。二人でタクシーに乗り池尻にあるバーへ。
 そのお店で氏家さんが完成したばかりのアルバムのCDRをマスターに手渡して、か
けてもらう。やんちゃなピアノが店内に鳴り響く。
 「お~、かっこええやんけ」
 思わず二人で握手。
 酔いつぶれる。