2004年12月20日月曜日

12/20 (月) 「サロン東京的」西麻布 L

 先輩ギタリストの窪田晴夫さんが幹事になって西麻布のLで月に一度開催しているプライベート色の強いライブ.イヴェント「サロン東京的」に出演。都会の 怪しい社交場といった趣の夜会で、自分も時々夜遊び気分で参加させてもらっている。イヴェント場所のLが年内で閉店するため、‘90年代後半から続いた 「サロン東京的」は今回で取りあえず1区切り。
 出演者はノーギャラのかわりに、手の込んだ料理が振舞われ、酒は飲み放題である。オレはこのパー ティーを通して、飲みながら演奏することの楽しさを知った。出演者も客も飲みながら参加するのがこのパーティーの暗黙の大前提なのだ。ここでの自分の演奏 は、いつも以上に危うく、開放的で、ワイルドだ。客の乗りも砕けていてよい。お客と出演者の境界線が他のイヴェントに比べて、かなり曖昧。
 イ ヴェントのスタートは夜の9時を回ってから。1部はDJプレイをはさんで、3組のプロのミュージシャンによるそれぞれ30分程のライブ演奏。2部からはプ ロの卵の演奏が中心で、飛び入り演奏もありになる。朝方になれば、出演者入り乱れてのセッションタイムが通例。イヴェントの終了時間はきっちり決まってお らず、取りあえず始発以降、お客と出演者とスタッフの体力、気力が果てた時点でお開きとなる。この長い宴を晴夫さんは毎回、飲みながら、セッションしつ つ、司会進行も努め、最後まで取り仕切るのだから頭が下がる。
 「サロン東京的」最終回の出演者は、いつも以上に多種多様であった。黒装束の女性 による厳かなテルミン演奏、晴夫さんのギター伴奏による女性ダンサーのストリップショー、一見おたく風男性によるギターのパンク弾き語り、背広姿の親父サ ラリーマンによるピアノのブルース弾き語り、大柄の白人女性によるボサノヴァのアカペラ等々、つまりなんでもありなのだ。オレはソロでのピアノ弾き語り以 外に、美輪明広の流れを受け継ぐシャンソン界期待の新生ソワレと一緒に「ケサラ」を熱唱。ソワレとは久し振りの再会。何か吹っ切れた感じで、すっかり女性 らしくなっていた(注:体は男)。最近は歌手活動の他に、新宿のゴ-ルデン街で飲み屋のオーナーをしているそう。
 Lの店長の横山さんとオーナーの遠山さん、そして晴夫さんは、若い頃から西麻布界隈の酒場を遊び場にしていた。彼らはストリートと酒場と音楽の関係をこよなく愛している。きっとまた時期をみて、いかがわしいパーティーを再開させてくれるだろう。
★Lのオーナーがオレに飲ませてくれた高いシャンパン。

2004年12月10日金曜日

12/10 (金) 京都 磔磔 リクオのハプニングデイズ

 ホテルで目覚めたら、ひどい頭痛。体が重く、ふらふらする。昨日はアルコールをかなり控えていたので二日酔いではない。風邪か?
 本番が近づくに連れて、体調は回復に向かうも、ベストからは程遠い状態。しかしステージで汗をかく程、調子が上がってくる。
 サンタラの演奏は440の時より、更に開放感があった。ステージでタムラさんと何度か視線が合う。弾けたいい表情だった。全体に演奏のクオリティーが、新鮮味を保ったまま、440の時より上がった。
 今日も昨日に引き続いてアコーディオンを弾いた。普段弾いていないせいか、アコーディオンを持って、ステージに立つと、妙に恥ずかしい気分。
 昨日も今日も、聴きつつ、乗る、臨機応変に楽しむことのできる洗練された客層だった。
  磔磔でバイトしていた頃、代表の水島さんから「お前は常識に欠けている所があるから、ここで常識を学んで行け」と言われたことがある。その言葉がずっと心 に残っていて、ライブのMCでそのことを話したら、後で水島さんから「オレ、そんなこと言ったか?」と言われる。なんだ、水島さんは覚えてなかったのか。
 ライブが終わったら体調はすっかり良くなっていた。なんだったんだ、いったい。
 今日のライブで何か一区切りついた気分。
 もちろん深く飲んで語り明かした。
★オレ、アコーディオン弾いてます。
★出演者全員でセッション。
 

2004年12月9日木曜日

12/09 (木) 京都 磔磔 リクオのハプニングデイズ

 会場入りする前に、久し振りに実家のアプライト.ピアノを弾く。中学生の時に両親に買ってもらったピアノで、購入する際、楽器屋の倉庫まで行って、自分 で何台も試奏させてもらい選んだピアノである。ヤマハにしては乾いていて、味のある音がする。調律は狂っているが、久し振りに弾いてみて、なかなかいいピ アノだと思った。
 磔磔での2日間は自分の過去も振り返りながら、現在地を確認できる内容を意識した。先日大阪サンケイホールのライブイヴェントで、12年前以上前にリリースした「胸が痛いよ」を久し振りに歌ってみて色々と感じたことが、影響していたかもしれない。
 磔磔という場所と、有山さんとはじめにきよしのゲストは、今日の狙いには最適であった。関西在住の二組のゲストからは、予想通り、強い土着性を感じた。
 音楽性や、生き方において、自分が有山さんから受けた影響は大きい。出会った当初は、有山さんの話し方まで真似したりしたが、まじかで、あれだけの個性に触れると、とてもこんな人にはなれないし、なる必要もないと、すぐに気付かされた。
 リハーサルの時から、有山さんのギタープレイをときめきの表情で見つめるはじめ君の様子が、とても印象に残った。はじめ君は学生時代にオレのライブを地元大阪で、よく観ていたそうだ。はじめにきよしの二人は、有山さんや、オレの流れを受け継いでくれていると思う。
 有山さんもはじめにきよしも、奏でる音と人間性が直結している。音を出す以前の、たたづまいからして味がある。その存在が音楽を奏でている。
 今日は「胸が痛いよ」、ジョンレノンの「oh my love」等懐かしいレパートリーを数曲やった。地元の旧友が数人観に来ていて、皆一様に、これらのナンバーを聴いて当時を思い出したりして、とても良かったと言っていた。音楽が記憶を刺激することをあらためて実感。
  近くのカフェでザッハトルテとピアニストの佐山雅弘さんがライブをやっていたので、打ち上げはその店に合流させてもらう。金沢から、もっきりやのマスター 平賀さんと奥さんのかおるさんも来ていて、一緒に盛り上がる。宴の途中で、佐山さんがステージのピアノを弾きだしたので、リクオも1曲という話になる。佐 山さんと連弾で1曲。曲の途中で女性のヴァイオリン奏者がいきなりセッションに加わってくるハプニングがあったりして楽しかった。
★磔磔の前で有山さんと。

2004年12月8日水曜日

12/08 (水) 京都へ

12/8(水)
 キョンさんのマネージャーの瀬戸さんから借りたバンで、ローディーの北川くんと一緒に、夕方東京を出発。京都に向かう。これぐらい長距離の車移動は久し振り。道中、i-podをカーステにつないで、エルビィスのライブを聴きまくる。
 7時間程かけて京都着。自分は実家に泊まる。
★京都へ向かう車中、夕暮れの高速道路で撮影。

2004年12月5日日曜日

12/05 (日) 松山 モンク

 去年に引き続き梶虎君を中心とした地元の有志が、この日のライブを企画してくれた。チケットは前売りで完売。
 この日のライブの為にパンフレッ トが用意され、そこにはそれぞれのスタッフの熱いメッセージが書き記されていた。すべてのお客さんに入場の際、一輪の花が手渡された。とにかく開演前か ら、企画してくれた梶虎君、仁君、三好さん、えみちゃんらの思いがびんびん伝わって来た。気合いを入れて、彼らの気持ちに応えなければ。
 今日の客席はじっくりと聴き込むモード。
 1部では仁くんのリクエストにこたえて「空と祈り」を歌う。2回目のアンコールでは、梶虎君のリクエストにこたえて「ケサラ」を歌う。思いを受け取れば力が湧く。いい夜になった。 
 打ち上げの後、今日のライブの首謀者である梶虎君と同じ温泉宿に泊まり(その宿の御両親、娘さんもライブに来てくれた)、一緒に湯に浸って、語り合う。その時に、彼が会社を辞めて、大阪に移り住むことを知らされる。
 自分が受け取ったときめきや感動を、一人占めせず、常に人に伝え、「ときめきの輪」をひろげて行く強い力を梶虎君は持っている。彼の回りには、本当に素直で気持ちよい人達が集まっている。どこで、何をしていても、そのパワーを持ち続けていてほしい。
★この日のライブ企画の首謀者の梶虎君と。
★打ち上げで記念撮影。
 

2004年12月4日土曜日

12/04 (土) 松山

強力な二日酔い。岡山駅構内のトイレで激しく吐く。
 移動中はひたすら寝る。
 夕方5時半頃松山駅到着。明日のライブを企画してくれら梶虎君と仁君が駅まで迎えに来てくれる。
 道後温泉内のホテルにチェックインした後、もう一度市内に戻って、3人で食事。アルコールは一切口にしなかった。一日、身体がつらかった。
ホテルに戻って、ゆっくり温泉につかり、k-1グランプリの決勝戦をテレビで観戦。武蔵は相変わらずじれったいなあ。
 疲れているのになかなか寝つけなかった。

2004年12月3日金曜日

12/03 (金) 岡山 モグラ

この日はモグラの5周年を記念したライブ。オープニングは「みを」という女性のピアノ弾き語り。雰囲気のある子だった。
  9時前からオレのステージがスタート。昨日の深酒がたたって体調は今一つだったけれど、ステージに上がれば自然とスイッチオン。
 で、またライブ中から飲んでしまう。打ち上げでも調子に乗って、飲み続け、相当酔う。
 マスターの福武さん、奥さんのえみさん、息子のよしき君、皆元気そうであった。
★チェックアウト後、しゃれたカフェで一服。

2004年12月2日木曜日

12/02 (木)

 よく寝たはずなのに、体調が今一つ。
 黒船屋はお店のすぐ目の前が港。2階にある店の窓からは海を一望できる。夜になると、海面を照らす月や、照明に彩られたフェリーが行き来するのがみえて、美しい。

 オープニングの「みれかん」のステージが終わって、自分のライブが始まったのが夜の9時半。大人の時間帯。のっけから反応がよい。お客は既にアルコールがかなり回っている様子。オレのMCにもどんどんつっこんでくる。
 「今日はこのへんにしといたるわ」と捨て台詞を吐いて、ライブを終わらせたのが、深夜11時半近く。今日はライブが終わってもなかなかクールダウンできない。スイッチがきれないまま、お店に残って飲み続ける。 
 深夜12時を回った頃、慎重190cmはあろうかという大柄な黒人が、豪快な笑い声を上げながら、店内に入って来た。既にアルコールが回り相当に御機嫌な様子。マスターのけいぞうさんがいきなりその黒人にマイクを渡す。
  彼がアカペラで歌い出したナンバーはレイ.チャールズのモI canユt stop lovinユ youモ。すごい声量。マイクいらんわ。一番盛り上がるサビはみんなで大合唱。彼の正体は日本在住のブルース.シンガー、ハイタイド.ハリス。横浜在住の 彼が、なぜ高松に?
 ハイタイドが1曲歌い終えたら、けいぞうさんがマイクで「リクオ~!」と紹介。来ると思った。オレはためらわずデジタル.ピ アノの前に向かい、レイ.チャールズのモWhatユd I sayモのイントロを弾きはじめる。ハイタイドがオレの顔を見てにやりと笑う。歌い出しからトップギアでシャウトしまくるハイタイド。コール&レスポンス もふんだんに、客を煽りまくる。しかし、このおっさん、ほんま元気やわ。もうええ年のはずやけど、酒はがぶ飲み、いつまでもはしゃぎ続けている。

 宴もたけなわを過ぎて、ほとんどのお客が帰ってもハイタイドはまだBGMに合わせて踊ったり、歌ったりしながら飲み続けている。オレはカウンターに横顔と両腕を置いて、既に酔いつぶれた状態。ハイタイドがそんなオレの顔を覗き込んで、こう叫んだ。
"Everyday evry minute all the fuckinユ time"
目をさましたオレは、ハイタイドと一緒に呪文のようにこの言葉を叫び続けた。
"Everyday evry minute all the fuckinユ time"

★熱唱するハイタイド.ハリス。