2007年9月27日木曜日

"Oh My Love”を歌う

相馬市 蒼龍寺境内 本堂前
サポートミュージシャン:橋本歩(チェロ)
 ミキオ君とのツアーが続く合間に、チェロの歩ちゃんと福島県の相馬市へ。
 蒼龍寺の僧侶の田中俊英さんは大の音楽好きで、今までも自分のソロライブを2度企画してくれたことがある。今回は相馬市の企画で、お寺の本堂の前での野外ライブ。客席からライブを眺めてみたくなるくらいに、素晴らしいシチュエーション。しかし寒かったあ。
 
  この日は出発前の朝方まで、ジョン.レノンの「Oh My Love」の日本語意訳を考えていた。2日後に行われるエアプランツのCD発売記念ライブに参加するにあたって、メンバーのがっちゃんから、セッション用 にこの曲をリクエストされていたのだ。オレが10数年前にライブで歌っていたのを、お客さんで観に来ていたがっちゃんが聴いていて、ずっと印象に残ってい たそう。
 その当時は原詞の英語で歌っていたのだけれど、今回は日本語で歌ってみようと思った。それで、友部正人さんが「Oh My Love」を日本語で歌っていたのを思い出し、そのヴァージョンで歌わせてもらえないかと考えて、友部さんに連絡してみた。電話には友部さんではなく奥さ んのユミさんが出てくれて、日本語詞を知りたい旨伝えたところ、その件に関してユミさんから予想外の話を聞かされる。
 友部さんが歌っていた 「Oh My Love」の日本語詞は友部さんではなく、音楽ライターの下村誠さんによるもので、その下村さんは数年前に出家して僧侶になり、去年火事で亡くなられてし まったそうなのだ。どれも初めて聞く話だった。下村さんとは自分も付き合いがあったけれど、いつの頃からか疎遠になり、長い間会うこともなくなっていた。
 「下村君を弔う気持ちで歌ってあげて」とユミさんから言われて、歌詞をメールで送ってもらった。HONZIがなくなったことを知ったのはそのすぐ後だった。たまたまだけれど、「Oh My Love」は、昔HONZIと何度も演奏していた曲だった。
  HONZIの葬儀から帰宅して、いろんな想いが交錯する中、下村さんによる「Oh My Love」の日本語詞を何度も読み返してみた。想いの真っすぐに伝わる言葉達だった。でも自分はその時に、“自分なりの言葉で生きているという実感をこの 曲のなかで歌いたい”という気持ちになった。それで、自分で日本語詞をつけてみることにしたのだ。

 この日のリハーサルの最初の音出しの ときに、今朝考えたばかりの日本語で「Oh My Love」を歌ってみた。この日の演奏予定にはなく、今まで一緒にやったこともない曲なのに、歌の途中から歩ちゃんがチェロで即興の伴奏をつけてくれた。 演奏が終ったら、客席から様子を見ていた俊英さんの奥さんが拍手してくれた。急遽、この日の演奏曲に「Oh My Love」を加えることにする。

 歩ちゃんのチェロの響きはいつもに増してまろやかで美しかった。心身ともに疲れていて、もろさを露呈しがちな自分を、彼女はやわらかく支えてくれた。
 空をみて、木をみて、虫の声を聴き、風を感じ、悲しみを感じ、夢をみて、さまざまなものとの繋がりを感じながら歌った「Oh My Love」の感触を忘れずにいたいと思う。

 それにしてもこの日の相馬は冷えた。一気に秋。

0 件のコメント:

コメントを投稿