2007年6月24日日曜日

うたの日満喫

第2回東京うたの日コンサート3日目最終日
【場所】渋谷 BYG
【出演】リクオwith朝倉真司(per.)、寺岡信芳(ba.)、橋本歩(cello)、阿部美緒(violin)/バンバンバザール/他飛び入りゲストあり
 東京うたの日、最終日。この日はバンバンバザールとの共演。オレはバンドを従えての演奏。
 まずはオレがバンバンバザールを紹介。素晴らしいライブパフォーマンス。バンバンのステージは既に憂歌団の域に達したと思う。
  それにしても、バンバンのステージは盛り上がり過ぎて、予定時間を30分過ぎても終らない。自分の出番の頃は既に午後11時半を回っていた。まあ、集まっ たお客さんのほとんどは終電逃す覚悟だからいいっしょ。深夜って、時間を忘れることのできる開放された時間帯なのだ。で、この時間帯って、いつも以上にワ イルドでいやらしい気分で演奏できる気がする。きっとお客さんも同じ気分を共有していたはず。
 ステージ上で、すべての感情が気持ちよく、いやらしく昇華された感じ。
寺さん、朝ちゃん、歩ちゃん、阿部美緒との演奏はほんと気持ちよかった。
何かを突き抜けて、その先がみえた感じ。いいライブが出来た時は、いつも自分の可能性に気付かされる。
  オレのステージの後半ではハシケンが飛び入り。アンコールでは、ハンバートハンバートの2人、おおはた雄一君、金子マリさん等も飛び入り。マリさんバンバ ンバザールと一緒にセッションしたサッチモの「ワンダフルワールド」は素晴らしい演奏になった。なんの迷いもなく、導かれて演奏した感じ。BYGには、か なりファンキーな歌の神さんが居座っているようだ。
 エンディングはステージに収まりきれないくらいの出演者が集まって「光」でしめ。
  お楽しみはこれで終わらない。各会場でライブを終えた出演者、関係者がBYG2階席に集まって賑やかに乾杯が行なわれ、ほどなくしてから、2階席でもセッ ションが始まる。フランスからプロモーションで来ていたボサノヴァ歌手の女性(名前忘れた)とバンバンの富やん(ギター)がデュオでボサノヴァのスタン ダードを演奏。そこにブラックボトムのモンキーのサックスが加わる。ライブを観に来ていたかおりちゃんもピアニカで参加。いや~、素晴らしい演奏でした。 しかし、BYGに集まる連中は皆芸達者である。
 オレは地下のライブ会場で繰り広げられていたバンバンの黒川君(ベース)と松千の2人のブルースセッションに加わる。ステージ上でのアドリブの歌というか会話が実に楽しかった。
 もちろん朝までコース。
 始発の時間もとっくに過ぎた頃、BYGを出て最後は近くの寿司屋でしめ。
 清々しい朝であった。
 うたの日満喫。

2007年6月23日土曜日

うたの日三昧

第2回東京うたの日コンサート2日目
【場所】渋谷 BYG
出演:リクオ(ホスト&セッション)/伊東ミキオ/ハシケン/他飛び入りゲストあり
 まあ、盛り上がりましたわ、この日も。超満員の客席は最初から出来上がっていて相当ハイテンション。こんな中で演奏できたら楽しいよ、そら。
 ハシケンとは共演する機会がほんと多い。まあ自分が誘うことが多いからなのだが。この日は新曲を数曲披露してくれたのだが、どれもいい感じ。
 ミッキーのステージには三宅伸治さんが飛び入り。ご機嫌なロケンロールステージ。ミッキーのピアノは増々、アグレッシブでいい感じ。コンディション良さそうやなあ。9月からの2人のツアーが楽しみ。
 アンコールでは、BYGが生んだピアノマン、山本隆太君が飛び入りして、オレとミキオ君と一緒にトリプルピアノで演奏。「ミラクルマン」ではブラック.ボトム.ブラス.バンドのモンキーとヤッシーも飛び入り。アホになって。弾けまくる。
 終演の時間には電車がなく帰れないお客さんが大半。多くのお客さんはBYGに残って始発待ち。そう、お楽しみはまだ続くのだ。
 出演者と関係者で BYGの2階席で乾杯して、酒もかなり入ったところで、地下のライブ会場では第2部が開催。演りたい奴から演奏し始める。自分も数曲演奏。ハシケンと2人で演奏した「美しい島」は気持ちよかったなあ。
 2階席にはリキッドルームでライブを終えたソウルフラワーユニオン.チームも2次会でやってきた。オレは来週から彼らのレコーディングに参加するのだ。7月後半には彼らとのツアーの控えている。いろんな奴等が集まって、上も下も賑やか。
 オレは連日で、さすがに体力が続かず、午後3時頃には帰宅。ミッキーは泥酔状態で朝まで演奏していたそう。
 うたの日三昧である。

2007年6月22日金曜日

「ブルース虎の穴」へようこそ!(飛び入りしたバンバンバザール福嶋君のMC)

第2回東京うたの日コンサート1日目
【場所】渋谷 BYG
 出演:リクオ(ホスト&セッション)/有山じゅんじ/おおはた雄一/金子マリ/他出演者&飛び入りゲストあり  
 この日から渋谷クアトロ、7Th Floor、BYGの3カ所で3日間、東京うたの日コンサートが開催。オレはBYGの3日間のホスト役を担当。大阪うたの日と同じく、出演者選び、ステージ構成なども担当。
 このイベント期間中、自分は BYGのステージのまとめ役の立場。ここ最近の忙しさのせいで、イベント初日にもかかわらずかなり疲れがたまっていて体が重い。まあ、気張らんと。
  本日の出演者の1人、有山じゅんじさんは自分にとっては師匠のような存在。大学を卒業してすぐの頃、有山さんに誘ってもらって、2人でツアーに出て各地を 回った。それが自分にとってのツアー初体験。CDデビューする前に、そういうツアー暮らしを経験出来た事は大きかった。
 有山さんは相変わらずの超マイペース。言い方を変えれば、我がままとも言える。こういうところも自分は影響されているとは思うが、やはり師匠を前にしては年期が違うなと。
  電話では「セッションの選曲はオレにまかせとけ」とか言ってたの、当日になったら「リクオにまかせたぞ」ときた。まあそう言いつつも、マリさん、おおはた 君も揃って、さあどうしょうと話し始めたら、あれをやろう、これをやろうと有山さんからも色々と意見が出てくる。で「最後はリクオが絶対に1人で歌え」と 言ってきかない。「いやいや今日はホストですから、いいですよ」と言っても「絶対1人で歌え」の1点張り。有山さんに振り回されつつ、実は現場の雰囲気は かなりハッピー。ボケとつっこみの応酬も楽しい。この日はオレがつっこみ担当。開放されてる人と一緒にいると楽しいんである。
 2日前に大阪で山口洋と話していたときに、彼がおおはた君のことを絶賛していた。彼が日本の若いミュージシャンを評価するのは極めてめずらしい。2人が出会えたことが嬉しく思えた。
  おおはた君は、山口や有山さん同様、楽器の鳴らし方、共演者との共鳴の方法を知っているミュージシャンだと思う。自分にとっておおはた君は、自分よりも下 の世代の中で、最も共演したいアーティストの一人。演奏者としてアーティストとして、とにかく触発される。いつか2人でツアーができたら楽しいだろうなと 勝手に考えたりしている。おおはた君もオレも多分、死ぬまで「ホーボー」なのだ。
 開演時間が午後10時と遅いので、有山さんがそれまでに飲み過ぎてしまうのではと心配していたのだが、やはり開演の頃にはかなり出来上がっておられた。しかし酔った姿も素晴らしく芸になっていた。適度に脱力していて、邪念がないから演奏も乱れない。
  有山さんとマリさんがステージでゆっくりとタバコを吹かしている姿は、ほんと様になってたなあ(普段BYGのステージは禁煙なんですが、この日は特別に許 可をもらいました)。その様子を舞台袖でおおはた君と2人で観ていて、互いに顔を見合わせ「かっこえ~」と言って笑ってしまった。2人のステージ上での間 のとり方、佇まいはほんま笑えるくらいに素敵であった。もちろん奏でられる音楽も。というか音が出てなくても2人はずっとブルースを奏でているのだ。この 感じ、この空気感、オレの大好きな音楽。こういう人達と、BYGの最高の空間で一緒に演奏できるのは幸せである。なんぼでも自由になれる気がする。
 アンコールではバンバンバザールの福嶋君、そして6年前に「うたの日」を沖縄で立ち上げたビギンの3人も飛び入り。ぜいたくな夜になった。
 戦時中、沖縄では大声で歌うことが禁止されていのだそうだ。沖縄にとって慰霊の日の翌日にあたる6月24日にビギンがうたの日コンサートを始めたのには意味がある。沖縄にとっての終戦は歌が開放されたことも意味していたのだろう。毎日がうたの日でありますよう。
★左からオレ、おおはた君、福嶋君、有山さん。

2007年6月20日水曜日

他力で復調

大阪バナナホール
「大阪うたの日コンサート」
【出演】リクオ(ナビゲーター)/曽我部恵一/山口洋(HEATWAVE)/ハシケン/大柴広己
  沖縄.石垣島出身アーティストのBEGINが沖縄慰霊の日翌日の6月24日を「うたの日」としてそれをお祝いすること旨に2001年沖縄で始めた「うたの 日コンサート」。そのうたの日の輪が広がり、去年からは東京でも渋谷BYG主催で「東京うたの日コンサート」が開催され、今年からは神戸と大阪でも開催さ れることになった。
 大阪のイベント制作会社であるサウンドクリエイターの中原さんから「大阪でも『うたの日コンサートを』開催させたいので、参 加協力してほしい」との話をもらったのが今年の3月。1出演者としてだけでなく、企画進行の段階から、他の出演者選び、ブッキング交渉、ステージ構成など 手伝わせてもらう。
 出演者は皆、1人での弾き語りが可能なシンガーソングライターばかり。曽我部君以外は馴染みのあるメンバー。オレはナビゲーターという肩書きをもらって、出演者全員とセッション。
 北海道と奄美諸島のツアーを終えて東京に戻って以降、集中力がなくインスピレーションが湧かない状態が続いていた。自分でも気付かぬうちに体力気力が消耗していたのかもしれない。
 当日のリハーサルでも、なんだか鍵盤が重く感じられた。やることも多くて、音に集中できない状況。こういうときこそ、がんばり過ぎない。
 不安定要素を抱えながら本番に突入したのだが、いつも以上に他力の精神がとてもうまく作用した感じ。回りに助けてもらいました。力をたくさんもらったな。
  特に山口洋とのセッションは、多いに触発された。山口の演奏には会話するスペースがある。「間」のとり方や「息つぎ」が絶妙。適度の緊張感の中で、どんど ん研ぎすまされて、導かれるように演奏に集中する。忘れかけていたインスピレーションが一気に湧き出るような感覚。ピアノの弾き方を思い出した。いいも ん、もらった。本番でいきなり山口から予定外の曲をやろうと言われて、急遽1曲追加。こういうハプニングも楽しい。
 曽我部君とは、実はこの日が初対面。まず彼のことをどう呼ぶべきか、少し悩んだのだが、こちらが年上とゆうことで「曽我部君」と呼ばせてもらうことにした。力みのない気さくな人でよかった。
 彼は東京から会場まで1人でやってきて、開演前と終演後の物販即売まで1人でこなしていた。そうすることがごく当たり前といった様子。とても頼もしく思えた。
  今まで自分のライブで、曽我部君のオリジナルを2曲カヴァーさせてもらったことがある。1曲はサニーデーの頃のナンバーで「BABY BLUE」。もう1曲は、彼の新譜に収録されている「恋人達のロック」を3月のレコ発ライブでカヴァーさせてもらった。歌っていてとても高揚した。この日 は曽我部君のリクエストでサニーデイ時代の名曲「恋に落ちたら」を一緒にセッション。彼とも、本番で予定外の1曲をぶっつけセッション。歌うことへのとき めきに満ち満ちている。半端じゃないエネルギー。
 ハシケンとはオレのオリジナルの「ソウル」と「アイノウタ」をセッション。後で知り合いから「ハシケンの歌った『ソウル』はリクオのオリジナルよりよかった」と言われ、ちょっとジェラシー。
 大柴君の声は素晴らしい。リズム感もいい。大化けするかも。

 打ち上げは朝まで。
 朝方の飲み屋で、大柴君と遊びに来ていた酒井宏樹が2人で玉置浩二の「メロディー」をギター弾き語ってくれる。玉置浩二さんのことは詳しくないのだけれど、いい曲。

 いい夜だった。おかげさまで復調。

2007年6月15日金曜日

キャンドルのもとで歌い願う

「100万人のキャンドルナイト」
開催場所・・・大阪市北区梅田1丁目~3丁目エリア一帯
キャンドルナイト野外ライブ「西梅田Groove Night」
会場:西梅田 明治生命ビル前特設ステージ
【出演】SAKURA/広沢タダシ/リクオ/Leyona
ロウソク:キャンドルJUN

  「100万人のキャンドルナイト」とは、夏至と冬至の日の夜8時から10時 までの間、電気を消して、ロウソクの灯りのもと、スローな夜を過ごそうという運動で、大阪以外でも日本各地で 地域イベントが開催されているのだそう。この企画のライブイベントに参加させてもらうのは去年に引き続いて2度目。今回は大阪のキャンドルナイトを企画し ているバウコミュニケーションの水口さんからの要請で、出演者のブッキングにも関わる。

 
 自分の出演の前に、このイベントの一 環として行なわれた京都造形芸術大学教授の竹村慎一氏による環境ゼミナーに参加。地球温暖化に関する話が中心。深刻な内容なのだが、聞き手の不安感や恐怖 心をことさらに煽るのではなく、冷静で前向きな気持ちにさせることを前提にして話しているのが伝わってきて、誠実さを感じた。興味のある方は以下のURL でサイトをのぞいて見てください。
地球大学サイト http://earthcollege.lab.elp.or.jp/
竹村慎一プロジェクトサイトhttp://www.elp.or.jp/

 心配された天気もなんとか持ってくれて、夕方以降は晴れ間も出て、イベントは無事開催れる。トップバッターは広沢君。ひようひょうとした佇まいなのだが、歌い始めると凛とした力強さを感じさせる。
 次にレヨナがギターで弾き語り。心地よいグルーヴ。レヨナが伝えたいのは、自分自身よりも音楽そのものの素晴らしさ。音楽を通して共鳴することの気持ち良さ。我欲がなく、ただ音楽のために、共鳴のために音を奏でる。その無垢な姿勢が素敵だなあと思う。
 サクラちゃんとレヨナの二人による「NO WOMAN NO CRY」は素敵だった。今のサクラちゃんには、「世の中に打ってでるぞ」という意欲、野心、勢いを感じる。
  この日はトリで演奏させてもらう。ステージに出たらぎっしりのお客さん。フリーライブにかかわらず客席の集中力は高く、盛り上がりも素晴らしかった。西梅 田高層ビル街の谷間を抜けてゆく心地よい風を感じながらの演奏。近くを走るJRの列車の音も伴奏の一つ。朝ちゃんのカホンも気持ちよく響き渡る。
 アンコールは出演者全員でRCサクセション.ヴァージョンの「イマジン」を演奏。「天国もない、国境もない」という歌詞がずっと歌い続けられる世の中であってほしい。

2007年6月13日水曜日

喜界島~東京

 雨がやみ、晴れ間ものぞき始める。午後は自転車で島を走った後、SAVANIでピアノを弾かせてもらい、15日と20日の大阪イベントのセッション用の曲を予習する。
 午後4時50分の便で、奄美を経由して東京へ戻る。
 羽田空港への着陸が近づいた頃、去年と同じ様に、機内から横浜と東京の夜景を見下ろす。灯りに埋め尽くされた光景は壮観!文明のすざましさに圧倒される。そう言えば、ついさっきまで滞在していた喜界島では、満天の星空に、圧倒されていたのだなあ。

2007年6月12日火曜日

島の美しい暮らし

喜界島 Funky Station SABANI
 昨夜はあんなにたくさんの星を見たのに、今日は生憎の雨。せっかく自転車を借りているのに外出できず、リハーサルまでホテルで過ごす。
 本番では、自分の出番の前に、SABANIを拠点に活動する兄弟アコースティックデュオ、dokidokiがオープニングで4曲歌ってくれる。島育ちの人柄がにじみでた音楽。若い2人のハーモニーが、喜界島から全国へ届く日が来るかもしれない。
  去年、初めて喜界島を訪れ、SABANIでライブをやらせてもらったときは、まだライブマナーをよく知らないといった様子のお客さんもいた。スローバラー ドで手拍子が始まったりして、戸惑ったけれど、それが新鮮でもあった。一昨年10月にSABANIがオープンするまで、島の人達がライブハウスでライブに 接する機会は皆無だったはずだから、それも仕方がなかい。今回のお客さんは、盛り上がる所は盛り上がり、聴くところは聴くといった感じで、前回よりもライ ブ慣れした印象。次にSABANIでやらせてもらう時は、また違ったリアクションが返ってくるような気がする。
 SABANIのオープンが島に与 えた影響は少なくないようだ。喜界島には元々深夜営業をする店がなかったそうだけれど、SABANIが深夜2時までの営業を打ち出したことで、追随する店 が何軒も出て来たそう。dkidikiの2人のように、SABANIを拠点にして、島から外に向けて発信してゆく若いっミュージシャンも出てきた。 SABANIの栄さんは現在、島唄チームの監督もつとめているそうで、その活動は増々多岐にわたっているようだ。将来的にはレコーディングスタジオをつく り、映像チームもつくりたいとのこと。
 栄さんにしても、奄美のラジオ局を立ち上げた麓さんにしても、楽しみを独り占めするのではなく、共有するという発想が根底にあって、常に島の活性化を考え、人との繋がりを大切にしながら、新しい事業に挑戦しているところが素晴らしい。
 自分の続けている旅は、こういう「美しい暮らし」に出会う旅でもある。
 
★左から栄さん、dokidokiの2人。

2007年6月11日月曜日

島唄グルーヴ~喜界島にて~

MACで働くY君とMちゃんがホテルまで迎えに来てくれて、チェックアウト後、飛行機の搭乗時間までの間、島を車で案内してくれる。国定公園のムシロ瀬で記念撮影。
 徳之島から飛行機で奄美大島を経由して、喜界島へ。奄美から喜界島への飛行時間は10分足らず。飛んだと思ったら、もう着陸態勢。午後4時過ぎに喜界島到着。人口が1万にも満たない小さな島。
 空港で自転車をレンタル。明日のライブ会場のサバニまで空港からチャリンコで数十秒の距離。多分、世界で最も空港に近いライブハウス。
 ホテルにチエックインして、さっそく海沿いを走る。途中、小学、4年生くらいの男の子と目が合ったら、その子の方から「こんにちわ」と挨拶してくれた。
 夜はサバニのマスター、栄さんと食事。食事前に豊嶋さんが、スギラビーチに連れて行ってくれて、水平線に沈む美しい夕陽を眺める。北海道常呂町の夕陽に続いて、またいい写真が撮れた。
 栄さんに連れて行ってもらった居酒屋では、山羊料理に挑戦。刺身はいけたけれど、山羊のレバー炒めはニオイがきつくて、一口食べたら、それ以上箸を付けられなかった。
 栄さんから、いろんな身の上話を聞く。
  栄さんは、若い頃には島を出て、鹿児島と大阪に住み、島に戻ってからは製糖工場で働き、家庭も持って、恵まれた暮らしをしていたけれど、40過ぎてライブ ハウスのオープンを考えるようになる。そのことを奥さんに相談したら、「賛成50%、反対50%」との返答が返って来たそう。栄さんはその返答をOKサイ ンと受け取って、決意を固める。
 喜界島で兄弟アコースティックデュオで活動していたdokidokiの2人も、オープンに向けての準備に加わ る。場所は空港近くの閉店したパチンコ屋を借りて、自分達の手作りで改装。一昨年の10月にオープンにこぎつけた。サバニを拠点に夢がどんどんと広がって いるようで、栄さんは去年会った時以上に生き生きとしている感じ。
  居酒屋を出た後は、車で10分程の場所にある公民館で行なわれている、喜界 島と徳之島の民謡交流会に連れて行ってもらう。到着したら既に、宴もたけなわ。徳之島民謡「ワイド節」の演奏が始まると、客席、ステージ関係なく、全員が 立ち上がり、歌い踊り出す。えらい盛り上がり。オレも無理矢理踊りの輪の中に加えられたのだけれど、踊り方がわからず、ちと戸惑う。
 会が終った後も、集まった人達の高揚はおさまらず、帰りの玄関口でも合唱と手拍子が始まる。いゃ~、すごい乗り。島唄パワーに圧倒される。共有できるグルーヴがあるというのは素晴らしい。
 帰りにまたスギラビーチに寄ってもらい、波の音を聴きながら、しばらくぼんやりする。夜空を見上げれば、満天の星。ものすごい数と輝き。圧倒される。
 ホテルに戻ったら、なんだか体がほてっているのに気付く。多分、山羊料理のせい。はやくに寝る。

2007年6月10日日曜日

徳之島ブルーズ

徳之島 MAC
 日中は亀津界隈を散歩。蒸し暑い。
 徳之島は奄美大島とは街の雰囲気がかなり違う。
 シャッターのおりた店も目 立つ、静かな商店街。雨風に蝕まれて、あちこちがひび割れ、みすぼらしく老朽化したコンクリートの建物。街全体に場末のひなびたけだるさのようなものを感 じる。自分のような通りすがりの人間にとっては、そのみすぼらしさやけだるさが心地よかったりする。
 徳之島ではカフェとかファーストフード店を 見かけない。ファミレスも島に1つしかないそう。時々みかける喫茶店も、ちょっと入りづらい。ゲーム機とか入ってそうな感じ(確認してないけど)。人口2 万人台の島にサウナが何軒もあるのも不思議。サウナ&喫茶なんて看板も見かけた。島の人達の気性は奄美大島に比べるとかなり荒く、義理人情に厚いそう。確 かに見た目喧嘩強そうな兄ちゃん、おっちゃんが多い感じ。
 ライブ会場のMACは、どこかうらぶれたニオイのするブルースバー。すねに傷持つワケありな人種が集まりそうな雰囲気。
 山形から船に乗って徳之島にたどり着き、50歳を過ぎてから、タイで性転換手術をうけて女性になったKちゃんが、大阪のおばちゃんなみのパワーを持つSちゃん、ダイナマイトボディーでシングルマザーのMちゃんらが去年に続いてライブを観に来てくれる。
  マスターの豊嶋さん率いるブルースバンドによる演奏が30分程行なわれてから、オレの出番。場の雰囲気に流されて、ブルージィーな曲を中心に演奏。それが はまった。クールかつワイルドな演奏。徳之島とMACの空気感が、ある種の感覚を呼び覚ませてくれた。やっぱり、あんまりマイルドにまとまっても、おもん ないもんな。

2007年6月9日土曜日

奄美~徳之島

 ホテルをチェックアウトした後、奄美市内をぶらぶら散歩。たまたま入ったカフェが、5年前に加計呂麻(カケロマ)島を訪れたときに、島を案内してくれたMちゃんが、姉妹でオープンさせたばかりのお店だった。思わぬ再会。
 みっちゃん、麓さんが車で空港まで送ってくれて、午後の便で小さなプロペラ機に乗って徳之島へ。
 去年、奄美経由で徳之島へ飛んだときは、台風の影響で、縦に横に揺れに揺れて、えらい怖い目にあった。今回は天候にも恵まれ楽な移動。
 徳之島空港に着いたら、明日のライブ会場であるMACの豊嶋さんが迎えに来てくれて、そのまま車で島を回って案内してくれる。戦艦大和の慰霊塔がある犬田布岬の景観が素晴らしかった。
  車中、豊嶋さんから島の話を色々と聞かせてもらう。かって3万を超えていた人口は、今は2万5千前後。闘牛の大きな大会が開かれるのは、5月のゴールデン ウィークと7月初旬。闘牛はギャンブルの対象になり、その時期には島外からもたくさんの人が集まり、億単位の金が動き、大人だけでなく小学生までお金をか けるそう。とにかく徳之島の人達はギャンブル好きで、カラオケに行けば、歌の点数が賭け事の対象になってしまうそう。賭け事による借金で首が回らなくなっ た人は、島から逃れて身を隠し、10年くらいしたら島に舞い戻り、また懲りずに賭け事をやっていたりするそう。徳之島は自殺する人が多くて、自殺の名所と なっている橋があるそう。徳之島はたくさんのヤクザを輩出している島だそう。等々。
 海辺にあるKさんの写真スタジオにも寄らせてもらう。素晴らしいロケーション。
 移動日があると、体が楽だし、余裕を持ってその土地を味わえるのでいい。

2007年6月6日水曜日

曽我部恵一バンドを観る

日中に打ち合わせを3つすませた後、夜は渋谷AXで曽我部恵一バンドのレコ発ワンマンライブを観る。ものすごいエネルギー。そこまでやるかというくらいに 熱いライブパフォーマンス。色気、繊細さ、力強さを併せ持った歌声は実に説得力があった。曲のクオリティーも高い。歓喜に満ち溢れたステージ。20日に行 なわれる「大阪うたの日コンサート」での共演が楽しみ。

2007年6月4日月曜日

お坊さん落ち込むー常呂にて

常呂町 常楽寺
 この日も快晴。しばらく雲を見ていない。
 リハーサル前に街をぶらついていたら、桜がひっそりと咲いていた。

 浄土真宗のお寺、常楽寺でのライブも3回目。
  オレのステージの前に住職の松本ひとしさんによる短い説法が行なわれた。いきなり「今日は落ち込んでおります」という言葉から始まったのには笑った。なん でも午前中に法事に行くのを忘れてしまったのだそう。そらあかんわ。それで、後から雑誌に乗っていた占いをみたら、今日はふんだりけったりの日だとのこ と。
 説法で、落ち込んでいると言ってみたり、占いを気にしていることを公言するお坊さんなんてめずらしいなあ。多分本当に落ち込んでいたのだろうけれど、その語りがいい意味で軽くて深刻な感じがしない。ひとしさんの聖職者然としない、くだけた感じにとても親近感を覚える。
 自分のステージでは、「今日は落ち込んでいるひとしさんにこの曲を送ります」とMCしてから「雨上がり」を歌う。
 打ち上げはゆうきさんの自宅に皆で集合。奥さんの手料理をいただく。すごい品数でどれも抜群においしかった。
  打ち上げでは住職のひとしさんと色々話しをする。話している中で、ひとしさんがいろんな矛盾や葛藤を抱えていることを知る。自分はそのことに、むしろ頼も しさを感じた。ひとしさんには身の丈を知ろうとうする謙虚さのようなものを感じる。こんならしくないお坊さんが居てくれた方がよい。
 ある聖職者が「宗教とは問い続けることだ」と語っていたそうだ。もし、そうであるなら、自分が創造に向かうときの前提にある姿勢とも共通しているように思う。
★ライブ会場の常楽寺にて住職のひとしさんと撮影。

2007年6月3日日曜日

北見から常呂へー最高の夕陽

北見市端野町多目的ホール「石倉」
オホーツク守る会/RIKUOを楽しむ集い「孤独をダンスに誘おう」
 昨日に続いて雲一つない快晴。
 午前9時過ぎのJRで約時間かけて北見に移動。北見駅には佐呂間のKさんが迎えに来てくれた。
 
 この日は、重度の障害者と、その家族とボランティアの皆さんの前での演奏。ライブを企画したのは、常呂町でいつもオレのライブを企画してくれていて、自身も障害者の息子を持つ浦西さん。
 とても生々しいリアクション。強いエネルギーを受け取った。楽しんでもらえたみたいでよかった。
 障害者とその家族の皆さんは、外でライブを楽しむ機会を持つことがなかなか難しい。自分でよければ、こういう企画にまたぜひ呼んでもらいたい。

 午後3時からのライブだったので、夕方には明日のライブ地の常呂町に移動。常呂はオホーツク海沿いにある人口数千人の小さな町。縁があって02年から毎年ツアーで通い続けている。
  この日、オホーツク海に沈む素晴らしい夕陽を見た。水平線に差しかかったあたりで、夕陽はさらに赤々と燃え上がり、これ以上ない余韻を残して沈んでいっ た。その後、水平線から空に向けて赤紫色の夕焼けが広がっていった。地元の人でもなかなか観れないというくらいの美しさだった。

2007年6月2日土曜日

旭川で昔の自分に出会う

旭川 アーリータイムス
 旭川の中学校で英語の先生をしているH君が、去年に続いて今回も、札幌から旭川まで車で送ってくれる。
  雲一つない快晴で、これ以上ないというくらいに気持ちのよい気候。車中のBGMはモータウン特集。軽快なリズムとキャッチーなメロディーが心地よく、旅の 気分をさらに盛り上げてくれる。途中、沼田で蕎麦食って、温泉に入るのは去年と同じ流れ。真布駅という単線の無人駅の前で、途中下車して一服するのも同 じ。真っすぐに伸びるレールの上で記念撮影。風がやさしい。空気がうまい。ほんといい気分。
 ライブ会場のアーリータイムスに着いたら、まずはマ スターの野澤さんにコーヒーをいれてもらって一服。「こんな音源が見つかったよ」と言って野澤さんが聴かせてくれたのが、自分が15年前初めて旭川に来た 時のライブ音源。サックスが当時のオレのプロデューサーだった梅津和時さん、ギターが藤原カオルちゃん。昔の音源って、自分ではあんまり聴くことがない。
 若いわ~。どの曲もテンポが早い。すごく性急で一生懸命。声が今と相当に違う。ちょっと無理して絞り出してる感じ。でも全体エネルギーがみなぎっていた。
 だいぶ変わったなあオレ。この感じはもう出せない。
 昔の自分に再会して、恥ずかしくもあったけれど、新鮮な刺激も受けた。
 開演直前に野澤さんが楽屋にやってきて、さっき聴かせた音源に入っていた「胸が痛いよ」を今日の本番でやってくれないかと、無理な注文をしてくる。最近のレパートリーに入ってない曲やし、いきなり言われてもなあ。
 けれど、ライブがいい感じで盛り上がり、気持ちが良かったので、アンコールで「胸が痛いよ」にトライ。
 ピアノは手探りな感じで始まった。声は伸びやかによく出た。15年前より艶も響きもある感じ。今の自分にとっては、あまりにも真っすぐな歌だが、だからこその力も感じた。野澤さんもお客さんも喜んでくれた。まあ、やってよかったかな。
★旭川への移動中。無人駅近くで撮影。

2007年6月1日金曜日

ヤンシーも札幌

札幌 レンガの館ホール
 快晴。湿気がなく、とても過ごしやすい。
 リハーサル前に中島公園を散歩。ライラックの花が綺麗。

 ライブ会場のレンガの館は昭和初期に建造されたレンガ造りの建物で、とても趣がある。主催は、現在レンガの館を所有する三角山放送局。三角山さんには'98年からほぼ毎年、オレのライブを企画してもらっている。付き合いも長くなってきたなあ。
  この日はヤンシーが偶然、同じ札幌琴似駅のライブハウスで、北海道在住のギタリスト関ヒトシさんと一緒に、あの知る人ぞ知るギタリスト、エイモス.ギャ レットと共演。1日ずれていれば、オレも観に行きたかったライブ。そっちに流れるお客さんもいるだろうなと思っていたら、オレのライブの途中で、突然席を 立って、出口に駆け出して行く人が。まず間違いなくヤンシーの方に行きよったな。
 この日の動員は芳しくなかったけれど、熱心なお客さんが集まってくれて、空席を熱気で埋めてくれた。
 打ち上げの2次会はススキノでヤンシーらと合流。ヤンシーがやたらとハイテンション。つられてオレも盛り上がる。飲んでもうたなあ。
★レンガの館外観
★ススキノではしゃぐヤンシー