2008年7月29日火曜日

アコパル.ワンマン

代官山 晴れたら空に豆まいて 
ソウル.フラワー.アコースティック.パルチザン
中川敬(vo,g,三線)/リクオ(key,vo)/奥野真哉(key)
 この日はライブ前の楽屋で、でステージでのMCを控えることを確認。関西人が3人集まって、話し始めると止まらなくなってしまうのだ。
 アコパルのステージも宴会芸と呼べそうな要素が結構多いのだが、この日はそれを少し控えて、より演奏に集中するよう心掛ける。
  山口洋、中川敬という、ある部分で対照的なリズム、グルーヴ、異なる音楽スタンスを、続けて体験できたことで、色々と感じるところ、考えるところがあっ た。どちらと一緒に演奏しても常に、手探りの緊張感と新鮮な開放感がある。そして、何がしかの問題意識、宿題のようなものを自分に与えてくれるのだ。
 この日の奥野君のアコーディオンは歌っているなあと思った。彼との音を通じての会話も楽しい。
 お客さんに満足してもらえたとの実感。
 「晴れたら空に豆まいて」とアコパルは相性がよい。お店のスタッフもいい感じ。ライブ終わってから、店のスタッフと飲みながら話しできるのがいい。

2008年7月27日日曜日

フジロック初体験

FUJI ROCK FESTIVAL '08
【場所】新潟県湯沢町苗場スキー場 New Power Gear Stage Gypsy Avaln
ソウル.フラワー.アコースティック.パルチザン
中川敬(vo,g,三線)/リクオ(key,vo)/奥野真哉(key)
 自分にとってはこの日がフジロック初体験。観に行ったこともなかった。だって客で行ったらステージに上がりたくなるでしょ。
 ご存知のようにフジロックにはいくつものステージがあって、自分達が出演するのはアヴァロンステージという比較的小さめのスペースだったけれど、ぎっしりのお客さんが集まってくれた。
  自分達の出番の前がジャネット.クライン。古き良きアメリカンミュージックを再解釈したサウンド。オレ、この人のCDを去年よく聴いていたのだ。もちろん 客席で聴かせてもらいました。バンドの演奏もスィングしててバッチリ。お客さんの乗りも素晴らしい。自然に囲まれた野外フェスって、やっぱりいいなあ。し かし、ライブ後半から雨。
 アコパルのステージはもの凄い盛り上がりになった。「満月の夕」の演奏が始まる直前に土砂降りの雨が降り出したのだが、その雨が余計に客席を煽ることになって、イントロが始まった時点でさらに大爆発。会場全体が大揺れの大合唱。すごいなあ。
 この名曲を、自分は2人の共作者それぞれと演奏しているのだが、かなり違いがあって面白い。山口洋の「満月の夕」は、客席は聴き入る感じ。中川敬のヴァージョンは、参加型のダンスミュージック。
 この日は自分も3曲歌う。かなりの手応え。お客に煽られて弾けまくった。フジロック楽しいなあ。
 毎年呼んでくれたらええのに。

2008年7月20日日曜日

種子島で泳ぐ

せっかく種子島に来たんだから泳ごうということで、島を発つ前に、寺さん、朝ちゃん等と、ホテルから浜田海水浴場へ。
 ここの海がまたえらい奇麗で、30メートル程泳げば、珊瑚も群生。千座(ちくら)の岩屋と呼ばれる太平洋の波が造った海蝕洞窟も神秘的でよかった。いや~、来てよかった。
 これにて南の島シリーズ終了。
 焼けたなあ。

2008年7月19日土曜日

種子島初上陸

場所: 宇宙が丘公園(鹿児島県種子島南種子町)
【出演】リクオwith寺岡信芳(ba.)、朝倉真司(per.)/CALM (band-set)from 種子島<SAYAKA/YUさん/DJ MAO>
 鹿児島から船で役1時間半。種子島は初上陸。この10日程、南の島づいているんである。
 南青山にあるライブハウス「月見ル君想フ」のスタッフでもあるシュンスケ君が港まで迎えに来てくれる。すっかり焼けてるねえ。今回のイベントには月見ルのスタッフも関わっていて、そのつながりで自分が呼んでもらえることになったのだ。
 種子島港からイベント会場まで車で1時間近く。種子島って思ってたより広いんやな。けれど、会場に着くまでの間ほとんど人とすれ違わなかった。
 宇宙が丘公園は2千人くらいは収容できそうなスペース。でも、こんな場所に人が来るんかいな?
 予感は当たった。オープンしても会場には、のんびりとゆる~い空気が漂ったまま。そんな中、オレと寺さんと朝ちゃんがステージに登場。
  夏の夕暮れ時の野外、自然を感じながらの演奏。ステージからお客さん全員の顔姿が確認できた。演奏が始まったら、皆、実にいい笑顔で、体を揺らしてくれて いた。オレたちもどんどん気持ちよくなってくる。興行としては成り立っていないのだが、心地よい鳴空間ができあがった。
 100年に1度の皆既日食に合わせた来年のイベントには、きっと各地からたくさんの人が押し寄せるんやろな。
 来年も呼んでや。
 
  スタッフの人間から夜中に海辺でウミガメの産卵が見れると聞いたので、無理をお願いして夜中に長浜海岸まで車で連れて行ってもらう。明日の出演者である堂 島孝平君と渡辺シュンスケ君も同乗。結局ウミガメは1匹も見当たらなかったけれど、月明かりに照らされた真夜中の浜辺は幻想的で美しかった。

2008年7月18日金曜日

二つの季節

鹿児島市 Bar MOJO
 沖縄から一旦湘南に戻って、息つく間もなく鹿児島へ。
 こっちも暑いね~。
 なんか1人でライブやるのが、すごく久し振りな感じ。演奏してても、まだ山口とのツアーの余韻が残っていて、アッパーな方向に行くと、どんどん盛り上がってしまうんである。
 オープニングで歌ってくれた三浦さん(色気がました感じ)、マスターの三宅さん他何人もの人達と約1年振りに再会。この1年の間にも確実に時は流れていて、皆色々ありながら、この場に至っているのだなとの感慨。
 元気でよかった。
 生きてるだけでまるもうけ。
 夏は好きやな。開放的で盛り上がる。
 ただ、夏真っ盛りなのに、既に秋の気配も感じている自分もいる。年を積み重ねて、自分の中に二つの季節が同時並行しているような感覚が大きくなってきている。

2008年7月15日火曜日

ツアーファイナル

沖縄北谷 モッズ
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ
 今回のライブを企画してくれたハーベストファームの野田君は、表面は寡黙なんだが、内面の熱量は相当なもんである。この日の北谷ライブも彼が自ら手を挙げてくれることで実現した。
 離島に4日間いたせいで、那覇が随分都会に感じた。
 会場入りする前に公設市場界隈を散歩。石垣や宮古ではあまり感じられなかった人の賑わいと活気に触れる。しわくちゃのおじい&おばあが元気そうに働いている姿を見たら、こっちも力が漲ってくる感じ。日本の他の都市にはない土着のニオイがした。
 この日のライブ会場のある北谷のアメリカンデポは、野田君に言わせれば「東京のお台場みたいな場所」なんだそう。土着のニオイは希薄である。
 モッズの喜屋武さんは、この街で音楽文化を根付かせようとさまざまな試みを行っている人だ。2年振りに訪れたら、地元に帰ってきた息子さんが店を手伝っていた。

 ライブはツアーファイナルにふさわしい盛り上がりになった。30本のツアーを経てきた意味が十分に感じられる内容だった。その前の宮古島のライブを経て、この日にたどり着いたことの意義も大きいように思えた。山口はあの日のライブであらたに気合いを注入された感じ。
 集中力の持続という点に置いて、31本のツアーの中で、この日が最高であったと思う。お客さんのリアクションも素晴らしくて、ほんとにありがたいと思った。

 今回のツアーは、同じステージに、同じ立場で、自分とは違うもう一つの個性が存在していることによって、気付かされ、考えさせられることが多かった。とくにこの3週間は、いろんな意味で内容の濃い、実に印象深いツアーになった。
 
 ちょっとシラフに戻って、反芻しなきゃいけないなという気分。

ツアーに関わってくれた人達、足を運んでくれたお客さん、そしてヒロシに心より感謝。

2008年7月14日月曜日

宮古で泳ぎ、そして考える。

 日中は砂山ビーチでシュノーケリング。
 コバルトブルーの海、美しい珊瑚、色彩豊かな南国の魚、素晴らしい。
 夜は飲んで食って、いつもよりは早めにホテルに戻る。ベッドに横になってもなかなか寝つけず、なんとなく考えごと。

 「旅に埋没する」とは?
 刹那に溺れ明日のビジョンを見失うこと。
 けれど、この瞬間がなければ明日はない。
 明日のビジョン?ハプニングを楽しみ、気紛れに生きることこそが最大の自由では?
 自分は酔い過ぎではないか?酒に酔い、音楽に酔い、自分に酔っている。シラフの自分が必要だ。でも酔っている自分が解放された自分だ。いや、酔いながらもシラフでなきゃ表現なんかできない。
 自分につっこめ。自分を笑え。人生を笑え。「のりつっこみの人生」で行こう!
 酔った自分を、もう一人のシラフの自分が眺めている。けれど、夜が更けてゆくにつれ、シラフの自分が消えてゆき、最終的には酔いつぶれて終わり。その繰り返しである。酔いつぶれる前に駆け巡ったあの思考、切ない感情をもっと思い出して、言葉にできたら。

 さまざまな時間軸、価値観が、自分の中で同時に存在している。
 

2008年7月13日日曜日

宮古島リアル

沖縄県宮古島 ROADHOUSE雅歌小屋BASEMENT
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
 山口もオレも、宮古島は初上陸。
  空港まで迎えに来てくれたこの日のライブ会場、雅歌小屋のマスターは、プロレスラーのようながっちりした体躯で、腕にはタトゥー(実はシールらしい)、真 黒なグラサンをはめて、ちと強面の風貌(けど、グラサンとったら結構愛くるしい瞳だった)。石垣では出会わなかったタイプ。

 ホテルにチエックインした後にすぐに山口と車を借りて、島を1周する。
 池間大橋で一度車から降りて、海の景色をながめる。あまりの美しさに思わず声がもれる。東平安名崎の景色も素晴らしかったなあ。自分が今まで見たどの海とも違う、特別な美しさを宮古島の海に感じた。
  抜けるような海の美しさとは対照的に、宮古島の街の雰囲気は、どこかくたびれていて、ゆるく、場末のやさぐれ感が漂っていた。徳之島の街の雰囲気に近いと 思った。旅の途中で、こういう街に身を置くと、取り残されたような寂しさを感じる一方で、なんかほっとする。自分を縛っているある種の価値観、時間の流れ から解放された気分。
 奄美大島と徳之島との関係とも共通しているのだが、隣の石垣島に比べると、宮古島の島民の気性は結構荒いらしい。隣の島同士なのに、気質、風土にかなり違いがあるのが面白い。

 ライブが開演したのは夜の9時半を過ぎてから。宮古タイムである。
  演奏中でも途中入場してくるお客が結構いたりして、客席の集中力は散漫になりがちだった。多くのお客さんが、ステージとお酒と会話を同時に楽しもうとして いる様子で、特にライブの前半は、盛り上がるときは盛り上がるのだが、客席が終止ステージに釘付けになるという感じではなかった。1部の演奏が終わる頃に は飲み過ぎて酔いつぶれてしまうお客もいた。
 この日集まったお客の多くは、リクオだかクリオだか、ヒロシだがキヨシだか、よく知らずに来たという人達だったように思う。
 最近こそ、こういう現場は減ったけれど、自分が今のようなツアー暮らしを始めた当初は、そんなにめずらしいことではなかった。そんな環境の中で、自分は自らのスタイルを変化させ、順応させていったように思う。それは食ってゆくためでもあった。
 まずは、その場のお客さんに楽しんでもらうこと。そのためには、自分のミュージシャンエゴや自意識が邪魔になることもあった。それらを押さえることによって、自分は今まで感じることのなかった開放感、自由を得ることもできたように思う。
  今の自分は、こういう現場が嫌いではない。旅をしている気がして、いつもとは違うわくわく感がある。猥雑な空間が好きなのだ。けれど、こういう現場が何日 も続けば、やはり消耗する。ファンでいてくれる人達の前でパフォーマンスできる幸せと、ファンではない人達の前でパフォーマンスできる開放感の両方を味わ い続けることができたら贅沢だろうなと思う。

 2部のステージが始まったのが、11時を過ぎてから。いつものように山口にしばらく休んでもらって、自分のソロコーナーから始める。ステージドリンクは泡盛。
  場の空気と気分にまかせて、その場で歌いたいと思う曲を歌った。歌いだして何か違うと感じたら、すぐに演奏を止めて、違う曲に変えた。それがパフォーマン スとして成立した。ジュリーの「時の過ぎゆくままに」を歌いたくなって、歌ってみたら、はまった。女性の歓声が聞こえる。けれど、その女性はもしかしたら まだオレの名前も覚えていないのかもしれない。
 場の空気、客の視線とリアクションが、自分の中のエロス、オスの部分を多いに引き出してくれた。この開放感に勝るものがあるのだろうか?すごくせつな的。
 自分のソロコーナーを盛り上げるだけ盛り上げて山口を紹介して、いつものように「パラダイス」を一緒に演奏。
 この後、山口が何を歌うのか?
  そもそもこのツアーにおいて、その日の曲順を開演前に決めるのは山口の役目であったのだが、ツアーの途中から彼はその役目を放棄して、ステージ上で曲順を 決めるようになった。オレは彼の曲間のMCや、ギターのイントロを聞いて、次の曲を判断した。別にそれで問題はなかった。むしろ、マンネリ回避になってよ かった。
 で、この時に山口が弾き始めたギターのイントロは、意外にも「満月の夕」のそれであった。アンコール以外の場面でこの曲が演奏されるの は、このツアーの中ではじめてのことだった。彼がこの場面でこの曲を演奏することの意味、大げさに言えば覚悟のようなものを感じて、さっきまでとは種類の 違う高揚を覚えた。
 真剣を抜いたような緊張感と集中力。客席はステージに釘付けになった。その集中力は、アンコールが終わるまでずっと途切れることがなかった。 
 ステージは常に不安との闘いである。この日の山口は、その不安を真正面から乗り越えたような印象を持った。彼の気迫と集中力を引き出す要因の一つとなった「悔しさ」を、自分も忘れるべきではないと思った。
 ある程度流れに身を任せることで自由になろうとした自分と、真剣を抜いて一気に世界を変えた山口、解放へ至る道はさまざまである。
 アンコールはディランの「I shall be released」を、友部正人さんの日本語訳で歌う。
 
 HOBO JUNGLE TOUR、残すところ1公演。

2008年7月12日土曜日

白百合(泡盛)恐るべし。そして石垣タイム。

沖縄県石垣島 Jazz Barすけあくろ
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ
 昨夜はいささか飲み過ぎてしまったようだ。朝目覚めてもまだ、昨夜の白百合が残っていて、体がだるかった。
 午後から、こーちゃんが車で海に連れて行ってくれるというので、昼食を済ませた後、ホテルの前でヒロシと待ち合わせをしたのだが、彼はひどい二日酔いで登場。さっきまで部屋で相当に吐いていたそう。そんな状態でも海には行くという。
 天気は快晴。コバルトブルーの海は実に美しかった。オレは海パンに着替え、シュノーケルを装着して、南国の海を楽しんだ。一方の山口は、木陰で眠り続けていた。それもあり。

  この日の開演予定時間が午後8時半。ライブが始まったのが9時頃。石垣タイムである。こっちの人は仕事が終わって、家帰って、飯食って、一服してから、ラ イブに出かける感じ。時間の流れが違うんである。電車がないから終電の時間を気にする必要もない。郷に入れば郷に従え。石垣の夜は長い。

 ライブが始まる頃には、山口もなんとか回復。
 この日は2部で、山口がいきなりステージにあったドラムを叩き出して、オレのピアノ&歌とセッション。これがなかなかのグルーヴ。
 アンコールで「満月の夕べ」を演奏すると、客席から「イーヤーサーサー」の間の手が入るところが、やはり沖縄である。この曲での山口の歌い方は、2人でツアーを始めた頃と比べると、変わってきたように思う。

 アンコールを終えて、ステージを出たときに、基本的に言葉の少ないマスターのみつおさんから「リクオありがとうね」と言われたのが、嬉しかった。  
 88歳の唄者(うたしゃ)ナミィさんがライブを観に来てくれて、ライブ後に少し話しさせてもらえたのも嬉しかった。
 吉祥寺から沖縄浦添市に引っ越したばかりのK夫妻、数年前まで那覇でCDショップをやってたKさんとも、思いがけず再会。
 

 すけあくろのCD棚にニーナ.シモンのアルバムがたくさん揃っていたので、打ち上げの後半では自分がDJになって、ニーナ.シモンの曲ばかり選曲する。あまりにも素晴らしい。




★ナミィさんの譜面

2008年7月11日金曜日

HOBO JUNGLE TOUR2008最終章へー沖縄石垣島上陸

「HOBO JUNGLE TOUR のラストは沖縄で締めたい」と言い出したのは山口だった。それで、ツアーの最後は、石垣島、宮古島、本島の沖縄3ヶ所を巡ることにした。辺境の地をホーボーし続けた今回のツアーにふさわしい締めくくり方だろう。
  午後4時半頃に石垣空港に到着。飛行機から降りる際に、「いろんな土地に行くけれど、こんなにわくわくする場所はなかなかないよ」と嬉しそうに語る山口。 自分にとっては、約2年振りの石垣島。陽射し、空気、景色、人の佇まい、何もかもが内地とは違う。自分も山口同様、早くも開放的な気分。
 明日のライブ会場である「すけあくろ」のマスター、みつおさんと、「すけあくろ」の看板娘の百ちゃんが空港まで車で迎えに来てくれて、ホテルまで送迎してくれる。百ちゃんはこの2年の間に色々あったらしいけど、しばらく見ない内に、きれいになったなあ。
 
  自分はチエックイン後、陽が暮れるまでしばらく街をぶらつく。この2年の間に新しい店が増えて、以前より街がカラフルで華やかになった感じ。石垣島には数 年後に新しい空港ができることが決まっていて、開発、観光地化に増々拍車がかっている様子。相変わらず内地から移り住む人が絶えず、新しいお店の多くは、 彼らによるものが多いようだ。以前には見かけなかった新しいお店で、ハット帽を一つ買う。
 夜は山口、みつおさん、百ちゃん、石垣で白百合という 泡盛を作っているこーちゃん、そしてこの沖縄ツアーに東北から遊びに来た知人2人を交えて、会食。南国に来た開放感も相まって、とにかくよく飲む。最初の 店で白百合のボトルを4本空けてから、すけあくろに場所を移してまた飲み続ける。
 山口はすけあくろで、石垣島に住む88歳の唄者(うたしゃ)、 ナミィさんのアルバムを聴き、彼女の写真集と、新聞の折り込みの広告用紙の裏を使って作られたオリジナル譜面をみつおさんから見せてもらい、痛く感激して いた。ナミィさんの表情は自然体でありながら毅然としていて、凛とした佇まいがあった。




★公設市場の前で撮影
★白百合の空きボトル

2008年7月8日火曜日

どこまでいくねん!

豊橋 HOUSE of CRAZY(ハウスオブクレイジー)
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ
 HOBO JUNGLE TOURはここにきて、演奏もパフォーマンスもさらにテンションが上昇して、エスカレートする一方。「どこまでいくねん」という感じ。自分の中では高山あたりから、「暴力性」とか「ワイルドネス」に火かついた感じ。
 「どこまで自分を解放させることができるのか?」それは、ライブでの最大のテーマの一つであるけれど、こういう日々を続けていると、きっとどこかで反動がやってくる。「解放された自分と日常の自分とのバランスをどうとってゆくか?」ということも大切な課題に違いない。
 最近はステージを終えて楽屋に戻ると、しばらくの間息が整わない。こういうライブばかりをやりたいわけではないのだが、今はこういう流れなのだろう。とにかくライブ中は、自分の中にエネルギーが充満している。 
 特に2部以降は、今まで自分がHOUSE of CRAZYで演らせてもらってライブの中でも、屈指の盛り上がりになった。
 HOUSE of CRAZY、いつもありがとう!!

2008年7月7日月曜日

豊橋へ

 加古川から豊橋への移動日。
 オレは、大阪で取材を一つ受けて、豊橋まで電車移動。
 豊橋到着後、陽が暮れてから、明日のライブの主催 者の白谷君、山口、オレの3人で、ホテルの近くの居酒屋へ。軽く飲むつもりが、話がディープな方向におよび、結局かなり飲んでしまった。ツアーを重ねた上 でないと、こういう互いの深部に触れるような話はできなかったと思う。
  HOBO JUNGLE TOUR は、オンステージでもオフステージでも、相手の懐に1歩踏み込まざるをえないところがあって、それが面白い。

2008年7月6日日曜日

島田が泣いた日

兵庫県加古川市 ダイニングカフェ Cecil(セシル)
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ
 3日連続ライブはやはりきつい。そしてこの暑さである。
 自分は疲れると、話すのが面倒になって無口になりがちである。こういう時は開演までは無理をしない。なるべくスイッチをオフにしておく。
 山口が前回セシルでソロライブを行った時は、PA設備が整っておらず、音響的に苦労したらしく、その日の打ち上げで、ギャラの一部をPA設備の寄付金として置いて帰ったそうだ。
  その心意気に応えて、セシルは新しいPAシステムを揃えてこの日のライブにのぞんでくれた。しかし、いかんせん、スタッフがその新しいシステムをまだうま く使いこなせず、当日のリハーサルも色々と手間取り、随分と時間がかかってしまった。本番を迎えるにあたっての音響状態は決して万全とは言えなかった。
 そして本番の前半では、ギターの音が出なくなったり、静かなギターソロの最中に、厨房でコップが落ちて大きな音がなり、演奏が中断されたり、さまざまなトラブルが続いた。山口はライブ中に、これらの現象を「セシルの呪い」と命名。
 ライブは「セシルの呪い」をもネタにして乗り越え、えらい盛り上がりなった。この日も、ライブの後半でお客さんが総立ち。山口風に言うならば、「この日たどり着いた場所はまぎれもなく『LAND OF AHO』」である。
 前日はヒロシが壊れ、この日はオレが壊れた。自分の中のワイルドネスが暴走して、レッドゾーンを超えた。ここまでせんでもええのに。
 アンコールを終えて楽屋に戻るとすぐに、セシルの代表島田君が、泣き顔で挨拶に来てくれた。島田君の心意気とこの日のライブへの思いは、オレと山口にも、客席にも、伝わっていた。だからこその「LAND OF AHO」である。
 一旦火のついたワイルドネスはなかなか冷ますことができない。だから打ち上げでも盛り上がってしまうんである。




★ヒロシの前でファイティングポーズをとる島田君。

2008年7月5日土曜日

ヒロシが踊った日

京都 磔磔 
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ
 京都のうだるような蒸し暑さは、ツアーの疲れを一層増幅させた。
 開演前の山口は、疲労困憊の様子。大丈夫か?今日のステージ。
 しかし、客席の素晴らしいノリが、2人に思いっきりエネルギーを注入してくれた。理想的な開放空間。
 そしてヒロシが壊れた。
 打ち上げでの宴会芸?としてそれ以外の場所では封印されていたヒロシダンスが、ついにステージ上で披露されたのだ。オレらは何でもありか?
 この振り幅の広さ。
 多分、昨夜のライブがなければ今夜のライブの乗りは出なかっただろう。
ツアーを続ける意味を感じた。




★祇園祭の季節

2008年7月4日金曜日

猥雑空間

飛騨高山 ピッキン
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ
 高山には前日入りして、日中は山口と自転車を借りて街を散歩。オレが高山に来た際に、よく行く大黒屋という蕎麦屋へ山口を連れてゆく。やはり、ここの蕎麦はうまい。
 この日の高山も、かなり蒸し暑かった。日が暮れても、思った程気温が下がらない。そう言えば夏の高山に来たのは始めてかも。

  この日のライブ会場であるピッキンのマスター、高原さんと話をしているうちに、自分がピッキンに通い始めて今年で10年になるということが判明。そうした ら高原さんが10周年を記念して、ライブを観に来たお客さん全員にビールを1本ずつ振る舞う太っ腹サービスを展開してくれる。2部が始まる頃にはお店に あったビールがすべてなくなる。
 2部は自分のソロステージから始まったのだけれど、1部に比べると、明らかにお客の酔いが回っていて、随分と砕 けた、猥雑な雰囲気に変化していた。こういう場でのライブは、自分はめっぽう得意な方だとは思うのだけれど、曲調やパフォーマンスはある方向に偏る。内省 的なバラードや1対1の曲調を続けても、あまり長くは集中して聴いてもらえないから、客席参加型のリズムのある曲調や、宴会芸的なパフォーマンスに走りが ちなんである。そうすると客席はいつも以上に盛り上がる。ただ、そういう状況で、どうやって歌心を伝えるかである。
 多分、自分が影響を受けたヴ ギウギやブルースが育まれたバレスハウスやホンキートンクと呼ばれていたような黒人居住区に存在した安酒場の雰囲気は、この日の猥雑さと共通しているのだ ろう。そういう空間の中でお客は、酒に酔い、多いに盛り上がり、体を揺らしながらも、演奏の中に含まれる切なさを共有していたに違いない。
 この 日のお客さんは、山口とオレのコアなファンと呼べるような人は少数派であったと思う。山口にとってはピッキンでのライブは始めてだから、アウェー感もあっ ただろう。自分には、こういう場でのライブにこそ、THE HOBO JUNGLE TOURの意味の一つがあるように思えた。
 こういう現場では、いつもより体力を使うけれど、自分の中のワイルドネスが余計に呼び覚まされる感じで、普段のステージ以上の開放感がある。客との掛け合いも面白い。ライブが進むにつれて、自分のMCも演奏もどんどんガラが悪くなっていった。
 2人のライブで客がスタンディングになったのはこの日が始めてだろう。お客もそれくらに解放されていたと言える。けれど、アンコールに至って客席はもはや、じっくりと音楽を聴くという体勢にはなかった。
 山口が最後のフレーズを歌おうとしたまさにそのときに、酔った客のしゃべり声が山口とオレの耳に入った。その瞬間、山口は歌うのを止めた。その場に緊張が走る。
 自分は演奏を止めず、小声で山口に「ONE MORE」と合図して、最後のフレーズをもう一度ピアノでリフレインした。山口がラストのフレーズを歌い直し、ライブは終了した。
 とても生々しい現場だった。

2008年7月2日水曜日

夏が来た

長野市 ネオンホール 
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ

 この日から豊橋までのツアーは車移動。
 車移動中は、ほぼずっとi-podからの音楽が鳴り続けている。考えてみれば、最近こうやってじっくりと音楽に耳を傾ける時間もなかったように思う。
 車移動だと、他の移動手段に比べて、山口と会話する時間も多くなる。同じ人間と、何日も続けて、これだけたくさんの会話を交わすこともそうそうない。
 山口が自分自身を見つめ直す時期だとすれば、彼と時間を過ごすことで、おのずと自分も自身を見つめ直す機会を得ているように思える。
 彼とは同世代であるだけでなく、育った家庭環境にも共通点が多い。メンタリティーも共通する部分がある一方で、相当に違ったキャラの2人でもある。これだけ似ていて、これだけ違うというのが面白い。
 自分は山口程の理想主義者ではないなと思う。多分、いつからか、理想に走り過ぎることを自制するようになった気がする。「常にこうありたい」という縛りから自分を解放させてあげたくなったのだろう。
 「流れてゆく」ことの自由さを求める一方で、流されすぎることで自分が失ってゆくもの、失ったものもあるのだろうと思う。ある知り合いから
「リクオは寅さんの方向に行き過ぎているかも」というようなことを言われたこともある。
 山口とツアーして、彼の姿を見ていると、こういうことを考えさせられるのである。

 長野は30度を超える暑さ。「ああ、もう夏なんだな」という実感。
 ネオンホールはいつ来ても懐かしく感じる場所だ。この懐かしい空間に、主催の高木君やネオンホールの小川君がお膳立てを整えて、旬の熱気を用意してくれた。もちろん、それに応えないわけがない。
 高木君は、かっては東京に住み、メジャーレコードメイカーで働いていそうだ。業界の中で挫折を経験して地元に戻った彼は、今再び、「どこまでもピュアに音楽に向き合うことで、どれだけ人と繋がれるのか」という挑戦を始めているようだ。
 こういう人間がいてくれないと自分達は成り立たない。
 ありがとう。
★打ち上げにて