2008年9月3日水曜日

ロックミュージックとクラブミュージック

5日大阪でのアルバム発売記念ライブを直前に控えてのリハーサル。バンドメンバーだけでなく、照明、PA、映像スタッフが揃っての通しリハ。
 いい流れ、いい乗り。まさにセツナグルーヴィー。今回のライブで、離ればなれになりがちだった自分のいくつかの要素を、いい形で引き合わせることが出来そうだ。

  自分のライブの進め方、流れの作り方というのは、クラブDJからの影響が強い。寺さん、学くんとヘルツをやっていた頃は、クラブに遊びに行ったり、クラブ イベントに出演する機会が多くて、そういう現場でDJ達が曲のつなぎの工夫とセンスによってグルーヴを操り、フロアを盛り上げる様に、刺激を受けていたの だ。今回のステージは、そういうDJ 的アプローチの要素が近年になく強くなりそう。

 自分がクラブカルチャーによく触れていた時に感じ た違和感は、その音楽、表現の匿名性が高すぎるという点だった。お皿を回している人、演奏している人達の顔が見えにくいのだ。しかし、そこにステージ側の 人間とフロア、客席側の人間との新しい関係性を前向きに感じていた部分もあった。ロックスターとファンという関係よりも隔たりがなく、自由に思えたのだの だ。実際に自分がフロアでグルーヴに身を委ねていると、我を忘れてバカになって、ただただ気持ちよくなることに集中できるのがとても幸せで、快感だった。
  それまで自分がこだわっていたロックミュージックは、こだわればこだわる程に理屈っぽくなっていって、肉体性から遠ざかってゆくようなところがあった。た だただ快楽に素直なクラブミュージックは、自分にある種の初期衝動を思い出させ、洗練と肉体性を両立させる表現が可能であることを教えてくれたように思 う。
 しかし、良質なロックミュージックに含まれている“ひっかかり”や“ストレス”が与える刺激も、自分にとってはいまだに捨てがたい要素であ る。自分の音楽にはやはり“心のノイズ”が必要だ。そのノイズをいかに押し付けがましくなく、暑苦しくなく伝えてゆくか、それが今回のステージのテーマの 一つというか、表現者として自分がこれからずっと意識してゆくべきテーマなのだと思う。
 自分はやはり、シンガーソングライターとして、1人の人間として、1人のオスとして、ステージに立ちたい思う。余計な我はいらないけれど、"割り切れない思い”を切り捨てることはできない。

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