2010年4月30日金曜日

また訃報

 多和田えみちゃんのマネージャー、コンディさん(近藤宣幸)が亡くなられたとの連絡を受ける。先日も電話で話したばかりだったのに。自分と同じ45歳。同世代感覚を共有できる音楽人だった。もっと話がしたかった。

2010年4月29日木曜日

沢田としきさんのこと

 絵本作家の沢田としきさんが27日、白血病のために亡くなられた。
 今日葬儀に参列してきた。
 沢田さんとはライブペインティングで3度共演させてもらった。特に、山口洋を交えた沖縄での共演で、リズムに合わせてキャンバスを素手て叩いていた姿が 印象に残っている。メロディーとリズムに合わせて、沢田さんの描く風景もどんどん変化していった。体全体から歓喜のエネルギーがほとばしっていた。お互い が触発し合いながらの、ほんとに素敵なコラボレーションだった。
 沢田さんは下北沢界隈の住人だった。ラ.カーニャに行けば、結構な割合で沢田さんに会うことができた。いつも和やかで楽しいお酒だった。笑顔ばかりが思い出される。

2010年4月25日日曜日

児玉奈央ライブに飛び入り。そして日本のアコースティック系ミュージシャンについて考える。

 この日も大阪に残り、阿波座にあるカフェ、マーサでの児玉奈央ちゃんのライブに急遽飛び入り。セッション曲は、ニーナ.シモンのナンバーからジャズのスタンダート、ブルース、高田渡さんのナンバーまで、幅広い選曲。ほんと楽しかったなあ。
 奈央ちゃんと最初に出会った頃、彼女はまだ二十歳前後だったと思う。彼女とサケロックの星野源君がPolypというユニットを組んでいた時期があって、 自分は2人のレコーディングを手伝ったことがあるのだけれど、そのときに2人が録音していた曲が「穴を掘る」。すっかりその曲を気に入って、その後カ ヴァーさせてもらい、今も自分のライブでは定番の曲。
 実は奈央ちゃんのワンマンライブをじっくりと聴くのは今回が始めて。出会った頃からとても素敵な声をしていたけれど、時を経て、ほんと素晴らしいシンガーソングライターに成長したことを実感した。歌詞にも言霊が宿っているような力を感じた。
 サポートメンバーの伊賀航くん(ベース)、長久保寛之くん(ギター)のプレイもとてもよかった。
 日本にもいい演奏者がたくさんいるなあ。

 昨日のおおはた君とこの日の3人の演奏&歌に共通しているのは、音を立体的にとらえて楽器と声を響かせることができる、演奏に息つぎ、間があるというこ と。そしてリズムに自覚的。アコースティックな弾き語りでもファンキーな乗りがあって、体が揺れるのだ。こういう力を備えたアコースティック系のミュージ シャン、シンガーソングライターが、日本でも随分増えてきたと思う。これはオリコンチャートの左側に入るJ-POPとはまた違った動きだ。
 ミュージシャンを輩出する一つの要因になっているのは、ライブ環境の変化だと思う。自分がライブ活動を始めた80年代半ば頃の演奏場所は、ほとんどライ ブハウスで、ロックバンド使用の音響チューニング、モニターシステムの中で演奏することがほとんどだった。あくまでも大音量のバンド使用を想定した空間だ から、アコースティック楽器の生音や空気感、奥行きを生かした演奏、音作りを目指すのには、必ずしも適した場所ではなかったように思う。
 しかし90年代のクラブムーブメントを経て、90年代後半から、ライブハウスやクラブ以外の場所、普段は飲食経営を基本とするカフェやバーなどがライブ を企画するようになって、アコースティック系のミューシャンがそちらに流れてゆくようになった。
 ライブハウス以外のカフェなどにアコースティック系のュージシャンが集まり出した要因はいくつかある。まず、そういう場所は無名の演奏者であっても、ラ イブハウスのように、チケットノルマを課したりしない。演奏者側へのチャージバック率はライブハウスよりもずっと高くて、7割バックは当たり前、店によっ ては全額バックのお店もある。なぜ、そういうことができるかというと、お店が基本的に飲食で成り立っているからだ。
 飲食で経営が成り立てば、店側のやりたいライブだけを企画すればいい。無理にブッキングを埋める必要もない。ライブの数が少なければ、店側が一つのライ ブに集中して告知宣伝できる。お店がお客を呼んでくれて、ギャラもライブハウスよりもらえるとなれば、カフェやバーの方に演奏者が流れてゆくのは当然だ。
 カフェやバーはほとんど100席未満のキャパ。50席前後のお店が最も多いかと思う。そういう場所では、ライブハウスのような本格的なPA、照明システ ムを導入するとこは難しいし、あまり必要がない。アコースティックで小編成のスタイルなら簡易なPAシステムで充分演奏可能。よってモニターシステムさえ ないというお店も多い。
 演奏者は、モニターPAに頼らないことで、楽器を生音で鳴らす、響かせる、生音でアンサンブルのバランスを取るということに自覚的にならざるを得ない。この状況が結果的に演奏者の耳と演奏力を鍛えてくれることになった。
 自分よりも若い世代のアコースティック系ミュージシャン、例えばハンバートハンバートの2人とリハーサルしたとき、彼らはその場の一切のPAシステムを 使おうとしなかった。歌とアコースティック楽器によるアンサンブルなのだから、確かにわざわざマイクやアンプに通す必要もないのだ。
 バンバンバザールの3人なんて、ツアーで移動中のライトバンの中や楽屋でリハーサルをすましていたりする。そういう演奏者はライブハウス育ちの演奏者とは楽器の鳴り方が違うし、フットワークが軽くて、精神的にもたくましい。
 もちろんライブハウスと呼ばれる場所の役割が終わったと思っているわけではない。ただ、そういった場でフォローしきれなかった表現や才能が、違う現場で 育まれているということ。ライブハウスのあり方も変化し続けていて、下北沢440のようにカフェ&バーの要素を含んだライブハウスも存在するようになっ た。
 日本の音楽シーン全体のことはわからないけれど、状況の変化に応じて、さまざまな現場で新しい才能が育まれていることは間違いないと思う。自分もそういう新しい才能に触れて、若い生き血をどんどんと吸っていけたらと思う。

2010年4月24日土曜日

大阪でおおはた君のライブを観る

 知人の結婚パーティーに参加するため京都から大阪へ。
 しかし寒いなあ。
 日中の時間に、おおはた雄一君が、阿波座にあるカフェ、マーサで新譜リリースのプロモーションを兼ねたトーク&ミニライブをやっていると聞いたので、 パーティーに出関する前に、顔を出す。おおはた君は、自分より下の世代の日本のシンガーソングライターの中で最も共感できる一人。
 この日は、新譜からの曲がギター弾き語りで披露されたのだけれど、曲演奏含めて、以前よりポップかつエモーショナルになった印象を受けた。出会った頃は もっと老成したイメージ。ちなみにオレの最新アルバム「リクオ&ピアノ」の1曲目はおおはた君の名曲「ホーボーへ」をカヴァーさせてもらってます。

 知人の結婚パーティーでは3曲演奏する。内1曲は、シンガーソングライターの島崎智子ちゃんと2人で、佐野元春さんのナンバー「君を連れて行く」をカヴァー。青年期を終えた男女二人の新しい旅立ち、やり直しの歌。
 智子ちゃんとセッションしたのは始めてだったけれど、素晴らしい集中力。不思議な存在感。
http://www.youtube.com/ShimasakiTomoko#p/a/u/1/kphCAFiw9mQ

 いい結婚パーティーだった。
 Mクン&Iチャン、結婚おめでとう!これからもよろしくね。

2010年4月23日金曜日

姉が本を出しました

 文化人類学者である姉が、フィールドワークの魅力を紹介する「フィールドワーク探求術ー気づきのプロセス、伝えるチカラ」西川麦子著(ミネルヴァ書房)という本を出版することになり、そのお祝いの食事会に参加するため実家のある京都へ帰る。

 京都は日本の他都市に比べると、街並の変化が緩やか。自分の遊び場だった近所のお寺、神社も昔のまんま。今でも、過去からの連なり、歴史を、暮らしの中 で感じることができる街。古いものと新しいもの、保守性と革新性、両者が同居しているところが京都の良さだと思う。
 年を重ねるにつれて、自分の本質が重層的だと自覚するようになってきたのだけれど、それは京都という街で生まれ育ったことも影響しているように思う。
 どちらかというと否定的な意味を込めて、京都人は裏表があると指摘されけれど、それは重層的であるという話にもつながる気がする。裏表を使い分けるいや らしさを否定したい気持ちはわかるけれど、自分の中にある裏表を自覚していない人はもっとやっかいな存在に思える。

 さて姉の本の話である。自分は文化人類学に対する知識も興味も薄いのだけれど、この「フィールドワーク探求術」に関してはとても興味深く読み進めることができた。
 文章はとても平易で、体験談が多いこともあって、感情移入できる部分が多かった。表現に、えらそぶったり、かっこつけたところがなく、こう見せたい、こう思われたいというたくらみが皆無なのが彼女らしいと思った。
 姉が続けてきたフィールドワークの歴史は、自身に向き合い続ける、あらゆる角度と距離から自分にツッコミを入れ続ける歴史なのだということがよく伝わってきた。
 文化人類学におけるフィールドワークの魅力を伝えるだけでなく、日常の中で心のフィルターを取り除く重要性と難しさ、自分を取り巻く世界の眺め方、コミットのあり方等々、色々なことを教えてくれたり考えさせてくれる本だと思う。
 姉のことを書いたのははじめてやなあ。

2010年4月17日土曜日

地元藤沢ライブ

神奈川県藤沢市 LongToneCafe (ロングトーンカフェ)
【サポート】朝倉真司(パーカッション)/橋本歩(チェロ)
オープニングアクト:はっと
 朝ちゃん、歩ちゃんとのトリオ編成でのステージはかなり久し振り。常にではなくてもずっと続けて行きたいスタイル。
 02年のヘルツ解散以降、試行錯誤を繰り返す中で、2人との出会いが自分のサウンドに与えた影響は大きい。サウンド面だけでなく、精神面でも2人には支 えてもらってきた気がする。わがままも色々と聞いてもらったし。出会ってからずっと、2人は自分の最高の理解者であると勝手に思っている。自分が暮らす藤 沢で3人のライブをできることがとても嬉しかった。  オープニングでは湘南を中心に活動するはっとがハートウォームな弾き語りを聴かせてくれた。暮らし の中から生まれた歌だということがとてもよく伝わってきた。
 この街でのライブの盛り上がりはいつも最高だ。まるでダニーハサウェイのライブ盤みたい。どんどん盛り上がって色んな自分が引き出される感じ。この高揚感、一体感、インスピレーションをいつまでも忘れずにいたいなあ。

2010年4月16日金曜日

新宿二丁目ライブ

新宿 道楽亭 Ryu'sBar
 三鷹にあった文鳥舎が、今年2月、新宿二丁目への移転を機に店名も道楽亭に改名。自分は移転後としては初ライブ。  
 リハーサル後、急ぎタクシーをつかまえて、ヤギヤスオさんが個展をやっている南青山のビリケンギャラリーへ向かう。
 ヤギさんは、細野晴臣さんの「トロピカル・ダンディー」のLPレコード・カヴァーで、イラストレーター、デザイナーとしてデビューし、じゃがたら、ボ・ ガンボスなど、様々なレコードやCDジャケットを手掛け、ずっと音楽にかかわり続けてきた人だ。大先輩なのだけれど、90年代後半から00年に至る時期、 下北界隈でよく一緒させてもらっていたので、同時代を共に生きた人という意識がある。
 ヤギさん本人と久し振りに電話で話した際「遺言を残すような気持ちで個展をやるから来てもらいたい」と言われ、どうもその遺言という言葉が気になって、これは無理をしてでも足を運ばねばという気持ちになった。
 多分9年振りくらいに再会したヤギさんは以前のアンディー.ウォーホールみたいな出で立ちから、あごひげを伸ばして仙人っぽいルックスに変化していた。順調に歳をとってはいたけれど、お元気そうに見えた。
 個展会場で、なんとまた札幌に続いてカーネーションの直枝さんとバッタリ。札幌で再会したときに手渡した「リクオ&ピアノ」を聴いてくれて、とても気に入ってくれたそうで嬉しかった。トムズキャビンの麻田さんにも久し振りにお会いする。
 開演時間が近づいていたので、あまりゆっくりする間もなく新宿へ戻らねばならなかったのが残念。

 道楽亭スタッフによれば、二丁目界隈のお店で「リクオ&ピアノ」をかけてもらうと、ゲイの人達からすこぶる評判がいいとのこと。新しい客層開拓できるかな。
 二丁目という場所柄、落語寄席が行われるステージ、50人で満席というお客の近さ、場内の熱気、それらの状況に多いに影響されて、道楽亭ライブは相当に弾けた内容になった。関西みたいに客席からのツッコミが多くて楽しかったなあ。

2010年4月14日水曜日

キャロル.キングとジェイムス.テイラー

 キャロル.キングとジェイムス.テイラーのジョイントコンサートを日本武道館で観た。
 素晴らしいステージだった。
 ギターにダニー.コーチマー、ドラムにラス.カンケル、ベースにリーランド.スカラーというファンにとってはたまらないサポート陣。選曲はお客のニーズ に完璧に応える往年のヒット曲メドレー。けれど営業的なニオイは全く感じなかった。ステージの人間が自分達の役割を自覚した上で、邪念を捨て、心から楽し みときめいて演奏しているのが十分伝わってきた。広い武道館の2階席から観ていて、ステージがとても近く感じられた。
 10代、20代の頃からの音楽仲間が、60代半ば後半を迎えても充分現役で、こうやって日本にまで来て一緒に演奏できるなんて、ほんと素晴らしいなと思う。

 自分は今回のボブ.ディランの来日公演を観ることができなかったけれど、キャロル.キングとジェイムス.テイラーのステージとは対照的な内容だったよう だ。聞くところによれば、ディランはほとんどの曲でギターではなくオルガンを弾き、演奏された曲すべてのメロディーは、原型をとどめない程変化していて、 曲のアレンジもライブ毎に変わっていたそうだ。ディランを知る人なら、その態度を意外には思わないだろう。
 ときめきと共鳴に至るプロセスは人それぞれ。自分にはキャロル.キング、ジェイムス.テイラー、ボブ.ディランそれぞれのあり方が素晴らしいと思える。3者はきっと自分の役割を自覚的しながら我が道を進んでいるんだろう。
 
 行ってよかったなあ。

2010年4月11日日曜日

出し切ったー北海道ツアー最終日

北海道函館市 喫茶「想苑」
 北海道ツアー最終日。汽車で札幌から函館に向かう。体が重い。車中何度もウトウトしながら、その度に汽笛で目が覚める。1週間で6ヶ所公演というのは、 やはりきつい。けれど函館に着いて、ホタテ&イクラ丼+シャケハラス定食を食べたら、なんだか急激に元気が出てきた。
 会場入りする前に、主催者の浜田夫妻が車で立待岬に連れて行ってくれる。アイヌ語でヨコウシ、待ち伏せするところ、つまりここで魚をとろうと立って待つ、に因むそう。すごく風が強かった。
 「想苑」は 函館山の麓、函館公園の前にある50年続くジャズ喫茶。ここのグランドピアノの鳴りと会場の響きは素晴らしい。鳴りがあまりにも良いので、前回に続いてピ アノにはマイクを立てなかった。弾けば弾く程、自分になじんでくる感覚があって、1回のステージで別れるのが残念に思える程。
 チケットはソールドアウト。ツアー最終日にふさわしい盛り上がりになった。曲を一緒に口ずさむお客さんが多かった。
 アンコールが終わったらクタクタだった。出し切ったという感じ。
 
 この日も打ち上げで地元の人達と色んな話をした。ツアー中は、たくさんの人達と出会って、さまざまな話を聞かせてもらうけれど、毎日ツアーを重ねる中で、その多くを忘れていってしまう。もったいないなと思う。反芻する時間も必要だ。
 自分が地方で出会う人達は、その町では異端的な存在であったり、他の町から移り住んできたという人が多い。けれど彼らの多くは孤立しているわけではな く、横のつながりを築き、地域に根付こうともしている。この日のライブ主催者、浜野くんもそんな一人だと思う。
 異端者やよそ者であったり、そのような視点を持っている存在が、地域を活性化させるのかもしれない。
 充実した1週間だった。

2010年4月10日土曜日

札幌は都会

札幌 公開秘密結社あじとII
【オープニングアクト】イソベック(スモゥルフィッシュ)
 釧路から汽車で札幌へ。旭川入りしてからこれまで、北海道の自然に触れ圧倒される機会が多かったので、札幌が余計に都会に思えた。
 この日のライブ会場、「あじとII 」の若いスタッフ達は皆、生き生きとしていて、現場を楽しんでいるのが伝わってくる。レトロなお店の作りも素晴らしく、オーガニックな料理もホント美味しい。置いてあるアプライトピアノの鳴りも良い。いいお店だ。
 主催者のマルちゃんは実にオープンで笑顔が最高。彼の人柄が横の繋がりをどんどんひろめてゆく。
 PAのほっちょさんは、地元からの音楽発信を真剣に考えて、地域に根付いた活動を地道に続けている。
  こういう人達とのつながりを実感してライブできることは幸せだ。とにかく現場には開演前から、いい気が充満していた。
 ライブは立ち見が出る盛況。ホント心地よいエネルギー循環の場になった。オープニングのイソベックの弾き語りもよかった。歌もギターも柔らかく響鳴していた。

 都会の夜は長い。2次会は元トマトスの清さんのお店、バイーアへ。そこで同じくツアーで来ていたカーネーションの直枝さんにばったり。こういう再会も都会ならでは。
 東北で暮らしていて、札幌に戻ってきた知人が「こちらでは地域社会の横のつながりを作るのが難しい」と話しているのを聞いて、やっぱりここは都会やなと。
 自分は田舎と都会、昼と夜、聖と俗を行き来しながらバランスをとり続けている感じ。

2010年4月9日金曜日

北海道ツアー5日目ー釧路にて

釧路 喫茶ラルゴ
 廃校の教室で、気持ちのよい朝を迎える。
 永井さんとスタッフのN君が、虹別から釧路まで車で送ってくれる。道中、温泉に入ったり、丹頂鶴をみたり、ザンギを食べたり、何度も途中下車。
 釧路市街に雪はほとんど残っていなかったけれど、風は冷たく、春はまだ遠い感じ。この辺りの桜開花は5月半ば頃から。
 ラルゴのライブも4回目。今年は今迄と違って、お店にアプライトピアノが置かれていた。なんだかずっと前からそこにあったみたいに馴染んでいた。多分、自分がラルゴに来ることがなければ、このピアノがここ置かれることもなかったんじゃないかと思う。
 マスターの豊川君の思いを充分に受け取り、それをエネルギーにしてパフォーマンス。リピーターのお客さんも多くて、釧路が自分にとって帰ってこれる場所になったような気がした。
 ライブ後、豊川君のお母さんの手料理をいただく。ツアーの疲れがたまった体にとても優しい料理で、ありがたかった。
   

2010年4月8日木曜日

牧草地と森林に囲まれて廃校ライブ

北海道 虹別 COMFORTABLE SPACE 月の森(旧中虹別小学校)
 快晴。
 午後の出発までの間、海沿いと町を散歩。冷たく乾燥した空気が気持ちよく感じられた。耳は凍えたけど。
 常呂町のしんやさん夫妻が、この日のライブの主催者である永井さんと待ち合わせている美幌峠まで、車で送ってくれる。道中の景色がホント素晴らしかっ た。遠くに姿をあらわした知床半島は実に幻想的。美幌峠から見下ろした屈斜路湖は自然の大パノラマ。絶句するほどの美しさだった。
 美幌峠から車で40分程、酪農地帯のど真ん中にある廃校がこの日のライブ会場。回りは雪に埋もれた牧草地と森林。人を全くみかけない。自分がツアーした中でも最も辺鄙な場所だろう。
 この廃校「月の森」の管理者Nさんは、カメラマンでもあり、近くの西別川の写真を撮り続けているそう。リハーサル後、彼の写真集を見せてもらう。永井さ んが撮る西別川の自然は寄りのショットが多く、見ていて、まるで生物の細胞や粒子を顕微鏡で覗いているような、生物や自然の起源をたどってゆくような不思 議な気分にさせられた。
 どこからか人が集まってきて教室は満席になった。前回来た時にも日記に書いたように思うけれど、お客さん全員狸が化けてるんじゃないかと想像させるくらい、現実感が希薄で、不思議な感覚。
 打ち上げもそのまま教室に残って、地元の人達と交流。色々な話を聞かせてもらう。
 隣町の町内会長さんの葬儀改革の話なんてなかなか聞かれへよな。町に葬儀屋がないので、町内会が葬儀を取り仕切るのだけれど、その葬儀のやり方をどう改革してきたかという話。
 乳牛牧畜の牛は放牧するもんだと思っていたら、一生牛舎に閉じ込めたままの場合の方が多いそう。乳の出なくなった牛は食肉として屠畜業者に回されるそ う。屠畜として移送される牛は、牛舎を離れる際、抵抗はしないけれど涙目になるそう。そうすると牛舎の他の牛達が一斉に鳴き出すのだそう。
 他に、北海道で採れる小麦と輸入小麦の違いとか、このあたりにアイヌの大酋長がいた話とかetc. 
 打ち上げのあとは、そのまま教室に宿泊。ぽっとんトイレ、久し振りやったなあ。

2010年4月7日水曜日

本堂ライブ

北海道北見市常呂町 常楽寺本堂
【サポート】朝倉真司(パーカッション)
 昨夜から雪が本格化して20センチの降雪。すっかり白銀の世界。朝ちゃんと一緒にオホーツク海をながめに出かけるも、あまりの寒さと雪の深さですぐに退散。昨日に続いて2人で「ワッカの湯」へ。絶景のサロマ湖を眺めながらゆっくりと湯につかる。
 常楽寺本堂でのライブも恒例化。本堂の阿弥陀如来様をバックに多いに盛り上がる。ドレッドから坊主頭に変身した朝ちゃん、常楽寺の風景にすっかり溶け込 んでいた。彼の参加をお客さんがとても歓んでくれた。朝ちゃん自身も今回の常呂町来訪を多いに堪能してくれた様子。自分も彼の目を通して、新鮮な気持ちで 常呂を再体験できた気がする。
 ライブのオープニングでは、急遽、常呂出身のキリガミスト、ちあきさんが着物で登場。大変達者な切り紙芸をみせてくれた。これも常呂ならでは?
  住職のヒトシさんは相変わらずのゆるいキャラ。打ち上げの席で、オレに悩み相談をしてきたり、酔って情けない顔で「死ぬのが怖いよ~」とのたまった り、ちっとも聖職者らしくない姿に、かえって宗教人としての誠実さを感じる。町の人達からも愛されている様子。この日は酔いつぶれておられました。

2010年4月6日火曜日

常呂町接待

 JRで旭川から遠軽へ。漁師のN君が遠軽駅まで車で迎えに来てくれて、常呂町に向かう。道中、漁の話をいろいろ聞かせてもらう。常呂は毛ガニ漁が解禁になったばかり。この時期が一番おいしいそう。
 サロマ湖で白鳥を眺めたり、漁港で船がクレーンにつり上げられて着水する様子を眺めたり、市場を覗いたり、道路脇に顔を出したフキノトウの写真をとったり、道中、寄り道ばかり。
 常呂町で、パーカッションの朝ちゃん(朝倉真司)と明日のライブの主催者の一人浦西さんと合流して、サロマ湖沿いにある温泉「ワッカの湯」へ行き、ゆっくりと湯につかる。雪が降り出して気温は氷点下。露天風呂はあまりにも寒過ぎた。
 同じサウナで汗を流していた漁師さん2人の会話が耳に入ってくる。そう多くはないけれど越冬したと見られる越前クラゲが網にかかっているとのこと。こんな厳冬のオホーツクにも越前クラゲが現れるとは。
 夜は主催の一人、しんやさんの自宅に招待されて最高のもてなしを受ける。地元の皆さんも料理を持ち寄って集まる。地元の旬の食材をふんだんに使った料理 は、これ以上ないんじゃないかいというくらいに美味しかった。毛ガニはひとり一匹。キンキの刺身があんなに美味しいとは知らなかった。
 日本の食料自給率が40%を割っているのに対して北海道は約200%。常呂町にいたっては2700%。嘘のようなホントの話。山、海両方の恵みが豊富で、季節ごとに旬の食材が揃う常呂では、人々が自然との繋がりを強く実感しながら暮らしている。
 この日は驚いたことが一つ。自分が毎年常呂町に通うきっかけをつくってくれた浦西さんが、3月末の市議会選挙に立候補して見事に当選していたのだ。 え~、聞いてないよ。浦西さんが掲げたキャッチコピーが「幸せの循環社会」。らしいなと思った。立候補するずっと以前から、福祉活動やイベント企画を通し て、浦西さんがそのような社会の実現を願って行動してきたことを知っていたから、心から祝福したい気持ちになった。

常呂町接待

 JRで旭川から遠軽へ。漁師のN君が遠軽駅まで車で迎えに来てくれて、常呂町に向かう。道中、漁の話をいろいろ聞かせてもらう。常呂は毛ガニ漁が解禁になったばかり。この時期が一番おいしいそう。
 サロマ湖で白鳥を眺めたり、漁港で船がクレーンにつり上げられて着水する様子を眺めたり、市場を覗いたり、道路脇に顔を出したフキノトウの写真をとったり、道中、寄り道ばかり。
 常呂町で、パーカッションの朝ちゃん(朝倉真司)と明日のライブの主催者の一人浦西さんと合流して、サロマ湖沿いにある温泉「ワッカの湯」へ行き、ゆっくりと湯につかる。雪が降り出して気温は氷点下。露天風呂はあまりにも寒過ぎた。
 同じサウナで汗を流していた漁師さん2人の会話が耳に入ってくる。そう多くはないけれど越冬したと見られる越前クラゲが網にかかっているとのこと。こんな厳冬のオホーツクにも越前クラゲが現れるとは。
 夜は主催の一人、しんやさんの自宅に招待されて最高のもてなしを受ける。地元の皆さんも料理を持ち寄って集まる。地元の旬の食材をふんだんに使った料理 は、これ以上ないんじゃないかいというくらいに美味しかった。毛ガニはひとり一匹。キンキの刺身があんなに美味しいとは知らなかった。
 日本の食料自給率が40%を割っているのに対して北海道は約200%。常呂町にいたっては2700%。嘘のようなホントの話。山、海両方の恵みが豊富で、季節ごとに旬の食材が揃う常呂では、人々が自然との繋がりを強く実感しながら暮らしている。
 この日は驚いたことが一つ。自分が毎年常呂町に通うきっかけをつくってくれた浦西さんが、3月末の市議会選挙に立候補して見事に当選していたのだ。 え~、聞いてないよ。浦西さんが掲げたキャッチコピーが「幸せの循環社会」。らしいなと思った。立候補するずっと以前から、福祉活動やイベント企画を通し て、浦西さんがそのような社会の実現を願って行動してきたことを知っていたから、心から祝福したい気持ちになった。

2010年4月5日月曜日

過去と現在が連なる場所 過去と現在が連なる場所

旭川 アーリータイムズ
 1週間で北海道6ヶ所を回るツアーが始まった。初日は旭川。
 空港で荷物を受け取った後、用意していたダウンジャケットを着込む。空気は冷たかったけれど、予想したほどの寒さじゃない。雪はまだ随分と残っていた。
 空港までマスターの野澤さんが車で迎えに来てくれて、市街に入る前、温泉施設にオレ一人を置いていってくれる。ゆっくり湯につかって、仮眠室で一時間睡 眠をとった後、野澤さんが再び迎えに来てくれて、会場入り。早朝に部屋を出て、睡眠不足だったから助かった。
 アーリータイムズ を訪れるのは2年5ヶ月振り。そんなに期間があいた気がしない。リハーサルはさっさと切り上げて、マスターが入れてくれたコーヒーを飲みながら、いつもの メンバーと一緒にのんびりと会場までの一時を過ごす。何も変わらず迎え入れてもらっている感じ。Tちゃんがかなり年下の男性と結婚したとのこと。そりゃめ でたい。やはり時は流れている。
 アーリータイムズ にはこの場所ならではの独特の空気感と音響がある。それらは積み重ねられた想いが作り上げたものだ。この場所では過去と現在が連なるイメージの中で、演奏することができる。
 ステージを終えて、やはり2年5ヶ月の間に自分も少しずつ変わっていったんだなと思った。
 また戻って来ます。

 夜は急激に冷えた。店を出てタクシーでホテルに戻る道中、運転手さんが「この寒さが和らいで、雪が溶け、春が訪れたときの嬉しさはひとしおですよ」と語ってくれた。

2010年4月3日土曜日

白石ミルトンでユーミンを歌い、神様について考える 白石市八幡町 カフェミルトン

白石市八幡町 カフェミルトン
 藤沢から東京駅を経由して新幹線で白石へ。車窓から見える満開の桜が、序所につぼみに変わって行った。白石は予想以上に寒かった。こちらの桜開花は4月の半ばを過ぎてから。
 ミルトンとの付き合いはまだ2年程なのだけれど、ママとマスター、森田さんのお母さん等に笑顔で迎えられて、帰って来たなあという気分。調律中のピアノ の音色を聴きながら、カレーとコーヒーをいただき、リハーサルが始まるまでの時間、ゆっくりと会話を楽しむ。ツアー中のこういう時間が好きで、早めに会場 入りすることが多い。
 自分は、弾き語りライブの場合、普段はリハーサルにあまり時間を費やさないのだけれど、この日は会場時間が過ぎたことにも気付かずに、ピアノを弾き続け た。音を出しているうちに普段ライブでやらない曲を色々と弾いて歌ってみたくなったのだ。ミルトンに住む音楽の神様が自分をそんな気にさせてのかもしれな い。
 最近のライブでは「リクオ&ピアノ」に収録されている、ユーミンの「やさしさに包まれたなら」をほぼ毎回演奏している。この日のミルトンの空間には、この曲がよくはまった気がした。
 歌の中でユーミンが歌う「神様」とは、キリスト教やユダヤ教、イスラム教のような一神教の神様ではなく、自然のさまざまにやどる多神教の神様をI意味し ているように思う。日本には四季があって自然からの恵みが豊かだからこそ、こういう宗教観が生まれやすかったようだ。一神教を否定する気持ちはないけれ ど、さまざまに神様が宿るという発想は大らかになれていいなと思う。
 自分は、特定の信仰を持たずに生きてきたけれど、信仰そのものを否定しているわけではない。一神教を信仰する誰かの宗教観を聞いて、共感することもあ る。そういう人達にとっての信仰は、依存のためでなく、心を開き自立に向かうために存在しているように感じる。彼らは他人を脅したり、ひれ伏させたり、共 依存関係をつくろうとはしない。いつまでも問い続ける姿勢をなくさない。自分には、神様に頼り過ぎること、依存し過ぎることが、世の中のさまざまな不幸を 招いているように思える。
 この日のライブではアルコールの神様に頼り過ぎたお客さんが若干1名。彼は恐らく翌日、二日酔いと後悔の念に悩まされたことだろう。オレも時々あります。

 この日もミルトンならではのライブになった。曲によってはアレンジがいつもとは随分変化した。数年振りに演奏する曲も数曲。とても新鮮な気持ちで演らせてもらった。
 前日がマスターの誕生日だったので、アンコールでお客さんと一緒にハッピーバースデーを歌って祝福。打ち上げではシャンパンとワインが何本も空いた。
 いい夜でした。