2010年5月30日日曜日

覚悟

石田長生3Days Hit!サニーナイト
場所:大阪 心斎橋 JANUS
【出演】石田長生/藤井裕/リクオ
 今月2度目の大阪。大阪を離れて14年になるけれど、いまだに大阪での仕事が多くて、しょっちゅう通っている感覚。
 この日は、同じ関西育ちで、一回り世代が上のギタリスト&シンガー、チャーさんとのBAHO、ソロアーティスト、さまざまなセッションでも活躍する石田 長生さんのライブにゲストで出演させてもらう。もう一人のゲストは石田さんの盟友でもあるベーシスト&シンガーの藤井裕さん。アマチュアだった学生の頃か らお世話になっていた先輩2人に囲まれてのライブということで、とても感慨深い夜になった。
 この日のライブ会場JANUSは今年オープンしたばかりのお店。大きさはクアトロくらいなのだが、ステージが低くて客席が身近に感じる。客席後方には バーカウンターがあって、くつろげるソファー席も用意されていて、大人対応のライブハウスという感じ。飲食も充実している。下北沢のガーデンといい、スタ ンディングでキャパ500人を超えるライブハウスで、こういうスタイルのお店が出て来たことはとてもいいと思う。どちらのお店もミラーボールがあるのが嬉 しい。
 JANUS店長のムーちゃんは、元々十三のライブハウス、ファンダンゴの名物店長だった女性で、自分とは学生時代からの付き合い。いい音楽を聴けば、す ぐに踊り出すファンキーな乗りは、昔のまま。ブッキングマネージャーの津田さんも、元々梅田にあったライブハウス、バーボンハウスにいた人で、学生時代か らの付き合い。
 つまりこの夜は、音楽を通じて20年を超える付き合いの関西人が再会する場でもあったのだ。お客さんとして来てくれた落語家の桂あやめさんとも、久し振りに再会。自分とは同い年。とてもお元気そうだった。
 本番では石田さん裕さんと8曲をセッションさせてもらう。とても楽しくて、印象に残るセッションだった。ステージ上で石田さんから「リクオ、腕上げたなあ」と言われる。
 藤井裕さんは、ベース奏者、セッションマンとして一時代を築いた人だけれど、50代の後半になって清志郎さんプロデュースの元初のソロアルバムを発表。 今はシンガーソングライターとしての音楽活動を主にしている。50代になってから、これくらい劇的に活動スタンスを変える人もめずらしいし、すごいことだ と思う。
 石田さんも裕さんも、音楽性は幅広く雑多。どんな切り口で演奏してもスタイリッシュにはならず、イナタサがあって、本人のルーツ、育ち、人間臭さが伝わってくる。2人は音楽に対して増々ピュアになっていっているように感じた。
 10数年前、酒の席で一緒させてもらった時に石田さんが自分に漏らした言葉がずっと忘れられずにいる。
 「オレは野垂れ死にするような気がする」
 その時の石田さんは、冗談を言っている様子ではなく、かと言って先を悲観しているようにも見えなかった。自分はその言葉にある種の覚悟を感じ取った。
 裕さんは音楽以外のさまざまなものを捨ててきた。大げさではなく常に死と向き合った生き方をしている人なのだと思う。
 ブルーズの神様はこういう覚悟を持った表現者に降りてくるのだろう。 
 石田さんも裕さんも生き様が音に表れている。二人の表現は、これから増々味わい深いものになってゆくに違いない。自分もそうありたいと思う。
 

2010年5月28日金曜日

横浜サムズアップ、最高グルーヴ!

横浜 ThumbsUp(サムズアップ) 
「セツナグルーヴ2010」
【ゲスト】多和田えみ(VO)
【サポート】寺岡信芳(ベース)/朝倉真司(パーカッション)/阿部美緒(ヴァイオリン)
 この日のライブ会場、横浜サムズアップは、自分が思う理想のライブハウスの一つ。飲食が充実していて、大人が楽しめるという点では、ブルーノートとか、 ビルボードライブと共通しているけれど、サムズアップはそれらよりもっとくだけて猥雑な空間だ。チャージ、飲食料金もずっと良心的。
 オーナの佐布さん始め、お店のスタッフの顔がとてもよく見えるのも特徴の一つ。皆がやりがいを持って働いているのが伝わってくるし、自分達がいいと思う音楽を提供しよう、音楽文化を育んでゆこうという気概がお店に感じられる。
 オーナの佐布さんは、サムズアップ以外にもいくつかのライブスポットを経営していて、お店以外の場所でも、さまざまなライブイベント企画にも関わってい る。自分が暮らす湘南にはサムズアップの元スタッフによるミュージックバーやカフェが何軒もある。佐布さんはお店経営を通じて多くの人材を育成しているの だ。神奈川の音楽文化への佐布さんの貢献はとても大きいと思う。
 サムズアップでバンドスタイルのライブをやるのは始めてで、とても楽しみにしていた。この場所でなら自分が思う理想空間を作れると思った。まるでダニーハサウェイのライブ盤みたいな、あの乗り。
 その予想は間違いじゃなかった。特にライブ後半は、会場全体が一つになってグルーヴしているような感覚。こちらの演奏と一緒に歌っている時のお客さんの 笑顔は最高だった。ライブは観るものではなく参加するものであり、歌は本来聴くものではなく歌うものなんだということをあらためて実感した。
 ゲストの多和田えみちゃんは、最高にソウルフルな歌を聴かせてくれた。その声はとても深いところまで響いた。彼女の素晴らしさの一つはその感応力にあ る。感じ取って瞬間に呼応する力がずば抜けているのだ。元々耳がいいというだけでなく、オープンマインドであろうとする彼女の姿勢が、その能力を高めてい るのだろう。
 とても大きなつらい別れをしたばかりの彼女にとって、今回一緒にセッションした5曲は、その別れを思い出さずにはいられない歌ばかりだったのではないか と思う。けれど彼女はそういうそぶりを一切見せず、感情に流されることなく、見事な集中力で5曲を歌いきった。大げさではなく、彼女の歌うことへの覚悟を 感じずにはいられなかった。
 寺さん、朝ちゃん、阿部美緒の演奏は今回も素晴らしかった。もっとみんなとライブやりたいなあと心から思った。
 この実感の積み重ねを頼りにこれからもやってゆくつもり。

2010年5月23日日曜日

出会い、再会、愛情、リスペクトー友部正人トリビュートライブ

友部正人トリビュートライブ「ある日ぼくらは友部正人を見つけた」
場所:東京 下北沢 GARDEN  
出演者:遠藤ミチロウ、杉山章二丸、知久寿焼、原マスミ、ハンバートハンバート、バンバンバザール、峯田和伸、三宅伸治、森山直太朗、YO-KING、リクオ、友部正人(50音順)
 友部正人さんの還暦を祝ったトリビュートライブに参加させてもらった。最高の夜だった。
 友部さんとの付き合いは自分がデビューする前からだから、もう20年を超える。友部さんに出会わなければ、自分の音楽は今とは少し違ったものになっていたかもしれない。
 近年の友部さんは、佇まいが前よりも大らかで、笑顔が無邪気になったように思う。ステージを観ていても、以前よりも友部さんのときめき、開放感がよりス トレートにこちらに伝わってくるようになった。こういう友部さんの変化が自分にはとても頼もしく思えるし、年をとることは悪い事ではないのだと教えても らっている気がする。そして、あのぶれない、擦れない姿勢は以前とちっとも変わらない。
 この20年の間、たくさんの刺激と勇気をもらってきたけれど、友部さんはいまだにとても魅力的な存在だ。そんな友部さんに今でも最大の刺激を与え続けているのは、奥さんのユミさんではないかと思う。

 楽屋はまるで友部学校の同窓会のような雰囲気だった。出演者の中には、YO-KING、知久くん、ミチロウさん等随分とご無沙汰していた人も多かったけ れど、会えばすぐに以前と同じフィーリングを共有できた気がした。お互い元気に笑顔で再会できたことがホント嬉しかった。
 本番が始まったら出演者のほとんどは、自分の出番以外は楽屋のモニターか舞台袖で、ステージの演奏に耳を傾けていた。出演者それぞれが友部さんの楽曲を 含む2曲を順番に演奏していったのだけれど、どの演奏も印象に残る素晴らしいものだった。自分はチェロの橋本歩ちゃんと2人で友部さんとの共作である「カ ルヴァドスのりんご」と友部さん訳詞によるボブ.ディランの「アイ.シャル.ビー.リリースト」の2曲を演奏。
 友部さんがソロで歌った後に、最後に出演者全員で友部さんの曲を3曲セッション。特に「僕は君を探しに来たんだ」は盛り上がったなあ。サビの部分を出演者、お客さん皆で大合唱した時はすごい高揚感だった。
 この空間にいられることがとてもとても幸せだと感じた。出会い、再会、愛情、リスペクトに満ち満ちた素晴らしいイベントだった。
 友部さん、還暦おめでとうございます。これからもよろしくお願いします。

2010年5月20日木曜日

7th FLOORのやさぐれピアノ

渋谷 7th FLOOR
「東京ピクニック~木曜日を週末にする1つの方法~」
出演:東京60WATTS/保刈あかね/タニザワトモフミ
ゲスト:リクオ
 久し振りに7th FLOORのピアノを弾いたら、前よりもアルコールがしみこんだような、やさぐれた音がした。しばらく会わんうちに色々とあったんやね。
 自分の出番まで随分と時間があったので、楽屋近くのカウンター席に座って、自分よりもずっと下の世代の演奏に耳を傾ける。あれこれ批評するよりも漲るエネルギーを受け取りたい。
 久し振りに東京60WATTSの演奏を聴いた。彼らは既に30代に突入した。バンドを結成してもう10年になるのだそうだ。60WATTSの演奏を聴いているとアルコールがすすんだ。彼らの音楽には哀愁がある。
 7th FLOORのやさぐれピアノはこちらの思いに実によく応えてくれた。自分が酔ってるのか?ピアノが酔ってるのか?多分両方。ライブ中は、自分が歌う正面の 窓越しに見える「ホテルロダン」の照明が、ずっと視界に入り続けた。ロダンと言えば「考える人」。なぜにラブホでロダン?円山町界隈のいかがわしさもこの 夜の自分のステージに影響を与えたようだ。
 俗を突き詰めると聖に至るのか?聖と俗を切り離すことはできない。
 真理は逆説だらけ。

2010年5月18日火曜日

三崎港にて

陽気に誘われて、ぶらりと三浦三崎港まで出かける。藤沢からだと電車で2時間くらい。意外と遠い。
 目的の一つは、美味しい魚を食べること。そしてもう一つの目的は、かってYMOのブレーンだったり、BOOMのプロデュースを手掛けるなどして音楽業界 の真ん中にいたFさんが、東京を離れ三崎港で始めたというカフェ「ミサキプレッソ」を訪ねること。Fさんの近況を教えてくれたのは山口洋。彼も最近、三崎 港を訪れて偶然Fさんに再会したのだそう。
 Fさんは自分の突然の訪問をとても歓んでくれた。結局、日中からワインを開けてもらって一緒に飲み始め、閉店時間を過ぎても飲み続け、いろんな曲を聴きながら、たくさんの話をさせてもらう。
 Fさんは2年前から地元の児童合唱団「かもめ児童合唱団」のプロデュースをしていて、その音源も聴かせてもらう。児童達が地元にゆかりの深い北原白秋の 作品や70年以降のポップミュージックなどをカヴァーしていた。「I Love You ok」のカヴァーは笑った。エネルギーに満ち満ちた破壊的とも言える歌唱。自分はFさんが歌詞を担当し、彼らのために書き下ろされた曲が一番胸にきた。プ ロデュースを超えた思いが凝縮されていた。
 Fさんと話していると、彼がこの場所に隠居したのではなく、辺境から何かを発信しようとしていることがよく伝わってきた。いい時期に出会えたように思う。

2010年5月15日土曜日

地域密着

海さくらアコースティック.フリーライブ
【会場】江ノ島アイランドスパ前広場
【出演者】はっと(SWAMPS)/テミヤン/SHY/リクオ
 ツイッターを始めて3ヶ月程経つのだけれど、この日は、午前中に江ノ島入りしてからイベントが終わるまで、写真をふんだんに使って、実況ツイートを続ける。江ノ島からのレポートは以下で。
https://twitter.com/Rikuo_office

 この日のステージ横には海さくらチームがタバコのフィルターを使って製作したカヌーが置かれていた。21日からこのカヌーで相模川を下り、2日かけて江 ノ島に出る予定なのだ。江ノ島のゴミの象徴でもあるタバコのフィルターでカヌーを作り、実際のゴミのルートである川を下る試みは、山下徹大監督によってド キュメンタリー映画化され今年の「UMISAKURA MUSIC FESTIVAL2010」で上映される予定になっている。
 事故なく無事に成功しますように。
http://www.anasaki.com/

 今年の「UMISAKURA MUSIC FESTIVAL2010」の開催日は9/11(土)に決定!今年も自分がミュージックプロデューサーをやらせてもらうことになりました。出演者も続々と 決まっています。追って詳細が告知されてゆきます。プレインイベントは7/17(土)虎丸座です。お楽しみに。
http://www.umisakura.com/fes2010/


 夜は藤沢駅近くのバー、ケインズへ。藤沢の洋楽専門インディーズレーベル、フィッシュサウンドレコード主催のDJイベントに顔を出す。地元の馴染みの人達がたくさん。いい曲が色々と聴けたなあ。
 イベントの後は、藤沢でもう2件。朝までコースでした。

2010年5月13日木曜日

芸大教室&酒場ダブルヘッターライブー山形にて

 一月程前に山形の音楽制作会社サンセットスタジオの早坂さんから連絡があり、山形市内で1日2ヶ所のライブ出演の依頼を受けた。1つは、早坂さんが講師 をしている東北芸術工科大学での、授業の一環としてのライブ&トーク、もう1つは早坂さんがオーナーのライブバー、フランクロイドライトのリニューアル オープンライブ。内容を簡単に聞いて即OK。4/10(土)札幌は都会 特に、大学の授業で演奏するのは始めてだったので、ライブがとても楽しみだった。
 芸工大に到着してまず、構内に能楽堂があるのに驚かされた。構内の建造物はどれも凝って洗練されたデザインで、さすが芸大という感じ。
 久し振りの大学キャンパスは、とても懐かしい空間だった。学生食堂でお茶していると、学生気分に戻って、自分が学生の親でもおかしくない年齢だということを忘れてしまいそうだった。ただ、居心地の良さを感じる一方で、ちょっと切なさも覚えた。
 自分にとって大学キャンパスは、ティーンエージャーの頃の鬱々とした世界から抜け出すきっかけになった場所、青春期の原風景の一つなのだろう。その頃に 何かが始まり今も終わらずに続いている一方で、既になくしてしまったものもあるという喪失感。大学キャンパスで思い出したのは学生時代の具体的な記憶より むしろ、その当時に自分が抱いていた感覚、感情の記憶だった。それらが蘇ってきて少し感傷的な気分になったのだろう。

 講義の時間になると、たいしてときめいた様子もなく、生徒達がだらだらと教室に集まってきた。きっと、いつもの教室の風景なのだろう。早川先生からの紹 介があって、教壇に招かれ、いつもの軽い調子でステージを始める。自分が教壇の側にいるというのはちょっと不思議な気がした。
 最初は、何が始まったのかよく掴めていないという表情の生徒も多かった。ライブ中は意識的にいつもよりトークを多くして、ライブの定義についてや、自分の体験談などを語った。
 ライブが進むにつれ、最初は様子見している感じだった生徒達の表情がほぐれて、生き生きとしてきた。その変化がとても新鮮だった。最後はアンコールも起こって、予想以上にライブらしい共鳴空間を作れたように思う。
 ライブ後は生徒達との質疑応答。芸大らしく、表現する立場からの質問が多かった。授業が終わった後も、何人もの生徒から声をかけられ、質問を受けた。二十歳前後の若者とダイレクトにコミュニケートできる機会がそんなにないので、新鮮で楽しかった。
 キャンパスを出るときに早坂さんから、生徒達が提出したライブへの感想レポートのコピーを束で受け取る。翌日の帰りの新幹線の中でゆっくりと読ませても らったのだけれど、すごく面白かった。ほんとによく聞いていて、それぞれが自分なりに感じ取ってくれていることに、感銘を受けた。レポートは大事に保管し ておいて、心が弱った時に読み返そうと思う。
 こういう機会を作ってくれた早坂さんに感謝。

 夜は酒場ライブ。年齢層がぐっと高くなる。酔った客多し。自分もアルコールを注入しながらのステージ。この振り幅が楽しい。

2010年5月9日日曜日

向き合って、最後は笑い飛ばすー藤沢でEPOさんとジョイント

An Evening EPO&RIKUO
【会場】神奈川県藤沢市 太陽ぬ荘(てぃーだぬそう)スタジオロビー 
【出演】リクオ/EPO
 EPOさんとは、約1年半前、沖縄那覇で開催された街フェス、「アサイラム2008」での共演がきっかけで知り合った。
 それまで自分にとってのEPOさんは、CMやバラエティー番組のエンディングテーマなどで聴き慣れていた、80年代当時の日本のポップスを代表する一人というイメージだった。
 けれど、始めて生で聴いたEPOさんの音楽は、自分のそれまでのイメージとは随分違っていた。それらは心のとても繊細な部分に触れてくる祈りに満ちた歌 だった。EPOさんが現在、音楽活動と平行して、カウンセリングの仕事をしていると聞き、納得がいくような気がした。

 今年に入って、EPOさんが長年パーソナリティをつとめるラジオ番組にゲストとして呼んでもらった際、収録後に、自分が暮らす藤沢でのジョイントライブをお願いしたら、その場で快くOKしてもらい、この日の太陽ぬ荘でのライブが実現した。
 太陽ぬ荘はレコーディングも可能な大型スタジオ。60帖あるロビーではライブイベントが毎月企画されていて、地元で活動するミュージシャン以外にも、多 くのツアーミュージシャンのライブがブッキングされている。ここのロビーは普段からアルコールと簡単な食事を注文することができ、サロン&カフェの役割も 果たしている。
 自分は、リハーサルで使わせてもらうだけでなく、打ち合わせで使わせてもらったりもしている。無線LANも装備していてい、とても便利なのだ。スタッフ とも気心が知れていて、自分が暮らす街の中で、大切な音楽サロンの一つになっている。太陽ぬ荘が面白いのは、単なるスタジオとしてだけでなく、この場所か ら音楽を発信してゆこうという意志があるところだ。
 今回のライブは、太陽ぬ荘とミュージックバー、サウサリートの共同企画。サウサリートは湘南の音楽人が集うお店で、マスターのジョージさんは地元の人達 からリスペクトを集めるDJでもある。藤沢に越して来てからの2年間、ジョージさんには本当によくしてもらっていて、サウサリートを通じて多くの人達と出 会うことができた。
 こういう繋がりの中で、EPOさんを藤沢に迎えることができたのがとてもよかったと思う。EPOさんが会場に到着する前、ジョージさんはオレにEPOさ んのファーストアルバムのアナログ盤を見せて「このアナログ盤をEPOさんに見せてサインしてもらおうと思うんです」と嬉しそうに話してくれた。

 実はこの日EPOさんは、電車の事故で会場入りが大幅に遅れ、開場直前になってしまった。満足にリハーサルを行うことができず、楽屋でセッションの打ち合わせをするなど、開演までドタバタのまま本番を迎えることになってしまった。
 ステージに登場したEPOさんは、演奏前にしばらく間を置き、目を閉じて集中力を高めてから歌い始めた。会場の空気が変わって、景色に色がつき始めた。 EPOさんが音楽を通じて自分に向き合うことで、こちらも心のやわらかくて壊れやすい部分に向き合ってゆくような、なんだかセラピーを受けているような感 じ。
 自分はライブイベントをいつも流れでとらえるように心掛けているのだけれど、得に、この日の自分のステージは、EPOさんの歌にインスパイアされ、その 流れを受けてのものだったように思う。この日の2人のライブは、解放に至るプロセスを見せているような感覚があった。
 アンコール最後の曲は、EPOさんのデビュー曲「DOWN TOWN」を2人でセッションさせてもらった。3月にEPOさんと恵比寿で朝まで飲んだ時に、EPOさんが、今も「DOWN TOWN」という曲が好きだ、と言っていたのが、リアルタイムで聴いていた世代として、嬉しかった。
 それでも、セッション曲として提案するには逡巡があった。一様自分が「DOWN TOWN」をピアノで弾ける状態にしてから、ライブ前日に、セッションの追加曲としてEPOさんにメールで提案してみた。その日の内にEPOさんからOK のメールが返って来てほっとした。お客さんも「DOWN TOWN」をやってくれるとは思っていなかったみたいで、多いに盛り上がった。とても弾けた、いいエンディングになった。
 「向き合って、最後は笑い飛ばす」そんな心の流れをうつすようなライブだったように思う。
 ライブに遊びに来た山口洋も交えて、打ち上げも多いに盛り上がる。
 楽しかったあ。
 しかし、EPOさんのあの若さ、妖怪やな。

2010年5月5日水曜日

18年前の中学生が

名古屋市 今池 valentine drive 
 本日も快晴。日中は汗ばむくらい。
 新幹線には乗らず、神戸から在来線でのんびりと名古屋に向かう。途中、米原で乗り換えなければいけなかったのに、寝過ごしてして通過してしまう。次の駅の坂田に着いた時に目覚め、慌てて下車。無人駅にぽつんと一人残されてしまった。
 けれど、気候も良く、回りの田園風景にも心が和み、時間にもまだ余裕があったので、まあいいかという気になり、のんびり次の電車が来るのを待つ。

 この日のライブ会場、valentine driveは、オープンしてまだ5ヶ月。けれど、30年前から営業していたジャズバーだった場所を引き継いで、それほど大掛かりなリフォームもしていない ので、見た感じ、新しい店とは思えない趣と味わいが感じられた。
 マスターの野村君とスタッフの近藤君は、まだお店がオープンする前の去年、土岐市での自分のライブにわざわざ足を運んでくれて、出演を直談判してくれた。まさにダイレクトなフェイス.トゥ.フェイスの繋がりでこの日のライブが実現したわけだ。
 野村君がオレの存在を知ったのは中学生の頃だそう。今から18年前、小室等さんがパーソナリティーをしていた名古屋ローカルのテレビ番組に、吉田拓郎さ んと共にゲスト出演させてもらい、番組内で2曲程弾き語りさせてもらったことがあったのだけれど、彼はその時の番組を観ていたのだそう。自分に興味を持っ てくれた中学生が、18年後にお店を持って、ライブを企画してくれるなんて、ミュージシャン冥利に尽きる。

 valentine driveでプロのライブが企画されるのはこの日始めてということで、リハーサルの段取りなど、まだ慣れていない様子だった。そんな折、すぐ近くのライブ ハウス、得三のマスター、森田さんが様子を観に来てくれた。オープン間もないvalentine driveを少しでもサポートしようという心遣いなのだ。
 森田さんはリハーサルの様子を見て、オレが希望したシュア57のマイクが店にないと知ると、わざわざ得三までそれを取りに戻ってくれて、マイクと一緒に PAエンジニアのウスイ氏まで連れて来てくれた。こういうお店同士のリレーションがあるのは素晴らしいと思う。森田さんの人柄にあらためて敬意を持った。

 この夜のライブはお客さん参加型の典型的な酒場ライブになった。前半から多いに盛り上がって、1部の最後の曲を歌い出して間もなくした頃、客席から強烈 な嗚咽が聴こえ始めた。その声の主は、さっきまでやんやと盛り上がっていた女性客だった。なんとまあ振り幅の広いリアクション。自分のライブでここまで大 声で豪快に泣いた人ははじめてやなあ。
 笑いあり、涙ありの解放空間だった。

 この日は、上原ユカリさんが、たまたま元ダイナマイツ瀬川洋さんのライブで得三に来ていたので、ライブ後に得三に出向いて合流させてもらう。ユカリさん は、古くは村八分やシュガーベイブ、沢田研二&エキゾチックス、忌野清志郎&ラフィー.タフィーなどで70年代から活動してきた日本が誇るべき素晴らしい ドラマー。実は、ユカリさんとは現在ご近所さん。そういう縁もあって、湘南に引っ越して以来、何度もセッションさせてもらっている。
 70年代の福生暮らしの話、山下達郎さんの話、ここではちょっと書けない話など、この日も貴重な話をたくさん聞かせてもらった。

 名古屋の夜は長い。朝の5時まで盛り上がる。

2010年5月4日火曜日

神戸長田でライブ

神戸市長田区 Cafe・Bar Dessin ーデッサンー
【出演】リクオ/作人
 神戸のライブハウス、バックビートの店長、西山君の企画で、神戸育ちの若手シンガーソングライター、作人君と初共演。
 ライブ会場のCafe・Bar Dessin は始めて訪れる場所。お店のオーナーさんは障害者の福祉活動に尽力している人で、お店のあるビルの2階は、障害者を対象にした情報誌の編集事務所。そこで働いている人達の多くも障害者なのだそう。

 お店のある長田区は震災の被害が特に大きかった地域。震災以降、家や家族をなくして、たくさんの人達が街を離れたそう。
 駅の回りを歩いてみたのだけれど、新しい建物ばかりが目につくのとは対照的に、道行く人達は土着的で生活のにおいがした。震災以降、地域のコミュニティーはどこまで復活しているのだろうか。

 共演者の作人君は、95年の震災で姉を亡くし、家は全壊、その後家族は離散し、諸事情でホームレス生活を続けるなど、26歳にして、波瀾万丈の経歴の持 ち主。一旦、東京で音楽活動した後、今年になって神戸に戻ってきた大きな理由は、今迄自分の心にふたをしてきた震災体験にしっかり向き合いながら、音楽を やっていくためなのだそう。
 とにかく人なつこくって愛されるキャラクター。どちらかと言うと先鋭的なマニアよりも一般層に響く音楽だと思った。打ち上げで彼から聞かせてもらった ホームレス生活と家族の話は、麒麟の田村を凌ぐインパクトで、しっかりネタとして構成されていた。たくましい若者だ。

2010年5月3日月曜日

暮らしを美しくして、それに執着すること  本日も快晴。日中は汗ばむくらいに気温が上がる。

 本日も快晴。日中は汗ばむくらいに気温が上がる。
 歩ちゃんと阿部美緒が大阪に向かった後も尾道に残って、街をぶらつき、知り合いのパン屋、アトリエ、カフェ、CDショップなどを訪ねて歩く。皆、自分の仕事と暮らしにこだわりを持った人達ばかり。
 「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」と語った作家がいたけれど、自分のツアー暮らしの目的の一つはそういう人達に出会うことのように思う。

尾道発宇宙

広島県尾道市 妙宣寺
【サポート】橋本歩(チェロ)/阿部美緒(ヴァイオリン)
【オープニングアクト】KEIKI
 全国を回る中で、尾道は特に魅力を感じる街の一つ。訪れるのは3年振り。 
 この日は、当初はソロで弾き語りする予定だったのだけれど、チェロの歩ちゃんとヴァイオリンの阿部美緒がエアプランツのツアーで大阪に来ていて、この日 がオフであるとが判明、急遽2人を誘って尾道に来てもらうことにする。尾道妙宣寺本堂のあの空間に2人が参加してくれたら絶対にはまるだろうなと思ったの だ。

 この日も快晴。正午過ぎには3人で尾道入り。ライブの主催者で大学時代の軽音部の後輩、多田が駅まで迎えに来てくれて、リハーサルの時間まで尾道の街を山の手中心に案内してくれる。これが実にいい時間だった。
 尾道は大戦中に奇跡的に空襲を逃れたことで、大正、昭和初期からの建物今も多く残されている。だから、街並に風情がある。神社仏閣が多いことも街の景観 が維持される一つの要因になったのだと思う。道が狭くて、坂と路地裏が多いのも尾道の特徴。街のつくりが車中心ではなく人中心なのだ。
 市街では、大型店やファーストフード店、ファミリーレストラン、コンビニをほとんど見かけない。小さな個人事業店が多く、飲食店、中でも喫茶店、カフェの数が他の街よりもずっと多い。
 山の手の方では野良猫をよく見かける。どの猫ものんびりしていて、人慣れしている。これは江ノ島と同じ。人がやさしてくて猫にとっても平和な街なのだ。
 3年振りに山の手を歩いて、空き家になっていた古い民家への居住者が増えただけでなく、センスの良い飲食店が随分増えていることに気付いた。ここ数年、 山の手の空き家再生計画が街ぐるみで進められたことで、若い世代を中心に各地から尾道に人が集まるようになり、街は随分活性化したそうだ。現在の尾道のあ り方は、地方の街活性化のヒント、モデルケースになりうるように感じた。
 街を案内してくれているときの多田は、とても生き生きとして、嬉しそうだった。自分の暮らす街を心から愛し、充実した生活を送っていることがよく伝わってきて、こちらも幸せな気分になった。

 多田は今も、他に仕事を持ちながら、KEIKIというソロネームで、音楽活動をマイペースで続けている。この日のライブもオープニングで彼が30分間、ピアノの弾き語りを聴かせてくれた。
 多田の作る曲はとてもいい。尾道の暮らしの中から生まれたライフサイズミュージックなのだけれど、閉塞感がなく、宇宙に繋がって行くようなスケールの大きさを感じる。妙宣寺本堂の縁側で、夜空の星や月を眺めながら聴くその音楽は、格別だった。

 歩ちゃんと阿部美緒を迎えての妙宣寺ライブは、とても印象深いものになった。この街の風通しの良さが、自分に多くのインスピレーションを与えてくれたようだ。いつもより随分と長いステージになった。
 アンコールの最後はソロで清志郎さんとの共作「胸が痛いよ」を歌う。
 もう1年か。

2010年5月1日土曜日

恒例の大阪野外イベント、祝春一番

祝春一番(5/1~5/5開催)
【場所】大阪 服部緑地野外音楽堂
【出演】リクオ/踊ろうマチルダ/cutman-booche/グッバイマイラブ/センンチメンタルシティロマンス/はじめにきよし/いとうたかお/おくむらひでまろ/ホンヨンウンBAND/マーガレットズロース

 快晴。最高の野外ライブ日和。
 春一番は、1971年に始まり、1979年で一旦幕を閉じ、1995年に復活、現在に続く大阪名物の野外音楽イベント。自分はイベントが復活した95年から毎年参加し続けている。
 参加し始めた当初は、ほとんどの出演者が自分よりも年配だったのだけれど、15年を経て、さすがに下の世代の出演者が増えた。特に今年の自分の出演日は、その傾向が強かった。
 自分の出番以外はなるべく客席で他出演者の演奏を聴くようにした。飲んだり食ったり、客席後方の芝生スペースで横になったり、このレイドバックした雰囲気は春一番ならでは。
 やはり、若い世代の出演者が多かったせいで、この日の春一番のステージはいつになく新鮮だった。踊ろうマチルダやcutman-boocheに対する場 内の反応をみていると、お客さんも新世代のシンガーソングライターやバンドマン達を新鮮な気持ちで受け入れているようだった。
 イベントの後は、カフェマーサの片平夫妻、ハンバートハンバートご一行等と阿波座の焼き鳥屋で飲み食いしながら多いに語り合う。