2010年12月29日水曜日

マーサにて今年の歌い納め

『リクオのスペシャル忘年会 2010!』
【会場】大阪 martha
【ゲスト】高木まひことシェキナベイビーズ!!
 毎年恒例のマーサ忘年会ライブ。
 今年の目玉の一つは、マーサが購入したばかりの名器スタインウェイのアプライトピアノ。そのピアノはずっと以前からその場所にあったかのように違和感なくマーサの空間におさまっていた。
 マーサのスタインウェイを弾くのはこの日が3日目。最初は人見知りなところもあった彼女が、序所に心を開いて、この日の本番の頃には相思相愛状態。ライブ途中からは彼女が歓んでくれそうな選曲とタッチを心掛けた。とても集中して演奏することができた。
 ゲストの高木まひことシェキナベイビーズ!!との付き合いは5年くらいになるのかな。久し振りに観たのだけれど、とても楽しいステージだった。
 スタイリッシュではなく、ライフサイズのロックンロール。そこがとてもいいと思った。メンバーがバンドの個性、キャラを自覚して、一致団結して一つの方向に邁進しているのが伝わってきた。
 彼らとのセッションも楽しかったなあ。ロックンロールという表現形式はほんとにシンプルで、自由。
 歌い納めにふさわしいいい夜になった。

 この2ヶ月間、出会い、再会、つながりに満ちた、かってないくらいに濃密な音楽生活を送った気がする。たくさんのエネルギーを受け取ったけれど、放出したエネルギーも膨大だった。気力、体力がよくもってくれたなあと思う。
 受け取ったものを反芻するためにも、ちょっと1人になって、じっくりと自分に向き合う時間も必要だ。
 皆さん、1年間ホントにお世話になりました。心からありがとう。
 これからもよろしくです。

2010年12月28日火曜日

25年の歳月を経て

「マーサの8周年だよ全員集合!」
【出演】リクオ/岩崎ヒデアキ/アズミ/杉瀬陽子/ハンバートハンバート/奇妙礼太郎/空団地/酒井ヒロキ/高木まひこ/ふちがみとふなと/他
 25年前に岩崎ヒデアキのパフォーマンスに遭遇して、その声を聴いたとき、これだと思った。その時のバンドのドラマーがこの日のイベント会場マーサの社長片平である。
 彼らとバンドをやり始めた時に感じたときめきと確信が、その後の自分の音楽人生に与えた影響は大きい。誰にも負けない、というよりは、誰とも何とも比べようのない大切な何かを掴んだような感覚。
 20年振りに岩崎ヒデアキの歌声を聴いて、25年前の自分の感覚が何も間違っていなかったことを確認できた。彼は今も魅力的なシンガーだった。その声は25年前そのままではなく、25年の人生を経てきた歌声だった。
 曲を書いたり、ステージに上がって歌ったり演奏することだけが音楽ではない。岩崎ヒデアキがどんな20年を過ごしてきたのか、よくは知らないけれど、 20年ぶりに一緒に音を交わしてみて、彼がこの20年間、感性を閉じ込めることなく、音楽を感じ、音楽をやり続けていたんだということを確信できた。とて も嬉しかった。これからも、ずっと歌い続けてほしいなと心から思った。
 昨夜に続き、イベントが終了した後も、マーサで夜更け迄セッションが続いた。夜更けのセッションには、大阪市内の他の会場でライブをしていたギターパンダこと山川ノリヲもかけつけて参加。
 マーサは最高の出会い、つながりの場だ。8周年おめでとう。みんなおめでとう。

2010年12月27日月曜日

20年振り

 マーサ8周年イベントのセッションのリハーサルのため、大阪に前乗り。
リハーサルもマーサで行う。
 翌日に共演する岩崎ヒデアキは学生時代からの音楽仲間。大学1回生の時、彼がボーカルを担当するバンドに入ったことが、その後の自分の音楽人生に大きな影響を及ぼした。そのときのバンドのドラマーがマーサ社長の片平である。
 岩崎と音を交わすのはマーサ社長片平の結婚式以来20年振りのことだった。 
 音楽はそんな長い歳月を一気に縮めてくれる。
 リハサールが終わった後も、マーサに遊びに来たハンバートハンバートの佐藤良成等が加わって、夜更けまでセッションが続いた。
 良成と岩崎ヒデアキがこんな風にセッションする日が来るなんて、想像したことはなかった。人生は面白いなあ。

2010年12月26日日曜日

番組公開収録ライブ

たまプラーザテラス内プラザホール
イッツコムチャンネル 地デジ11ch「イッツコムstag」の番組公開収録ライブ

 ホールに着いてまず目が行ったのがミラーボール。こちらが注文した訳ではないのだけれど、照明スタッフの方が、オレの曲を聴いてミラーボールをイメージして、用意してくれたのだそう。
 リハーサルの時から現場の人達の好意と熱意を感じとっていたので、モチベーションが上がった。
 本番は、公開収録というシチュエーションにも関わらず、堅苦しさのない、普段のライブと変わらない盛り上がりになった。
 第1回目の放送は1月15日だそうです。
 帰宅してからは明後日のマーサ8周年イベントの準備に追われる。

2010年12月23日木曜日

幸せな出会い

富山県高岡市 カフェ・ポローニャ
島崎智子プロデュース CAFE!! ROCK!! LIVE!! VOL.25 クリスマススペシャル!!
リクオCDデビュー20周年記念ライブ 「21年目のミラクルマン」
出演: リクオ/島崎智子(歌&ピアノ)
 「ホーボーコネクション」が終わって、一息つく間もなく高岡へ。
 信越新幹線に乗って越後湯沢で高岡行きに乗り換えるはずが、車中爆睡して気づけば終点の新潟駅。やってもうたあ。
 ライブ会場のカフェ・ポローニャに到着したのは、こっちゃん(島崎智子)のステージが始まる直前。すんません!
 「CAFE!! ROCK!! LIVE!! 」の企画するライブイベントに、はずれなし。この日も会場は満員御礼。ステージと客席中央の2ヶ所にミラーボールが設置され、お膳立てはバッチリ。
 こっちゃんのステージを観るのは久し振りだった。やっぱり面白いなあ。彼女の正直さ、ぶれない感性が、ユーモアと毒を含んだ、ワン&オンリーの個性を生み出している。以前よりも表現がより開かれた方向に向かっているのが、頼もしく感じられた。
 彼女のステージを観ていて、どうも自分が知っている誰かを彷佛とさせるところがあるなあと思って、それが誰だったかなあと考えていたら、ふと気づいた。 CDデビューする前、駆り立てられるように曲を書いて歌い出した頃の自分に共通する何かを、こっちゃんに感じていたのだ。
 ああ、そうか。今回の企画で、彼女が自分のデビュー当時に収録した曲の共演を希望したことも、それで納得がいった気がした。彼女が自分のソロステージで 「君がそう教えてくれる」をカヴァーしてくれたのは、とても嬉しかった。それは、ちゃんとこっちゃんの歌になっていて、いい曲だなあと思った。
 オレのソロステージが終わった後の第3部では彼女が選曲したオレの曲を2人で共演した。ステージの構成もすべてこっちゃんにまかせた。彼女の解釈と愛情が加わることで、それぞれの曲にまた新しい息吹が吹き込まれた感じて、とても新鮮だった。
 第3部最後の曲は、オレのピアノで彼女が「ぬくもり」を歌ってくれた。自分だけのステージだと、この曲をラストに持ってくるという発想は思い浮かばない。とてもいい締めになった。
 このライブを企画してくれた渡辺君達の思い、こっちゃんの思い、お客さんの思い、たくさんの思いがとても幸せな出会いを果たした素敵な夜だった。
 ほんとにありがとう。

2010年12月22日水曜日

夕陽を眺める

藤沢にいるときは1、2日に1度は海辺を散歩するかジョギングするのが日課になっていたのだけれど、この1月半はそんな余裕もなくなっていた。
 今日はしばらく振りに湘南海岸の夕陽に見とれた。
 明日はまた大切な一期一会。

2010年12月21日火曜日

スイッチ切れる

体が動かず、何をやる気力も起きず、布団から出ることさえおっくうな1日だった。携帯の電源も切った。そらしゃあないわ。

2010年12月20日月曜日

スイッチ切れず

「ホーボーコネクション」名古屋最終公演を終えて帰宅。体は疲れきっているはずなのに、テンションが落ちず、馴染みの飲み屋を3軒ハシゴ。
 飲んで音楽たくさん聴いて、かなり酔っぱらって、夜更けに帰宅してもスイッチ切れず、朝まで曲作り。

2010年12月19日日曜日

「ホーボーコネクション」完走!感謝!

名古屋 TOKUZO(得三)
「リクオCDデビュー20周年記念イベント~ホーボー・コネクション~」
【ゲスト】伊東ミキオ/ウルフルケイスケ/YANCY/中山うり
 朝目が覚めたら、なんとか熱が下がってくれていて、気力がわいてくる。
 「ホーボーコネクション」名古屋最終公演は、リハーサルからリラックスした雰囲気。不安とか心配は全然なくて、とにかく開演が楽しみだった。
 満員の客席は、開演前からスタンバイができていたようで、のっけから素晴らしい盛り上がり。
 最初にゲストとしてステージに登場したのは中山うりちゃん。彼女とオレを繋げてくれたのは、音楽プロデューサーのs-kenさん。古くは東京ロッカー ズ、東京ソイソースのムーブメントの立役者だった人でもある。そう言えば、90年代の後半、クラムボンやスーパーバタードックのメンバーに出会った頃も、 s-kenさんが彼らに関わっていたなあ。音楽業界の目利き、数奇者な的存在、街で生きてきた人だと思う。s-kenさんは、この日もうりちゃんと一緒に 名古屋入り。
 彼女の音楽には、世代やジャンルを飄々と超えてゆくしなやかさがある。懐かしくて新鮮。衣装はレトロでも、着こなしは新しい。特にビブラートの一切かからない彼女の歌唱は、今の時代を感じさせる。
 うりちゃんとは2人だけで3曲共演。すずしげな中に彼女の熱が伝わってきて、とても楽しいセッションになった。
 うりちゃん登場の後は、40代の野郎達が次々に登場して大人げなく弾けまくった。この日の自分のテーマは、「アホになりきる」だったのだが、けいやん、 ミッキー、ヤンシーの3人は、そうなるにはうってつけの共演者だった。皆、ステージではまだまだやんちゃ盛りである。
 アンコールでは敢えて、段取りにない予定していなかった曲、シンプルなR&R、ソウルナンバーを数曲セッションした。すんごく楽しかった。客席 を巻き込んでアホになりきれた気がする。ライブの本質、醍醐味、音楽の楽しさを再確認するような夜になった。
 この20周年イベントを通して、ある確信を得たような気がする。ほんとにたくさんのエネルギーをもらって、御陰さまでまだまだ生きながらえそうだ。ちゃんと還元していかないと。
 日本には素晴らしいミュージシャンがたくさんいる。本当はこのイベントで共演したかったミュージシャンはもっともっとたくさんいたのだ。これからも世 代、ジャンルを超えて、色んな人達と一緒に音を奏でたいと思う。これからもずっと、音楽を通じて、出会い、つながり、共鳴し合えたらと思う。
 「ホーボーコネクション」無事終了。
 皆さん、本当にありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。

2010年12月18日土曜日

風邪ひいてもうた!

 よりによってこんな時期に風邪をひいてしまう。それでも寝込んでばかりはいられず、翌日の名古屋「ホーボーコネクション」最終公演の準備に追われる。
 この一月、休みなく動き続けていて、さすがにギリギリの感じ。
 よし、こうなったら明日の名古屋はアホになって楽しも!

2010年12月16日木曜日

久留米初上陸

HP等で告知していなかったのだけれど、この日は久留米初上陸。JAの女性会員の皆さんの前で演奏した。
 
 この日は自分のライブを初めて体験するお客さんがほとんど。年齢層が随分と幅広く、上は70歳代後半と思われる方も。自分の場合、客層やそのときの会場 の空気によって、ライブの内容をかなり変える。この日は意識的にトークを多くして、カヴァー曲も増やした。楽しんでもらえるライブができたんじゃないかと 思う。
 世代によってリズムの取り方が違っていて、手拍子がいつまでもそろわないのが面白かったなあ。
 ライブ後、物販コーナーでサインしたおばあさんから「これでまた長生きできそうです」と言われて、嬉しかった。

2010年12月15日水曜日

「ホーボーコネクション」最終公演に向けリハーサル

けいやん、ヤンシー、ミッキー、中山うりちゃん等ゲスト陣も参加して、「ホーボーコネクション」19日名古屋の最終公演の為のリハーサルを下北沢のスタジオで行う。
 クレフィンスタイルはやっぱ盛り上がんなあ。けいやん、いっつもオープンやなあ。うりちゃん、いい声、アコーディオンいい響き。
 こんなにたくさんの人達とセッションした一月は、今迄なかった。一体何曲覚えたんやろ?自分でもよくやるなあと思う。

2010年12月14日火曜日

こっちゃんとリハーサル

今月の23日に高岡で共演するピアノウーマンの島崎智子ちゃんとリハーサル。唯一無比の個性やなあ。
 彼女のこと知らない人はまず以下のYouTubeをチェック。
http://www.youtube.com/watch?v=kphCAFiw9mQ&feature=related

2010年12月12日日曜日

ほんの少し恩返しできたかな

能代市 のしろ市民プラザ
「リクオCDデビュー20周年記念LIVE」
リクオwith梅津和時(sax他)
 ライブで初めて能代を訪れたのが今から15年前。それ以来、ほとんど途切れることなくこの街との付き合いが続いている。
 縁の深い街で、たくさんのお客さんが集まってくれて、20周年を祝福してもらえたのが素直に嬉しかった。
 さすが「コール&レスポンス日本一の街」。ライブは、梅津さんとの東北ツアー最終日にふさわしい大盛り上がりになった。素朴な笑顔と歓声に、多いに乗せられ、エネルギーをたくさんもらった。
 打ち上げも実に印象に残るものになった。打ち上げの途中で、主催者のイッコーさん等地元の音楽仲間がセッション演奏を始めると、そこに梅津さんが参加し、続いてオレも参加。垣根のない最高の解放空間だった。
 ステージとか仕事とかこだわりを超えて音楽を楽しむ、一期一会に全てを捧げる、フットワーク軽く常にオープンマインドいる、素直になる、こういった姿勢はすべて梅津さんから学んだことだった。
 ほんの少し恩返しが出来た気がする。

2010年12月11日土曜日

すみさん復活

青森県弘前市 萬燈籠
「リクオCDデビュー20周年記念LIVE」
リクオwith梅津和時(sax他)
 梅津さんとツアーを回って、梅津さんの視点やときめきを自分が感じることで、何度も来ている場所がいつも以上に新鮮に感じられる。梅津さんの、何でも見てやろうという好奇心、まずは受け入れようとする懐の深さが、出会いを生み、共鳴に拍車をかける。
 この夜の梅津さんは、ステージだけで終わらず、打ち上げでもサックスで1曲「りんごの歌」を披露してくれた。それは余興の範疇を超えて、胸を揺さぶられる演奏だった。
 萬燈籠の女将すみさんは、数年前に大病を患って療養が続いたのだけれど、病も癒えて復活。お酒も飲み出して、毒舌も復活。嬉しかったなあ。
 でも無理しないで下さいね。
 また元気に再会しませう。
 ケーキ嬉しかったです。ありがとう。

2010年12月10日金曜日

宝物を受け取ったような夜

盛岡市 紅茶の店しゅん
「リクオCDデビュー20周年記念LIVE」
リクオwith梅津和時(sax他)
 この日からテリーがツアーに同行して、移動の車の運転をしてくれる。彼の気遣いと明るさが、ツアーの道中を随分と楽しいものにしてくれた。梅津さんもすぐにテリーと打ち解ける。
 北に向かうにつれ、気温は次第に下がっていった。盛岡は身の引き締まるような寒さだった。
 しゅんも梅津さんと一緒に訪れたかった場所。このお店の佇まいと音の響きを梅津さんにも味わってもらいたかったのだ。
 この夜のステージは何かが降りてきたように感じた。自分も梅津さんも多いにインスパイアされて、導かれるように演奏した。
 宝物を受け取ったような夜だった。

2010年12月9日木曜日

梅津さんとの東北ツアー初日

仙台市 サテンドール2000 「リクオCDデビュー20周年記念LIVE」
リクオwith梅津和時(sax他)
 大学を卒業してすぐの頃、始めて東京にツアーに行った先で、梅津さんに出会った。場所は高円寺のJIROKICHIというライブハウス。梅津さんと近藤房之介さんのブルースセッションの前座で、自分が弾き語りをさせてもらったのだ。
 その時の自分のライブを観ていた梅津さんから声をかけてもらい、つながりが生まれ、音楽事務所を紹介してもらい、梅津さん自らプロデュースを買って出て くれて、とんとん拍子に話が進み、翌年のメジャーデビューが決まった。つまり梅津さんは自分がプロとして音楽で食って行く道筋を作ってくれた人なのだ。
 梅津さんから学んだことは多い。プレイヤーとして素晴らしいだけでなく、人としても尊敬できた。出会った頃から、偉そぶったり、かっこつけるところがな くオープンマインド、そして「素直さ」を大切にしている人だった。いいものはいいと認められる人だった。
 梅津さんは、自分にとってはこの業界の父親のような存在。90年代半ば頃から、親離れを意識し始めて、随分と試行錯誤したけれど、やっと力を抜いて素直な気持ちで、再び梅津さんと音が交わせるようになれたことが嬉しい。
 こうして梅津さんの故郷である仙台に一緒に来れて、自分が長い間お世話になっているお店で、一緒に演奏できたことは感慨深かった。
 サテンドールのじゃじゃ馬ピアノはかってない鳴りの良さだった。
 梅津さんのサックスは実に表現豊かに歌い続けた。この夜はボーカリストが2人いるみたいだった。
 出会いもあり、別れもあり、記憶に残る夜になった。
 ありがとう。

2010年12月4日土曜日

ありがとう博多!

福岡 ROOMS
「リクオCDデビュー20周年記念イベント~ホーボー・コネクション~」
【ゲスト】三代目魚武濱田成夫/Dr.kyOn/渡和久(風味堂)
 「ホーボー・コネクション」福岡公演も素敵な夜になった。準備の段階で、無謀なイベントを企画してしまったかなと、ちと弱気にもなったけれど、やってほんとによかった。まだ名古屋が残ってるけど。
 イベントを通じて、共演したそれぞれのアーティストの魅力をあらためて認識した。みんなほんま素晴らしいし、おもろい。
 「ホーボー・コネクション」のステージを通じて、それぞれのアーティストのピュアネス、誠実さ、ルーツがとてもよく伝わったんじゃないかと思う。
 今回、三代目が自分の曲をカヴァーしてくれたことで、過去の自分に再会するというよりは、新鮮な気持ちで出会えた気がする。
 キョンさんがいてくれた分だけ、自分のピアノはよくなったんじゃないかと思う。この20年間、それぐらいたくさんの刺激をもらい続けている。
 渡君がオレのことを師匠と呼ぶのは気恥ずかしいけれど、受け継ごうという気持ちを持ってくれていることを、とても嬉しく思う。彼の歌が内省に向かっていることは興味深い。
 打ち上げでは、別のツアーで博多に来ていたYANCYも合流。博多の夜は長かった。

2010年12月3日金曜日

「サヨナラ」ではなく「アリガトウ」

大阪 Rain Dogs
『GRAPEFRUIT MOON ~さよなら、マイ・スイートホーム vol.1』
【出演】リクオ/浦朋恵/酒井ヒロキ/奇妙礼太郎
 年内で閉店が決まっているRAIN DOGSのラストイベントに参加した。RAIN DOGSと自分の付き合いは、オープン当初からだから、17年前に及ぶ。アングラな匂いと独特ないかがわしさに惹き付けられて、地元の一癖ある濃い人達 が、世代を超えて集まる面白い店だった。RAIN DOGSの空間とステージは自分のワイルドネスを刺激した。この場所だと、よりやんちゃに弾けることができた。
 最近はステージでのお酒を控えるようにしていたのだけれど、ちょっと迷ってこの日は結局飲んだ。RAIN DOGSだから。
 自分以外の出演者は、関西を拠点に活動する自分よりも若い世代のミュージシャンばかり。彼らのステージを見て、大阪では、ほんとローカル色豊かで、面白 いミュージシャンが育っているなとあらためて思った。奇妙礼太郎 の歌はとても懐かしくて、新鮮で、ほろっときた。彼を見ていると、シンパシーを感じて、ちょっとおせっかいな気持ちになってしまう。ヒロキに対しても同じ 気持ちになるなあ。
 ナイーブな感性を持ち続けることは、大変だと思う。その感性が自身を傷つけてしまうこともある。ずっとオープンで素直な気持ちで音楽をやり続けてほしいなあと思う。
 RAIN DOGS社長の岳原さんが亡くなったのは10日程前だった。RAIN DOGS最後のステージを観てもらうことはできなかった。岳原さんが逝った数日後に今度は、音楽プロデューサーの阿部さんが亡くなった。大阪の街に生き、 街の音楽を支え続けた人だった。RAIN DOGSと阿部さんの繋がりも深かった。
 ライブ中はそんなに感傷的な気持ちにはならなかった。皆と一緒に、いつものRAIN DOGSを多いに楽しんで、弾けた。
 ただ、選曲は、阿部さんと岳原さん、それぞれのリクエストに応えた。「サヨナラ」ではなく「アリガトウ」の気持ちを込めた。
 音楽はこの世とあの世もつなげてくれる。
 いい夜だった。
 RAIN DOGSを去る時は、やはり少し感傷的になった。
 今年は例年になく多くの知り合いを見送る年になった。