2010年12月29日水曜日

マーサにて今年の歌い納め

『リクオのスペシャル忘年会 2010!』
【会場】大阪 martha
【ゲスト】高木まひことシェキナベイビーズ!!
 毎年恒例のマーサ忘年会ライブ。
 今年の目玉の一つは、マーサが購入したばかりの名器スタインウェイのアプライトピアノ。そのピアノはずっと以前からその場所にあったかのように違和感なくマーサの空間におさまっていた。
 マーサのスタインウェイを弾くのはこの日が3日目。最初は人見知りなところもあった彼女が、序所に心を開いて、この日の本番の頃には相思相愛状態。ライブ途中からは彼女が歓んでくれそうな選曲とタッチを心掛けた。とても集中して演奏することができた。
 ゲストの高木まひことシェキナベイビーズ!!との付き合いは5年くらいになるのかな。久し振りに観たのだけれど、とても楽しいステージだった。
 スタイリッシュではなく、ライフサイズのロックンロール。そこがとてもいいと思った。メンバーがバンドの個性、キャラを自覚して、一致団結して一つの方向に邁進しているのが伝わってきた。
 彼らとのセッションも楽しかったなあ。ロックンロールという表現形式はほんとにシンプルで、自由。
 歌い納めにふさわしいいい夜になった。

 この2ヶ月間、出会い、再会、つながりに満ちた、かってないくらいに濃密な音楽生活を送った気がする。たくさんのエネルギーを受け取ったけれど、放出したエネルギーも膨大だった。気力、体力がよくもってくれたなあと思う。
 受け取ったものを反芻するためにも、ちょっと1人になって、じっくりと自分に向き合う時間も必要だ。
 皆さん、1年間ホントにお世話になりました。心からありがとう。
 これからもよろしくです。

2010年12月28日火曜日

25年の歳月を経て

「マーサの8周年だよ全員集合!」
【出演】リクオ/岩崎ヒデアキ/アズミ/杉瀬陽子/ハンバートハンバート/奇妙礼太郎/空団地/酒井ヒロキ/高木まひこ/ふちがみとふなと/他
 25年前に岩崎ヒデアキのパフォーマンスに遭遇して、その声を聴いたとき、これだと思った。その時のバンドのドラマーがこの日のイベント会場マーサの社長片平である。
 彼らとバンドをやり始めた時に感じたときめきと確信が、その後の自分の音楽人生に与えた影響は大きい。誰にも負けない、というよりは、誰とも何とも比べようのない大切な何かを掴んだような感覚。
 20年振りに岩崎ヒデアキの歌声を聴いて、25年前の自分の感覚が何も間違っていなかったことを確認できた。彼は今も魅力的なシンガーだった。その声は25年前そのままではなく、25年の人生を経てきた歌声だった。
 曲を書いたり、ステージに上がって歌ったり演奏することだけが音楽ではない。岩崎ヒデアキがどんな20年を過ごしてきたのか、よくは知らないけれど、 20年ぶりに一緒に音を交わしてみて、彼がこの20年間、感性を閉じ込めることなく、音楽を感じ、音楽をやり続けていたんだということを確信できた。とて も嬉しかった。これからも、ずっと歌い続けてほしいなと心から思った。
 昨夜に続き、イベントが終了した後も、マーサで夜更け迄セッションが続いた。夜更けのセッションには、大阪市内の他の会場でライブをしていたギターパンダこと山川ノリヲもかけつけて参加。
 マーサは最高の出会い、つながりの場だ。8周年おめでとう。みんなおめでとう。

2010年12月27日月曜日

20年振り

 マーサ8周年イベントのセッションのリハーサルのため、大阪に前乗り。
リハーサルもマーサで行う。
 翌日に共演する岩崎ヒデアキは学生時代からの音楽仲間。大学1回生の時、彼がボーカルを担当するバンドに入ったことが、その後の自分の音楽人生に大きな影響を及ぼした。そのときのバンドのドラマーがマーサ社長の片平である。
 岩崎と音を交わすのはマーサ社長片平の結婚式以来20年振りのことだった。 
 音楽はそんな長い歳月を一気に縮めてくれる。
 リハサールが終わった後も、マーサに遊びに来たハンバートハンバートの佐藤良成等が加わって、夜更けまでセッションが続いた。
 良成と岩崎ヒデアキがこんな風にセッションする日が来るなんて、想像したことはなかった。人生は面白いなあ。

2010年12月26日日曜日

番組公開収録ライブ

たまプラーザテラス内プラザホール
イッツコムチャンネル 地デジ11ch「イッツコムstag」の番組公開収録ライブ

 ホールに着いてまず目が行ったのがミラーボール。こちらが注文した訳ではないのだけれど、照明スタッフの方が、オレの曲を聴いてミラーボールをイメージして、用意してくれたのだそう。
 リハーサルの時から現場の人達の好意と熱意を感じとっていたので、モチベーションが上がった。
 本番は、公開収録というシチュエーションにも関わらず、堅苦しさのない、普段のライブと変わらない盛り上がりになった。
 第1回目の放送は1月15日だそうです。
 帰宅してからは明後日のマーサ8周年イベントの準備に追われる。

2010年12月23日木曜日

幸せな出会い

富山県高岡市 カフェ・ポローニャ
島崎智子プロデュース CAFE!! ROCK!! LIVE!! VOL.25 クリスマススペシャル!!
リクオCDデビュー20周年記念ライブ 「21年目のミラクルマン」
出演: リクオ/島崎智子(歌&ピアノ)
 「ホーボーコネクション」が終わって、一息つく間もなく高岡へ。
 信越新幹線に乗って越後湯沢で高岡行きに乗り換えるはずが、車中爆睡して気づけば終点の新潟駅。やってもうたあ。
 ライブ会場のカフェ・ポローニャに到着したのは、こっちゃん(島崎智子)のステージが始まる直前。すんません!
 「CAFE!! ROCK!! LIVE!! 」の企画するライブイベントに、はずれなし。この日も会場は満員御礼。ステージと客席中央の2ヶ所にミラーボールが設置され、お膳立てはバッチリ。
 こっちゃんのステージを観るのは久し振りだった。やっぱり面白いなあ。彼女の正直さ、ぶれない感性が、ユーモアと毒を含んだ、ワン&オンリーの個性を生み出している。以前よりも表現がより開かれた方向に向かっているのが、頼もしく感じられた。
 彼女のステージを観ていて、どうも自分が知っている誰かを彷佛とさせるところがあるなあと思って、それが誰だったかなあと考えていたら、ふと気づいた。 CDデビューする前、駆り立てられるように曲を書いて歌い出した頃の自分に共通する何かを、こっちゃんに感じていたのだ。
 ああ、そうか。今回の企画で、彼女が自分のデビュー当時に収録した曲の共演を希望したことも、それで納得がいった気がした。彼女が自分のソロステージで 「君がそう教えてくれる」をカヴァーしてくれたのは、とても嬉しかった。それは、ちゃんとこっちゃんの歌になっていて、いい曲だなあと思った。
 オレのソロステージが終わった後の第3部では彼女が選曲したオレの曲を2人で共演した。ステージの構成もすべてこっちゃんにまかせた。彼女の解釈と愛情が加わることで、それぞれの曲にまた新しい息吹が吹き込まれた感じて、とても新鮮だった。
 第3部最後の曲は、オレのピアノで彼女が「ぬくもり」を歌ってくれた。自分だけのステージだと、この曲をラストに持ってくるという発想は思い浮かばない。とてもいい締めになった。
 このライブを企画してくれた渡辺君達の思い、こっちゃんの思い、お客さんの思い、たくさんの思いがとても幸せな出会いを果たした素敵な夜だった。
 ほんとにありがとう。

2010年12月22日水曜日

夕陽を眺める

藤沢にいるときは1、2日に1度は海辺を散歩するかジョギングするのが日課になっていたのだけれど、この1月半はそんな余裕もなくなっていた。
 今日はしばらく振りに湘南海岸の夕陽に見とれた。
 明日はまた大切な一期一会。

2010年12月21日火曜日

スイッチ切れる

体が動かず、何をやる気力も起きず、布団から出ることさえおっくうな1日だった。携帯の電源も切った。そらしゃあないわ。

2010年12月20日月曜日

スイッチ切れず

「ホーボーコネクション」名古屋最終公演を終えて帰宅。体は疲れきっているはずなのに、テンションが落ちず、馴染みの飲み屋を3軒ハシゴ。
 飲んで音楽たくさん聴いて、かなり酔っぱらって、夜更けに帰宅してもスイッチ切れず、朝まで曲作り。

2010年12月19日日曜日

「ホーボーコネクション」完走!感謝!

名古屋 TOKUZO(得三)
「リクオCDデビュー20周年記念イベント~ホーボー・コネクション~」
【ゲスト】伊東ミキオ/ウルフルケイスケ/YANCY/中山うり
 朝目が覚めたら、なんとか熱が下がってくれていて、気力がわいてくる。
 「ホーボーコネクション」名古屋最終公演は、リハーサルからリラックスした雰囲気。不安とか心配は全然なくて、とにかく開演が楽しみだった。
 満員の客席は、開演前からスタンバイができていたようで、のっけから素晴らしい盛り上がり。
 最初にゲストとしてステージに登場したのは中山うりちゃん。彼女とオレを繋げてくれたのは、音楽プロデューサーのs-kenさん。古くは東京ロッカー ズ、東京ソイソースのムーブメントの立役者だった人でもある。そう言えば、90年代の後半、クラムボンやスーパーバタードックのメンバーに出会った頃も、 s-kenさんが彼らに関わっていたなあ。音楽業界の目利き、数奇者な的存在、街で生きてきた人だと思う。s-kenさんは、この日もうりちゃんと一緒に 名古屋入り。
 彼女の音楽には、世代やジャンルを飄々と超えてゆくしなやかさがある。懐かしくて新鮮。衣装はレトロでも、着こなしは新しい。特にビブラートの一切かからない彼女の歌唱は、今の時代を感じさせる。
 うりちゃんとは2人だけで3曲共演。すずしげな中に彼女の熱が伝わってきて、とても楽しいセッションになった。
 うりちゃん登場の後は、40代の野郎達が次々に登場して大人げなく弾けまくった。この日の自分のテーマは、「アホになりきる」だったのだが、けいやん、 ミッキー、ヤンシーの3人は、そうなるにはうってつけの共演者だった。皆、ステージではまだまだやんちゃ盛りである。
 アンコールでは敢えて、段取りにない予定していなかった曲、シンプルなR&R、ソウルナンバーを数曲セッションした。すんごく楽しかった。客席 を巻き込んでアホになりきれた気がする。ライブの本質、醍醐味、音楽の楽しさを再確認するような夜になった。
 この20周年イベントを通して、ある確信を得たような気がする。ほんとにたくさんのエネルギーをもらって、御陰さまでまだまだ生きながらえそうだ。ちゃんと還元していかないと。
 日本には素晴らしいミュージシャンがたくさんいる。本当はこのイベントで共演したかったミュージシャンはもっともっとたくさんいたのだ。これからも世 代、ジャンルを超えて、色んな人達と一緒に音を奏でたいと思う。これからもずっと、音楽を通じて、出会い、つながり、共鳴し合えたらと思う。
 「ホーボーコネクション」無事終了。
 皆さん、本当にありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。

2010年12月18日土曜日

風邪ひいてもうた!

 よりによってこんな時期に風邪をひいてしまう。それでも寝込んでばかりはいられず、翌日の名古屋「ホーボーコネクション」最終公演の準備に追われる。
 この一月、休みなく動き続けていて、さすがにギリギリの感じ。
 よし、こうなったら明日の名古屋はアホになって楽しも!

2010年12月16日木曜日

久留米初上陸

HP等で告知していなかったのだけれど、この日は久留米初上陸。JAの女性会員の皆さんの前で演奏した。
 
 この日は自分のライブを初めて体験するお客さんがほとんど。年齢層が随分と幅広く、上は70歳代後半と思われる方も。自分の場合、客層やそのときの会場 の空気によって、ライブの内容をかなり変える。この日は意識的にトークを多くして、カヴァー曲も増やした。楽しんでもらえるライブができたんじゃないかと 思う。
 世代によってリズムの取り方が違っていて、手拍子がいつまでもそろわないのが面白かったなあ。
 ライブ後、物販コーナーでサインしたおばあさんから「これでまた長生きできそうです」と言われて、嬉しかった。

2010年12月15日水曜日

「ホーボーコネクション」最終公演に向けリハーサル

けいやん、ヤンシー、ミッキー、中山うりちゃん等ゲスト陣も参加して、「ホーボーコネクション」19日名古屋の最終公演の為のリハーサルを下北沢のスタジオで行う。
 クレフィンスタイルはやっぱ盛り上がんなあ。けいやん、いっつもオープンやなあ。うりちゃん、いい声、アコーディオンいい響き。
 こんなにたくさんの人達とセッションした一月は、今迄なかった。一体何曲覚えたんやろ?自分でもよくやるなあと思う。

2010年12月14日火曜日

こっちゃんとリハーサル

今月の23日に高岡で共演するピアノウーマンの島崎智子ちゃんとリハーサル。唯一無比の個性やなあ。
 彼女のこと知らない人はまず以下のYouTubeをチェック。
http://www.youtube.com/watch?v=kphCAFiw9mQ&feature=related

2010年12月12日日曜日

ほんの少し恩返しできたかな

能代市 のしろ市民プラザ
「リクオCDデビュー20周年記念LIVE」
リクオwith梅津和時(sax他)
 ライブで初めて能代を訪れたのが今から15年前。それ以来、ほとんど途切れることなくこの街との付き合いが続いている。
 縁の深い街で、たくさんのお客さんが集まってくれて、20周年を祝福してもらえたのが素直に嬉しかった。
 さすが「コール&レスポンス日本一の街」。ライブは、梅津さんとの東北ツアー最終日にふさわしい大盛り上がりになった。素朴な笑顔と歓声に、多いに乗せられ、エネルギーをたくさんもらった。
 打ち上げも実に印象に残るものになった。打ち上げの途中で、主催者のイッコーさん等地元の音楽仲間がセッション演奏を始めると、そこに梅津さんが参加し、続いてオレも参加。垣根のない最高の解放空間だった。
 ステージとか仕事とかこだわりを超えて音楽を楽しむ、一期一会に全てを捧げる、フットワーク軽く常にオープンマインドいる、素直になる、こういった姿勢はすべて梅津さんから学んだことだった。
 ほんの少し恩返しが出来た気がする。

2010年12月11日土曜日

すみさん復活

青森県弘前市 萬燈籠
「リクオCDデビュー20周年記念LIVE」
リクオwith梅津和時(sax他)
 梅津さんとツアーを回って、梅津さんの視点やときめきを自分が感じることで、何度も来ている場所がいつも以上に新鮮に感じられる。梅津さんの、何でも見てやろうという好奇心、まずは受け入れようとする懐の深さが、出会いを生み、共鳴に拍車をかける。
 この夜の梅津さんは、ステージだけで終わらず、打ち上げでもサックスで1曲「りんごの歌」を披露してくれた。それは余興の範疇を超えて、胸を揺さぶられる演奏だった。
 萬燈籠の女将すみさんは、数年前に大病を患って療養が続いたのだけれど、病も癒えて復活。お酒も飲み出して、毒舌も復活。嬉しかったなあ。
 でも無理しないで下さいね。
 また元気に再会しませう。
 ケーキ嬉しかったです。ありがとう。

2010年12月10日金曜日

宝物を受け取ったような夜

盛岡市 紅茶の店しゅん
「リクオCDデビュー20周年記念LIVE」
リクオwith梅津和時(sax他)
 この日からテリーがツアーに同行して、移動の車の運転をしてくれる。彼の気遣いと明るさが、ツアーの道中を随分と楽しいものにしてくれた。梅津さんもすぐにテリーと打ち解ける。
 北に向かうにつれ、気温は次第に下がっていった。盛岡は身の引き締まるような寒さだった。
 しゅんも梅津さんと一緒に訪れたかった場所。このお店の佇まいと音の響きを梅津さんにも味わってもらいたかったのだ。
 この夜のステージは何かが降りてきたように感じた。自分も梅津さんも多いにインスパイアされて、導かれるように演奏した。
 宝物を受け取ったような夜だった。

2010年12月9日木曜日

梅津さんとの東北ツアー初日

仙台市 サテンドール2000 「リクオCDデビュー20周年記念LIVE」
リクオwith梅津和時(sax他)
 大学を卒業してすぐの頃、始めて東京にツアーに行った先で、梅津さんに出会った。場所は高円寺のJIROKICHIというライブハウス。梅津さんと近藤房之介さんのブルースセッションの前座で、自分が弾き語りをさせてもらったのだ。
 その時の自分のライブを観ていた梅津さんから声をかけてもらい、つながりが生まれ、音楽事務所を紹介してもらい、梅津さん自らプロデュースを買って出て くれて、とんとん拍子に話が進み、翌年のメジャーデビューが決まった。つまり梅津さんは自分がプロとして音楽で食って行く道筋を作ってくれた人なのだ。
 梅津さんから学んだことは多い。プレイヤーとして素晴らしいだけでなく、人としても尊敬できた。出会った頃から、偉そぶったり、かっこつけるところがな くオープンマインド、そして「素直さ」を大切にしている人だった。いいものはいいと認められる人だった。
 梅津さんは、自分にとってはこの業界の父親のような存在。90年代半ば頃から、親離れを意識し始めて、随分と試行錯誤したけれど、やっと力を抜いて素直な気持ちで、再び梅津さんと音が交わせるようになれたことが嬉しい。
 こうして梅津さんの故郷である仙台に一緒に来れて、自分が長い間お世話になっているお店で、一緒に演奏できたことは感慨深かった。
 サテンドールのじゃじゃ馬ピアノはかってない鳴りの良さだった。
 梅津さんのサックスは実に表現豊かに歌い続けた。この夜はボーカリストが2人いるみたいだった。
 出会いもあり、別れもあり、記憶に残る夜になった。
 ありがとう。

2010年12月4日土曜日

ありがとう博多!

福岡 ROOMS
「リクオCDデビュー20周年記念イベント~ホーボー・コネクション~」
【ゲスト】三代目魚武濱田成夫/Dr.kyOn/渡和久(風味堂)
 「ホーボー・コネクション」福岡公演も素敵な夜になった。準備の段階で、無謀なイベントを企画してしまったかなと、ちと弱気にもなったけれど、やってほんとによかった。まだ名古屋が残ってるけど。
 イベントを通じて、共演したそれぞれのアーティストの魅力をあらためて認識した。みんなほんま素晴らしいし、おもろい。
 「ホーボー・コネクション」のステージを通じて、それぞれのアーティストのピュアネス、誠実さ、ルーツがとてもよく伝わったんじゃないかと思う。
 今回、三代目が自分の曲をカヴァーしてくれたことで、過去の自分に再会するというよりは、新鮮な気持ちで出会えた気がする。
 キョンさんがいてくれた分だけ、自分のピアノはよくなったんじゃないかと思う。この20年間、それぐらいたくさんの刺激をもらい続けている。
 渡君がオレのことを師匠と呼ぶのは気恥ずかしいけれど、受け継ごうという気持ちを持ってくれていることを、とても嬉しく思う。彼の歌が内省に向かっていることは興味深い。
 打ち上げでは、別のツアーで博多に来ていたYANCYも合流。博多の夜は長かった。

2010年12月3日金曜日

「サヨナラ」ではなく「アリガトウ」

大阪 Rain Dogs
『GRAPEFRUIT MOON ~さよなら、マイ・スイートホーム vol.1』
【出演】リクオ/浦朋恵/酒井ヒロキ/奇妙礼太郎
 年内で閉店が決まっているRAIN DOGSのラストイベントに参加した。RAIN DOGSと自分の付き合いは、オープン当初からだから、17年前に及ぶ。アングラな匂いと独特ないかがわしさに惹き付けられて、地元の一癖ある濃い人達 が、世代を超えて集まる面白い店だった。RAIN DOGSの空間とステージは自分のワイルドネスを刺激した。この場所だと、よりやんちゃに弾けることができた。
 最近はステージでのお酒を控えるようにしていたのだけれど、ちょっと迷ってこの日は結局飲んだ。RAIN DOGSだから。
 自分以外の出演者は、関西を拠点に活動する自分よりも若い世代のミュージシャンばかり。彼らのステージを見て、大阪では、ほんとローカル色豊かで、面白 いミュージシャンが育っているなとあらためて思った。奇妙礼太郎 の歌はとても懐かしくて、新鮮で、ほろっときた。彼を見ていると、シンパシーを感じて、ちょっとおせっかいな気持ちになってしまう。ヒロキに対しても同じ 気持ちになるなあ。
 ナイーブな感性を持ち続けることは、大変だと思う。その感性が自身を傷つけてしまうこともある。ずっとオープンで素直な気持ちで音楽をやり続けてほしいなあと思う。
 RAIN DOGS社長の岳原さんが亡くなったのは10日程前だった。RAIN DOGS最後のステージを観てもらうことはできなかった。岳原さんが逝った数日後に今度は、音楽プロデューサーの阿部さんが亡くなった。大阪の街に生き、 街の音楽を支え続けた人だった。RAIN DOGSと阿部さんの繋がりも深かった。
 ライブ中はそんなに感傷的な気持ちにはならなかった。皆と一緒に、いつものRAIN DOGSを多いに楽しんで、弾けた。
 ただ、選曲は、阿部さんと岳原さん、それぞれのリクエストに応えた。「サヨナラ」ではなく「アリガトウ」の気持ちを込めた。
 音楽はこの世とあの世もつなげてくれる。
 いい夜だった。
 RAIN DOGSを去る時は、やはり少し感傷的になった。
 今年は例年になく多くの知り合いを見送る年になった。

2010年11月30日火曜日

「ホーボー・コネクション」大阪、東京公演を終えて

 CDデビュー20周年イベント「ホーボー・コネクション」大阪、東京公演を終えて、少しだけ一服。
 正直、あまりにも濃密な日々が続いていて、このダイアリーを更新する時間も、心の余裕もないような状態。
 大阪、東京公演は、自分の活動スタンスを集大成するような内容になったんじゃないかと思う。忘れたくない瞬間ばかりの4日間だった。
 一つ心苦しく思ったことは、デビュー20周年にかこつけたイベントということで、自分ばかりが皆から祝福されてしまったことだ。東京公演に参加してくれ たギターパンダことヤマカワノリヲ君も確か今年CDデビュー20周年だし、HEATWAVEもメジャーデビューしてから20年。
 というか、あの解放空間を皆で共有できたことが奇跡で、そのことをこそ一番に祝福し合いたかったのだ。お客さん、スタッフ含めて、イベントに参加してく れた人達それぞれが、出会えたこと、再会できたこと、繋がったこと、どうにか続けてこれたこと、そのことによって生まれた最高の瞬間を、皆で祝福し合いた いというのが、あの場にいた自分の心からの思いだった。
 そしてその場にいた人だけでなく、そこにはいなかった人達とも自分は繋がっていると感じた。生きていればきっとこの場にいたであろう人達、でも彼らは、 自分の中に今も生きている。そのことをはっきりと実感することができた。自分という人間は今迄出会ったいろんな人達の魂が融合して成り立っているんじゃな いか、そんな風に思ったりもするのだ。
 このイベントを通して、自分の中でいろんなものが繋がってゆく感覚がある。これからも転がり続けるためのエネルギーをたくさんもらった感じ。
 まだまだ旅の途中。多分ずっとそんな感じ。
 福岡、名古屋公演もよろしくです。

2010年11月14日日曜日

過去と現在をつなげで未来へ向かうー20周年イベント「ホーボー・コネクション」に向けて

 自分はある時期から、90年代半ば迄に作った曲をステージでほとんど演奏しなくなった。90年代後半から、自分の曲作りに対する姿勢が変化して、曲調が大きく変わったことが大きい。
 曲調の変化にともない自分のキャラも変化してしていった。若い頃は、「ステージでお客さんにコール&レスポンスを促したり、ライブ中にアルコールを注入 するようなミュージシャンにはならんとこう」と思っていたはずなのだが、今は率先してそういうことをやっている。どちらかというと、自分はある時期から、 正しいことより楽しいこと、欲望に素直になることを選んだところがある。
 デビュー前から付き合いのある大先輩のシンガーソングライター、友部正人さんから数年前に、「リクオはバンドじゃなくてソロなのに解散しているんだね」 と言われて、なる程と思った。そうやって振り返ってみると、デビュー以降、96、7年頃と、02年のヘルツの活動停止時期の2回、自分はある種の「解散」 を意識したのだと思う。
 自分は過去の自分のアルバムを聴くことがめったにない。特にデビューから5、6年までの時期の作品には、ふたをしてしまっているようなところがあった。
 数年前、メジャーレーベル所属時代の作品からのベスト盤を出すことが決まった時に、選曲のため、久し振りに自分の過去の作品に向きあった。アルバムを聴 いていると、当時の記憶や感覚がよみがえってくる感じで、懐かしかったり、胸が痛かったりした。やはり客観的に聴くことはできなかったけれど、素直にいい 曲だなと思える曲もあった。
 今回の20周年イベントでは、「解散」前の曲も演奏してみようと思う。ステージで、10数年振りに20代の頃に書いた曲を演奏して、自分がどんな風に感じるのだろうか。
 デビュー当時の自分の代名詞だったアコーディオンも弾くつもり。
 自分にとって「ホーボー・コネクション」は色んな意味を含んだイベントだけれど、その一つとして、自分の中でふたをしていた過去と現在をつなげて未来に向かってゆくための場になればいいなと思う。
 お待ちしてます。

2010年11月13日土曜日

サプライズプレゼント

 20周年イベント「ホーボー・コネクション」の準備に追われる毎日。この日は朝から夕方迄コード譜を書き続けた。30数組のゲストを迎えてのイベントというのは思いの他大変だなと今更ながら実感している。

 公には告知していなかったのだけれど、この日の夜は自分が暮らす藤沢の行きつけのミュージックバー、サウサリートで弾き語りのライブをさせてもらった。
 年中ツアーに出ていると、数週間ツアーの間が空くだけで、なんだか体がなまってくるような、むずむずしてくるような感覚がある。ここ最近はイベントの準 備で雑務に追われ、前売り状況を気にしてやきもきしたりと、少しストレスがたまりがちだったせいか、久し振りのステージは思った以上に解放感があった。そ れに、かなりの集中力で演奏できたことも収穫だった。
 デビュー当時の曲から、普段は演奏しないカヴァー曲まで、たくさんの曲を演奏した。会場の雰囲気は最高だった。地元の知った顔も多数。
 アンコールが終了直後、マスターのジョージさんからCDデビュー20周年を祝ってお花をプレゼントされた。その際、ジョージさんから、まだプレゼントがあるので、しばらくその場にとどまるように言われる。
 何が始まるのかと戸惑っていたら、ライブを観に来ていた鍵盤奏者の杉山睦美さんが自分の席を立ってピアノの前に座り、「アイノウタ」のイントロを弾き出 した。そのピアノに合わせてジョージさんがカウンター内でカフォンを叩き始める。今度は、客席後方のカウンターに座っていた鎌倉でケーキ屋を営むS君が立 ち上がって、お客さん全員に向かって指揮を取り出して、その場にいた皆が「アイノウタ」を歌い始めた。わお!ゴスペル教会の合唱みたい。
 思いがけないサプライズプレゼントだった。ジョージさんが、メール予約したお客さん全員に前もって連絡をして、開演前にこのサプライズの練習をばっちり行っていたのだそう。
 歌の後は今度はケーキのプレゼント。
 ほんとに感激した。
 この街に越してきてよかったなあと思う。

2010年10月31日日曜日

雨の港町

今朝は小雨が降っていた。出発前に町を散歩。雨の港町もいいもんだ。

2010年10月30日土曜日

高知の港町にて

第17回移動高新 ふれあい高新 in中土佐
「久礼のみなとのhama-yashiki ototo音楽祭」
場所:高知 中土佐町久礼新港(雨天決行)
【出演】リクオ&山口洋/城戸けんじろ/う~み/ザ・たこさん/ミステルズ/SWAN/他
 山口洋と一緒に、カツオの一本釣りで有名な港町、中土佐町久礼をはじめて訪れる。
 2人で久礼に前日入りして、リハサーサルをすました後、夜は高知市内で、この日のイベント参加のきっかけをつくってくれた知人らと、予想外にしこたま飲んだ。
 朝目が覚めたら二日酔い。またやってもうた。部屋からホテルのロビーに降りて来たら、ヒロシはオレ以上の二日酔いで、ぐったりとしていた。
 会場入りして、中継車からのラジオ生出演を終えた後、オレはすぐに会場近く海沿いの高台にある温泉へ連れて行ってもらい、中土佐の海を眺めながら、ゆっくりと露天の湯につかり、アルコールを抜く。
 その後、旅館でヒロシとの軽い打ち合わせをすませて、しばらく港町をぶらつく。古い民家が軒を並べていて、子供と老人、そして野良猫が目についた。コン ビニが一件も見当たらず、通りからは懐かしい生活の匂いがした。なんだか昭和の時代にタイムスリップしたような感じ。いいなあ、この町。
 ヒロシも夕方には復活。港を背にして行われた久し振りの2人きりのステージは、相変わらずの振り幅の広さ、緊張と緩和のダイナミズムにあふれていた。
 お客さん、スタッフ含めて、会場にいた皆がほがらかないい顔をしていた。地域に密着してた手作りの暖かいイベントだった。
 色んな思いがストレートに伝わってきて、その素直さ、素朴さに、心が浄化されるような、救われるような思いがした。
 中央の音楽業界と言われるところからは、随分離れた場所に来たなあと思う。

 嬉しかったことがもう一つ。高知新聞につとめる知人の記者が、前日にオレとヒロシをインタビューしてまとめた記事が、この日の高新の朝刊に掲載されたの だが、それがとてもいい記事だったのだ。限られた紙面の中で、こちらの思い、本質の部分を汲み取って、正確にまとめてくれたのが、嬉しい。記者氏の心意気 と、誠実さに勇気づけられた。

2010年10月25日月曜日

20周年イベント関西プロモーション

 デビュー20周年ライブイベントのプロモーションで、京都、大阪の各FM、ラジオ局を回る。関西の媒体だと、自分を知ってくれてる人が多くてありがたい。
 この日の締めは、FM802番組「ビンタンガーデン」の収録。20周年を記念して『リクオ ホーボーQUESTION!?』というタイトルで特集を組んでもらったのだ。番組ディレクターのH氏とは、18年を越える付き合い。
 ソウルフラワーの中川君、おおはた雄一君、レヨナがコメントを寄せてくれていて嬉しかったな。放送は11月6日(土)23:00~24:00。再放送は11/7(日)24:00~25:00。
 関西、やっぱあったかいなあ。
 プロモーションを組んでくれたポニーキャニオンのI君にも感謝。
 20周年ライブイベント「ホーボーコネクション」成功させんとね。こんなイベント、もうなかなかできないと思う。今更ながら準備も大変やなあと。
 ちょっと無理してでも足を運んで下さい。
 お待ちしてます。

20周年イベント特設サイト http://www.rikuo.net/20th/

2010年10月24日日曜日

10年振りの福井敦賀

福井 敦賀市 酒菜楽アリーナ
 敦賀を訪れるのは、10年振り。ライブ会場は前回と同じアリーナ。前回はソロではなくヘルツでの来場だった。すごく盛り上がって楽しいライブだったことを覚えている。あれからもう10年も経ったのか。
 席もうまって、ライブは理想的な盛り上がりになった。始めてのお客さんだけでなく、10年振りに足を運んでくれたお客さんがいたことも嬉しかった。
 正直、この日はたまっていた疲れが出て、体調はあまりよくなかったのだけれど、会場入りしたときから、マスターの野口さん、地元スタッフの皆さんの、この日のライブへの強い思いを感じ取ってていたので、その思いが自分の気持ちを振るい立たせてくれた。
 マスターの野口さんは、この10年の間、辛い時期にはオレのCDを何度も繰り返して聴いてくれていたそうだ。前回敦賀ライブを企画してくれたK君とも10年振りに再会。元気そうで何より。
 打ち上げでは、早くも来年のライブ企画の話が持ち上がって、皆が色々と意見を出し合った。久し振りに訪れた街で、いい出会いと再会を果たすことができて嬉しい。

2010年10月23日土曜日

伊勢カップジュビーにて25周年

伊勢 カップジュビー
【オープニング】外村伸二
 リハーサル前に、伊勢神宮をお参り。神宮内を歩いて、大木に囲まれていると自然に抱かれているような感覚。

 この日のライブは、オープニングで、店主の外村伸二が40分程演奏。彼のステージのラストは、オレも参加して、昨夜レコーディングした曲を演奏。外村のステージを見て、彼の音楽の中に自分のルーツの一部があることをあらためて再認識した。
 ステージから、外村がオレのCDデビュー20周年を祝うコメントをくれたのだけれど、そのとき思ったのは、彼と出会ってバンドを始めた25年前が、自分 の音楽生活の一つのスタートになっているのだから、今年の自分は音楽生活25周年でもあるんだなということ。
 だから、この日の自分のステージは、勝手に自分で音楽生活25周年ライブにすることにして、1曲1曲丁寧に歌った。
 アンコールのステージに向かう時、外村が、何かセッションをしようと声をかけてきたので、再び彼にステージに上がってもらう。
 何も打ち合わせをしていなかったけれど、カヴァー曲4曲をセッションした。いい演奏だった。
 これからも、音楽を愛し続けて、音楽を通して、この夜のようないい時間を共有し続けてゆければと思う

2010年10月22日金曜日

伊勢で外村伸二のレコーディング

伊勢に前乗りして、翌日のライブ会場、カップジュビーのマスターで、シンガーソングライターでもある外村伸二のレコーディングに1曲参加する。
 外村とは、自分が学生の頃、一緒にバンドをやっていた仲。今思えば、前夜に一緒に飲んだ2人と外村等が組んでいたバンドに、25年前に参加したことが、自分の音楽生活の本格的なスタートになった気がする。
 レコーディングはカップジュビーに録音機材を搬入して行われた。参加した1曲は、自分にとっても思い入れのある外村のオリジナル曲だった。録音のときは、思い入れのあまり感情が入り過ぎないように心掛けた。
 これから年末にかけては、自分の中で、過去、現在、未来を繋げてゆく大切な期間になるように思う。

2010年10月21日木曜日

大阪焼酎ライブ

大阪心斎橋 焼酎BAR 酔夏男
「UZU~ピアノの輪~」
【出演】ヨツヤタカヒロ/日比直博
【ゲスト】リクオ
 この日は、大阪の若者が中心に企画する街フェス「見放題」のスタッフであるNさんが企画するピアノイベントにゲスト出演。
 ライブ会場の焼酎BAR 酔夏男を訪れるのは、今回が始めて。心斎橋駅からすぐの立地の良さで、地元の音楽好き、ミュージシャンが多く集まる場所なのだそう。そのせいもあってか、 開演前から開演後にかけて、大阪の多数の知り合いが会場まで訪ねて来てくれた。
 焼酎バーということなので、ステージドリンクは黒霧の水割りにする。典型的なお客さん参加型ライブで、自分は指揮者のような気分でパフォーマンスする。前席のお客さんの手拍子のリズムが走りがちで、ちと困った。
 ライブの企画者Nさんが、この日が誕生日だと聞いていたので、急遽アンコールで「ハッピーバースデー」を弾いて、皆で歌う。24歳になったのだそう。若いなあ。この日の共演者のヨツヤくん、日比くん含め、若い人達と関われることはありがたい。

 この日は、学生時代に一緒にバンドをやっていたメンバー2人がライブを見に来てくれたので、会場での打ち上げ後、場所を変えて一緒に飲む。25年前にバ ンドをやっていた3人が久し振りに集まって、特に違和感もなく、当時の感覚の延長のまま、飲んで話しているのが、不思議に思えたけれど、嬉しかった。自分 が年末大阪に戻って来たときには、3人でセッションをしようという話をする。楽しみやなあ。

2010年10月17日日曜日

米子初ライブ

米子 ONE MAKE
オープニングアクト:宮腰おさむ
 会場入りする前に、テレビドラマ「ゲゲゲの女房」のヒットで盛り上がる境港を観光。水木しげるロードは、10数年前に訪れた時とは別世界の賑わい。
 
 今年の祝春一番の楽屋で、踊ろうマチルダのマネージャーとして来ていたONE MAKEのマスター、ピコさんから声をかけられたことが、今回のライブ実現のきっかけになった。
 ONE MAKEはやさぐれた場末のバーのニオイがした。それはピコさんの美意識によって反影された佇まいなのだろう。トム.ウエイツやアルチュール.アッシュが聴きたくなる感じ。
 オープニングで演奏してくれた若きピアノマン、宮腰おさむ君とはこの日が初対面。ポジティブなエネルギーを持った若者で、空席の目立つ客席で、実にエネルギッシュなパフォーマンスを見せてくれた。
 自分の場合、困ったことに、こういう空席の目立つ空間で、それに見合ったたライブができてしまう。というか、この日のようなシチュエーション、雰囲気が嫌いではないのだ。ただ、ステージでの酒量が増えてしまう。
 少ないながらも集まったお客さんは皆オープンで、いい空間をコーディネイトすることができた。とは言え、この客数では、この場所に帰ってくることは難しい。
 ライブ後の打ち上げで、マスターと地元の電波媒体につとめるマスターの知人が、「次回はもっと宣伝して席をうめるので、もう一度米子に来て下さい」と言ってくれる。
 縁はつながったみたいだ。 

2010年10月16日土曜日

鳥取砂丘を巡礼

 鳥取砂丘は素晴らしかった。
 砂丘の頂上へ向かう人達の姿を、少し離れた場所から眺めていると、スペクタクル映画を見ているような気がした。
 自身も丘の頂上を目指して砂地を歩き続けていると、巡礼地に来たような、神聖な気分にもなった。砂丘のてっぺんに辿り着いて、海を見下ろしたときは、感動したなあ。

2010年10月15日金曜日

出雲初上陸

出雲 PUB LIBERATE
 出雲初上陸である。
 10数年のツアー暮らしの中で、山陰地方は最も縁の薄い地域。縁が繋がるかどうかは、今回のツアーのステージ次第。

 日中は、この日のライブ会場LIBERATEのマスター、ケンジの案内で、市内を観光。旧大社駅見学→昼食に出雲蕎麦→出雲大社参拝→日御碕から夕陽展望、という流れ。かなり満喫。もっとゆっくり訪れたい気持ちになった。
 ケンジとの出会いは3年程前。アコースティックパルチザンのツアーで岡山を訪れた際、客席の最前列を陣取っていたガラの悪い数人の一人が奴だった。
 年は30代後半くらい。革ジャンを着込んで、髪の毛をピンクに染め、首に“反戦”の入れ墨。そのルックスだけで目立つのに、ライブの頭から泥酔状態で大 盛り上がり。ライブ途中で中川君から注意されて、おとなしくなったと思ったら、今度は最前列で爆睡。これだけインパクトのある客もめずらしい。
 なぜか、ケンジの一団は打ち上げの席にも参加。聞けば、出雲でライブバーをやっていて、自分達が暮らす街で開催されるイベントへのソウルフラワーユニオ ンの出演を直談判するためにやってきたのだという。その成果あって、翌年、出雲でのソウルフラワーユニオンのライブが、実現されることになる。
 ケンジのことは自分もずっと覚えていて、中川敬や山口洋からも実は結構いい奴だという話を聞いていたので、いつかLIBERATEを訪れる機会があればと思っていたのだ。
 シラフのケンジは確かにいい奴だった。地元の仲間も多く、随分と慕われている様子。
 ライブは自分の好きな酒場の猥雑な乗りで、よく盛り上がった。女性の歓声が響いたのもよかった。アホで気持ちのよい男達にも出会えて、楽しい酒だった。
 縁は繋がったようだ。
 ケンジ、お互い元気に再会しよう!
 アリガト。

2010年10月11日月曜日

昼は高畠、夜は藤沢で盛り上がる

 高畠ワイナリー企画イベントへの参加は昨年に続き2回目。会場はこの日も大盛況。快晴の午後、老若男女の前で気持ちよく演奏させてもらう。
 自分のライブの後は、大道芸人クライムボムのパフォーマンス。これが子供に大受け。
 クライムボムとは前日の前打ち上げで知り合い、多いに深酒し合った。滋賀県出身の30代後半。なかなかのイケメン。チャップリンやキートンに憧れて、大道芸の世界に入ったそう。
 彼は、その日のかまやつさんのライブを観て「とても悔しいと思った」そうだ。ミュージシャンを同じパフォーマーとして、多いに意識していて、そういう気持ちを素直に語れるのがいいなあと思った。
 イベント終了後、その日の内に藤沢に戻り、その足でバーケインズに寄って、湘南を拠点に活動するバンド、水母ボーダーズのライブを観る。店内は超満員で大盛り上がり。ファンキーかつ笑えるステージは、クレイジーケンバンドと共通した乗りを感じた。
 ライブの後もケインズに残って、またDJをやらせてもらう。左とん平からミルトン・ナシメントまで幅広く選曲。 


2010年10月10日日曜日

大御所弾ける!

 午後から、ミルトン夫妻らと、明日のイベント会場がある山形県高畠ワイナリーへ向かう。その道すがら、小原温泉に寄り、山間の渓流沿いにある岩風呂温泉につかる。最高のロケーション。
 午後3時過ぎ、イベント会場の高畠ワイナリーに到着したら、場内は大変な人出で大盛況。前日から野外イベントが続いていて、この日は大御所のかまやつつひろしさん、ブレッド&バターのお二人が出演。
 かまやつさんのこの日の選曲は、お客のニーズに応えて、ヒット曲のオンパレード。ヒット曲があるっていいなあと思った。ちょっと、うらやましい。
 堅実な選曲に対して、演奏の方は、実に奔放だった。嫌という程演奏してきた曲のはずだけれど、こなれた感じがなく、ホント楽しそうに弾き語っていて、かまやつさんのときめきがこちらにビンビンと伝わってきた。
 素晴らしい。技術を超えた人間力。客席は大盛り上がりだった。まさに高齢者ロックのパイオニアにして、最先端!
 ブレッド&バターのお二人もとてもコンディションが良さそうに見えた。
 大御所の皆さんはホント元気だった。オレも、まだまだこれからやな。

2010年10月9日土曜日

白石ミルトンでシークレットライブ

白石市カフェミルトンの恒例企画「アナログナイト」にシークレットゲストで参加して、弾き語る。
 イベント参加者がそれぞれアナログレコードを持参して、そのレコードに対する思い入れを語りながら針を落としてゆくという企画。
 さまざまな語りとレコード(CDもかかりました)を聴いた後でのステージだったので、自分もそれに近いスタイルのステージをやりたくなる。それぞれの曲に対する思い入れなども語りながら、選曲の大半をカヴァー曲で通す。
 ライブの後は、自分のパソコンのDJソフトを使って、DJの真似事をさせてもらう。こういう時間大好き。気付けば夜中の3時。

2010年10月8日金曜日

人生は一期一会

六本木で、今年亡くなった絵本作家でイラストレーターの沢田としきさんの個展を見る。沢田さんとは、ライブペインティングで3度共演させてもらったことがあり、どのステージも強く印象に残っている。
 会場には懐かしい作品がたくさん。沢田さんの作品の多くから音楽が聴こえてきた。
 夜は渋谷でジェフ・マルダー&エイモス・ギャレットのライブを観る。今回を逃せば、もう二度と観れないのではないかとの思いでチケットを押さえたのだが、同じ想いの人が多かったのだろう、会場は超満員のソールドアウト。お客の大半は親父。
 とにかく観れて、聴けてよかったあ。匠の技と歌心を堪能。2人をサポートした辻くん(Dr.)、ブラック・ボトム・ブラスバンドの面々のプレイも光った。ライブ中、自分もあのステージで一緒に演奏させてほしいなあと思った。
 ライブを観た後は下北沢に移動。ラ・カーニャでライブを終えた後の中川五郎さん等と終電まで飲む。
 濃密な1日だった。

 先日の角野恵津子さんの訃報に続き、この日も新潟の知人Tの訃報が届く。以前よりも死が身近な存在になりつつある。
 人生は一期一会。2度と巡ることのない時間を噛みしめ、後悔することなく味わおうと思う。

2010年10月3日日曜日

アンコールのビールは最高に美味しかった!

長野市 ネオンホール 
 この日も会場入り前は温泉の湯につかり、館内で昼寝。このパターン大好き。
 開演前にネオンホールのスタッフが楽屋にやってきて、「ステージドリンクはどうしますか?」と訪ねるので、「水で」と答えたら、「ビールでなくていいんですか?」と聞き直される。ちょっと心が揺らいだけれど、再度「水でいいよ」と答える。
 本編の真ん中あたりで、集中力がどんどん高まってきて、そのときに演りたいと感じた曲を、MCなしで5、6曲立て続けに演奏する。スローテンポの曲が中心になった。
 アンコールでビールを注文してステージで一気に飲んだら、すんごくおいしかった。少し酔いが回って、さらに気持ち良くなって、普段歌うことのない曲を中心に、アンコールで7曲程歌う。
 最小限の音数で、たっぷりと間を取りながら弾き語ることができた。こういう演奏を録音しておけばよかったと思う。最高に解放されている瞬間。

 打ち上げでいただいた手料理、美味しかったなあ。ライブを主催してくれた高木夫妻はじめ、スタッフの皆さん、多くの地元の人達の思い、暖かさが身にしみた2日間でもあった。

2010年10月2日土曜日

下北沢で飲み明かして松本へ

長野県松本市 ALECX Bar space squall 
 結局、直枝さん達と下北沢で始発の時間まで飲み明かした。
 自分は東京での宿泊をあきらめ、新宿から「あずさ1号」に乗車して、ライブ地の松本へ向かう。午前9時過ぎ、松本駅に到着、その足で駅近くの温泉に直 行。ゆっくりと湯につかり、館内の食堂でかき揚げ蕎麦を食べた後は、畳の間の休憩室で、会場入り時間まで爆睡。我ながら旅慣れしているなあと。
 squallのピアノは自分の帰りを待ってくれていたかのように、こちらのタッチによく応えてくれた。
 この日の気分をどう説明したらいいんだろう。ちょっとけだるさがあって、マイペースに解放されている感じ。こういう力の抜けた邪念のないフィーリングをいつも持てたらなと思う。
 この日のライブは自分でも予想外の選曲になった。久し振りに演奏した曲も多かった。それだけステージで自由だったんだと思う。 

2010年10月1日金曜日

出会い繋がる下北沢の夜

下北沢 ラ.カーニャ
【出演】直枝政広(カーネーション)/リクオ 【サポート】橋本歩(チェロ)
 今年の4月、ツアーの2次会で訪れた札幌のバーで、直枝さんと偶然の再会を果たしたことが、この日の共演のきっかけになった。その時は2人とも随分な 酔っぱらいで、まともな会話を交わした記憶がない。それから1週間も経たずに、今度は南青山で直枝さんとバッタリ再会。その時はお互いシラフで、アルバム を交換し合ったりして、別れたのだった。
 帰宅後、直枝さんからもらったカーネーションの新譜「Velvet Velvet」を聴かせてもらった。以前よりも色気やワイルドネスが増している印象を受けて、「洗練の先の粗野」という言葉を思い出した。多いに刺激を受けて、曲を書く意欲が湧いた。
 後日、知人から、直枝さんがツイッター上で「リクオ&ピアノ」を絶賛してくれていたという話を聞いて、とても嬉しく思った。
 直枝さんとはラ.カーニャでの共演が決まった後の8月にも、ダン.ペンのライブ会場で再会。そのときに直枝さんが「ダン.ペンの音楽を聴いたら、また曲 が出来そうな気がするんだ」と言っていたのだけれど、それは自分がカーネーションのアルバムを聴いた時にも感じたことだった。
 直枝さんの弾き語りを聴くのは、この日が始めてだった。アコースティックギターが凄く馴染んでいて、「ああ、この人はバンドをやる前に、アコギで弾き語っていたんだな。元はシンガーソング.ライター指向だったんだな」と思った。
 直枝さんの弾き語りスタイルに、ブルースフィーリングが備わっていることにも、共感を覚えた。割り切れない思い、持て余した思いが表現の原動力になっていて、生々しさが色っぽく伝わってきた。

 ラ.カーニャは自分は東京に住んでいた2年半前まで、もっともよく飲みに行ったお店の一つだった。マスターの岩下さんとの付き合いは20年を超える。デ ビュー当時からずっと自分を見守ってくれている人だと勝手に思っている。この日のライブは、岩下さんが飲み屋を始めて30周年を記念してのシリーズライブ の一つ。30周年をお祝いできて嬉しい。
 ライブは終始、いいヴァイブに包まれていた。歩ちゃんのチェロも演奏する喜びに満ちていた。最後のセッションも楽しかったなあ。
 矢野絢子ちゃん、鈴木亜紀ちゃん、ハシケン等知り合いミュージシャンが遊びに来てくれたことも嬉しかったな。出会いの繋がった夜だった。

2010年9月26日日曜日

収穫の秋

高知 FANCY LABO (RING)リング
 この日のライブを企画してくれた町田夫妻と1年2ヶ月振りに再会したら、2人とも体つきが随分と引き締まっていた。山口洋と友部正人さんの影響で、夫婦揃ってランニングにハマっているのだそう。
 この1、2年、とにかく自分の回りで、走りだす人が激増している。ブームということもあるのだろうけれど、年代も関係しているようだ。若い人よりも30 代後半以降でマラソンにはまる人が多いのだ。心と身体の両面でバランスを取るのが難しい年代なんだと思う。 

 昨年、ヒロシとの四国ツアーで、この会場で演奏したときの感触が残っていて、今回も集中力の高い演奏ができた。
 ツアー9日目、最終日で一番声が出た。多分自分のキャリアの中で、今が一番声の調子が良い。今迄、シャウトしてぎりぎりだったAのキーが、この日は結構余裕を持って発声できた。課題を持って発声に取り組んできた効果がはっきりと表れているのが嬉しい。
 
 今回の9日間ツアーは、自分の演奏にじっくり向き合うことができた気がする。収穫の秋。
 この感覚を忘れずに、またすぐにステージに立ちたいという思いと同時に、少し休養したい気持ちも。曲も書きたい。

2010年9月25日土曜日

ハッピー連鎖

愛媛県 松山市 スタジオ OWL(オウル)
 梶虎君との付き合いは、彼が大阪の大学に通っていた頃からで、もう12年になる。彼が愛媛で自分のライブを始めて企画してくれたのが、01年。それから コンスタントにライブを企画し続けてくれて、今年で10年目。自分にとっては最高のサポーターの一人。
 彼は楽しみを決して独り占めしない。とにかく人に伝えて、それを皆で共有しようとつとめる。そのエネルギーが素晴らしい。
 早川義夫さんが著書で「いい人は人を元気にさせる。正直だ。前向きだ。」と語っていたけれど、その言葉は梶虎君にも当てはまる。自分は日本各地を回って、正直で前向きな人達にたくさん出会うことで、随分と力をもらってきたように思う。
 ライブはソールドアウトになった。ハッピーが会場中に連鎖していた。
 ライブで集中力が高まり、いい状態になると、自分にこんな力があったんだということを思い出す。そして、まだその先に行けそうな気持ちになる。自分の未知の可能性に気付く感じ。
 忘れたくない感覚。

2010年9月23日木曜日

田んぼ山里、お月さん

香川県 三豊市 ブギナイト
 三豊3度目のライブ。
 ブギナイトの回りは田んぼ山里ばかり。そんな懐かしい風景の中、夕暮れ時に、空の低い場所から見事なお月さんが浮かび上がってきた。シャッターを何度か 切ってみたのだけれど、カメラではおさめきれない光景だと気付く。しばらく見とれてアイカメラに焼き付ける。
 自分が今目にしている風景は、何十年、いや、もしかしたら何百年以上前から、たいしてが変わらずに存在しつづけている風景かもしれないと思った。月を眺 めながら、こんな場所にライブ会場があって、人が集まって、今からステージが繰り広げられることが、ちょっと不思議に思えた。
 ブギナイトは普段は鉄板焼き屋さん。ブギナイトに来たら、お店の名物シェキ鍋を食べるべし。美味しくて、ヘルシー。おすすめです。自分が最も好きな焼酎、兼八と泰明がそろっているのも素晴らしい。
 ありがとう。今夜もいい夜でした。