2011年4月30日土曜日

4/30(土)藤沢ケインズでDJ

 この日は藤沢にある馴染みのミュージックバー、ケインズのイベント「TAJIROCK FESTIVAL」に参加してDJをやらせてもらった。
 ケインズでは時々気軽にDJをやらせてもらっている。ターンテーブルは使わず、アナログレコードも回さず、パソコンのDJソフトを使ってのスタイル。こ のソフトがすぐれもので、結構凝ったつなぎができたりして面白い。この日は邦楽中心の選曲。曲やリズムに反応してお客が踊り出すのが楽しい。
 自分がステージで演奏する時に、1曲1曲を聴かせるだけでなく、場の空気を感じながら、臨機応変にステージの流れを作ることを意識するようになったのは、クラブDJからの影響が強い。
 実際に自分がDJをやってみると、流れを作ることにより意識的になるし、ライブの時以上に、冷静にフロアを眺めることができて、勉強になる。
 この日はイベント全体がユーストリームで生中継された。えらい時代になってきたなあ。
 この夜、田尻君を中心に集った若者達の演奏、心地ちよかったな。また呼んでね。

2011年4月29日金曜日

4/29(金)さまざまな感情をすべて燃焼

リクオ「セツナグルーヴ2011」
場所:渋谷 BYG 03-3461-8574
【サポートメンバー】寺岡信芳(b)/朝倉真司(perc.)/安宅浩司(g.)
【ゲスト】 ウルフルケイスケ(g&vo)
 楽しみにしていたバンドスタイルでのワンマンライブだったのだけれど、当日になってサポートギタリストの安宅君が、体調を崩してライブに参加できないことが判明。まずは、自宅を出る前に、ステージ構成や数曲のピアノアレンジを練り直す。さて、どうしよう。
 会場への移動中、チェロ奏者の橋本歩ちゃんからメールがあり、今日のライブを観に来るとのこと。「そうだ、歩ちゃんに今日のライブに参加してもらおう」 と思いついて、早速連絡。彼女からはすぐにOKの返事をもらったのだけれど、リハーサルには間に合いそうにないとのことなので、演奏曲だけ知らせて、本番 ぶっつけで9曲参加してもらうことに。こんな無理を頼めるのは彼女だからこそ。
 最高のメンバー、最高のお客さん達に囲まれて、ステージではさまざまな感情をすべて燃焼させ、すごく前向きなエネルギーに転換させることができた。なんだか終始体中に力がみなぎっている感じだった。
 この日ゲスト出演してくれたケイヤンと自分とのコンビネーションは本当にいいと思う。これから、さらに突き詰めてゆけば、もっと開かれて弾けた世界に行けるんではないかという予感がある。彼とのツアー第2弾が今からとても楽しみ。
 素晴らしい夜ではあったけれど、安宅君が参加できなかったことは、やはり残念だった。彼の体調が回復したら、なるべく早くに一緒に演奏する機会をつくりたいと思う。
 来月13日(月)もBYGで、三宅伸治さんとジョイント。これも楽しみやなあ。

2011年4月24日日曜日

4/24(日)楽器の街、浜松にて

浜松 ハーミットドルフィン
 会場入りする前、浜松駅近くにある楽器博物館に足を運んだ。めずらしい楽器がたくさん揃っていて、すごく楽しかった。さすが楽器の街。また観に行こう。
 ライブを主催してくれた岡林さんとは多分4年振りくらいの再会。普段はヤマハでエフェクターの開発をしている技術者。
 この日は、ライブのPAエンジニアも岡林さんにお願いしたのだけれど、とても演りやすい音に仕上げてもらった。特にピアノの音がナチュラルでいい響き だったので、ライブ後にどんな音作りをしたのか本人に聞いてみたら、実はリハーサルの途中で、マイクを切って、生音に切り替えていたのだそう。素晴らし い。こういう引き算の発想はホント大切だと思う。
 初めてだったハーミットドルフィンのお店の雰囲気もとてもよかった。また演らせてほしいな。
  

2011年4月22日金曜日

4/22(日) 久し振りのソロツアー

静岡市 UHU
 ソロでツアーに出るのは久し振りに感じた。といっても今回は静岡、浜松の2ヶ所だけ。
 ケイヤンとのツアーでは毎回曲順を決めて、演奏していたのだけれど、今回はソロということで、曲順を決めずにステージに上がる。
 演奏前は、ケイヤンとのツアーでさんざん盛り上がった後なので、今日は、どちらかというとじっくり聴いてもらうようなライブにしようかなどと、考えてい たのだけれど、いざフタを開けてみると、そうはならなかった。特にライブ後半は、ソールドアウトの会場かと思わせる程の歓声、盛り上がり。多分、この日の 客席の中で一番盛り上がって、歓声を上げていたのは、UHUのオーナーNさんだと思う。
 この日のNさんは被災地である釜石でのボランティア活動から帰ってきたばかりだったそう。釜石はNさんの生まれ故郷なのだ。今回の震災で両親が被災し、 友人や後輩をなくしたそう。Nさんのいつもとは違うテンションの高さは、心のダメージの裏返しのようにも感じた。

2011年4月18日月曜日

4/18(月)平均すれば、49%以下のネガティブと51%以上のポジティブ

 昨夜は「MAGICAL CHAIN CARAVAN」のツアーファイナルを無事最高の盛り上がりで終え、そのまま下北沢で始発過ぎまで飲んだ。
 よって、今日は1日、抜け殻状態。

 自分は、このツアー中、いつも以上に多くの人達と出会い、再会し、いつも以上にたくさんの人達と会話した。そこで、今回の震災と原発事故で直接の大きな 被害を受けなかった人達も、相当な心のダメージを負っていることを痛感した。3.11以降、しばらく音楽を聴く気分にはなれなかった、こういう場で音楽を 楽しむことにためらいを感じた、という話もよく聞いた。それも仕方がないと思った。
 自分の場合、この時期、音楽に集中できる場があって、ほんとによかったと思う。演奏に集中して、多くの人達とエネルギーを交感することで、気持ちが随分と前に向かった。色んな場所で、色んな人達と会話することで、心もほぐれた。
 とは言え今も、いろんな感情をまだ未消化のままごちゃごちゃと抱えたままではある。そういう感情を置いてゆかずに、向き合い続けることも必要だという気がしている。
 けれど、ネガティブな感情に心のすべてを支配されることのないよう、平均すれば、49%以下のネガティブと51%以上のポジティブを維持し続ける、そんな感じでいられたらと思う。
 そして、笑っていよう。時には空元気を出そう。人知れず落ち込もう。どうしてもだめな時は誰かに愚痴をこぼそう。
 状況はまだまだ予断を予断を許さないけれど、心を柔らかく保っていようと思う。批判も必要ではあるけれど、誰かを口汚くののしったりはしないようにしよ う。感情的になったときは、自分の感情に問いかけてみよう。自分の中の暴力性が暴発しないように心掛けよう。少しずつ前へ進もう。
 そうやって、メロディーと言葉をつむいでゆこうと思う。

2011年4月17日日曜日

4/17(日)格別に印象深いツアー

下北沢 440(Four forty)
「MAGICAL CHAIN CARAVAN」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
サポート:朝倉真司(パーカッション)
 下北沢440のライブはツアー最終日にふさわしい盛り上がりになった。心も体も多いに踊った。
 すっごく開放的な空間だったのだけれど、お客さんのリアクションには何か切実なものも感じた。こういうオープンでハッピーな空気に多くの人が飢えていたんじゃないだろうか。
 自分にとってだけでなく、多分、ケイヤンにとっても、朝ちゃんにとっても、そしてお客さんにとっても、今回のツアーとステージの内容は、この時期、とてもタイムリーだったのだと思う。
 ツアー中のケイヤンの姿には勇気付けられた。ケイヤンはいつもごく普通にしていた。心は常に柔らかく保たれていて、そこには意志が感じられた。だから自分も普通でいられた。
 ステージでは2人とも、最高の共鳴空間を作ることに集中して、多いに弾けた。途中から朝ちゃんが参加することで、風通しの良い空気に一層拍車がかかった。
 自分のキァリアの中でも格別に印象深いツアーになった。

 ツンタ、フラカンの竹安くん、宮藤官九郎さん、黒猫チェルシーの渡辺くん、オレスカバンドのいかすちゃん、海さくらの古澤くん、SO-SOの酒井く ん、、むうちゃん、ベルギーからはナタリーetc.この日のライブに、いろんな人達が遊びに来てくれたのも嬉しかったな。

 このツアーは、これで終わらせたくない。vol.2も計画中。お楽しみに。
 多々感謝。

2011年4月15日金曜日

4/15(金)ハイとロウを行ったり来たり

自分でも不思議なくらいテンションが高く、疲れ知らずで活動的な日々が続いた後に、やはり反動がやってきた。馴染みのパターンである。
 しばらくは、無理にテンションを上げようとせず、日々を過ごすことにした。自分でも気付かないうちに疲れがたまっていたようだ。
 ハイとロウを行ったり来たりすることを、それでよしとしている。あまりに振り幅がひろくなり過ぎるとしんどいけれど。
 そういえば、自分は桜が散り始める頃に、なぜか、心が不安定になりがちだ。近年はそうでもなかったのだけれど。
 桜の花ばかりを眺め過ぎると、気付かぬ間に心が乱されるような気がする。だから、桜よりも先に咲き始めて、桜よりも長く咲き続ける木蓮の花を眺める。そ の前に、桜に比べてどこか慎ましい梅の花を眺めておく。小さな花壇で何ヶ月も咲き乱れ続けるローズマリーの花を眺める。ようやく咲き始めた路傍のタンポポ を眺める。移ろう季節の中で、さまざまな色を感じる。
 チャリンコに乗って海へ行く。潮風を感じ、空を舞う鳶を見て、物思いに耽っているようなカラスを眺める。
 なんでやねん?と問いかける。そんなすぐに答えはでない。色んな感情がまとまらない。そうやって少しずつ前に進む。
 ピアノの前に座って、言葉とメロディーを探してみる。言葉よりも、メロディーよりも、感情が先に立ってしまう。曲もできていないのに、ぐっときてしまう。まだ、だめだ。
 気持はまた上がってきた。まとまりなく、割り切らずに少しずつ進んで行こう。


2011年4月10日日曜日

4/10(日)温度差

 選挙に行った後、少し自転車を走らせ、川沿いの公園でしばらく花見をした。桜は満開で丁度見頃だった。多くのグループが、桜の下で宴会を催していて、そこらじゅうに明るい笑顔があふれていた。
 夕方に、パソコンを開いて、高円寺で行われていた原発反対のデモの様子をユーストリームで見た。1万人を超える人が集まったそうだ。
 夜には東京都知事選の結果が出て、石原都知事の再選を知る。自分の予想を超える圧勝だった。今が変革の機会だと思っていたけれど、都民はそのような判断 を下さなかったということか。特に若者の投票率の低さにがっかりした。自分も若いころ、投票に行かないことが度々あったので、えらそうなことはいえないの だけれど。
 自分が直接交流する人達やネットを通して感じる空気と、それ以外の世間の空気とは、かなり温度差があるようだ。もしかしたら、被災していない多くの人達 が、被災地のことや、原発事故のことを忘れ始めているのだろうか?忘れなければやってられない、日常に戻れないという気分なのだろうか?このような状況に 慣れて、感覚がマヒしてしまったのだろうか?
 そうか、自分も、しんどいこと、嫌なことは忘れて生きてきたな。それが、自分の才能の一つだとも思う。でも、忘れちゃいけないこともある。
 あの花見をしていた人達は、酔っぱらって、バカ話をして、明るくふるまう一方で、不安を抱え、心を痛め、祈り続けているのだろうか?

2011年4月9日土曜日

4/9(土)「ずっとウソだった」を聴いて

 斉藤和義くんが、自らのヒット曲「ずっと好きだった」を元ネタにして、「ずっとウソだった」という楽曲をYouTubeにアップさせて、多いに波紋を呼んでいる。自分も、ツイッターでその情報を知り、YouTubeを見た。
 歌詞の内容は、電力会社と政府に対する痛烈な批判だった。
「オレたちを騙して、言い訳は『想定外』 ずっとウソだったんだぜ やっぱ、ばれてしまったな ホント、ウソだったんだぜ 原子力は安全です ずっとウソ だったんだぜ ほうれん草食いてえな ホント、ウソだったんだぜ 気付いてたろ この事態 風に舞う放射能はもう止められない 何人被曝すれば気がついて くれるの? この国の政府(歌詞より抜粋)」
 斉藤くんの歌わざるをえない衝動が伝わってきた。このような歌が自由に歌える世の中であってほしいと思う。世の中には、こういうモノ申す歌が少なすぎる のかもしれない。大きな波紋、さまざまな論争が起こっている時点で、この時期に、この曲をネットに流した意義は多いにあったと思う。
 ただ、正直自分は、諸手を上げて拍手するような気分にはなれなかった。聴き終えた後、ちょっと気まずいような気分が残って、考えさせられた。曲の中で 「何人被曝すれば気がついてくれるの?この国の政府」と歌われているけれど、気付かなきゃいけないのは、この国の政府や東電だけじゃないと思った。

 最近、ネット上で、原発推進に加担した著名人がリストアップされ、それがツイッター上でリツイートされ、告発、非難されているのを見た。リストアップさ れた人の中には、必ずしも原発推進派とは言えないんじゃないかと思える人もいて、このようなヒステリックなレッテル張り、魔女狩り的な告発に違和感を覚え た。
 自分は原子力発電所をなくすべきだという立場だけれど、今迄あまり真剣にその問題について考えてこなかったし、結局自分も原発に支えられた消費社会を享受してきた一人だという後ろめたさがある。この後ろめたさを忘れずにいようと思う。
 相手の批判ばかりじゃ状況は変えられない。今は、それぞれの立場を超えて、新しい生き方、新しい社会のあり方、脱原発について、会話し合い、模索してい かなければいけない時期なんじゃないだろうか。反原発派と原発推進派のコミュニケーションが成り立たない状況、2項対立や、2択が煽られるような状況か ら、明るい未来は見えてこないと思う。

2011年4月8日金曜日

4/8(金)渋谷での違和感

渋谷 7th FLOOR
「ナナカイノニライカナイ」
【出演】坂和也(ex.RUNTSTAR)/花と路地/北条真規(ex.ANATAKIKOU)
【ゲスト】リクオ
 7th FLOOR のライブイベントにゲスト参加するため渋谷へ。
 風の強い日だった。道玄坂の桜は、風に舞って散り始めていた。
 この日共演する人達のことを事前にあまり認識していたのかったのだけれど、会場に着いてそれぞれと挨拶して話してみたら、違うバンドで以前に共演していたり、どこかでつながりのある人が多かった。
 開演から自分の出番までの2時間半くらいは客席後方のカウンターに座って、お客として、それぞれのステージを楽しませてもらった。おかげで演奏前に随分お酒が進んでしまった。
 7th FLOOR にはミラーボールがないのだけれど、この日のステージは、なんだかミラーボールが終始回り続けているような、包み込まれているような気分で、力みなく演奏 できた。ライブは自然な流れで暖かく盛り上がった。この解放感がいつも自分を救ってくれる。
 終電が近づいていたので、ライブ後はせわしなく会場を後にした。
 夜の11時を過ぎても、渋谷の街は多いに賑わっていた。酔っぱらいも多数。なんだか街がやたらと浮かれているように感じた。たまっていたストレスを発散しているのだろうか?それとも、自分の感じ方が変わったのだろうか?
 多分3.11以前と変わらない週末の渋谷の光景なのだろう。自粛ムードも嫌だし、変わりなく日常を送ることが大切だとも思うし、この時期に余裕のある人 は、外出して多いに経済活動をするべきだとも思う。この日の自分も、渋谷にたむろしていた多くの人達と同じ酔っぱらいであった。けれど、酔いながらも、そ の場にいる違和感を拭いきれなかったのも事実。
 今はせめて、震災と原発事故の状況を把握することを心がけ、被災地を想い続けようとしているのだけれど、そのように想像力を働かせようとする程、違和感は大きくなってゆく気がした。
 この違和感を忘れずに、暮らしを続けてゆこうと思う。

2011年4月5日火曜日

4/5(火)3つの顔ー「太陽の塔」を見上げる

 大阪から藤沢に戻る前に、万博記念公園に寄って「太陽の塔」を見た。
 離れて見ると少し寂しげにも見えたのだけれど、近くで見上げると、突き抜けるようなエネルギーを感じて、圧倒された。
 岡本太郎は、この作品に、文明の発達や進歩に対するアンチテーゼを込めたという。「進歩というと、未来の方向ばかりに目を向ける。科学を誇る。それがはたして、人間的・精神的な前進を意味しているのか」太郎はそう問いかける。
 塔が背後に背負う「黒い太陽の顔」をしばらく眺め続けた。正面にある「黄金の顔」「太陽の顔」との対極が強く印象に残った。

 この日は、好天に恵まれ、行楽日和であった。公園の桜は六部咲きといったところで、家族づれの姿が多く見られた。のどかで幸せな風景の中で、胸を刺されるような感情を思い出したりもした。「春は痛みを思い出す季節である」と誰かが言っていた。
 この複合的にからみあった感情をどう表現すればいいのだろう。

 藤沢に戻ってから、震災直後に一度連絡が取れたきり、連絡がつながらなくなっていた仙台の知人と、ようやく連絡が取れる。話を聞いて、彼の状況を想像する。
 この日は夜中じゅう、伝えるべき言葉について考えていた。結局それはうまく見つからなかった。
 この日はネガティブな感情も受け取ってしまった。それは自分に因る。けれど、その感情にチャンネルを合わせちゃだめだ。パソコンを閉じた。
 想像力と寛容。絶望や哀しみも想像した上で、光を探す。許し合う。そんなに容易なことではない。
 ライブで弾けて、エネルギーを交感し合う時間も大切だけれど、こうやって一人で考える時間も必要だ。
 「太陽の塔」を思い出す。そこには光だけでなく闇の存在も、希望だけでなく絶望も、過去も、現在も、未来も、全体的なものが表現されているように感じた。「太陽の塔」のように、自分も3つの顔を持ち続けよう。

2011年4月4日月曜日

4/4(月)ありきたりな言葉

 この日は被災地である相馬市の知人2人とそれぞれ電話で話しをした。地震直後に大津波に襲われ、今も原発事故による放射能汚染の不安が続く中、相馬に残り、避難場所でボランティアを続けるYさんから聞く現地の状況は、とても深刻なものだった。
 震災から数週間が過ぎ、避難場所で暮らす人達は今、家を無くし、家族をなくし、仕事を無くし、あまりにも多くのものを失って、将来への展望も見つけられず、放射能の恐怖におびえながら、精神的にも追いつめられた過酷な日々を過ごしている。
 そんな人達をケアするYさんの体力と精神力も、限界を超えているようだった。自分は、Yさんの話を聞くばかりであった。かける言葉はありきたりなフレーズしか思いつかなかった。限界を超えて頑張っている人に「頑張って」とは言いずらかった。
 それでも自分はありきたりな言葉をYさんに伝えた。ありきたりな言葉に気持ちだけは込めた。

2011年4月3日日曜日

4/3言葉の響きが変わった

大阪南堀江 knave
「MAGICAL CHAIN CARAVAN」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
サポート:朝倉真司(パーカッション)
 ソールドアウトはやはり嬉しいもんである。
 ライブは最初から最後迄素晴らしい熱気、盛り上がりだった。地元大阪の乗りはやっぱり最高!
 3・11以降、自分が歌う曲の言葉の響き、意味合いが変わった気がする。この日は特にそのことを感じた。いろんな言葉が自分自身にも客席にも以前より切実に響くようになった。

 この世界はまだ終わらない
 オレがここにいるから

 「アイノウタ」のこの歌いだしに、自分自身がすごく煽られるというか、背中を押されるよな感じがした。
 この日は正直、ステージの上で、何度かぐっときた。
 この空気を繋げていかないと。
 ネイブでやらせてもらえてよかった。感謝。

2011年4月2日土曜日

4/2(土)オールドタイムは熱かった!暑かった!

和歌山市 オールドタイム
「MAGICAL CHAIN CARAVAN」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
サポート:朝倉真司(パーカッション)
 和歌山のお客さんの乗りは、やはり関西のそれだった。参加型で熱くて明るい乗り。
 照明とお客さんの熱気で、ステージ上がとにかく暑く、空気が薄い感じで、後半はちょっとバテて、頭がぼ~っとしてしまった。ライブの後楽屋でしばし放心状態。会場の熱気に煽られて、力が入り過ぎたのかもしれない。
 オールドタイムはデビュー前から通い続けているお店なのだけれど、今迄で最高の盛り上がりだったように思う。20年以上の付き合いのマスター、松本さんが、とても喜んでくれて、嬉しかったなあ。

2011年4月1日金曜日

4/1(金)表現者として、人として

名古屋 TOKUZO(得三)
「MAGICAL CHAIN CARAVAN」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
サポート:朝倉真司(パーカッション)
 この日の名古屋公演から朝ちゃんがツアーに参加。
 結論から言うと、朝ちゃんを今回のツアーに誘ったのは大正解だった。
 彼の参加で、ロックンロールが生まれた頃の、あのはねる乗り、横乗りのスイングする感じが、より豊かに表現できるようになった。全体に曲のテンポが少し落ちて、演奏の乗りがより大きくなり、グルーヴが増した。
 朝ちゃんのオープンでポジティブな空気感は、ケイヤンのかもし出す空気感、姿勢と共通していて、色んな部分で、2人の相性はとてもいい。我を主張せずともキャラが立っているところも2人は似ているなあと思った。

 芸術家とかミュージシャンと呼ばれる人種は、傲慢だったり横柄な部分を持った人が多い。自分の中にもそういう部分がある。
 ある種の思い込み、独りよがりが、そういった姿勢、幼児性を維持させると同時に、振り切った表現に向かわせる一つの原動力にもなっているのだろう。
 ケイヤンと朝ちゃんの2人からは、そういった傲慢さ、幼児性を感じない。そこが自分にとってはとても楽で、救われる。特にこの時期は。
 自分は2人のことを音楽家としてだけでなく、人として尊敬している。その2人の人柄は音楽に充分表れていて、それが芸術であろうがなかろうが、先鋭であろうがなかろうが、そんなことは関係なく、多くの人達に笑顔と解放をもたらしている。
 思えば、自分は学生時代から回りに「非常識だ」「無神経だ」と言われたりして、自分で気付かないうちに色んな人達を傷つけてきて、それを自分でよしとし てきたところがあるのだけれど、この期に及んで、「せめて自分の無神経さを自覚して、ナルシシズムに酔いしれるような人間にはならないようにしよう」と思 う。そして、表現者としてのあり方と人としてのあり方の間で、葛藤し続けた上で、自己を肯定し、音を奏でられたらと思うのだ。
 今、ケイヤンや朝ちゃんと一緒にツアーを回ることは、自分にとって、タイムリーだと思える。
 この日のライブを通して、名古屋のお客さんも笑顔とリラックスに飢えていたんだなと感じた。