2011年4月9日土曜日

4/9(土)「ずっとウソだった」を聴いて

 斉藤和義くんが、自らのヒット曲「ずっと好きだった」を元ネタにして、「ずっとウソだった」という楽曲をYouTubeにアップさせて、多いに波紋を呼んでいる。自分も、ツイッターでその情報を知り、YouTubeを見た。
 歌詞の内容は、電力会社と政府に対する痛烈な批判だった。
「オレたちを騙して、言い訳は『想定外』 ずっとウソだったんだぜ やっぱ、ばれてしまったな ホント、ウソだったんだぜ 原子力は安全です ずっとウソ だったんだぜ ほうれん草食いてえな ホント、ウソだったんだぜ 気付いてたろ この事態 風に舞う放射能はもう止められない 何人被曝すれば気がついて くれるの? この国の政府(歌詞より抜粋)」
 斉藤くんの歌わざるをえない衝動が伝わってきた。このような歌が自由に歌える世の中であってほしいと思う。世の中には、こういうモノ申す歌が少なすぎる のかもしれない。大きな波紋、さまざまな論争が起こっている時点で、この時期に、この曲をネットに流した意義は多いにあったと思う。
 ただ、正直自分は、諸手を上げて拍手するような気分にはなれなかった。聴き終えた後、ちょっと気まずいような気分が残って、考えさせられた。曲の中で 「何人被曝すれば気がついてくれるの?この国の政府」と歌われているけれど、気付かなきゃいけないのは、この国の政府や東電だけじゃないと思った。

 最近、ネット上で、原発推進に加担した著名人がリストアップされ、それがツイッター上でリツイートされ、告発、非難されているのを見た。リストアップさ れた人の中には、必ずしも原発推進派とは言えないんじゃないかと思える人もいて、このようなヒステリックなレッテル張り、魔女狩り的な告発に違和感を覚え た。
 自分は原子力発電所をなくすべきだという立場だけれど、今迄あまり真剣にその問題について考えてこなかったし、結局自分も原発に支えられた消費社会を享受してきた一人だという後ろめたさがある。この後ろめたさを忘れずにいようと思う。
 相手の批判ばかりじゃ状況は変えられない。今は、それぞれの立場を超えて、新しい生き方、新しい社会のあり方、脱原発について、会話し合い、模索してい かなければいけない時期なんじゃないだろうか。反原発派と原発推進派のコミュニケーションが成り立たない状況、2項対立や、2択が煽られるような状況か ら、明るい未来は見えてこないと思う。

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