2011年10月30日日曜日

今日も曲作り

 なんやかんやとやるべき雑務があったり、色んなニュースが気になったりするけれど、ツアーが再開する3日までに、一番やりたいことは曲作りなのだ。今日も新曲にとりかかる。丑三つ時に集中力が高まって、朝迄曲作り。

 3日の名古屋から再開するケイヤンとのMCCツアー(名古屋からはバンドスタイル)は、ほんと見逃さないでほしいなあ。ラスト5公演で完全燃焼して、次 につながる何かを残したいなと。できたばかりの新曲もやるよ。オレ、すごい燃えてる!学生の頃にロックバンドを組んだ時のあの感じ!

2011年10月29日土曜日

また曲できた!

曲作りへの意欲がどんどん増している。今日も朝迄曲作りに没頭して1曲をほぼ完成させた。曲作りの過程で、怒りとかやるせなさとか、色んな感情が浄化されてゆく気がした。3.11以降、混沌としたまま溜まっていた思いが形になりはじめてる感じ。
 20数年間曲作りをしてきて、こんなにテンポの速い8ビートの曲を書いたことは今迄なかった。3日からのツアーメンバーであるケイヤン、寺さん、小宮山 君とのリハーサルで、ロックバンドのサウンドを思いっきり味わったことも、曲作りに影響を及ぼしている。自然とロックバンドで演奏することを前提に曲を書 いていた。ケイヤンとツアーを重ねて、最近2人で共作を完成させたことも大きい。
 この1、2ヶ月の間に完成させた曲は、自分のこの10数年間の曲調、作詞作曲方法とはかなり違っている。曲作りを始めたばかりの20歳頃のやり方や気分 に近い感じ。コードの種類もリズムパターンもあまり知らずに、ただただ思いに突き動かされて曲作りを始めた頃の勢いが戻ってきたみたいだ。このやり方でし ばらく曲作りを続けてみたい。

那覇でPすけと再会、共演

沖縄県那覇 桜坂劇場・サンゴ座キッチン
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
 「沖縄ツアー3日目やけど、もっと長く続いてる気がするわ」
 石垣を立つ前に、ケイヤンがそんなことを話してきて、「ほんまやね~」とうなずく。
 石垣から飛行機で那覇へ移動中、機内放送で機長から、この日が最終フライトであるキャピタルアテンダントさんの紹介があり、彼女への感謝とねぎらいの言葉が送られる。皆拍手。気持ちの伝わる言葉で感動したなあ。
 空港には今日明日のライブを企画してくれたハーベストファームの野田君が迎えに来てくれる。車中、カーステからは、八重山民謡の唄者、新良幸人くんの新 譜「浄夜」が流れていて、引き込まれる。すばらしい!今回、野田君の車で移動の際は、ひたすらこのアルバムが車内で流れ続けていた。
 桜坂劇場内にあるサンゴ座キッチンは、通りからも中の様子が見えるオープンなつくりで、道行く人達が時々足を止めて、ライブの様子を眺めていたりした。
 沖縄のお客さんって、意外にシャイだけれど、一度打ち解けてしまうと、参加型で思いっきりライブを楽しんでくれる傾向にあると思う。この日もステージが進行するにしたがって、どんどん場が盛り上がって、とてもハッピーな空間になった。
 この日のライブでは、沖縄に越してきたばかりのPすけ君がライブの後半から急遽パーカッションで参加してくれる。相変わらずのオープンな乗りで、当日 ぶっつけだったにも関わらず、とてもよいグルーブを一緒に作ることができた。少し前まで湘南葉山に住んでいたPちゃん夫妻が沖縄にいることに、あまり違和 感を持たなかった。元々南国気質なところがあったので、沖縄の空気が彼に合っているのだと思う。
 原発事故以降、関東に住む何人もの知人が、居を南に移した。自分はまだ湘南での暮らしを続けるつもりでいるけれど、クリエイター達が中央に集まらなくても、活動できるような状況がもっと進めばいいなと思う。
 この日の打ち上げもひたすら泡盛で攻める。

2011年10月28日金曜日

湘南海岸の夕暮れ

 素晴らしい夕暮れ。美しいシルエット。ごちゃごちゃしてた心が少し落ち着いた

2011年10月27日木曜日

バンド・リハーサル

 下北沢某スタジオにて、来週からのMCCツアー、名古屋、大阪、東京、ラスト5公演に向けて、ケイヤン、寺さん(ベース)、小宮山くん(ドラム)と、みっちりリハーサル。新メニューも色々。
 メンバー4人でリハーサルから多いに盛り上がる。やりがいをすごく感じる。この4人で演奏していると学生時代にバンド組んだ頃のときめきがよみがえる感じ。そう、このスタイルがオレのルーツなんやよな。
 今回の5公演はセッションを見せようという感じではなくて、バンドの一体感、ときめき、初期衝動を伝えたい。自分のルーツを確認して、メンバーと一緒に 思いっきり弾けようと思う。「ミラクルマン」のジャンプもハンパなく行くよ!ここ10年間の自分のライブの中で、最もシャウトして、最も汗をかいて、最も カロリーを消費する、最高にエモーショナルなステージにしたいと思う。
 見逃さないでほしいな。

2011年10月23日日曜日

沖縄最終日、打ち上げではシリアストーク

沖縄県北谷 LIVE HOUSE MOD'S
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
 北谷に移動する前に、国際通り界隈を散歩。丁度、旗頭フェスティバルが行われている最中で、歩行者天国となった通りはとても賑わっていた。3.11以降、沖縄に来る観光客の数が増加しているそうだ。
 3年前に東京から沖縄に越してきた知人からは、3.11以降、内地から多くの人が越してきて、彼らとのつながりができて、暮らしの中でのネットワークがひろがったという話も聞いた。
 牧志や桜坂辺りを歩いていると、若者ばかりでなく、おじい、おばあの姿もよく見かける。街の中に高齢者の人達の居場所があるのがいいなあと思う。
 沖縄本島にはツアーで何度も来ているけれど、まだ行ったことがない場所、見て回りたい場所が色々あって、ホントはもっと数日滞在できればよいのにと思う。
 この日のライブ会場MOD'Sは、美浜アメリカンビレッジという名の大きなショッピングモール街の中にあるライブハウス。その名の通りアメリカンテイストな街並。これもまた沖縄の1つの顔。
 MOD'Sは2年前にこのビレッジ内で移転。移転後に訪れるのは今回が初。随分キャパが大きくなったけれど、オーナーの吉屋武(キャン)さん、奥さんのヒロミさん、2人の息子でPA担当のヨシモリくん、他スタッフの皆さんの暖かい雰囲気は以前のまま。
 昨日に引き続き、ステージ後半からPすけがパーカッションで参加してくれて、多いに盛り上がる。この日もアンコールでケイヤンとの共作「夢じゃない」を披露。自分にとっても、ケイヤンにとっても、今後とても大切な曲になりそうな手応えを感じる。
 ライブ後は、那覇に戻って打ち上がる。一次会の主な話の内容は、震災と原発事故について。打ち上げでは、アホな話もシリアスな話もどっちもあり。こういう話も沖縄の人達としてみたかったのだ。
 被災地を回って、見たこと、感じたことを話している時に、沖縄在住の知人から「僕も被災地に行くべきだと思いますか?」との質問を受けた。多分、こうい う質問が出る心理の1つには「うしろめたさ」があると思う。自分も3.11以降「うしろめたさ」を抱え続けている1人だから、彼の気持ちがわかる気がし た。
 けれど、その質問を受けて、どうするべきだという答をこちらが示すべきではないと感じた。その答は本人が出してほしいと思う。「3.11以降、自分で考 えて、自分で判断し、決断して行動することが大切さだとあらためて感じた」。話を聞いていたケイヤンの口から出た言葉だ。
 悩むことと考えることは少し違うと思う。堂々巡りを繰り返すばかりではなく、歩きながら感じ、考え続けたいと思う。
 沖縄での4日間はとても濃密だった。感謝。

 ケイヤンとのツアーも、東名阪5公演を残すのみ。最後の5公演は、ベースに寺岡信芳、ドラムに小宮山純平が参加してのバンドスタイル。ここまでのステージとは、かなり選曲も内容も変化する予定。新曲、共作もお楽しみに。
 大阪、東京の2DAYS各公演は、それぞれメニューを変えてお届けするので、余裕のある方はぜひ2日間お来し下さい。
 最後の5公演で、セッションでは表現できないバンドサウンドを形にしたいなと思う。こういう機会なかなかないしね。気合い入れてのぞみます!ぜひ!

2011年10月21日金曜日

石垣でケイヤンとの初共作を初披露

沖縄県石垣島 Jazz Barすけあくろ
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
 この日は昼飯時に激しいスコールが降ったけれど、雨が上がった後は、晴れ間も覗き始める。昼過ぎから石垣島の知人が車を出してくれて、会場入りする前に 島を回ってくれる。まずは、石垣の古い街並が最も残っていると言われる保内町へ。自分と同世代にあたる八重山民謡の唄者、大島保克君や新良幸人くんらが生 まれ育った町ということもあって、一度足を運んでみたかったのだ。
 ほんと時間の流れがゆるやかで、穏やか。家の作りがどこもオープン。過去からつらなる現在を当たり前に感じながらの暮らしが、この場所には残っているようだ。あまり長い時間滞在できなかったことが残念。
 保内町を出てさらに北に向かい玉取崎展望台より海を見下ろす。日本の海は各地で景色が随分異なる。日本の風土はほんとに多様だと思う。
 石垣入りする前日にケイヤンとの共作をほぼ完成させていたので、この日のライブ前リハーサルで、その新曲をケイヤンと初音合わせ。うん、これはいけそう!
 島のライブ開始時間は遅い。そして夜が長い。この日の開演予定時間は午後8時半で、実際に始まったのは9時前。元々電車が走っていなくて、終電を気にする必要もないし、内地に比べるとタクシー代も相当に安い。
 ライブは後半にお客さんが総立ちになる盛り上がり。アンコールではケイヤンとの共作「夢じゃない」を初披露。こんなに熱い曲を書いたのは久し振り。最近使っていなかった引き出しをケイヤンに開けてもらった感じ。すごく新鮮で、手応えを感じた。
 2年振りの石垣で、変わりのない暖かい空気に包まれながら、現在進行形の自分を表現できた感じ。この日も、出会いと再会に満ち満ちたマジチェンだらけの夜だった。
 石垣の皆さん、ホントにありがとう。また早くに戻ってきたいです。

2011年10月20日木曜日

2年振りの石垣島

10/20(木)
 約2年振りの沖縄石垣島。なんかもう、飛行機のタラップを降りた瞬間から、包み込まれるような、のんびりした心地よい空気。やっぱり暖かい。Tシャツ1枚で充分。
 いつものように、すけあくろマスターのミツオさんとスタッフのひゃくちゃんが空港まで迎えに来てくれる。ミツオさんからは会うなり、ゆっくりとしたやさしい訛りで「2年振りだけど、こちらは特に変わりないよ~」と言われる。
 夜は、地元の人達や今回のツアーに合わせて関西から遊びに来た知人らが入り交じっての宴会。主なアルコールは石垣の泡盛「白百合」。少し、臭みがあって、一度飲んだら忘れられない味。
 いつも思うことだけど、泡盛は内地で飲むより沖縄で飲んだ方がずっと美味しく感じる。ケイヤンがよく言うように、お酒は何を飲むかより、誰とどこで飲むかの方が大事。これって、色んなことにあてはまるな。オレもケイヤンも酔いの回りがやたら早かった。
 ライブの前日入りって、大概飲み過ぎてしまってやばいのだ。わかっているのにやってしまう。出会いあり、再会ありの楽しい宴。

2011年10月17日月曜日

友部さんの息子、一穂君と初共演

下北沢SEED-SHIP
【出演】リクオ/MAKANA
 ライブ会場のSEED-SHIPは今年オープンしたばかりのフリースペース。初めて訪れたのだけれど、ピアノの響きがとてもよくって、生音でライブをや らせてもらいたくなった。オーナーの土屋さんとは、彼が西麻布でOJASというラウンジ風クラブをやっていた14年程前からの付き合い。
 この日共演したアコースティック・トリオバンド、MAKANAのボーカル&ギター担当、小野一穂君は、友部正人さんの1人息子。友部さん夫妻とは自分が CDデビュー前する前からの長いお付き合いをさせてもらっていて、一穂君のことは彼がまだ中学生だった頃から知っていたので、この日の初共演は感慨深いも のがあった。
 彼のことは、やはりお父さんと重ね合わせてみてしまう。その佇まい、性格は友部さんと共通するところが多く、音楽的にも友部さんの影響がうかがえる。
 一穂君がどんな変遷を経て今の表現に至ったのかはよく知らないけれど、どこかの時点で、父親からの影響を素直に受け入れたことで、むしろ彼の個性がはっ きりと表れたのではないかという気がした。前の世代から多くのものを受け継ぎながら、その表現には彼の世代ならではのニオイを感じた。
 MAKANAは歌心とグルーブが心地よく伝わる伝わる素敵なバンドだった。若干23歳ハープ担当の夏樹君は逸材だ。きっとこれからいろんな場所で活躍するようになると思う。
 アンコールでのセッションも楽しかったなあ。一穂君がセッションで用意した1曲「恋コーヒー」という曲は、自分が学生時代に一緒にバンドをやっていた外 村伸二の書いた曲だった。外村は20年振りの2NDアルバム「ストーリーズ」が今年発売になったばかり。その中で自分も1曲ピアノで参加してます。しみる アルバムです。一穂君はオレと外村の関係を全く知らなかった。彼がこの曲を選曲してくれたことが、とても嬉しかった。
 色んなつながりを感じながらステージに立てることが幸せだった。

2011年10月16日日曜日

被災地を見て回る

 相馬市ライブの翌日は、森田さん、えくちゃんにガイドをしてもらって、相馬市以外の遠方からやってきたお客さん達含め総勢9名で被災地を見て回った。そ の中には、知人の2人、東京で雑誌編集者をしている吉田君、長崎でR-10というバーをやっている工藤ちゃんも参加。遠方から来た人達は皆、相馬の現状、 放射能のことを一定以上理解して、参加してくれているようだった。
 自分はえくちゃんが運転する車に乗せてもらったのだけれど、彼女が被災地を回りながら語る震災、原発事故後の体験談は強烈で、ここで伝えることを憚るような内容の話も多かった。
 まず連れて行ってもらったのが「災害ごみ集積所」、つまり震災による瓦礫置き場。人々の暮らしの想い出がつまった場所を、このように表現してしまうことには、ためらいを感じる。しかも、この場所からは遺体も発見されているそうだ。
 津波にすべてを持っていかれた沿岸沿いの街は、瓦礫の撤去がかなり進んでいて、3.11以前の街の姿を想像することは困難だった。沿岸沿いは80センチ程の地盤沈下が起こっていて、満潮時には道路が浸水してしまうそう。
 津波で壊滅した港で、多くの人達が釣りを楽しんでる光景は意外だった。釣った魚はどうするのだろう。放射能汚染は気にならないのだろうか?港では津波で陸地に打ち上げられた船を何隻も見た。
 震災後のどさくさで相馬市の治安は悪化して、森田さんが市街で経営するCDショップには2度も空き巣が入ったそう。
 相馬市の被災地を見た後は、南相馬市に移動し、障害者の自立のための作業所「えんどう豆」におじゃまして、この作業所を運営する佐藤さんから、震災、原 発事故後の生々しいお話を色々とうかがう。佐藤さんは震災後に、南相馬市に残っている障害者の人達を支援する「つながり∞ふくしま」というプロジェクト立 ち上げた。自分もそのプロジェクトに賛同して、ケイヤンとのツアー用の物販として缶バッジの製作をお願いした。御陰さまで大好評で、ツアー途中で缶バッジ は売り切れ、再発注させてもらった。この日は、実際に自分の手でその缶バッジの製作を体験させてもらった。
 南相馬市へ入ると、目に入るほとんどの田畑は放射能の影響で耕作されていなかった。除染のためなのだろう、何軒もの民家の木が切られているのも目に入った。
 吉田君が持参したロシア製のガイガーカウンターRADEX1503が示した南相馬市街の線量は、0.2μSV/h台だった。けれど、市街を離れ田畑や山 に囲まれた自然が近い場所では、線量は倍以上の数値になった。線量は7月に南相馬を訪れた時と変わらない状況だった。7月にはほとんど閉まっていた国道沿 いのお店のいくつかは再オープンしていた。
 原発事故以降、多くの人達が南相馬市を離れた。疎開してまだ戻って来ていない人もいるし、引っ越してしまった人も多い。前日に共演した朝倉君のように、 子供だけを疎開させている家族もいる。えくちゃんから聞いた話では、子供が疎開した場所でいじめに合ったりして馴染めず、帰って来る例も多いのだそう。そ んな状況の中で、緊急時避難準備区域の解除に伴い、南相馬市原町区の小・中学校が再開した。果たして、幼い子供を街に戻すことが正解なのかどうか、小・中 学校を再開すべきなのかどうか、南相馬市以外の人達も一緒になって考えるべき問題だと思う。
 えくちゃん、森田さんの話を聞いていて、自分達が暮らす街が、国から見放されているという思い、そのことへの憤りや、相馬や南相馬の現状を他人事にせず、もっと多くの人達に知ってもらいたいという願いを強く感じた。 
 南相馬から一端相馬市へ戻ってこの日のツアーは終了。森田さんが新幹線に乗れる白石蔵王まで自分と吉田君を車で送ってくれる。しかし、白石に行くとなる と、やはりミルトンに寄らないわけにはいかない。そして、ミルトンに行けば、やはり三浦夫妻と飲んでしまうのだった。12月17日(土)にはミルトンでソ ロライブをやります。お近くの方はぜひ。
 帰りの新幹線の車中でも吉田君と、この2日間で見たこと、感じたことを確かめ合うように、たくさん話をした。
 ネットやテレビから得る情報だけでは、わからないこと、感じとれないものがたくさんあるのだということを、あらためて実感した。ツアー生活の中で、現場 に身を置き、五感を使って受け取ったものを、伝えたり、形にすることが、自分にできる役割の1つなのかもしれない。

2011年10月15日土曜日

そこに暮らしがある限りー相馬市にて

福島県相馬市 菊池蔵(フレスコキクチ相馬店奥にある会議室)
「リクオLIVE in Soma Cityで~ドンちゃん騒ぎ!!!~」
 この日の相馬ライブに対しては、やはり特別な思い入れがあった。元々今年の4月に相馬市でのライブが企画されていたのだけれど、3.11東日本大震災で 津波によって街が甚大な被害を受け、たくさんの犠牲者が出た上に、追い打ちをかけて福島第1原発の事故が起こり、放射能が降り注ぎ、ライブの開催どころで はなくなってしまった。
 相馬市は今も安定した日常を取り戻してはいない。そんな中で、通常のライブの開催することに対して、開催日が近づくにに連れて、ライブ企画者の1人であ る森田さんや自分の中での不安や葛藤が大きくなっていった。特に県外からライブに足を運んでくれる人達に対しては、神経質になった。もっと事前にくわしく 相馬市の現状を伝えた上で、来てもらえるよう気を使うべきだったのではと、直前になって自問した。
 相馬市街は、人通りが多く思いのほか賑わっていた。より放射線量の高い場所からの避難民と復興関係の仕事で来ている人達で、相馬市の滞在人口は3.11以前より随分と増えていて、市内のホテルは年末までどこも満室だそう。
 この日宿泊したホテルの受付カウンターのテーブルの上には、放射線量を測るガイガーカウンターが置かれてあった。その数値に何度が目を通したけれど、大体0.1μSV/h前後で、線量は思っていたよりも低く、東京の数値とそう変わらない感じ。
 ライブ会場のあるフレスコキクチは相馬市が本店のスーパーで、震災直後からお店を開け、市民の食を支え続けた。菊池蔵はフレスコキクチ相馬店の奥にある蔵作りの会議室。趣のある造りで音の響きもとてもよかった。
 ライブのスタッフは何度もお世話になっている地元の人達ばかり。てきぱきと現場を仕切っていたのは、国連から派遣されて非営利活動法人「難民を助ける 会」で被災者支援を続けているえくちゃん。会場入り口の垂れ幕とステージのバックに飾られた垂れ幕は、南相馬市で障害者の人達の自立作業場「えんどう豆」 を運営している佐藤さん作。PAはいつもお世話になっている津田さん。開演前と終演後のDJ担当は南相馬市立病院で働く柚原くん。この日は、柚原君からえ んどう豆の佐藤さんへガイガーカウンター2台が贈呈された。白石カフェ・ミルトンの三浦夫妻からは、スタッフの人達用にお弁当が届けられた。この他にも何 人もの地元の人達がライブのスタッフに加わっていた。思いがたくさんつまったライブイベントであることが、開演前から充分に伝わって、モチベーションが 増々上がった。
 この日にどんなライブをやるかは、事前に色々イメージした。けれど結局、ステージに上がって、その時に感じたまま進行してゆくのがよいという考えに至った。つまり基本的にいつものソロライブのスタイルでやるということ。
 ライブ前に相馬市の知人、蒼龍寺というお寺の住職である俊英さんからメールをいただいた。「あまり被災地であるということを意識せず、楽しい曲、心にし みる曲を演奏してください」メールにはそう書かれていた。この言葉に少し気持ちが楽になった気がした。 
 ステージに上がったら、いきなりたくさんの拍手と歓声をもらった。会場を見渡すと、皆満面の笑顔。ああ、待ってくれていたんだなと感じた。思うまま、感 じるままに語り、演奏した。アンコールでは8月のカーネーション江ノ島ライブで知り合ったばかりの兄弟ユニット「ブラウンノーズ」1号の朝倉君がハープと 歌で飛び入り。彼は南相馬市で高校教師をしているのだ。
 どんな状況でも今いるこの場所をパラダイスにする。そう思ってツアー暮らしを続けてきた。この日は、そんな自分自身の姿勢がためされているようにも思えた。この夜の菊池蔵は、たしかにパラダイスだった。忘れられない夜になった。
 「相馬の人達がこんな風に音楽しめるようになったのが嬉しい」ライブの後に森田さんがそう語っていたのが、とても印象に残った。
 沢山の人達がこの街で、葛藤、憤り、不安を抱えながらも、どうにか日々の営みを続け、新しい日常を取り戻そうとている。この街で暮らす人達がいる限り自分は何度でも相馬に戻ってきたいと思う。

2011年10月14日金曜日

3.11以降、初の仙台ライブ

仙台市 サテンドール2000 
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
 3.11以降に仙台を訪れるのは、今回が初めてだった。やっと戻って来たなあという感じ。サテンドールのマスターの岡崎さんが自家用車で駅まで迎えに来てくれて、お店に到着する迄の間、仙台の状況を色々と聞かせてもらう。
 震災以降、職を失った多くの人達は、復興関係の仕事につき、市内のホテルは、県外から復興関係の仕事でやってきた人達で、常に部屋が埋まっている状態な のだそう。街ではここ数ヶ月、震災以前を超える数の大小のライブイベントが開催されていて、はっきり言ってイベント過多の状態、動員が厳しくなっていると のこと。
 お店に着いて、サテンドールのじゃじゃ馬ピアノと久し振りに再会。か
たくて重い鍵盤だけれど、鳴りはよく、打てばよく響いてくれる。 
 リハーサルの後、市街をぶらついてみたのだけれど、街の景色は以前とそんなに変わりがないように見えた。むしろ人通りが多く、賑わいを感じた。
 ライブは終始素晴らしい盛り上がりだった。やはり、3.11以降、仙台での初ライブだったことが、盛り上がりの一因になっていたと思う。会場中が、音楽 を通じて、出会い、再会し、一期一会を分ち合う喜びに満ち満ちていた。ケイヤンはこの日も笑顔満開、最高の空気を仙台に運んでくれた。
 石巻ラ・ストラーダの相澤夫妻、白石カフェ・ミルトンのママ、晋平さん&ともちゃん、DJテリー、南相馬の柚原くん等何人もの東北の知人と嬉しい再会。
 マスターの岡崎さんがケイヤンとの出会いをすごく喜んでくれたのも嬉しかったなあ。
 また仙台に戻ってきます

2011年10月13日木曜日

葛藤  明日からまた東北へ向かう。

14日にケイヤンと仙台で演奏し、15日は福島県相馬市でソロで演奏する。どちらも10年以上ツアーで通い続けてきた街だけれど、3.11以降にライブで訪れるのは初になる。

 本当は今年の4月9日に相馬市でのライブが決まっていたのだけれど、とても開催できるような状況ではなかった。街は地震と津波による甚大な被害を受け、多くの死者が出て、たくさんの人達が家族と家と仕事を失った。
 そこに福島第1原発の事故がさらに追い打ちをかけた。福島原発は相馬市から45キロの距離に位置している。原発事故は今も収束に向かっているとは言い難く、街に残った人達は放射能の不安にさらされながらの生活を余儀なくされている。

 自分は3.11直後から今回のライブの企画首謀者である森田さんと定期的に連絡を取り続けてきた。震災から10日経った時に、森田さんからメールが届い た。震災以降、8日間の間で、神奈川県内で決まっていた自分のライブが2つ中止になっていたのだが、森田さんはそのことを気にして連絡してきたのだ。
 「被災地以外でのライブは中止せずに続けてほしい。この状況で音楽まで奪われたら人間だめになる。皆が元気になるパフォーマンスを各地に届けてほしい。 それがリクオ君の使命だ。」そんな内容のメールだった。家をなくし、知人を亡くし、あまりにも多くを失い、さらに原発事故が起こり、先の見えない不安の状 況の中で、森田さんは、こんなメールを送ってくれたのだった。
 その後も被災した何人もの知人から同じようなことを言われた。不安と葛藤の中で、彼らに背中を押されながら、自分は演奏を続けよう、音楽をやり続けようとあらためて思った。
 6月に入って森田さんから、10月に相馬市でライブをやらないかという話をもらった。すぐに了承した。けれど、了承した後に考えさせられる出来事もあっ た。不安要素の残る地域に行くにあたって(そこで暮らす人達のことを考えるとこういう言葉を使うのはとても心苦しいのだけれど)、安易に誰かを誘っては行 けないなと思った。状況は安定しておらず、刻々と変わり続けているようだった。

 9月30日に文科省は各地での放射性ストロンチウムの検出結果を発表した。それによると相馬市内の区域で2400ベクレルのストロンチウム90が検出されている。この発表に際して、政府から相馬市長への連絡は何もなかったそうだ。
http://konstantin.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-c340.html

 今回の相馬ライブは有料で開催される通常の形でのライブだ。この時期に相馬で通常の形でのライブを開催するにあたっては、企画する側も悩んだと思う。自 分も6月の時点で開催時の相馬がどういう状況なのかはっきり想像できていなかったし、今も相馬の現状をすべて把握できているわけではない。
 そういう状況の中で、開催地域外から積極的にお客さんを呼ぶ事には、やはり躊躇も感じる。お子さんや妊婦さんには、来ることを控えてほしい。正直、気持ちは揺れている。
福島県環境放射能測定結果・検査結果関連情報
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=23853

 「3.11以降の『新しい日常』を、なんとか相馬でつくいたい」このライブを企画するにあたっては、そんな思いが込められているのだと自分は想像している。15日のライブでは最高の空気をつくりたいと思う。

 多くの人達が葛藤の中で、なんとか明るい道筋を探し出そうとしている。自分はそういう人達がいてくれることに希望も感じている。葛藤しながら、自分ができることをやろうと思う。

2011年10月9日日曜日

高岡にて理想的なライブ空間

富山県高岡市 カフェ・ポローニャ CAFE!!ROCK!!LIVE!!VOL.29
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
オープニングアクト:anoa
 高岡駅から車で数10分、県道ルート66沿いの田んぼばかりの風景の中にカフェ・ポローニアはある。
 初めて訪れた時は、こんな市街から離れた場所で、お客さんが集まるのだろうかと不安にもなった。けれど、その不安はすぐに解消された。
 今迄、CAFE!!ROCK!!LIVE!!がポローニャで主催してくれた自分のライブで、席が埋まらなかったこと、盛り上がらなかったことは一度もない。
 それにしても、この日の盛り上がりは素晴らしかった。お客さんがライブの楽しみ方を充分に心得ていて、盛り上がるところは盛り上がり、聴くところはしっかり聴いてくれる。イベントが回を重ねて、どんどん育っていっているのを感じた。 
 CAFE!!ROCK!!LIVE!!首謀者の渡辺君は、ほんと熱い男。打ち上げ花火ではなく、常にイベントの継続を考えているところも素晴らしい。
 オープニングゲストのanoaちゃんはケイヤンと同じ大阪高槻出身。彼女とのセッションもすごく盛り上がって楽しかった。anoaちゃん、以前よりも弾けたなあ。
 皆でつくりあげた理想的なライブ空間だった。