2011年12月30日金曜日

年の瀬に、釜ヶ崎を訪れる

関西が誇るボッサ演歌のオリジネイター、カオリーニョ藤原に誘われて、久し振りに釜ヶ崎を訪れる。カオリーニョと動物園前駅で待ち合わせして、まず、難波屋という立ち飲み屋に連れて行かれ、日中から飲む。
 難波屋はカウンター席の奥の部屋が、ライブスペースになっていて、定期的に投げ銭ライブが開催されているのだそう。近年、釜ヶ崎界隈には多くの表現者が移り住んでいて、街の中にいくつものライブスポットが点在しているのだそうだ。
 それにしても難波屋の値段の安さには驚いた。やはり、ドヤ街ということで、物価は他の街よりも相当に安い。
 ひとしきり飲んだ後、お店のスタッフのSちゃんとカオリーニョに、街を案内してもらう。「じゃりん子チエ」の舞台にもなった萩之茶屋町から越冬闘争開催 中の三角公園(この公園で毎日炊き出しが行われている)を経て、飛田新知(表向きは料亭が立ち並ぶ色町)を通り抜け、新世界(歓楽街)まで、小1時間。目 にうつる全てが新鮮で、強力な印象を受けた。街が発散するニオイ、むき出しの佇まいに圧倒された。そして、短時間で色々と考えさせられもした。この街に接 したら、日本が抱える矛盾、ひずみを感じざるを得なくなるだろう。
 また、釜ヶ崎を訪問したい、色んな人をこの街に連れてきたい、と思った。

2011年12月29日木曜日

音楽と共に在る喜び

 2011年の仕事納めは、大阪にてケイヤンとのコンビで、ネイブとマーサでのライブイベントを掛け持ちする。
 ネイブのイベントは、年内でネイブを卒業するネイブ・スタッフ堤野君の卒業記念イベント。毎夏に大阪で開催されるサーキット形式イベント「見放題」のス タッフでもある堤野君には、ここ数年、色々とお世話になってきた。彼がネイブを卒業する理由はよく知らないし、これから何をするかも聞いていないけれど、 きっとこれからも地域に密着しながら音楽との関わりを続けてくれるのだと思う。
 堤野君、お疲れさん。そしてこれからもよろしく。

 オレの年末ワンマンライブと連日で行われるマーサの周年イベントも恒例化してきた。夕方からイベントが開演して、マーサにゆかりのミュージシャン10数 組が、それぞれ3曲づつ、リレー形式で演奏してゆく内容。今年はマーサ社長片平の高1の息子、泰斗が、親子競演でデビュー。エレキギターを弾く姿が実に 初々しかった。彼が生まれた頃から成長を見続けているので、この日の親子競演は感慨深いものがあった。
 イベントの最後は、オレとケイヤンのデュオで盛り上げた後、二人がホスト役になって、さまざまな出演者が入り乱れてのセッションタイム。
 そのセッションに、学生時代に一緒にバンドをやっていた外村伸二、西山元樹、マーサ社長の片平が参加していたのが、とても感慨深かった。彼らとバンドを 始めたことが、自分の今に至る音楽活動の原点だと思っている。出会ってから26年の歳月を経て、こうやってまた一緒に音を交わし合えることが、ほんとに嬉 しかった。
 外村伸二が今年21年振りにリリースしたアルバム「ストーリーズ」は、特に同世代の人達に聴いてもらいたい染み入るアルバムだ。自分も1曲、参加してます。

 2011年は、あまりにも大きな出来事があって、まだ重々しいものを抱えたままだけれど、だからこそ余計に、音楽と共に在れたことを、ほんとにありがたく思う。
 2011年に抱えた思いを、来年はさらに形にしてゆきたいと思う。
 
 この日もライブの後、多いに打ち上がり、朝方迄セッション大会。

2011年12月28日水曜日

年末恒例、マーサでスペシャル忘年会

『リクオのスペシャル忘年会 2011!』
【会場】大阪 martha(dinning cafe+goods)
【ゲスト】 キムウリョン(元cutman-booche)
 恒例になっているマーサでの年末ライブ、今年のゲストは元cutman-boocheのウリョン。
 バンドを解散して約1年。最近はソロでの弾き語りライブを精力的にやっているようで、その成果がこの日のステージにも表れていた。半年前に共演した時に 比べて、彼ならではの弾き語りの色が出てきたように感じた。サンプリングを使っての演奏は新鮮で、とても効果的だった。声の魅力、リズムの良さは相変わら ず。洗練、スタイリッシュと土着、泥臭さが同居しているところが、同世代のミュージシャンには見られない彼の個性の1つになっている。同じステージで、憂 歌団とフイッシュマンズの楽曲をカバーするミュージシャンって、なかなかいないと思う。
 一昨日に共演したシェキナベイベーズに対しても同じ感覚なのだけれど、ウリョンとは世代が随分離れていても、音を交わす上での共通言語がたくさんある。 もちろん、世代の違いからくるであろう感性の違いもあって、それが自分に新鮮な刺激を与えてくれてもいる。世代の違う人間と、リスペクトを持って音を交わ し合えるのは、とても幸せなことだと思う。自分が、ウリョンの元相方コミヤンと、来年からバンド活動を始めるというのも、何とも不思議な巡り合わせだ。

 1年前、マーサにやってきたアプライトピアノは、1年かけて、お店と何人ものピアノ弾きに愛でられて、格段に鳴りがよくなっていた。マーサならでは、そして2011年の年末ならではのライブができたように思う。
 忘年会ライブとはいえ、今年は忘れられない、忘れちゃいけないことがたくさんあった1年だったなあ。

2011年12月26日月曜日

シェキナベイベーズは、ええで!

大阪市塚本 ハウリンバー
「~シェキナパーティVol.5~」
【出演】高木まひことシェキナベイベーズ/リクオ
 シェキナベイベーズとは、彼らがバンド結成したばかりの5年程前からの付き合い。彼らとは、これまでも関西圏で共演する機会が何度もあったけれど、それ以上に一緒に飲む機会が多い。世代を超えて、大阪での最高の音楽仲間だと思っている。
 彼らが自分達のイベントにオレを呼んでくれたことが、とても嬉しかった。ハウリンバーはメンバー全員がお世話になっている彼らのホームグランド。自分は 初めて訪れたのだけれど、お店にもマスターのつるちゃんにも、すぐに馴染んだ。とても居心地がよかった。
 ライブは素晴らしい盛り上がりになった。シェキナの、演奏、歌、楽曲、パフォーマンスは、どれをとっても、出会った5年前とは比べ物にならないくらい、 クオリティーが高くなっていた。関西ならではの乗り、ローカル色が強いのも、彼らの特徴。しっかりファンもついて、ほんと愛されるバンドに成長したなあ。 この日のシェキナのライブで、一昨日、自分が共演したばかりのギターパンダこと山川ノリヲ君との共作が、数曲演奏されたことにも、不思議な縁を感じた。
 シェキナとのセッションも楽しかった。シェキナが自分達のステージで「噂の男」をカヴァーしてくれたのも嬉しかったな。
 シェキナベイベーズは、ええで!
 熱くて、アホで、楽しくて、長~い夜になった。よう飲んだわ。
 まひこ、ヒロキ、はっくん、みっくん、ありがとね!

2011年12月25日日曜日

着ぐるみをまとったパンクロッカー、ギターパンダ

【出演】ウルフルケイスケ/ギターパンダ/リクオ
 SO-SOの酒井夫妻とは、彼らがSO-SOをオープンさせる前からの付き合い。「会社員を辞めてライブハウスをオープンさせたいと思っているので、そ の際には出演をお願いしたい」という旨のメールを酒井君から受け取ったことが、付き合いの始まりだった。

 ギターパンダこと山川ノリヲ君とは、互いのデビュー時のレコード会社とレーベルが同じで、20年を超える付き合い。当時のノリヲ君はディープ&バイツと いうバンドをやりながら、忌野清志郎&2,3'Sのメンバーでもあった。最近のお客さんは、知らない人も多いとおもうけれど、自分は初期2,3'Sの一員 だったのだ。
 当時は、ノリヲ君と音を交わす機会がとても多かった。清志郎さんと共作してプロデュースもお願いした「胸が痛いよ」のレコーディングでは、ノリヲ君がギターで参加してくれている。
 ノリヲ君とは、昨年開催した自分のデビュー20周年イベントに参加してもらうことで、久し振りの再会を果たすことができた。それが、きっかけになって今回の共演にも繋がった。
 ギターパンダ、ケイヤン、オレがそろえば、楽しいイブにならないはずがない。けれど、この日のイブはただ楽しいだけのステージでは終わらなかった。特に ギターパンダと自分のステージには、3.11以降の影響が楽曲やステージングにはっきりと表れていた。
 この日のギターパンダのステージを見て、世の中に対する「違和感」が、彼の表現の大きな原動力になっていることを感じた。会場を爆笑の渦に巻き込んだ後 に、確信犯的な下ネタで場を完全に凍てつかせ、再び参加型の楽しい楽曲で場を盛り上げた後に、怒りと切なさが同居したシリアスなナンバーを歌い上げる。こ の対比、振り幅が、彼の抱える「違和感」を一層引き立てていた。あらゆる表現が過剰で、ぎりぎりのバランスをとり続ける危うさをはらんでいる。ほんと変わ らず不器用な男である。けれど、その不器用さが、リアリティーとなって、ぐっと胸に迫ってくるのだ。ギターパンダは着ぐるみをまとったパンクロッカーだ。
 ギターパンダとケイヤンが抱える「違和感」は、共通する部分があると感じた。ギターパンダの表現は、その「違和感」がむき出しになる瞬間がある。この日、2人は初共演を果たしたのだけれど、互いに相通じる部分を感じとっていたようだ。
 来年から始まるケイヤンとのバンド活動では、自分達が抱える「違和感」を、押し付けがましくなく、もっとダイレクトに、よりシンプルに表現できたらと思っている。この時期で、3人が共演できたことは、とてもタイムリーだった気がする。
 縁が縁を呼び込んで成り立った素敵な夜だった。

2011年12月19日月曜日

結成!

ウルフルケイスケ、リクオ、寺岡信芳、小宮山純平が「MAGICAL CHAIN CLUB BAND」結成!2/24(金)大阪knave、2/29(水)下北沢440公演決定!! http://ulfulkeisuke.com/live/
 すんごく楽しみ!!新曲もつくるぞ!

2011年12月18日日曜日

気持ちに寄り添うことの大切さと難しさー郡山にて

福島県郡山市 ラストワルツ 
 郡山に向かう前に、ミルトンの三浦夫妻、柚原君と一緒に、温泉街の遠刈田へ、三浦夫妻おすすめの鴨蕎麦を食べに行く。
 柚原君の運転する車で遠刈田に向かう道中、民家や田畑の敷地内で、たくさんの身をつけた柿の木をよく見かけた。数百年も昔から続いているであろう日本の 冬の風景。例年なら、これらの柿の多くは干し柿にされるのだけれど、今年は放射能の影響で、地元の殆どの人達が食することを控えているそうだ。
 それとは対照的に、道中よく見かけたリンゴ畑のほとんどは収穫を終えていた。この辺りのリンゴが年内で収穫を終えることはめずらしく、それは原発事故の 影響で福島県産のリンゴが売れないことが影響しているのだそうだ。話を聞いていなければ、自分はこれらの車窓の風景にただ心を癒されていただろう。
 連れてもらった遠刈田の蕎麦屋さんは、震災で店が倒壊し、その後同じ場所に再建し、再オープンされたのだそう。そのお店で食べた鴨蕎麦は、どこでも食べたことのない味で、素晴らしく美味しかった。

 鴨蕎麦をいただいたあと一端白石に戻ってから、三浦夫妻が自家用車でこの日のライブ地である福島県郡山まで送ってくれる。
 3.11以降、郡山を訪れるのは8月のプライベート訪問以来2度目。この日のライブ会場ラストワルツとの付き合いは、もう13年くらいになるかと思う。 お店に着いて、リハーサルに入る前に、マスターの和泉さんから現在の郡山の状況など聞かせてもらう。
 郡山市街の現在の空間放射線量は毎時0.7マイクロシーベルトを前後するくらい。夏に訪れた時からあまり変わらない線量。市街から少し離れた居住区だ と、その倍以上の空間線量になる場所もあるそう。除染をして一端線量が下がった場所も、しばらくするとまた線量が上昇してしまうケースが多く、これからの 季節は、風向きや雪の吹きだまり等によって新たなホットスポットが生まれることも懸念されているそう。つまり、収束からはほど遠い状況なのだ。 

 8月にプライベートでラストワルツを訪れた時の話。地元の知人達とさんざん飲んだ後に、再会を誓い合い、別れを惜しんでの帰り際、マスターの和泉さんが自分のそばまで寄ってきて、唐突にこう言ったのだ。
「リクオ、No more Fukusimaの曲を書いて!」
 普段は寡黙で、相手を気遣い、自分の感情を人にぶつけることのない和泉さんからの言葉だからこそ、余計に胸がつまった。
 それから4ヶ月の間にいくつもの曲が生まれた。それらは直截的に「No more Fukusima」を歌ったものではないけれど、和泉さんにぜひ聴いてもらいたい曲達だった。
 心を込めて歌い、演奏することができたと思う。
 和泉さんも店のスタッフも、この日のライブをとても喜んでくれた。

 打ち上げの席での話題の多くは、震災、原発事故に関するものだった。つらい話を色々と聞いた。
 打ち上げに参加した郡山在住の男性の伯父さんは、郡山で農業を営んでいたのだけれど、原発事故の後、放射能汚染に絶望して自ら命を断ったそうだ。
 ラストワルツの女性スタッフのTちゃんは「原発事故で一番つらかったことは、回りの人間関係が崩壊してしまったこと」だと話した。
 「福島は日本から独立した方がいい」という極端な意見も出た。地元の人達にそれだけ孤立感があるということだ。
 「福島産の食材がこんなに美味しかったなんて原発事故前は知らなかった。」そんな話も聞かれた。その人は福島の第一次産業を守りたい思いもあって、率先して福島産を食しているのだろう。
 正しいか、正しくないかを論じるよりも、こういった気持ちや状況を知ることの方がまず第一なのだと思う。今回の東北ツアーを通じて、相手の気持ちに寄り 添うこと、現場の状況を知ることの大切さと難しさをあらためて感じた。知ってるつもりでわかっちゃいないこと、実感できていないことがたくさんある。
 
 打ち上げの席で、和泉さんからこんなライブの感想をもらった。
 「今夜のリクオの歌を聴いて、自分達は見捨てられていないと思えた」
 郡山で暮らす人達の気持ちに、ほんの少しでも寄り添えたのならばよかったなという思いと同時に、和泉さん達の絶望を感じとって、何とも言えない気持ちになった。

2011年12月17日土曜日

白石カフェミルトンにて

宮城県白石市 カフェミルトン
 白石のカフェミルトンとの付き合いはまだ4年程なのだけれど、その間とても濃密な付き合いをさせてもらっている。ミルトン三浦夫妻の音楽に対する真っすぐで純な姿勢からは、ホントに多くの力をもらい続けている。
 3.11以降、ミルトンを訪れるのは今回が3回目。前回ミルトンに来た時は、お店に隣接する民家が地震で倒壊し、その後撤去され更地になっていたのだけれど、今回はその場所に民家が建設中だった。
 マスメディアで取り上げられることはないようだけれど、白石も震災の大きな被害を受け、そのダメージを今も引きずり続けている。3.11以降、街の人口 は減少。ここへきて放射線量が上昇しているそうだ。最近、東北の他の街でも線量が上昇しているという話を地元の知人から聞いた。季節によって風向きが変わ り線量の高い場所から風が吹いたことや、落ち葉が放射能をまとっていることなどが、その原因と考えられているそう。

 この日は、南相馬市からやってきた柚原君がPAと開演前のDJの両方を担当してくれる。彼からは、先日相馬市で山口洋が中心になって地元の人達と一緒に 開催した復興支援イベント「SOMA WEEK」の話も聞かせてもらう。県外からも多くの人達がイベントに訪れたそうだ。被災地の人達と話していると、「自分達の現状を知ってもらいたい」とい う想いを強く感じる。その声に耳を傾け続けなければと思う。

 この日のミルトンのアプライトピアノの鳴りは今迄の中でも最高だった。調律師の今野さんのこだわりと愛情を十分に感じた。
 この夜のライブに集まった大半は、リピーターのお客さんだったように思う。自然、自分の旬な気分を伝えることを優先して、新曲をたくさん演奏した。くさ い言い方だけれど、その場にいた人達と短い瞬間でも想いを分かち合えたような気がした。この瞬間、この場所でしかできないライブができたという充実感が あった。

2011年12月16日金曜日

しゅんのピアノは65歳

岩手県盛岡 紅茶の店しゅん
 テリーの運転する車で山形から盛岡へ。峠に近づくに連れて雪が深くなってゆく。
 道中、テリーと色んな話をしたけれど、内容はやはり震災、原発の話が多かった。テリーは今回の震災による津波で4人の身内をなくしている。行方不明に なった親族を何週間も探し続け、遺体を確認するまでの話を、彼から聞いている内に、自分の中の想像力を閉じてしまいたい気持ちになった。あまりにもつらい 話だったのだ。

 盛岡は山形よりもさらに寒かった。京都の底冷えをさらに厳しくしたような寒さ。
 しゅんのピアノは今年で65歳を迎えるそうだ。ツアー先で自分が弾くピアノの中では、最高齢だろう。1年振りにしゅんのピアノに触れて、音を奏でてみたら、自分の指先と耳がそのタッチと音色をしっかりと覚えていた。
 この夜のライブは、しゅんでしか味わえない空気感に満ちていた。この日演奏した「哀歌」という曲は、このピアノの枯れた味わい深い音色にぴったりで、演奏中、今までにないくらいにインスパイアされた。
 しゅんに通い始めて15年の歳月が流れた。ママはやせたなあ。でも笑顔で再会できてよかった。皆少しづつ年を取る。変わらないものと、移ろいゆくもの、その両方を感じさせられる、しみじみと味わい深い夜だった。

2011年12月15日木曜日

東北ツアー初日、山形で初雪

山形 Noisy Duck
 この日から4日間、4ヶ所で東北ツアー。東北はやはり寒い。この日の山形は夕方から雪が降り出した。自分にとってはこの冬の初雪。
 今回の山形、盛岡ライブのブッキングをしてくれた仙台の名物男テリーが、この日から2日間、ツアーに帯同してくれる。オレ以外にも、バンバンバザール、 友部正人さん、矢野絢子ちゃん等、多くのミュージシャンが東北でツアーを組む時には、テリーのお世話になっているのだ。
 
 Noisy Duckを訪れるは初めてだった。還暦を過ぎたダンディーなマスターがやっている品のよいジャズ系のライブスポット。
 お店に置かれているグランドピアノの鳴りは素晴らしかった。その鳴りの良さに多いに影響され、いつも以上に幅広い表現ができた気がする。また帰ってこれる場所が1つ増えた。
 打ち上げでのテリーのはしゃぎっぷりは相変わらず。彼のお陰でいくつもの出会いをもらった1日だった。
 再会した山形の知人からは、3.11以降、山形市内の人口が1万人以上増えている事、震災直後からしばらくの大変だった市内の状況、震災によってもたらされた現在の市内の深刻な不況状態等を聞かせてもらう。この街も被災地なのだと実感。

2011年12月11日日曜日

3.11以降の態度

渋谷BYG
「リクオ&ピアノ~完全弾き語りソロ・ライブ~」
 半年振りのBYGライブ。都内でピアノ弾き語りのワンマンをするのは久し振りだった。弾き語りのライブのときは、事前にあまり内容、曲目を決め込まず、 その場の乗りで演奏することが多いのだけれど、この日のライブは、ちょっと違った。この1年を象徴するような、3.11以降の自分の態度が伝わるようなラ イブになればとの思いを持って本番にのぞんだ。
 それによって、選曲もMCも3.11以降を意識した内容が多くなった。ただ、かた苦しい表現、重い表現はしたくなかった。自分の中にある適当さ、不真面 目さ、よこしまな部分を生かしておきたかった。なじらない、煽らない、ヒステリックなものにチャンネルを合わさない、緊張を強いらない、しなやかさを失わ ない。3.11以降の自分の一貫した姿勢を、当たり前のように力まずに伝えたかった。
 怒り、憤り、不安、哀しみ、虚しさを、それらの感情をそのままにぶつけるのではなく、「それらの感情を経てきた思い」を伝えたかった。皆がそうすべきだと思っているのでなく、それが自分のやり方であり、自分ができる役割ではないかと思っている。
 そんな風に意気込んでいたら、ライブの途中で少し力んでしまったけれど、いつも以上にエモーショナルな歌を聴いてもらえたと思う。結構笑いもとれてよかった。うまくまとめるばかりでなく、心のノイズも伝えてゆけたらと思う。
 この日は、ステージで演奏している内に、自分の心が浄化されてゆくような感覚があった。あまりにいい雰囲気で、場を去り難くなり、アンコールが長くなった。その場にいるすべての人達と一緒に、ほんとにいい空間をコーディネイトできたと思う。
 BYGは現在形の自分を出すことのできる大切な場なんだなとあらためて思った。都内の年内ラストライブがBYGでよかった。感謝。

2011年12月10日土曜日

藤沢でライブ

 この日は、藤沢の馴染みのミュージックバー、サウサリートで、一般告知なしのライブをやらせてもらった。集まったお客さんのほとんどはお店の常連さんで、顔なじみの人も多かった。
  サウサリートは音楽好きが集まる社交場。皆耳が肥えていて、ライブの楽しみ方もよく心得ているから、毎回素晴らしい盛り上がりになる。この日は、普段 やらないカヴァー曲や新曲を織り交ぜて、行き当たりばったりの選曲。「これぞライブ!」と言いたくなるような、かしこまったところの一切ない開放的な空間 になった。
 藤沢に越してきて、いわゆる音楽業界人ではなくて、さまざまな業種の仕事に就きながら、ピュアに音楽を愛する人達にたくさん出会えたことは、自分の財産になっている。

2011年12月8日木曜日

フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーション

 この日は、音楽関係の知人が藤沢まで来てくれて、駅近くのカフェで一通りの打ち合わせをすました後、お店を変えて一緒に飲む。
 とてもたくさんの話しをした。会話の中で、自分の中でも、多分相手の中でも、色んな気付きがあった。顔を突き合わせて話すことだ大事だなとあらためて 思った。言葉だけじゃなくて、言い方、声のトーン、表情によって、伝わることがたくさんある。当たり前のことなんだが、忘れがちだ。
 本人を目の前にした方が、相手を気遣い、尊重する態度を示しやすい。相手の痛みを実感しやすい。ネット媒体を通じて人とコミュニケートする時には、自分 も含め多くの人達が、相手に対する想像力、配慮が欠けてしまう傾向にある。実感の伴わない情報で武装し、わかった気になって、万能感に支配され、等身大の 自分を見失い、偉そうになったり、無神経に他者を傷つけたりしてしまう。
 ネットばかりしていると、世の中にはこんなに傲慢な人間が多いのかと、うんざりしてしまうことがある。もっとネットの向こう側を想像しながら、ネットやSNSを使いこなすことはできないのだろうか。
 自分は、3.11以降もツアー暮らしを続け、さまざまな現場に足を運びながら、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを続けることで、随分と救 われてきた気がする。顔を付き合わせて得た情報、実感、現場で実際に見て、五感で感じとったことが、自分にたくさんの示唆と勇気を与えてくれた。そして、 音楽の持つ力をあらためて、実感することができた。
 この9ヶ月、物事の本質にふれることのない、割り切った物言い、ヒステリックな表現に随分と接してきた気がする。自分の中でさまざなな違和感がひろがっ て、その違和感をどうにか音楽で昇華したいという思いが続いている。この夜も酒の席で「実際には2項論では語れない部分、割り切れない部分を、平易な言葉 とシンプルなサウンドで表現したい」「心のリミッターをはずしながら、独りよがりにならない表現を目指したい」そんな思いを知人と熱く語りあった。
 知人が帰って行った後も、気持ちにスイッチが入り続けている感じで、1人でもう一軒なじみの店へ飲みに行く。閉店間際のお店で、しばし常連客と一緒に楽しく飲んだ後に、お店マスターのH君と2人きりで飲む。
 H君は、週末に相馬市で、山口洋と地元の人達が中心になって企画した復興支援イベント「SOMA WEEK」に炊き出しチームのリーダーとして参加して、藤沢に帰ってきたばかりだった。H君は、相馬市と南相馬市で見て感じとったことがあまりに多くて、 まだとても自分の中で整理できない様子だった。自分は実感をともなったH君の話を聞き続けた。「この現状に対して、自分に何ができるのか」H君の問いかけ が、自分の心にも迫ってきて、少し苦しくなった。
 思いを共有しながら、それぞれが、それぞれの答を出してゆくべきなのだろう。
  濃い夜になった。

2011年12月4日日曜日

この感触を忘れたくない。

徳島市 寅屋
 今回のツアーでは、よく歩くように心掛けている。この日も徳島駅からライブ会場の寅屋まで20分ほど徒歩で行く。リハーサルの後も、街をぶらぶら小1時間程散歩。
 今回のツアーは体調が良く、そのせいか声の調子がいつになく良かった。そうするとステージでの集中力も高まる。
 この日のステージは、いつもと少し違うシチュエーションで、思うところがあってステージに上がったこともあり、すごく演奏に集中できた。「あー、オレっ てここまでやれるんやな」と思った。この感触を忘れたくない。こういうライブができたら、どんな状況でも大丈夫な気がする。うん。

 もう年末かあ。ホント今年は大きな出来事があって、色んな意味で忘れられない年になりそう。最近のステージでは、この1年間で積み重ねてきた実感が音楽で形になってきている手応えがある。
 哀しみも、喜びも、怒りも、虚しさも、全部燃料にして、音を奏でたいと思う。

2011年12月3日土曜日

高松にてJASRACの社員と話しする

高松市 Bar RUFFHOUSE
 好きに、自由に、思いつくまま適当に、ワイルドに、繊細に、振り幅広く、今夜も酒場ライブの醍醐味に溢れたステージになった。やっぱり、こういう空間でのライブが、一番解放されて、色っぽくやれる気がする。

 RUFFHOUSEの常連で、JASRACに勤める若者が、この日のライブを観に来てくれていて、打ち上げにも参加してくれたので、これを機会とジャスラックに対する疑問を彼にぶつけてみる。
 自分がツアーで回る地方のお店の多くが、JASRACからの著作権利用料徴収のやりかたに不満を持っていて、対応に苦慮している。多くのお店は包括とい う形で月々に決められた金額をJASRACに納めているようだ(毎日ライブをやっているライブハウスの場合はほとんどその納め方)。ほんの時々、月に数 回、あるいは年に数回しかライブをやらないお店から、JASRACに申請するために、ライブ後、曲順の提出をお店側から要求されることもある。
 とあるお店から聞いた話では、お店の収入の12%が楽曲利用料になるとのこと。ちなみにテレビ、ラジオ等は収入の1、5%が利用料。過去遡及分10年分 も、この12%利用料算出でみなし加算されるそうだ。お店の収入を考慮しない、あまりにも厳しい請求額ではないだろうか。
  特に、この5、6年、地方の個人経営の小規模店から、JASRACに対する苦情を聞いたり、自分のところへ相談が寄せられる機会が増えた気がする。最 近も、何度もライブをやらせてもらっている地方のあるお店から、「JASRACへの支払いが厳しくて、月数回開催してきたライブを年内でやめることにし た」との連絡をもらった。数年前には、ライブが決まっていたお店のマスターから、ライブの一月程前に、「JASRACの社員がお店に何度もやってきて、過 去にさかのぼってとても支払不可能な利用料を請求してきて、どうしていいか解らないので、とりあえず今回のライブは中止にさせてほしい」という連絡を受け たこともある(そのときはJASRACに詳しい人を紹介して、マスターを説得し中止は回避してもらった)。こういう例は1つや2つではない。
 さらに、問題なのは、包括で小店舗から徴収された利用料が、演奏者である自分のところに著作権料としてJASRACから支払われた形跡がないこと だ。演奏者に還元されるべき利用料はどこへ消えたのか?お店から包括で利用料を徴収するのなら、自分のようなツアーミュージシャンに対しても、ライブ数と ライブの規模から算出して包括で著作権料を支払ってもいいのではないのか。
 音楽の振興と発展、公益、ミュージシャンの権利を守るはずJASRACが、徴収した利用料をミュージシャンに分配することなく、自分のようなツアーミュージシャンの主な演奏場所である小規模店を圧迫している状況は、おかしいと思う。
 自分の疑問に対して、JASRACに勤める若者は真摯に耳を傾けてくれてたけれど、納得できる返答を聞くことはできなかった。感じのよい若者だったので、彼を責めるような物言いになっていたら申し訳なかったと思う。

2011年12月2日金曜日

コンディションがいい

岡山 モグラ(MO:GLA)
オープニングアクト:わつし
 この日は岡山駅からライブ会場近くの宿泊先のホテルまで、あえて徒歩で移動。街のニオイ、雰囲気を味わいたい気分だったのだ。岡山の歓楽街、中央町を日中に歩くのは初めて。通りは閑散としていて、けだるい雰囲気が漂っていた。なんかほっとする。

 モグラのピアノの鳴りは今迄で一番のように感じた。とてもいいライブになった。新曲がだんだんと弾き語りの演奏に馴染んできた。久し振りにバンドで演奏 すると「バンドはいいなあ」と思うし、間を空けて弾き語りをやると「弾き語りはいいなあ」と思う。
 オープニングのわつし君もよかった。ソングライティングに才能を感じた。
 コンディションがいいと集中力が保たれていいライブができる。当たり前のことを再認識。長年通い続けているお店のマスターが「特別にいいライブだった」と言ってくれるとやっぱり嬉しい。
 新しいお客さん、昔からのお客さん、わつし君のお客さん、色んな人達が観に来てくれて、満席だったのも嬉しかった。
 また来年も戻って来ます。

2011年12月1日木曜日

大ホールから酒場へ戻る

広島 Flying Kids
 この日のライブを主催してくれた斉藤さんは、昨年まで自分と同じ湘南に暮らしていて、自分もよく通うミュージックバーの常連さんだった。広島に転勤し て、行きつけになったお店FLYING KIDSがライブを定期的にやっていたことがきっかけで、オレのライブを企画する話がすすんだ。
 自分の音楽活動はホント人の縁に支えられてるなあと思う。この日も色んな出会い、再会があった。
 1万人のホールで演奏した直後に、40人足らずで満席のお店でのライブ。えらい振り幅。色んな現場、シチュエーションで演奏できるのが楽しい。でも自分のライブの原点は、こういう酒場スタイルやな。