2012年7月24日火曜日

1枚のデモ写真ー「祈り」の感性

添付した写真は、7月6日に行われた官邸前抗議集会で撮影されたものだそうだ。フリーランスのフォトグラファー佐藤哲郎 氏が撮影し、facebookに掲載していたのを見て、感銘を受け、このブログに添付させてもらった。できれば写真をクリックして大きな画像で見てほし い。

 自分はこの前の週に、同じ官邸前で行われていたデモ集会に参加していた。まだ集会場所が警察によっていくつかに分断される前だったので、デモの全容を歩 いて確かめることができた。官邸前の車道は開放され、抗議の人であふれかえり、熱気が充満していた。何か祝祭空間の只中いるような感覚もあり、殺伐とした 空気はあまり感じられなかった。今行われているデモが、イデオロギーを超えて、多種多様な一般市民が参加する、非暴力のデモであることを、はっきりと実感 したことを覚えている。参加者の中に女性が多かったことも印象に残った。

 この日、夕方からのデモに参加する前に、若松孝二が監督の映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」を横浜で見た。映画の主人公、三島由紀夫は じめ、盾の会や全共闘の若者達、自衛官他、登場人物は、三島由紀夫の妻、三島瑤子をのぞけば、全員が男性であった。映画の中で三島瑤子の存在はひどく浮い ていて、男達の中で蚊帳の外という印象を受けた。左であれ右であれ、当時の活動家のほとんどは男性で、その傾向は今もそんなには変わりがないのだろう。 70年安保当時のデモや集会を組織し、参加していた大半も男性であったと認識している。
 理不尽な出来事に遭遇したとき、男性は、「怒り」の感情に支配され、行動する傾向が、女性よりも強いと思う。この日観た映画の登場人物の多くも常に怒り、憤っていた。これまでの社会運動には、そのような男性心理が大きく作用していたように思う。
 自分はこれまで、デモとは「怒り」をぶつける場であり、場合によっては実力行使も辞さない、ある程度の暴力を肯定する場であるという印象を持っていた。 けれど官邸前の抗議集会に何度か参加してゆく中で、その認識が変わっていった。添付させてもらった写真が、官邸前でのデモのありようの一端を象徴している ように思う。
 女性をはじめ、多様な人達が参加することによって、デモに「祈り」の感性が加わることは、とても大きな変化だと思う。デモという主張のあり方が、かえっ て2項対立を深め、憎しみを増幅させてゆく危険を孕んでいることは否めない。しかし、そこに「祈り」の感性が加わることで、社会運動にあらたな可能性が生 まれるように思うのだ。そのような運動には、即効性を求めすぎるべきではない。長く続けることに意味を見いだすべきだと思う。
ー2012年7月24日(火)

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