2012年12月29日土曜日

2012年12月29日(土)「マーサの10周年だよ、全員集合!!」 facebookより

★12/29(土)大阪カフェ・マーサ「マーサの10周年だよ、全員集合!!」
今年もマーサ年末恒例の周年祭イベントのトリをつとめさせてもらいました。最後は、イベント出演者の佐藤良成(ハンバートハンバート)、高木まひことシェ キナベイビーズ、キム・ウリョン、ムーンライトケニア、ふちがみじゅんこ(ふちがみとふなと)等が参加しての賑やかなセッションで大円団を迎えました。そ うそう、自分のステージが始まる時に、手回しのミラーボールがステージ前に設置され、エンディングまでの盛り上がりに一役買ってくれました。ナイスボー ル!!

午後4時から開演して終演したのが午後11時。これだけで、とても長丁場のイベントだったのですが、今年の周年祭はこれで終わりませんでした。真夜中から 始まった打ち上げでも、再びセッション大会が始まり、丑三つ時を過ぎても、延々と演奏が続けられました。独りよがりな人間はその場に1人としておらず、皆 がオープンマインドで響き合い、一期一会を共有しました。
最高に楽しい歌い納め、弾き納めになりました。

皆さん1年間お疲れさまでした。
そして、1年間ありがとうございました。
今年も色々あったなあ。
たまには自分を褒めてあげよう。
生きてるだけであんたは偉い!オレも偉い!
来年もいい時間をたくさん共有しましょう



 

2012年12月20日木曜日

かすかな光ー原発について、「原子力発電所」について

ネット新聞「THE FUTURE TIMES」4号に掲載された、被災地支援活動を行った自衛隊員、大宮善直さん(仮名)へのインタビュー「被災地に寄せる自衛隊員の想い」を何度も読み返 しています。実際に現場を体験した人だからこそ語ることのできるリアリティーの伝わる貴重な内容だと思います。インタビューを受けた大宮さんの素直で真摯 な言葉に、何度も心を動かされました。
http://www.thefuturetimes.jp/archive/no04/connecting_the_dots_04/
 インタビューの中で大宮さんは、昨年5月、活動区域の高台から、水素爆発を起こした福島第1原発4号機を眺めた時の感想を述べています。それは自分に とって、実に印象深い内容でした。その部分を以下に抜粋しました。インタビュアーは、このネット新聞の主催者、ロックバンド、アジアン・カンフー・ジェネ レーションの後藤正文さんです。

後藤「この4号機の写真を撮影されたのは何月くらいなんですか?」
大宮「5月ですね」
後藤「ここまで行ったときには、恐ろしいというような気持ちはありましたか?」
大宮「いや…、ここに来たとき…、今までの感情が、変わったというか…。とにかく、その当時は、原発は悪みたいな感じで、みんなそういう風潮にあったじゃないですか?」
後藤「そうですね…」
大宮「僕自身も、“原発なんて”とか“原発のせいで”とか思いながら、憎きモノとして、この地域に入っていって…。ここ(4号機)は活動区域から見えない んですよね。展望所っていう公園があるんですけど、そこに行ってはじめて見えるんですよ。高台から見ていると、変な話ですけど、僕と原発だけみたいな世界 になったような感覚があって…。不謹慎ですけど…、この世の立ち入ってはいけない区域で、神々しいような感覚があったんです…」
後藤「はい」
大宮「真ん中がボカっと空いているじゃないですか?はじめて見たとき、これが口に見えたんですよ。湯気も見えたんですよね、当時。なんかナウシカの巨神兵 のようにも見えて…。今までは安全だと言われていたから、人のために稼働していたっていう…。地震が起こって制御できなくなって爆発したら、自分たちが 造ったものなのに、原発のせいでとか…。でもよく考えたら、要はコイツ(4号機を指して)を制御できなかった人間がいけないだけじゃないかっていう感じ で、何か(様々な感情の)対象としているものを僕は間違っているなって…。なんていうか、エゴっていうか…。自分たちがいけなかったのに、原発を悪の象徴 にしているっていうのは、人間の悪い…、凄く汚い部分をそのときは感じてしまって…」
後藤「なるほど…」
大宮「もの凄く涙が出て来て…。とにかくコイツ自身が生き物のように見えて、凄い悲壮感だったというか…」


 こんなふうに「原子力発電所」を語ってくれる人がいたことに、随分と救われる思いがしました。脱原発を目指す側にも、原発を善悪だけで語るのではない、こういった感性や想像力が必要だと感じました。
 誰かにとっての「悪の象徴たる原発」は、実は、1部の人間だけでなく、ほとんどの人間のエゴや欲望によって支えられ、祭り上げられたものであるという認識が、自分達には欠 けているように思います。自分達が善で、原発を作り出した人間が悪であるという構図は間違いです。自分達は騙された側かもしれないけれど、実は無意識に、 だまされることを受け入れてきたのではないか、つまりは共犯関係にあったのではないか、という問いかけが必要だと思います。

 エゴや欲望だけではなく、希望、夢、好奇心、野望、傲慢etc.人間の中にあるさまざまな感情と因果が複合的に絡み合い生まれたものが、核であり、原発 である。福島第1原発の事故以降、時を経てそんな考えに至るようになりました。そして、原発に変わる代替エネルギー、自然エネルギーを推進してゆく力の中 にも、エゴや欲望は含まれており、それらが定着してゆく過程の中で、いや定着した後も、さまざまな問題が生じてゆくのだろうと考えています。

 エゴや欲望を一概に否定しているわけではありません。むしろ、そういった感情がなければ、今迄の文明の発達や人類の進化はありえなかったでしょう。けれ ど、加速する文明の発達や人類の進化をこのまま野放しに進めてもよいのでしょうか?発達の加速とともに、人類も破滅へ向かい加速していることを、多くの人 が感じ、漠然とした不安を抱きながら暮らしているように思います。

 だとしたら、進化や発達のスピードを調整することが、人類には可能なのでしょうか?そもそも人類の進化とはどんな状態を意味するのでしょうか?
 原発の問題を考えるにあたっては、今直面しているさまざまな現実問題や矛盾の解決と並行して、このような哲学に至る本質的な問いかけも必要だと考えています。

 あまりにも多くの理不尽、隠ぺい、差別の上に原発産業は成り立ってきました。それらに対する怒りは当然だと思います。けれど、自らの怒りの中にも、エゴ や傲慢が含まれているのではないかという問いかけも必要だと感じています。強い怒りは、時に物事の本質を覆い隠し、誰かが唱える都合のよい「正義」にたや すく取り込まれてしまう恐れを含んでいます。

 原発を廃炉にし、核を廃絶させるためには、他者の意識を変えるだけでなく、自分自身の意識や生き方を変え、人類の進化と文明のあり方を問い直すというプ ロセスが必要だと感じています。問題に対する本質的な問いかけが気付きや謙虚を生み、エゴや欲望を抑制することにもつながるのだと思います。

  人間を人間たらしめてきたさまざまな感情の複合体として生まれてきたものが原発である。福島第1原発の事故以降、歳月を経て、徐々にそんなイメージを 抱くようになりました。そして、そうして生まれてきた原発を維持し続ける人間の主な感情は、やはりエゴや欲望だと言えるのかもしれません。
 そうしたエゴや欲望の象徴として見られる「原子力発電所」と呼ばれる施設そのものには、罪はありません。そして、「放射能」そのものにも罪はありませ ん。しかし、それらは多くの人間から悪の象徴として見られてしまうのです。人間は自分達自身が犯した罪を、それらになすりつけようとしているようにも見え ます。共犯関係はまだ続いているのでしょう。

 水素爆発を起こした後の4号機を見て、生き物のように感じ涙し、人間のエゴを感じながら4号機とナウシカの巨神兵の姿を重ね合わせた大宮さんの感性、そこにある気づき、畏怖の念、謙虚さに、かすかな光を感じています。
 今も続く共犯関係から逃れ、変化を選択し、新たな価値観を見い出すための旅は、まだ始まってもいないのかもしれません。けれど、旅立ちの準備は既に方々 で進められています。自分のような考えを持った人間は1人だけじゃない、世界中にいるのだと想像しながら、この文を終えたいと思います。

「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」MAGICAL CHAIN CLUB BAND
http://www.youtube.com/watch?v=mmX6z_V4wLM&feature=youtu.be

2012年12月19日水曜日

KIMAGURE DIARYを再開しました

約4ヶ月振りにブログを再開することにしました。
まずは、衆院選挙までの1週間、facebookにあげた文をいくつかまとめてアップしました。オレ個人のfacebookを一般公開にしているので、そちらの方も見てもらえたらと思います。
https://www.facebook.com/rikuonishikwa

 日々の暮らしの中で、熟考する暇もなく、たくさんの言葉、情報が次から次へと通り過ぎていきます。そのスピードはさらに加速度を増ししているようです。
 オレはと言えば、言葉を選ぶのに増々時間を要するようになった気がします。自分の偏見や独りよがりの考えが全面に出ないようにと、心掛ける意識が強くな りました。こうだと、すぐに決めつけることをやめにしたいと思います。色々なことがすぐにはわからないし、簡単には割り切れない。このわからないという事 実を受入れ、割り切れない思いに向き合いながら、丁寧に言葉を紡いでいけたらと思います。
 忙し過ぎたり、言葉が見つからなくなったら、またしばらく更新しなくなることもあるかと思います。よろしければ気長にお付き合いください。
ー12月19日(水)

2012年12月17日月曜日

衆院選挙の結果に思うこと


ある程度は予想し覚悟していましたが、選挙結果を実際に目の当たりにして、やはりショックを覚えました。自分が少数派であることをあらためて実感しました。
この結果を受けて、7月の参院選でもまた極端な結果が出ることを想像しました。票がどこに流れるにしても、一方に極端に流れる結果が健全だとは思えません。小選挙区制という選挙制度にも問題があるのかもしれません。

投票率の低さにもがっかりしました。特に、若い世代の投票率が低い。でも、自分も20代の頃は、投票に行かないことがあったからなあ。反省してます。
投票する側の意識を変えるだけでなく、参加民主主義のしくみ事態の見直しも視野に入れるべきなのかもしれません。

政治に無関心で、当事者意識の希薄な層が相変わらず多数を占める一方で、今回の衆院選挙は、多くの人がより政治に関心を持つ1つのきっかけになった気がし ます。この流れが、さらにひろがってゆく可能性を感じています。ネット上で多くの人が選挙について、政治について熱く語っているのを目にしました。結果に 結びつかずとも、人々の意識は変わり始めているように感じています。個人の考えを表明できる世の中であり続けるためにも、一方的に自分の考えを主張するだ けでなく、意見や立場の違う他者との対話や議論が生まれることを願っています。

自分は、今回の自公政権の成立と、改憲派が3分の2を遥かに超える議席数を獲得したことに危機感を持っていますが、だからと言って、すぐに憲法が改正さ れ、軍隊ができ、戦争が始まり、人権が侵害され、貧富の格差が広がり、急激に世の中の状況が悪くなるとは考えていません。強すぎる恐れは、対立をさらに深 め、冷静な判断を見失わせます。必要以上に危機感を煽ったり、煽られることのないよう、冷静で柔らかい心を保ちたいと思います。

政治だけが世界を変えるわけではありません。音楽や文化の力を信じています。公の問題に押しつぶされることなく、それぞれの暮らしを美しくしてゆきましょう。そして、縁をつなげ、共鳴をつみ重ね、新しい価値観を育み、それらを共有しましょう。
なんだか、文章を綴るうちに前向きな気持ちがよみがえってきました。夜も明けました。
絶望することなく、楽観し過ぎることもなく、これからの時代を、フットワーク軽く、しなやかに生きてゆけたらと思います。   
ーfacebook

2012年12月16日日曜日

湘南海岸、本日の夕暮れ

投票に言った後、いつものように湘南海岸を散歩しました。何人もの人が立ち止まり沈みゆく夕陽に見とれていました。

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい
ー吉野 弘『 祝 婚 歌 』より

いい批評はみな尊敬の念から生まれている。ー小林秀雄

自分には覚悟、人には優しさだよ。ー鳥越俊太郎
ーfacebookより

2012年12月15日土曜日

4ヶ月振りに集会に参加


日比谷野音で行われた「さようなら原発世界大集会」に参加してきました。こういった集会やデモに参加するのは、4ヶ月振りでした。
自分は、基本的に集団行動が苦手な方で、ああいった場でのシュプレヒコールに加わることに、いまだに躊躇を覚えます。けれど、そんなタイプの人間が参加することに意味があるとも考えてもいます。
久し振りに集会に足を運んだのは、選挙直前の空気を感じてみたい、時代の転換期を感じさせてくれる現場に身を置いてみたいという意識もありました。
デモや集会という主張のあり方は、かえって2項対立を深め、憎しみを増幅させてゆく危険を孕んでいることは否めないように思います。ただ、3.11以降、 日本におけるデモや集会のあり方が、以前と変化したことは事実だと思います。こういった行動の自由が許される世の中であり続けてほしいと思います。
明日は選挙です!

2012年12月14日金曜日

湘南鵠沼海岸、本日の夕暮れ


湘南鵠沼海岸、本日の夕暮れ。
今日も富士山を拝むことができました。


政治を通して日常を変革しようと思うと、大雑把な形でしかできない。
政治では変革しえない領域を演劇を通してやってゆくことに面白い可能性がある。 ー寺山修司

戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。ー吉田健一

ブッダやキリストがここに現れても人間の問題は残っていると思います。
我々自身が努力し、少しずつ変えていくしかありません。
どんな力を持っていても、誰が来ても、一夜で状況が変わることはありません。
ーダライ.ラマ

考え事をしている中で、思い出した言葉です。
ーfacebookより

2012年12月11日火曜日

「忌野清志郎と爆笑問題 太田」選挙に関わる心温まるお話

facebookより
12月11日(月)
「忌野清志郎と爆笑問題 太田」選挙に関わる心温まるお話

「爆笑問題 太田光 」氏
清志郎さんと初めて会ったのは、
この雑誌の連載で、
私が政治について、
「投票率なんか低い方が良い。
興味がなければ、選挙なんか行くな」
と書いたとき、
その文章に清志郎さんが怒り、
一度会いたいということで、
対談という形でお会いすることになったときだった。
指定された店で私は、
怒られるんだろうなぁと思い、
少し憂鬱で、
それでも清志郎さんと会えることは楽しみで、
緊張しながら待っていた。
そこへ清志郎さんは、
ホラ貝を吹きながら突然現れて、
「キミはケシカラァ~ン!あんなことを言っちゃイカァ~ン」と、
とても照れくさそうに、下を向きながら言った。
私は楽しくて、大爆笑してしまった。
清志郎さんは、
「キミのような影響力のある人が、
若者にアンナこと、
言っちゃイカァ~ン」と言っていた。
私がそれに反論すると、清志郎さんは、
「…うん。…うん」とジッと聞いてくれた。
私は、政治家なんかに世の中は変えられない。
それよりもRCの、
たった一曲の歌の影響力の方が全然強い。
政治なんかに期待することなんかないじゃないですか、
と熱弁した。
清志郎さんは、私の話を全部肯いて聞いてくれて、
私が話し終わったあとに、
「…それでも、あれは、イカン!」と、
またホラ貝を吹いて笑わせた。
その調子だから、論争なんかになりはしなかった。
今から考えれば清志郎さんは、
私と論争するつもりなど、
最初から、さらさらなかったのだとわかる。
私はあのとき、
自分ばかり言いたいことを言って、
いい気持ちになっていた。
“清志郎に、言ってやった”つもりでいた。
しかし私があのとき言ったことなんて、
清志郎さんは百も承知だったハズだ。
自分が影響力があるからこそ、
清志郎さんは真っ直ぐに若者に向かって、
「意識を持て」というメッセージを送っていた。
だから、無責任な主張を垂れ流してる、
私の言葉と態度が許せなかったのだ。
でも、だからと言って、
あの場で私を“言い負かすこと”なんかに、
清志郎さんは何の興味も持っていなかった。
だから、私がどうケンカを吹っかけても、
その度にホラ貝を吹いて笑わせた。
勝負だなんて思っていたのはこっちだけで、
清志郎さんは青臭い若造と勝負しようなんて気は、
初めからさらさら、なかったのだ。
(「テレビブロス」2009年5月30日号より)

12月13日(木)
湘南鵠沼海岸より。今日の富士山は絶景です。
「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。~公の問題に押しつぶされず、それぞれがかかわる身近なものを、一番大切に生きることだろ う。」吉本隆明はそう語っています。一面ではその通りだと思います。けれど、「公の問題」と「私的な問題」は完全に切り離すことができない関係にありま す。「身近なもの」を大切にしながら「公の問題」にも意識を向けてゆくべきなのでしょう。そんなことを考えていました。
寛容、謙虚、遊び、ユーモアを忘れずに。
しっかり考えて、日曜日は投票に行きましょう。