2012年12月29日土曜日

2012年12月29日(土)「マーサの10周年だよ、全員集合!!」 facebookより

★12/29(土)大阪カフェ・マーサ「マーサの10周年だよ、全員集合!!」
今年もマーサ年末恒例の周年祭イベントのトリをつとめさせてもらいました。最後は、イベント出演者の佐藤良成(ハンバートハンバート)、高木まひことシェ キナベイビーズ、キム・ウリョン、ムーンライトケニア、ふちがみじゅんこ(ふちがみとふなと)等が参加しての賑やかなセッションで大円団を迎えました。そ うそう、自分のステージが始まる時に、手回しのミラーボールがステージ前に設置され、エンディングまでの盛り上がりに一役買ってくれました。ナイスボー ル!!

午後4時から開演して終演したのが午後11時。これだけで、とても長丁場のイベントだったのですが、今年の周年祭はこれで終わりませんでした。真夜中から 始まった打ち上げでも、再びセッション大会が始まり、丑三つ時を過ぎても、延々と演奏が続けられました。独りよがりな人間はその場に1人としておらず、皆 がオープンマインドで響き合い、一期一会を共有しました。
最高に楽しい歌い納め、弾き納めになりました。

皆さん1年間お疲れさまでした。
そして、1年間ありがとうございました。
今年も色々あったなあ。
たまには自分を褒めてあげよう。
生きてるだけであんたは偉い!オレも偉い!
来年もいい時間をたくさん共有しましょう



 

2012年12月20日木曜日

かすかな光ー原発について、「原子力発電所」について

ネット新聞「THE FUTURE TIMES」4号に掲載された、被災地支援活動を行った自衛隊員、大宮善直さん(仮名)へのインタビュー「被災地に寄せる自衛隊員の想い」を何度も読み返 しています。実際に現場を体験した人だからこそ語ることのできるリアリティーの伝わる貴重な内容だと思います。インタビューを受けた大宮さんの素直で真摯 な言葉に、何度も心を動かされました。
http://www.thefuturetimes.jp/archive/no04/connecting_the_dots_04/
 インタビューの中で大宮さんは、昨年5月、活動区域の高台から、水素爆発を起こした福島第1原発4号機を眺めた時の感想を述べています。それは自分に とって、実に印象深い内容でした。その部分を以下に抜粋しました。インタビュアーは、このネット新聞の主催者、ロックバンド、アジアン・カンフー・ジェネ レーションの後藤正文さんです。

後藤「この4号機の写真を撮影されたのは何月くらいなんですか?」
大宮「5月ですね」
後藤「ここまで行ったときには、恐ろしいというような気持ちはありましたか?」
大宮「いや…、ここに来たとき…、今までの感情が、変わったというか…。とにかく、その当時は、原発は悪みたいな感じで、みんなそういう風潮にあったじゃないですか?」
後藤「そうですね…」
大宮「僕自身も、“原発なんて”とか“原発のせいで”とか思いながら、憎きモノとして、この地域に入っていって…。ここ(4号機)は活動区域から見えない んですよね。展望所っていう公園があるんですけど、そこに行ってはじめて見えるんですよ。高台から見ていると、変な話ですけど、僕と原発だけみたいな世界 になったような感覚があって…。不謹慎ですけど…、この世の立ち入ってはいけない区域で、神々しいような感覚があったんです…」
後藤「はい」
大宮「真ん中がボカっと空いているじゃないですか?はじめて見たとき、これが口に見えたんですよ。湯気も見えたんですよね、当時。なんかナウシカの巨神兵 のようにも見えて…。今までは安全だと言われていたから、人のために稼働していたっていう…。地震が起こって制御できなくなって爆発したら、自分たちが 造ったものなのに、原発のせいでとか…。でもよく考えたら、要はコイツ(4号機を指して)を制御できなかった人間がいけないだけじゃないかっていう感じ で、何か(様々な感情の)対象としているものを僕は間違っているなって…。なんていうか、エゴっていうか…。自分たちがいけなかったのに、原発を悪の象徴 にしているっていうのは、人間の悪い…、凄く汚い部分をそのときは感じてしまって…」
後藤「なるほど…」
大宮「もの凄く涙が出て来て…。とにかくコイツ自身が生き物のように見えて、凄い悲壮感だったというか…」


 こんなふうに「原子力発電所」を語ってくれる人がいたことに、随分と救われる思いがしました。脱原発を目指す側にも、原発を善悪だけで語るのではない、こういった感性や想像力が必要だと感じました。
 誰かにとっての「悪の象徴たる原発」は、実は、1部の人間だけでなく、ほとんどの人間のエゴや欲望によって支えられ、祭り上げられたものであるという認識が、自分達には欠 けているように思います。自分達が善で、原発を作り出した人間が悪であるという構図は間違いです。自分達は騙された側かもしれないけれど、実は無意識に、 だまされることを受け入れてきたのではないか、つまりは共犯関係にあったのではないか、という問いかけが必要だと思います。

 エゴや欲望だけではなく、希望、夢、好奇心、野望、傲慢etc.人間の中にあるさまざまな感情と因果が複合的に絡み合い生まれたものが、核であり、原発 である。福島第1原発の事故以降、時を経てそんな考えに至るようになりました。そして、原発に変わる代替エネルギー、自然エネルギーを推進してゆく力の中 にも、エゴや欲望は含まれており、それらが定着してゆく過程の中で、いや定着した後も、さまざまな問題が生じてゆくのだろうと考えています。

 エゴや欲望を一概に否定しているわけではありません。むしろ、そういった感情がなければ、今迄の文明の発達や人類の進化はありえなかったでしょう。けれ ど、加速する文明の発達や人類の進化をこのまま野放しに進めてもよいのでしょうか?発達の加速とともに、人類も破滅へ向かい加速していることを、多くの人 が感じ、漠然とした不安を抱きながら暮らしているように思います。

 だとしたら、進化や発達のスピードを調整することが、人類には可能なのでしょうか?そもそも人類の進化とはどんな状態を意味するのでしょうか?
 原発の問題を考えるにあたっては、今直面しているさまざまな現実問題や矛盾の解決と並行して、このような哲学に至る本質的な問いかけも必要だと考えています。

 あまりにも多くの理不尽、隠ぺい、差別の上に原発産業は成り立ってきました。それらに対する怒りは当然だと思います。けれど、自らの怒りの中にも、エゴ や傲慢が含まれているのではないかという問いかけも必要だと感じています。強い怒りは、時に物事の本質を覆い隠し、誰かが唱える都合のよい「正義」にたや すく取り込まれてしまう恐れを含んでいます。

 原発を廃炉にし、核を廃絶させるためには、他者の意識を変えるだけでなく、自分自身の意識や生き方を変え、人類の進化と文明のあり方を問い直すというプ ロセスが必要だと感じています。問題に対する本質的な問いかけが気付きや謙虚を生み、エゴや欲望を抑制することにもつながるのだと思います。

  人間を人間たらしめてきたさまざまな感情の複合体として生まれてきたものが原発である。福島第1原発の事故以降、歳月を経て、徐々にそんなイメージを 抱くようになりました。そして、そうして生まれてきた原発を維持し続ける人間の主な感情は、やはりエゴや欲望だと言えるのかもしれません。
 そうしたエゴや欲望の象徴として見られる「原子力発電所」と呼ばれる施設そのものには、罪はありません。そして、「放射能」そのものにも罪はありませ ん。しかし、それらは多くの人間から悪の象徴として見られてしまうのです。人間は自分達自身が犯した罪を、それらになすりつけようとしているようにも見え ます。共犯関係はまだ続いているのでしょう。

 水素爆発を起こした後の4号機を見て、生き物のように感じ涙し、人間のエゴを感じながら4号機とナウシカの巨神兵の姿を重ね合わせた大宮さんの感性、そこにある気づき、畏怖の念、謙虚さに、かすかな光を感じています。
 今も続く共犯関係から逃れ、変化を選択し、新たな価値観を見い出すための旅は、まだ始まってもいないのかもしれません。けれど、旅立ちの準備は既に方々 で進められています。自分のような考えを持った人間は1人だけじゃない、世界中にいるのだと想像しながら、この文を終えたいと思います。

「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」MAGICAL CHAIN CLUB BAND
http://www.youtube.com/watch?v=mmX6z_V4wLM&feature=youtu.be

2012年12月19日水曜日

KIMAGURE DIARYを再開しました

約4ヶ月振りにブログを再開することにしました。
まずは、衆院選挙までの1週間、facebookにあげた文をいくつかまとめてアップしました。オレ個人のfacebookを一般公開にしているので、そちらの方も見てもらえたらと思います。
https://www.facebook.com/rikuonishikwa

 日々の暮らしの中で、熟考する暇もなく、たくさんの言葉、情報が次から次へと通り過ぎていきます。そのスピードはさらに加速度を増ししているようです。
 オレはと言えば、言葉を選ぶのに増々時間を要するようになった気がします。自分の偏見や独りよがりの考えが全面に出ないようにと、心掛ける意識が強くな りました。こうだと、すぐに決めつけることをやめにしたいと思います。色々なことがすぐにはわからないし、簡単には割り切れない。このわからないという事 実を受入れ、割り切れない思いに向き合いながら、丁寧に言葉を紡いでいけたらと思います。
 忙し過ぎたり、言葉が見つからなくなったら、またしばらく更新しなくなることもあるかと思います。よろしければ気長にお付き合いください。
ー12月19日(水)

2012年12月17日月曜日

衆院選挙の結果に思うこと


ある程度は予想し覚悟していましたが、選挙結果を実際に目の当たりにして、やはりショックを覚えました。自分が少数派であることをあらためて実感しました。
この結果を受けて、7月の参院選でもまた極端な結果が出ることを想像しました。票がどこに流れるにしても、一方に極端に流れる結果が健全だとは思えません。小選挙区制という選挙制度にも問題があるのかもしれません。

投票率の低さにもがっかりしました。特に、若い世代の投票率が低い。でも、自分も20代の頃は、投票に行かないことがあったからなあ。反省してます。
投票する側の意識を変えるだけでなく、参加民主主義のしくみ事態の見直しも視野に入れるべきなのかもしれません。

政治に無関心で、当事者意識の希薄な層が相変わらず多数を占める一方で、今回の衆院選挙は、多くの人がより政治に関心を持つ1つのきっかけになった気がし ます。この流れが、さらにひろがってゆく可能性を感じています。ネット上で多くの人が選挙について、政治について熱く語っているのを目にしました。結果に 結びつかずとも、人々の意識は変わり始めているように感じています。個人の考えを表明できる世の中であり続けるためにも、一方的に自分の考えを主張するだ けでなく、意見や立場の違う他者との対話や議論が生まれることを願っています。

自分は、今回の自公政権の成立と、改憲派が3分の2を遥かに超える議席数を獲得したことに危機感を持っていますが、だからと言って、すぐに憲法が改正さ れ、軍隊ができ、戦争が始まり、人権が侵害され、貧富の格差が広がり、急激に世の中の状況が悪くなるとは考えていません。強すぎる恐れは、対立をさらに深 め、冷静な判断を見失わせます。必要以上に危機感を煽ったり、煽られることのないよう、冷静で柔らかい心を保ちたいと思います。

政治だけが世界を変えるわけではありません。音楽や文化の力を信じています。公の問題に押しつぶされることなく、それぞれの暮らしを美しくしてゆきましょう。そして、縁をつなげ、共鳴をつみ重ね、新しい価値観を育み、それらを共有しましょう。
なんだか、文章を綴るうちに前向きな気持ちがよみがえってきました。夜も明けました。
絶望することなく、楽観し過ぎることもなく、これからの時代を、フットワーク軽く、しなやかに生きてゆけたらと思います。   
ーfacebook

2012年12月16日日曜日

湘南海岸、本日の夕暮れ

投票に言った後、いつものように湘南海岸を散歩しました。何人もの人が立ち止まり沈みゆく夕陽に見とれていました。

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい
ー吉野 弘『 祝 婚 歌 』より

いい批評はみな尊敬の念から生まれている。ー小林秀雄

自分には覚悟、人には優しさだよ。ー鳥越俊太郎
ーfacebookより

2012年12月15日土曜日

4ヶ月振りに集会に参加


日比谷野音で行われた「さようなら原発世界大集会」に参加してきました。こういった集会やデモに参加するのは、4ヶ月振りでした。
自分は、基本的に集団行動が苦手な方で、ああいった場でのシュプレヒコールに加わることに、いまだに躊躇を覚えます。けれど、そんなタイプの人間が参加することに意味があるとも考えてもいます。
久し振りに集会に足を運んだのは、選挙直前の空気を感じてみたい、時代の転換期を感じさせてくれる現場に身を置いてみたいという意識もありました。
デモや集会という主張のあり方は、かえって2項対立を深め、憎しみを増幅させてゆく危険を孕んでいることは否めないように思います。ただ、3.11以降、 日本におけるデモや集会のあり方が、以前と変化したことは事実だと思います。こういった行動の自由が許される世の中であり続けてほしいと思います。
明日は選挙です!

2012年12月14日金曜日

湘南鵠沼海岸、本日の夕暮れ


湘南鵠沼海岸、本日の夕暮れ。
今日も富士山を拝むことができました。


政治を通して日常を変革しようと思うと、大雑把な形でしかできない。
政治では変革しえない領域を演劇を通してやってゆくことに面白い可能性がある。 ー寺山修司

戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。ー吉田健一

ブッダやキリストがここに現れても人間の問題は残っていると思います。
我々自身が努力し、少しずつ変えていくしかありません。
どんな力を持っていても、誰が来ても、一夜で状況が変わることはありません。
ーダライ.ラマ

考え事をしている中で、思い出した言葉です。
ーfacebookより

2012年12月11日火曜日

「忌野清志郎と爆笑問題 太田」選挙に関わる心温まるお話

facebookより
12月11日(月)
「忌野清志郎と爆笑問題 太田」選挙に関わる心温まるお話

「爆笑問題 太田光 」氏
清志郎さんと初めて会ったのは、
この雑誌の連載で、
私が政治について、
「投票率なんか低い方が良い。
興味がなければ、選挙なんか行くな」
と書いたとき、
その文章に清志郎さんが怒り、
一度会いたいということで、
対談という形でお会いすることになったときだった。
指定された店で私は、
怒られるんだろうなぁと思い、
少し憂鬱で、
それでも清志郎さんと会えることは楽しみで、
緊張しながら待っていた。
そこへ清志郎さんは、
ホラ貝を吹きながら突然現れて、
「キミはケシカラァ~ン!あんなことを言っちゃイカァ~ン」と、
とても照れくさそうに、下を向きながら言った。
私は楽しくて、大爆笑してしまった。
清志郎さんは、
「キミのような影響力のある人が、
若者にアンナこと、
言っちゃイカァ~ン」と言っていた。
私がそれに反論すると、清志郎さんは、
「…うん。…うん」とジッと聞いてくれた。
私は、政治家なんかに世の中は変えられない。
それよりもRCの、
たった一曲の歌の影響力の方が全然強い。
政治なんかに期待することなんかないじゃないですか、
と熱弁した。
清志郎さんは、私の話を全部肯いて聞いてくれて、
私が話し終わったあとに、
「…それでも、あれは、イカン!」と、
またホラ貝を吹いて笑わせた。
その調子だから、論争なんかになりはしなかった。
今から考えれば清志郎さんは、
私と論争するつもりなど、
最初から、さらさらなかったのだとわかる。
私はあのとき、
自分ばかり言いたいことを言って、
いい気持ちになっていた。
“清志郎に、言ってやった”つもりでいた。
しかし私があのとき言ったことなんて、
清志郎さんは百も承知だったハズだ。
自分が影響力があるからこそ、
清志郎さんは真っ直ぐに若者に向かって、
「意識を持て」というメッセージを送っていた。
だから、無責任な主張を垂れ流してる、
私の言葉と態度が許せなかったのだ。
でも、だからと言って、
あの場で私を“言い負かすこと”なんかに、
清志郎さんは何の興味も持っていなかった。
だから、私がどうケンカを吹っかけても、
その度にホラ貝を吹いて笑わせた。
勝負だなんて思っていたのはこっちだけで、
清志郎さんは青臭い若造と勝負しようなんて気は、
初めからさらさら、なかったのだ。
(「テレビブロス」2009年5月30日号より)

12月13日(木)
湘南鵠沼海岸より。今日の富士山は絶景です。
「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。~公の問題に押しつぶされず、それぞれがかかわる身近なものを、一番大切に生きることだろ う。」吉本隆明はそう語っています。一面ではその通りだと思います。けれど、「公の問題」と「私的な問題」は完全に切り離すことができない関係にありま す。「身近なもの」を大切にしながら「公の問題」にも意識を向けてゆくべきなのでしょう。そんなことを考えていました。
寛容、謙虚、遊び、ユーモアを忘れずに。
しっかり考えて、日曜日は投票に行きましょう。

2012年9月30日日曜日

UMISAKURA MUSIC FESTIVAL 2012」に参加して感じたことー「LONELY」を経た「TOGETHER」

今年のUMISAKURA MUSIC FESTIVAL (以後「海さくらフェス」と表記)は、江ノ島から三浦市三崎町にあるシーボニア野外に場所を移して開催された。今年から自分は、ミュージックプロデュー サーという役割を終えて1出演者としての参加になったけれど、このフェスに対する思い入れは、立場が変わっても特別だ。
会場では、各地方からやってきた多くの知人と再会することができた。今年は特に、東北の被災地から足を運んでくれた人達が多かった。
 イベントを主催する海さくらのスタッフの中には、お客としてこのフェスに参加したことがきっかけでスタッフになった人が何人もいる。
 とにかく年を重ねて、スタッフ、お客、出演者を問わず、知った顔がどんどんこのフェスに集まるようになった。海さくらフェスは、ただ1日の刹那的なお祭りの場ではなく、「繋がり、持続してゆく何かが生まれる場所」なのだと思う。
 このような場を作った張本人は、海さくら代表の古澤君である。彼とは、考えの違いでぶつかり合うこともあったけれど、その情熱と誠実さに裏切られたことは、今迄一度もない。
 今回司会を勤めたルー大柴さんと内田恭子さんも、古澤君の情熱に巻き込まれた人達だ。特にルーさんは今年に入ってから、海さくらが主催する江ノ島でのゴ ミ拾いにも参加し、復興支援のため古澤君らと何度も被災地を訪れている。単にメジャーな人を呼んで司会をしてもらったという関係性では全くないのだ。
 この日会場に足を運んでくれた人達には、そういった関係性の中で、このフェスが成り立っていることが伝わったんじゃないかと思う。関わっている人達の熱量、思い入れ、繋がりがこれだけストレートに伝わるイベントもなかなかないと思う。
 今年の海さくらフェスには「TOGETHER」というサブタイトルがつけられた。自分は勝手に、その言葉の裏に、長い孤独な時間の積み重ねをイメージした。自分にとっての「TOGETHER」は、「LONELY」を経てこそ成り立つものだ。
 イベント終了後に会場で、福島県相馬市から足を運んでくれた知人夫妻としばらく話をさせてもらう時間があった。震災以降、メールと電話では何度もやりと りしていたけれど、こうやって顔を付き合わせてしっかりと話をさせてもらうのは久し振りのことだった。
 3.11以降の2人の思いをダイレクトに受け取って、色々と感じるものがあった。しばらく話をした後に、「やっと話すことができました」と話す2人の表 情が、なんだか少し肩の荷が降りたといった感じだったのが、印象に残った。誰にでも話せる思いではなかったのだろう。多分2人は震災以降、多くの人達と支 え合う一方で、さまざまなことに気づいてしまったが故の孤独感、孤立感、違和感も深めていたのではないかという気がした。
 この日の会場には、スタッフ、出演者も含めて、震災以降、2人と同じような気持ちを抱いていた人達が多く集まっていた気がする。そういう人達が
「TOGETHER」できる場所が、海さくらフェスだった、と言えば大げさすぎるかな。この日の海さくらフェスには、「LONELY」を経た「TOGETHER」が、方々で成り立っていたと思う。
 この実感を大切に、次につなげてゆきたいと思う。

2012年9月10日月曜日

フクシマで「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」を歌う

16日に京都の実家で大文字の送り火を見た翌日、東北の福島市に向かい、福島駅近くで開催されたサーキット形式の街フェ ス「福島クダラナ庄助祭り」に参加させてもらった。イベントの首謀者は、ミュージシャンのマダムギターこと長見順さん、ギターパンダこと山川のりをくん、 そして漫画家のしりあがり寿さん。この3人が関わっているだけあって、他のフェスではお目にかかれないであろう実に多彩で個性的なアーティストが福島に集 まった。
 今の福島であえて「意味のないくだらないことをやる」には、それなりの信念や決意が必要だったに違いない。けれど、自分の見た限り、このフェスには、信 念とか決意とかいった堅苦しい言葉がちっとも似合わないユルい空気がそこかしこに漂っていた。まさに、その空気こそが、このフェスの目指そうとしたもの だったのだろう。
 自分も、この日は、いつも以上に堅苦しいこと抜きに、楽しいステージを心掛けるつもりではいたけれど、あの曲は避けて通るわけにはいかなかった。東北の 地で「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」を歌うのは、この日が初めてだった。集中して、力み過ぎず、想いを込めて、歌うことができたと思う。

 YouTubeでこの曲を公開して以来、東北に暮らす何人もの知人から連絡をもらった。彼らの曲への感想を通じて、3.11以降、東北に暮らす人々が抱え続けている想いの一端を知ることができたような気がした。
 福島県いわき市のライブハウスSONICのスタッフでもあるシンガーソングライターの三ヶ田圭三君は、この曲をライブでカヴァーして東北各地で歌ってく れているそうだ。三ヶ田くん以外にも、数人からこの曲を歌いたいとの連絡をもらった。どんどん歌ってもらいたい。
 山口洋のセッティングで4年前に熊本で1度だけ共演させてもらった大先輩ミュージシャン野田敏(ex.メインストリート)さんから、先日、思いがけない 電話をいただき、「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」への感想を聞かせてもらった。「こういう歌を歌ってくれる人は今迄いなかった。歌ってくれてありがとう」敏さんから、こんな言葉をもらっ て、とても勇気づけられた。
 6月に曲を書いて公表して以来、曲を通して、さまざまな想いに触れ、いろいろと考えさせてもらっている最中だ。そのことによって、歌への向き合い方にも 変化が生まれ、自然、歌唱法も、短期間で随分と変わった。今は、歌い始めた当初より、もっと静かな気持ちで歌に向き合っている感じ。歌に込める祈りの要素 が強くなった気がする。そういう期間を経ていたから、フクシマでも意識過剰になることなく、落ち着いて歌えたのかもしれない。
 
 うだるような暑さの中で、この日の福島市街は、平静を装うように落ち着きはらって見えた。線量の高さは目には見えないのだ。福島に来て、なるべく地元の 人達の話を聞きたいと思っていたのだけれど、やはり1日滞在したぐらいでは、福島の現状は把握できないと思った。
 イベント会場で出会ったある東北の被災した街で暮らす知人は、自分に会うなり、地元の厳しい状況を吐き出すように話し続けた。「3.11直後は皆が協力 し合っていたけれど、余裕のない状況が続く中、次第にそれぞれの立場に違いが出てきて、『絆』という言葉が空々しく響きはじめている。」そんな話だった。
 原発事故の影響で線量の高い東北の街で暮らす知人からはこんな話を聞いた。「今、地元で自分の考えを述べることには、とても慎重になる。特に原発の話 は、同じ街に住んでいても、それぞれに立場、考えの違いがあるので、どうしても同じ考えの人同士でばかり話すことになる。」つまり、立場の違う者同士が、 議論、対話することが難しい状況だというのだ。
 これらの話を聞かせてくれた人達は、その状況をただ受け入れて嘆くだけでなく、どうにか変えてゆきたいと願い、自分なりのやり方で動き続けている人達 だ。自分は、彼らとの出会いを大切に、良き時間をシェアすることで、場をつなぎ、縁をつなぎ続けてゆけたらと思う。これからも何度でも東北に戻ってくるつ もりだ。
 9月末からはバンバンバザールと、10月後半からは、ケイヤンと一緒に東北をツアーする予定。最高の空気を集まった皆さんと一緒につくりたいと思う。

2012年8月23日木曜日

過去・現在・未来ー金沢・もっきりや、京都・拾得、里帰りライブ

8月11日の金沢・もっきりや、12日の京都・拾得でのライブは、自分にとって里帰り的要素の強いライブになった。
 初めてもっきりを訪れたのは、16歳の夏だった。当時、3つ上の姉が金沢の大学に通い、もっきりやでアルバイトを初めていたで、夏休みを利用して、会いに行ったのだ。
 そのとき、姉のはからいで、もっきりやでジャズピアニスト、山下洋輔さんのトリオ編成のライブを最前列で観させてもらった。
 最初は、目の前で繰り広げられるインプロビゼーションの嵐と、山下洋輔さんの打楽器のような激しいピアノプレイに、ただただ圧倒されていたのだが、その 内に頭がボ~っとしてきて、ライブ途中から、こともあろうに客席最前列でふらふらと船を漕いでしまった。
 とは言え、悶々とした日々を過ごしていたティーンエイジャーにとって、そのときに体験したライブのインパクトは強烈だった。演奏だけでなく、ライブ空間 のあり方そのものが、10代の自分に強い印象を残した。多分、あの時が「コンサート」とは違う「ライブ」というものを初体験した瞬間だったのだろう。その 日から、もっきりやは自分にとって憧れの場所になった。
 あれから30年以上の歳月が流れ、自分は16年前から演奏者としてもっきりやに通うようになった。マスターの平賀さんの印象は、高校生の時に初めて出 会った当時から、ほとんど変わらない。平賀さんは今も、音楽にときめき、憧れ続ける素敵なロマンチストだ。
 ツアーでもっきりやに到着したら、まずカウンター席に座って、平賀さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、スピーカーから流れる音楽に耳を傾け、音楽 談義に花を咲かせるのが、1つのセレモノーのようになっている。好きな曲のことを嬉しそうに思い入れたっぷりに語っている時の平賀さんは実にチャーミング で、こちらも幸せな気分になる。人を最も遠くへ連れて行ってくれるのは、きっと想像力なんだろう。平賀さんは、歌の中で何度も恋に落ち、終わることのない 旅を続ける「カウンターの中の旅人」だ。その恋は成就することがないから「カウンターの中の寅さん」とも言えるかも。
 もっきりやでは、無理せず自然に、たくさんのインスピレーションを受けながら演奏することができる。自分の可能性が引き出される感じ。この日も、まさにそんなステージになった。この感覚を忘れずにいたい。

 京都・拾得のステージに初めて立ったのは、自分が大学2回生だったか、3回生だったか。とにかく、それから4半世紀以上の歳月が流れたけれど、拾得の印象も、マスターのテリーさんの印象も、当時とほとんど変わらない。
 この日、拾得の入り口のドアを開けるとき、少しドキドキした。緊張と期待で胸を膨らませていた25年前の感覚がよみがえった気がした。
 拾得でワンマンライブをやらせてもらうのは、7年半振り。思い入れたっぷりの長いライブになった。
 この日は、学生時代からの音楽仲間で、80年代後半から、ずっと拾得のステージに立ち続けている中島英述(shakin' hip shake)と西山元樹(DayBreakers)をゲストに招いた。この機会を逃したら、今度いつ2人と同じステージに立てるかわからない。自分にとっ ては、とても貴重なタイミングだったのだ。この日のステージにおいて、2人は、自分の過去と現在を繋げてくれる存在でもあった。
 この日は、自分にとって嬉しいサプライズがあった。同じく学生時代からの音楽仲間であるサックス奏者の小松竜吉(ex大西ユカリ&新世界)が、前日に フェイスブックを通じて、この日のセッションに参加したい旨の連絡をくれのたのだ。断る理由はなかった。4人の出演者全員が互いに、学生時代からの音楽仲 間であり、長い歳月を経て、このように拾得のステージで再会を果たせることが、嬉しくて誇らしい気がした。音楽で食っていようが、いまいが関係なく、好き な音楽をずっとやり続けてきたからこそ、実現することのできた再会なのだ。
 ルーツを共有し、ずっと大切にしてきた4人だから、長い歳月を経ても、違和感なく音を交わし合うことができた。とても楽しくて、感慨深いセッションになった。この再会を皆が喜んでくれたのが、ほんと嬉しかったなあ。
 拾得は来年、お店をオープンしてから40周年を迎える。ライブの後に、マスターのテリーさんと奥さんのふうさんから、来年2月の40周年イベントへの出演のお誘いを受けたのも嬉しかったなあ。

 当たり前の話だけれど、今の自分は、過去からの積み重ねと、さまざまな出会いによって成り立っている。この日のゲスト3人も、拾得のテリーさんも、もっきりやの平賀さんも、今の自分を成り立たせてくれている大切な存在なのだ。
 未来に向かうためには、前ばかりを見るのではなく、過去を振り返り、確認することも必要だ。お盆の時期にふさわしい貴重な2日間だった。

2012年8月6日月曜日

8/25「UMISAKURA MUSIC FESTIVAL2012」開催に寄せて

「UMISAKURA MUSIC FESTIVAL2012」は、「江ノ島の海をきれにして次世代に残してゆこう」という趣旨で活動を続ける団体「海さくら」が’主催するライブイベント で、自分は’07年の1回目の開催からずっとこのイベントに関わり続けている。2回目の開催からはミュージックプロデューサーという肩書きをもらって、出 演者としてだけでなく、イベントスタッフの一人として、出演者のブッキング、ステージ構成、プロモーションなどにも関わるようになった。
 海さくらフェスは今年から開催場所を江ノ島から三浦市三崎町のSEABORNIA(野外)に変え、あらたなスタートを切ることになった。自分は今年から は、ミュージックプロデューサーとしての役割を終え、1出演者としてイベントに関わらることになったのだけれど、今迄、海さくら代表の古澤君はじめスタッ フの皆と一緒に、海さくらフェスを育ててきたという自負があるので、スタッフの一員ではなくなった今も、イベントに対する思い入れは深い。どんな形であ れ、このイベントが続く限り、これからもずっと関わらせてもらえたらなと思っている。
 この6年間、海さくら代表の古澤君が、さまざまな人達とかかわり合い、繋がってゆく様を、見続けてきた。彼の打算のない真っすぐな情熱が、多くの人の心を動かし、繋がりの輪はどんどん広がり続けている。
 今年の海さくらフェスには「TOGETHER UMISAKURA ×MY LIFE IS MY MESSEGE」というサブタイトルがつけられた。3.11の震災以降、被災地支援の活動を続ける海さくらと、HEATWAVEの山口洋が立ち上げた被災 地の相馬市を支援するプロジェクト「MY LIFE IS MY MESSEGE」が関わり合うことは、自然な流れであったように思う。きっと、今迄の海さくらフェスにはなかった色合いが加わり、あらたな化学反応が起き るに違いない。その化学反応と新しい出会いを、自分も多いに味わい、楽しみむつもりだ。

 自分は今年はMAGICAL CHAIN CLUB BANDの一員として参加。例年以上に弾けたステージお見せします!
 このイベントに参加してもらえば、奏でられる音の全てが、さまざまな繋がりの中で成り立っていることを実感してもらえると思います。自然に囲まれ、潮風にふかれながら、ゆったりと音楽を楽しめるライブフェスです。ぜひ、ご参加下さい。


※昨年の「UMISAKURA MUSIC FESTIVAL」の写真を添付しました。


 海さくらフェスの出演者を紹介する海さくらトゥギャザーTV第4弾にMAGICAL CHAIN CLUB BANDが登場。主催者と出演者のイベントへの想いが伝わるTVです。

2012年7月31日火曜日

人もコントロール不能な「自然」である

7月半ば、ケイヤン(ウルフルケイスケ)との充実した2人ツアーを終え、帰宅してからの数日間は、何もやる気が起こらなかった。嫌なことがあったわけでもないのに、気分が鬱々として、前向きな考えがちっとも浮かんでこないのだ。
 これは、長年続けているツアー暮らしの中で、程度の差こそあれ、毎度のように繰り返されている症状である。それで、ある日の朝目が覚めたら、特に何かい いことがあったわけでもないのに、すっと心に晴れ間がのぞいていて、何となく立ち直る、というのがよくあるパターン。身体も心も気紛れなところがあって、 どれだけ経験を積み重ねても、完全にコントロールすることができない。
 それにしても、今回は立ち直りにいつもより時間を要した。心身の疲れに気づかないまま、長時間スイッチをオンにし過ぎていたようだ。調子に乗り過ぎたんやな。
 気分がロウの時に「焦り」は禁物だ。そうなってしまったら、仕方がないと、なるべく諦めてしまうよう心掛けている。自分の身体も「自然」であり、「自 然」を完全にコントロールすることなど不可能なのだ。身体と心はつながっているのだから、身体がくたびれたら、心もくたびれるのが当然。抗うばかりではな く、「自然」に身を委ねることも大切だ。そうすることで、思いがけないギフトを受け取ることもある。
 あまりきついスケジュールを組んで、自身を管理しようとし過ぎないことだ。それは、「自然」に対する人間の傲慢さのあらわれと言えるかもしれない。もっと「ゆるさ」を保ってやろう。でも、やりたいことが色々とあるんやなあ。欲深い人間だと思う。

 「『自然』を完全にコントロールすることなど不可能である」という認識がもっと一般的になって、社会のシステムに反影されるようになれば、世の中は随分 と変化するだろう。そういう認識の元で、原子力発電所は存在しえないはずだ。逆に言えば、自分達の「自然」に対すると認識と姿勢が、原子力発電所を生み出 し、それらを維持させる一因になっているとも言えるんじゃないだろうか。やはり、他者に対してばかり変化を求めても、世の中は変わらない。自身も変わらな きゃ。
 言うは易く行うは難し。自分を変えるって、そんなすぐできることとちゃうわなあ。


 今日は自宅近くの海岸で、ゆるく夕暮れ時を過ごした。自分にとっては最高のチャージ場所。そのときの写真を添付します。お裾分けになれば。
ー2012年7月31日


2012年7月28日土曜日

デモに参加する人、しない人ー補完し合う関係

「脱原発のデモに行く人に対して、デモに行かないというスタンスをとる人は、デモに行くという行為と対立しているのではなく、デモに行くという行為によって削ぎ取られるある部分を補完している……と考えるのです。」
作家の田口ランディーさんのブログから引用させてもらった言葉だ。

「反発とか、批判とか、憎しみとか、怒りとかは、その対象を大きくしてしまうだけのような気がして、そういうやり方でなく、静かに、愛の中で、良い方向に導くことができないものかなあ、と、ここのところ考えている。」
これはfacebook上で見つけた、ある知人女性の言葉だ。

 自分をデモ参加に駆り立てた感情の1つに「怒り」があったことは間違いない。大飯原発の再稼働を受けて、それは、しごくまっとうな感情だったと今も思っ ている。けれど、彼女が危惧するように、「怒りや憎しみが、その対象を大きくしてしまう」ことも確かなのだ。
 「怒り」や「憎しみ」といった感情が、人間から完全に消え去ることはないだろう。だから大切なのは、「自身がそれらの感情にどう向き合い、いかに行動するか」なのだと思う。「怒り」にまかせた言行がもたらすものを自覚するべきだ。
 どんな状況においても、「静かな愛」を持ち続けていたいと思う。けれど、自分も含め、そこまでできた人間はそうそういない。だからこそ、田口ランディーさんが言う「補完し合う関係」というイメージが大切になってくるように思う。
 facebookで先の文章を掲載した女性の「静かな愛」が、正義感にかられ、怒りに震えて行動することによって失ってしまう何かを、補完してくれている。自分はそのように考えながら、明日の脱原発国会大包囲のデモにも参加しようと思う。
ー2012年7月28日(土)

※添付した写真は、大飯原発前での抗議集会に参加した女性が撮影してfacebookに掲載したものを、使用させてもらいました。

2012年7月24日火曜日

1枚のデモ写真ー「祈り」の感性

添付した写真は、7月6日に行われた官邸前抗議集会で撮影されたものだそうだ。フリーランスのフォトグラファー佐藤哲郎 氏が撮影し、facebookに掲載していたのを見て、感銘を受け、このブログに添付させてもらった。できれば写真をクリックして大きな画像で見てほし い。

 自分はこの前の週に、同じ官邸前で行われていたデモ集会に参加していた。まだ集会場所が警察によっていくつかに分断される前だったので、デモの全容を歩 いて確かめることができた。官邸前の車道は開放され、抗議の人であふれかえり、熱気が充満していた。何か祝祭空間の只中いるような感覚もあり、殺伐とした 空気はあまり感じられなかった。今行われているデモが、イデオロギーを超えて、多種多様な一般市民が参加する、非暴力のデモであることを、はっきりと実感 したことを覚えている。参加者の中に女性が多かったことも印象に残った。

 この日、夕方からのデモに参加する前に、若松孝二が監督の映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」を横浜で見た。映画の主人公、三島由紀夫は じめ、盾の会や全共闘の若者達、自衛官他、登場人物は、三島由紀夫の妻、三島瑤子をのぞけば、全員が男性であった。映画の中で三島瑤子の存在はひどく浮い ていて、男達の中で蚊帳の外という印象を受けた。左であれ右であれ、当時の活動家のほとんどは男性で、その傾向は今もそんなには変わりがないのだろう。 70年安保当時のデモや集会を組織し、参加していた大半も男性であったと認識している。
 理不尽な出来事に遭遇したとき、男性は、「怒り」の感情に支配され、行動する傾向が、女性よりも強いと思う。この日観た映画の登場人物の多くも常に怒り、憤っていた。これまでの社会運動には、そのような男性心理が大きく作用していたように思う。
 自分はこれまで、デモとは「怒り」をぶつける場であり、場合によっては実力行使も辞さない、ある程度の暴力を肯定する場であるという印象を持っていた。 けれど官邸前の抗議集会に何度か参加してゆく中で、その認識が変わっていった。添付させてもらった写真が、官邸前でのデモのありようの一端を象徴している ように思う。
 女性をはじめ、多様な人達が参加することによって、デモに「祈り」の感性が加わることは、とても大きな変化だと思う。デモという主張のあり方が、かえっ て2項対立を深め、憎しみを増幅させてゆく危険を孕んでいることは否めない。しかし、そこに「祈り」の感性が加わることで、社会運動にあらたな可能性が生 まれるように思うのだ。そのような運動には、即効性を求めすぎるべきではない。長く続けることに意味を見いだすべきだと思う。
ー2012年7月24日(火)

2012年6月29日金曜日

清志郎さんが生きていたら

MAGICAL CHAIN CLUB BANDの4人で、新曲「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」をレコーディングした。この音源を、近日「You Tube」で公開する予定だ。
 昨日までの3日間のレコーディング&リハーサルの間に、ケーヤンと一緒に新たに新曲を完成させた。既に4人でアレンジも考えたので、30日の柏でのライ ブで演奏するつもりだ。ここにきてまた、日々の刺激が、曲作りに反映されるようになってきた。MAGICAL CHAIN CLUB BANDという新たな表現場所を持ったことも大きい。

 「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」をレコーディングするにあたっては、4人で色んな話をした。その中で、「清志郎さんが今生きていたら、どんな活 動をしていただろう」という話になった。多分、3.11以降、多くのミュージシャンが、そのことを想像したに違いない。
 清志郎さんならきっと、どんな状況下でも、自粛せずに、フットワーク軽く、その時に歌いたいことを、自分のやり方で、自由に歌っていただろう。正しいこ とを歌うよりも、その時の旬な思いを、自由に好きに歌うことの方が、清志郎さんにとって大切だったのではないかと思う。そのやり方を通すのは、勇気のいる ことだ。
 清志郎さんなら、再稼働反対の集会やデモには参加しただろうか?もし参加するとしたら、他の人とは違う形でその場にいた気がする。集会の列に皆と同じよ うに並んで、「再稼働反対」のシュプレヒコールに参加する姿をあんまり想像できないのだ。もしかしたら集会場所でいきなり、ゲリラライブをやったかもしれ ない。「サマータイムブルース」の後に「烏合の衆」とか歌ったりして。

 今回の3日間のレコーディング&リハーサルの現場では、再稼働反対のデモのことも話題になった。そのとき、話に参加していたエンジニアのH君が、「デモ で『再稼働反対』って叫ぶよりも、『電力自由化』を主張したほうが、(廃炉への道のりが)早いんじゃないですかね」と言っていたのが印象に残った。反対ば かりするよりも、具体案をもっと皆で主張した方がいいのではないかということだった。一理あると思った。

 時間があるので、今日も首相官邸前の抗議集会に参加するつもりだ。時代を変えようとするエネルギーの渦の中に、自分の身を置いてみたいと思う。実際に、 その場に行ってみなければ、わからないこともある。自分は「変わらない」ことよりも「変わる」ことを選択したい。きっとその方が、楽しいと思うから。
ー2012年6月29日(金)

2012年6月27日水曜日

新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」を歌う〈2〉ーコミュニケーションの回路  

今月9日に大阪で「大阪うたの日コンサート」に参加した翌日10日には、東京へ向かい、「東京うたの日コンサート」のイベントシリーズの一環として開催さ れた渋谷BYGでのライブイベントに参加した。共演者は同じピアノ弾き語りの矢野絢子ちゃん。絢子ちゃんのサポートには、黄啓傑(tp)、富永寛之 (g,b,etc)、平井ペタシ陽一(dr)が参加。
 前日に続いて、この日も自分のステージの本編ラスト曲で、新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」を歌った。演奏には、トミヤン(富永寛之)とコーチャン(黄啓傑)が参加してくれた。
 前日と同じように、アンコールでは出演者全員でセッション。この日のライブも素晴らしい共鳴空間が生まれた。BYGではいつも、現在進行形の旬な自分を表現できる気がする。

 BYGでそのまま行われた打ち上げの席で、ちょっとしたハプニングが起こった。宴が半ばにさしかかった頃、既に酔いの回っていた知人の一人が、オレに対してこんな疑問を投げかけてきたのだ。
 「リクオさん、何でああいう歌を歌う必要があるんですか?」
 その場にいた皆の注目がその知人とオレに集まった。ああいう歌とは、新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」にことだった。
 「自分は、音楽に、ああいう具体的な主張や、現実に戻されるような表現を持ち込んでほしくない。今は、反原発という主張が1つのファッションになってい て、多くの人はその流れに乗っかっているだけではないか。自分には正直、原発の問題を自分のこととして感じることができない。はっきりとしたリアリティー を持てない。何が正しいのか、よくわからない。反原発の空気を感じる程、自分の中で反感が大きくなって、原発推進派に回りたい気分にさえなってしまう。た だ、リクオさんの曲の歌詞を聴いて、自分が抱いていた反原発のイメージとは違うようには感じた。けれど、リクオさんの歌が何か答を示してくれているわけで はない。反原発の人達には、もっと納得できる原発停止後のビジョンを見せてほしい。」
 このような言葉を、その知人から投げかけられることは、予測していなかったので、不意をつかれ、戸惑いはしたけれど、感情的にはならなかった。彼の言葉 のすべてを、そのまま鵜呑みにすることはなかった。その言葉のトーン、彼がかもしだす雰囲気、表情の中に、何か切実さを感じた。
 彼の問いに対しては、結構冷静に、丁寧に応じられたように思う。けれど、彼が期待するような明確な答を提示することはできなかった。自分も問いかけ、探し続けているさ中なのだ。
 彼は、何かに傷つけられ、疎外感を抱いているようだった。ただ、自分を傷つけ疎外するものの正体が、自分でもはっきりとわからず、いら立っているようにも見えた。普段は、穏やかでマイペースに見える彼の、このような内面を始めて知った気がした。
 知人の言葉には同意できない部分も多かったけれど、話を聞く程に、彼が抱く疎外感が、3.11以降自分が抱き続けた違和感と通じる部分があるように思え てきた。例えば、自分は、あの高揚をともなった正義感が持つ傲慢さ、圧力に、疲れ、どこかで傷ついてもいた(自分自身の中にもそのような傲慢さがあるのだ が)。彼も似たような感覚を持ったのかれしれないと思った。
 ただ、自分と彼の違いは、「用意された答などない、問い続けながら動くしかない」ことに対する自覚の違いかもしれない。
 その知人とは朝迄飲み明かした。2件目のお店では、知人が自分の生い立ちを話して聞かせてくれた。10数年の付き合いの中で、始めて聞く話ばかりだった。
 その夜を通して、彼との距離が以前より、縮まったような気がした。考え、意識の違いの溝が、そんな簡単に埋まるわけではないけれど、コミュニケーション の回路を探し続けた者同士としての共感のようなものが、互いの中に生まれた気がした。顔をつきあわして会話しなければ、このような共感は生まれなかっただ ろう。
 ー2012年6月27日(水)

2012年6月23日土曜日

「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」の反響ー何かを選択するということ

6月8日早朝に「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」という曲を書き上げて、その翌日には、MAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)の新曲として、大阪のステージで演奏した。その約2週間後にはバンドのメンバーと曲をレコー ディングし、7月4日、YouTubeに曲を公開した。
http://www.youtube.com/watch?v=mmX6z_V4wLM&feature=youtu.be
 曲を書いて以来、短期間で、さまざまな反応を受けとり、色々と考えさせられることが多かった。すぐには考えがまとまらず、ツアーとレコーディングに明け暮れていたこの数週間は、なかなかブログを更新することができなかった。

 この一月半程の間で、とにかく議論、対話の機会が増えた。「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」という曲が1つのきっかけやテーマになって、自分の前で色んな人達が、隠していた思い、もやもやしていた気持ちを言葉にし始めた感じた。そ ういう状況を自分自身も求めていたのだと思う。もっと議論、対話の機会が増えて、さらに波紋が広がってゆくことを期待している。
 今は、自分の考えを表明して、波紋の輪をつくることによって、対話を深めてゆくことが、世の中にも自分自身にも必要だと感じている。そのために曲を書い たというわけではないけれど、そういった思いが、曲作りやその後の自身の言動に反影されたことは確かだと思う。
 大げさに聞こえるかもしれないけれど、今の状況は、自分達の生き方から国家というもののあり方までを問い質す、大切な機会だという気がしている。そう いった問いかけとその先にある選択は、これからもまだまだ続けられてゆくべきだ。原発がなくなればそれですむという話では全くないのだ。 

 「ライブで政治や原発に関する曲を演奏したり話すことは控えてほしい」この数週間の間に、数カ所のライブイベント主催者側から、このような要請を受けた (要請する際、皆さん一様に申し訳なさそうでした)。自分は元々、音楽活動を通して政治的、社会的な発言を積極的に行うタイプではないのだけれど、「アリ ガトウ~」を公表してからの短期間で、先方の自分に対する認識が変わったようだった。こういう曲を公表することが、あるレッテルを貼られることにつながる のかなあとも感じた。
 少し前にあるライブの主催者側から突然、予定されていたライブを中止にしたいという連絡がきたときは戸惑った。理由を確かめると、やはり「アリガトウ ~」を公表したことが中止にしたい要因とのことだった。その後の主催者側との話し合いによって、結局ライブは予定通り開催されることになったのだけれど、 この出来事によって、多くのことを考えさせられた。
 主催者側とじっくり話をすることで、相手の事情も理解できた(またいつかこの話ができる機会があればと思ってます)。話を聞いて、自身の想像力の欠如を 感じた。相手が隠さずに事情を話してくれたこと、しっかり向き合って対話してくれたことに、心から感謝したい気持ちにもなった。

 「アリガトウ ~」を歌うことで、自分はある選択を公言した。何かを選択するということは、結果的に何かを切り捨てることだ。自分が切り捨てたものに目を向けることを忘 れちゃいけない。曲を書き、その反響を受け取ることで、あらためてそう感じさせられた。
 振り切った表現は、常に誰かを傷つける可能性を持っている。いや、表現という行為自体が、誰かを救うだけではなく、傷つける可能性を含んでいるのだろ う。立場や意見の違う人間を記号化しないこと。血の通った人間の一人として想像すること。対話をあきらめないこと。他者を思いやること。それらのことを肝 に銘じておこうと思う。

 「アリガトウ ~」をラブソングだと言ってくれる人がいたことは嬉しかった。さまざまな反応があったけれど、曲自体や、その演奏が評価されることが、ミュージシャンとし ては、やっぱり嬉しい。そして、批判を多く含んでいたとしても、たくさんの人に聴いてもらえるのが、やっぱり嬉しい。一番悲しいのは無視されることだ。
ー2012年6月23日(月)

2012年6月22日金曜日

官邸前抗議集会の熱気と日比谷で見た夕陽の美しさ

 首相官邸前での原発再稼働反対の抗議集会に参加する直前、日比谷で素晴らしく美しい夕陽を見た。しばらく夕陽に見とれていたので、集会に参加するのが少し遅れた。本当は、夕陽が沈みきるまで、眺め続けていたかったくらいだ。

 自分が官邸前に到着した時は既に、通りに長い長い人の列ができていて、方々からシュプレヒコールの声と打楽器の音が響きわたってきた。前回参加したときとは比べ物にならないくらいの人の数(主催側発表では4、5万人)と熱気だった。
 自分は元々、デモや集会に参加することに対して積極的な人間ではない。まず、自分自身の性格の問題があって、人と足並みを揃えるのが苦手なのだ。デモと いう主張のやり方が、ものごとを反対か賛成かに2択で割り切ってしまい、2項対立をより深めてしまう危険性があるのではないか、とも考えていた。デモや集 会に参加することで、自分が人から、ある種のレッテルを貼られてしまうことも危惧していた。
 それでも、抗議集会に参加しようと思った理由は、いくつかあるのだけれど、その内の1つを上げると、今ひろがり続けている再稼働反対のデモや集会のあり 方が、自分が今迄イメージしていた、かってのデモや集会とはかなり違っていることを知ったからだ。3.11以降のデモは、あるイデオロギーやセクトに属す る人達によって組織されているのではなく、世代もバックボーンも多岐にわたる、いわゆる運動家ではない、一般の人達の参加によって成り立ち、ひろがり続け ているようのなのだ。
 とは言え、3月に官邸前の集会に参加したときは、その場にあまり馴染めず、早い時間でそそくさと退散してしまった。ところが今回は違った。その場の熱気 と一体感に巻き込まれて、気づけば随分と気分が高揚していた。前回は参加しづらかったシュプレヒコールにも参加した。大きなエネルギーの渦中にいて、「こ れは、もしかしたら世の中が変わってゆくんじゃないか」という思いさえして興奮した。
 集会に参加した後、自分はツイッターで以下のようなつぶやきをした。
「首相官邸前の抗議集会、前回参加したときとは比べものにならないくらいのすごい人の数と熱気。4万人集まったとのツイートも。これで報道されなきゃおかしい。」
 集会に参加した直後の高揚が感じられる文章だ。このつぶやきに対しては、ほどなくして、以下のようなリプライがきた。
「妄想に取り憑かれたキチガイ」
 自分のこの日の行動とメンタルが、このような負の感情も引き連れてきてしまったようだった。
 多分、これから集会やデモに何万の人が集まろうと、この書き込みをした人の心をほぐすことはできないだろう。数や力や理屈では、他者と他者をつなぐ共感は生まれない。
 自分は、時間が許せばまた、デモや集会に参加しようと思う。いや、時間があっても気分が乗らなかったら、その日の参加はやめておこう。
 あの高揚をまた体験したいという思いがある一方で、自らの正義を疑い、
悶々としながら問いかけを続けてゆく作業を止めてはいけないと思う。デモや集会に参加することによって見失い、損なわれてゆく何かがあること、それらが2項対立を深める要素を持っていることを自覚しながら、デモや集会に参加しようと思う。

 このブログを書き綴りながら、集会に参加する前に、日比谷で見た美しい夕陽を思い出した。官邸前の集会に集まった多くの人達は多分、あの夕陽を拝むことができなかったに違いない。
 自分は、あの官邸前の熱気と、日比谷で見た夕陽の美しさの両方を皆に伝えたいと思った。

2012年6月21日木曜日

新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」を歌う〈1〉

 6日間の北海道ツアーから帰宅したその日の夜中から、曲作りにとりかかり、朝方に「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」という曲を完成させた。
 曲ができた日の午後からのMAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)のリハーサルに、早速その新曲を持っていった。曲に取りかかるにあたってまず、歌詞のコピー をメンバーそれぞれに手渡して、曲への思いを口頭で伝えた。いつも以上にメンバーからの反応が気になった。
 ケイヤン、寺さん、コミヤン、それぞれの心の内ははっきりとはわからなかったけれど、明日のライブでこの新曲をやりたいという強引な自分の希望を皆が受 け入れてくれた。限られた時間の中で、4人でアレンジをまとめ、なんとか本番で演奏できそうな見通しがたった。リハーサル後は、4人でケイヤンの自家用車 に同乗して、藤沢から大阪まで車を走らせた。
 車中は助手席に座り、自分がDJになって、自前のi-podでずっと曲を流し続けた。高揚していたのか、大阪に着く迄の間、睡魔に襲われることが一度もなかった。
 午前0時過ぎに大阪に到着して、オレと寺さんは共通の知人宅に同泊させてもらった。寺さんは、到着後あまり休む間もなく、ベースを持ち出し、夜ふけ迄、新曲の練習を続けていた。
 その間自分は、この日行われた野田首相の「大飯原発再稼働容認表明の記者会見」の内容をネットで確認していた。自分には一国の首相が詭弁でもって国民を 欺こうとしているように思えた。この人が守ろうとしているものは何なのだろうかと考えた。国益を守ることが必ずしも、国民の生活と命を守ることとイコール にはならないのだろう。
 この日は、なかなか寝付けなかった。やっとまどろんでも眠りが浅く、しばらくするとまた目が覚めてしまう。その繰り返し。寺さんも早朝に目を覚まして、再びベースを持ち出し、新曲の練習に取り組んでいた。

 この日のライブイベント「大阪うたの日コンサート2012」は、MAGICAL CHAIN CLUB BANDがホストバンドとなって、出演者全員とセッションすることになっていた。
 自分達がステージに上がった時点で、客席は既に出来上がった状態、熱気が充満していた。共演者である上中丈弥(THE イナズマ戦隊)、藤井一彦 (THE GROOVERS)、kainatsuさんとのセッションは、それぞれが多いに盛り上がった。会場中を素晴らしいエネルギーが循環し、皆が笑顔で、最高の 一期一会を分かち合っていた。
 藤井一彦とのセッションが終わった後、本編最後の3曲はMAGICAL CHAIN CLUB BANDが締めることになっていた。この締めの3曲の1曲目に、新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」を持ってきた。
 「感謝と怒りを込めて歌います。『アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所』」そんなMCの後、コミヤンのカウントで演奏が始まった。
 曲紹介のMCをしていたほんの数秒の間、普段のステージでは体験することのないきまりの悪さを感じた。特にステージ上で「原子力発電所」という言葉を発 することに、想像以上のためらいがあった。このハッピーな空間に、「批判」とか「怒り」の要素を持ち込もうとしている自分自身に抵抗を感じた。もちろん、 ある程度は想像していたことだけれど、こういう歌を歌い、演奏するのは踏ん切りのいることだということを、演奏直前の数秒の間に、より実感した。
 一方では、「ただの歌じゃないか、ラブソングの延長線上じゃないか、無責任に自由に歌えばいいじゃないか」とも思う。だから、このようなナーバスな心情を吐露することに恥ずかしさも覚える。
 この曲での4人の演奏が、この日のライブの中でも特にエモーショナルなものになったのは、そうしなければ気持ちを振り切ることができなかったからかもし れない。気持ちを振り切ってしまえば、サビで「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所~」と歌うことにカタルシスを感じた。

 清志郎さんや斉藤和義君が歌う原発ソングに対しては、その意義を感じつつも、正直、どこかで乗り切れないもやもやした気持ちも抱いていた。けれど、それらの歌が、3.11以降の1年数ヶ月の間、自分に何かを投げかけ続けてくれていたことは確かだ。
 首相官邸前の抗議集会に参加したときも、怒声のシュプレヒコールには加われなかった。けれど、そういう違和感を持った人間でさえ、抗議集会やデモに参加することに、意義があるんじゃないかと考えた。
 とにかく今は、自分なりに声を上げる時だという意識が高まっていた。そういった心境の中での曲作りは、今迄以上に、怒り、哀しみ、不安、恐れ、といった さまざまな負の感情に向き合う作業になった。けれど、それらを対象化して曲にまとめてゆく過程は、自分自身の救いになった。東日本大震災と福島第1原発の 事故から、ある程度の時間を経てからでないと、自分の中で、こういうタイプの歌は生まれなかったと思う。

 この状況で、いきなりこんな曲を演奏したら、かなりのお客さんが引くことは予想していた。誤解も受けるだろう。それはそれで、仕方がない。心に引きずる ものを持って帰ってくれればいいと思っていた。実際、演奏を終えたら、歓声も上がったけれど、やはりどこか微妙な空気が会場に流れているように感じた。そ の空気は、次曲の「ミラクルマン」でもまだ残っていた気がする。
 アンコールでは出演者全員によるセッションが繰り広げられ、微妙な空気は一掃された。とにかく、最高の盛り上がりの中でイベントは大円団を迎えることができた。
 ライブの後、関係者や出演者何人もの人達から「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」の感想を聞かされて、少しホットした。
 この歌を歌うことで、また、さまざまなことに向き合い、考えさせられるテーマを与えられることになりそうだ。

2012年3月23日金曜日

「Hobo Connection Vol.1」リリースに寄せて

「Hobo Connection Vol.1」リリースに寄せて
 このアルバムは、自分のCDデビュー20周年を記念して、2010年の11月から12月にかけて、大阪、東京、福岡、名古屋で開催されたライブイベント 「Hobo Connection」の、東京公演2日間の音源と映像を編集し、作品化したものです。アルバムには、イベントに参加してくれた37人のミュージシャンの 中から、29人とのコラボ演奏を収録しました。
 イベント開催にあたって、各出演者との綿密な打ち合わせやリハーサルは行いませんでした。当日の会場リハーサルでの音合わせのみで、本番のセッションに のぞんだ共演者もいました。細かい決めごとや段取りをなくすことで、瞬間のインスピレーションが高まり、コラボならではの化学反応が増幅されたように思い ます。
  イベントには、世代を超えて、実に多様な個性が集まりました。彼らをジャンルで括ることはできませんが、参加してくれた皆に共通して、それぞれの音 楽、パフォーマンスから、パーソナリティーが滲み出ていると思います。イベントを通じて、自分はやはり、その人のニオイが伝わる音楽が好きなんだというこ とを再認識しました。
 キャリアを積み重ねる中で、自分に求められるものが、少しずつ変化してきていると感じています。このイベントでは、「橋渡し」あるいは「媒体」としての 役割を意識しました。「HOBO CONNECTION」というイベントタイトルに、そうした意識が反映されていると思います。そしてこのイベントは、自分自身の過去、現在、未来が繋がる 機会にもなりました。
 アルバムの製作にあたっては、少し大げさですが、「この作品を残すことが自分の役割だ」という意識を持ってのぞみました。多くの人達のサポート、尽力に よって、アルバムが完成したことを、心から感謝しています。そして、この作品を通じて、自分が勝手に受け取ったバトンを、また誰かが勝手に受け取ってくれ ることを願っています。

 アルバムリリースに合わせて、明日から、下北沢ラ・カーニャ2days公演を皮切りに、各地でコラボ・ライブイベント「Hobo Connection 2012」が開催されます。このイベントが、来てくれたお客さん、関わってくれた人達すべてにとって、出会いと繋がりの場になればと思っています。
 ぜひ会いに来て下さい。一期一会の夜を共に楽しみましょう。
ーリクオ

2012年3月19日月曜日

西表島、ぜひまた!

午後からはイッケー君に島を案内してもらう。いや~、見るものも聞く話も新鮮で、楽しかったなあ。また来たい。いや、行くぞ! 

2012年3月18日日曜日

西表島初体験

沖縄県西表島 離島振興総合センター
 縁が繋がって、初めて西表島でライブをやらせてもらうことになった。この日はまだ3月だというのに気温が30度にまで上昇。石垣島と西表島は今日から海開きだそう。早!
 ライブを主催してくれたイッケーくんは、浜松出身33歳の若者。西表に来て11年になるそう。リハーサル前に、彼が車で島を案内してくれる。
 西表島の面積は石垣よりも広いけれど、人口は石垣の4万5千人に対して、わずか2千300人。平地が少なく、島の90%を亜熱帯の自然林で覆われた景色は、同じ八重山でも石垣とはかなり異なっていた。
 マングローブの森はこの島を特徴づける景色の1つ。川も多い。植物と生物が多様なのもこの島の特徴。イリオモテヤマネコへの注意をうながす立て看板を 方々の路肩で見かけた。イッケーくんが電線の上の鳥をさして「あれが天然記念物のカンムリワシですよ」と教えてくれた。
 田上が始まったばかりの水田地帯にも連れていってもらう。西表島で米作りが始まったのは戦後からなのだそう。イッケーくんが連れてきてくれた場所は、 10年前まではジャングルだった土地を切り開いたのだそう。開拓移住者による集落が多いのも西表の特徴。
 ライブ会場の離島振興総合センターは中学校の講堂を兼ねた場所だった。
 会場には子連れのお客さんが多く、ステージが進むに連れて、お母さんと子供等が演奏にあわせて楽しそうに踊りはじめた。とても自由で幸せな光景だった。 
 イッケーくんはじめ、イベントに関わってくれた人達は、ほんんどが内地から移住してきた若者達だった。彼らの多くは農業に従事していて、仲間の絆はとても強く見えた。彼らは生きてゆくための新しい価値観を求めて、この島に来たようだった。
 イッケーくんは、野外フェス好きが高じて、理想の祭りを求め、遠くアフリカにまで足を運んだそう。今は、西表島に出来る限り長く暮らし、この島から理想 の祭りを発信してゆくことがライフワークなのだそう。とにかくエネルギーに満ちていて、笑顔の素晴らしい若者だった。
 またいい出会いをもらった。

2012年3月17日土曜日

石垣にて

沖縄県石垣島 Jazz Barすけあくろ
 石垣に来ると、ほんと心がほぐれて、気持ちが解放されてゆく。帰ってきたという気持ちになれるのは、迎え入れてくれる人達がいてくれるからだ。 この日 も、ホテルにチェックイン後、すぐ自転車をレンタルして海沿い走った。これが石垣に来た時の恒例。気持ちよく走り過ぎて、リハーサルの時間に随分遅れてし まった。
 今回のライブでは、最近、すけあくろに入ったばかりだというアプライトピアノを弾かせてもらった。昭和37年生まれだというから、オレのお姉さん。柔らかい味のある音がした。
 いつもよりかなり長時間のライブになった。普段はやらない曲を何曲も弾き語った。リクエストにも数曲こたえた。すけあくろでしかできないライブになった。どこでも、その場所でしかできないライブをやりたい。それが楽しい。
 ライブ中から泡盛を飲み続けてとても気持ちよく酔っぱらった。アホなことをたくさん喋った。知人の相談にも乗った。ほとんど話聞いてただけやけど。
 暖かくて、懐かしくて、楽しくて、ちょっと切ない気分になったのはなんでかな。 

 

2012年3月16日金曜日

五感で繋がるー那覇で感じたこと

沖縄国際アジア音楽祭?musix2012? ライブハウスサーキット@桜坂劇場
【会場】桜坂劇場ホールA
出演:新良幸人withサトウユウ子/下地勇/リクオ
 石垣島出身の歌者、新良幸人くんと沖縄在住のピアニスト、サトウユウ子さんのデュオ録音によるアルバム「浄夜」は、昨年自分が聴いたアルバムの中でもベ ストの1枚だった。そんな二人に加えて、宮古島出身のシンガーソングライター、下地勇君とも久し振りに共演できるということで、この日のイベントに参加で きることが、とても楽しみだった。
 この日の那覇は26度を超える陽気。吹く風が実に心地よく、最近何かとせかされていた自分の心が、柔らかくほぐされてゆく気がした。

 新良幸人くんとサトウユウ子さんの演奏にはリハーサルの時から聴き入ってしまった。
 3.11以降、「繋がり」という言葉が、さかんに使われるようになった。自分自身も、その言葉をことあるごとに使ってきた。ただ、そこで言う「繋がり」 は、人間同士の繋がりだけを指していることがほとんどだったように思う。けれど、この時代の転換点において求められるのは、人間同士の繋がりだけではない はずだ。
 幸人くんや勇くんの音楽に触れると、彼らが生まれ育った土地の風土や歴史、自然との繋がりを強く感じる。とてもひろく響き合おうとする音楽だと思う。
 彼らの音楽からは、風の声や潮騒が聴こえ、懐かしい景色がひろがってゆく。ニオイや味も伝わってきそうだ。頭でっかちじゃない五感の豊かな音楽なのだ。
 そう、理屈や気持ちだけじゃなくて、もっと五感で繋がってゆくべきなのだ。今の日本で暮らす自分達に、決定的に欠けている点は、そこなんじゃないだろうか。「繋がり」という言葉の意味をもっと問い直すべき時なのかもしれない。

 アンコールでは出演者全員でセッション。幸人くんの名曲「満天の星」ではサトウユウ子さんとピアノを連弾した。素晴らしいセッションになった。この感覚を忘れずにいたい。
 もっと多くの人が、都会の中でも「満天の星」を感じて暮らしてゆけたら、人々の意識や価値観は随分と変わってゆくに違いない。