2013年1月25日金曜日

「相互作用」の可能性ーナルシシズムを超えて【前編】

最近、自分の頭の中でリフレインされている言葉の1つが「相互作用」です。同じような意味で「インタラクティブ」というカタカナが使われることが多いようですが、自分には、「相互作用」という言葉の方が、意味がストレートに伝わって、しっくりくる気がします。
 ツアー暮らしを続ける自分にとって、ライブはまさに「相互作用」の現場です。「相互作用」によって生まれる何かが、自分にとっての「ライブ」だとも言え ます。それは、相手を受け入れ、共感を生み出すことによって、他者同士に気づきと変化をもたらす態度だと理解しています。音楽生活を通して、そのような態 度を試みることで、ほんの少しづつですが、確かに自分自身が変わり続けているという実感があります。

 ステージに上がるときは、ライブの絵をあらかじめ描き過ぎないよう心掛けています。柔らかい心を保ち、視界をひろげることで、その場のエネルギーを循環 させて集中力を高め、すべてと響き合い、導かれるように絵を描いてゆく。そんなイメージを大切にしています。
 ちょっと表現がきれい過ぎたかもしれません。実際の自分のライブの多くは、こういう文章がイメージさせるよりも猥雑でくだけた空気の中で行われています。特にソロでの弾き語りスタイルだと、そういった要素が強くなります。
 ホールではないライブハウスやバー、カフェ等、飲食ありの小さなスペースのお店で演奏する場合は、あえて曲順や構成をしっかりと決めず、なるべくその場 の空気を受け入れながら、ステージを進行してゆくように心掛けています。そういう場では、演奏中にアルコールを摂取することが多くなります。おすすめでき るスタイルではありませんが、適量のアルコールは気分をリラックスさせ、視界を拡げ、自意識からの開放をうながす効果があります。ただ摂取が過ぎると著し く客観性を失い、演奏能力が低下します。
 大抵の自分の弾き語りライブはリラックスした雰囲気の中で進行してゆきますが、その中でも、ぐっと空気がひきしまる瞬間がやってきます。それは前半のダ イアローグ(対話)を経て、中盤以降、モノローグ(独り語り)の時間帯に訪れることが多いです。
 その瞬間をうまくつかむことができれば、集中力はさらに高まり、インスピレーションがわき起こり、どんどん未知の高みに昇ってゆくような恍惚の瞬間が訪 れます。その過程はとてもクリエイティブな時間です。その場やお客さんとの「相互作用」による共鳴、共感の過程がなければこういう体験は生まれません。
 そんな瞬間を経て再び訪れるダイアローグの時間帯、あふれるような開放感、多幸感の共有。大きな拍手、手拍子、笑顔、歓声。まさにライブの醍醐味です。気持ちよくて勘違いしそうになります。
 ステージ上でインスパイアされ、開放に至るあの瞬間が、自分が最も万能感にひたることのできる場だと思います。ただ、それが行き過ぎると色んな意味でやばいなという自覚があります。

 仏教用語で「魔境」という言葉があるそうです。禅の修行中に経験した恍惚感、覚醒感の衝撃によって、その体験が絶対無二になり、自分が知っていること、 信じていること以外のものを受け入れられず、排他的になり、攻撃性をも伴ってしまう、そんな状態を指しています。その結果、長年の修行者や指導者の中に も、自我が肥大して、高慢、傲慢な性格を醸成してしまう人がいるようです。
 自分の知る限り、多くのミュージシャン、表現者は、この「魔境」の状態に共通するような恍惚感を体験することで、「傲慢」を醸成しているように思いま す。そういった傲慢さに対して自分が過敏になりがちなのは、自分自身の中にも、そのような心持ちが存在するからです。
 ファンの側からすれば、その傲慢さが、その表現者の魅力と背中合わせになっていたりする場合もあるでしょう。けれど、その傲慢さはやがて、他人を巻き込んだりしながら、最終的には自分自身を追いつめてゆくことになると思います。
 中国唐の禅僧だった臨済という人は、「瞑想により仏陀や如来が現れたときは(瞑想内のイメージの)槍で突き刺せ」「仏見たなら仏を殺せ」と教えているそうです。なるほど。 
 「突き刺せ」とか「殺せ」とか言う言葉はちょっと物騒な気もしますが、恍惚に入り過ぎた自分自身に対して、もう1人の自分がつっこみを入れ、自身を笑い の対象にできるような心持ちでいたいなあと思います。オレもボチボチ、あんたもボチボチ、人間みなボチボチ、そんな感じでいいんじゃないかと。
 なんか話がえらいところへ行ってしまってるような。でも、この話は次回に続きます。(続く)
ー2013年1月25日(金)

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