2013年5月10日金曜日

「暗闇」の消失ーTPP、アベノミクスの時代の中で 暗闇の中で思い馳せる時間が生まれる。

闇の中で文明の灯がもっと奇麗に見える。もしかしたらここに光明がある。逆説的だが、節電の暗闇こそが光明の芽生えではないか。ー荒俣宏

この言葉に出会ったのは、3.11から2ヶ月を経過した頃でした。
自分自身、この時期、「節電の暗闇」の中で、かすかにではあるけれど、確かに「光明の芽生え」を感じていました。

自分が暮らす神奈川県藤沢市は、福島第1原発の事故の影響で、計画停電の区域に入りました。計画停電が実施された夜は、街の灯がすっかり消えてしまいまし たが、自分が通うような個人営業の飲み屋は、ロウソクの灯りなどで営業を続け、そこには多くの人が集いました。
行きつけのバーのマスターが、計画停電実施予定の夜に合わせて、地元のミュージシャンに声をかけて、何組かの「流し隊」を作り、他店と協力して、サーキッ ト形式の完全アンプラグドライブを企画したりして、停電の夜を楽しんでやろうという発想も生まれました。
計画停電実施の正否は別にして、そこには、暗闇の中で人が集い、希望を見出そうとする姿がありました。そういった姿勢は、自分が暮らす街だけでなく、ツ アー先でも、被災地でも、感じることができました。そこには、わずかではあるけれど「光明の芽生え」がありました。
不安、絶望感の中で、自分は次第に、新しい時代が始まる期待感も抱き始めるようになりました。舵を切り直すなら今だ。暗闇の中で立ち止まり、利潤と効率ば かりを追求する姿勢や社会システム、資本主義のあり方、国民国家のあり方、文明のあり方、生きる意味までをも問い直す時期が来たのだと感じました。
自分は性急な変化や革命を求める人間ではありませんが、3.11以降、もうこのままではだめなんだろうと感じて、「本質的な問いかけ」の時代が始まることを期待していました。
けれど、人間は、良い意味でも悪い意味でも、忘れやすい生き物だということを、この2年数ヶ月で、自省も込めて、多いに実感させられることになりました。

すべてのソウルにいつも灯がともるように
どんなやるせない夜でも
さまようソウルがいつか誰かに出会うように
光は闇の中に

これは、10数年前に自分が書いた「ソウル」という曲のサビの歌詞です。
3.11以降、自分の中で、この曲の響きや意味合いが変化しました。「光は闇の中に」という逆説的なフレーズは、それまで以上のアリティーを持って、自分の中に響くようになりました。
特に、3.11直後しばらくは「この絶望の中からでしか、明日は見出せない」という思いを強く持っていました。けれど、その気持ちを維持し続けるのは、正直しんどい作業で、次第に絶望からは目をそらしがちになりました。
自分が絶望から目をそむけたいという気持ちと、今のアベノミクスに乗っかりたいという”気分”には、共通したメンタリティーがある気がします。
アベノミクスと呼ばれる経済政策で景気が上向き、やがて内需が拡大すれば、それは、被災地の“復興”にもつながるでしょう。自分も、今の経済政策に不安を 残しつつ、景気の回復を期待し、被災地の”復興”を願う1人です。ただ、その“復興”は、「以前に戻す」ことではなく、新しい価値観による“創造”を伴っ たものであるべきだと考えます。

3.11から2年数ヶ月の間で、時代の空気はかなり変化しました。今年に入ってからも、随分空気や流れの変化を感じます。3.11をなかったことにしたい という無意識は、よりひろがりつつある気がしています。それは、何かや誰かを見捨ててゆくことにもつながるのだと思います。
今、TPPやアベノミクスの時代の中で、人々は「暗闇」を失いつつあると感じています。それはつまり、「明日のための絶望」や「本質的な問いかけ」が失われつつあるということです。「暗闇」が失われる程に、「光」は遠のいてゆくのだと思います。
ー2013年5月10日(金)