2013年7月23日火曜日

北海道中虹別にて

北海道ツアー中です。9日間で、6ヶ所を回る旅です。オホーツク海沿いの街、常呂町で、このブログを書いてます。
21日は釧路から網走行きの釧路本線に乗りました。湿地帯を走る車窓の景色が素晴らしかったです。摩周駅で下車して、そこから車で迎えにきてもらって、中 虹別へ。この日のライブ会場「月の森」は、廃校(旧中虹別小学校)を使ったスペース。ライブ主催者の永井さんが9年前に町から借り受け、イベントスペース に改装しました。
このあたりは酪農家の集落地で、回りは森と牧草地と農地ばかり。校舎前のグランドだった場所には蕎麦畑がひろがっていました。ライブをやらせてもらうのは 4回目になるのですが、この場所に人が集まってくるのが、毎回不思議に思います。なんだか宮沢賢治の童話や、宮崎駿のアニメの世界にいるような感じ。集 まってくれたお客さんは、もしかしたら森の動物達が化けてるんじゃないか、なんて妄想がひろがります。
ライブを行ったスペースは、元々職員室だったそうです。打ち上げも地元の皆さんと一緒にその場所で行われました。
打ち上げに参加した地元の人達の中に、京都から酪農家に嫁入りしてきたNさんという同郷の女性がいました。OLの仕事を辞めて、結婚して、越してきてから まだ1年も経っていないそうですが、こちらの暮らしが肌に合っていて、毎日が充実しているそう。毎回ライブに来てくれる酪農家のYさんは東京から越してき て、入植されて10数年。京都から嫁入りしてきたNさんが山本さんに興味津々で、さまざまな質問を投げかけている姿が、印象に残りました。東大を卒業後、 国家公務員としてこの町の近くにやってきたHくんは、今回、同僚の後輩の女性Oさんを連れてきてくれました。こういうイベントが、地元の人達同士の出会い と交流の場になることも多いんです。初対面の人も馴染みの人同士も、楽しくお酒を飲み交わし、宴は多いに盛り上がりました。
打ち上げでは、地元の酪農家の方々とTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)についての話もさせてもらいました。近年、跡継ぎ不足や生乳価格の低迷、飼料価 格高騰や猛暑による搾乳量減少などで、酪農をやめる農家が後を絶たないそうです。全道でこの1年間で約200戸が酪農を離れ、この集落でも、この10年で 3割程の酪農家が離農したそうです。
日本がTPPに参加した場合、日本の酪農は多大な影響を受けると言われています。TPPの影響を最も受ける都道府県は北海道ではないかという話を聞くこと もあります。100%を超える北海道の食料自給率(日本の平均は40%を切ってます)が、急激に低下し、地域社会、産業、地域経済の崩壊が懸念されていま す。
Yさんは、自分自身は乳牛のブランド化を成功させたことで、TPPからの悪影響をまぬがれることが可能だと考えているようでした。ただし、地域で生産され た生産物や資源(主に農産物や水産物)をその地域で消費する「地産地消」のあり方は難しくなるだろうとの予測で、やはり、そこにTPPが抱えるさまざまな 問題の内の1つがあると思います。
実は翌日に、次のツアー先であるオホーツク海沿いの町、常呂町の知人から、北見で行われるTPP反対のデモに参加しないかと誘われていました。移動の都合 も考えて、デモには参加しませんでしたが、昨夜、常呂町入りしての地元の皆さんとの飲み会では、TPPと今回の参議院選挙の結果が大きな話題になりまし た。この話は多分次回のブログで。
ー2013年7月23日(火) 

2013年7月19日金曜日

期日前投票を終えた後も、まだもやもやしてます

YouTubeで、ある候補者の演説をみて、ぐっときた。新しい選挙スタイル。違いを解して尊重し合い、和をとるテク ニックを磨く、 「戦う」「倒す」ではなく「語り合う」「分かり合う」、そういう姿勢に共感できた。時々恥ずかしくなることも言う。その「青さ」が魅力にも思えた。
また別の彼の演説をYouTube見たら、「あれ?」と思うことも言ってた。これは、足をすくわれそう。それでも、やっぱり惹きつけられた。勇気がある。 共鳴力がある。言葉が音楽になってる。キング牧師の演説を聞いたときもそんな風に思った。ヒトラーもそうだけど。
その候補者のことを調べてゆくうちに、同調できない言説もいくつか。ちょっと危うい。でも、この人、体験して変わってゆける柔らかさがあるんじゃないか。これから経験値を深めてゆける人ではないかと。そこに可能性を感じた。
「オレ1人に頼るな、人まかせにするな」と彼は訴えていた。カリスマが求められる世の中は不幸だ。3.11以降、よりそう感じるようになった。多分同じよ うに考えている彼自身もカリスマ性が高い。ルックスもよくって、意味を超えて共感させる力を持ってる。だから、危険性も孕んでる。その力をこれからどう 使ってくれるか。
彼が当選する可能性は低いみたい。死に票になってしまうのもなあ。でも、国会に行く姿を見てみたいなあ。

やっぱり、政治は政治のプロにまかせるべきなのか?現実的なスキルのある人に一票をたくすべきなのか?政治は残酷は現実の世界。甘っちょろい理想なんて通じないのか?
いや、今迄、プロにばかりまかせ過ぎた結果が、この状況ではないか?現実に流され過ぎた結果が、54基の原発を許し、あの事故を招いたんじゃないか?状況 を変えてゆくには、プロにまかせるだけでなく、アマチュアの視点や態度も必要なのでは?理想に走り過ぎるのは危険だけれど、3.11以降、理想の欠如に よってもたらされた社会のあり方に、違和感を強くしていたのも事実。
「理想」と言えば、時の首相も「理想主義者」の側面があるんじゃないか?こちらが描く「理想」とは大分離れているけれど、私利私欲の人ではないのかも。あ る意味、自分の「聖域」を大切にしている人、ピュアネスを維持してきた人なんじゃないか?もしかしたら、ピュア過ぎて、理念が強過ぎて、理念のために暴走 する危険があるんじゃないか?
今の世の中、酸いも甘いも知った叩き上げの人材って、なかなかいない気がする。多分、現代人は、総合力が落ちてる。情報量は爆発的に増えたけれど、体験値が少ない。だから、謙虚にフォローしあわわないと。
3.11以降、世の中には、理想が足りなかったんだと感じてきたけれど、もしかしたら今は、理想が暴走する危険性を孕んだ社会になるつつあるのかもしれな い。自分がみている現実がすべてだと思ったら間違い。見えてない現実がたくさんある。「理想主義者」はそのことを忘れがちなんじゃないか?どの方向に行こ うとも、極端に一方向に走ると「不寛容」がひろまり、対立がより深まる気がする。

いらついた誰かが、共通する考えが多いはずの候補者をツイッターで批判し始めた。その指摘が必ずしも間違いだとは思わない。でも、伝え方がよくない。話し合いの余地なしって感じ。遺恨が残りそう。
余裕がなくなるにつれて、寛容さが欠けてくる。それって、今の世の中そのものじゃない?「正しさ」をぶつけあうと、どんどん互いを許せなくなる。近いはずの人間同士が「許せない相手」になってしまう。繋げる役割が必要。

もう余裕がない、時間がない。これが最後のチャンス。方々からそんな声が聞こえてくる。焦らされるなあ。冷静な思考を奪われそう。強迫的なのはよくない。
自分の票が死に票にならないように、現実的に考えて、確実にクサビを打ち込むことを考えるべき。それも確か。政策面での違いが少ない政党や候補者が多いのだから、もう少し選挙協力して一本化の方向にいってくれたら、ここまで悩まなかったのに。
政治は好きじゃない。でも、無視できない。やはり、新しい動きには期待したい。
考える程、心が重くなるなあ。ここまで悩んで投票したのははじめて。期日前投票を終えた後も、まだ気持ちがもやもや。当事者意識が高まったってことかなあ。
ー2013年7月19日