2013年8月5日月曜日

宮崎駿監督「風立ちぬ」を観て【前編】

ー「美しさ」がもたらす破滅 先日、宮崎駿監督のアニメーション映画「風立ちぬ」を観に行ってきました。零戦の設計者、堀越二郎の半生と彼が生きた大正から昭和前期の時代を描いた作品 です。主に子供を対象にして、ファンタジーに軸足を置いてきた今迄の宮崎駿作品とは一線を画する内容だと感じました。実際、自分が足を運んだ劇場の客席を 埋めたほとんどは、成人をとっくにこえた大人ばかりで、未成年者は少数でした。これは、今迄の宮崎作品には見られなかった傾向かと思います。
映画を見終えて数日が経過しましたが、まだ映画の余韻が残っている感じです。内容を思い返していると、思考がさまざまに広がってゆきます。自分自身にとっても、今の時代にとってもタイムリーな作品なのだと思います。
この映画では、二郎が夢に向かって突き進む美しい姿と、日本帝国が破滅に向かって突き進み、崩壊する姿がリンクして描かれています。「美しい飛行機を作り たい」という二郎の汚れのない人生の目標は、皮肉にも、数多くの戦死者を生み出し、結果的に、彼は日本帝国の崩壊に加担することになります。
この映画は、「戦闘機が大好きで戦争が大嫌い」という自己矛盾を抱えた作者が、その矛盾に向き合おうとした作品だとも言えると思います。宮崎駿が堀越二郎 に自身のメンタリティーを投影したことは間違いないでしょう。宮崎は「夢は狂気をはらむ」と自ら語っています。その毒を隠すことなく表現することを、彼は この作品の1つの使命と課したように感じました。
映画を見終えた後に、この映画で描かれている零戦の設計者である堀越二郎と、核開発や原発に関わった科学者や技術者の存在を重ね合わせて考えました。彼ら の夢や目標にも「美しさ」は存在したと思います。そして、その「美しさ」こそが破滅をもたらしてしまうという「呪わしさ」を、我々はどう受けとめればいい のでしょう。
二郎達の見た夢は、人類の押さえ難い欲望であり、業そのものと言えるのかもしれません。それらに向き合うことなく、原発や核の問題を解決することは難しいと思います。我々は今も業の只中にいます。果たして、舵を切り直すことができるのでしょうか。
この映画は、「反戦映画」の範疇から離れ、善悪をこえた本質、そして光と闇の両面を伝える力を持った作品だと感じました。それこそが、政治や社会運動では フォローしきれない、映画や音楽、小説といった表現が担うことのできる大切な役割の一つなのだと思います。(続く)
ー2013年8月5日(月)

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