2014年11月12日水曜日

広島土砂災害の安佐南区で「新しい町」を歌って感じたこと

ソウルフラワーユニオン中川敬君との「うたのありか 2014」ツアーの最中、先週8日に土砂災害で甚大な被害を受けた広島の安佐南区を訪れ、地域の集会場で中川君と2人で地元の方々を前に出前ライブを演らせてもらった。

午後2時頃、安佐南区に到着したら、早速地元の方が各被災場所を丁寧な説明を交えながら案内してくれた。
被災の様子を実際に目の当たりにして、その規模と被害は自分の想像を超えていた。ここまで広範囲で深刻な被害状況であったとは、テレビやネットの情報だけでは実感できなかった。




凄惨な現場を多く目にして、3.11から2ヶ月後に東北の被災地に入って目にした光景と、そのときの何とも言えない気分がフィードバックした。
地元の方の説明では、被害を受けた一帯は、高度経済成長期以降に山を切り崩して建てられた住宅街で、住民は70歳以上の高齢の方が多いのだそうだ。
住宅街の道は、どこも車1台がぎりぎりと通れるくらいに狭く、入り組んでいた。山に向かう坂道は相当な急勾配で、高齢の方が暮らすには厳しい環境に思えた。
各被災場所を見て回って、この一帯は町づくりにおいて充分な計画性と安全性の配慮が足りなかったのではないかという疑問を持たざるえなかった。

案内してくれた地元の方は、70人を超える死者の数ではなく、その場所で無くなられた1人1人個人の死について、その顔が思い浮かぶように丁寧に語って聞かせて下さった。それは感情を押さえた静かな語り口だった。
30代でこの場所に越してきて、念願のマイホームを手に入れ、こつこつ働いて、ようやく子育てを終え、この地を終の住処として夫婦で70代を迎え、被災された方の姿を想像すると、自分がこの場で感じた疑問や割り切れない気持ちを言葉にするのは憚れた。

夜のライブでは、集まってこられる方の中に家をなくしたり身内や知人を亡くされた方がおられること等を想像して、選曲に気を配った。当日になって当初予定していて選曲からはずされた曲もあった。
集会場には、まさに老若男女たくさんの地元の方が集まって、会場内に入りきれない人達は会場の外で、演奏を楽しんでくれた。演歌、民謡、アニメソングを交えた普段とは違った選曲で、ライブは終始大盛り上がり、涙と笑いに満ちた一期一会になった。「満月の夕」を演奏中、集まった人達の表情を見ていたら、なんとも言えない気持ちがせまってきた。歌の力を感じずにはいられなかった。



今回の中川くんとのツアーでは、カンサス・シティ・バンドの下田卓さんが、東日本大震災の被災地復興を願ってつくった歌「新しい町」をカヴァーさせてもらっている。この歌は単なる「復興」を願うだけではなく、戒めと祈りを込めて町が新しい価値観で生まれ変わることを願った歌だと自分は解釈している。
https://www.youtube.com/watch?v=FYd6iLlBVZs
当初、この曲こそ安佐南区で歌うにふさわしいと考えていたのだけれど、現地を訪れ被災地を見て回った後には、この歌をこの場所で歌うことに少しの躊躇を感じた。その躊躇には根本的な問いかけが含まれていた気がする。

3・11以降、あれだけの大きな災害と事故を経て、戦後の経済成長がとても大きなリスクとツケを背負って成り立っていたことを、多くの人が自覚させられたはずだ。けれど、あれから3年8ヶ月以上が経過して、その自覚は再び薄れつつあるように思う。
安佐南区を訪れて感じたことの1つは、残念ながら、これから戦後の経済成長主義のツケがさまざまに返ってくることを覚悟しなければいけないのではないか、ということだ。せめて今後は、次世代のためにも、そのツケを増やさない方向に向かうべきだと思う。

ライブ後は、ボランティア、地元の皆さんと屋外でテーブルを囲んで、この日の炊き出しの芋煮と焼きサンマをいただき、焼酎のお湯割りをチビチビとやりながら、語り合った。
自分の隣に座った若者は災害後、東京の仕事を辞めて故郷であるこの地に戻りボランティア活動を続けているのだそうだ。これからは地元で暮らしてゆくつもりだそう。

この日の夜空にはミラクルムーン直後の素晴しい満月が輝いていて、皆がその満月を携帯で撮ろうとするのだけれど、その美しさの百分の一もおさめることができないでいた。’11年の5月、初めて被災地入りした石巻でも、街灯りが消えた中で、夜空に満月が輝いていて、皆で見とれていたことを思いだした。


土砂災害以降、安佐南区には述べ5万人を超えるボランティアの人達が集まったそうだ。受け入れ態勢ができていない中で、一度にたくさんのボランティアが集まり過ぎて、一時は混乱が生じたという話も聞いたけれど、日本にボランティア活動の意識が根付いたのは素晴しいことだと思う。この日の出前ライブも各地から集まったボランティアの人達よって企画された。
3・11以降、被災地でボランティア活動をする何人もの人達と出会ってきたけれど、彼らの中には地元の人達との出会いと交流の中で、その後被災地に移り住んだり、その土地で家庭を持った人もいる。
「新しい町」は、元々その町に暮らす人達だけでなく、他から集まった多くの人達とともにつくられてゆくのだろうと思う。

ー2014年11月12日(水)